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第八話 親友たちの狼狽(その2)

2.放課後の右往左往(速水龍也)



「ということで、早急に対策を打たないといけないわ」

「うん。速やかに対策を打たないといけないね」

 放課後。人気のない教室を見つけて飛び込むと、僕と霧子は顔を見合わせて同時に言った。誰もいない放課後の教室に二人っきり……、というのはよく考えると際どいシチュエーションなのだけど、僕と霧子の間に漂うのはそういう甘酸っぱいような雰囲気ではなく、少し張り詰めた緊張感漂う空気だった。



「やっぱり、龍也も、そう思ったんだ」

「うん。やっぱり霧子もそう思ったんだ。よかった。今回ばかりは僕の早とちりじゃなかったんだね」

「いや、良くないわよ!」

「そ、そうだね。良くないんだよ」

 今回の件に関して、どうやら互いの認識は一致しているようで、でも、それを確かめる言葉を霧子は口にした。



「一応、確認して置くけど、良の話、あんたはどう思ったの?」

「う」

 良の話。要するに良が語った「昨日の綾ちゃんとの兄妹喧嘩」の事。

 昼休みには「綾ちゃんがワガママで拗ねた」こと原因、というようなことで良には言ったけれど、今この場で、こんな問いをするということは霧子には異なる考えがある、ということなんだろう。僕と同じように。



「あんたも綾ちゃんが反抗期で、ワガママだから拗ねちゃった、なんて思ってる?」

「そうだったらいいなあ、とは思うけど。それは無いかなあ、って思ってるよ……霧子は?」

「う、私に先に言わせる気?」

「僕だって先に言いたくないよ」

 お互いの答えは分かりきっているけれど、流石に口にし難くて、譲り合ってしまう。そんな不毛な時間に見切りをつけたのはやっぱり霧子が先だった。



「……じゃあ、私の考えを言うね」

「う、うん」

「あ、その前に確認しておきたいんだけど」

「?」

「えーとね、ひょっとしたら良の勘違い、っていう可能性ってないかな?」

「可能性?」

「うん」

 僕のオウム返しに、霧子はため息混じりの表情で頷くと、霧子は人差し指を立てた。



「そもそも良の話が本当じゃないっていう可能性」

「? 良が嘘をついているってこと……じゃないよね?」

 彼が友達に相談するときに嘘をつくような不義理な人間じゃないってことは、お互いに知っているはずだった。だから霧子の発言に違和感を感じて僕が首をかしげると、霧子は指をくるくると回しながら言葉を続けた。



「えーとね、嘘とかじゃなくて……例えば、夢オチだったとか」

「ゆ、夢?」

「そう。さっきの話は全部、良の夢でした、とかさ」

「あのね……それって、良が夢と現実の区別がついていないって事?」

「そう。もしくは「妹恋しさのあまり、ありもしない幻覚を見た」という言い方でも可」

「『可』って、あのね」

 とんでもない仮説を真顔で告げる霧子に、僕は軽く額を抑えて息を零そうとして途中で止めた。かなり良には失礼な仮説だけど、でも、彼女がそんなことを言い出した気持ちはちょっとわかったから。だって、良の話が全部良の勘違い、もしくは夢でした、と流せる方が、事態は遙かにマシかもしれないのだから。

 ……まあ、どちらも深刻な事態には変わりはないのだけど。



「でも流石に、それはないよ。良の魔力、ちゃんと減ってたしね」

「減ってた、って、あんた他人の魔力なんて『見ただけで』分かるわけ?」

「うん。まあ大雑把に、だけどね」

 普段は分からないけれど、集中してみれば「なんとなく」は感じ取れる。



「なるほど。あんたがそう言うならそうなのか。じゃあ、綾ちゃんとの会話、というか魔力交換自体はあったのね」

「多分。それにやっぱり、良が夢と現実の区別ができないほどに追い込まれるって、流石に考えられないよ」

「そうね。やっぱりそうよね」

 言って、ほんの少し悪戯っぽく笑ったけれど、霧子の顔には落胆の陰が浮かんだ。それは、できれば良の話が何かの間違いであって欲しいって、彼女が願っている証拠だろう。



「じゃあ、夢でも幻覚でも妄言でもないとして」

 つまり良の話が本当だったとして、と前置きして、ようやく霧子は覚悟を決めたように目に力を込めて、一呼吸を置いてから、口を開いた。



「昨日の晩、綾ちゃんが良に何をしようとしたのか。わかってるよね?」

「……うん」

 そう。実は僕と霧子が一番気にかかっているのは、その部分だ。良は綾ちゃんが怒った「理由」を気にしていたけれど、その理由云々より前に、彼女が取ろうとした「行為」の方が遙かに僕らには衝撃だったのだから。

