318:【神造人】アーシア
その昔、アーシアは神より預けられた【神造物】を携え、それを持つにふさわしい人間を探し、旅する一体の【神問官】だった。
旅路を共にする【神造物】が一つのみ。
どんな権能を秘めているかもわからない、その持ち主としてどんな人間が適切なのかも知らされていない、そんな前提の下で行われるあてどない旅路。
『大丈夫。あなたにふさわしい人を、必ず見つけてあげるから』
そんな過酷で孤独な旅路の中で、それでもアーシアは自らに預けられた【神造物】を大切に扱い、傷つかず、劣化もしないそれを毎日のように磨いて、そんな言葉をかけ続ける。
唯一手掛かりがあるとすれば、それはアーシア自身に与えられた奇妙な権能。
物品に触れることで道具に蓄積された記憶を読み取り、その道具が持ち主とどのような時間を過ごしたかを知ることができる。そんな権能だけを頼りに、アーシアは自らがその相手と出会って役割を果たすその日のために黙々と旅をし続けていた。
とはいえ、如何に【神問官】が不老不死、否、不老不壊の存在であるとはいっても、手掛かりもろくにない状態で人を探して世界をめぐるとなればその旅路は困難なものだ。
特にアーシアの場合、容姿が整った少女という外見ゆえにトラブルに巻き込まれやすく、信仰の対象たる【神問官】であると知られても、今度は自分たちの利益になる形で選定を行わせようと捕縛や監禁を画策するものが後を絶たず、必然的にその道程は過酷で、そしてどこまでも孤独なものとなっていた。
それでも、どんな苦難にさらされ、騒動や危険に巻き込まれ、自身の存在と無関係ではない悲劇を幾度となく見ることとなっても、それでもアーシアは与えられた【神造物】を携え選定の旅をし続ける。
『大丈夫。あなたにふさわしい人は、私が必ず見つけるから』
とはいえ、どれだけ気丈に使命に邁進していたとしても、やはりというべきかアーシア本人の中に降り積もるものはあったのだろう。
来る日も来る日も旅をし続けて、同じように来る日も来る日も預かる【神造物】を磨いて言葉をかけ続けていたアーシアは、ある時不意にそれまでやらなかった一つの行動をとっていた。
それはほかならぬアーシア自身の権能、物品の記憶を読み取るその力を、自らが預かる【神造物】に対して使うこと。
アーシアの権能は物品の残留思念を読み取る、いわゆるサイコメトリーに似ているが、けれど根本的なところで若干の違いがあるものだ。
物品に込められた思念のようなものを読み取れるのはその通りだが、しかしそうして見える光景は持ち主の記憶というより持ち主と行動を共にした物品側の視点で見たもの(・・・・・)で、伝わってくる情報の中にはどこか持ち主に対して抱く思いのようなものが含まれる。
それゆえになのか、長く共にありながらアーシアはその権能を自身が預かる【神造物】に使わなかった。
自身を正当な持ち主ではないからと考えていたというのも理由ではあるが、あるいは共に旅する【神造物】から自身がどう見られているのか、それを直視するのが怖かったのかもしれない。
けれどその日、なにを思ってかアーシアは初めてその権能を行使して、同時に彼女の瞳と【神造物】の鏡面が互いの姿を映し出して――。
――そうしてその日、【神問官】たるアーシアの旅路はその行為によって終わりを告げたのだった。
気づいたとき、その(・・)アーシアは野営していた森の中、一糸まとわぬ姿で地に落ちた衣服を前にする形でそこにいた。
「――――――――あ、え?」
長い混乱の果て、己の喉から生まれて初めて声を出す。
否、初めてというならそれだけではない。
自身の目でものを見ることも、持ち上げた両手で顔に触るのも、静寂の中風と木の葉の音だけを聞くのも、座り込んで触れる地面の感触も、何もかもが少女にとっては初めての経験だ。
そして他ならぬ、少女自身の胸の内から湧き上がる、冷たい毒のような焦燥もまた。
「――なん、で……!!」
焦燥にかられ、それが間違いであることを祈りながら衣服すら無視して少女は周囲の姿を映せるものを探し始める。
先ほどまでこの場にあった姿を映せる【神造物】も今はない。
それはそうだろう。先ほど権能が使用されたその瞬間、それまであったアーシアとそれ(・・)の関係は決定的なまでに変化し、そして決定的なまでに終わってしまったのだから。
ようやく見つけた鏡面、近くにあった水場の水面をのぞき込んで、ようやく少女は確信と共に絶望の声を上げる。
