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第四話 生徒会に入ろう?(その3)

3.神崎家の夜(神崎蓮香)


「あれ、レンさんだけ? 兄さんは?」

「ああ、さっき部屋に戻ったよ。すれ違いだったな」

「そう」

 騒々しく終わった夕食の後、軽い書類仕事を片づけてからリビングで一息ついていると、寝間着姿の綾がひょっこりと姿を見せた。夕食後は機嫌の悪いまま自室に戻った彼女だが、どうやら多少は持ち直したのか、その表情には目に見えるほどの怒気はなりを潜めているように見える。


「綾も飲むか?」

 パタパタとスリッパを鳴らしながらソファーに向かってくる綾に、手にしたコーヒーカップを掲げてみせると彼女は一瞬考える表情を見せてから首を横に振った。


「いいよ。寝られなくなっちゃうし」

 言いながら、ぽすん、と綾は私の向かいのソファーに腰を下ろす。そこは本来ならば彼の指定席。だけど彼が居ない時には綾は好んでその場所に座る。仲がいい兄妹―――、という言葉ですませてしまうには、些かにじみ出る感情が強すぎる行為。それを目に捉えたまま、私はカップに唇をつけ、そして問いかけた。


「なあ、綾」

「何?」

「本当に、生徒会に入らないのか?」

「……入りません」

 答えるまでの一拍の沈黙は、迷いなのかあるいは意地なのか。それは判然としなかったが、答えを綴る声には、不機嫌さが滲んでいた。どうやら先ほどの喧嘩は多少は尾を引いているらしい。


「興味あるんだろう?」

「そうでもないです。一度見学したから気が済んだし」

「ふーん。じゃあ、もう生徒会には興味はないと」

「うん。まあね」

「良が入っても?」

「だったら、入るけど」

「本当にわかりやすいな。綾は」

 この娘にとって、兄の後をついて回るのは至極当然の行為であるらしい。なるほど、良が綾の判断基準を自分から逸らそうと躍起になるのも宜なるかな、か。


「……いいじゃないですか。別に」

 私の苦笑に気づいたのか、綾は僅かに頬をふくらませる。そして―――。


「私、兄さんが好きなんだから」

 そんな飾り気のない、なによりもやっかいな感情を、はっきりと言葉に代えた。


「好きな人と一緒にいたいって思うのは当たり前でしょう?」

「……やれやれ」

 さらりと言ってのける綾に、私は苦笑して息をつく。綾の言う「好き」という感情。それが、家族に向ける類の感情ではない。そのことは昔から気づいていたし、実は、実際に綾から打ち明けられてもいた。だから、今更驚きはしないが、こうまで明け透けに宣言されると、母親としてどうしたものかと頭を抱えざるを得ない。


「困ったモノだね。相変わらず」

「いいじゃない。別に」

「普通は良くはないんだぞ」

 悪びれない娘にため息で応えながら、それでも私は綾の気持ちに否定を投げることはしなかった。本来、娘が母に、兄への思いを打ち明けて平然としているなど言語道断なわけだが、今のところ、綾を支えてやれるのは良だけだと言って良い。なら、彼に対する想いが愛情の方に振れている限りはよしとするべきなのだろうと思っている。感情のベクトルが逆方向に振れるよりよほど良いのだから。


