150:現れた標的
誰もいないウォーターパークの中を二人の少女が駆け抜ける。
会話を交わしていた休憩スペースを出てマッサージコーナーがあった一帯を走り抜け、ゲームコーナーを素通りしてその先の売店へと駆けつける。
送られてきたクエストメッセージ、その内容は、予想通りというべきか【決戦二十七士】の一人とされる人物の討伐クエストだった。
討伐対象として添付されていた写真に写っていたのは褐色の肌をした大柄な男で、その肌のあちこちに入れ墨のようなものが刻まれているという、特徴的な外見をした相手である。
表記されていた名前はアパゴ・ジョルイーニ。
その名前聞きなれない響きと言い外見と言い、これまでの二人以上に、静達との文化的価値観の違いを強く感じさせる男だった。
「詩織さん、音の方は?」
「まだ何も聞こえない。少なくとも店内には出てきていないと思う」
店の入り口から中を覗き込みながらその答えを聞いて、静はすぐさま店内へと武装したままで滑り込む。
周囲に一定の気を配りながら素早く店内を確認し、やがて隅にあったバックヤードの入り口を見つけ出す。
「詩織さん、あそこが?」
「うん。地図にもあったバックヤードの入り口。あの裏は三階建てになってて、一階の搬入口とこの階の売店、あとは三階にある展望食堂につながってたはず……」
地図でしか地形を知らない静に対して、一度隅々まで竜昇と施設全体を見て回っていた詩織が、そう記憶の中の知識を提供する。
敵の出現の一報を受けた直後、静達が取った選択は、問題のアパゴなる人物のところまでできうる限り早く駆けつけ、接触するというものだった。
現在のところ、この敵が何を目的としてどういった経緯でこの階層に現れたのかは不明だが、しかし相手の目的がなんにせよ、静達にしてみてもこの相手と接触は避けては通れない問題だ。
厄介なことにこの階層は事実上の閉鎖状態で他の階層に逃げるという手は使えない。
それでなくとも、この【不問ビル】についてこの相手から話を聞き出すという静達の目標を考えるなら、まずはこの相手と接触して会話を試みるなり捕獲するなりする必要があるのだ。ならば、現れたこの相手から逃げたり身を隠したりする意味は現状では薄く、むしろ何かを始められてしまう前にこちらから出向いて主導権を握った状態で接触するべきだろうというのが静の考えだった。
加えて、現状ではもう一つ、誠司たちむこうのパーティーの問題もある。
スキルシステムに【決戦二十七士】への敵意を植え付けるための仕込みがあるという、その事実を誠司たちにも伝える決断を下した静達だが、しかしその通達を行う予定だったのは今夜のことで、現状ではまだ静達は、誠司達に対してこの植え付けられた敵意の存在を知らせることができていない状態だ。
そんな状態であるから、もしも静達より先に誠司たちむこうのメンバーの誰かがこのアパゴなる人物と接触してしまった場合、敵意を植え付けられているという自覚のない彼らがアパゴに対して、問答無用で攻撃を行ってしまう可能性は決して無視できないのだ。
一応静達の方でも、【決戦二十七士】の存在と彼らを捕縛することの意義は誠司たちに伝えてあるつもりだが、植え付けられた敵意の存在に無自覚な彼らが、実際にアパゴを目にした際にどんな行動を起こすのかという点については、一概に断言できない予断を許さない状況にある。
それ故に、今静達が求めているのは、不確定要素である誠司たちよりも早いアパゴとの接触だ。
静達が先にアパゴと接触しておけば、仮にこの相手が話し合いの通じる相手だった場合交戦のリスクを事前に下げることができるし、仮に交戦状態になったとしても、誠司達がアパゴに対して必要以上の危害を加える事態を防止することもできるだろう。
幸い、一度施設全体を見て回っていた甲斐あって、写真に写る場所がこの階層のどこにあるかは詩織の方で見当がついていた。
ウォーターパーク内にいくつも設けられている飲食店や各種売店、聞くところによると、それらの見せの奥には共通のバックヤードのような場所が存在しているらしく、詩織によるとアパゴが映る写真の周囲の景色は、このバックヤード内のどこかではないかとのことだった。
「ホテルにまでつながっていないのが救いと言えば救いですね。あそこは何かあった際、城司さんや及川さんを匿うのに使う手はずになっていましたから」
油断なくバックヤードへとつながる扉付近を確認しながら、静は小声で、近くで耳を済ませる詩織に対してそう囁きかける。
