280:終へと至る
「――フゥ、 ――フゥ……。竜昇さん、ひとまずは予定通り、階層を隔ててセリザさんと私を分断することに成功しました……」
階段を下りた先で扉を開き、先ほどまでいたオフィスビルとは別の建物の中へと足を踏み入れながら、静はスマートフォンを手に取り現在の状況を竜昇に伝える。
聞こえて来るのは、恐らく今もルーシェウスと塔の機能の争奪戦を行っているのだろう竜昇の返答。
『こっちも状況は補足した。ひとまず静はそこから下の階層に向かってくれ。
すでに攻略済みの階層みたいだから、そこ以外の同じ階にどこか下へと続く階段があるはずだ。
現在の位置は前線拠点があるドーム球場の二つ上みたいだけど、こっちも前線拠点に戻るし、そこから上に行ってもすぐ行き止まりになるから、一度拠点で合流して改めて最上階を目指そう』
「承知しました」
そう返答しながら、どうやら今いるのは旅館のような建物らしいとそう判断しつつ、静は言われた通り竜昇と合流するべく決して広いとは言えない廊下を歩きだす。
その足元で、握ったままの石刃、そこから落ちる影がまるで水面かなにかのように波うち、徐々にその面積を広げているのを目にすることなく。
振り返らずに、先だけを見て。
【神問官】であるセリザに対して、その試練を成立させるために設定されている権能は二つある。
一つは、歴代挑戦者たちのコピーした武器全てを使用可能とする権能、【影供の積刃】。
セリザが戦闘に際して使用し、かつ彼女が攻略不可能な試練となっていた最大の要因ともいえるこの権能は、【真世界】において間違いなく【始祖の石刃】と並ぶ形で名の知られた、セリザと言う【神問官】の代名詞と言ってもいい権能であったことだろう。
だが一方で、実のところセリザには、【影供の積刃】と比べれば目立たないものの、試練を成立させるうえで重要な役割を担う権能がもう一つ存在しているのだ。
それこそが【石刃より堕ちる影】。
セリザ自身も試練には使用しないと自ら語っていた、試練の状況を成立させるための、その下準備を行うための『貸し出しと取り立て』の権能である。
「――ああ、そうだ。別にこれまで、アタシから逃げるという選択肢をとった挑戦者がいなかったわけじゃないんだ。流石に【神杖塔】みたいな空間操作系の権能に頼った例はいなかったが、それでも勝てないと見て逃げようとした連中ってのはそれなりにいた。
けどねェ、それで逃げ切れた人間なんてのは、実際これまで、ただの一人だっていなかったんだよ」
自身の足元にある影、水面のように波打ちながら広がるそれへと身を沈めながら、誰にともなくセリザは悲し気な口調でそう語り掛ける。
もう終わってしまった過去を懐かしむように。
夢に敗れ、その希望の残骸を自ら片付ける時のように。
【石刃より堕ちる影】は言うなれば『繋がり』に干渉する権能だ
【始祖の石刃】と言う、本来ならば所有者と特別なつながりを築くことで使用を可能とする【神造物】に仮初の所有者を設定し、本来ならば所有者になっていない人物にその使用を可能とする。
その応用として、【影供の積刃】で生み出した武器を【石刃より堕ちる影】で貸し与えるという、いわば二つの権能の合わせ技による【擬人】達への武器の貸し出しも行っており、これが神杖塔におけるドロップアイテムにならない武器の生産も行っていたわけだが、本来ならばこの権能は【始祖の石刃】と言う【神造物】を試練の受験者に貸し出すための権能だ。
――否。貸し出して、そして取り立て、取り返すための権能でもある。
(本当に残念だよ、なあ、シズカ……)
影の中へと完全に身を沈め、そうして見上げた水面のような影の先に、セリザは先ほど下の階層に逃げたばかりの、小原静の背中を見据えて、そう心中で語り掛ける。
静と戦う中でも語っていた、歴代の受験者たちがセリザから逃げきれなかった理由と言うのがこの権能だ。
なにせセリザは、自身の有する【石刃より堕ちる影】を用いることで、影を通じて貸し出した【始祖の石刃】の元へと、いつでもその石刃を取り立てるために出現することができるのだ。
無論、石刃を捨てればそうした影を通じた追跡からは逃れることができるが、残念ながら【始祖の石刃】と言う対抗手段を失って、このセリザから逃れることができた者もまた一人もいない。
なにより、セリザの試練を放棄して、そのまま生き延びることができた者など、それこそ一人も。
(じゃあねェ……。アンタも、実力的にはそれほど悪くなかったよ。
アタシとの戦いに、最後まで付き合ってくれなかったのは、まあ、残念だったが……)
手の中に背中刺すナイフを携えて、セリザはその水中のような闇の中から、一気に頭上にある水面へと向けて浮上する。
