第六話 ブラコン娘の憂鬱(その3)
3.生徒会(神崎綾)
「ふう」
「……神崎さん?」
「え?」
「溜息付いていたけど、大丈夫?」
生徒会の書棚。其処に並べられた過去5年にわたる資料を閲覧しながら、何となく溜息をついた私に卯月さんが気遣わしげな視線を向けてくれた。卯月鏡花さん。私と同じ高等部一年で、ふわりとした茶色の髪が可愛らしい小柄な女の子。去年まで中等部の生徒会長をつとめていただけあって、面倒見が良く、生徒会に入ったばかりの私を何かと気遣ってくれる優しい子だった。
そんな彼女に無用な心配をかけたことに、内心詫びながら、私は努めて明るい笑顔を作って彼女に頷いた。
「はい、大丈夫です。心配してくれてありがとう」
「そう? まだ慣れないだろうから、あまり無理しないで良いんだよ?」
「ありがとう。でも、本当に無理はしてませんから。疲れたら遠慮無くサボる、じゃないや、休ませて貰いますね」
冗談交じりの笑顔に、卯月さんも安心してくれたのか、彼女も微笑んで頷いてくれた。
「うん。そうしてくれると嬉しいな。あ、あと、一つお願いがあるんだけれど」
「何でしょう?」
「うん。できれば、そういう敬語はやめて欲しいなって。ほら、私たち同じ学年じゃない」
気さくな、悪意のない笑顔。その善意の眼差しに、ちくり、と罪悪感めいた感情が胸を差すを自覚しながら、私もなるべく気の良い笑顔を繕って返す。
「そうですね。じゃなくて、うん、そうだね……って、こんな感じ?」
「そうそう、そんな感じ」
そう笑いあってから、再び、私たちは書棚に向き直る。
胸にうずく罪悪感の原因。それは多分、真っ直ぐな気持ちで生徒会に入ったに違いない彼女に、恐らくは不純な動機で生徒会の扉を叩いた私が感じる引け目みたいなものだろう。
でも、私だって……抱いている気持ち自体は半端でも何でもないんだけれど。
「……よし」
気持ちを切り替えようと小さく呟いて、私は書棚に改めて視線を落とす。
四日前に生徒会への参加を認められた私に、与えられた役職は卯月さんと同じく会計補佐。とはいえ、まだ暫定なので、会計補佐「候補」と言ったところ。学期末に信任されれば役職からは「補佐」の文字が外れることになるらしい。
会計が二人に、その補佐が二人、とは随分と大げさな構成だな、と思ったけれど、現状、高等部生徒会の一番大きな役割は、予算の配分と運営という事だった。中等部よりも構成人員が増え、活動範囲・活動内容ともに高度化することから組まれている予算の額は、中等部のそれと桁が一つ違う。それ故に、部員数および活動実績を数値化し、その数字に応じて各部に配分することはもちろんだが、いかに公平性と健全性を保つかに生徒会の能力が問われており、会計には多めに人員が割り当てられる……とのこと。そして今、私の、目の前に並んでいるのは、その会計処理のための基本となる過去の予算配分および執行結果の書類だ。
書棚に並んだ「本」の背表紙に刻まれているのは魔法の紋章。生徒会の扉に刻まれている金の校章と同じ図形が、黒の糸で本の背表紙に刺繍されている。つまりこれは「魔法の本」なのだ。
東ユグドラシル魔法院の生徒会。伊達に世界樹の名前を冠している訳ではない―――からなのかは知らないけれど、基本的に生徒会の戸棚に収められた書類には全て符号化処理魔法が施されている、との事だった。本の頁を開くことなく、背表紙に刻まれた紋章に振れることで、中身を直接、脳内に展開することが出来る。本の頁を繰る、という風情も何も無くなってしまうが、情報を閲覧、検索する効率は段違いに跳ね上がる。ただし、「頭の中に本を展開する」という行為は誰にでも簡単にできるものではなく、一定以上の魔法技術が必要とされる。幸いにして私は、以前に母さんの書斎の整理を手伝わされた経験があるので、この手の本の扱い方は、一通りの扱い方は心得ていた。
……正直、兄さんには読めないだろうなあ。