「なん、でッ――。なんでっ、私が、あの娘の姿にッ――!!」
そこに映っていたのは、先ほどまでこの場にいた神造の少女と、全くと言っていいほど同じ顔。
ただ一点違う部分があるとすれば、その両瞳がまるで鏡のような、ありえないほどに周囲の光景を映し出す銀に近い色合いに代わっていたということだろうか。
だが実際に起きたことを考えれば、その変化は外見の差異などよりはるかに大きく、そして取り返しがつかないものだった。
何しろ、ここにさっきまでいたはずの少女は、【神問官】のアーシアは、今はもう身に着けていた装備だけを残して跡形もなく消えてしまっていたのだから。
ある意味では彼女自身が望んでいた通りに。
使命を果たし、己が預かる【神造物】に相応しい持ち主を見つけてしまったことで、他の何人いるとも知れない同類たちがたどった道と同じように。
起きた事態を後から振り返って見られたならば、そのとき何が起きていたのか、その裏にある事情は大まかにではあるが読み取れる。
そもそもの話、【神問官】アーシアの試練は彼女が預かる【神造物】、それに相応しい人間を選定するための試練ではなかったのだ。
彼女に与えられた権能は物品に宿る記憶を読み取る能力。それも読み取れるのは持ち主の記憶ではなく、物品の視点から見た持ち主との記憶だ。
そしてそれはすなわち、アーシアの権能が人間を選定するためのものではなく、その人間の有する物品を選定するためのものであるからに他ならない。
人の手により長く大事に使われてきた物品をアーシアがその権能によって選定し、神造物である手鏡がその物品に命を吹き込み、擬人化したうえでそれを所有者として認定する。
【神造人】アーシアの試練として想定されていたのは、恐らくではあるが大体そんな筋書きだったのだろう。
だが選定すべき相手を人間に限定していたアーシアは、そんな真相を知らぬがゆえに所有者を見つけることができずに彷徨い続け、いつしか選定対象となってしまった手鏡の記憶を読み取り、それによって試練が達成されて当の手鏡そのものが擬人化して己自身の持ち主となってしまった。
果たしてこの展開のどこまでが、試練を設定した神の思惑通りだったのかはわからない。
完全な予想外だったのか、それともこうなる結末も見越したうえで、それでもかまわないという腹積もりだったのか。
なんにせよ、結果として試練を果たしたアーシアは、苦難の道のりの末に【神問官】の定めとして消滅し、そして後には彼女と共に旅をし続けた【神造物】が、ずっと行動を共にしていたアーシアの姿を引き継いだ擬人として残された。
「なにっ、よッ――、それェ……!!」
そうして一人世界に取り残されて、起きた現実を前に彼女は叫ぶ。
「なんッ、なのよ、それ……!!」
生まれて初めて叫ぶのは産声と呼ぶにはあまりにも呪わしい、怒りに満ちた涙交じりの咆哮。
「ふざッけんじゃ、ないわよッ……!! こんなの、こんなのまるで――、私が、あの娘を、殺したみたいじゃない……!!」
そうしてこの日、誕生したばかりの【擬人】、――否、神造物の擬人たる【神造人】は、一人天へとむけて復讐を誓う。
ただ生みの親であるというだけで、かつての持ち主たるあの少女に残酷な運命を設定した神様に。
この世の終わりのような絶望を味合わせると誓った、余りにも似合わぬ復讐の道を歩み始めた、その瞬間だった。
「読み取れたかしら……。だったらこの際だし聞くわ、あんたは、こんな世界やあたしたちを作った神様って、どんな奴だと思う……?」
そうして、記憶の流入を受けて棒立ちになった戦士たちの中、その有する精神干渉への耐性ゆえに誰よりも先に我に返った入淵華夜は、共に上空から降りてきた父を安全に着地させながら神造の【擬人】へと向かい合う。
「私は嫌いよ……。生みの親だか何だか知らないけど、よりよい未来に導くだとかそんな理由で、生み出した【神問官】たちに破滅的な未来に自ら進むよう設定して――。
――ほんと、性格悪くて、反吐が出る」
(……)
怒りと怨念に満ちたそんな言葉を聞きながら、華夜はどこまでも冷静に自分たちが何をされたのかを考える。
とはいえ、なにをされたのかは明白だ。
通常であれば、破壊されることで記憶流入を引き起こす【思い出の品】、通常ならば破壊の張本人に対して起きるはずのそれが破壊者以外の者たちへと襲い掛かって、精神干渉への耐性を持つ華夜以外の四人が軒並み棒立ち状態となってしまったのだ。
(――条件は多分、破壊の瞬間を目にした全員、かな……?)
