61:九枚の皿
目を覚まし、慌てて飛び起きた静が眼にしたのは、厨房の外の食堂で竜昇が他の使い魔に追われたまま骸骨に向って行っている、そんな状況だった。
クラクラとする頭を振って意識をはっきりさせ、急速に静は自分がどういう目に遭ったのかを思い出していく。
人馬一体の敵に背後を取られ、後ろ蹴りをぶち込まれたその瞬間、それでも静はとっさに右手の籠手の力を借りてシールドを展開することに成功していた。
成功して、しかしシールドごと蹴り飛ばされた。
馬の後ろ足、その巨大な脚力によって展開したシールドは即座に叩き割られ、シールドという守りを失った静の体は【甲纏】の守りだけを残してそのまま厨房の中に突っ込み、調理台の上を跳ねて背後の巨大冷蔵庫に激突する羽目になったのだ。
恐らくその際、短時間であれ静は意識を失っていたのだろう。
外の状況を鑑みて、それほど長い時間だったわけではないようだったが、それでも竜昇が敵に突撃し、敵の意識を自身に向けていなければ危ないところだった。
とは言え、静が目覚めて見たその状況も、決して余裕のある良い状況とは言い切れない。
「【螺旋】」
視界の先で竜昇の背中に猿の使い魔が飛び乗るのを目撃して、即座に静は左手に握っていた石槍を振りかぶり、魔力を込めながら投擲態勢を整える。
一瞬、投げ放とうとしていた武器について何やら引っかかるものを感じたが、それでも現状躊躇している時間はない。
即座に石槍を投げ放ち、螺旋の魔力を伴って投げ放たれた石槍が竜昇の背にいる猿、その核となっている左二の腕の骨と勾玉を、その胴体ごと刺し貫いて消滅させる。
同時に、静が目を付けるのは、カウンターの上に詰まれていた大量の皿。
「互情さん、そのまま走りぬけて!!」
呼び掛けと同時に腰から十手を引き抜いて、カウンターを飛び越え、着地と同時に静はすぐさま積まれていた皿を上から一枚つかみとる。
手首の動きだけで目前へと投じると、即座に静は暴風の魔力を込めた十手を目の前の皿へと叩きつけた。
「――【突風斬】」
直後、空中で陶器の皿が十手の一撃によって叩き割られ、同時に十手が纏っていた空気が炸裂して、破砕された陶器の破片を前方目がけて勢いよく吹き飛ばす。
鋭くとがった破片の嵐が前方目がけて殺到し、こちらに向き直っていた使い魔の群れを一息に蹂躙して見せた。
『ア、シィ……!?』
とっさに馬の下半身でその場を飛び退き、難を逃れていた骸骨が、目前で吹っ飛んだ使い魔たちに驚いたような声を漏らす。
恐らく、敵に表情筋があったならば驚く表情を浮かべていただろう。そんな敵に対して静が浮かべるのは、優雅で、それゆえに残酷な微かな微笑だ。
「どうやら効果的だったようで何よりです。よろしければもう一皿いかがです?」
そんな挑発そのものとも言える言葉に対して、反応したのは骸骨ではなく、生き残っていた他の使い魔たちだった。
先ほどの攻撃の範囲から逃れ、あるいは攻撃を受けはしたものの動きに支障が出るような損傷の無かった使い魔たちが、静の存在を脅威と見たのか一斉に彼女めがけて押し寄せる。
とは言え、碌にばらけることもなく、集団で押し寄せる使い魔の行動は、静にしてみればいい的でしかない。
「せっかくです。そちらが学校の怪談で来るのなら、こちらは皿屋敷にでもあやかって見ましょう。まずは、二枚目――!!」
続けざまに背後のカウンターから皿を掴んで投げ放ち、静は十手を叩きつけて次々と【突風斬】による破片交じりの暴風を使い魔目がけて浴びせかける。
静目がけ、集団で襲い掛かろうとしていた使い魔たちが正面から破片を浴びて、次々に吹っ飛んでいく。
通常の生物ではない、電撃の魔力で肉体を構成された使い魔にとって、肉体が傷つくことは本来脅威ではない。
使い魔にとって致命傷となるのは、唯一体のどこかにある骨、そしてそれにはめ込まれた勾玉を破壊されることのみで、それ以外であればどんなダメージであっても消滅にはつながらず、それどころか痛みすら感じないというのがこの使い魔たちの厄介なところだ。
そう言う意味では、ピンポイントで核となる骨や勾玉を狙うのではなく、その全身に大量の破片を浴びせるというこの攻撃は本来決定的な脅威にはなり得ないのだが、いかに消滅しないとは言っても、受けても大丈夫と言えるダメージも限度はある。
