305:最初の白虎
その状況に、及川愛菜が居合わせたのはただの偶然だった。
ウォーターパークの階層で他のプレイヤーたちが次の階層へと押し流された後、その場に城司と共に取り残され、その階層へと現れた【神造人】の手により捕縛されることとなっていた及川愛菜。
とはいえ、捕縛された理由は、少なくともその段階ではたいした理由があってのものではない。
現れた【神造人】、アーシアの目的はその階層のボスとなっていた擬人、その素体である【神造水滴・濁りなく染める一雫】を回収することであり、取り残されていた城司と愛菜の捕縛はあくまでも彼女たちにとってついでにこなした程度の要件でしかなかった。
だからなのだろう。愛菜の印象では、【神造人】達は捕らえた愛菜たちの扱いにもどこか迷っているような印象があった。
残酷に徹して使い潰すか、救いの余地がある命と見て元の世界に帰すか、あるいは他のどこかに落としどころを見つけるか、その結論が出ぬままホテルのような階層で、精神干渉によって思考力を奪われたまま監禁されて、しかしやがて状況が劇的に変わる局面が訪れる。
ただしその機会が来たのは愛菜に、ではない。
「選んでもらえるかしら、入淵城司。今ここで私たちと戦って、娘共々あなた達が暮らしていたあの世界を滅ぼす側に回るか。それとも娘の凶行をやめさせて元の世界に連れ帰るか」
話が持ち込まれたのは、共に捕縛されたがゆえにセットで管理されていた城司の元。
相手の決断を引き出すために一時的に城司の精神干渉が解かれ、そのうえで彼との交渉を成立させるための交渉材料として愛菜の精神干渉もまた解かれて、それによってある種のおまけのような形で愛菜はその交渉の場に居合わせることとなった。
そうして、苦悩と葛藤の果て、城司が己が娘のためにその娘自身との敵対を決断する様を見届けて――。
「あの――」
城司と比べるなら実にあっさりと、この場においてはただのおまけでしかなかった愛菜は、己の中の決断を迷うことなく口にしていた。
「――その戦い、私も参戦することはできますか?」
結ばれかけた相手も、愛してくれた人も、支えてくれた友人も失った失意の果てに、いつしか愛菜自身が至っていたその決断を。
及川愛菜の顔から表情と呼べるものが消えうせる。
つい先ほどまでぼんやりとして、ふわふわと、どこか現実味のない世界に浸っていたその感情が、急に現実の世界に引き戻されたかのように。
「どうやら、精神干渉の影響もいよいよ解けてきたようですね。もとより幻想と現実のはざまを埋めるにしても、この死体の擬人たちでは足りないものが多すぎます。私が指摘しなくても、現実に引き戻されるのは時間の問題だったのではありませんか?」
一見すると、自身の周りを固める死体人形を本物の生きた誠司たちだと信じているように見える愛菜だったが、【観察スキル】を習得し、かつ過去にウォーターパークの階層で完全に精神干渉にはまった状態の彼女を見ている理香にとってはその差はあまりにも明白だった。
愛菜の三人を見る目には生きた仲間を見るようなものに見えて、時折不意に何かを悲しむような表情が入り混じる。
おそらく今の彼女は、記憶操作や認識操作といった、三人が生きていると思い込むための精神干渉自体は確かに受けているのだろう。
けれどその記憶や認識は、すでに死亡した三人の遺体を無理やりに動かしているというどうしようもない現実の前に急速にほころびが生じていて、だからこそその現実を認めたくない愛菜自身が、与えられた精神干渉による暗示を、三人が生きているという虚構の認識を、必死になって思い込むことで守ろうとしている。
「あなただって、すでに気付いているはずですよ。誠司さんたちはすでに亡くなっていて、今のその三人はただ遺体を【擬人】――、いえ、【影人】に変えることでそれらしく動かしているだけです。
そんな三人と一緒に戦ったって、生きていたころのあの三人はどう考えたって喜ばない。
あの人たちと戦ったって仇討ちにもならない……。それどころか自分たちの死体があなたを戦わせるなんて知ったら、それこそあの人たちは――」
「理香さんは、何を言ってるの……?」
半ばまくしたてるようにそう言ってしまった理香に冷や水を浴びせかけるように、対する愛菜の方もどこかひきつった表情で、その感情を取り繕いながら理香の言葉を拒絶する。
