172:立ちはだかる理由
ことの発端になった静と理香の戦闘、それを察知したのは、やはりというべきなのか詩織の方が早かった。
なにしろ、詩織には【音剣スキル】の技術である【音響探査】があるのだ。
ホテルの方で響いた微かな爆発音は、聴覚を強化して警戒に当たっていた詩織の耳にたちどころに届いていたし、その距離故に魔力の気配や音までは感じられなかったものの、静から事前に戦闘に発展する可能性を示唆されていただけに、なにが起きたのかは考えるまでもなくすぐに理解できた。
ただし、詩織の方が先にその事態を察知できたからと言って、それで詩織が瞳に先んじて動き出せたかと言えばそういう訳でもない。
なにしろ詩織が動き出すその前に、天井付近から地上目がけて、誠司の召喚獣であるフクロウがまっさかさまに転落して来て、その衝撃でバラバラに壊れてしまったのだから。
「――これ……!! セイ、ジ……?」
案の定、その光景に瞳が顔色を変えて明確に異常を察知する。
誠司の操る【召喚スキル・剣獣】は、誠司が【触媒作成】の技術によって作り出したナイフを核に、さまざまな動物を模した召喚獣の肉体を作り上げて操れるという便利なスキルだ。
そのため誠司はこのスキルを偵察や戦闘時の追加戦力として運用していた他、パーティーのメンバーが別々に行動する際に個々の様子を伝えあうための連絡手段としても運用していた。
とは言え、いかに誠司の意思で一定の操作ができるとは言え、召喚獣である【剣獣】は人の言葉まで自由に話せるというわけではない。
一応、【剣獣】は術者である誠司との間で視覚や聴覚などは共有しているため、他のメンバーから誠司に対してならば、【剣獣】に話しかけることで十分に連絡することができるのだが、逆に誠司から他のメンバーにメッセージを伝えるにあたっては、言葉によらない別のコミュニケーション手段を事前に決めておく必要があった。
そして今回のフクロウ型の落下も、言ってしまえばそうした取り決めによる誠司からのメッセージの一つだ。
元々、便利なスキルである【召喚スキル】は、その代償とでもいうように術者の負担が思いのほか大きい。
これは、召喚獣そのものを維持するために相応の魔力を消費するという意味でもあるのだが、それ以上に大きいのが召喚獣を操る術者の脳の負担だ。
なにしろ、召喚獣と術者は視覚や聴覚の情報を常に共有しているのだ。
【召喚スキル】の使用中、術者は二つ以上の体をひとつの脳で操っているような状態であり、召喚獣の操作に意識を集中してしまえば、当然術者本人は自身の体の方がおろそかになり、自分の動きに集中できなくなってしまう。
一応の操作の方に関しては、魔本スキルの併用やスキルレベル上昇による慣れ、召喚獣をどこかに待機させるだけで動かさず、その間は自分の体の方に集中するといった解決策もあるにはあるが、その方法でも感覚情報の受信まではさすがにどうにもならない。
そうした事情から、誠司本人に何らかの事態が起きて戦闘などを行わなくてはならなくなった場合、自分の戦闘に集中するためにも一度召喚獣の制御を手放し、その消滅を他のメンバーに見せることでそれを伝える合図にすると、事前に取り決めを行っていた。
そしてそれを知る二人にして見れば、先ほどのフクロウの墜落と消滅は、まさしく誠司に何かがあったことを知らせる、緊急事態の合図だったのである。
「ねぇ……、詩織ィ……、こレどういうこトだと思う……? あンたなんか知っテるの? 今こノ階層で何ガ起きてるのカを……?」
みなぎる感情を無理やり押さえつけているような、まるで爆発寸前というような危険な気配を漂わせながら、まるで残された理性を振り絞るかのように瞳がそう問いの言葉を投げかける。
すでにその全身には【筋骨隆々】の赤いオーラが展開済み。
口調と聞こえてくる魔力の音から考えて、恐らくは【調薬増筋】によるドーピングのごとき強化も既に発動させているのだろう。
そして厄介なことに、筋力の強化と引き換えに理性の働きを弱めてしまう【調薬増筋】の影響は今回のような事態に際して間違いなく最悪だ。
理性を弱めてしまうということは感情的な行動に走りやすくなっているということであり、この状態の瞳ははっきり言って非常に沸点が低いのだ。
