209:勇気ある決断
自らの殺めた女の前で神に造られし男が考える。
今回あのオーリックの末裔を殺したことで、懸念の一つはその芽の内に摘み取った。
かつての過ちは清算されて、脅威の一つはその真価を発揮することなく命脈を断たれて地に伏した。
他にも懸念すべき事態はないではないが、しかし今考えるべきはそれらとは別のこと。
――思いのほかしぶとい……。いや、そもそも私たちの見積もりが甘かったと見るべきか。
別段手を抜いていた訳でもないが、もとより人間達の行動予測自体万全だったという訳ではない。
と言うよりも、元からこのビルに引き入れた人間たちがどのような行動をとるかについては深く考えるわけにいかなかったという事情もあって、不安要素を抱えながらも今まで手を付けていなかった問題でもあった。
無論優先順位が低く、深刻な事態につながることはないと踏んでいたからこそのその対応だったわけだが、しかし想定外の事態が起き始めているというのもまた事実だった。
――想定していなかった事態は二つ、一つはあの者達の中にカードの仕込みに気付くものが現れ始めたこと。
そしてもう一つは、早いうちに対処してしまおうと送り込んだあの階層の中で、あの者達が意外にしぶとく生存し続けていることだ。
どちらもたいした問題ではない。
そう思いながらも、しかし男はあの階層に残る六名の生存者についての対処を真剣に検討する。
――一思いに私自身で対処するべきか……。
そんな考えも頭をよぎるが、しかし下手な手出しは恐らくあの二人がいい顔をするまいと、そう思いなおす。
特にあの女の場合、こちらが意に添わぬ介入をすれば、それに応じてあちらも介入の度合いを強める懸念すらある、とも。
と、なれば、あとは男に残る手段はただ一つ。
――仕方がない。ならばいっそ一思いに、一つ予定を前倒しにするとしよう。
いましばらく様子を見ておくつもりだったが、考えようによっては全てに片を付けるいい機会かもしれん。
そうして懊悩から脱して、男は一つ状況を動かすことにする。
自身の中にある懸案事項、現状危険と考えるその存在達の、その全てをまとめて淘汰するために。
憂鬱な気分と共にホテルのロビーから歩み出る。
偽物の空しか見えないウォーターパークの中で空を見上げて、そこに広がる星空の一部にひび割れが生じているのを微かに認めて、改めて竜昇はこの度の戦いの中で失われたものの大きさを思い知る。
結局、竜昇は今回の戦いの中で、中崎誠司と馬車道瞳と言う、二人の人間の死を全くと言っていいほどに防げなかった。
現在二人の遺体は、血の汚れをどうにか水で洗って、傷口をそれぞれ包帯を巻くことでかろうじて隠したうえで、ホテルの中にあるまだ使っていなかった一室に安置している。
安置して、それ以上にできることが何もない。
なにしろこのビルの中には土の地面すらほとんどないのだ。
埋葬しようにも、土など付近の植え込みに申し訳程度にあるばかりだし、火葬と言う手もそれだけの火力が無ければおいそれとは行えない。
厳密に言えば、火を扱う魔法やそれに匹敵する雷の魔法を使うという手も考えなくはなかったが、それによって火葬の代わりとするのはいくらなんでもいろいろな意味で酷だろう。
現状二人の遺体は、せめて清潔な場所に安置して、そのまま放置するより他に無い。
もう一人の、あの舞台上で自ら命を絶ったアパゴの方の遺体についても、抱く感情こそ違えど出来る対処は似たようなものだ。
「まったく、やりきれないな」
思わず、そんな言葉が口を突いて出る。
戦いの後の後片付け、そう呼ぶにはあまりにも酷な作業がひと段落ついて、どうやら竜昇の精神も相当に参っているらしかった。
(けど、俺なんかはまだましな方か……)
自分以外の人間、特に死亡した二人とかかわりの強かった三人の反応を思い出して、竜昇はより一層、罪悪感にも似た気分に苛まれる。
特にすべてが終わった後に正気を取り戻し、その直後に二人の死を知ることと成った及川愛菜の反応は、それはもうひどいものだった。
泣き叫んで取り乱し、やがてはこうなった原因、仇を求めるように己の武器にすら手を伸ばす。
特に詩織に対する愛菜の言動は、そばで見ているだけの竜昇達の目にもずいぶんと苛烈で、はっきり言って残酷なものだった。
どうやら彼女と詩織の間には、竜昇達がいまだ知らされていなかった確執があったらしい。
唯一救いがあるとすれば、今回に関しては詩織の方も一方的に言われっぱなしになってはいなかったということか。
取り乱す愛菜の言葉にはっきりと言い返し、彼女の八つ当たりに近いふるまいをはっきりと拒絶して、詩織は竜昇達の手を借りることなく、はっきりと自分の意思を相手に示した。