足がちぎれ、首をなくし、体の一部どころか各所を欠損した使い魔たちが床へと転がる。
いかに消えないと言っても、肉体が欠損すれば当然のようにその動きには支障が出る。それでなくとも、正面から高速飛来する陶器の破片を浴びれば、その衝撃はほとんど銃弾を撃ち込まれたのと変わらないレベルになるし、そしてそんな攻撃に足を止めれば、そんな使い魔は狙い撃つのにはいい的だ。
「【光芒雷撃】――発射――!!」
足を失い、床に転がった犬型の使い魔が、背後から忍び寄っていた雷球の、その光条に勾玉を貫かれて消滅する。
使い魔や骸骨たちが、静の声に気を取られて動きを止める中、一人だけ静の指示に従って安全圏へと逃れていた竜昇が、【光芒雷撃】を使用して動けなくなった使い魔たちを片っ端から狙い打つ。
「小原さん、上から蝶の群れ!!」
「六枚――、七枚ッ――!!」
一階の廊下へと上がる階段の上から飛んできていた蝶の群れに対しても、静は躊躇なく皿を投じ、叩き割ってその破片を撃ち込んでいく。
先ほど竜昇が逃げる際、その移動速度の遅さゆえに取り残されていた蝶の群れ。数の多さと小ささ、そして触れるだけで感電させられるという特性故に厄介な存在だった蝶達だが、もとより飛行速度が遅く、体も電撃の問題が無ければ素手でも破壊できる位に脆い蝶達が、そんな破片の暴力に抗えるはずもない。
それどころか破片以前の暴風に吹き散らされただけで散り散りになり、羽がもげるなどしてきらきらと紫電の輝きを瞬かせながら瞬く間に地面へと落下していく。
『アシィィィィィイイイッッッ!!』
次々と自身の使い魔が屠られるその光景に、馬の脚力を用いて危険な個所を離脱していた半人半馬の骸骨が雄叫びを上げる。
見れば、その全身には先ほど竜昇に襲い掛かっていた猿の使い魔たちが人馬一体の体を覆うようにその全身にしがみついていた。
自身が逃げる際についでに離脱させたなどという、そんな心温まる判断では間違ってもない。猿にまとわりつかれた腕で鉈を握り、静目がけて突撃する姿を見るだけで、その狙いは傍から見ている竜昇にもすぐにわかった。
「あいつ、あの猿を鎧代わりにするつもりか――!!」
破片混じる嵐に対して、骸骨が用意した肉の鎧。撃ち込まれる破片は全て猿の使い魔の体で受け止めて、馬と本体である骸骨だけを守って静目がけて突撃しようというそんな計算が、その姿からは何よりも明瞭に透けて見えている。
電撃の使い魔にまとわりつかれればあの骸骨自体もただでは済まないのではと思ったが、自分で作った電撃の体に自分では感電しないのか、鉈を振りかぶる骸骨の動きは重さ以外に全く問題を感じさせない。
そんな敵の突撃に対して、一通り敵を屠り終えた静は残る二枚の皿の内、上に詰まれた一枚に手を伸ばす。
「【鋼纏】――!!」
流し込まれる金属の魔力に覆われて、静が手にした陶器の皿が金属の円盤へと変貌する。
円盤を振りかぶり、発動させるのは、【投擲スキル】の基本技能でもある【投擲の心得】。記憶の奥底に封入された記憶の中から最適な投擲フォームの知識を引き出して、静はすぐさま手にした皿を円盤投げの要領で突撃する人馬目がけて投げ放った。
同時に発動させるのは、同じく【投擲スキル】によって発現した一つの技。
「【回転】」
円盤投げのような投擲フォームによって投げ放たれて、金属化した皿がこちらに突撃する人馬の敵へと飛行する。
【投擲スキル】第二の技である【回転】は、【螺旋】と同じく投擲物に一定の攻撃力とそのための性質を付加する技だ。
【螺旋】の場合は投げ槍やダーツなど、真っ直ぐに飛ぶ投擲物にドリルのような回転を加えることで、標的を貫き穿つ性質を獲得させるという技であるのに対し、【回転】方はその名のとおり、投げナイフやブーメラン、今回の円盤のような、回転しながら飛んでいく投擲物に対して効果を発揮する。
回転する飛翔体のその回転速度を引き上げて、さらに斬撃性質の魔力を付与することで切れ味と攻撃範囲を増大させる。
金属加工された大皿が、敵の肉体をスライスする丸鋸となって人馬の敵の体の中央、人の部分と馬の部分を繋ぐ骸骨のどてっぱら目がけて飛んでいく。
(さあ、どうしますか?)
