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緑の中の  作者: 千砂
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いざミッション

 その日は朝から緊張感漂う雰囲気に包まれていた。

 いよいよ()異世界クヴェレーロへ、マティアス率いるチームがトリップし、駐在員以下家族全員を救出するのだ。メンバーには最初に挙手したティーナも含まれていて、その他に数名が名乗りを上げ、総勢10名で対応することになった。


 今回は特に何度も念入りに打ち合わせが行われ、また、短時間で駐在員達を回収できるように、幾度か他の異世界を使っての実地訓練も行われた。

 異世界(クヴェレーロ)の紛争が起こっているエリアには駐在員が3名。そしてその内2名は家族と共に暮らしているため、約10名の引き上げを予定している。また、事前の連絡では家財道具も運び出したいと言う家人のリクエストもあり、携帯出来るものであればという条件付きで持ち出すことになった。


 手順としては、エルヴァスティとの“道”を繋げたまま簡易ゲートを設置。その後、一旦、“道”を閉じ、クヴェレーロ側から扉を開き、3回に分けて駐在員達と道具類を輸送する手筈となっている。また、本業であるエルヴァスティからクヴェレーロに運ぶ物資は、リーダーであるマティアスと駐在員の責任者とで、現地の首長(エーストロ)に渡すことになっている。


 各異世界へ運び込む物資、特に、異世界人へ渡す物資については、武器にならないものを贈り物として渡すように予め双方で取り決めがなされており危険な物はない。けれども平安時でないいまは、それすら標的にされかねないため、駐在員を介していつも以上に綿密な受け渡し方法が話し合われ、結果、運び屋チームからはマティアスと護衛として他2名が首長(エーストロ)の館に赴くことになった。その間、同時進行でサブリーダーであるクラエスの指揮の下、残りのメンバーで回収にあたる手筈になっている。


 最終チェックも先ほど終え、メンバーの表情には緊張感が漂っていた。

 滞在期間は当日のみで、皆の荷物は簡易ゲートに関する物のみ。個人の荷物に関してはほぼ無し、身軽だ。けれどもティーナは最新の医療器具も一揃え準備し背負って行くことになっており、それらは全てティーナに一任されている。

 エルヴァスティにおいても医療技術先進国のカルナ国では、携帯用や移動式の医療器具はシンプル且つ小型化が実現され、諸外国からも熱い視線を向けられている。今回は何が必要になるか分からないため少々装備が多めだけれど、それでも小柄なティーナが背負える位の大きさで納まった。医療チームの面々も協力をしてくれ、それなりの装備が整った。


 それぞれが黙々と手順や荷物のチェックをしていると、通常業務の雰囲気にまで部屋の空気が落ち着いて来て、軽口も聞かれるようになった。少し離れたところで交わされている雑談が聞こえてくる。


