174:彼女の罪科
渡瀬詩織は及川愛菜の手によって一度は殺されかけている。
それこそが、ここに来るまでに詩織が、遂に誰にも話すことができなかった最後の秘密だった。
白状してしまえば、詩織はただ乱戦に巻き込まれたというだけで仲間とはぐれてしまったわけではない。
詩織がはぐれてしまったのは、突発的に起こった乱戦のさなかに、隠形系のスキルを持つ愛菜が、他のメンバーも気づかぬ形で詩織をあの監獄の吹き抜けから下へと突き落としたことが原因だった。
『――なんで、私たちと同じにならなかったの――?』
隠形の隙間からわずかに見えた空虚な眼と、そして悲鳴のようなそんなつぶやきによって、奈落の底へと見送られる形で。
「――あぁあ、やっぱりかぁ……。まあ、そんなことだったんじゃないかとは思ってたんだよね……」
そんな詩織の告白に、瞳は困ったようにそう言って、上を見上げるようにしながら嘆息する。
恐らく彼女も、愛菜の様子などからなんとなくその真相を察してはいたのだろう。
察していて、それでも彼女はあえて真相を確かめるようなことはしなかった。
「他の――」
「ん?」
「他の二人、中崎君と理香さんは、そのことを知ってるの……?」
「さあ……。多分気付いてないんじゃないかな……。様子がおかしかったって言っても、あんたがいなくなった後ってことを考えれば別段おかしな話じゃないし、すぐにこの階層についてマナはあの通りになっちゃったからね……。
あんたの方は? もしかしてこのこともそっちの二人に話しちゃったわけ?」
どこか観念したような、諦めたような口調でそう語りながらも、瞳はどこか冷たさを感じる口調で詩織に対してそう問いかける。
それに対して、詩織は先ほどと同じように無言で、しかし今度は先ほどとは違って否定の意味を込めて首を横に振った。
そう、この事実に関して、遂に詩織は他ならぬ竜昇達にすら話すことができずにここまで来てしまっていた。
仮に打ち明けるなら、昨晩以上の機会などないとさえ言える状況だったにもかかわらず、それでもなお。
詩織自身話しておくべきだと、知らないままでいては問題になるかもしれないと、そう思っていたにもかかわらず、結局詩織は真相を打ち明けられないまま、今日というこの日のこの瞬間を迎えてしまった。
他ならぬ詩織自身がその理由をうまく言葉にできない、そんな状態のままで。
なぜ自分は竜昇達に打ち明けぬまま来てしまったのかと、そんな疑問を抱えたままの状態で、今詩織はここにいる。
「なるほどね。あんたの方にも、あたしらに復讐するような理由があるって言うのはよくわかったよ」
「違っ――、別に私は復讐したいわけじゃ――」
「――けどね、それでもあたしは、なにがあっても愛菜の味方をするって決めてるんだ」
そんな詩織に対して、瞳はいっそ微塵の迷いもないというそんな様子で、強い決意さえ感じさせる声音で詩織に対してそう言い放つ。
「……!!」
そのあまりの迷いの無さに、思わず詩織が息を呑む。
意地の悪い言い方をすれば、自分が守ろうとしていた相手の決定的な罪が暴かれた直後だというのに、瞳の中にはそのことを微塵も気にした様子が見られなかった。
まるでその程度のことでは、彼女の中でのスタンスは微塵も揺るがないとでも言わんばかりに。
「別に不思議がることでもなんでもないよ……。だってそうじゃない……? だって、マナをこのビルに連れてきたのは、マナをこの戦いに巻き込んじゃったのは、他の誰でもないこのあたしなんだから」
「ヒト、ミ……?」
「――あたしが誘った。あたしがこのビルの中で二人をくっつけちゃおうってそう言って、マナと沖田君の二人を、このビルの戦いに巻き込んだ――!! 沖田君がマナに気があることを知ってて、このビルに最初に入った時に、ここなら肝試しができそうってそう思って……!! それをセイジに話しちゃったから、そのせいであの二人は、この戦いに巻き込まれることになったんだ――!!」
話すうち徐々に感情が昂ってきたのか、声を荒げて瞳が胸の内に抱えた感情をさらけ出す。
それは、ずっと行動を共にしていたはずの詩織が初めて耳にする、馬車道瞳がビルの中でずっと抱え続けていたのだろう痛みを伴う感情。
「あたしのせいなんだよ。あたしのせいで沖田君はマナの目の前で殺されて、マナはそのことで立ち直れないくらいのショックを受けたんだ……!! あたしが二人を引き込まなければ、少なくとも二人だけはあんなことにならなくて済んでいた……!!