 その認識を互いの視線で確認しあってから、霧子は意を決したように頷いてから、彼女の答えを口にした。



「綾ちゃん、さ」

「うん」

「良に……、迫ったんじゃないのかな」

「……うん」

 良の話を聞いて、客観的に考える限り。昨日の晩の出来事はそういう事なんだって、思う。だから、僕は霧子の台詞に驚くことなく、小さく首を縦に振った。



「僕も、そう思うよ」

「やっぱり?」

「僕だって思いたくないけど……でも、ほかに考えられないよ」

「頭突き」

「しないって」

 良の顔面をホールドして、頭突きを見舞う綾ちゃんなんて、アグレッシブすぎて流石に想像できないし、するような娘じゃない。



「じゃあ、やっぱり、綾ちゃん……」

「うん……」

 両手を頬に添えて、顔を寄せて、綾ちゃんは良に一体何をするつもりだったのか。単純に考えれば……



「良にキス、しようとしたんだと思う」

「……」

 僕が言った瞬間、僕と霧子の間に漂う空気が、じわりと重さを増した。



「……」

「……」

 知りたくなくて目をそらしていた答えを、目の前に突きつけられたような気まずい沈黙。そんな居たたまれない空気に二人して沈んでいたのはどれくらいの時間だったろうか。やがて無言の時間を突き破るように、霧子が深く息を吸って、肺腑の奥からはき出すように、息をついた。



「……あのさ」

「何?」

「私、兄妹がいないから分からないんだけど、ひょっとして、兄妹ならそういうことするのって自然なのかな? ほら、スキンシップの延長、とかで」

「僕も一人っ子だから想像でしかモノは言えないけど、多分「自然じゃない」とは思うよ」

 救いを求めるような霧子の言葉に、僕は少しだけ考えてから首を横に振った。手を握るとか、抱きつくとかならともかく(いや、それもどうかとは思うんだけど)、キスなんて、高等部の兄妹の触れ合いとしては、流石に度が過ぎているんじゃないだろうか。



「やっぱり、そう?」

「うん」

「そっか」

 僕の返事に小さく頷くと、霧子は腕を組んでまた一つため息を零す。その顔に、諦めと覚悟が混じったような表情が浮かんだような気がした。それは要するに……事態をそのままに受け入れる覚悟ができた、という事かも知れない。



「ねえ、龍也」

「なに?」

「何でそんなに落ち着いてるのよ!」

「うわあ?!」

 事態を受け入れたと同時に、抑えていた感情がわき上がったのか。霧子は腕組みを解きながら悲鳴のような叫びとともに、ばしーん! と机を叩いた。



「綾ちゃんが、その、良に……キ、キスしようとしたって! そんなの、ものすごく大事じゃない!」

 怒りか、動揺か、あるいはそれ以外の感情のためにか。仄かに瞳と頬を赤く染める霧子に、僕はあわててなだめる言葉を投げかける。



「そ、そうだけど! ちょっと落ち着いてって!」

「これが落ち着いていられる? っていうか、落ち着いている場合じゃないでしょ?!」

「いや、そうだけどね」

「だから、あんたも慌てなさいよ!」

 無茶なことを言いながら、霧子は荒ぶる感情を表すように、ばんばんと机を叩く。

 いきなり僕に当たるのは止めて欲しい―――、と思いつつも霧子の気持ちは、僕にも理解できていた。あと一秒霧子が叫び出さなかったら、ひょっとしたら、僕の方が悲鳴を上げていたかもしれない。正直、僕だって頭を抱えたい気持ちでいっぱいなのだから。