 「帰って来たら一杯いこうぜ」

 「おう、いいな。今のうちに店の予約しとくか?」

 「荷物こんだけだよな」

 「今回はあまり持って行かなくていいからな、その点は楽だな」

 「俺らはゲートの一切合切を忘れないようにするだけだ」

 「しかし、クヴェレーロで紛争って、意外だよな」

 「そうそう。結構うまくやっていると思ってたのに何が原因だったんだろうな」

 「そういやこのお尋ね者、まだ見つからないのよね?」

 「ああ? “三本指”か、もう20年くらい前の話だなそれ、忘れてた」

 「相当悪いことやったって聞いたぞ、もう死んでるんじゃねーか?」

 「この組織にいるやつで異世界で悪いことするなんて不埒者はこいつくらいだ」

 「まぁ、魔が差すってあるんじゃないの? 異世界のものはエルヴァスティに無い、珍しい物ばかりだしね」

 「そんなの初等教育で教わるだろう。人として、ってやつだ」

 「俺らはエルヴァスティの代表なんだから、真摯な態度で望まなきゃな」

 「そうそう運び屋は運び屋らしく、責任もって荷物を搬送するだけさ」


 一般所員には公開されていないらしいが、この組織で犯罪を犯した場合の、犯人確保のための特別チームがあるらしい。だが活動したという話は聞いたことがない。

 話題にしていた者達も、掲示してあるポスターを見て話のネタに振っただけで次々に違う話題に移ってしまうほどに彼らの中でも関心が高い訳ではないらしいというのがわかる。

 とりとめもなく交わされる雑談で雰囲気も少しずつ落ち着きを取り戻している。


 ティーナもまた流れて行く話題を何となく流しながら、医療系の責任者として所持品のチェックに余念がなかった。





 荷物の支度もすっかり終わり、あとは出発を待つだけという中、レーヴィが姿を見せた。

 廊下側から雰囲気の違う声が次々に、波が押し寄せるように近づいてくる。特に女性達の声がワントーン高くなっていることに直ぐに誰でも気がつくだろう。

 部屋の雰囲気が、ザワザワとしていた音が、息を飲むような音に代わったのに気づき、ティーナはふと視線をそちらへ向けた。するとレーヴィが部屋の中を見渡している様子が見えた。誰かを探しているように見えるが、きっと自分を捜して来たんだろうなとティーナは思い当たる。


 メンバーから少し離れたところで、床に座り壁に背中を預けていたためティーナの姿をレーヴィは見つけられないようだ。レーヴィがキョロキョロと辺りを見回している。

 うっすら頬を染めた女性メンバーの一人がレーヴィに声を掛けようとしていたが、その隙を与えずにさっさと部屋の奥に入って行き、隅々まで目を走らせている。レーヴィの目にはティーナしか映らないように出来ているかのようだ。

 ティーナがあまりにも壁化していたためか、レーヴィはとうとう見つけられずに声を発した。


 「ティーナどこにいる?」


 「レーヴィ、ここよ」


 よっこいせと立ち上がったティーナの姿を見てほっとした表情になった。レーヴィは足早に近づき、そして「ふごっ」とティーナの口から変な音が出るくらい強く抱きしめた。いつにない激しいハグに息が止まりそうになり、窮状を訴えるためどんどんとレーヴィの背中をタップする。

 

 「あ、ごめん。つい感情的になってしまった。大丈夫か?」


 レーヴィは慌てて腕の力を緩めると、締め付けられうまく呼吸できず顔を真っ赤にしたティーナの顔が現れた。激しく肩で息をして涙目で何かを訴えている。こんな不満気な顔をレーヴィに対してできるのはティーナかオルヴォくらいだろう。

 シルバーと緑の解け合ったような不思議な色合いの瞳が生理的な涙で潤んでいる。


 「ごめんごめん」


 レーヴィはティーナの目にかかる前髪を優しくかきあげながら表情を窺うと、漸く落ち着いたティーナはコクンと頷いた。


 「レーヴィどうしたの? 何かあった?」


 最近では出発前には姿を見せなくなっていたレーヴィが(帰還時には必ずいるけれど)、やってきたのをティーナは珍しそうに見ている。でも、心配性のこの兄の行動は何となく理解でき、ティーナはフッと目元を緩めた。


 「いや、何かあった訳ではなくて、そろそろ僕は管制ルームに詰めてなきゃいけないからね、時間のあるうちに、いってらっしゃいの挨拶をしとこうと思ってさ」


 「なんだ、そんなこと? 何かあったんじゃないかってビックリしたわ」


 ティーナはグーを作り、ぽふっとレーヴィの胸を打ち付けると軽く睨んだ。レーヴィにしてみたら全然怖く無い。むしろ愛おしい妹のこういった行為はたまらなく大好物だ。すっかりお兄ちゃんの顔になっているレーヴィはグリグリとティーナの頭を撫でている。


 「気をつけて。くれぐれも無理をするんじゃないぞ。これはお守り代わりだ肌身離さずつけていろよ」


 レーヴィは慣れた手つきでティーナの首にチェーンをつけた。それは、以前ティーナに渡していたペンダントを回収し、更に改良を重ね録画機能を内蔵させたと言う代物だ。ペンダントがちょうどティーナの喉元に来るように調整し、レーヴィは動作確認をしている。どうやらレーヴィの手の中にある小さなモニターに映し出されているようで、ちらりと自分の手の中を見てレーヴィは満足そうに口角をあげた。

 端から見ていると、自分の贈ったネックレスを身につけている女の子の姿を嬉しそうに眺めているようにも見えなくは無い。きっと、レーヴィの弟妹大好きな性格を知らない人はそう見えるだろう。