――だったらせめて、あたしだけでもあの娘の味方でいなくちゃ嘘だろう……!!
あたしのせいでマナがあんな状態になっちゃったんだから、せめてあたしくらいは、マナを……」
まだこのビルの攻略が始まったばかりの頃、瞳が身の丈に合わない武器を抱えて、それでも誰よりも真っ先に、襲い来る敵へと向かって行っていた。
その行動自体はお世辞にも褒められたものではない、それどころか他のメンバーとの連携を乱す、問題の方が大きい行動ではあったわけだが、それでもやはり、彼女にもそうした行動に走るだけの理由が、そうしなければならないと思ってしまうだけの所以がその胸の内にあったのだ。
自分が発端で人が一人死んでしまったというその事実が、生き残った自分の友人が、そのせいで心に深い傷を負ってしまったのだというその自覚が、彼女をあれほどまでに向こう見ずな、無謀と言ってもいいような行動へと駆り立てていた。
それこそ、マナを守るというその目的にそぐわない行動をとる人間が――。
マナを守るために役立つ重要な手段を秘匿していた詩織のことが、まるで許しがたい裏切りを働いた、敵のように見えてしまうほどに。
「あんたに愛菜のことを恨む理由があるって言うのはよくわかったよ……。あんたがこっちに戻ってこようとしない、あたしらを裏切った理由も、まあわかった……。
――けどさぁ、あんただってそもそもこっち側の人間だった筈だろう――!!
あんただって、そのご自慢の耳でこのビルがおかしいってわかっていながら、みすみすこんな事態になるのを止められなかった、こっちの側の人間だった、そのはずだッ――!!
なノになんでッ!! なんであんたは一人だけ……!! 自分には関係ないみタいなそんなツラして、一人だけそっチに乗り換えて、あたシらの前に立ってやガルッ……!!」
裏切りへの怒りを、同じ罪悪感を抱いてくれなかったものへの糾弾を武器へと込めて、再び激情に身を任せるようにして、瞳が詩織を目がけて突撃して来る。
詩織の中に、その手の責任感や当事者意識が欠落していたというのは紛れもない真実だ。
はっきり言って、このビルに入ってからの詩織は自分のことだけで精いっぱいで他のことにまで気が回っていなかった。
愛菜の苦悩にも、瞳の焦燥感にも気づかぬまま、無神経な行動で余計に彼女たちを追い詰めて、その結果として詩織たちの関係はあんな結末を迎えてしまった。
だとしたら、こんなことになってしまったのはやっぱり詩織が悪かったからなのだろうか?
もしもそうだとするならば、今こちらへと向かってきている瞳からの攻撃を、自分は甘んじて受け入れるべきなのだろうか?