無論そうなってしまえば感情的な衝突は避けられないため、結局愛菜は理香になだめられる形で別室に籠ってしまったが、しかし竜昇の眼から見ても、あれは間違いなく必要な衝突だったと言えるだろう。
とは言えそれでも、衝突が起きてしまった以上、詩織と愛菜の、その関係の修復を図らなければならない。
加えて、もう一人の先口理香があの後からずっと消沈したままなのも気がかりだ。
改めて痛感する、馬車道瞳と、そして中崎誠司が死亡したことによる影響と、その存在の大きさを。
痛感して、その穴をどう埋めるべきかと考えて、同時に何もできなかった自分にただひたすらに腹が立つ。
共にいながらむざむざ彼を死なせてしまって、いったい自分は何をしているのかと。
「お待たせしました」
と、そんな竜昇の背後から、ここ数日ですっかり聞きなれた声が呼び掛ける。
振り返ればそこにいるのは、装備一式を身に纏い、竜昇と共に行動する準備を整えた静の姿。
「遅くなって申し訳ありません。それでは、先ほど言っていた場所に向かうとしま――、……」
そうしてホテルから出て来た静が不意に言葉を途切れさせたのは、そんな竜昇の内心を彼女が読み取ったからだったのか。
「随分と、思い詰めていらしたようですね」
「いや、そんなことは――。……まあ、な……」
とっさに否定しようとして、自身がいつの間にかこぶしを握り締めたままだったことに気付いて、あえなく竜昇は静の言葉を認めざるを得なくなった。
吐息と共に手から力を抜いて、観念してこの隠しごとの通じない少女に、素直に内心を吐露することにする。
「選択を、誤ったんじゃないかと、そう思ったんだ」
そうして口にするのは、先ほどから頭の中にこびりついて離れない、あまりにも弱気なそんな言葉。
「ゆうべ……、中崎さん達との関係性をどうするかを決めたあの時に……。俺は、たとえあの人たちと戦うことになったとしても、それでもあの人たちと袂を分かつことなく手を結ぶ、そんな道を選んで、二人に提示した。
やろうと思えば、あえて衝突することなく、あのまま別れることもできたはずなのに、それでも俺は、あえてあの人たちと対決して、関わり続ける道を選んだ……」
竜昇のそんな言葉に、しかし静はただ黙ってそれを聞くだけでなんの言葉も返さない。
あるいは、彼女もわかっているのだろう。
今ここで竜昇が語っているその言葉が、結局のところ本質的には意味のない独白であることを。
「けど、現実には俺たちの戦いのその後に、あの【決戦二十七士】の二人と戦う羽目になって、結果俺達は中崎さんと馬車道さん、これから行動を共にしようとしていた相手を二人も失った。
もしもあの時、二人が万全の状態だったなら……。俺達があの人たちを分断することなく、この階層にいた戦力が万全の状態で【決戦二十七士】の二人と戦うことができていたなら、もしかしたらあの人たちは死なずに済んでいたんじゃないか?」
誠司との戦いの中で、最後に彼の頬へと打ち込んだ拳の感触を今さらのように思い出す。
あの一撃によって、アパゴとふたたび闘うことになった際の誠司は万全の体調とは到底言えないような状況だった。
召喚スキルに使用するための触媒となるナイフもその大半を使い切っていて、誠司自身のコンディションも装備の消耗も、決して無視できないそんな状態だったのだ。
もしも直前に、誠司が竜昇と戦っていなければ。
もしかしたら誠司は死なずに済んだのではないか。
「竜昇さん……。ですがそれは――」
「――ああ、わかってる。こんなのは結局のところただの愚痴だ。自分の思ったような結果が出なかったもんだから、ただ弱気になって後ろ向きなことを考えているだけだ」
竜昇とてわかっている。
もしもあの時竜昇達が誠司との戦いを避けていたとしても、誠司達があの戦いを生き残れていたとは限らないということを。
むしろあれだけの強敵を相手に竜昇達が対立関係のままであったならば、より混乱が加速して三つ巴の争いの挙句に全滅していた可能性すらあったのだ。
たとえそうならなかったとしても、誠司達のやり方でこの先未来があったとは思えない。
結局のところ判断を誤ったかもなどと言う考え方自体が、まるで意味のない、弱気になっただけの気の迷いのようなものだ。
だから、これで終わりにするつもりだった。
静とのこの会話は、竜昇がみっともなくも話を聞いてもらって、それだけで。
「悪かったな……。こんな、くだらない話を聞かせて……。吐き出したら、まあ、少し楽になったよ。とは言え、今はこんな弱音ばっかり吐いてもいられないし、できれば今言ったことは忘れてくれると――」