「わかってる?! 良は、綾ちゃんの兄貴なのよ?」

「そうだね」

「綾ちゃんって、良の妹なのよ?」

「うん」

「だったら、キスしちゃだめじゃない!」

「痛い痛い痛い」

 まるで良の代わりにとばかりに、霧子は僕のこめかみを両手の拳で挟む込むと、グリグリと回した。



「ちょ、ちょっとだから、本当に落ち着いてって……いや、落ち着かなくてもいいですから、ぼ、暴力は止めようね?」

 猛る霧子の視線におびえながら、僕はなるべく彼女を刺激しないように言葉を選んで彼女を諭す。



「僕に当たっても事態は改善しないんじゃないかなあ……?」

「そんなの、わかってるわよ」

 だったら当たらないで欲しい―――なんて、危険な台詞は飲み込んで、僕は少しだけ落ち着いた霧子の手から脱出した。うう、結構痛かった。



「と、ともかく、冷静に考えようよ」

「冷静にって、あんたね。これが落ち着いていられる訳ないじゃない」

 宥める言葉にも、しかし、霧子の感情はなかなか落ち着きを戻してくれない。動揺に瞳を揺らしながら、彼女は狼狽のにじむ声で言葉を綴る。



「ああ、もう。良に負けず劣らず、綾ちゃんもブラコンだなー、って思ってたけどっ!」

「う、うん」

「でも、限度ってものがあると思わない?!」

「そうだね。まさか、本当にそこまでしようとするなんて……」

 正直、僕だって思っていなかった。

 実際のところ、良と綾ちゃんの関係は普通の兄妹よりは親密じゃないかなー、とは感じていた。ひょっとしたら恋愛感情一歩手前なんじゃないかって勘ぐったこともある。

 でも、いくら仲が良いといっても、そこはそれ。良と綾ちゃんは歴とした兄妹なわけで、やっぱりそこには明確な一線が引かれているものだと思いこんでいた。いくら兄を慕っていても「そんな感情」なんて、抱くはずはないし―――。



 抱いてはいけない、って綾ちゃんも分かっていると思っていたのに。



 霧子の狼狽ぶりを見るに彼女も同じように考えていたようで、まだ信じられない、と言った表情で、額に手を当てた。



「ああ、もう。なんでこうなってるのよ。そもそも綾ちゃんが生徒会に入ったのって、兄離れのため……」

 と、そこまで言って霧子は急に言葉を止めた。そして、驚きに軽く目を開いたまま、僕に目を向ける。



「まさか、綾ちゃんが、生徒会に入ったのって」

「……多分」

 霧子が思い当たったことは、多分、正しい。だから、僕は霧子に頷きながら、彼女が口にしなかった言葉の続きを口にした。



「綾ちゃんは、多分……良の気を引くために、生徒会には入ったんじゃないのかな」

「そ、そこまでする?」

「普通はしないだろうけど……」

 今の状況はかなり「普通」じゃない。



「じゃあ、全然、「兄離れ」なんかじゃなかったって事?」

「動機としては、正反対になるのかな。あ、あはは」

 僕の言葉に、霧子はしばし絶句した。

 その表情から、どうやら霧子は、本当に綾ちゃんが良から離れていくんだと思っていたようだ。ひょっとしたら、そう思いたかっただけなのかも知れないけれど。

 でも、僕は生徒会の件に関しては霧子ほどの驚きを感じてはいない。それは綾ちゃんの生徒会入りを聞いたときに、僕が直感した事だったから。そのときは「流石に邪推かな」と軽い自己嫌悪を催したその考えは、どうやら正しかったようだ。……いや、まあ、当たったから嬉しいようなことでは、全くないんだけれども。それを示すように、僕と霧子の間には、いい知れない気まずい沈黙が再び降りた。



「……」

「……」

「……ねえ」

「な、何?」

「……」

「……」

「どうしようか」

「……どうしよう」

 霧子の、沈黙を挟みながらの問いかけ。それに答える僕の声は、我が事ながら頼りなかった。

何かを考える必要がある。それは分かっている。昼休みには、「しばらく様子を見るように」と話の流れを持っていけたから、しばらくは良と綾ちゃんの関係は極端には変化しないだろうって思っている。だから、その間に何か対策を考える必要があるのだ。

