145:秘密への対応
浴場内に再びの静寂が訪れる。
なぜそんな大事なことを黙っていたのかと、そう問いかける詩織の言葉。
それが聞く相手の半端な回答を拒絶して、そうして生まれた沈黙を、当の詩織の声が再び破る。
「――ねぇ、なんでッ……? なんでそんな大事なことをみんなに黙ってたの……? 静さんは、竜昇君達からこんなに信頼されてるのに、その信頼を裏切るような、こんなこと――!!」
「いや、ちょっと待ってくれ、詩織さ――」
と、詩織の言葉を聞いて竜昇が慌てて彼女を止めようとしたその寸前、驚いたことに当の静が片手をかざして待ったをかけた。
同時に口にするのは、詩織からの追及に対して特に反発した様子もない、かと言ってさして悪びれた様子もない、いつもの口調でのこんな言葉。
「スキルシステムの秘密について、判明した段階ですぐにお伝え出来なかったことについては申し訳ありませんでした。なにぶん、伝えても大丈夫なのかどうか自信が持てなかったものですから」
「自信が、持てなかった……?」
「はい。私は自分の感覚をあまり信用していません。自分という人間がズレていることを、誰よりも私自身が自覚していますから。私が何も感じていないだけで、他の方々にとってはこの事実が受け入れがたいものであるという可能性を、私はつい先ほどまで捨てきれずにいたのです」
「……!!」
彼女にしては珍しい、若干弱気にも聞こえるそんな告白に、対する詩織の方も若干たじろぎ、動揺した様子を見せる。
小原静という少女は自身の異常性に自覚的だ。
常人とは隔絶したメンタルの強さを誇り、それゆえに見ようによってはデリカシーにかけるとも言えてしまうこの少女は、自身の精神構造が異常なものであることを誰よりも彼女本人が理解している。
彼女が言った、『自分の感覚を信じていない』というのも、言ってしまえば静自身にそうした自覚があったが故の発言なのだろう。
「加えて言えば、スキルシステム自体に習得者をそういった精神状態に陥れる、なんらか仕掛けがないかを疑っていたというのもあります。なにしろことが洗脳でしたから、いったい自分たちがどういう記憶を植え付けられていて、どのような思考に誘導されているのか、きちんと見極めたうえでお伝えしたかった。
なにより、恐らくこれは【不問ビル】の秘密を暴くうえでかなり重要になって来るだろう情報です。それだけに、伝えるこの段階で躓く自体はできうる限り避けたかった」
「で、でもッ。それでも、みんなにはこのことを、早いうちに伝えておいてくれるべきだったんじゃないの――!? じゃないと、誰かがスキルを習得したり、スキルのレベルが上がったりしたら余計に状況が悪くなるのに……」
「……ええ、そうですね。スキルの影響がどの程度のものなのかは定かではありませんが、万全を期すならばこれ以上スキルの習得を進めない方がいいのは確かでしょう。いかに私達に精神干渉への耐性があるとは言っても、スキルシステムはその耐性をすり抜けてきているわけですから……」
「だったら――!!」
「――ですから、私がこのことに気付いてからは誰にもスキルを習得させていません」
きっぱりとそう言って、静はお湯から上がると、乾いた場所に畳んでおいてあった自分のパーカーを拾い上げ、おもむろにそのポケットを探り始める。
そうして取り出されるのは、詩織だけではなく竜昇にとっても予想外の代物。
「ん? それって……!!」
「私がスキルシステムの存在に気付いたその後にドロップしていたスキルカードです。一枚は昨晩私が頂いた【盗人スキル】で、もう一枚は一つ上の階層でドロップした【殺刃スキル】になります」
「なっ、【殺刃スキル】――!?」
驚きつつ、差し出されたそれらを手に取り、確認してみると、確かに見覚えのある【盗人スキル】のカードと、こちらは初見ながらも絵柄で効果がわかりやすい【殺刃スキル】のスキルカードで間違いないようだった。
「まさか、あの監獄の怨霊からドロップしたものをそのまま隠し持ってたのか……!? ……それに、【盗人スキル】も……。いつもスキルをすぐに習得する静が、むこうの承認が得られた後もなかなか習得する様子がないから妙だとは思ってたけど……」
