106:逃亡犯
「かっ、はッ……!!」
静の口から、押し出されるようにして吐息が漏れる。
岩でできた鋭い槍が、金属質の魔力に包まれた静の腹へと突き立って、その衝撃が少女の体を一瞬にして駆け抜ける。
先ほど自分の攻撃に対して囚人が行ったように、とっさに腹部の表面に【鋼纏】を使用して、着ていたスクール水着を硬質化させて攻撃を受け止めた静だったが、流石に激突によって生じる衝撃までは殺しきれなかった。
内臓に響く痛みに顔を歪め、静が腹部を押さえつつ、それでもよろめくような動きで距離をとると、その隙を逃すまいとするかのように逆立ちしていた囚人が腕の力で飛び上がって両足で着地、続けてこちらへと向かって地面を蹴って一気に距離を詰めてくる。
否、詰めようとした。
その寸前、囚人と静の間に一発の雷球が割り込んでその進路を阻まなければ。
「【光芒雷撃】――発射――!!」
雷球に向かって突撃しかけた囚人が足を止めると同時に、眼の前の雷球が光条へと変わって、囚人のその顔面目がけて撃ちだされる。
とっさに首を傾け、光条が顔面のマスクをかすめるだけで被害をとどめた囚人だったが、しかし襲い来る攻撃はそれだけでは済まなかった。
直後、囚人を貫こうとして狙いを外した光条が、囚人に向かって背後から迫っていた雷球に命中し、背後の雷球がその大きさを一気に拡大させる。
『ギュイ――!?』
「吸収――!! 【双亡――」
その攻撃の予兆に、囚人は即座に静への追撃をすぐさま諦めた。
地を蹴り、身を捻り、襲い来る攻撃から逃れるべくすぐさま動き出す。
「――光槍雷撃】ッ!!」
竜昇が叫ぶと同時に、雷球から放たれる倍の太さの光条。
それと“全く同時に放たれた”死角にあった別の雷球からの光条による十字砲火に、囚人は宙に飛び上がるアクロバティックな動きでそれを回避する。
(こいつ、死角からの射撃もきっちり読んでるか――、だがッ!!)
竜昇とて敵の回避能力の高さは最初から織り込み済みだ。
だからこそ、雷球で一度に敵を攻撃するような真似をせず、攻撃方法に連撃という手段を選んだ。
そしてまだ、雷球発射の連鎖は終わっていない。
「吸収――!!」
狙いを外した雷球二発分の光条と一発分の光条、それぞれがその先に控えていた雷球に着弾して吸収され、さらにその威力をあげて空中の囚人に狙いを付ける。
光条として放った電撃を別の雷球で受け止めて、撃つたびに威力を増す連撃とする連続運用。
そしてもう一つ重要なことは、この雷球の使用用途は決して光条として放つだけのものではないということだ。
「行け――!!」
空中に跳躍した敵へと目がけ、三倍、二倍、通常サイズの三種類の大きさの雷球が異なる動きで襲い掛かる。
光条よりは遅い、しかし動きの自由度は高く空中では普通は躱しようのない雷球による攻撃。
それに対してこの囚人が取れる方法は、すでに竜昇も知るたった一つしかない。
『ギリィァっ!!』
声をあげ、迫る雷球から空を蹴っての跳躍によって囚人が逃飛する。
先ほど裁判官との戦闘の際、その手の内とした晒すこととなった空中跳躍。
それによって、一時的に迫っていた二発の雷球からは逃れることができた囚人だったが、しかし跳躍したその先にはすでに残る一発が回り込んでいた。
(逃がしゃしねぇよ。テメェが少なく見積もっても二回の空中ジャンプができるってのはこっちも織り込み済みなんだ。けどその跳躍は何回できる? こっちの包囲が破られるのが先か、空中ジャンプが使えなくなるのが先か、勝負と行こうぜ逃亡犯ッ!!)