対する詩織の方も、緊張した面持ちで油断なく耳を澄ませながら、静の持つスマートフォンに映っていた光景から大体の場所を推測して伝えてくれた。
「写真の後ろの方に写っていた扉、たぶんあれ、バックヤードの各階にある非常口のどれかだと思う……。どの階にも同じような場所に、多分外の非常階段に繋がる非常口があったから」
「なるほど、まあ、この不問ビルの中で外につながる非常口なんてありえませんからね……。外につながる代わりに、上下の階層につながる扉にもなっているということですか……。となれば、このアパゴさんが現れた階も一番上と一番下が怪しいですね」
これまでの階層が、どの階層でも上の方の階に出て、下の階を目指す形をとっていたことを思い出して、静はとりあえず写真の人物が出現した場所を三つのうちから二つに絞り込む。
可能性としては、下の階から来た可能性の方がハイツの例を考えると高そうだったが、しかし本当に彼らが下の階から上を目指しているのかは定かではないため断定はできそうになかった。
とは言え、どちらかを調べなくてはならないならまずは可能性が高い方を当たった方がいい。
「下の階から調べます、詩織さんも十分に注意してください。戦闘に発展する可能性が高いのはもちろん、音や魔力の探査に引っかからないなんらかのトラップを仕掛けている可能性もゼロではありませんから」
「わ、わかった」
自身と詩織に【剛纏】と【甲纏】の二つのオーラを纏わせて、その魔力の気配を【隠纏】で隠しながら、静はひとまず思いつく可能性をあげて詩織に対して注意を促す。
これまでそういった展開がなかったというだけで、相手が人間ならば敵との接触に備えて何らかのトラップを仕掛けているというのはありうる話だ。
見かたを変えれば最初にハイツと戦闘になった際、彼が階層中に仕掛けていたあの鎖を出現させる魔法陣もその類と言えるかもしれないし、聞くところによると誠司たちもあのホテルとその終点に何やら仕掛けを施している節がある。
ならばこの先で、自分たちの探す相手がなんらかのわなを仕掛けていたとしても静は何ら驚くには値しないと思っていた。
「では参りましょう」
二人で武器を携え、売店内部にあるバックヤードの扉から中へと入ると、静は周囲を見渡して素早く人や不自然なものがないかを確認する。
バックヤード内部は、いくつもの棚や表に出ない商品などが段ボールに入れられて置かれていたが、少なくとも見た限りでは人影や異常な物品が存在していないようだった。
注意深く周囲を見渡し、今いる二階にある件の非常口を一応確認してから、今度は下へと向かう階段を探して視線を巡らせる。
「おや、階段の位置は――」
「あそこの荷物の影。ここからだと見えなくなってるけど、奥にはエレベーターもちゃんとあるよ」
「流石にエレベーターを使ったということはないでしょうし、ひとまず階段の方から下に向かいましょう」
頷き合い、そのまま二人で階段へと向かい下に下りる。
息を殺し、注意深く周囲を警戒しながら非常口へと向かった静達だったが、しかし生憎と下の階には誰かが現れたような痕跡は残されていなかった。
ならばと引き返し、今度は三階の非常口へ向かってその場所を確認すると、ようやく静達はこの場に誰かがいたらしい、そんな痕跡を発見することとなった。
量はわずかながら、床へと落ちた微かな血痕という形で。
「これは――、怪我をしているのでしょうか……?」
「さっきの写真じゃよくわからなかったけど、昨日一通り見た時はここに血痕なんてなかったと思うよ」
詩織の証言に、詩織はふむと口元に手を当てて状況を精査する。
残念なことに、恐らくはアパゴがこの階層に到達した際にあけただろう扉は、すでに固く閉ざされてびくともしなくなっていた。
扉自体になんらかの細工をしていた様子もないから、恐らくはアパゴ自身が自分で閉めてしまったのだろう。一応静としても、別の階層へとつながる扉をわざわざ自分で閉ざしてしまった点については疑問を抱いたのだが、しかしその疑問についても、残されていた血痕の存在を考えれば一定の説明がつく。
「もしやこの方、敗走してきたのでしょうか?」
「え、敗走……?」
上の階層で何者かと戦闘になり、ちょうど静達と出会ったハイツがそうしたように敗走を余儀なくされた問題の人物が、追撃を恐れて扉を閉じてしまったのだとすればこの状況にも納得できる。