静のあまりにも大胆な行動を推察して、竜昇は驚きと呆れに駆られるように思わず自身の額を手で押さえる。
竜昇自身、いつもなら自分が習得すると決まったらすぐにスキルを習得する静が、昨夜に限ってはどういう訳か、いつまでたっても【盗人スキル】を習得する様子が無かったことに疑問を持ってはいたのだが、どうやら彼女はあのままスキルを習得せずに、カードそのものを秘匿していたらしい。
恐らくはスキルシステムの真相について話せると判断できるまでの時間稼ぎだったのだろうが、それにしても大胆に過ぎる。
特にスキルカードの秘匿など、状況によっては他のパーティーメンバーとの間に亀裂を生みかねない危険な行為だ。
とりわけ【殺刃スキル】の秘匿については、静が習得する予定だった上に役立つ見込みの低い【盗人スキル】と違い、その有用性の高さが知られているだけにリスクが高い。
最悪の場合、生存のための生命線になるスキルを、自分勝手な理由で着服していたのだと、そう捉えられてしまう恐れすらあるのだ。
そしてそんなリスクを、まさか静が理解できていなかったとは、竜昇は思わない。
(にもかかわらず、そんなリスクを冒してまでスキルを隠していた理由なんて、それこそ聞くだけ野暮って奴だよな……)
恐らくそれらのリスクを、全て呑んだ上でそれを背負い込んでいてくれたのだろう。
そこでふと、竜昇は仮に自分が、静が【盗人スキル】を習得せずに、そのまま保持していることに気付いてしまっていたらどうなっていただろうと考える。
その場合、考えられるのは竜昇に対して事情を話すという選択肢か、あるいは忘れていたとでも言って、その場で【盗人スキル】を習得してしまうかの二つに一つだ。
昨晩の段階で、静がそうなったときにどちらを選ぶつもりでいたのかは定かではないが、もしも後者だった場合、それはそれでやはりリスクが高い。
見たところ静自身は、件のスキルシステムに組み込まれた精神干渉の影響をそれほど受けていないように見えるが、それでもスキルに何が仕込まれているかわからなくなってきた今、さらに追加でスキルを習得する事態はできる限り避けた方がいいのもまた事実だ。
そう考えると、今回の件で静の奮闘に気付くことができなかった竜昇としては、余計な勘の良さを発揮して、静がスキルを習得せざるを得ない事態に追い込んでしまわなかったというその点だけが、唯一自身に対して評価に値すると言える点かもしれない。
(――まったく、なんて情けない話だ)
そうして、竜昇が自らの不甲斐なさに心中で嘆息していると、同じように静の密かな奮闘を察したのか、詩織が迷いのにじむ表情でその唇を震わせる。
「静さんが、私たちのためにいろいろ考えて、手を打っていてくれてたって言うのは分かったよ」
それは理屈ではない感情に満ちた、それも怒りよりも怯えのような色が混じった、そんな言葉。
「……でもッ、それでも私は、やっぱり静さんに嘘を吐いたり、何かを隠したり、竜昇君を裏切るようなことはして欲しくなかったよ……。勝手な話かもしれないけど……、私が言っていいことじゃないのかもしれないけど、それでも――」
(――、ああ。そうか)
その言葉に、ようやく竜昇は詩織がなぜこうも静が行っていた情報の秘匿に対して過剰に反応していたのか、その理由をようやくと言っていい遅さで理解する。
本来なら、竜昇はもっと早くこのことに気付いていてもよかったはずなのだ。他の誰でもない、上の階で、詩織の口から直接その叫びを聞いていた竜昇だけは。
「――そのことなんですけど、詩織さん。確かに今回、静は自分が気付いた事実を隠していました。けど俺は、そもそも最初から、それが裏切りだなんて思っていないんですよ」
「――え?」
言葉に詰まる詩織にそう声をかけると、詩織はまるで驚いたような表情で竜昇の方を見返してくる。
ただしその表情の中に、竜昇の言葉に反発するような、そんな感情は見られない。
そのことを見て取って、竜昇はいよいよ自身の考えに確信を持つ。
(要するに、なにかがあったって言うことなんだろうな)