 それを少し離れたところで女性メンバーが羨ましそうに眺めているのを、目の端でティーナは見てしまったが、それは彼女に限った事ではないので直ぐに視線をレーヴィに戻した。


 「いつもありがとね、お兄ちゃん」


 にっこりと微笑んでお礼を言うと、もう一度レーヴィによってハグされ優しくポンポンと背中を叩かれる。小さな頃からこうやってあやされてきたから、緊張の高まる今はティーナにとって一番の薬だった。ティーナもギュッとハグを返した。最後にレーヴィはティーナの額にキスをすると「待っている」と声をかけて部屋を後にした。




 レーヴィが部屋を出た直後、待ち構えていたようにガシッとレーヴィの首に腕を巻き付けて捕獲した者がいた。


 「よぉレーヴィ。俺っちには挨拶は無しかよ」


 レーヴィの同期であるクラエス・エドバリだった。クラエスはニヤニヤ笑いながら話しかけた。


 「あいっかわらずのベタ甘兄貴だな、おい。お前がそんな風にティーナに構うから、周りのヤツらがティーナに手ぇだせねぇんじゃねーか。そろそろ妹離れしろ。ティーナだって彼氏の一人や二人、欲しいんじゃねーのか?」


 二人の身長はそう変わらないが、レーヴィの首に腕を巻き付けられている分、物理的にクラエスが若干上から目線だ。


 「は? クラエス、寝言は寝て言え。ティーナに手を出すヤツがいたら僕が相手になるだけだけど?」


 「お前が相手になってどうするよ。ティーナを好きなヤツで、ティーナも好きならそれでいいじゃねえか。お前の出る幕じゃねぇよ」


 「クラエス。君は父の補佐を務められるくらいとても優秀だが、時々、わけの分からん事を言うのが致命的だな。ティーナは僕の妹だ。兄である僕を倒せない限りティーナを守れるとは思えん。なよっちいヤツにティーナは任せられない」


 ジロリとクラエスを見ているレーヴィの目は、その視線だけで本当に人を抹殺できそうなくらいに鋭い。それに一瞬、ピクリと眉が反応したクラエスだったが気を取り直して言葉を続ける。


 「おいおい。物騒な事をいうんじゃねーよレーヴィ。お前、今でこそ事務屋に居座っていやがるが、元々、おやっさん(マティアス)と同等かそれ以上に強ええだろうがよ。うちの大事な後輩達を再起不能にする気かよ」


 「再起不能になるくらい弱いやつにティーナは任せられないって言っているんだよクラエス。だから、僕がいるんじゃないか。ティーナは僕が守るから大丈夫だ。心配してくれてありがとう。じゃクラエスも頑張れよ」


 絡み付いているクラエスの腕をギギギと簡単に引きはがし、レーヴィは立ち去ろうとした。剥がされまいと力を入れていたせいか、クラエスの顔が苦痛に歪んでいるように見える。


 「おい、、、勝手に話、終わらしてんじゃねーよ。大体さ、お前自身どうなんだよ。組織一のモテ男のくせに彼女の一人も作らないなんて、そんなんありかよ。お前がとっとと決めないから俺等にまで回って来ないんじゃねーか」


 「クラエス。確かに僕はモテるかもしれない。けれど、それとこれとは別だ。それこそ実力で振り向かせられなきゃ長続きもしないさ。いかに自分に惚れさせるかだろうが。僕がどうこうという前に自分を磨いてから勝負しろと言いたいね」


 涼しい顔で淡々と答えるレーヴィに対して、クラエスは苦々しい表情だ。痛いところをつかれたといったところだろうか。


 「言ってくれるじゃねーか。モテ男君。お前に俺等の苦しみはわからねーよ」


 「一生分かってたまるか。勝負を最初っから放棄している奴らと、常に努力してティーナの側にいる僕とじゃ勝負にならんだろうしな。僕は20年以上、常に尊敬されカッコいいと思われるお兄ちゃんを目指して努力し続けているんだ。年季が違うんだよ年季が」


