第五話 兄離れと妹離れ(その3)
3.放課後(神崎良)
さて、今日は速水会の日である。
「はーい、順序よく並んでください! あーそこ、列を乱さない!」
放課後の教室。先日の朝の光景と同じく、教壇の前に立つ龍也の前には、ずらりと人の列が出来ている。数にしておよそ……50人ぐらいか。同級生のみならず上級生に下級生、ちょっと根性のある中等部の学生までが龍也との魔力交換を求めて列を成していた。
「……今日もまた盛況だなあ」
「いつも思うんだけど、会費とったら絶対儲かるわよね」
「グッズ販売しても儲かりそうだよな」
俺と霧子はそんな混雑を、いつものように教室の最後列から眺めてつつ、そんな雑談で時間をつぶしていた。
「はい、そこ割り込まない! あーっ、とあなた昨日の朝にも来ましたね? 駄目です、回数制限は守ってくださーい!」
多少の混乱はあるものの、体外の人は腕章をつけた黒髪眼鏡の女の子のてきぱきとした声に従って、入れ替わり立ち替わり龍也と握手をしては、幸せそうに立ち去っていく。
「しかし、まあ……流石だよなあ」
その様子を眺めながら、いつものようにため息が口をついた。いや、今回は、龍也の人気をやっかんでのぼやきではなく、その才能に対する感嘆のため息だった。
長蛇の列を短時間でさばくため、龍也が一人にかける交換時間は平均30秒。会釈をし、握手をしてからほんの十数秒後には魔力交換は終わっている、という寸法だ。掌を起点としての魔力の接触、相手の魔力の解析と、魔力を送る経路の確保、そして魔力の送出と受容。魔力交換に必要ないくつかのステップをその短時間で行えるのは、龍也の魔力の扱いが突出しているが故になせる芸当だった。
レンさんですら「嫌いな言葉だが、天才という奴だね」と嘯くほどに龍也の才能は高く、一人と魔力交換するだけで息切れするような俺みたいな凡人にはとうてい比較にならない。学生でこんな芸当ができるのは会長さんと龍也ぐらいじゃないかと言われている。
「ほんとにハーレム向きの才能よね」
賞賛半分、呆れ半分、と言った面持ちで、教壇に視線を送る霧子の発言は、まさしく事実だろう。多分龍也ならハーレムを構成しても、あの小坂さんみたいに干からびずにやってけるのではないだろうか。
「まあ、あいつの場合はそういう性格じゃないけど」
「まあね」
なにせあれだけの数の女の子から慕われていても、いまだ特定の誰かとつきあったことはないらしい。少なくとも俺たちが知り合った中等部の頃から、龍也が特定の彼女を作っていた、という事実はない。
才能と性格は別。できることと、やりたいことは別、という奴だろうか。なかなか世の中上手く行かないものらしい。
「それより霧子」
「何?」
「何って、お前、部活行かなくていいのか?」
「行くけど待ってるのよ」
「龍也を?」
「ううん。良を」
投げかけた問いに、しれっと答えながら霧子は俺にものすごい「いい笑顔」を向けた。その瞳に眩しいほどに光っているのは「私、何か企んでますっ!」という意思の光。そのあまりの眩しさ……というか露骨さに俺は思わず目をそらすが、霧子は、がし、と頭をつかんで俺の顔を自分の方に振り向かせる。
「いや、痛いんだけど」
「私、良を待ってるの」
「……何故に」
「……」
再び目を逸らすが、そうはさせないとばかりに霧子は、がっしりと俺の顔を固定して放さない。逃がす気は毛頭無いらしい。それを悟って俺は溜息を殺して霧子に用件を問い正す。
「何の要件なんだ? まさか、また生徒会に用があるなんて言い出さないだろうな」
「そうじゃないわよ。って、そうだ」
俺の問い掛けに答えた途端、霧子は何かを思い出したかのように呟くと、肩を掴んでいた手を放して俺の前に差し出した。
「良、手を出して」
「手?」
「昨日のお礼、まだだったから」
「……ああ、そう言えば」
昨日、生徒会に付き合った礼に魔力をくれると言っていたっけ。帰りも綾が一緒だったから、ついつい忘れてしまっていた。
「もう疲れ抜けきってる?」
「大分。でも、くれるというのなら欲しい。というかくれ」
「了解。素直で宜しい」
悪びれずに手を差し出すと、霧子はやれやれ、とでも言いたげに軽く苦笑しながら、でも何処か愉しそうに笑って、俺の手を取ってくれた。
途端、掌に伝わるのは、少しひんやりとした霧子の手の感触。そして、瞬く間に掌の中心に生じる、魔力の揺らぎ。
「うっ」
「良は流さないでね? あとは受け入れて」
「……わかった」
