250:オルド・ボールギス
幼き頃より、オルド・ボールギスと言う少年は常に敬虔なる神の信徒であった。
教会を守護する兵士の一人である父と、同じように敬虔な信徒である母を持ち、自身も疑うことなく神の教えへと導かれ、父の訓練もあいまって、十二歳で父と同じ、あるいは父をも超える教会の戦力となるべく神兵学舎の門を叩いた。
訓練を受け、十五歳で正式な僧兵となった後も、その篤い信仰心を糧にオルドは教会より与えられる使命に邁進し続けた。
教えに反する物品を取り締まり、法を犯す犯罪者を精力的捕縛して、そして、世に仇なす神敵を完膚なきまでに誅殺する。
人の形をしたものを殺めることに抵抗がなかったとは言いきれない。
けれどそれでも、オルドの胸には生まれた時より胸を満たす教えと、大義があった。
故に、思うところはあれど躊躇はなく、オルドは誰よりも熱心に与えられる使命に邁進し続けた。
そんなオルドを、周りの人間とて放っておくはずもない。
誰よりも熱心に、なによりも忠実に任務をこなし続けるオルドは、生まれ持った才覚も相まってめきめきと力をつけ、上の者にも認められて、遂に教会が長き歴史の中で受け継いできた【神造物】、それを継承する立場として選ばれるまでに上り詰めた。
――上り詰めて、そうしてたどり着いたその場所で、オルドはついに逃れようもない真実を、他ならぬ継承した【神造物】の存在によって正面から突きつけられることになった。
実のところ、上り詰めるまでの間にも意識の端に昇ることはあったのだ。
正しく神の意に従い動いているはずの教会内部にあって、決してあるはずのない矛盾の数々。
腐敗、暴利、権力闘争、世の不条理と、それらの裏にある欺瞞の羅列。
眼の端をよぎって、しかしずっと気付かぬふりをしていた。
結局のところ、オルドが従っていたのは神の命とは名ばかりの人の世の法でしかなく、それとて上に立つものが多かれ少なかれ己のための理を持ち込んだ、どこまでも欺瞞に満ちたものだった。
幼き時分に教えられ、夢見ていた神の法によって治められる完璧な世界など、人が人に夢を見せることで操るための、単なる欺瞞でしかなかった。
すでに後戻りするには進みすぎた後での真実との直面。
それでも、真にそれらの欺瞞が世の正義に反しているのであれば、オルドとて手にした神造の炎を燃やして、反旗を翻すこともできただろう。
質が悪かったのは、そうした裏にある欺瞞について知れば知るほど、それらが理想とはかけ離れていながらも、それでもその欺瞞に守られているものがあるという事実だった。
それこそ、幼き頃の自分がその欺瞞に守られて、同じようにその欺瞞が今、少なくない無辜の民を、世の安定を守っているのだと、そう認めざるを得ないほどには。
探れば探るほどに、世の中の、世界の、欠けたシステムの穴を欺瞞が埋めていて、それが抜ければ何かがうまく回らなくなってしまうという事実が明らかになっていく。
知れば知るほどに思い知らされる、欺瞞の、あるいはウソの効用、その有効性。
それがわかってしまったからこそ、いつしかオルド自身も嘘や欺瞞をただすことを諦めて、むしろ積極的にその欺瞞を擁護し、上塗りする側へと立場を変えて、そして――。
「――はっ、故に貴様はその欺瞞を正すのではなく、そうした欺瞞によって回る世界の、その歯車の一部になる道を選んだという訳か。
教会が唱えるお題目通りに【神造物】の能力を偽って、自らの正義を声高に叫ぶことで周囲に、そして何より自分自身に自身の正当性と相手の悪性を繰り返し言い聞かせて……」
「――黙れ……!!」
表情は無表情なまま、しかし口調だけはどこか吐き捨てるようにそう言ってのけるルーシェウスに対して、オルドは無駄と知りながらもその火のついたメイスで力任せに殴りかかる。
この不届き者にこれ以上口を開かせてはならない、殺せぬまでも、傷つけられぬまでも、せめて痛みでもってその口を閉ざさねばならないと、そんな思考の元振るわれたそのメイスは――。
「――なぜ怒る、オルド・ボールギス」
しかし直後、どこか見透かしたようなそんな言葉と共に、ルーシェウスの手の中に現れた盾によってあっさりと受け止められることと成った。
同時、盾の表面がひしゃげたことで破壊したとみなされたのか、盾だった者が光の粒子へと変わってオルドの脳裏に死の記憶となってなだれ込む。
どこまでも冷徹な、既にすべてを知っていると言わんばかりのルーシェウスの言葉と共に。
「――否、この問いはあまり正しくはないな。
そもそも貴様は最初から、一度も本気で怒りを感じてなどいないのだ。敵とみなした相手を火にかけている時も、仲間の死を告げられた時でさえ……」
鋭い剣閃が死の記憶に苛まれてよろめくオルドの体に新たな傷を刻み、同時に言葉によってオルドの内面、その表層に浮かび上がってきた記憶と思考が光となってルーシェウスの中に流れ込む。
語り掛ける言葉によって求める情報をオルドの中から呼び出して、ルーシェウスはまた一歩、オルド・ボールギスという人間の、その本質へと向かって距離を縮め、迫っていく。
「貴様と言う人間は演じているだけだ。怒れる狂信者のような言動を。自らが焼き殺す相手のことを、ただの屠り去るべき敵対者であると信じるために」
「――ふ、はは……。なにを、言っている……。そんなもの、まるで理屈が――」
「相手が対話などできないと敵対してくれればお前も信じられるのだろう? 相手のことを、対話の余地なき悪しきモノだと」
理屈が通っていないと言い逃れる、その逃げる先を塞ぐように、ルーシェウスが先回りしたようにそう言って、真相を言い当てることでオルドの反論を口に出す前から封殺する。
走らせる刃で、皮膚を裂いて傷から抜き取る記憶で、相対する【火刑執行官】の全てを読み取りながら。
その皮の下にある、オルド・ボールギスと言う男の全てを暴き立てるように。
「結局のところそれが最大の理由なのだろう?