 フンと鼻で笑われ、クラエスは奥歯を噛み締めて悔しがっている。


 「くっそー。今に見てろ。ティーナをぶんどってやるからな」


 「・・・お前、いままで他人事のように言ってたが、お前自身の事だったのか。まぁ・・・せいぜい頑張れ。僕以上にかっこ良くて頭が良くて強い男になれれば勝算はある。その時は涙をのんでティーナを譲ってあげよう。だが、負ける気がしないんだよな。あはは。ティーナの事は一生僕が面倒みるつもりだから、安心して戦いを挑んでくればいい」


 「くっそーくっそーくっそー! レーヴィめぇ。余裕こきやがって!」


 余裕の背中を見せて、ヒラヒラと後ろ手に手を振って去って行くレーヴィを見送りながら、クラエスは地団駄を踏んでいる。その光景は最近良く見るようになったためか、メンバー達はまたやってるとクスクス笑って微笑ましく見ていた。


 そこにアグネッタが声をかけてきた。彼女もまた2〜3年前に入所してきたはずで、クラエスは過去に2回一緒に仕事をしたことがあるが、特にこれと言って印象に残っている訳でもなかった。少しつり目で、勝ち気な表情は、自信のある者特有の余裕とすら見える。彼女は今回のメンバーでもある。確か、直前で立候補したはずだと、クラエスはちらりと頭の隅で情報をトレースした。


 「ちょっと、クラエスぅ、あんたティーナの事が好きなの? じゃさ、頑張んなさいよ。いくら兄妹だからって言っても流石に結婚はできっこないんだから、そういう意味じゃ勝ち目あんじゃん」


 アグネッタはケラケラと笑いながらバシンとクラエスの肩を叩いた。


 「はぁ? アグネッタ、お前、知らねーのかよ。レーヴィとティーナは血は繋がってねーよ。だから、あいつらがその気になりゃ結婚できるわけだ。俺はそこを心配しているんだけどねぇ」


 「ちょっ、本当なのそれ?」


 初めて聞く話だっただろうか、余裕を見せていたアグネッタの表情が突如険しくなった。


 「ああん? 有名な話だぜ。そうか、お前も途中で入って来た口だったな。ま、そういうこった。幸いというか何と言うか、あいつ等の中じゃ全然恋愛感情が無いのが俺には救いなんだけどさ、いかんせん、あの仲の良さだろ? いつなんどき、どうなってもおかしくねーっては思ってる。だからこれでも焦ってんだよなぁ。・・・まぁ半分はレーヴィなら良いかなって気持ちもあんだけどな。実際、あいつくらい男前で強い(やつ)はいねーってのも事実だしな」


 はふっと、さっきまでの勢いはどこへやら、らしくない溜め息を吐いてクラエスはレーヴィが去って行った方向を見ている。


 「なに呑気な事言ってんの? 諦めんな! あんたがティーナを籠絡してくんなきゃこっちも望み無しってわけじゃない。ちょっとあんたも男でしょうが。酒でも飲ませて、とっととティーナとそういう関係に持ち込めばなんとかなんじゃないの? どうせあの子、ヴァージンでしょう?」


 したり顔でアグネッタはクラエスをそそのかそうとする。これまでアグネッタの周囲にいた男達は少なくとも下半身で物を考える(やから)が多く、感情よりも行動という人間も少なくは無かった。アグネッタ自身も本格的に付き合う前には、体の相性から先に試すのだ。だから、ティーナに執着を見せるクラエスもそうだろうと踏み、けしかけようとしたが、目論見はアッサリと破られる事になった。アグネッタの発言にクラエスが嫌悪感を滲ませた表情をみせたのだ。


 「おい。冗談でもそんな事言うんじゃねーよ。そんな事したら俺は俺自身を許せなくなる。ティーナの心はティーナのもんだ。そこに誰を入れるかはティーナが決めるこった。外野がとやかく言うことじゃねーよ。それにお前も女ならわかるだろーが。そんな風に無理矢理関係持たれる辛さはよ。女の方が体も心も男なんかより数倍数十倍、いやそれ以上に傷つくんだぞ。俺はティーナの心が欲しいんだよ。いつもレーヴィやオルヴォや、おやっさんに笑いかけるみたいに自然に笑っていて欲しいからこそ、今のこの状態なんだ」