俺が魔力を受け取るのが下手、というのは霧子はよくわかってくれている。だから俺から流れ出す魔力量を最小限に閉ざして、かつ自分の魔力だけを効率よく俺の中に流し込んでくれる。
……本来、相互を補完するはずの行為をこうして一方通行にしてしまうのは、俺の未熟さが理由で。だから、申し訳ないって気持ちと、情けないって言う気持ちが疼く。でも、それ以上に、それを受け入れてくれる友人に、自然、心に暖かい物を感じてしまう。
「……どんな感じ?」
「ああ、うん。元気出た。ありがとな」
「変な気遣いはいらないの。良と違って、貰う当てならたくさんあるんだから」
頭を下げる俺に、霧子はふふん、と威張るように胸を張る。そして再び、がっしりと俺の肩に手をかけた。
「よし。じゃあ、元気出たところで行こうか」
「…………何処に」
「勿論、美術部に」
「あのなあ……」
せっかく胸中に芽生えた感謝の気持ちを台無しにする女だった。
というか、なんだか今日の霧子は粘り強い。いつもは「嫌だよ」と冗談交じりに言えば、「しょうがないなあ」と揶揄するように引くはずなのに。霧子の態度に違和感を感じながら、俺はそれでもいつものごとく、美術部への苦手意識を口にした。
「だから、言ってるだろ? 美術部はトラウマなんだって」
おきまりの言い訳の台詞。でも、その言葉にも霧子はいつものように諦める言葉を返さずに、じっと俺の眼を見つめて違う言葉を投げ掛ける。
「トラウマってさ」
「うん」
「克服するものだと私は思うのよね」
「俺は触れないようにするものだって思うぞ?」
「そんなことないわよ。そもそも、良にちょっかいだした食人画。アレを描いた部長さんなら無事に卒業したじゃない。もう恐れる物はないって」
「まあ、そうなんだろうけど……」
確かに、永続的な魔力の付加は学生レベルでは、ほぼ不可能だ。だから描いた本人が卒業してしまえば……つまりその絵画に対する魔力供与を中止してしまえば、いわゆる「魔法の絵画」は「ただの水彩画」にその存在を変えてしまう。しまうのだが……。
「でも、あの人は特別じゃなかったっけ?」
そう。この魔法院にあつまる人材の数は多く、その才能は多岐にわたる。ほとんどは俺みたいな平々凡々とした魔法使いの見習いだけど、中には常識を越える人もいるわけで。去年卒業したその部長さんは、「絵画」への魔力付与に関しては本当に天才だという噂は俺だって知っている。
「……ちっ、知っていたか」
……舌打ちしやがったな、この女。
「お前、その様子だと、あの絵、まだ動いてるんだろ!」
肩を掴む霧子の手を払い除けながら、糾弾の声を突きつけると、霧子は少しばつが悪そうに目を逸らす。
「うーん、まあ、私は動いているところを見たことはないんだけど」
「無いんだけど?」
「時々、動いているっていう噂が……無きにしも非ずかな、と」
「…………噂って、どんな」
聞かない方がいい気もしたが、今後の学生生活を安全に送るためにも聞いておこうと尋ねてみると、霧子は「あくまで噂よ?」と断った上で、こう言った。
「あの先輩の渾身の「食人戯画」は、自力で魔力を補給するために未だに夜な夜な獲物を求めて徘徊しているとか、なんとか」
「棄てろ! そんな怪奇作品は!」
思わず叫んだ俺だったが、しかし、霧子はとんでも無いことを言うなとばかりに、目を開いて首を大きく横に振った。
「何言ってんのよ! 噂が本当だったら、魔法生物よ? 人工生命体なのよ?! 先端魔法企業も真っ青の完全自律型創生物よ?! 破棄なんて出来るわけ無いじゃない!」
「だったら、然るべき場所に引き取って貰えよ!」
「……う」
当然すぎる俺の指摘に、やや冷静さを取り戻したのか、霧子は小さく呻くと声のトーンを落とし、しかし、それでもやっぱり首を横に振った。
「できないよ。そんなの……」
「なんで?」
「だって……誰も近づきたがらないし。というか、作成者の先輩自身も「喰われたら嫌だから」って、引き取り拒否してさっさと卒業しちゃったんだもん」
「燃やせ。そんな恐怖のクリーチャー」
慄然とした想いに俺が背筋を寒くしていると、対する霧子は「まあ、それは置いておいて」と何事もなかったかのように表情を切り替えて、今度はがっしりと俺の掌を握りしめた。
「あの絵からは私がちゃんと守ってあげるからさ。ね? 美術部に入ろう?」
「……なんで、今日はそんなに粘るんだ?」
強引な言葉に強引な態度。でも、その中に真摯な響きを感じ取って、俺は表情を少し改めた。
いつもと違う霧子の態度。なら、そこにはいつもと違う何かの理由があるはずで。それが霧子を追い詰めている類の物なら、放ってはおけない。
