82:逃走の連鎖
改札口へ駆け寄り飛び上がる。
機械の真上へと着地して、走る勢いを一切緩めぬまま機械をさらに蹴りつけて、その向こう側へと飛び下りて足を止めぬままその先へと疾走する。
同時に放つのは、竜昇が周囲に追従させていた六発の雷球。
「発射――!!」
差し向けた手の先、空中を鎖に引かれて飛び回るハイツに対して、攻撃の指示を受けた雷球のうちの四発が反応して光条と化す。
ただし狙うのは、上空で少女を体に繋ぎ止めて飛び回るハイツ自身ではない。そのハイツの空中機動を支える、各所から伸びる鎖のその根元だ。
「――ッ、リガッソ!!」
己の体を支えていた命綱ならぬ鎖が消失し、空中のハイツが僅かに悪態と思われる声を漏らす。
とは言え、それすらもほんの一瞬のことだった。
次の瞬間には、ハイツの体から魔力の波動が放たれて、それに反応した周囲の魔法陣とハイツの体が鎖で連結されてハイツの空中機動が再開される。
ただしそれは、後を追う竜昇とて同じことだ。
「発射――!!」
雷球を補充しながらの続けざまの発砲。新たに現れた鎖の、その根元の魔法陣を再び狙い撃ち、次の瞬間には新たに現れる魔法陣をその出現と同時に狙い撃つ。
これまで散々苦戦させられてきた鎖の魔法だが、しかしこの魔法に事前準備が必要なのはすでに判明済みだ。
起点となる魔法陣、ハイツが全身に付けているプロテクターや、武器の接合部分にある文様をハンコのように周囲のものに刻んでおかなければ、件の鎖の魔法の発動地点として設定できないというのは恐らく分析としても間違ってはいないはずなのである。
恐らく、いつ戦闘になってもいいようにとあちこちに魔法陣を刻みながら移動していたのだろうが、足裏に仕込んでいるがゆえにあちこち大量に設置出来た床面と違い、柱や天井などはどうしても数に限りが出てしまう。
ならば、その数に限りがある柱や天井の魔法陣を出現するそばから狙い打ってしまえばどうなるか。
(よしッ、高度と速度が落ちて来た!!)
高い箇所にあった魔法陣をつぶされ、とっさに低い位置にあった魔法陣を起動させたハイツに対して、竜昇は速度を落とすことの無い全力疾走でじりじりと追いすがる。
接近戦で圧倒的な力量を発揮し、あの静さえも圧倒していたハイツ・ビゾンではあるが、今の彼はその力量を発揮できるような状態ではない。
先ほどから空中を飛び回っていても姿勢制御にすらほとんど手足を動かしていないし、そもそも下への階段しかないこの先に向かうのに、地上に降りて自身の足で走らず空中を飛び回っている時点で相手の状態は明らかだ。
現状この敵は、その手足をほとんど動かせない。
先ほどのように武器を支えに立ち上がるのが精いっぱいで、格闘戦はおろか走ることすらできなくなった己の体を、唯一使用可能な鎖の魔法で牽引し、空中に放り出してお手玉することでどうにか今の逃走を成し得ているのだ。
ならば今、竜昇がやるべきことは酷く単純だ。
(お前をこのまま地面に引きずり下ろして、その娘を引きはがしてトドメの魔法をぶち込んでやる――!!)
「――チィッ!!」
追いすがる竜昇に対し、ハイツも振り返ってその姿を視認する。
鋭い眼光が竜昇の視線と交錯し、二人の魔法が全く同時に作動する。
「【光芒雷撃】――!!」
「アウル・グスタ・ロウディア――!!」
生み出した雷球の軌道を遮るべく、地面から周囲へ目がけて大量の鎖が生える。
先端についた鉄杭が柱や天井に次々と突き刺さり、竜昇が発生させた雷球と、ハイツが使う魔法陣の間に細い線の防壁となるように絶妙な配置で張り巡らされる。
とは言え、竜昇自身その防御法はすでに知っている。
雷球を光条として発射せず、操作できる雷球の状態のまま使って鎖の障壁の隙間を掻い潜り、その先で改めて光状として放つなり、雷球のままぶつけるなりすればそれでいいのだ。
問題なのは雷球ではなく、敵へと目がけて走る竜昇自身が張り巡らされた鎖によって動きを阻まれてしまうという点だ。
(仕方ない――!!)