馬の脚力と体重、そして高い位置にある敵の本体という騎馬の利点を十二分に発揮して襲ってくるこの敵だが、しかし人馬一体の体にも弱点が無いわけではない。
馬の足がもたらす脚力は確かに高速での移動を可能にするのだろうが、しかし高速で移動するということは急に止まったり、方向転換したりということができないということでもある。
そしてもう一つ、これはある種、馬という生物にとっては当然とも言える点だが、しゃがむことができないという弱点もある。
これが人間であれば、ある程度走る中でも身をかがめて態勢を低くしたり、やろうと思えばスライディングのような形で低い位置を移動することもできるのだろうが、馬の体では走っているときはもちろん、立っている時でさえしゃがむことはできないし、ましてやその上に乗っている、あるいは合体している骸骨本体は、例えしゃがめたところでその体は十分な高さの位置に残ってしまうのだ。
だから、例えば。
仮に人馬の腹の位置、あるいは馬の首があるような位置に横に回避できないような攻撃を配置されてしまうと、馬の側にはそれを回避する方法が一つしか残らない。
(やはりそう来ますよね?)
投げ放った円盤、触れればそれだけで人馬の体を上下に切断するだろう高速回転の刃に対して、人馬一体の敵は直撃の寸前にその脚力の物を言わせる。
飛来する円盤をその強烈なジャンプ力に訴え飛び越えて、そのまま静を踏み潰すべく二本の前足を構えて落ちてくる。
それが静によって仕向けられた罠であるとも知らずに。
「【風車】」
自身めがけて落ちてくる人馬一体の敵に対して、静は冷徹に十手を振るい、魔力を放出して目の前に気流の刃を配置する。
もとより敵の跳躍能力は目撃している。前方からの攻撃に対して避けられないとわかれば、この敵は必ず跳躍して攻撃を回避するだろうと静は予想していた。
そして、一度空中に跳びあがってしまえば、着地する場所はもう変えられない。
『アシィッ、アシィァアッ――!!』
静が飛び退いたその場所に空中から落ちて来た人馬が体を両断されながら墜落する。
全身に猿の使い魔を鎧のごとく纏っていようが関係なかった。
設置された気流の斬撃はそこに飛び込んだ人馬一体の体を表面に纏った猿ごと切断し、狙いたがわずその向こうにあった馬の頭蓋骨、先ほど顎から下を竜昇に貫かれ、残っていた上半分の骨をそこに取りつけられた勾玉ごと切断して、そうして核となる死体が破壊されたことで下半身を失った骸骨が床上へと転げ落ちる。
それでも、残る両手だけで、しかも片手に鉈を握ったままの片手一本で床へ着地できたこの骸骨はさすがというべきだろう。体に張り付いていた大量の猿達を放り出してのなりふり構わない着地ではあったが、しかしそれでもこの敵が無事に着地できたことには変わりない。
だが、それでも馬の下半身を失い、ひとところに足を止めてしまったというその時点ですでに状況は致命的だ。
「【光芒雷撃】――!!」
使い魔たちを全て処理した竜昇が、骸骨の方へとその雷球を差し向ける。
「奇しくもこれで九枚目」
十手を片手に、静が最後にくすねていた一枚の皿を、手首のスナップで宙へと投げ放つ。
次の瞬間。光条と化した雷と、鋭くとがった破片の嵐が骸骨目がけて襲い掛かり、夜の食堂に二種類の破壊音が同時に響き渡った。