『ギルルリァァッ――!!』
使用する魔法の様子から竜昇の内心を推察したのか、再び囚人の足元に魔力が集まり、進行方向上に割り込んだ雷球から逃れるように足先の向きを変えた囚人が再度跳躍する。
だが逃がさない。
三つある雷球の一つで行く手を遮り、残る二つでできうる限り敵の逃走範囲を制限する。
特に警戒しなくてはいけないのは監獄中央の吹き抜け空間に逃げられる事態だ。
そちらに逃げられてしまうと天井や壁に近い通路上空などより敵の動ける範囲が極端に広がってしまうし、最悪の場合この敵にはこの空中跳躍能力を使用して他の階に逃げてしまうという選択肢もあるのだ。それだけは断固阻止するべく通路外側に雷球を若干偏らせて配置して、敵の逃走経路を壁側へと誘導する。
『ギ――!!』
三度目の空中ジャンプ。敵が何回連続で空中を飛び回れるのかについては、ここまででまだ二回までの連続行使しか見ていないため未知の部分があったが、少なくともこれで三度以上であることは確認された。
その三度目の跳躍によって進路を変え、三つの雷球の間、それより若干高い位置を飛び抜け、吹き抜け空間へと飛び出そうとした囚人だったが、それこそまさに狙い通りの行動だった。
「発射――!!」
『ギルリィッ!!』
直後、二倍サイズの雷球が光条へと変わって発射され、直前にそれに気づいた囚人が空中で四度目のジャンプを行って後方上空へとジャンプする。
竜昇としては直撃させてあわゆくばそのまま討ち取る流れに持って行きたいところだったが、生憎と敵の動きはよくそこまでは叶わなかった。
とは言え、相手もこちらを甘く見ていたのか、飛び退いた際に動きの遅れた右足の鎖が光条によって撃ち抜かれ、鎖が破断して通路の床へと落ちてくる。
(チィッ!! 足にくらい当てたかったんだが――!!)
思いつつ、竜昇は光条の射線上にあらかじめ上昇させておいた雷球を配置してどうにかその電力を受け止める。
残る雷球の数は三倍雷球が二つのみ。
『ギリリリ……』
と、雷球が二つに減ったその段階で、囚人が上に飛び上がったことで天井に着地する。
否、正確にはそれは、勢い余って天井にぶつかりそうになって、その衝撃を足を使って受け止めたというべきなのか。
どちらにせよ次の瞬間には重力に従わざるを得ないその状況、竜昇がすぐさま二発の雷球を差し向けようとして――。
「――っ!!」
その寸前、敵の狙いが逃走から竜昇自身の殺害にシフトしたのを気配で察して、竜昇はすぐさま操作する雷球の軌道を変更した。
同時に、囚人が天井を蹴りつけて、一気に竜昇の元まで落下して来る。
両腕の手枷の鎖をその手に掴んで二振りの刀剣に変え、自身をしつこく追ってくる雷球よりも、その術者を討ち取るべく竜昇を目がけて降って来る。
そんな囚人の鼻先に、雷球を滑り込ませることに成功したのは、偏に先ほどの判断の速さがあってのこと。
「発射――!!」
躊躇なく発砲。だがあろうことか、囚人は自分の目の前に雷球が現れることを予想していたかのように空を蹴って斜めに飛び退き、落下軌道を変えることでその光条を躱してのけた。
否、事実予想していたのだろう。思えば、敵の進路上に雷球を配置するというのは竜昇が先ほどから何度もやってきた手だ。いい加減敵もそれを予想して、最善の対応ができるようになっていてもおかしくはない。
「くッ――!!」
迫る囚人が着地し、竜昇に対して刃を振りかぶる。
対する竜昇も【増幅思考】を発動。とは言え、いかに思考速度を上げたとしてもそれでこの囚人に、相手の間合いで対処しきることは不可能だ。【増幅思考】を使用できる時間には限界があるし、それ以上に敵の技量は思考能力の加速程度では埋めようのないほど卓越したものになっている。