張り巡らされた鎖。その全体を一目で把握して、竜昇は手元に三発の雷球を残して残りを鎖の障壁を掻い潜らせる形で追撃させる。
同時に、手元に残した三発の内の一発を手元へと呼び出して、突き出した右手、人差し指と中指の先端へと雷球を待機させると、張り巡らされた鎖の内の一本、それが生える根本となる魔法陣の一つに狙いを付けた。
「発射――!!」
放たれた光条が床面を穿ち、それによって鎖のうちの一本が消えて目の前の鎖の障壁に、どうにか人一人が通れるような隙間が開く。
開いたその隙間を掻い潜り、竜昇が速度を落とすことなくその場所を通過するのと、その視界の中にこちらへと迫る三本の鎖付鉄杭を視認するのはほぼ同時のことだった。
「ッ――、シールドッ!!」
とっさにシールドを展開し、直後に生じた半透明の壁に三本の鉄杭が突き刺さる。
シールドの表面にひびを入れながらシールド全体に食い込んだ鉄杭を見ながら、竜昇はその鉄杭の鎖が自身を引き寄せ、こちらを転倒させる事態を警戒して、すぐさま先行させていた雷球に攻撃の指示を飛ばしていた。
「発射――!!」
周囲三か所の魔法陣が光条によって穿たれて、シールドに食い込んでいた鉄杭がその根本を失ってほとんど同時に消滅する。
竜昇にしてみれば自身は一切速度を緩めることなく敵の攻撃を駆け抜けた形になる訳だが、しかしそれを素直に喜ぶには敵の方が一枚上手だった。
(――くッ、こっちが鎖を掻い潜るのに手いっぱいになってる間に――!!)
見れば、竜昇が相手の足止めに使っていた雷球を鎖の排除に使っていたその間に、ハイツの方は既に鎖の牽引によって下へと続く階段の、その入り口付近にまでたどり着いている。
どうやらこちらの足止めをすることで、自身への足止めそのものを妨害するのが敵の狙いだったらしい。わかっていたら防げたとも思えないが、竜昇は相手の狙いにまんまと乗せられてしまった形だった。
鎖が牽引をやめ、敵の姿が慣性に従って振り子のように振られて、鎖の消滅によって一気に階段の、下へと続く空間目がけて投げ込まれる。
「逃がすか――!!」
敵の姿が消えたことで相手の妨害もなくなったと判断し、竜昇は敵が飛び込んだ階段目がけて全力の疾走で駆けつける。
階段を下りるのもまどろっこしいと、下へと続く空間へと飛び込んで壁を蹴りつけ、一気に数段を飛ばして下へと跳躍し、着地と共にほとんど落ちるような態勢で階段を駆け下りる。
奇しくもここで、役に立つのかどうかが不透明だった【軽業スキル】が効果を発揮していた。
にわかとは言え陸上部で、平面を走る分にはそれなりに鍛えていた竜昇の走法に【軽業】の知識と技術が加わって、障害物を的確に飛び越え、速度を落とさず駆け抜けるフリーランニングのような技術へと昇華する。
とは言え、やはりと言うべきか移動速度は相手の方が一段階速い。
予想はしていたが、階段の空間も事前に撃ち込んでいたらしい魔法陣だらけで、下へと向かう関係上重力までも利用して、ハイツは少女を自分の体に鎖でつないだまま猛烈な速度で下の階への長い階段空間を飛び下りていた。
同時に、先ほどと同じ追跡妨害が再び竜昇の行く手を阻害する。
「アウル・ハウル・ロウディア――!!」
床、天井、壁。それらに一斉に魔方陣が現れて、竜昇の行く手に鎖の壁とでも呼ぶべき防壁が瞬時に展開される。