 でも、霧子が先に激してくれたおかげで、多少は落ち着いて考えられていたけれど、僕だって冷静に事態を受けて止められている訳ではなし、事態を打開する妙案があるわけじゃない。そんな僕の心中を見抜いたのかどうかはわからないけれど、霧子は僕に打開策を促すことはなく、軽くあご先に手を当てて、しばらく考え込んだ。



「……良は」

 考えをまとめながら話しているのか、霧子の視線は僕ではなく中空に焦点を結ぶ。



「良は、自覚ないわよね?」

「うん。それは間違いないよ」

 自覚がない……というのは、もちろん、綾ちゃんの気持ちには気づいていない、ということ。シスコン、と言われて自分でも完全否定できていない良だけど、やっぱり彼が綾ちゃんに向けている感情は「妹」の域を超えてはいないと思う。なにせ、昨晩の兄妹喧嘩の原因にまったく見当が付いていなかったし、綾ちゃんが取ろうとしていた行為に、それほど危機感、もしくは高揚感を覚えていたようにもみえなかったから。

 仮に少しでも良が綾ちゃんの気持ちに感づいていたのなら、あそこまで率直に僕や、ましてや霧子に相談なんて持ちかけられないと思う。



「そっか。そうよね」

 僕の肯定に、霧子は心から安堵した、という様に、一瞬、表情をゆるめて息を零す。でも、直ぐに思考を巡らせるように顔つきを引き締めた。



「じゃあ、綾ちゃんは」

 と、彼女の名前を口にして、霧子は一瞬、続きを口にすることを躊躇する素振りを見せる。それで一瞬でその迷いを表情から消すと、彼女は少し張り詰めた声で、言葉を続ける。



「良のこと、どこまで本気なのかな」

「……どうかな」

 どのくらい本気なのかと問われると、ちょっとわからない。

 兄恋しさにその唇を奪おうなんて、本気じゃなくて、できるんだろうか。あるいは、兄妹だからこそ、本気じゃなくたって、スキンシップの延長線上の行為として、キスしてしまうことなんてこと、あるんだろうか。

 正直、兄妹のいない僕たちには分からないけれど……、でも。



「冗談じゃ、できないよ。きっと」

「そうよね。冗談で、キスなんてしようとしないよね」

「うん。多分」

 そう答えると、霧子は責めるでもなく、ただ頷いた。



「……なんとか、しないとね」

「うん」

 どちらにせよ、綾ちゃんが良に「妹としての想い」を超えた感情を抱いているのなら、それをのほほんと傍観することはできそうにない。他人の恋路を邪魔する奴は―――、なんて諺を出されるまでもなく、誰かの恋路を邪魔するなんてことが無粋だって事ぐらい分かってる。でも、流石にこれは事情が違う。近親相姦なんて言うのは、無条件に応援するにはちょっとばかりハードルが高すぎる。茨の道どころじゃない。文字通り、針のむしろを進む道になるんだから。

 良の親友として、そして、綾ちゃんの先輩として。無責任に二人の関係の「進展」を見守るなんて言う事は僕には、そして霧子にも、きっと出来ない。



「でも、霧子。何か、いい案ある?」

「……うーん」

 何とかしないと、とはお互い強く思ってはいるものの……果たしてどうすればいいのか。考えがそこに至ると、途端に僕と霧子は言葉に詰まってしまう。



「……」

「……」

「……うーん」

「……ううん」

「どうしよう」

「どうしようか」

「……」

「……」

 ひょっとしたら、こうなることが分かっていたから、僕も霧子も、「綾ちゃんが良に迫った」という事態をなかなか認めたくなかったのかも知れない。



 『兄妹間の恋愛なんて言語道断。ここはなんとしてでも、あきらめさせる』。

 ある意味で、一番建設的なはずのその台詞は、霧子の口からも、そして僕自身の口からも中々形になって出てきてくれない。

 もし相手が綾ちゃんじゃなければ、多分、霧子も僕も、ここまで悩むことなく「諦めさせないと」と結論づけただろう。例え、恨まれることになったとしても、結局はその決断が二人のためになるって考えるのは、普通のことだって思うから。