もっとも普通はこの手の符号化処理された魔法の本は、専用の読み取り機を使うことで魔法が使えない、もしくは魔法が未熟な人でも簡単に扱うことが出来る。しかし、苟もここは魔法使いたちの学舎。生徒会規模の情報処理に機械演算の補助を頼るような横着は許されない……とは、会長の紅坂セリアさんの台詞。果たして、その台詞の通り、生徒会室に魔法を補助する道具の類はほとんど見あたらなかった。(流石に「記録」の際には魔法の持続時間の永続化が必要になるので符号器は置いてあるけれど)。さすがは、エリート集団、と目される生徒会、なのだろうか。
……でも、もし補助具があっても、兄さんなら、アタフタして、多分、使いこなせないだろうけれど。
「ふふ」
「……神崎さん?」
「あ、ごめんなさい。ちょっと思い出し笑いしちゃって」
「えー。何々? 何か面白いこと思い出したの?」
アタフタしている兄さんを妄想して楽しんでいただけです、なんて流石に、正直に言うわけにもいかず「内緒」と微笑んで話を逸らしておく。
……ああ、兄さん、何してるかなあ。
いつも必ず放課後は一緒にいる訳じゃない。寧ろ、兄さんは速水先輩や霧子さんと一緒にいることがだから、こんな状況、いつも通りと言えばそれまでだけど。兄さんと距離を置く、ことを妙に意識したせいか、いつも以上に兄さんのことが頭にこびりついて離れない。ぽっかりとあいた胸の空白。意識してしまえば、寂しくなって、意識しないようにすればするほど、泣きたくなる。
……でも。今日は家に帰ったら一緒に夕食食べられるんだよね。
昨日の母さんとの会話を思い出して、私は自然と頬をゆるむのを自覚した。うん。夕食ぐらいは一緒に食べたって構わない。母さんもそう言ってたし。
それにそれに。やっぱり兄さんも寂しがってると思うんだ。母さんは控えめにしか表現してくれなかったけれど、私がこれだけ寂しいんだから、兄さんだって寂しがってくれていないとバランスがとれない。というか、平然としていたら、泣く。
「というか平然としてたら……もの凄いこと、泣いてやるんだからね」
「綾ちゃん?」
「え? あ、何でもないよ」
度重なる独り言に、卯月さんの視線が、ものすごく心配そうなモノに変わってきている気がする。うう、独り言なんて癖、今まで無かったはずなのに。
……兄さんの所為なんだから。うう。
と、私が内心で兄さんに八つ当たりを始めたとき、ガチャリ、と資料室のドアが開く音がして、私と卯月さんは同時に振り向いた。
「お疲れ様。仲良くやっているみたいね
「あ、会長、副会長。お疲れ様です!」
「お疲れ様です」
開いたドアから姿を見せたのは会長の紅坂セリアさん。そして、その背後に控えているのは副会長の篠宮鈴さんだった。二人の姿に卯月さんは元気よく一礼し、私もそれに習ってお辞儀する。
会長と副会長。社長と秘書。お嬢様と護衛。女主人に若旦那……と最後のはいろいろと間違った思考から生まれた例えだけど。二人がそろっているところを見ると、思わずそんな例えを思い浮かべたくなるのは良くわかった。でも、噂は噂。意外と当てにはならないもので、護衛だの若旦那などと言われている篠宮さんは、とても優しい気配りの人だって言うことはこの四日で身にしみていた。今だって、きっと。
「お茶を入れました。一息入れませんか? 二人とも」
そう予想に違わず、篠宮先輩は私たち新入生を気遣う台詞を向けてくれるのだった。これで、もう少し表情とか物言いとかが硬質ではなくて、柔らかかったら、ものすごく人気が出るんだろうな、ってそんな気がする。
私がそんな暢気な感想を抱いている傍ら、卯月さんは慌てたようで。
「あ、先輩、お茶なら私が……」
「構いませんよ。二人に雑用を押しつけているので暇なのです、私は。たまにはお茶ぐらい淹れないとすることがありません」
「え? あ、あの、でも、そんな」
「鏡花さん。鈴は働くのが好きなのに、あなたたちに仕事を取られてむくれているの。だからお茶の用意ぐらいは、譲ってあげて」
「そうですよ、卯月さん。たまには先輩に仕事をあげてください」
「は、はい」