そう言って、静に背を向け歩きだそうとする竜昇の前に、その背後から追い抜くような形で静が再び目の前へと現れる。
それはまるで、無理やりにでも前に進もうとする竜昇の歩みを阻むように。
「一つ、私も秘密の話をしましょうか」
「――え、いや――、ひみ、つ……?」
「はい、私の秘密です。
実はですね。私はこれまでずっと、勇気と言うものがよくわからないでいたのです」
「――ゆ、勇気……?」
あまりにも唐突に出てきたその言葉に、困惑する竜昇は思わずそうオウム返しのように同じ言葉を口にする。
とは言え、唐突と感じていたのは、あくまでも竜昇の視点においての話。
「はい、勇気です。
――なにしろ、私はあまり何かを怖がるということがないものですから。もちろん、辞書的な意味、言葉の意味としての『勇気』でしたらまあ知ってはいたのですが……。感覚……、あるいは実感とでも言えばいいのでしょうか……、世の人々が口にする『勇気』と言う言葉に対して、ある種の実感とでもいうべきものをどうしても感じることができずにいたのです」
そう言われてみると、確かにそれは何となく納得してしまう話だった。
『恐怖』を感じることがほとんどないから、その対極の感情である『勇気』がよくわからないというその理屈。
無論、人の感情と言うものが果たしてそこまで言葉通りに考えていいものなのかについては議論の余地があるだろうが、しかしこれまでの迫る危険について脅威とは感じていても恐怖を感じているようには見えなかった彼女の姿は、確かに勇気ある人間と評するのは違うように思える。
「そんな私が、昨晩『勇気』とはこういうものなのかと、初めて実感を持ちました。あの話し合いの中で、竜昇さんの答えを聞いた、そのときに」
「俺の、答え……?」
目の前を横切るように歩いた後、軽やかな動きでクルリとまわって向き直った静の視線に、竜昇は思わず困惑した声でそう問い返す。
そんな竜昇に対して静が口にするのは、どこか愛おし気な様子で語られる一連の言葉。
「あの時、正直に言えば私は竜昇さんはあの方たちを見限る決断をすると思っていました。
ですが、竜昇さんはその選択をしなかった。
あの方たちが詩織さんにしていたことを考えれば、怒りを覚えてあの方たちを見捨てる選択をしていてもおかしくなかったはずなのに、竜昇さんは私の予想していた、その道筋を回避した」
「――それは、……、違うよ。そんな立派なもんじゃない。あの時の俺は、そんな高尚な理由で、あの人たちとの合流を望んでいた訳じゃない……」
静による過分な評価に、遂に竜昇は耐えかねたようにそう自分の内心を告白することにする。
それほどまでに、竜昇には静から勘違いで評価されるというのは耐え難いものだった。
勘違いで評価されるくらいなら、落胆された方がまだましだと思ってしまうくらいには。
「――あの時、俺はあの人たちに怒りを覚えていなかったわけじゃない……。
俺はただ、その感情に流されたくなかっただけだ……。――怒りだの、憎悪だの……。これまで生きてきて、その手の感情に突き動かされて争う人間の話に枚挙に暇がなかったものだから、ただ自分は人としてそんな風になりたくないと、そんな風に思っていただけだ……!!」
実際にはそんな考えだって、別に竜昇の人生の中で決定的な体験があったという訳ではなく、ただニュースだの歴史だの、あるいはそれらを参照したフィクションだのの、自分とは無関係な場所で発生した話を耳にして、漠然とそう思っていたというそれだけの話なのだ。
高尚な理由がある訳でもない、大した背景がある訳でもない、あまりにも薄っぺらな竜昇の美学。
結局のところ、あの決断の裏にあったのは胸を張るにはあまりにも脆弱なその程度の理由だ。
そんなものを評価されても、当の竜昇にとってはただみじめなだけ。
そう、思っていた。
けれど。
「――だから、いいのではありませんか」
「――え?」
内心で何を言っているのだと思いつつも、それでも判決を待つ罪人のような気分で静の反応を覚悟していた竜昇は、しかし返ってきたその言葉に思わず顔をあげさせられる。
そんな竜昇にかけられるのは、先ほどと変わらずどこか楽し気な静の言葉。
「――だから、いいのですよ。竜昇さん。
――もしも竜昇さんが、他人のどんな行動でも許せてしまう聖者のような人間であったなら、その竜昇さんがあの方たちを許し受け入れたところで、それは竜昇さんが己の在り方に従っただけだと考えて、私は何も特別なことだとは思わなかったでしょう。