 でも……綾ちゃんに限っては、少し話が違う。少なくとも今現在の、綾ちゃんに対して、あるいは良に対して、うかつに二人の関係を崩すような真似をする訳にはいかないのだ。



 だって、綾ちゃんと魔力交換できているのは現状で良だけなのだから。

 好悪の感情が直接魔力交換の可否につながる訳じゃない。でも、やっぱり交換相手に抱く感情は、魔力交換の質に大きな影響を与えるって言われている。だから、今の状況で無理矢理綾ちゃんと良を引き離したりなんかしたら……最悪、彼女の命に関わるかも知れない。



「……ちょっとだけ、綾ちゃんに感心しちゃったな。私」

「え?」

 ぼつり、とつぶやくような霧子の台詞。唐突に零された声に、僕が戸惑いの声を上げると、霧子は小さく笑って肩をすくめた。



「感心しちゃ、いけないんだけどね」

「……そう、だね」

 苦笑する霧子だったけれど、僕もその点は少し同感だった。だって良との関係を崩すことが、命に関わるのなら、綾ちゃんの行為はある意味では自殺行為に近いのだから。

 好きという感情。それを伝えた結果、返される思いが、常に同種の感情だなんて限らない。兄としてではなく、異性として慕っている。そんな想いを良に伝えることは、今、僕と霧子が躊躇っている「二人の関係を崩す」行為に他ならないんじゃないだろうか。その意味において、昨日、綾ちゃんは……命がけで良に想いを伝えようとしたといえるのかも知れない。……まあ、綾ちゃんがそこまで思い詰めていたのかどうかは、まだ分からないけれど。



 でも、その勇気は僕には、少し眩しく感じてしまう。僕みたいに想いを伝えることに、臆病な魔法使いには、特に。

 『人は一人では、生きていない』

 言い古された言葉だけど、魔法使いの場合には本当に一人きりでは生命維持ができない。どれだけお金があっても。どれだけ才能があっても。自分たちの命は自分たちだけで決して完結しない。精神論ではなく、実際問題として。魔法使いは一人で生きてはいけないんだ。



 だから、好き、という想いだけじゃなくて、嫌い、という想いさえ、伝えることに僕は、気後れしてしまう。その行為が、誰かの命の手綱を断ち切ってしまうかも知れないって、考えて、しまうから。



「でも」

 浮かべた笑いを引き締めて、やがて霧子が意を決したように手を握った。



「でも、やっぱり、なんとかしないと。いくら仲がよくても、良と綾ちゃん、兄妹だしね」

「……うん」

 綾ちゃんの勇気をまぶしく思っても。やっぱり、ここは二人の恋路を応援しよう……って、事にはならない。二人の将来のことを考えれば。そして、多分、僕たちの思いのことを考えれば、なおさらに。だから、僕たちは二人の関係を「穏便に」変える方法は何かと思索する。



「一番、穏便に済むのは、綾ちゃんがほかの男の人を好きになる、って事なのよね」

「そうだね……うん」

 霧子の台詞を、僕は正論だと頷いた。

 確かに良の他に綾ちゃんの眼鏡にかなう男の人がいて、彼女が、良以外の人間と関係を築けるようになれば、二人が茨の道に足を踏み出すのにストップをかけられる。



「でも、なかなか難問よね」

「どうして?」

「あんた、綾ちゃんがどれくらい告白されてきたのか知ってる?」

「う……」

 霧子の指摘に、僕は思わず言葉に詰まった。確かに客観的に見て、綾ちゃんは可愛いし、人当たりも良い、加えて成績優秀。積極的に部活動などに参加しないけど、頼まれれば手助けは厭わない。現に去年は中等部の生徒会を手伝ったりしていた。

 当然のことながら彼女を恋い慕う異性……ひょっとしたら同性もいたかもしれないけれど、の数は知れず、でも、彼女はそのことごとくに「ごめんなさい」を返してきたのだ。つまり相当に異性に対する要求が高いのか……あるいは、本当に兄以外に興味がないのか。