ともすれば受け答えひとつ間違えただけで、今の瞳詩織は彼女から攻撃を受ける事態にもなりかねない。
そんな自身の状況に、思わず詩織の痩身に震えが走る。
ある程度、この展開も予期していたつもりだったが、やはり実際にその状況に至って平然としていられるほど自分の臆病さは直っていないらしい。
それでも、決めてきた覚悟を頼りにどうにか体を支えて、詩織は手にした青龍刀、【青龍の喉笛】の感触を握る右手でそっと確かめる。
相手の瞳もすでに自身の武器である【如意金剛】を握っての、まさに一触即発の空気。
ただしそんな空気も、この場には読み取ることができなくなっている人間が二人存在していた。
「あれ、どうしたの二人とも怖い顔して……。もしかして喧嘩?」
「あん? 喧嘩だと……? おいおい、こんなところにまで来てなんだよいったい……」
二人の睨み合いをただの喧嘩と見なしたのか、近くで浮き輪を膨らませていた愛菜がその様子を見咎めて、続いて近くのデッキチェアの上で寝そべっていた城司がそれに反応して身を起こす。
このままなら二人のうちのどちらか、あるいは両方が割って入るだろうその状況に、詩織がそのまま水を差される展開を一瞬だけ期待しかけて――。
「――」
一つだけ息を吐いて、詩織は意を決したように素早く左手をパーカーのポケットへと忍ばせた。
「マナ、城司さん――」
呼びかけて、詩織はポケットに入れていた二枚の百円玉を二人の方へと放り投げる。
「――ごめん」
「――んぉ?」
「――え? あっ――」
弧を描いてそれぞれの元へと飛んでくる百円玉に、二人がそれぞれをそれを見上げて、反射的に受け取ろうととっさに手を伸ばす。
とは言え、もしも二人が現状を正しく認識できていたならば、二人ともそんなに迂闊に投げられたものを受け取ろうとはしなかっただろう。
あるいは、もしも瞳の理性が弱まっておらず、その意図に一瞬早く気付くことができていたならば――。
「――ッ!! まナッ、ダメ――!!」
「え――?」
だが時すでに遅く、叫んだ次の瞬間に跳んできた百円玉を二人が受け取って、同時に二人の体がほとんど同時にビクリと跳ね上がる。
詩織が二人に投げた百円玉、それに仕掛けられていたのは、事前に竜昇が人一人を気絶させられる強さに威力を調節した【静雷撃】の電撃だ。
今回詩織は、武器というよりも緊急時に精神干渉を受けた二人を気絶させるための装備として、硬貨という薄くて携帯しやすい形状の物品に【静雷撃】の魔法を仕込んでもらい、持ち込んでいた。
当然、現状を正しく認識していたならば、特に愛菜などは詩織からの物品など迂闊に受け取らなかっただろうが、しかし現状を正しく認識できていない彼女らはなんの警戒もせずに硬貨を受け取り、そこに仕込まれていた電撃によって意識を失うはめになった。
城司はデッキチェアの上に、マナの方はプールサイドのその場所で、崩れ落ちるようにして――。
「マなァァァアアッ!!」
――と、倒れ込む友人の姿を目の当たりにして、瞳が血相を変えて倒れ込むマナの体を受け止めるべく走り寄る。
放っておけば、もしかしたら倒れた拍子に頭を打つなどしていた可能性もあったかもしれないが、幸いにして詩織がそのことに気付く前に瞳が愛菜の元へと到達し、倒れる彼女の体を優しい手つきでしっかりと受け止めた。
間に合ったことにホッと一つ息をついて、直後に瞳が詩織に対しあらん限りの殺気を込めた視線を投げつける。
「しオリィ……、あんた、マナにいっタい何をした……!? 自分の仲間諸共……。あんたいったいどういうつもりだ……!!」
「――二人とも、ただ気絶してるだけだから、そこは安心していいよ……。あと、寝かせるならそこより、そっちのプールから離れたデッキチェアの方がいいと思う」
こうなる前に伝えておいた、水を利用するこの階層のボスの存在を念頭に置きながらそう指摘すると、瞳は今にも襲い掛かって来そうな目で詩織を睨み付ながらも、自身と愛菜の体を魔法で軽くしてその場を飛びのき、詩織が指し示したものよりさらに遠くのデッキチェアへと愛菜の体を横たえる。
その様子に少しだけ胸が痛むのを感じた詩織だったが、しかし直後にこちらへと跳躍によって戻って来る瞳の姿を目の当たりにしたことでそんな罪悪感の存在を無理やり頭の中から追い出した。
