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311:無慈悲な空が穢れた日

 なにもない過去があった。

 なにもなかった、あるいはなかったのだと知った、あまりにもどうしようもない、そんな過去が。


 生まれた場所はとにかく貧しい寒村で、両親やジョージと言う名前はあったものの姓はなく。

 兄弟も存在はしていたが、三人いたという兄や姉はジョージが物心つく前に亡くなり、唯一顔を知る妹はまだ幼い時分によくある病で死別した。


 とにかく貧しい暮らしだった。

 飢えていることなど当り前、生きるのに最低限と言っていい食事だけで何とか食いつなぎ、そうして痩せた体で一日中、疲れ果てるまで働く日々。


 そうして生み出した作物や狩りをして捕った獲物も、その大半は役人に持っていかれ、残りのほとんどは村長がまわりを脅すようにしてもぎ取り、ジョージ達家族の元へと残るのはほんの一握り。


 あるいは、そうして残る一握りでさえ、家の中で強いものが持って行って喰えずに死ぬ同年代の子供がいたのだから、ジョージなどはまだしも幸運な部類だったのかもしれない。


 当時のジョージには自分達の境遇を何と呼ぶのか、それを言い表す知識が無かったためわからなかったが、今にして思えば自分達の置かれていた状況は農奴と呼ばれるものかそれに近いモノだったのかもしれない。


 同じように、そのころのジョージは自分たちを取り巻く情勢について何もわかっていなかったから、今になってわかるのはあくまでジョージの視点で起きたこと、そこから推測できることのみだ。


 最初のきっかけになったのは、城司の母が死んだことだった。


 否、母だけではない。

 当時、ジョージが暮らしていた村に役人たちが集団で押し寄せて、普段取り立てていた税だけでなく、ジョージ達のなけなしの食糧すらもほとんど力づくで強奪し、その際抵抗した者さえも、周囲にいた者たち諸共見せしめのように殺されて、その中の一人がジョージの母だったのである。


 とは言え、そのときのジョージの反応は非常に冷めたものだった。

 母の死に感情が動かなかったわけではないが、そのころのジョージの精神状態は既に奪われることに対して心がマヒしてしまっていて、母を理不尽に殺されたその事態が怒りや反発と言った感情に結びつかなかったのである。


 それを結びつけたのが、多数の死者と飢えに沈む村に、数日後に現れたよそから来た男たち。

 彼らは残された村人たちにこんな行いはおかしいのだと、不条理なのだとそう語って、ジョージ達が陥っていたその境遇を今こそ打ち砕くべきなのだとそう呼びかけた。


 その後、村の外から何人もの男たちが食料と、そして多数の武器を持って現れて、ジョージを含めた村の男たちはそれを手に取り立ち上がる。


 示されたその先に希望が、奪われ続けていた今までにはなかった、あるとすら思っていなかった未来がそこにあるのだと、そう信じこんで。


 後から考えれば出来すぎた話だ。

 否、すでに過去の話となり、知識をつけた今ならばあの時なにが起きていたか多少なりとも推測できる。

 恐らくあの時、ジョージ達には知らされていなかったというだけで、あの村の近辺では国同士での戦争が起きていたのだろう。


 だからこそ、役人たちは戦争に必要な物資を領内の村から略奪する形で徴収し、そんな村の様子を知った、恐らくは相手国の人間たちは、そうして何もかも奪われ、見捨てられたジョージ達を敵国と戦う戦力として活用することにした。


 その裏に、果たしてどんな意図があったのかはわからない。

 村人たちを戦いに搔き立てた男たちも、あるいはジョージ達に自分達で何かを勝ち取らせたかったのかもしれないし、ただ単純に自分達が攻め込むうえでの囮にでも使い捨てるつもりだったのかもしれない。


 ただ一つ確かだったのは、それまで戦闘訓練すらろくに受けたことのない飢えた農民の反乱の鎮圧などあの世界の兵士たちにとって難しいことではなく、その後の村人たちの末路は悲惨なものになったということだ。


『ハァ――、ハァ――、ハァ――』


 記憶の中で、熱を帯びた吐息と共に森を走る。


 なにもわからぬまま、自分達は今度こそ殺す側に回るのだと信じていたものは幸せだった。

 直後に粉々に吹き飛んだとしても、自身がなすすべもなく殺されたことを微塵も自覚することなく済んだのだから。


 それとは逆に、生き残ってしまったものは不幸だった。

 傷を負っても死にきれず、助けるものも助けられる術を持つ者もいない状態で、ただ己を殺す何かを痛みと絶望を抱えて待たねばならなかったのだから。


 ではこの時、父に庇われたことでかろうじて五体満足なまま生き延びてしまったジョージのような存在は、果たして幸運か不幸か、どちらだったのだろうか。


『ハッ――、ハッ――』


 わからない。

 後々のことを考えれば恐らく幸運な部類だったのだとは思うが、この時のジョージにはとてもそうは思えなかった。


 だって、この時のジョージはもう知ってしまっていたから。


 すでに自分が親兄弟も帰る場所も、先ほどまで握っていた武器ですら、なにもかも失った、なにも持たぬ身の上であることを。


 否、それどころか生まれてこの方、ジョージが何かを持っていたことなど一度もなかったのかもしれない。


 ジョージがこれまで持っていると思っていたものは、誰かから見れば、それこそ容易く取り上げてしまえるモノばかりで、本当の意味でジョージが持っていると言えるものなど、それこそ何もなかったのかも。