「確かに難問だね」

「でしょ?」

「少なくとも良以上の男の人じゃないと駄目ってことだしね」

 それは中々にハードルが高いと思う。と、そう答える僕に、霧子は怪訝そうに目を細めた。



「……前から思ってたけど、龍也ってやけに良のこと過大評価してない?」

「そりゃ、親友だから」

 多少、評価に上方修正がかかるのは仕方ないと思う。が、そう答えると、ますます怪訝そうに霧子は眉を曇らせる。



「なによ、それ。惚れた弱み、みたいな発言よね」

「そ、そういう誤解を招く発言は止めて欲しいなあ」

「最近、あんたが誤解を招く発言を積極的にするような気がするのは私の邪推?」

「邪推も邪推。って、今は僕の話じゃないよね?」

「そうだけど」

 惚れた弱み……あばたもえくぼって奴かな。少なくとも、似たような感情かもしれないなあ、なんて頭の片隅で呟いてから、僕は話題を綾ちゃんのことに差し戻す。



「僕はともかく、少なくとも綾ちゃんにとっては、まさに「惚れた弱み」じゃないのかな? かなり良に対する評価はあがっちゃってるんじゃない?」

 それこそ、兄妹の一線を踏み外そうとしてしまうぐらいには。



「そう思う?」

「うん。多分」

「……多分、か」

「あ、ごめん」

 言われて、さっきから「多分」と曖昧な返事を繰り返していたことに気づいた。けれど、霧子は謝る僕に、笑って手を振る。



「別に怒ってないわよ。私だって断言できないんだもん。龍也の所為にするのはおかしいでしょ? でも、結局の所、まずはそこをはっきりさせないと駄目よね」

「そこ?」

「うん。ようするに、まず綾ちゃんがどこまで本気なのか。そこを確かめないと動けないわよね」

 どこまで本気なのか。つまりは「綾ちゃんの気持ち」を、はっきりさせないといけないそう指摘する霧子に、「確かに」と僕も頷きを返す。

 確かに、現状では綾ちゃんの気持ちを推し量る根拠は良の話だけだ。その良の話が衝撃的すぎて、二人で先走っていたけれど、本当のところ綾ちゃんがどこまで本気なのか、確信しているとは言い難い。



「……よし。決めた」

「霧子?」

「私が綾ちゃんに話してくる」

「え?……ええ?! ちょ、ちょっと待って」

 いきなりの霧子の宣言に、僕は血の気が引くのを感じながら慌てて待ったをかけた。



「今、霧子が行くのは逆効果じゃないかなあ……?」

「なんでよ」

 僕の制止に、霧子は怪訝に眉をひそめる。どうやら僕の危惧は彼女に全く伝わっていないらしい。



「いや、だから、綾ちゃんから見たら、良を誘ったのは霧子になるわけだし」

「そうよ。だから、私が行くべきでしょう?」

「霧子さ、ひ、火に油を注ぐって言葉、知ってる……?」

「虎穴に入らずんば虎児を得ずって、諺なら知ってるけど。って、何で私が油を注ぐことになるのよ」

「……じ、自覚ないんだ」

 まあ、霧子は奥手というか、自分のことになると、その手のことに鈍感だったりするけれど。だから霧子自身は気づいていないのかも知れないけど、綾ちゃんが本当に良のことを好きなんだとしたら、霧子は「ライバル」として認識されて居る可能性は高いと思う。現に、綾ちゃんが昨日の良の発言でもっとも怒りを示したのは、「良が寂しがってくれないこと」、でも、「美術部に入ったこと」でもなくて、おそらくは「霧子のいる」美術部に入ろうとしていることが原因なんじゃないだろうか。

 だから、正直、彼女の提案をそのまま実行して、霧子と綾ちゃんの直接対決、なんて事態にはしたくない。そんな修羅場、胃と心臓に悪すぎる。



「龍也? どうしたの?」

「あ、いや、うん。ともかく、いきなり問いただすような真似は止めた方がいいと思うけどなあ。ほら、綾ちゃん、昨日の良との喧嘩で精神不安定かもしれないだろ? あまり刺激の強い行為は止めた方がいいと思うんだ。うん」