 「ふん、なにさ、その(てい)たらくっ! あんた男としての機能を放棄してんじゃねーの? ってか不全? 押し倒せば何とでもなるのにさ!」


 反論するクラエスにアグネッタは吐き気を覚え口汚く罵る。だが、クラエスは口の端でニヤリと笑うと


 「ああ、いいねぇ。ティーナを傷つけるより、よっぽどましだ。俺の事は何とでも言いやがれ。ふん。まぁ、ゆっくりやるさ。幸いにもガーディアンが、彼奴(レーヴィ)じゃ、誰も手が出せないだろうしな。お前も変な考えすんじゃねーぞ。レーヴィの彼女になりたきゃ正々堂々とやれ。じゃあな」


 手を振ってクラエスが離れた後、アグネッタは下唇を噛み締めて怒りに似た感情を抑えるのに堪えていた。





 ティーナが再び床に座ろうとした時、再び名前を呼ばれた。振り返ると今度はオルヴォがやってきている。レーヴィとは違う雰囲気を纏っているが端正な男前のオルヴォにも再び女性メンバー達がチラチラとこちらを気にしている。


 「よ! ティーナ調子はどうだ? レーヴィのやつ来たか?」


 「調子はいつもの通りよ。レーヴィは少し前に来てくれたよ。これから管制ルームにいなきゃいけないからって戻ってった」


 「そうだよな。あっちも責任重大だもんな」


 「オルヴォもお見送りに来てくれたの?」


 「まあな。結局、戦局はどうなったんだろうな、最新情報は聞いたのか?」


 今日のティーナ達のトリップは組織全体の関心事だ。レーヴィやオルヴォだけでなく、仲間を見送る他のチームのメンバー達が入れ替わり立ち替わり挨拶に来ている。誰もがクヴェレーロの状況を知りたがっている。


 「昨日までの情報しか聞いてない。駐在員さん達も大変よね、早く連れて帰って来なきゃ」


 「ああ、そうだな。でも・・・無理すんなよ」


 オルヴォは自分の胸辺りにあるティーナの髪に指を入れ優しく梳いていると、ティーナの表情がうっとりとしたものに変わる。髪を染める時、オルヴォはこうやってティーナの髪を梳いてあげているのだ。


 「分かってるわ。非常時にはリーダーの指示に従いますから大丈夫です、先輩」


 敬礼のポーズをとり明るく(おど)けて見せると、アハッとオルヴォが吹き出した。


 「っは。先輩か、いいね。じゃぁ後輩よ、無事に帰って来いよ、さあビッグハグだ」


 そう言うとオルヴォはティーナの腰に腕を巻き付け軽々と持ち上げた。急に持ち上げられて驚きはしたが、こんなことは日常茶飯事で、ティーナもオルヴォの首に手を回してハグを返した。


 「オルヴォ、お前もそろそろあっちに顔を出さなきゃならんのじゃないか?」


 二人のすぐ近くに一際大きな人影が現れた。揃って顔を向けると二人の父親のマティアスがいた。マティアスは上層部での最終確認を終えてメンバーの待つこの部屋に戻って来たところだった。

 そしてオルヴォのチームは別件で、別の異世界に行くのだ。


 「ああ、直ぐに行くけど、もうちょっとだけ」


 そう言ってオルヴォは、ティーナを床に降ろすと改めてハグをした。そしてレーヴィと同じようにティーナにキスをして頭をくしゃくしゃと撫でる。


 「父さんも」


 オルヴォは今度はマティアスにハグをした。呼び方は今だけは父さん呼びだ。マティアスもオルヴォの気持ちがわかったのだろう、いつもなら言い直させるが今だけは何も言わなず黙って頷くと、オルヴォのハグを受けた。


 「二人とも無事で。父さん、ティーナを頼む」


 「ああ、まかせとけ。何もかも上手くいく。お前もお前の仕事を頑張れよ」


 マティアスに力強くポンと背中を叩かれてオルヴォはゴホゴホと咳き込んだ。そんな様子を見てクスッと笑うティーナにマティアスはウインクをする。


 「じゃあな。二人とも、こっちで待ってるからな」


 二人に対するオルヴォの顔に不安は一切浮かんでいなかった。マティアスに対する全幅の信頼があるからだ。その笑顔にティーナも安心を覚え、大きく手を振って部屋を出て行くオルヴォに背後から「いってらっしゃい」と声をかけた。オルヴォの姿が見えなくなると、マティアスの大きな手がポンポンとティーナの頭を撫でる。ティーナはマティアスに視線を向け笑顔で頷いてみせた。