そんな考えが、まるで追いすがって来るかのように詩織の背後から襲い掛かってきて――。
「――勝手なことばっかり言わないでよ――!!」
次の瞬間、そんな叫びと共に、詩織はこちらへと向かってくる瞳の懐へと自ら飛び込んでいた。
「――!?」
怒りに染まっていた瞳の表情に動揺が走り、とっさに瞳が体の前に鉄棍を構えて、その鉄棍へと詩織が振るった剣が激突する。
轟音が炸裂する。
とっさに斬撃を防いだ瞳の両腕に強烈な痺れが走り、同時に音の暴力が瞳の意識に強烈なまでの揺さぶりをかけてくる。
「――ヅ、ぅ――!!」
【音剣スキル】による轟音の効果は心理的な部分でも強烈だ。至近距離で轟音を叩きつけるこの技は、相手を怯ませるという副次的な効果をもその特性として兼ね備えている。
特に今回の場合は、瞳自身がこのタイミングで反撃が来る可能性を考えていなかったがゆえにその効果も絶大だ。
予想外の攻撃に、反射的に瞳が後退って距離をとり、それに対して詩織が容赦のない動きで即座に追撃をかける。
「私が止めたって、聞かなかったくせにッ――!!」
再び響く轟音。
よろめきながらなおも逃れようとする瞳に対して詩織は刃を切り返し、スキルによって染みついた、流れるような動きでもって左右から連続の斬撃を叩き込む。
「私が音のことを隠してた理由なんて、知りもしなかった癖に――!!」
思いの丈を――。
「私がどんな思いだったかなんて、何も知らない癖に――!!」
隠してきたすべてを――。
「私がここにいる理由だって、何もわかってない癖に――!!」
今度こそ全て瞳に聞かせて知らしめるために。
「知るかソんなもん――!!」
とは言え、同じような攻撃を何度も受け止めてくれるほど瞳も甘い相手というわけではない。
幾度かの斬撃のあと、剣を受け止めた瞬間に瞳が鉄棍を力任せに振るって、詩織の青龍刀を強引な動きで弾き返す。
【音剣スキル】の振動によって腕が痺れ、全力の怪力でというわけにはいかなかったが、それでも本来の瞳と大差ない、細腕の詩織の態勢を崩すには十分なパワーがあった。
だが力技によって態勢を崩させ、瞳が反撃に転じようと一歩を踏み出した次の瞬間、予想していなかった強烈な衝撃が瞳の腹部に突き刺さる。
(ぐ、ぶ……!?)
見れば、体勢を崩して、上半身が倒れかけたようなそんな態勢のまま、詩織が蹴りを放ってそれが瞳の腹部へと突き刺さっていた。
否、その態勢は倒れかけた状態のままというわけではない。
放った蹴りとは逆の右足、本来ならば軸足として地面を踏みしめていなければならないその足は、今は地面ではなく空中の、そこに展開した足場をしっかりと踏みしめている。
(空中ヲ走るための技を――、地面以外の場所ニ軸足を置くために使ってンのか――!!)
瞳が瞠目するその間にも、詩織の動きは止まらない。
蹴りに使った左足を戻すと見せて、しかしその途中の空中で足場を展開することによって踏みしめて、通常ではできない空中での体重移動で素早く足を入れ変え、今度は右足で瞳の頭部めがけて足刀蹴りを放ってくる。
「――ぐ、ぅ、ぁあッ――!!」
とっさに腕を盾にすることでそれを防いだ瞳だったが、蹴りは防げたとしても激突の音までは防げない。
【音剣スキル】の魔力によって拡大された蹴りと防御の激突音が瞳の耳元で炸裂し、連続で炸裂した暴力的な音の響きがそれを聞く瞳の意識にゆさぶりをかける。
(――ゥ、ッ――、まずい――!!)
とっさに左足のグリーブへと魔力を流し、瞳は自身の体重を消失させてその場を大きく跳び退る。
(――危ない、今のは危なかった……!!)