「私が綾ちゃんと会うのが、そんなに刺激が強い行為?」

「少なくとも、ほら、霧子って美術部の関係者だろ? それにさっき霧子が言ったみたいに、良を美術部に誘った張本人だしね」

「う、まあ、そうだけど……」

 次第に霧子が勢いを無くしていくのを見ながら、僕は内心で「よし」と手を握る。

 霧子の逃げない態度っていうのは立派だとは思うけれど、やっぱり、昨日、良と喧嘩したばかりの不安定な精神状況の綾ちゃんと、そのライバルの直接対面なんて刺激的すぎる事件は回避してほしい。



「下手に刺激して、綾ちゃんがもっと大胆な行動に出たら、不味いだろ?」

「そこまでするかな? 綾ちゃん」

「正直、可能性は低いと思うけど……でも、ゼロとは言い切れないよ」

 何しろ、今まで抑えつけていた感情を、昨日、発露させようとしたんだから。

 いや、本当に押さえつけていたのかも、正直怪しいなあ、という気もして来ている。綾ちゃんは、僕や霧この前ではそんな風には見えないけど、良の前では少々暴走する嫌いがあるようだし。

 しかし、霧子は僕の指摘を肯定した上で、やっぱり意見を曲げなかった。



「龍也の言うこともわかるけど……でもやっぱり綾ちゃんの気持ちを確かめるのが先決じゃない。いろいろと考えてみてもさ、万が一、綾ちゃんの気持ちを私たちが勘違いしてたら、良と綾ちゃんの関係をおかしくして、お仕舞いてことになっちゃうかも知れないでしょ?」

「……確かに、そうだけど」

 良の話を聞く限りにおいては、僕も霧子も「綾ちゃんは本気かも」という結論に至ったけれど、やっぱり良の話にはどこか齟齬がある可能性も捨て切れてはいない。最悪、穏やかな水面に波風を立てるだけ、ことになっては目も当てられない。そういう意味では直接彼女の様子をうかがうのが手っ取り早いと言えばそうなのだけど。



「うーん。遠巻きに綾ちゃんの様子を見て判断する、って訳にはいかない、かなあ」

「無理よ。だって、私たち今まで、綾ちゃんが一線を越えようとするなんて、思ってなかったじゃない」

「そうだね」

 確かに、数年の付き合いがあってなお、僕らは彼女の良への思いを見誤っていたかもしれないのだ。だから、彼女の本心に触れるには、少なからずつっこんだ話をする必要があるんだろうけれど。



「でも、今、綾ちゃんに直接っていうのはやっぱり不味いよ」

「じゃあ、龍也には対案があるの?」

「うーん。ないけど」

「じゃあ、私が行くしかないじゃない」

「どうして、そんな二択になるんだよ!」

 行動力があるのはいいことだけど、もう少し選択肢の幅を増やして欲しい。



「ああ、もうわかったから」

「わかったって何がよ」

「僕が行くよ」

「龍也が?」

「うん。綾ちゃんの気持ちを確かめるのが肝心っていうのには異論はないし。だったら、当事者の霧子がいくより部外者の僕が行く方が綾ちゃんにとっても刺激が少ないと思う」

「そうかなあ」

「そうだよ」

「でも、どうやって聞き出すつもり?」

「うーん」

 そう言われると、端と言葉が止まってしまう。妙案なんて持っていないのだから。

 けれど、ここで何かしらの提案をしないと、霧子の行動が止められない。なんだかんだで、霧子も良が絡むと行動に勢いがつくケースが多いから。ここは、ダメ元でいいから何かしら行動計画を提示する必要がある。



「そうだね……じゃあ。遊びに誘ってみようかな?」

「龍也が綾ちゃんを?」

「うん。あ、勿論、僕一人じゃなくて、良も入れて何人かで」

 半ば苦し紛れで口にした提案だったけど、口にした途端、「あ、ちょっといけるかも」との感触が脳裏に浮かんだ。

 そういうシチュエーションを作ることができたら、綾ちゃんの態度とか、あるいは異性に対する好みとか、いつもよりも読み取ることができるしれない。

 霧子の方も、僕と同じ感想を抱いたのか、少し感心したような面持ちで、何度か首を縦に振った。



「なるほど。そういう状況なら話を聞き出しやすい、と」

「うん。それに彼女の関心を良以外の男の人に向けさせる、っていう事のきっかけになるかも知れないだろ?」

 その感情が家族に対してのものか、あるいは完全に異性に対するものなのかの判断はまだ付いてはいないけれど、綾ちゃんの感情は良に集中しすぎているとは思う。

 なら、良の他の男の人と一緒に遊ぶような機会を設けていけば、いつしか彼女の琴線に触れる異性が登場するかも知れない。まあ、そう何もかもうまくいくとは思えないけれど……意外といい計画になるかも知れない。



