286:神造のサイボーグ
「急いでください」
呼びかける執事の声に応じてアーシアを抱え、ミラーナが用意してあったトレーラーの荷台へと飛び乗り扉を閉める。
よもやここまで早く使用することになるとは思ってもみなかったが、それでも拠点としていた指揮管制室に攻め込まれた際の避難と、そして何より代わりの指揮拠点として活用する目的もあって、もとよりこうしたトレーラーは準備済みだ。
アーシアを連れ込んだ次の瞬間、待機していた運転席の侍女がトレーラーを発車させて、アーシアたちはわずかな擬人と共に建物前の道路に出て走り出す。
幸いにして、街を設計するにあたりこの階層の道路は逃走経路として使えるよう調整済みだ。
運転手の侍女も別の拠点へと向けて姿を眩ますことができるよう完璧に地図情報を記憶して、かつ運転技術についても万全と言えるまでに訓練を積み重ねている。
本来ならば使わずに済ませたかった準備だが、しかしこの階層にはそうした、いざと言うときに使える手段が山ほどあるのだ。
だから打つ手には、逃走手段には現状困らない。
ただ一点厄介なことがあるとすれば、それはこの相手がすでに人間の範疇を逸脱した存在であるということだ。
「指令室爆散、追撃来ます――!!」
トレーラー内に控えていた執事の一人が声をあげ、同時に設置されたモニターの一つに付近のカメラで撮影したと思しき映像が映し出される。
見れば、先ほどまでアーシアたちがいたビルの最上階、窓のないその壁面に大穴が開いて、中から煙や炎と共に一つの人影が外へと飛び出してきていた。
その全身に輝き過ぎる炎を纏い、世界で最も有名な長剣を携えた、恐らくは【真世界】において最強格だっただろう戦士に、さらなる改造を施して生まれた驚異の『人』が。
ブライグ・オーウェンス。
【決戦二十七士】と言う部隊の部隊長であり、世界最強の戦士達を集めた部隊の中でも上位に位置する能力を誇る戦士でもあるこの男は、今回の最終決戦に向けて少なくない数の【神造物】を持ち込んでいた。
もとより、ブライグは【神造武装】である【応法の断裁剣】の継承者だ。
盾へと変じた状態で攻撃を受け止めることでそれを吸収し、剣として振るうと同時に吸収した攻撃をその発生源へと叩き返す権能を持ったこの剣は、長くブライグが属する教会と言う一大組織の屋台骨として運用されてきた戦略兵器であり、それを扱うブライグは教会の中でも、そしてあの世界においても最高クラスの戦力と言える存在だった。
けれど前回、そんな圧倒的な力を持つブライグすらも、一戦士として参加した十八年前の戦いでは敗北し、自身も右腕を失う大怪我と共に撤退を余儀なくされることとなった。
強敵を前に及ばなかったというよりも、精神干渉による味方の崩壊や、そもそも兵の数にものを言わせた塔の攻略と言う上層部が決めた方針が致命的に足を引っ張ったという側面は多分にあったのだが、それでも。
どんな理由であれブライグは敗北し、通常ならば再起不能になるような利き手の喪失と言う致命的な状態に陥った。
そうした経験も相まって、ブライグは再び【神杖塔】に、今度は部隊指揮官として挑むとなった際、世界の命運をかけた戦いと言うことも相まってかなりなりふり構わないやり方で戦力の確保に奔走することとなった。
世界中に残存していた各勢力に呼び掛けて、世界最高峰と言える戦士たちを牢獄の奥底にいたアマンダや、本来表に出ないはずの暗殺組織のフジンと言った者達に至るまでかき集め。
同時に各所に残っていた所有者たちに掛け合って、常識外の力を持つ【神造物】を戦士たちの戦力を底上げする武具として活用すべく、あの手この手で交渉し、時には脅すような真似までしてそれらを供出させようと試みた。