 *



 「みんな聞いてくれ」


 マティアスのひと声で部屋の中が静まり返り、一斉にマティアスに視線が集中する。ゆっくり部屋の中を見渡し、全員の顔を確認するとマティアスはおもむろに口を開いた。


 「いよいよこの後、()の異世界にトリップする。いささか緊張しているとは思うが、よく聞いてくれ。さきほどクヴェレーロの駐在員から戦局の報告があった。どうやら、ここへ来て終息へ向かうよう互いに働きかけが行われているらしい」


 部屋中に、おおっと(どよ)めきが走り、いくらか雰囲気が明るくなった。やっぱり気にしないように気丈に振る舞っていても、皆の心の中では不安だらけだったのだ。ティーナもほっと安心した。


 「だがな、終息へ向かっているというだけで、完全に争いが無くなっている訳じゃない。だから、我々は事前に打ち合せた通り、最悪の状況を念頭におき行動をする。気を引き締めてかかれよ」


 気合いを入れたマティアスの声に「はい!」と全員が声を揃えた。その反応に一人一人の顔を見てマティアスも頷く。


 「クヴェレーロの駐在員とエルヴァスティの情報部で、より安全な場所に基準点を定めた。俺達はそれを信じて行く。いいか、事前に打ち合せた通り、着いてすぐ状況が悪ければ直ちに帰還するから、はやまった行動するな。

 手順を確認するぞ。簡易ゲートを設置しエルヴァスティとの“道”を繋げた後は、偵察機を数機飛ばす。状況確認をしたのち安全が確認されるまでは待機だ。駐在員達も基点近くで様子を窺いながら待機しているはずだから、彼らと合流するまでがまずは目標だ。

 ゲートの設置は何度も訓練した通り、手早くやればそれ程時間はかからないだろう。

 簡易ゲートが設置されるまでは“道”は不安定なままだが、繋がれば安定する。エルヴァスティの本部とそのことを確認の後、双方向で行き来出来るようにするため、一旦ゲートは閉じられる。その際、我々は全員クヴェレーロ側に出なければならない。そして改めてクヴェレーロ側からゲートを開き、エルヴァスティ側へ信号を送り“道”を繋ぐ。そこからいよいよ人員の引き上げが開始される。予定では3回だ。3回で全て運び切る。そしてその後は、簡易ゲートはいったん畳まれることになる。

 駐在員家族と荷物の引き上げの間、俺はオーグレーンとともに、荷の受け渡しに行く。クラエス、その間の指揮はまかせたぞ」


 クラエスは真剣な顔で頷いた。

 マティアスの話が終わった。質問は特に上がらず、メンバーは各々の荷物を持ち次元転位装置のある部屋へと移動を開始した。




 全員で10名が今回のチームだ。新人(ペーペー)はティーナだけで、マティアスを初め精鋭が名乗りをあげ最強メンバーとなっている。女性もティーナを含め4名いるが、いずれも経験豊富な者達だ。

 緊張した面持ちでメンバー全員が転移装置に入り、装備を互いに確認し合い最終チェックが終わった。そして全員がゴーグルを装着するといよいよクヴェレーロへと移される。


 『準備は良いかね?』


 マイク越しの声が部屋に響き渡ると管制ルームの主任の声だと直ぐに分かった。いつも落ち着いた声で、この人が取り乱す声を想像できない。そのお陰かトリップ前の緊張感溢れるこの場所でも比較的落ち着いて居られる。


 問いかけに対してマティアスが、メンバー全員と目を合わせ確認した後、「問題ない」と短く応えた。


 『じゃ、いつもどおり、落ち着いて任務にあたってくれ。カウントは5からだ』


 全員が頷いたのをモニターで見ていたのか、フッと息の漏れる音が聞こえて来て直ぐに『カウントダウン開始5秒前』と機械の声に切り替わった。


 『4』


 『3』


 『2』


 『1』

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