詩織から勢い良く距離を取りながら、内心で瞳はそう独り言ちる。
技の発動に失敗したのか、それとも手加減したのかは定かではなかったが、下手すれば今の一連の攻撃だけで、瞳は敗北していてもおかしくなかった。
なにしろ振動によって相手を構えた武器ごと叩き斬る【鳴響剣】に、武器同士のぶつかり合う金属音を拡大して相手に叩きつける【絶叫斬】と、詩織の習得する【音剣スキル】は防御破りの技が目白押しだ。
だからこそ、瞳はこれまで自分から詩織に打ちかかることはあっても、詩織の方から距離を詰められる事態はできる限り回避しようと心がけてきたし、接近戦を行う際にも詩織の剣の様子にはできうる限りの注意を払ってきた。
だというのに、今瞳は一瞬の油断からあっさりと距離を詰められて【音剣スキル】の技をまともにくらい、続く詩織からの攻撃に追い詰められることとなっている。
どういう訳か一発で行動不能に陥る事態は避けられたものの、もしも詩織が使っていたのが万全な状態の、【青龍の喉笛】の持つ増幅効果まで含めた最大威力の【絶叫斬】だったならば、その段階で瞳の敗北は確定してしまっていた。
(っていウかあいつ、なんで最大威力の“絶叫”を使ってコなかったんだ……? あの技って確か、【影人】が寄っテ来ちゃう以外特に弱点も制約もなかったハずなのに……?)
とっさの技発動だった故に万全な状態で放てなかったのか、それとも別の理由があったのか。
こちらを舐めていた、あるいは何らかの理由で手加減していたという可能性も考えたが、実際に目にしていた詩織はそんな様子でもない。
現に、空中へと逃げた瞳の後を追って、今も詩織は空中を駆けあがる形でこちらへと向かってきている。
「――チィッ、【加重域】――!!」
即座に空中で無理やり身を捻り、右手を向けて魔法を発動させた瞳だったが、しかし実際に魔法が発動したその瞬間には、もう詩織は瞳の背中側へ飛び込むように即座に魔法の効果範囲からの離脱を果たしていた。
もとより、空中に足場を形成できる詩織と違い、軽量化と筋力を駆使して飛び上がっているだけの瞳は空中であまり自由が利かない。
そのため、今詩織が行っているように左回りのコースで背後へと回り込まれてしまっては、右腕を詩織へと向ける前にどうしてもその動きを察知されて、【加重域】の効果範囲の外へとむざむざ相手に逃げられてしまうことになる。
残る手段は、瞳の右足のグリーブに設定されたもう一つの【加重域】の方だが――。
「――ッ、【加重域】――!!」
背後から詩織が距離を詰めてきたタイミングを見計らい、瞳は右足のグリーブに魔力をぶち込んで周囲をドーナツ状に押しつぶす魔法を即座に発動させる。
だが案の定そんな攻撃すらも、【魔聴】を持つ詩織はその感覚によってあっさりと察知して、重力の範囲に飛び込む寸前に足を止めその領域外へと飛び退くことであっさりと回避した。
回避して、そして即座にドーナツ状の【加重域】の外を上へと向かって駆け上がり始める。
恐らくは【加重域】を解除すれば即座にこちらへと飛び込み、解除しなければ上から発動した重力の助けを借りる形で斬りかかって来るつもりなのだろう。
(上を、取ラれる……!! ソの前に叩き落とサないと――。けどモう右手を向けテる余裕ハ――。右足の方ジャ範囲が――。でモ――。ナら――)
状況を打開する術を求めて、一瞬の中で目まぐるしい思考が瞳の中で渦を巻く。
【調薬増筋】の効果で決してまとまっているとは言い難い、焦燥に駆られて巡らせる必死の思考。
そんな思考を瞳は――。
(――ああ、もうッ――!! めんどくさい――!!)
次の瞬間にはあっさりと放棄して、考える代わりに自身の右手を勢いよく真上へと突き出した。
瞳の真上へと飛び込もうとしていた詩織の表情に、予想外の行動への驚愕と危機感が浮かぶ。
「【加重域】――!!」
その瞬間、真上に掲げられた右手から重力の魔法が展開されて、生まれた加重の力が宙にいる二人を容赦なく地上へと叩き落す。
もはや己を巻き込むことすら厭わぬそんな攻撃が、まるで二人の少女を咎めるように、空を行く力を奪ってその身を大地へと目がけて墜落させる。