果たしてどこまで本気で、どこまでが冗談なんだろうか。篠宮先輩って人が良いのは間違いなんだけれど、本当に真顔で冗談を言う人なので、出会って四日の私には全然判断が付かないし、出会って二ヶ月の卯月さんにしても同様みたいだった。
そんな新入生二人は、結局会長・副会長に招かれるまま、生徒会室のソファーに腰掛けて座る。上座に会長。そして私たち一年生と、篠宮さんが向かい合うように腰掛けた。そして、それぞれの目の前には篠宮先輩が淹れてくれた紅茶が湯気を立てている。
「うわ」
「……おいしい」
篠宮先輩に「どうぞ」と促されるままに口をつけたその紅茶。口の中に広がるその味に、私と卯月さんはそろって絶句していた。そんな私たちの反応は予想通りだったのか、会長さんは満足げに頷いて笑う。
「鈴のお茶は生徒会役員の特権の一つよ。めったには出さないのだけどね」
「私は毎日淹れても構わないのですが」
自慢げな会長さんの言葉に反応して、篠宮さんがもの言いたげな眼差しを目を向ける。でも、その視線を受けながら、会長さんは悪びれることなく笑いながら言った。
「だって、鈴のお茶は特別だもの。いつも淹れていてはありがたみが無くなるでしょう?」
「そうですね! 私もそう思います」
こちらもどこまで本気なのか判然としない会長さんの台詞だったけれど、会長さんの信奉者たる卯月さんはブンブンと勢いよく首を縦に振りまくる。
なにもそんなに必死で同意しなくても良いとは思うんだけど……ひょっとして会長にお茶を供する係を篠宮先輩に取られてしまうのを危惧しているのかも知れない。会長さんにお茶を出すとき、緊張しながらも凄く嬉しそうだしなあ、卯月さん。
ある意味で必死な下級生の態度をくみ取ったのか、篠宮先輩はそれ以上は会長に抗議することもなく、お手製のお茶に一口、口をつけてから、別の話題を私たちの方へと差し向けた。
「まあ、お茶の事は置きましょう。それより、神崎さん。書類の扱いは分かりましたか?」
「あ、はい。一通りは」
篠宮先輩に頷く私の横で、卯月さんが勢い込んで身を乗り出した。
「凄いんですよ、神崎さん。あっというまに半分チェックしちゃったんですから」
「一通りは母に使い方を教わっていましたから」
卯月さんの大げさな賞賛に、私は控えめに首を振る。だが、その私の返事に、何故か会長さんは不満そうなため息を零す。
「そう、それは残念ね」
「残念、ですか?」
予想外の返事に私が首をひねると、会長さんは口元を手で隠して軽く笑った。
「だって、大抵の新入生は読み取り(デコード)方法に四苦八苦するものなの。そして、それを見るのが上級生のささやかな楽しみなのよ?」
微笑んで会長さんは、卯月さんの方に視線を向けた。
「鏡花さんが涙目で奮戦する様はとても微笑ましかったのだから」
「か、会長ぅ」
ちょっと泣きそうな声を出す卯月さんに、会長さんは「泣かないの」と子供をあやすような声に変わる。
「頑張る姿が好ましいって褒めているのだから。ね?」
「は、はい」
「これからも期待してるわよ」
「はい! 頑張りますっ!」
立ち直り早いなあ。というか、会長が扱い方がうまいのか。卯月さんがここまで会長さんに心酔している理由は、まだ理解できてはいないけれど、会長さんの才能が卓越している、ということは私も感じ始めていた。
「あの、会長。一つお聞きしても良いですか?」
「どうぞ?」
感じ始めていた会長さんの魔法使いとしての才能。それを確かめるために、私は会長さんに問いかける。
「会長は、会計の仕事もされているんですか?」
「人手が足りないときには、ね」
そう言って微笑む会長さんは、意味ありげに僅かに目を細めた。それは出した問題に生徒が正解したときに母さんが見せる表情を彷彿とさせた。
なら……やっぱり、そうなのか。先ほどまで私が触れていた記録。それに触れていたときに胸に浮かんでいた仮説が、どうやら正しいということを告げられて私は、思わずため息を零す。
一方、会長さんの返答に、卯月さんの表情に疑問符が浮かんでいた。
「会長も、会計を……? そうなんですか?」
「ええ、少しだけれど」