「なんでって……そんなの、決まってるでしょ?」
「決まってる?」
「うん」
頷きながら、霧子は真っ直ぐに俺の眼を見据える。少しだけ青みがかった瞳。いつもは快活な光に満ちたその眼を、ほんの僅かに揺らして、霧子は言った。
「だって……、綾ちゃんが生徒会はじめたから」
「……? それが、どうした?」
綾が生徒会に入ったら、どうして俺が美術部に入ることになるのか。風が吹けば桶屋が儲かる、って位にちょっとつながりがわからない。
思いっきり疑問符で答えを返すと、霧子は答えに迷うように、その目を少し目を泳がせた。
「だから、えーと……」
「うん」
「その、良、暇になるでしょ?」
「……あのな」
俺はいつも放課後にアイツの相手で時間を潰してたわけじゃない。そう答えようとして、ふと声に詰まる。言われてみれば、放課後のかなりの時間を綾と過ごしてきた自覚はあるから。
「いや、……まあ、そうかもな」
「そうよねっ!」
「うお?!」
不承不承と頷いた俺の手をつかみ取ると、勢い込んで霧子は俺の顔を覗き込むようにその顔を近づけた。
「……っ」
いや、流石に顔が近いですよ、霧子さん……っ?! 突然の霧子の行為に、ついて行けずに俺の思考が暫し停止する。
「だから、美術部に入りなさい。入るよね? ほーら、入った」
「……って、いや、入ってないから!」
瞬く間に既成事実を造り上げられそうになって、俺は慌てて我に返って首を横に振る。
「むー。なによ、往生際が悪いわね」
「往生際も何も、今日のお前強引すぎるぞ? ホントにどうしたんだ?」
明らかにいつもと違うテンションに、俺は単刀直入に霧子に問いただすことにした。
「何か、美術部の中で困ってるのか? だったら協力するからちゃんと話をしてくれ」
「……」
「あまり他人に聞かせたくないことなら、場所変えるけど」
「…………だめ。それじゃ逆じゃない」
「……は?」
いきなり憮然とした表情になって、霧子は机に頬杖を突いた。
「逆って何がだよ」
「だから、なんで良が私の心配をしてるのよ。今日の役割は逆なのに」
「……?」
一体、霧子が何を言ってるのかさっぱりわからない。わからないまま、俺もまた霧子に合わせて頬杖を突く。
役割は逆? 俺が霧子を心配すると……逆?
拗ねたように……あるいはどこかバツが悪そうに視線を逸らす霧子の横顔を視界に入れながら、こいつの言葉を反芻する。そして、気付いた。
「あ、そうか」
「……なによ」
「いや……」
素直に考えれば「俺が霧子を心配すると逆」なんだから、「霧子が俺を心配する」のが正解と言うことになる。要するに、俺のことを心配してくれていた、っていう事なのだろうか。
『綾ちゃんが生徒会をはじめたらから―――』
とは、ついさっき、霧子が零した言葉。ひょっとして、まさか、こいつは。
「……なあ、霧子」
「なによ」
「お前、俺のこと本気で重度のシスコンだと思ってるだろ」
「シスコンじゃない」
「お前なあ」
まだ表情は憮然としたまま、でも、答える声には笑いを堪える響きが籠もっているような気がして、俺は内心で苦笑をかみ殺す。
要するにこいつは「俺が綾に離れられて寂しいだろうから、美術部に誘ってくれている」のだろうか。
そうだとしたら、なるほど、霧子らしいと思う。こういうお節介なところが、霧子の美点であり欠点でもあって……まあ、俺はそう言うところは嫌いじゃないわけだけど。
それが当たっているかどうかはわからない。だけど、ようやく俺が、友人の意図に少しは気づき始めた時、ぴーっ、と短く鋭く鳴り響く笛の音が、考える時間は終わりだとばかりに勢いよく鳴り響いた。
「はーい。撤収ーっ! 撤収してくださーい」
いつもの通り、腕章を付けた女の子が、テキパキと指示を出していくのを耳にして、
「じゃあ、行くか」
と、俺は頬杖をつく霧子の頭に、軽く手刀を落とした。
「行くって、何処に?」
その手刀を払い除けながら、霧子は笑いと、多分、期待の籠もった眼差しを俺に向ける。
……まあ、正直、気が進まないと言えば進まないんだけれど。お節介をやかれてそう悪い気はしていないから、まあ、いいかと頷いて決める。龍也もいっしょにつれていけば、危険も分散するだろうし。
なんだか、いろいろと言い訳巻いた言葉がぐるぐると頭の中を何故かまわっているのを自覚しながら、俺は霧子の視線から目を逸らして席を立った。
「見学だけだからな」
完全に霧子の思惑に流されるのは癪だとばかりに、やっぱりそんな言い訳めいた言葉を口にしながら。
俺は、約一年ぶりに美術部の扉に足を向けることになったのだった。