「開き直るのはいいけどね。茨の道を歩く気概は嫌いじゃない。だが」

 しかし、そういう想いを明け透けにして悪びれない娘には、お仕置きが必要だろうと、私は多少維持の悪い質問を綾に向けることにした。


「少しは進展したのか?」

「……う」

「一度くらいは告白したのか?」

「……してません」

「根性なし」

「あー、ひどい! そんな言い方ないじゃないですか! 私だってがんばってるのに!」

「ほう。頑張ってるときたか」

 私の質問に綾は涙目になって拳を握る。その健気な意地に、更に好奇心を刺激されて、私は娘を促す。さて、一体何をどう頑張っているというのやら。


「具体的には?」

「……日常的なスキンシップに努めています」

「今更過ぎる」

 あまりに予想の範疇の解答に「落第だ」と印をつけて私は大げさに肩をすくめた。


「お前ら初等部までは一緒に風呂に入ってたんだぞ?」

「子供の時のことなんか、比較対象に出さないでよ!」

 怒りか羞恥か。綾は頬を赤くしながら悲鳴に近い抗議の声を張り上げる。

 ああ、もう可愛いなあ。こいつめ。


「あまり興奮すると良に聞こえるぞ?」

「う……ここで兄さんの名前を出すのは卑怯だと思います」

 良の名前を出した途端、不満げに、しかし大人しく声を潜めて綾は肩を落とす。


「ねえ……母さん」

「うん?」

 二人っきりの時、そして本音を漏らすとき綾は私を「母」と呼ぶことが多い。おそらくは良が私を「レン」と呼ぶから、彼が側にいるときにはそれに合わせているのだろう。

 どこまでも兄にべったりな妹は、今は娘の表情になって自信なげな視線を母親に投げかけていた。


「なんか、最近、兄さんの私への扱いがぞんざいな気がしない?」

「ぞんざい、と来たか。それは、気にしすぎ、という気がするけどね」

 それは良が妹に兄離れを促そうとしているからだ、とは気付いていたが、私はそうは答えずに代わりに疑問符を浮かべて首をかしげて見せた。


「生徒会入りを進められたのがそんなに気に入らないか?」

「そうじゃないけど。ううん、それもあるけど、それだけじゃないよ」

 そんな兄の思惑などどこ吹く風の妹は、不安げな視線に不満げな感情を混ぜ込んで、頬をふくらませる。


「そもそも、最近の兄さんは、霧子さんに妙に優しい気がする」

「心配のしすぎだろう」

 客観的に見ると多分あいつは、お前を一番甘やかせていると思うぞ、綾。私としては桐島に対してはもっと優しくしてやれと常々思っているぐらいだ。


「そうかな」

「そうだろう」

「じゃあ……」

 私の答えに納得できないのか、綾は顔を上げて口を開きかけ、止める。その表情に浮かぶのか微かな逡巡。しかし、数拍の間をおいて彼女は意を決したように次の言葉を口にした。


「………………速水先輩にはもっと優しい気がするのも心配のしすぎかなぁ」

「………………それは心配だね、確かに」

 今度ばかりは綾の言葉を笑い飛ばせない私だった。本当に、速水に関してはもう少し距離を置けと思って居るぐらいだ。

 いや、誤解を招きかねないので断って置くが、速水との友人関係をないがしろにしろ、と思っているわけでは断じてない。生涯を通じてわかり合える友人がいかに大切か身にしみている。


 しかし、速水が良を見る目に時として友人以上のものが混じっているような気がしてならないのは私の勘ぐりすぎなのか、彼の女性めいた美貌が招く業なのか。


「……まあ、一応、同性婚は法律で認められてはいるか。しかし、私としてはきちんと孫を抱かせて欲しかったなあ」

「母さん! なにを遠い目をしてるのよ! かつ、過去形で語っちゃ駄目! 受け入れちゃ駄目だってば!」

 一瞬、諦観の領域に踏み込みかけた私を、身を乗り出した綾が肩を揺すって引き戻す。


「む。危うく悟りを開くところだった」

「開かないで、お願いだから」

「……兄に対する妹の思慕を聞いている段階でかなりの悟りの境地に入っている自信はあるんだけどね、母は」

「う……」

 私の指摘に、綾は焦ったように言葉に詰まって僅かに目をそらす。しかし、一瞬で焦りの表情を打ち消すと、今度は至って真面目な表情で私の目を見つめてきた。


「……母さん」

「何だ?」

「今、兄さんに告白したらどうなるかな」

「そうだね」

 どうやらどこまでも開き直ってしまうつもりらしい。その娘の一途さに胸中にこみ上げるのは愛しさか。私は、その感情に押されるままに、心持ち表情を和らげて―――、


「十中八九……いや、99パーセント、もとい全くの疑いなく振られる。玉砕確定だ」

 愛娘の希望を木っ端みじんにしてやるべく、否定の言葉を投げつけた。


「ひ、ひどい! 夢も希望もないこと言わないでよ!」

「気休めを言っても仕方ないだろう? 気休めを言って欲しいなら言うけれど……きっとうまくいくわ。がんばりなさい? お母さんは応援してるわよ?」

「棒読み過ぎです! あげく疑問系じゃない! 誠意の欠片もみえませんっ!」

 涙目で声を張り上げる綾に、私は軽く肩をすくめて息をつく。


「ショックを受けるぐらいなら、少しは女としてみてもらう工夫をしなさい」

「……してるもん」

「例えば?」

「だから、その……抱きついたりとか」

「だから、そんなスキンシップは今更だって言っただろう? 慣れられてるから、効果は薄い」

「うー」

 昔から子犬のように兄の後をついて回っていた綾だ。今更、多少のスキンシップを繰り広げたところで、過去の延長線以上のものにはなり得ないだろう。


「じゃ、じゃあ、もっと過激なことをしろってこと……?」

「そう来たか」

 なかなかおもしろいことを言い出す娘に、めげないなと感心しながらも私はしばし思案する。あまりに可愛い反応をするものだから、ちくちくと悪戯心が刺激されたりしたが、流石にここで過激なことを嗾けたりすると洒落にならないことになる。故に、私は寸前で思いとどまって綾の思考を軌道修正してやることにした。