だから竜昇が頼みとするのは自身の肉体ではない。
遠く上空で直前に放った光条を受け止めて、他の雷球全てと合体して六倍に膨れ上がった巨大な雷球だ。
「照準――!!」
迫る囚人に狙いを付ける。ここまで距離を詰められては竜昇も雷球の射線に入ってしまうが、もはやそんなことに竜昇は構いはしなかった。
『――ギッ!?』
「発射――!!」
放たれる六倍光条。それに直前に気付いた囚人が竜昇への攻撃をとっさに取りやめ、【爆道】にも似た爆発的なステップで真横目がけて無理やり跳躍して退避する。
当然、そうなれば撃ち放たれた光条の射線上に残るのは竜昇一人。
哀れ、自分諸共囚人を撃ち抜こうとした少年は、自身が放った電撃の光条によって自身を撃ち抜き、その威力によって行動不能に、ともすれば絶命するに至る。
そう思っていただろう。
飛び退き、床を転がった直後の囚人が、向けた視線のその先で、竜昇が手の中の“七発目の雷球で”自身に襲い掛かる雷を受け止め、吸収するのを見るまでは。
「吸収――【光芒雷撃】」
最初に六発あった雷球が五発に減ったその瞬間から、敵を追い詰める片手間に用意していた七発目の雷球。
厳密には六発あった雷球が減ったわけではなく、統合されただけだったため、減った数だけ増やすということはできなかったわけだが、それでも竜昇は戦闘のさなかに七発目の雷球を用意した。
そうして、七倍に膨れ上がった雷球を飛び退いたばかりの囚人目がけて振りかぶる。
同時に【増幅思考】で【雷撃】の術式を演算、雷球に電力をプラスするのではなく、雷球の電力を放つ魔法の方に上乗せすることで、手の中の巨大な電力を一点突破の光条ではなく、特定範囲を飲み込む巨大電撃として解き放つ。
「【八亡――」
――否、解き放とうとしていた。
――チンッ、と。
足元から、まるで金属か何かが床に落ちたような、そんな音が不意に聞こえて来るまでは。
(――!?)
音に反応し、反射的に竜昇はその場を飛び退き視線を向ける。
だが何もない。自分が何かを落とした様子も、何らかの攻撃があったという様子や、その他魔力の感覚すらその足元からは感じられない。
加速した思考で何度も確認する。自分の体に何かが起きた様子もない。
いっそ気のせいだったのかとそう思い、あるいは敵である囚人が何かをしたのかとも疑って、ようやく竜昇は一瞬とは言え自身のが攻撃を遅らせていたことに気が付いた。
(――ッ!!)
先ほどの音は囮だったのかと、そんな考えが頭をよぎるが、もはや考えている暇はない。
飛び退いた体制のまま地に伏す囚人へと狙いを定め、今度こそ竜昇は用意していた魔法を解き放つ。
「――衝雷撃】」
一瞬遅れの電撃。
本来ならば広範囲をカバーできるがゆえに囚人を、それこそ逃げる暇もなくとらえることができたはずのその一撃は、しかし撃った時には一瞬遅く、敵に回避の時間を残してしまっていた。
放った電撃が敵を飲み込む寸前、地に伏す囚人の真下から幾本もの槍が突き出して、囚人の全身に激突してその身を斜め上へ打ち上げる。
「――しまった!!」
放った電撃が槍衾を粉砕するのを目の当たりにしながら、竜昇は撃ち出された敵のその様子を仰ぎ見る。
全身を刀剣化して、槍による刺突から身を守りながら飛び出した空中の敵。
とっさにとどめの一撃のために温存していた【迅雷撃】を撃つことも考えたが、しかし敵の行く先に味方がいるのを見てその考えも断念させられた。
敵が向かった先は他でもない。先ほど竜昇たちがこちらに渡る際通ってきたあの通路であり、どうしたことか少し遅れる形で、今まさにこちらへと向かって来ていた入淵城司と渡瀬詩織の目前だった。