すでに失格と決まってしまったその相手を一撃の下に屠るべく、影から飛び出すのとほぼ同時に、セリザの手のナイフが静の背へと一直線に吸い込まれて。
「おやェ……?」
次の瞬間、水面から飛び出したセリザのその額に、激しい衝撃と共に決して鋭いとは言えない石刃の先端が突き刺さっていた。
見れば目の前では、先ほどまで背を向けていた静が、しかし今はこちらに振り返り、まるで振り向きざまになにかを投げつけた後のようにその手をこちらへと向けている。
「――残念ですがセリザさん、そのやり方は通じません。
だって私はこの戦いが始まってこの方、ずっとあなたのその権能を警戒し続けていたのですから」
そうして額に石刃を受けてのけぞるセリザを視界に捉えながら、静は簡単な種明かしでもするようにそう語る。
かつて、あのドーム球場で命を救われたその時、何の前触れもなく現れた、セリザの出現状況を記憶して、静はこの戦いが始まってからずっと、同じように間近にセリザが現れる事態を警戒し続けていた。
同時に、これについては一定の絞り込みも行っていた。
セリザが現れたのは静の足元だ。
無論、情報がそれだけしかなかった戦闘開始当初は、セリザがどういった理屈でそんな場所から現れたのか特定することはできなかったが、実際に戦ったセリザが影から武器を取り出す権能の持ち主だったこと、彼女自身が【影供の積刃】以外にも貸し出しと取り立ての権能があると言及したことなどから、今の静はセリザの権能を『武器を貸し出した相手の影から出現する能力』として、おおまかにではあるが特定することができていた。
そして実のところ、この権能の内容を特定できたことこそが、今回静がセリザとの戦いを放棄する選択に踏み切った、その選択ができるようになった最後の判断材料でもあった。
突如として足元から現れた、そんなセリザの出現方法からの推測で、静が最も警戒していたのは無論転移能力だ。
セリザの使用する権能が仮に任意の場所に自由に移動できる能力であった場合、静がどこに逃げても追いつかれるのはもちろんのこと、最悪ここにはいない竜昇の元へと転移されて、静が守ることすらできない場所で竜昇を殺されてしまう事態すら十分にあり得る。
だからこそ、当初静はセリザの求めに応じて彼女と戦い、これを打倒するべくあれこれと思いつく手を試していたわけだが、実際のセリザの権能が『武器を貸し出した相手』の元への転移であるならば途端に話が変わって来る。
無論【始祖の石刃】を持つ静が逃れることはできないが、石刃の貸与を受けていない竜昇の元へはセリザも容易に移動できないことになるし、セリザの言動からしてそう言う用途に権能の使用を限定しているのであれば、他ならぬ静自身も警戒しやすい。
なによりも、既に竜昇は静が守らなければ生きられないような状況など脱してしまっているのだ。
戦いを放棄したその途端竜昇が殺される事態にはならないと、そう確信できたその段階で、もはや静の中でセリザと戦う理由は完全に失われてしまっていた。
それこそが、静がセリザからの脅しを無視して戦いを放棄できた決定的な理由。
そして同時に、確実に追って来るだろうセリザに対して罠を張れた、待ち構え、迎え撃つことができた最大の要因だった。
(--ハ、ハハ……、やるじゃないさねェ……!!)
額に石刃を叩きつけられた、その衝撃にのけぞりながら、しかしセリザは湧き上がる興奮にその口元だけでんニヤリと笑う。
もとより、【始祖の石刃】は石器をモチーフとした【神造物】であるが故に、その刃はそれほど鋭い、切れ味のいいものとは言い難い。
今も、セリザの額へと直撃した石刃は、しかし額の肉を裂くことには成功したものの頭蓋骨を突破することまではできず、宙へと跳ね返されて、背後に倒れ込むセリザを追う形で遅れてこちらへと落下してきている。
恐らく振り向きざまの一撃に威力よりも素早さを求めたが故に、余計な界法効果等を込める余裕もなかったのだろう。
なんにせよ、この状況にあってなお、静はセリザに対して致命傷を与えることができず、結果としてセリザは額から出血しながらも未だ戦える状態で生きている。
(やる気をなくしてもう終わりかと思ったら……。これならまだまだ試練はやれる……!! あるいはあたしに傷を負わせたこの娘なら、もう誰にも倒せないと思っていたアタシを倒せる可能性も――!!)
そう考えて、自身の腰から下が沈む影の水面へと倒れ込みながら凄絶に笑って、セリザがその眼の動きによって試練の相手である静の方へと視線を移して――。
「――いいえ、終わりです」
直後、セリザのそんな考えを打ち砕くように、指さす動作と共に静からそんな言葉を告げられた。
セリザの額を裂きながらも頭蓋骨に跳ね返されて宙を舞い、今まさにセリザの元へと落下してきている神造の刃を指し示しながら。
(――な、に……!?)