「でも、どうして分かったの? 会長の署名なんて……」
無かったよね、と卯月さんは私に振り向く。そう、確かに編成者の名前に、会長さんと副会長さんの名前は無かった。
でも、わかる。
情報を魔法の本の中に、文字ではなく「魔法」として記録する作業は「符号化」と言われる。一冊の本の中に、多くの情報を押し込むためには、それだけ効率の良い符号化作業が必要になる。つまり本の中に記録されている情報の量、そして記録の際に行われたであろう符号化の行程を読み解くことで、作業者の能力を推定することができるのだ。例え、同じ符号器を利用していても、今度は符号器を扱う能力で個人差、というものが発生してしまう。
そして、私が触れた記録の中には明らかに他の人と質の違う「記録」がある。恐ろしく効率的に編成された情報群。私では読むことが出来ても再現することが出来ない表現の形は、おそらく彼女の手によるものなのではないか。そう踏んだのだけど、どうやらその推定は間違ってはいなかったようだ。
正直、会長さんの才能、というのを見くびっていたのかも知れない。私にはその凄さを感じることは出来ても、とてもじゃないが同じ事は再現できない。母さんはともかく速水先輩にだって、あんな真似はできないんじゃないだろうか。
「……やっぱり、凄い」
「そうですね。やっぱり会長さんは」
「そうじゃなくて。あ、勿論、会長はものすごーく、凄いんだけど、私が今言ったのは神崎さんの事」
「え? 私?」
「うん。だって、私なんてそんなこと全然、気づかなかったのに」
しゅん、とまともの落ち込で表情を陰らせる卯月さんをみて、私は慌ててフォローの言葉を探す。
「そんなことないよ。ただ、ちょっと扱いになれていたから気づいただけ」
「でも」
「謙虚なのね、綾さんは。でも、彼女の言うとおりよ。鏡花さん、まだ使い始めたばかりなのだから、落ち込む必要はないの。分かった?」
「はいっ!」
またしても会長さんの言葉に、速攻で回復する卯月さんだった。落ち込んだり、立ち直ったり、ころころと表情の変わる卯月さんを眺めているのは、確かに楽しいかも知れない。
本人は真剣なのでそんなこと思っちゃ可哀想だけど。
「あ、そういえば、生徒会って普段は本当に女の人ばかりなんですか?」
私が申し込んだ日には、男性のメンバーも何人かいた。でも、それからの三日間は、会長と副会長さん、そして卯月さんの三人の姿しか見ていない。
「会議の無い日には部活動に参加しているメンバーは来ないことが多いんです。毎日の参加は強制ではありませんから」
私の疑問に、篠宮先輩がティーカップを置いた。
「男性に限りませんが、役員は魔法競技の方に引っ張られることが多いんです。綾さんも卯月さんも勧誘された経験は多いでしょう?」
「あ、はい」
「あります」
確かに、生徒会に参加する生徒は、魔法使いとしての才能が高いことが多い。そのため当然のことながら、各部活動の勧誘対象となる訳だ。
「でも、掛け持ちって問題ないんでしょうか」
「そうですね部費の関係上、生徒会との癒着を危惧する声もあります。ですが、魔法院としても対外的な成績を残すことには意味がありますから」
「なるほど」
世界樹。その名を冠すること許された魔法院は東西南の三つ。そのほかにも大小併せて20を超える魔法院がこの国には設立されている。
その中で「東ユグドラシル」の存在をアピールするのは、決して損にはならない、ということらしい。
「だから、先輩方は部活動には参加していない、ということでしょうか」
「ええ、そんなところね」
会長と副会長は、特に強い権限をもつ。その二人だけは、部活動には参加しないことで一応の線引きを行っている、というあたりなのだろう。部活としては損失だろうけれど、魔法院の評価は部活動だけで決まるわけではない。現に成績の点でも会長さんは飛び抜けた実績を残しつつあるらしいし。
……いろいろと生徒会にも、ややこしい事情があるんだなあ。