 そんな喪失感と虚無感に苛まれながら傷ついた体で森の中をさまよって、やがてジョージは見上げた空にその光景を垣間見る。


 広がるオーロラ、自分を含めたすべてのモノが吸い込まれていく、まるで世界の終りのようなそんな光景。


 絶望的なその光景が、けれどこの時のジョージには、自身の絶望を打ち砕いてくれる福音のようにすら感じられて――。






 ふと我に返った時、城司は入学したばかりの高校で授業を受けている最中だった。


(――あ、れ……?)


 何か違うようなそんな気がして、ふと周囲を見渡せば、まわりには同じようにぼんやりとした様子で授業を受けている生徒たちがいる。


 見慣れた光景、そのはずだ。

 先ほどまで、ずいぶんと(・・・・・)機械的に(・・・・)授業を受けてしまっていた気がしたが、そうと確認してからは気を引き締めて、改めてその授業に意識を集中させていた。


 教師も生徒も、どういう訳かぼんやりして酷く機械的に授業風景を形作っていたが、この時の城司にはなぜかそのことが微塵も気にならなかった。


 耳にする言葉も、目の前の文字も、どこか見覚えのないものであるような気はしたが、逆にここ最近はずっと見聞きしていたような気もして、問題なく理解できたためその感覚についても気にしないことにした。





 これも今になったからわかる話だが、恐らくこの時が、城司があの世界に移されて、初めて自我を取り戻して活動し始めた、そんな瞬間だったのだろう。


 【新世界】に移された後、本来別世界だった場所の常識を頭の中に流し込まれた人々は、精神干渉の補助によってしばらくその世界の人間としての生活をぼんやりした思考の元機械的に踏襲していく。

そうして与えられた知識や常識、その世界の住人としての設定が馴染んだ者から我に返って自分の意思で生活し始めて、そんな行程で【新世界】への定着がなされた結果、この瞬間初めて何も持たない【真世界】のジョージは、そんな過去を捨てて新たな設定を背負った【新世界】の城司となったのだ。


 ジョージ改め、入渕城司に与えられた設定は、両親を亡くし、その遺産とアルバイトで得た賃金をやりくりして高校に通う一人暮らしの少年と言うモノ。


 不幸のどん底とまでは言えないものの決して幸運な方とは言えないそんな自身の境遇を自覚して、しかし割り当てられたアパートに帰宅して、誰もいない部屋の中でその胸に覚えたのは、周囲が酷く明るく見える、希望に満ちているという感覚だった。


 理由はわからぬまま、酷く幸福で希望を得たような気分になって、その日から城司は高校の授業にアルバイトにと、精力的にその世界で、新たに与えられた充実した人生を歩み出す。


 よりにもよって自分が警官、ある種の役人を志したというのは今にして思うと皮肉でしかないが、それとてあの世界に対して守るだけの価値を感じていたのだとすれば十分にうなずける話だ。


 後に妻となる女性、娘の華夜にとっての母に当たる相手と出会ったのもこのころの話だ。

 通っていた高校に入ってきた一年後輩の女子生徒。

 自分などと違い育ちは良さそうだったが、病弱だったのか授業も休みがちで、あんな世界で無かったら城司とは別の意味で生きてはいけなかっただろうそんな女性。


 高校を卒業し、警察学校を経て警官になった後、城司は同じく高校を卒業していた彼女と結婚し、後に一人娘である華夜を設けることになる。


 幸せだった。

 決して不幸なことが起きなかったわけではない。

 華夜の母となった妻が早くに亡くなったことは、避けられなかった不幸の最たるものだが、それにしたとてあんな世界に生きていなければ、妻は城司と結ばれることなく病で死んでいたことだろう。


 娘の華夜とて、元の世界であれば果たしてこの年になるまで生きていられたかどうかもわからない。

 かつてジョージにいたと言う兄弟たちのように、あるいはジョージが唯一知る妹のように、幼児死亡率の高い元の世界ではただ一人の娘とて十にもならぬうちに死んでいたかもしれない。


 だからこれまで、間違いなく城司は幸せだったのだ。

 完ぺきではないけれど、それでも間違いなく城司の人生はジョージのころよりも幸せだった。


 文明と社会制度が発展し、人々を不幸に陥れる要因を、全てとは言えないまでも多数潰し続けることで発展したあの世界は。

比較できる状態になってみれば迷う余地のないほど、以前の世界よりも生きやすい、素晴らしいと言える世界だった。


 今の城司はもう知っている。

 忘れていた記憶すらも思い出し、二つの世界のその違いを――。

新たに生まれた世界がどれほど失い難いものかを、以前の世界がどんな場所かを、そこで覚えた絶望を――。

――無慈悲なあの空がオーロラに塗られて穢れたあの日の感動を、今の城司はすべて思い出し、覚えている。


 だからジョージは、否、入淵城司は、今――。

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