神の手によって作られた【神造物】でありながら、しかし同時に【神造界法】という一つの技術体系であるがゆえに、【跡に残る思い出】は本来設定されている仕様とは違う形での行使が一応ではあるが可能だ。
神が用意した物とは違う、人間が一から開発した術式をかませての使用になるため発動に非常に時間がかかり、戦闘時の使用にも量産にも適さない不便な使用法にはなってしまうものの、やろうと思えばスキルカードのように、記憶流入を発生させる条件に破壊以外のものを追加したり、記憶流入の対象を従来の破壊者以外に設定することも可能となっている。
今回の場合、恐らくルーシェウスはある種の切り札として、破壊の光景を見せるだけで記憶流入を起こせる【思い出の品】を事前に作成してアーシアに持たせていたのだろう。
そんな切り札を持ちながら、彼女がここまで追いつめられるまでなぜそれを行使しなかったのかという疑問は残っていたが、そちらについては――。
「本当に自分の才能のなさが嫌になるわね……。これだけ強力な切り札があって、使いこなせていればここまで追いつめられることも、あの子たちを犠牲にすることもなかったのに……」
華夜の注意が周囲の棒立ちとなった戦士たちに向いているのを敏感に察して、同じように周りを見渡したアーシアはどこか悔いる様にそう漏らす。
アーシアがこれだけの切り札をこのタイミングになるまで切れなかった理由は実に単純だ。
いざというときに使う切り札だから、味方を巻き込みかねないから、華夜という効かない人間がいるから。
そうした些細な理由で切り札の行使を思いとどまり続け、使用に踏み切れないまま状況が急激に悪化して、気づけば味方が全滅するこの事態になるまで切り札を温存したまま来てしまった。
結局、使いどころによっては状況をひっくり返せたかもしれない切り札は、しかしこの状況では武者たちの動きを止めても殺傷できる攻撃手段がないため意味をなさず。
できたのは、せいぜい華夜が現実に復帰するまでの短い間に、足元に落ちたそれを拾い上げるという、その程度。
「――まあ、だから、あとはあなたに任せるわ」
手にした鏡の破片、かつてミラーナだったものの残骸の中で、ひと際は鋭く刃物のように尖ったものをその手に握り、アーシアはここにはいない誰かに向けてそう告げる。
「悪いけどお願い……。あの虫の好かない神様を――、私たちの仇を――」
もはやどうあがいても、距離の離れた華夜ではそれを止めることなどできようはずもなかった。
直後にアーシアが己の胸に、そのうちに格納されていた赤い核へと握ったが鏡の破片を突き立てて、直後に少女の体が黒い煙化して、最後の瞬間に輝くそれ(・・)がほんの一瞬姿を見せて。
そして――。
「――ああ、任されたとも」
その瞬間、綱渡りのように拮抗した竜昇たちとルーシェウスとの戦闘のさなかに、眩い輝きを帯びてそれまでになかった新たな要素が入り込む。
ルーシェウスの手の中、光の中からその姿を現すのは、どこかハートをかたどった団扇のような形をした、けれど見ただけでわかる重みを伴った、一枚の手鏡。
『其は、愛用覗く思い入れ鏡像――』
「あれは――」
「まさか、この局面で――」
『――心を見出す、会わせの手鏡』
目のまえにある状況について、考えうる可能性はおよそただ一つ。
「【神造物】の、継承ッ……!!」
「――【想対の相手鏡】」
かくして、正体を隠すために付けられた仮の名ではない、製作者たる神に名付けられた真の名前を伴って、戦局を左右する最後の要素が決戦の場に参入する。
自らの同胞、その遺品にしてそのものたる品を携えて、最後の【神造人】が悲哀と共にその力を行使する。