イノシシ武者を演じることで相手の油断を誘える、教会の正当性を周囲に示すためなどと、いろいろと理由を付けてはいたようだが……。
結局のところお前は話の通じない相手を装うことで、相手に対話の可能性を諦めさせたかったのだ。下手に対話などしてしまえば、屠るべき敵、焼きつくすべき悪と言う認識が揺らいで、お前の中で迷いが生じてしまうから」
それこそが、オルド・ボールギスと言う男が【火刑執行官】と言う職務を演じる上で自らに課した欺瞞の理由。
周囲を欺くためではなく、他ならぬオルド自身を騙し続けるために吐き続けていた、数多の嘘の根源だった。
「――やはり直接選ばれた担い手と違い、受け継いだだけの継承者は【神造物】本来の趣旨から外れるな」
そうしてオルドの精神性の正体を看破して、しかしルーシェウスはどこかため息でも吐くようにそんな言葉を吐き捨てる。
「一概に継承者が見劣りするとは言わないが、ただ受け継いだお前達では、どうしても初代が持っていた適性は、選ばれたその理由については激しく劣って、 蔑ろにされているように見える。
もはや私が言えた義理ではないのだろうが、この欺瞞と矛盾はいささか不愉快だ。
特にこの炎など、それこそどのような状況下でも我を通せるものに相応しい権能だったであろうに……」
「――、貴様……!?」
自身の記憶を取り込んだルーシェウスの発言になにかを察したのか、既にメイスに体重を預けて息を切らしていたオルドの顔色に偽りの怒りとは別の色が入り混じる。
そんな、既に満身創痍のオルドに対して投げかけられるのは、どこまでも容赦のない、その罪を知るモノからの断罪の言葉。
「仮に【神造物】をひとつの芸術、絵画とするならば、おまえたち所有者はいわばその絵を飾る額縁だ。特に直接の選定者ではない、ただ譲り受けただけのお前達であればなおのこと……。
大方教会が正当性の象徴とするのに、その名では不適切とでも考えたのだろうが……。
――ただの額縁に過ぎないお前たちが作品の名を騙るべきじゃない」
「ッ――」
そうして、告げられる断罪にオルドが何かを言い返すその前に、鋭い刃がオルドの体の、その中央へと突き刺さる。
「――ぁ、ぐ……!!」
「――其は、我が意に依りて燃える情炎、心意を映す、自我の焔」
それはオルドが決して口にすることの許されなかった聖句。
教会の権威のために、【裁きの炎】と言う正義のための欺瞞の裏に封じられた、神造の炎が持っていた本来の名前。
「――【我がために燃ゆる火】」
そうして名前を告げたその直後、胸から刃が引き抜かれ、それによって支えを失ったオルドの体が膝から崩れて倒れ伏す。
それと連動するように、消えないはずの神造の炎が離れたものから順に消えていき、最後にオルドの体に灯る炎が持ち主の命のように消えさって、それによってこの場から一つの【神造物】が完全にその姿を眩ませる。
「次の持ち主の元へ向かったか。この男は次の持ち主に、いったいどんな相手を指定していたのだろうな」
呟いて、それを最後に地に伏す男から興味を失い、ルーシェウスは次なる相手へと向き直る。
「ハァ……、ハァ……、――ッ、そ……!!」
荒い息を繰り返し、それでも戦う二人を追ってここまでたどり着いた、今まさにオルドの死をまのあたりにしたばかりの竜昇の方へと。