逆に私の思惑通りに、竜昇さんがあの方たちを見限る決断をしていたとしても、私はそれを当然の判断をしたとだけ考えて、やはりなんの感慨も覚えなかったかもしれません」
あるいはあの時、竜昇が争いを避けるためだけに誠司達の行為を容認するような、日和った判断をしていたならば、もしかしたらなんの感慨もないどころか、静を大きく失望させてしまっていたかもしれない。
そんな考えが頭をよぎった竜昇だったが、しかし昨晩から見ていた静の様子には、竜昇のありさまに失望したような印象は微塵も見られない。
かわりに見えるのは、どこか楽しそうでうれしそうな、そんな静の様子。
「――ですが、竜昇さんはそのどちらでもなかった。
竜昇さんは、あの方たちの行いに本気で怒りを覚えていて、それでもあの方たちを切り捨てるのではなく、共にこの先を進む道を選びとった。
本来ならば、感情のままにあの人たちを見限ってしまった方が、よっぽど楽な判断だったはずなのに」
「――!!」
「私が特別なものを感じたのはそこなのです。
あの時、竜昇さんはあの方たちをあの場で見放していたとしてもおかしくはなかった。
そうするだけの理由は既に目の前にあって、それをためらう理由なんて、少なくとも感情的な部分ではほとんどなかったはずなのです。
にもかかわらず、竜昇さんはそれでもあの方たちと共に征く道を選びとった。
あの方たちの行いに対する憤りを曲げることもなく、私を納得させるだけの理由すら示して見せた」
「それは……、けど、あんなのは……」
とっさになにかを言い返そうとして、しかし実際に言い返すその前に、不意に竜昇は自身が言われた一つの言葉を思い出す。
『希望を見た』のだと誠司は言った。
自らの死を前にして、かつて竜昇と対峙したときのことを思い出して、それでも彼は『希望を見た』とそう言ったのだ。
あの瞬間、死に瀕した誠司が何を思っていたのかは竜昇にはわからない。
彼が竜昇の中に何を見て、それを希望と考えたのか、それがわかるのは恐らくあの時の誠司ただ一人だろう。
けれどもしも、あの時の誠司と目の前にいる静が同じものを見ていたとしたら。
二人は一体、竜昇の下した決断のどの部分に何を見出していたのだろうか。
その答えがあるとすれば、それは――。
「一時の感情やその場限りの合理性に流されることなく、己を突き動かすものに逆らう心の力。
時に自らの信ずるもののために、先に待ち受ける苦難を知ってなお、自身にとって最も困難な道を征く力。
そういうもののことを、かねてより人は尊いものと信じて、きっと勇気と呼んでいるのです」
「――」
「あの時の判断が正しかったのかどうかは私にもわかりません。
ですが竜昇さん、貴方の下した決断は、間違いなく私は勇気ある決断だったとそう思いますよ」
その瞬間、胸の内からこみ上げるその感情を、竜昇は己の意地とプライドにかけて抑え込む。
なにしろまだ、竜昇は何も成し遂げられていないのだ。
たとえ決断そのものが賞賛に値するものだったとしても、至った結末は凄惨で、結局は二人もの死者を出した挙句、二人の敵を両方とも捕らえ損ねているという惨憺たるありさまだ。
こんな結末で胸を張ることなど到底できない。
たとえ他の誰かが許したとしても、他ならぬ竜昇自身の心が許さない。
けれどだとすれば、今この瞬間、竜昇はどんな言葉を口にするべきなのだろうか?
その決断によって二人の人間に光を見せて、けれど結果につなげることができなかった今の竜昇に許される言葉があるとすれば、それは――。
「――絶対、次は、死なせない……!!」
それはきっと、半ば負け惜しみのような決意の表明。
「次は、こうはいかない……。次はもう、こんな犠牲は出させない……。次こそは、もっとうまくやる……!!」
「――はい。それでいいと思います」
そんな竜昇に対して向けられたのは、やはりどこか満足そうな笑みを浮かべた静のそんな言葉だった。
「恥じないでください、ご自身が下した決断を。
満たされないでください、手が届かなかったというその結果に。
身勝手なもの言いなのはわかっていますが、私はともに行くなら、そんな竜昇さんと共に歩きたい」
「ああ……。ああ――!!」
そうして、なんとか返答した竜昇に満足したのか、前で向き合う静が満足そうにそっと背を向ける。
あるいはそれは、無理に前を向くことをやめて、感情を表に出すことを選んだ竜昇への、彼女なりの配慮であったのか。
「クソ……。クソぉ……!!」
見上げた天上に移された模造の夜空に星が流れて、同時に水浸しの施設の床へ新たな滴が数滴落ちる。
喪失の悔しさを噛み締めながら、今度こそ二人が連れ立って、共に前へと向かって歩き出す。