少し考えを巡らしただけで散見できた駆け引きめいた事情に私は自分でも感心しているのか、呆れているのかはっきりしない思いで息をついた。
「いろいろと察しが良いわね、綾さんは」
「え?」
そんな私のため息に、会長さんはどこか可笑しそうに目を細めて「それより」と話題を変えた。
「生徒会の感想はどう? まだ本格的な活動ではないけれど、何か思うところはあるかしら」
「正直、反省しています」
「反省?」
「はい、いろいろ侮っていたかなあって」
兄さんと喧嘩するような人だから、仲良くできるかどうかは分からないけれど。魔法使いとしての能力は尊敬に値する人だって言うのは、今日だけでも痛感させられたから。
そう素直に心情を告げると、会長さんは可笑しそうに口元をほころばせた。
「おもしろい物言いをするのですね。綾さんは」
「おもしろい、ですか?」
「ええ、穏やかな物腰なのに、ときどき挑発的な物言いになるから。そういうのは、お兄さんの影響なのかしら」
「……そうでしょうか?」
あまり他人から「兄さんに似ている」との評価は受けたことはない。だから、驚いてしばし会長さんの顔を見つめてしまった。
「あら、そう言われるのは嫌だった?」
「あ、違います。あまりそういうこと言われたことなかったから、ちょっと驚いちゃって」
「そうなの?」
「ええ……でも」
「でも?」
「……だったら、嬉しいなって、思います」
もし会長さんの目に私が兄さんに似ているって写ったのだったら、凄く嬉しい。私がそんな暖かな思いに浸っていると、
「前言撤回」
と、会長さんがなんだか拗ねた口調でいきなりそう呟いた。
「え?」
「似てません。私の気のせいでした」
「ええー!」
思わず声を上げた私に。会長さんは「冗談よ」と笑いながら手を振る。
「うん。そういう素直な反応も似てると言えば似てるわね。お兄さんと」
「うう。会長さんって、実はいじわるなんですか?」
「ええ。とても」
「鈴。あなたが即答するんじゃありません」
私の問いに即答した篠宮さんに向けて、会長が苦笑しながら息を吐いた。
「……でも、そうなら少し意外ね」
「え?」
「ほら、先日、お兄さんとあんな所を見せてしまったでしょう? あなたがそこまで兄想いだとは知らなかったけれど、あの時、私のこと嫌いになったりしなかったの?」
先ほどまでの笑いは少し形を潜めて、心持ち態度を改めた会長さんの声と視線に、私は答えを探す。
『実は嫌いになりました』
と素直な返事が口を付きかけたけれど、流石にそう答えるのはまずいかなあ、と、私はしばし答えを探そうとして……やめた。
「実は、ちょっとそう思いました」
「正直ね」
結局、正直に返事を返すと、会長さんは気分を返したようでもなく却って好奇をそそられたように目を光らせた。それは気を悪くしたような態度には見えなくて、私は少し胸をなで下ろす。きっと見え透いた嘘の方がこの人の機嫌を損ねる、と踏んだのは間違いじゃなかったみたいだ。
「なら、どうして、生徒会に?」
「それは……えーと、初日にお話ししたとおりで」
「『魔法院の学生として、責任ある立場で自分たちの学舎を運営する経験をしたい』なんて、通り一辺倒な台詞は忘れました」
ばっちり覚えてるじゃないですか。
「私は本音を聞きたいんだけれど? 綾さん」
「えーと」
今回は流石に『兄さんの気を引くために入りました』なんて、正直に言うわけにはいかない。とはいえ、見え透いた嘘はあっさりと見抜かれそうな気がして、私はしばし言葉を選ぶ。
「兄さんは「会長さんは悪い人じゃない」って言ってたんです」
「神崎さんが?」
「はい。ちょっと意見の食い違いがあるだけだって」
「……そう」
私の台詞に、会長さんは喜怒の曖昧な微妙な表情を浮かべて、少し視線を伏せた。
「それに私も、少しは兄離れしないといけないかなって」
「……なるほど」
私の台詞に、何か感じるモノがあったのか、会長さんは少し間をおいてから、ゆっくりと首を縦に振った。その様子からは私の台詞を虚偽だとして、気分を害したようには見えなかった。
……まあ、嘘は言っていない、よね?