結果的には、強大な影響力を持つ【神造物】を教会主導の部隊に譲渡あるいは貸与することを各所有者たちが渋ったことや、純粋に【神造物】と戦士との相性の問題などから部隊全体に【神造物】を装備させることはできなかったわけだが、一方で教会戦力の最高峰とみなされ、信用を得ていたブライグ一人に対しては、教会上層部が特例措置と言う形で、厳しい誓約のもと教会が所有する【神造物】の中から、とある事情により譲渡可能なものが貸し出されることとなった。
とは言え、だ。
いかに強大な力を持ち、それひとつで戦局を左右できる【神造物】と言えど、流石にブライグもそれらすべてを担いで【神杖塔】の攻略に挑むわけにはいかない。
特にこの【神杖塔】での戦いは少数精鋭での攻略を想定していたため、数人一組での行動や極論単独行動での戦闘もありうる。
そんな前提条件の戦いで、まさかオルドが一人で大量の【神造物】を担いで戦いに挑むわけにもいかないし、そもそも高威力、広範囲の攻撃界法が飛び交う【真世界】での戦いにおいて、どんなに防御力に自信があったとしても機動力を落とすというのは自殺行為だ。
欲を言うなら、武器は主武装である【応法の断裁剣】のみか、せいぜい副武装が一つか二つ。
防具に関しても、急所を守る最低限のものは仕方ないにせよ、できる限り身軽である方が望ましい。
そうした条件を鑑みて、なおも自身の戦闘能力を底上げできる【神造物】を探していたブライグが、その結論として行き着いたのが、人体置換型の【神造物】、義手や義足、はては神工臓器までを含めた【神造身体】とでも呼ぶべき物品群だった。
所有者が望むことで欠損した個所に接続されるのはもちろんのこと、まだ該当部位が残っている場合でもそれに置換する形で装着できる【置換移植】や、装備者の体格に合わせて最適な寸法に変じる【自動補正】を標準装備し、移植手術なしでそれまでの人体に近い感覚で扱える新たな体が手に入る神造の義体群。
これならば、他の装備品と違って肉体の一部になる関係上荷物になることもないし、服の上からの見た目は変わらないため装備していることを感づかれることもない。
無論、それらを装備するにあたって生身の部位は失われることとなったうえ、それらを借り受ける過程で条件次第ではそうして得た身体部位を即時返却しなければならなくなる、そんな破ることのできない契約さえ背負い込むことになったが。
もとより全てをかけるつもりで挑んだこの戦い、全てが終わったその後に、その代償として死ぬことになったとしても悔いはない。
なんにせよ、地位と人脈、交渉と恫喝をフルに使って、ブライグは己がこの戦いで使う多数の【神造物】をかき集めた。
人間の関係性を視覚化する【神造義眼・相関察眼】という、任意の関係性をその人間同士をつなぐ縁の糸として視認する両目を。
地に足が付いた状態を作り維持する【神造義足・逸間落着】、あらゆる障害を飛び越える両足を。
それ以外にも多数の【神造物】にその身を置き換えて、遂には死亡時の保険として交わしていた契約に基づきオルドの【我がために燃ゆる炎】すらもその身に宿して、それらによってブライグはアーシアたちが【神造サイボーグ】と評するような、人を超えた怪物へとその在り方を変化させた。
今のブライグは、もはや純粋な意味での人間とは言い難く、そしてそれ故に尋常な戦力など相手にもならない。
周囲のビル群、その内部に控えていたらしき予備戦力の【擬人】を相手に、ブライグはその剣を振るって、防御しようと構えたメイスをその刀身がすり抜けたことによって、進撃を阻もうとした擬人がその顔面の核を両断されてあっさりと消滅する。
【握霊替餐】。触れたものを生物しか触れることのできない幽体に変える、そんな【我がために燃ゆる炎】と共に教会の処刑役を担ってきた左手を添えて剣を振るい、足止めのために飛び出してきたのだろう【擬人】達を次々と斬り伏せ、走り抜ける。