再び魔法陣を狙うことを考える竜昇だったが、それでは相手を取り逃がすと瞬時に考えを改めた。
「集中――!!」
右手を突き出し、その先で代わりに行うのは、六発の雷球を目の前の一か所に集めての一点集中攻撃。
「【六亡光槍雷撃】――!!」
雷球六発分の雷球が一つに集まり、そこから発射された極太の光条が鎖の壁へと突き刺さる。
雷球一発分では破砕できなかった鎖が六倍の威力にはさすがに耐えかねて、次々と破断してついにはその向こう側へと貫通する。
鎖の牽引によって半ば飛行しながら、遂には下の階まで到達しようとしていたハイツの肩へと。
「――グァッ!!」
下の階へと至り、そこから先に進もうとしていたハイツが、背後から左肩への光条の直撃を受けてバランスを崩す。
どうやら纏っていたオーラの効果によってダメージは最小限に抑えられてしまったようだが、それでも直撃した光条の一撃は彼の羽織るマントを半ばまで焼き焦がし、肩の防具を吹き飛ばしてその下の地肌にやけどを負わせるには十分なものだった。あるいは、見ただけではわからないだけで肩を脱臼させることにも成功していたかもしれない。
「――クッ、ハウルッ――!!」
背後からの攻撃に地面へと転倒しかけながら、それでもハイツの逃走は止まらない。
攻撃を受けた次の瞬間にはわずかに動く右手を前に突き出して、その先にある床と手の平の間を鎖で連結し、そのけん引力によって下の階、そこに広がるホームのある空間へと飛び込んでいく。
(まだ止まらないか。いったいどこまで逃げるつもりだ――!!)
自身も大急ぎで階段を駆け下りながら、竜昇が内心で懸念するのは先ほどからそのことだ。
ハイツの逃走は、不本意なものではあるのかもしれないが決して破れかぶれなものではない。
彼の逃走には、一定の場所にさえ行ければそれで逃げられるという、ある種の確信の様なものが感じられる。
だからこそそこにたどり着くのになりふり構わず全力を振り絞っているし、逃げきれないと早々に諦めて、追手である竜昇に対して魔法戦を挑むような様子もない。
(ビル側の人間だから逃走ルートを用意できるのか? だとしたらなおのこと逃がす訳にはいかないな――!!)
ハイツの正体は依然としてわからないままだが、もしもこの相手が不問ビル側の人間で、竜昇たちとは違う階層移動手段を持っているのならば、その移動手段を押さえることは竜昇たちの不問ビル脱出への大きな足掛かりになる。
そんな考えと共に、竜昇は階段の最後の数段を一気に飛び越え、床上を転がるように受け身を取って階下へと飛び込む。
両側を線路に挟まれた、駅の最下層にある電車のホームへと。
(見えた――!! あれが……!?)
すぐさま床を蹴って再度走り出しながら、竜昇は自分が飛び込んだ階段から最も遠い位置、ホームの先端にあたる箇所に一つの扉が開いているのをどうにか視認する。
本来ならば、その扉は何に使われているのだろう。ホームの先端、線路と線路を遮る巨大な壁の、竜昇たちから見て正面にあたるそんな位置に、両開きの金属扉がまるで何かを待ち構えるように、見覚えのある暗黒の空間を露わにして開かれていた。
誰を待っているのか、そんなものは最初から決まっている。
(まずい。このままじゃさらに下の階層に逃げられる――!!)