会長さんの態度に安堵して、私は自分に言い訳するように問いかけた。いや、言い訳じゃなくて。やっぱり嘘なんか言っていない。だって「兄と妹」という関係から離れて、「恋人同士」という関係を築くためにこうして兄さんが近寄りがたい領域に単身乗り込んできているんだから。だからこれは立派な「兄離れ」の儀式。
我ながら「ちょっと苦しいかなー」なんて思わなくもないけれど。でも、そんな私の内心に会長さんは気づいた様子はなくて、ひとしきり無言で頷いた後、その表情を優しい笑顔に塗り替えて私に手を差し出した。
「じゃあ、お近づきに、交換しましょうか?」
「え?」
差し出された手。そして「交換」という単語。その意味するところを直ちに了解して、私は思わず口ごもる。
「あ、済みません。わたし……」
「大丈夫よ。今後、私とだけ、なんて制限するつもりはありませんから」
そう言って会長さんは微笑むが「今はまだ」という言葉が台詞の何処かで省略されているのは明白だった。だけど、それも違うと、私は首を横に振った。
「あの、そういう意味じゃなくて、体質的にダメなんです」
「体質的に?」
「ええ。その……血縁者以外との交換ができなくて」
その返事は予想外だったのか、一瞬、会長さんの表情が止まる。
正確には、医者に言わせれば「体質的」というのは嘘で「性格的」もしくは「精神的」な問題、と言うことらしいけれど。でも、そんなの私にとってはどちらでも同じこと。
兄さんと魔力交換できるのなら、そんなのどちらでも構わないし、それ以外の人と交換できない理由はどうでもいいんだから。
「それは……不自由でしょう。お察しします」
そんな私の言葉に、途端、篠宮先輩が気遣わしげに声を潜めた。
「医師には、かかられているのですか?」
「ええ、年に一度くらいですけれど。あ、でも、心配はないんですよ? 今まで体調を崩したこともないんですから」
見る間に深刻そうに表情を曇らせていく篠宮先輩と卯月さんに、私は大あわてでそう付け加える。
「その、いつも兄と母が側にいてくれましたし」
「そうですか……、お兄さんとお母さんが同じ学校におられるのは幸いでしたね。よかった」
「はい」
実は母さんとは魔力交換できないんだけれど。まだそこまで踏み込んだ内容を話すつもりはなくて。
だから、心底心配してくれて、安堵してくれる篠宮先輩に、ずきり、と胸が痛んだけれど余計なことは言わずに私は「ご心配ありがとうございます」って、そこだけは嘘じゃない言葉と一緒に頭を下げた。
「……なるほど、ね」
「え?」
「それで、お兄さんは反対しなかったのね」
反面、私の発言にしばらく考え込んでいた会長さんは、憮然としているのか、あるいは微笑んでいるのか判然としない表情で、そう言いながら肩をすくめて見せた。
「信用されているのか、いないのか。どちらなのかしらね」
「会長?」
「気にしないで。ただ、少しだけあなたのお兄さんにも興味が出てきたかな、って思っただけだから」
「きょ、興味ですか?」
それは、果たしてどういう意味だろうか。一瞬、会長さんが兄さんの手を取るなんていう不吉な未来図を想像しかけたけれど、まさか、と首を振ってその想像を打ち消した。
自分で言うのは何だけど、誰の目にもとまる会長さんと、平凡きわまりない兄さんとでは、ちょっと釣り合わない。うん、全然釣り合わない。釣り合っちゃ駄目なんだから。
「あの「お兄さん」って……神崎先輩のことですか?」
「え?」
「あ、えーと、神崎良さん、でお名前合ってたよね?」
おずおずと、と言った態度で会長さんと私の会話に割り込んだ卯月さんの言葉。その彼女の言葉の内容を、私は一瞬理解できなくて、そして理解した次の瞬間、絶句した。
「え、え……っ?」
なんで卯月さんが、兄さんの名前を知ってるの……? 硬直する私を尻目に、篠宮先輩が小さく首をかしげて卯月さんに問いかける。
「卯月さんは、神崎さんのお兄さんのことをご存じなのですか?」
「あ、はい。お名前ぐらいは。ちょっと、有名……だよね?」
そこで私に振られても困る。
「有名って……兄さんが?」
卯月さんが兄さんの事を知っているだけでも意外きわまりないことなのに、「有名」とは一体どういう事なのか。目を丸くする私に、卯月さんは「知らないの?」とそれこそ意外そうに目を開いて説明してくれた。
「だって、神崎先輩って、いつも速水先輩とか、桐島先輩とか、綾ちゃんとかといっしょにいらっしゃるじゃない。それに神崎先生の息子さん、って言うだけでも有名だし」
「あ、そっか」
……なるほど。そういうことか。
そこでようやく私は卯月さんが兄さんを知っていた理由が腑に落ちた。確かに本人が平凡きわまりなくても、周りが目立つ人ばかりであるなら、確かにその中にいる人も多少注目を浴びてしまうのだろう。
「で、でも、そういうのって普通、その他一名って数え方にならないかな?」
速水先輩と霧子さんの両方のファンだっていう子は実際に何人もいる訳で、その中で兄さんだけが特別注目される理由は何だろう。
「うーん。でも、神崎先輩ってお二人のファンって感じじゃ無いでしょう? それに」
「それに?」
「うん。速水先輩も桐島先輩も、えーとそれに綾ちゃんも、神崎先輩のことを最優先にするみたいだって、噂があるから」
「……そ、そんなこと無いと思うんだけどなあ」
卯月さんの言葉を、一応否定しながら、私は内心の動揺を押さえるべく思考を巡らせる。
みんな「兄さんを最優先」にしてる? 私は勿論、そうだけど。霧子さんや速水先輩も?