送られてきた画像を見た限り問題の人物はハイツとは別人のようだったが、しかし実際に静達がハイツを敗走に追い込んだように、同じようにどこかで【決戦二十七士】を敗走にまで追い込んだ者がいたとしてもおかしくはない。
加えて、そう考えれば送られてきた写真に写るこのアパゴという男の、その格好の問題にもある程度説明がつく。
肌の色やその肌に刻まれた入れ墨など、特徴的な外見をしたこのアパゴという男だが、しかしそれとは別の意味で目を引いたのはその服装の傷み具合だった。
そもそも、アパゴの肌に入れ墨があるという事実にしたところで、表に出ていた彼の顔の他に、明らかに破れてなくなったと思われる服の袖から、彼の腕が露出していたがゆえにわかった事実である。
それ以外にも、【決戦二十七士】が共通して羽織っているマントなども、以前見たハイツやフジンのそれと比べて随分とボロボロになっていたし、ところどころ焼け焦げたのか黒く変色しているところさえ点在していた。
最初見た時は、過酷な戦いの中に身を置いていればそうなるだろうと思っていたのだが、残されていた血痕や、ハイツと違い上の階から来たらしいことを考えると、強敵と遭遇して手痛い攻撃を受け、この階層へと撤退してきたというのが正しいのかもしれない。
「それにしても、肝心のこの人は今どこに行っちゃったんだろう……。ここに来るときもそれらしい音は聞こえなかったし……」
「恐らく、この場所で何らかの応急処置を行ったのでしょう。残されていた血痕は恐らくその時のものですね。私なら、手傷を負った状態で敵を振り切ったと判断したならまずそうします」
そう言いながら、静は扉から血痕、血痕からバックヤードと店舗を繋ぐ扉などに視線を移して言葉を続ける。
「そうして応急処置が終わったなら次は移動です」
「怪我をしているのに、じっとしていなかったってこと?」
「ええ。なにぶんこの場所は他の階層に通じる階段の近くですし……。いつ敵が出てくるとも分からないこのビルの中での判断と考えれば、まずは応急処置だけして、次に体を休められるところを探して探索を始めたというのは妥当なところでしょう」
言いながら、静はバックヤードの扉、その前まで注意深く先行して歩を進める。
静達が遭遇しなかったことから考えても、問題の人物はどうやら階段を使わなかったようだ。
あるいは、単純に階段を見つけられなかったのかもしれない。
見れば、この階の階段も二階の階段同様、階段へとつながる出入り口が積み上げられた荷物に隠れて若干見えにくくなっている。奥にエレベーターがあるのは見えているが、しかしもしもこの相手が昨夜誠司たちが予想していたようにファンタジックな異世界の人間だとするならば、そもそもエレベーターなどというものを知らず、そこにあるものがなんであるか判断できなかったのかもしれない。
(まあ、それは今考えることではありませんね。今はともかくこの方の行方を追跡しないと……)
そう思い、背後についてきていた詩織と視線を交わして静は扉の向こうへと歩を進める。
聞いていた通り、三階にある食堂の、恐らくはその奥にある厨房へと出た二人が、周囲に注意しながら再び周囲の探索を再開する。
やがてその厨房も抜けて、二人がたどり着いたのは大きな食堂。
どうやらプールに面して巨大なテラスになっているらしいその食堂は、広さだけならばホテルにあったそれよりもはるかに広く、一番外側の席に座ればベランダ状の柵で区切られているだけのそこからプールエリアが一望できるようになっていた。
よく見れば、最初に静達がたどり着いたウォータースライダーの高台も柵の向こうに見えている。
「詩織さん、周囲に敵がいるらしい音はしていますか?」
「……ううん。やっぱりこの辺にはまだ誰もいないみたい。あっちにあるお客さん用の階段から下に下りたのかな……」
「可能性は高いですが、だとすると少々厄介ですね……。あそこを下りると、さっき通ってきた売店のプール側の出口がありますから行き違いになった可能性がありますし、なによりプール側に進んでいた場合、先口さん達のパーティーと遭遇する確率が高くなってしまいます」
否、下手をすると既に遭遇している可能性もあるかもしれない。
そう考えたその瞬間、静のその懸念が的中したことを示すかのように、聞き逃しようもないほどにはっきりとした爆発音が、恐らくは同じ原因によるものだろう水柱と共に二人の耳目に届いてくる。
誰の目にも明らかな戦闘開始の合図が、これ以上ないほどの派手さでプールエリア全体へと響き渡る。