「……それって、綾ちゃんを龍也に惚れさせてみせるってこと?」

「え?」

「今の発言、そう聞こえたんだけど」

「ち、違うよ?! そんなこと思ってないよ?!」

「ふーん」

 今度は僕の意図とはまるっきり別方向に、僕の発言を解釈したらしい。霧子は唐突にそんなことを言って、否定する僕に疑いのまなざし……というより、軽い期待のまなざしを向けてきた。



「だ、だから違うよ?」

「違うの?」

「違うって」

「あんたがその気になってくれるんだったら、それが一番、良いと思ったんだけどな」

「なんでさ?!」

 またしても想定外の言葉を口にする霧子に、思わずちょっと声がうわずった。



「だって、あんたが相手なら良も文句はつけないでしょう? 他の男と綾ちゃんが付き合ったら、あのシスコン兄貴、どれだけ取り乱すかわかったもんじゃないわよ?」

「そ、そうだけど」

 確かに、綾ちゃんが彼氏を作ったりした日には、良がどんな態度を取るのかちょっと想像がつかない。「兄さんは許さないぞ!」ぐらいの台詞は本当に言いかねないなあ、と思ってしまうあたり、良のシスコンぶりがすごいのか、あるいは僕と霧子の良に対する偏見が凄いのか、果たしてどちらなのだろうか。



「まあ、綾ちゃんをあんたにくっつけようなんて作戦、あんたが綾ちゃんのこと好きじゃなかったら賛成しないけどね」

「そ、そうだよね」

「でも、そこんとこ、どうなの?」

「え?」

「だから、綾ちゃんのこと。好き?」

「え、え、えええ?!」

「おー。狼狽えてる。狼狽えてる」

「う、狼狽えてないよ?!」

 今までの憂いの含んだ表情はどこに行ったのか、狼狽える僕に、霧子はくすくすと笑う。



「い、今は綾ちゃんのことだろ? 僕のことはどうだっていいじゃないか」

「だから、あんたが綾ちゃんのことを好きだったら、この機会に応援してあげるってば」

「いりません。というか、綾ちゃんにそういう気持ちは抱いてないよ」

 綾ちゃんは、良の妹で、大切な人。それが僕の綾ちゃんに対する認識のすべて……だと、思う。多分。

 浮かびかけた余計な想いを、慌てて胸の中にしまい込んで、僕は霧子に向き直る。



「ともかく、そういう企画をしている……っていうことで、綾ちゃんとの話題のきっかけにしようって思うんだ」

 そういう内容で僕が動いておけば、霧子の行動を制止しておける。今はそれで良しとしようと考えて、僕は霧子に指を振った。



「うん……そうね。じゃあ、その作戦で言ってみましょうか」

「ということで、霧子はしばらく大人しくしていてね」

「むー。なんか、信用されてないなあ、私」

「そう言う訳じゃないけど」

 綾ちゃんも霧子も、良が絡むと少しばかり冷静さがかけてしまうようだから……とは流石に口には出来なかった。

 そんな僕の表情に何を読み取ったのかは分からないけれど、霧子はそれ以上、不平を口にすることなく、口調を改めて「お願いね」と僕の提案を了承してくれたのだった。



「それにしても」

「それにしても?」

「綾ちゃんは、良のどこを好きになったのかな?」 

 二人っきりの相談を終えて、教室から出る間際。ドアに片手をかけながら、そんな事を霧子は独り言のように呟いた。



「どこ、だろうね」

 愛に理由はいらない、なんて言うけれど。理由があるのなら、知りたいって思った。



 規則のないルールは解けないけれど。

 そこに規則があるのなら、書き換えることができるかもしれないから。



 魔法使いは、世界の規則を書き換えるそのために、いるのだから。




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