「みんなは生きてるよ……。誰も、私を残して死んだりなんかしない……。みんなはちゃんとここにいて――。私を、置いてったりなんかしなくて……。こうして、私を、助けてくれてる……!!」
「愛菜、それは――」
「だって、それを言うなら詩織だって生きてるじゃない……!!」
そばで対話の推移を見守り、衝動的に声を上げたそんな詩織を指さして、まるでそれこそが重大な根拠であるといわんばかりに愛菜が明らかに感情的な声を上げる。
否、あるいはそれは、かつて己が殺そうとした相手が生きていたというその事実は、それほどまでに愛菜の中で、仲間の生存を信じるための大きな根拠となっていたのか。
「瞳たちは生きてるの……。誠司君たちが死ぬわけなんてないの……。だって、死ぬなら一番弱い私が先のはずで、私より強い大吾君たちが先に死ぬなんてありえないんだから……!!」
「……!!」
その瞬間、理香と詩織の脳裏に、愛菜の言葉から感じる何とも言えない嫌な感覚が同時によぎる。
それは明確な根拠があるわけではない、けれど決して無視してはならないと直感が訴える、そんなどこまでも強烈な嫌な感覚。
「―-っ、ぅァッ――!!」
漠然とした直感に二人が眉を顰めた次の瞬間、その隙を突くかのように愛菜が懐から何かを取り出して、ケースに収められたそれらを躊躇なく口内へと流し込む・
「――なっ」
「愛菜さん――!!」
それはまるで薬のような、ケースに収められた大量の錠剤。
まるで薬物の過剰摂取のような危険な絵面だが、口の中で嚙み砕かれたそれらが光の粒子となって愛菜の体に吸収されていくとあってはその危険性は別の意味で決定的だ。
(――まさか、何かの記憶を大量に自分の中に取り込んで――)
さらに――。
「来なさいィッ――、白ッ虎ォ――!!」
光に包まれながら声の限りに呼びかけた次の瞬間、詩織の耳が接近するなにかの音をとらえ、向けた視線の先で愛菜の背後から何かがビルの屋上を飛び移る形で迫っているのを視認する。
「あれは――、増援の擬人……!?」
「――いえ、擬人には違いないでしょうが――。あのシルエット――、それに白虎――、いけないッ!!」
迫るその奇妙な影に何かを感じたのか、焦った様子で合流を阻むべく動いた理香だったが、さしもの彼女も道を阻むように立ちはだかる三人の死体人形を前にしては足を止めざるを得なかった。
もとより、二人が愛菜と三体の死体人形に対して優位をとれていたのは、相手の使う戦術を知り尽くしたうえでその弱点を突くよう立ち回っていたが故だ。
戦力を減じているとはいえ、防戦と時間稼ぎの構えを見せる三体を前にして理香自身もかろうじて冷静さを取り戻し、そしてそのために費やしたわずかな時間に、背後から迫っていたパーカーを羽織った背中から四本もの布束のようなものをはやした擬人が愛菜へと接触することとなる。
「【黒雲】――!!」
足元へとむけた詩織の掌、厳密にはその右腕に装着されたクロスボウ付きのガントレットから雲の煙幕が噴出する。
「――ッ、理香さん、今のって――」
「――ええ、そうです。【白虎の無垢衣】です……!!」
距離が近づいたことで、理香に遅れてその正体を察した詩織がそう確認の言葉を交わした次の瞬間、雲の煙幕を突き破り、まるで獣のような動きで異常なシルエットの持ち主が飛び掛かる。
「理香さん――!!」
とっさに詩織が理香をかばって地に伏せて、そんな二人の頭上を背中から生えた腕のようなもので薙ぎ払いながら、そのシルエットの主たる、白と黒の衣装をまとった愛菜が二人を飛び越えた先の地面に着地する。
まるで大地を踏みしめる獣の四肢のような、赤いラインの走る黒い布地が、その脈動するラインを中心に白へと染まる。
ありあわせの材料を組み合わせて作った故に、統一されていないちぐはぐな色の組み合わせだった衣装が白一色にところどころ赤いラインを走らせたものへと変わり、それを身にまとった愛菜自身をどこか場違いな印象に染め上げていく。
「この装備って、確か完成してない、失敗作じゃなかったっけ?」
「そのはずですが、どうやら余計な手を加えて嫌な形で完成させた方がいるようですね」
まるで婚礼衣装のような、あるいは死に装束のような。
与えられた名の通り白無垢を思わせる、そんな衣装をまとった姿へと。