詳しく事情を聞いたわけではないが、それでもこうして接していれば、その様子などからある程度読み取れることがある。
恐らく詩織には、自らの隠し事に端を発したなにかの経験があるのだろう。
それが事実上トラウマのようになっているから、だからこそ彼女は他人のものであろうと秘密や隠し事というものに甲も敏感に反応してしまう。
恐らく詩織の中では、秘密や隠し事というものはそれただ一つで人間関係を崩壊させかねない絶対のタブーのような認識になってしまっているのだ。だからこそ、今回の静の情報の秘匿によってこのパーティーの関係性が壊れることを、もっと言えば竜昇が静に対して不信感を持つことを危惧している。
そしてそうとわかれば、今この場で竜昇がするべきことはただ一つだ。
「俺は別に静が何を隠していたところで、それで自分が裏切られたとか、そんな風に受け止めるつもりはありません。静には静の、彼女なりの理由と判断があって、それで気付いた事実をいったんは秘密にするという選択をした。
――それは、俺だったらしなかったような判断かも知れないけれど、後々になって考えてみれば、間違った判断だったのかも知れないけれど……。そうだったとして俺は、静がその方がいいと、そう判断したんだって言うそこだけは、最初から疑うつもりはありません」
今この場で、竜昇がするべきことは単純だ。
静の行った情報の秘匿という選択に対して、竜昇自身のスタンスをきっちりと表明することにより、詩織の中に存在する危惧と、ある種の思い込みを解消する。
なにも詩織は、彼女自身が静の選択に怒りを感じているわけではないのだ。
先ほどからの彼女の言動も怒りというよりも、どちらかと言えば危機感に駆られての発言と見た方がいいだろう。
そしてそうだとするならば、そんな彼女の危惧もまた、たとえ過剰な反応だったとしても責められるべきものではない。
「これは静だけじゃなく、他の誰が相手でも同じことです。いやまあ、流石に、誰もかれもが自分のために動いてくれると思っているわけじゃありませんけど……。でも、たとえ俺達のためにならない、場合によっては不利益をもたらしてくるような行動だったとしても、それはその人なりの、何らかの理由や判断があっての行動なんだろうと、俺はそう考えるつもりでいます。
少なくとも、誰かが何かを隠していたからと言って、それを悪意あってのものなんだと、そんな風に考えるようなことはしません」
「……………………そっか」
しばしの沈黙の後、そんな微かな声と共に、詩織はどこか安堵したような声で目を伏せ、直後に両手で顔にお湯をかけて顔を洗う。
「――ああ、もう、情けないなぁ……。ホントは二人に比べたら、私の方が一つ年上の筈なのに」
「いえ、こういうのに歳は関係ないでしょう。いや、まあ人生経験って言う意味では、少しは関係があるのかもしれませんけど……」
何かをごまかすような詩織の言葉に、できるだけ適当な感じで答えを返しながら、一方で竜昇は脳裏で一つのことに考えを巡らせる。
あくまでも推測ではあるが、詩織の様子からかつてあったのだろうと考えられる、彼女が何かを秘密にしたことで起きた誰かとのなにか。
気になるのは、それは果たしていったいいつ、誰との間に起こった出来事だったのかということだ。
とは言えこの問題に関しては、いくらなんでもそうそう気軽に、半端な覚悟で踏み込んでいい問題とも思えない。詩織自身に話す意思があるならばまだ話は変わって来るが、そうでないならば、こうした問題は部外者が軽々しく口出ししていいものでもないだろう。
ただ、そう思う一方で考えてしまうのは、もしやそのなにかの出来事というものが、ごくごく最近、誠司たちむこうのパーティーとの間に起きたことだったのではないかということだ。
仮にもしそうだとするならば、竜昇達が向こうのパーティーに感じている違和感も、ひょっとするとその出来事に端を発している可能性もゼロとは言えない。
もしもそうだとしたならば、果たしてそれは問うた方がいいことなのか。
答えは出ない。詩織自身が話してこない以上、彼女が口にするのをためらう何らかの理由があるだろうと、軽はずみに踏み込むような真似もできないと、そう思ってしまうが故に。