「過激といっても難しいだろう。そもそも家族なんだから。裸を見せたところで効果も薄い」

「は、裸でも駄目なのっ?!」

 やる気だったのか、この娘は。


「多少気まずい思いをするだろうが、欲情はしないだろうなあ……繰り返すが、お前らは初等部の頃まで」

「だから、あの頃と一緒にしないでってばぁ! 私だって成長してるんだから」

 ……今、私の胸を見ながら言ったな? この馬鹿娘め。

 自分でもひくり、とこめかみの辺りが引きつったのを知覚して、私は静かな笑みを綾に向けてやる。


「あのな、綾」

「はい」

「胸ばかり成長しても仕方ないとは思わないか?」

「思わないです」

「やれやれ」

 自信たっぷりに断言する綾に、私は哀れみの視線とため息を返して小さく首を横に振った。


「無知というのは、残酷だな」

「ど、どういうこと?」

「お前は良の部屋にあるエロ本の内容を知らないから、胸がふくらんだと短絡的に喜んでいられるんだ」

「そ、そうなの……っ?! って、ちょっとレンさん、それ本当なの?!」

 果たしてエロ本の存在を確かめているのか、良の趣味趣向を確かめているのか。おそらくは両方だろうな、と笑いながら、興奮にソファーから立ち上げる綾に私は軽く手を振った。


「冗談だよ。私だって息子のプライバシーぐらいは守るよ。エロ本の中身をチェックしたりはしていない」

 昔、その類の本を発見した際には、中を改めずに机の上に置く程度で許しておいてあげたものだ。まあ、表紙が特徴的だったりすると否応なく性癖は知れてしまうわけだけど。ちなみにそれが中等部の頃。以来、隠し場所には苦心しているようで、こちらとしても隠し場所を突き止めるのに中々骨が折れる―――いや、閑話休題。


「もう……レンさんに相談した私が馬鹿でした」

「確かに、実の兄を落とす相談を、義理の母にする娘が利口かどうかは怪しいな」

「どうせ利口じゃないですよ。私は」

 再三からかわれて完全にすねてしまった娘に、しかたないと肩をすくめて私は口を開いた。


「そうだな。少し距離を置いてみる、というのはどうだ?」

「嫌」

「……あのな、綾。これは真面目なアドバイスなんだぞ?」

 唇をとがらせたままの即答に、私はため息をかぶせて応じる。


「今まで当たり前に隣にいた人間が、そうじゃなくなる、というのは案外堪えるものなんだ。言っただろう? お前たちは慣れすぎているって。距離が近すぎることが、お前の女を感じさせない一因かもしれない」

「そう言われれば……そうなのかも」

 ……実際問題としては、近かろうが遠かろうが母や妹に「女」を感じることなど希だし、普通は感じてもらっては困るのだが。しかし、今は綾が納得しかかっているので余計なことを言わずに、彼女の理解を無言で待つ。


「……つまり兄さんに危機感を抱かせる、ってこういう訳ですね? 私が側にいなくなっちゃう、っていう」

「そうそう。できるなら嫉妬心を煽るまで持って行ければ望ましい」

「なるほど……兄さんが、私をねらう誰かに嫉妬……」

 呟きながら中空を見つめる綾の目。それが、次第に熱を帯びてくる。

 さて、どんな妄想に耽っているモノやら。想像は付くが、詮索はよしておこうと私はため息を隠して言葉を続けた。


「そういう意味では生徒会入りは渡りに船かもしれないぞ」

「あ、そうか……今現在、兄さんは生徒会には入りにくい。そして、生徒会には私を狙う……かもしれない会長さんたちがいる……?」

「そういうこと」

 生徒会に入る動機としては不純きわまりないが、まあ良しとしよう。親としては、綾の人間関係を広げるチャンスは活用して欲しいし、これが兄離れの第一歩になるのなら、教師としても歓迎すべき事態でもある。

 そして、恐らくは良も、私と同じような動機で夕食の時に綾に生徒会入りを進めたのだろうから。


 ……やれやれ、どこが「ぞんざいな扱い」なのやら。尤も綾の求めている「扱い」と、良の行っている「扱い」にはその感情の質において埋めがたい溝がある。だから、綾の不満も当然と言えば当然かも知れないが。


 困った物だ、と自身への揶揄を含めて私が軽く肩をすくめながら思考を巡らせている内に、しばし黙考に沈んでいた綾は何かを決意したようにその瞳を私に向けた。


「レンさん」

「うん」

「私、生徒会入り、考えてみます」

「それは結構。お前の見識を広げる上でも有益だろうね。それは」

 そんな私の内心を知ってしらずか、私を見つめる綾の瞳は、輝く希望に満ちていた。果たしてその希望が叶うことがあるのか。それにまだ否定を導けないまま、私は「そうか」と頷きながら微笑んだ。

 この世界、この国において「そういう前例」が皆無というわけでは実はない。なら―――精一杯頑張ってみるのも一つの路だろう。見せつけられた若い覚悟に、いつになく感傷的になる私に、綾はふと何かに思い当たったように小さく声を上げた。


「どうした?」

「あ、その……実は一つ問題が」

「なんだ」

「兄さんと私の距離が開くということは、私も寂しくなると言うことなんですけど……って、痛」

「黙りなさい、ワガママ娘め」

 綾の頭に手刀を落としながら、まだまだ先は長そうだなあ、と私は何度目かのため息を零すのだった。


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