詩織の眼の前へと、先ほどよりもいっそう激しく、赤いオーラを纏った瞳が着地して、そして今度こそ言い逃れは許さぬとばかりに詩織を問い詰めた。
「ドういうよ、ねぇ、シオリィ……!! あんタいったい何のつもリで、マナのことを気絶させるようナことをした……!!」
「……私と瞳が本気で戦うとなったら、二人には迂闊に動かないでもらった方が都合がいいでしょ……」
「……ナんだって?」
震えだしそうな体を必死に意思の力で抑え込みながら、それでも詩織は正直に自身の意思と立場を表明する。
思えばそれは、友人の意思に対して詩織が初めて真っ向から対立した、対立の意思をはっきりと口にした、そんな最初の瞬間だったのかもしれない。
もはや言い逃れも誤魔化すこともできないとそう考えながら、それでも詩織は自分の中で決め来たことを意識して言葉の続きを口にする。
「中崎君になにかがあったと知ったら、ヒトミは多分マナを抱えてでも、何としてでも中崎君の元へ駆けつけて合流しようとする……。もしかしたら、途中でマナをどこかに隠したり、そういうことはするかもしれないけど……。それでも最後には必ず中崎君の元までたどり着いて、中崎君に加勢してその相手を殺そうとする……」
それは戦術や戦略という以前に、瞳の性格を知る詩織であれば容易に予想できる、そんな展開だった。
無論、そのために瞳が愛菜の存在を蔑ろにするとは思わないが、それでも誠司に危機が迫っていると感じたら、彼女は何としてでも彼の元へと駆けつけ、そして加勢しようとするだろう。
それこそ、詩織の知る彼女が今までずっとそうしてきたように。
誠司を守るために駆け付けて、そのうえで彼女は誠司と相対しているだろう竜昇を、今度こそ叩き潰そうと動くだろう。
「――けど、それをさせるわけにはいかないから……。戦いが始まってるって言うのなら、その決着がつくまでは……。二人が戦ってるはずのその場所にヒトミを行かせるわけにはいかない……!!」
自身がここで果たすべき役割として、そしてそれ以上に、自分自身の一つの決意表明として、詩織は瞳に対して強がりながらもはっきりとそう宣言する。
今ならばはっきりとわかる。
これは本来、詩織が自分で決着を付けなければならない問題なのだ。
一応、現状では静にかけられた疑いなど、もうそれだけの話とは言えなくなってはいるわけだが、それでも根本にあるのが詩織と他のメンバーとの間の問題であることは疑いの余地がない。
そしてそうである以上、最低限この場での決着だけは、詩織は他の誰かに譲り、押し付けてしまうわけにはいかない。
すでに竜昇と静の二人には、十分すぎるほどの重荷を引き受け、背負ってもらっているのだから。
ならばこの二人との、馬車道瞳と及川愛菜の二人との決着だけは、他ならぬ詩織自身が自分でつけるべきだろう。
だから詩織は、今この場で馬車道瞳の前に立ちはだかることを厭わない。
「……ああ、ソう……。良く、わかったヨ……!!
――要するニあんたはあたしたちじゃなクて、あいつラの側につくって言うんダろう……!? あたシたちを裏切って、あたしたちのコとを敵に回して……!!」
「――敵になんて回らないよ。私は、みんなの敵になんかならない……」
「こノ期に及んでまだ……、わけのわかンないことばっカり……!!」
ギリギリと歯を食いしばって、しかしその直後、瞳の五体から力が失せる。
「――ああ、もういいや……。
――めんどくさくなっちゃった」
まるで悪い癖のような、これまでにも何度か口にしていたその言葉を口にすして、直後に瞳の装着した胸当てが輝きを帯びる。
背中側から魔力でできた筋肉の繊維が伸びてきて、細身と言っていい瞳の体を、太くたくましいものへと変えていく。
「あんたガそういうつもりダって言うんならさぁッ、それならそれで、あたしの方モもういいよ」
馬車道瞳の誇る三重強化、その最後の一つである骨と筋肉の外骨格に身を包み、その形相を凶暴なものへと変えて、馬車道瞳が力の限りに吼え猛る。
「あんタのことも、他の奴らも、これまでの奴らト同じように……!!
みんなマとめて、あたしがこの手で潰すかラ――!!」
そうして、理解を投げ出すようなそんな言葉と共に、最後戦端が開かれる。
彼方で暗雲が垂れこみ始めるその中で、かつて友人だった二人の少女が激突する。