でも、それって、どういうことだろう。周りの人から見ても、「そう見えてしまうほど」、速水先輩と霧子さんの態度はあからさま、ってことなんだろうか。いや、あからさまって、何が……って言わなくても分かってるけれど、でも、でも、そんなのってまずくない? ひじょーに、まずくない? 私の知らない間に、そんな既成事実というか暗黙の了解が組みあがっているってどういうこと? そもそも速水先輩も、霧子さんも「兄さんを最優先している」って周りの人に思われるって、普段いったい、どんな態度で兄さんと接してるって言うの……っ?!
「あら、卯月さんは神崎さんに興味があるの?」
ぐるぐると思考に混乱を来す私の耳に、卯月さんをからかう会長さんの声が届く。笑いを含んだ、でもどこか落ち着きのある声に、少しだけ思考の渦がその回転を弱めた……気がして私は意識を内から外へと戻すことができた。
そしてそこには会長の言葉に真っ赤になって首を揺る卯月さんの姿があって。
「ち、違います! 私は会長一筋ですからっ!」
「そう。いい子ね」
「私も会長一筋ですよ」
「鈴。張り合わないの」
「別に張り合っていませんけれど」
「はいはい。鈴もいい子ね」
二人の好意を受け止めて、悠然と微笑む会長さん。その笑顔と態度に、私はしばし、羨望の感情を抱いてしまった。
……ああ、兄さんもこの人ぐらい甲斐性があればなあ。
なんて、そんな無理な願いを胸に私は一人嘆息した。あるいはひょっとして、兄さんがものすごい甲斐性を発揮する将来がくるのかも知れないけれど。でも、今ままでそんな兆候はみじんも見つけることは出来なくて。
でも、それはやっぱり関係ないのかもしれない。その想いに私はまた息をつく。だって、兄さんが会長さんみたいに、複数の人の思いを笑顔で受け止められるような人だったとしても―――。
……最初の一人は、絶対、私じゃないと、嫌なんだから。
「綾さん?」
「は、はい」
またしても考えにふけってしまっていた私に、会長さんがどこか穏やかな声で呼びかけた。
「なんでしょう」
「あなたを生徒会に入れて正解だったかな、って。そう思ったの」
「……どういう意味でしょう?」
「そのままの意味よ。やっぱり、おもしろそうね。あなたたち「兄妹」は」
私の内心を見抜いているのか、いないのか。投げた言葉に揶揄以上の深い意味はあるのか、それともないのか。端然と微笑むその表情からは、今の動揺に揺れる私には読み取れなかったけれど。
なんだか、ひょっとして、いろいろとややこしい事態になってきているんじゃないかって。そんな根拠のない思いが、会長さんの笑顔に重なって、見えた……気がした。
とりあえず、今の私に分かったことはただ一つ。最早、躊躇っている暇はないって言うことだけで。
とにもかくにも、今夜。今夜こそ、兄さんと私の関係を変える記念すべき第一歩にしてみせるんだ。その思いに私は深く拳を握るのだった。