周囲に雷球を生成し、必死の追撃を続ける竜昇だったが、すでにハイツは追跡する竜昇の遥か先を行っている。
ハイツも、どうやら竜昇の妨害に力を割くよりも自身があの扉に飛び込むことを最優先に考え始めたらしい。両側の柱や天井、一部の壁や床に次々と鎖を接続し、その牽引力をもってしてどんどん扉の方へと近づいている。
(いくらなんでも扉の先にまで逃げられたら流石に追跡なんてもうできない。扉を閉められて通れなくなる可能性もあるし、静をこの階層に置いていくわけにもいかない――!!)
生まれる逡巡。取り逃がす可能性が頭をよぎる中、それでもどうにか相手を足止めできないかと竜昇は必死に頭を巡らせる。
と、竜昇が扉を見つめ、走ったかいもあってその距離も半分にまで狭まったその時。
(――あれは)
距離が近づいたことで、扉が開きっぱなしになっているその理由がようやく竜昇の眼からも視認できた。
扉の裏側、そこから付近の壁へとつながる二本の鎖。
両開きの扉のそれぞれから二本づつ、計四本の鎖が背後へ伸びて、それによって閉じようとする扉が強引に固定されている。
よく見れば扉自体がどうにか閉まろうと鎖に抵抗しているらしく、扉が開いていたのも鎖の魔法を使用したかなりの力技の産物のようだった。
(だったら――、【増幅思考】――!!)
距離が遠いがゆえに魔本の力を発動させ、竜昇は遠く離れた扉の、それが閉まるのを阻止する鎖の、その根元の魔法陣へと狙いを定める。
この距離では狙いを定めても精密射撃は相当に難しい。だから竜昇は最初から一発づつで狙い撃つのを最初から放棄した。
一発では狙えない。ならば最初から、撃てる最大数の六発全てを叩き込む。
「【光芒雷撃】――発射ッ!!」
閃光が長いホームを駆け抜ける。
ホームを飛び回るハイツの、その真横を一瞬のうちに通り抜けた六条の雷が、その先にあった扉の、その真横の壁に着弾して、扉を固定する鎖の、その根元の魔法陣をどうにか壁ごと粉砕した。
次の瞬間、鎖のくびきから解放された扉が勢いよく閉まり、その衝突するような音がけたたましくホームに響く。
「あともう一枚――!!」
両開きの扉、そのあと一枚に狙いを定めて、竜昇は走りながらもう一度空中に雷球の生成を始める。
とは言え、それを黙って見逃してくれるほど、この敵も甘くはなかった。
「レイディ、ロゥ、ショルゲン――!! アウル・ハウル・ロウディア――!!」
「なッ!?」
ハイツが魔法を発動したその瞬間、竜昇の左斜め後の床面と、右斜め前にあった自動販売機が鎖によって接続されて、鎖に牽引された自動販売機が勢いよく竜昇目がけて飛んでくる。
ご丁寧に前に駆け抜けるのを封じるように、牽引する鎖が竜昇の行く手を塞いでいる。
攻撃を中断せざるを得ないタイミング。守りに入らねばならない状況が、竜昇の光条による射撃を封じて除けた。
「――ッ、シールドッ――、ぐあっ!!」
とっさに守護障壁を展開するも、次の瞬間に激突した自動販売機の衝撃に竜昇の体がシールドごと跳ね飛ばされる。
ホームの床を転がり、線路に落ちる事態はどうにか避けて、すぐさま身を起こした竜昇だったが、そのころにはすでにハイツは半分だけ開いた扉の、その先の暗闇の中へと身を躍らせているところだった。
「リルディ、アルク――!!」
「くそっ、待て――!!」
呼び止める言葉は、しかしこの相手には一切の効果を発揮しない。
結局、ハイツはその胸に意識の無い少女を抱えたまま闇の中へと飛び込んで、そして次の瞬間には扉を繋ぎ止めていた鎖が消えて追跡のための道筋すら金属のぶつかる音に閉ざされた。