思考が堂々巡りを繰り返す。果たして自分は、詩織に対してどんな対応をするべきなのだろうかと。
「――さて、ひとまず話はまとまったようですし、そろそろ話を本題に戻したいのですがよろしいでしょうか」
と、静がそんな風に呼びかけたのは、そうして竜昇の思考が出口の見えない迷宮に迷い込みかけていたときのことだった。
竜昇としては、直前の話題が話題だっただけに、静のそのあっさりとした物言いには多少なりとも思うところがないではなかったが、話を円滑に進めるためにもここは何も言わないことにした。
同じく詩織の方も、直前までの自身の様子に触れずに話を進めてくれるのはありがたいと思ったのか、静の様子にも特に反発することなくむしろ率先して話にのって来る。
「あ、えっと、ごめん、話を脱線させて……。あ、でも、えっと、本題って言うけどこれから何を話すことになるの……? 他にもまだわかったことがある、とか――?」
「いえ、流石にこれ以上判明していることはありません。なので、ここから本題にするのは、さきにお伝えしたスキルシステムや精神干渉、そしてその精神干渉に対する私たちの耐性など、判明した事実に対して私たちがどうするか、ということですね。特に、一番喫緊の問題なのは、これらの事実を向こうの中崎さんたちのパーティーに伝えるかどうか、あるいは伝えても大丈夫かという問題でしょうか」
「確かに、むこうの人たちがこの事実を受け入れられるかって問題もあるしな……。いや――」
そこまで言って、しかし直後に竜昇はふと、直前までのその考えを思い直す。
受け入れられるかどうかも何も、現に自分たちはこうして静から教えられた事実を受け入れているのだ。
確かに厄介な事実ではあるし、それ以上に竜昇たち自身の感覚以上に根拠の乏しい話ではあるが、しかしこうして竜昇達が受け入れることができた以上、スキルシステム自体には事実の認識を阻害するような、そんな細工などはされていないと見ていい。
加えて、事実を知る人間が静一人だった先ほどまでと違い、今は既に事実を知らされ、受け入れている人間が三人もいるのだ。今の状態ならば、例え他のメンバーが受け入れられなかったとしても、事実を伝えた人間が孤立するといったような最悪の事態はもはや起きることはない。
「……そうだな。こうして俺達が受け入れることができた以上、事実を受け止められるかどうか、その心配をする段階はもう過ぎたと考えるべきだ」
「――ということは、竜昇さん――」
「――ああ」
短く答えて、竜昇はせめて決断の責任だけでも背負おうと、己の考えを言葉に変える。
「伝えよう、誠司さん達に全ての事実を。最悪受け入れてもらえなくても、そういう可能性があるって言う認識ぐらいは、この先持っておくべきだ」
こうして、竜昇は自身の言葉によって、一つの決断を下す。
それは、自分達を取り込み、利用しようとする者達に逆らうための、そんな決断。
――私だ。なにかあったのかね?
ただしこの時、竜昇達は気付いていなかった。
――なに? ……ほう、まさか気付くものが現れるとはな……。
自分たちが交わすその会話、気づいた事実とそれを伝えようという決断を、隠れ潜んで聞きとがめているものがいることに。
――なるほど、気付いたのは奴が目を付けていた相手か……。なるほど、彼女という【神問官】が目を付けるだけのことはあるということか
ましてや、想像できたはずもない。
自分たちが事実に気付いたことによって、舞台裏にいるその存在に目を付けられることになっていようなどとは。
――確かに。直接の干渉は余計な危険を伴うが、不確定要素が増えるのも見過ごせぬか。
そうして、誰にも知られぬその場所で、ゲームを動かす者達が動き出す。
――よかろう、その者達の情報を教えてくれ。少々回りくどい手段になるが、こちらの案件と合わせて処理をする。
竜昇達はまだ知らない。これまで予定調和のように進んでいたビルの中のゲームが、今確かに大きく動き出したのだということなど。
自分達に迫る危険の質が、この先大きく変化するというその未来を、竜昇達はまだ、知らない。