否、手の内を明かした今、ブライグの攻撃手段は単なる剣や界法によるものだけではない。
「カァァアアアアッ――!!」
大口を開け、声と共に気管に灯る輝き過ぎる炎を吐息に乗せて、まるで火炎放射のような勢いで【我がために燃ゆる炎】を敵の群れへと吐きかける。
本来人間の肺に収まるはずのない、莫大な量の空気に炎を乗せて吐き出して、オルドほどうまく炎を扱う技術を持たないブライグが、けれど彼に勝るとも劣らない勢いでその炎の領域を広げ向かってくる敵を焼き尽くす。
「--む」
そうして吐きかけた炎が燃え盛る最中に、ビル群の影からいくつもの乗用車が現れ、炎が燃え移るのにも構わず一直線にブライグの元へと突っ込んで来る。
運転席に黒い人影こそ見えるものの、その本質は車そのものに魂を込め、それによって生まれた擬人が運転までこなしているという意志を持った特攻兵器とでも呼ぶべき存在が、エンジンをフル回転させての加速と共にブライグに正面から突っ込んで。
「ふん」
鼻から息一つ吐く、それだけのリアクションと共に構えた盾に受け止められて、激突と同時に込められていた運動エネルギーそのものを吸収されて一瞬にして停止させられることとなった。
そして――。
「カァッ――!!」
その一瞬後、再び剣へと戻った【応法の断裁剣】が剣と接触する車体に先ほど吸収した激突のエネルギーをそのまま叩き返し、それによって車体のバンパー部分が大きくひしゃげて、決して軽くないはずの乗用車が地に留まることもできず大きく上へと跳ね飛ばされる。
直後に積み込まれていた爆薬が炸裂するが、それすらも盾を構えたブライグを傷つけるには至らない。
ただ返す相手のいなくなったエネルギーだけが盾へと消えて、爆発によって飛ばされてきた破片が盾に受け止められただけで傷一つ負わせることもできずに擬人の一体がその素体ごと消滅する。
続けて、その爆炎と輝く炎を突き破って三台の車が姿を現すが、もはやブライグにとってそれ等は脅威どころか面倒な足止めとしての価値も薄い。
「あまり付き合って、お姫様を逃すのもしゃくであるし、な」
言うが早いか、ブライグが地を蹴ってそのまま上空へと落ちると、付近にあった信号機に上下逆さまに着地して、同時に迫っていた三台の自動車それぞれへ向けて炎を内包した槍の界法を展開する。
本来界法で生成するはずの炎を口から吐き出した【我がために燃ゆる炎】で代用し、ご丁寧にも消費する法力すら節約した攻撃で、その知識と技量まで含めた実力によって残る敵集団を叩き潰す。
「【徹甲爆連槍】」
直後、放たれた槍によって貫かれた自動車の内部で輝き過ぎる炎が炸裂し、それらが内部にあった擬人の核と、そして詰まれていた爆薬へと引火して周囲に残る【擬人】達すら巻き込む大爆発を引き起こす。
すべてが燃えて、偽りの命すらも死に絶えてその残骸だけが残る中、盾を剣へと戻して落着し、再び歩き始めるのはただ一人。
もはや人と呼んでいいのかすら怪しいそんな男が、足止めに現れた戦力を一蹴して再び標的の追跡を開始する。
足止めに掛かった擬人たちの部隊が蹂躙されるその有様は、付近に仕掛けられたカメラと飛ばしたドローンによって撮影されて、先行するトレーラー内部の者達にも常にモニターされ続けていた。
モニターされて、全て見られていたからこそ重い空気が車内に満ちる。
無論この場にいる誰もが敵である【決戦二十七士】を侮っていたわけではないし、ある程度の計算外や隠し玉の存在は警戒していたわけだが、それでも。
そうして重苦しい沈黙が社内を満たす中、唯一その中で動きを見せたのは、以外というべきなのか、擬人たちの主たるアーシアだった。