「それ、お返しします。すでにもう私には、必要のないものですので」
ちょっと待て、と。
告げられるその言葉に、影の中へと沈みゆくセリザの意識がほとんど直感的にそれを理解する。
今セリザが潜ったその影は、【始祖の石刃】の影を広げて固定し、相手の元へと至る通路の出口としたものだ。
当然、影そのものは石刃が存在しているからこそ存在していて、さらに言えばこの影の空間はこの石刃の影以外に出口として繋がっている場所がない。
そんな状態で、もしも当の【始祖の石刃】本体が、その影の中へ落ちてしまったらどうなるのか。
わからない。
なにしろ通常であればまず起こり得ない現象だ。
本来あるべき物理法則と同じように石刃が地面の上に落ちて止まることもありうるし、逆に影の中へと落下することで影そのものが消えて、石刃がセリザ諸共出口を失った影の空間に閉じ込められてしまうことも普通にありうる。
そうなった時にどうなるのかも、永遠に閉じ込められることになるのか、どこかに出口が開くのかも当然わからない。
けれどもし唯一わかることがあるとすれば、それはこの状況を作った静自身が、それらのどの結末になったとしても別にかまわないと思っていることだけだ。
セリザだけでなく【始祖の石刃】がどうなろうと。
掛け値なく、なにより一切の躊躇もなしに。
今静は【始祖の石刃】等どうなっても構わないと思っている。
(--ぁ)
そこまで考えて、ようやくセリザは先ほどの静の投擲がセリザを攻撃するものではなかったのだと理解する。
そう、あれは攻撃を意図したものではない。
単に影の出口が開いた瞬間にその影の中に石刃を投げ込もうとして、想定よりも早く影から飛び出してきたセリザに直撃してしまったというそれだけの話なのだ。
そしてそう悟った瞬間、セリザの中で沸き上がるのは、まるで歯車がかみ合ったかのような、自身が根本的に勘違いに気付く今までにない発想だ。
(--まさか……、そっちが正解だったってのかい……?
石刃でアタシを殺せる、アタシより強い奴じゃなく――。
必要とあらば平気で石刃を捨てられる、武器に対して一切の執着を持たない、徹底してただの道具としか見做さない人間こそが――)
石刃を貸し出した後その相手と戦いたくなるから、ずっと自分の試練は武力で自身を上回ることなのだろうと思っていた。
石刃を奪い返そうと襲い来る自身を退けて、武力によって真の意味で石刃をものにできた者こそが、この【始祖の石刃】と言う武器を持つにふさわしいのだとそう信じていた。
けれどもしも、そんなセリザの存在が単なる【始祖の石刃】に付きまとうデメリットでしかなかったのだとしたら。
伴うデメリットを前にして、それに対する常人には選び難い選択肢をこそこの【神造物】の制作者が求めていたのだとしたら――。
(まったく、意地が悪いさねェ……)
その身が闇へと沈み、同時に光の粒子と化していくのを感じながら、セリザはいよいよ影へと飛び込んで来る石刃の切っ先を見つめてその口元を笑みに歪める。
最後に脳裏をよぎるのは、ここ何年か行動を共にしていた者達への初めての共感。
「――だから嫌われるんだよ」
『――其は、全ての武具の始まり』
「……おや?」
『始祖にして、やがて終へと至る神造の刃』
「--【始祖の石刃】」
そうして、聞き覚えのある声が脳裏へと響いて、同時に静のその手の中に、今しがた投棄したはずの石刃が再び現れる。
「これは、また……」
思いがけず戻ってきたその石刃に、静は今しがた脳裏に流れ込んで来た情報を咀嚼しつつ、見覚えのある黒く輝く刃をまじまじと見つめて――。
「なんとも、捨てたはずなのに戻って来るなんて、まるで呪われた武具のようですね……」
極めて正直に、そんな身も蓋もない言葉を思わず口にしてしまっていた。
試練の性質的に、呪いや怨念くらい籠っていてもおかしくない来歴のためその感覚もひとしおである。
とは言え、静であるが故にそんな言葉を口にはしても、現れた理由さえわかればやはり静であるが故にどれだけ縁起の悪い武器であろうと気にしない。
石刃を手にすると同時に取得した情報からどうやら自分が本当に選定を受けてしまったらしいと理解して、その上で静は一つ頷いて決断を下す。
「まあいいでしょう。ここまでやってもセリザさんを振り切れないというなら流石に問題でしたが、取り立てもなく貰えるというならありがたく貰っておきましょう。
いらないといった人間が石刃をもらえる試練の内容には流石に思うところもありますが――、まあ、この先のことを考えればあって困るモノでもありませんし」
覚えた感慨もそこそこに、それだけで静は石刃を十手に変えて腰へと差して、再び先へと進むべく自身のいる廊下を歩きだす。
拒絶した試練にも、手にした神造の品にもそれ以上目もくれず。
ただ己がパートナーが待つ場へと向けて、わき目も振らず。