「ミラーナ。これ以上普通の擬人をぶつけても意味がないわ。ティアを出して」
「……!! お嬢様……!? ――いえ、ですがこの状況なら確かに……」
主の命令に我に返って、しかし直後にミラーナは主のその命令が思いのほか的を射ていると思い直す。
アーシアの言う『ティア』とは、主たる【神造人】達がこの決戦に挑むにあたり用意していた切り札の一つだ。
より具体的には、相手方の予期せぬ切り札などの投入で用意した通常戦力だけでは対処できない事態になったときに備え、擬人たちの切り札として用意され、そしてこの局面に至るまで温存されていた戦力である。
とはいえこの状況、事前に危険視されていた者たちの内、大規模破壊によって【擬人】達を一網打尽にしかねないヘンドルは、この階層の仕掛け(ギミック)によってその戦力を無効化されて、同様の隙突く形で完全に抹殺することに成功した。
もう一人のセインズについても、先ほど殺害まではいかずとも大規模攻撃に巻き込めたところまでは確認がとれているし、あの状況であればたとえ生きていたとしても無傷ということは考えにくい。
一応後二人、事前に特に注目されていた人間がいるにはいるが、片方は注目されていた理由が強さによるものではない上、すでに手が打たれており、もう一人については逆に『ティア』を差し向けるには少々相性が悪い。
なによりも、そもそも『ティア』の存在は相手にこちらの知らない切り札があった場合の、まさに今この時に使うために用意された備えなのだ。
本音を言えば、【神問官】たちが予想し、待ち焦がれているという【神贈物】の降臨に際してそれに対抗する形でぶつけたかったが、ことここに至ってしまった以上これ以上の温存は無意味といっていい。
――なによりも。
「――このままだと、ぶつける【擬人】たちはみんな無駄死によ。
そりゃ、あんたたちを使い捨てるように戦わせているのは私だし、元が道具であるあんたたちはそのことに何の不満も抱いていないのかもしれないけど、それでも私はあんたたちという命の生みの親として、この状況をこれ以上看過したくない」
そう、何よりもミラーナたちの主、このアーシアという【神造人】は、己の目的のために己の生み出した【擬人】達を消費することを覚悟しておきながら、そんな自身の選択を決して全肯定しても、当然視してもいないのだ。
生み出した【擬人】を、たとえ知能や自我が最低レベルのものであったとしてもきちんと一つの命として認識し、そのうえでその命を道具として使い捨てているのだと、そんな自覚を己が我を通す覚悟と共に持ち合わせている。
『――ええ、そうですね。もとよりこの広大な階層内でこちらの位置を探知でき、飛行に近い【権能】で追跡も奇襲も可能というこんな相手を、このまま取り逃がして放置するわけにもいかない』
そしてそうと結論が出てしまえば、アーシア自身その命令を下すことに躊躇はない。
「と言う訳で、出番よ、ティア」
「――む」
その瞬間、両足の力で飛行し、逃げたトレーラーを追跡していたブライグの周囲、路面のマンホールや消火栓に加えて建物内部の水道設備やスプリンクラーといった水を扱う設備から一斉に水が噴き出して、目をむいたブライグへとむけて周囲から一斉にその体を包み込むように襲い掛かる。
巨大な水塊が、しかしその圧倒的水量によって攻撃するのではなく、ブライグの身をとらえて上空へと押し上げて、スペースコロニーという閉鎖環境の閉じた空、その中央へとむけて巨大な鯨のような形を形成しながら泳ぎだす。
【一滴】と呼ばれた、かつて竜昇や静そして何よりアパゴやハンナと言ったメンバーを襲ったことすらある巨大な水の怪物が。
このコロニーを模した階層において、水道設備が止められていなかった最大の理由が、その圧倒的な巨体を晒して、悠々と。




