ヴィンツェンツのはなし
アンティアとクスターが戻ってくるまでにはまだしばらく時間があるということだった。
しかし、さすがのティーナも気怠げで休憩所内で過ごすことにし、だらしなくカウチにもたれかかり物思いにふけっている。
吹っ飛ばされたヴェルネリによって壊された壁は気にしていない様子だ。誰も。
ヴィンツェンツは当たり前のようにティーナのそばにいる。
ティーナに話しかけるでもなく、ただ黙ってそばにいるだけだ。
そんなヴィンツェンツの背中をなんとなく見ていたティーナの目が、思い出したように焦点が定まった。
「ヴィン、今更なんですけど、さっきの翼みたいなものって何ですか? 武器ですか? ヴェルネリさんも持っているんですか?」
「ん? ああ、これかい?」
そう言うとキラキラと光の粒子が現れ再びヴィンツェンツの背中に光の翼が形作られた。
間近でその様子を凝視していたティーナが触れてみたくなるのは当然で、思わず手を伸ばしそうになる。
「お待ちください」というヴェルネリの言葉に慌てて引っ込めると、ヴィンツェンツがクスリと笑った。
「君ならいつでも許可なく触れていいよ」
「ヴィンツェンツ様、説明はするべきかと。取り扱いを間違えるとおおごとになりかねませんから。取扱注意事項の書でもあればいいんですけどね、お持ちでないでしょう?」
気軽にすすめるヴィンツェンツに対し、ヴェルネリはジロリと睨め付けると語気を強め、ヴィンツェンツの言葉に被せるように遮った。
「ああもう全く、ヴェルネリは口うるさいねぇ。小皺が増えるぞ。
大体、あるわけないだろそんなもの。
僕たちをなんだと思ってるんだ、全く。尊敬の念くらい見せないのかねぇ」
と軽口で不満をこぼすヴィンツェンツだったが、ヴェルネリが「誰のせいですか」と睨みをきかせる。
「やれやれしかたないねぇ」と言いながらも、一方で、にこやかな笑みをティーナに向けた。どうやら説明をする気になったようだ。
「これは翼だよ。ヴェルネリにはない」
そして、普通の人だったら見惚れるような笑みをティーナに向ける。
どうやら今ので終わりのようだ。
ヴェルネリの眉間に深くシワが刻まれた。
「・・・私だけでなく、翼を持つのはごくごく限られた方々だけです。他の誰も持ってはおりません。一般的ではありませんので、そのあたりはくれぐれもご注意を。めったなことではお話になりませんよう」
「それってどういう意味ですか。普通の人は知らないんですか? 一緒に暮らしているわけじゃないと?」
「知らないというのではなく、何と言いますか、そう、物語に出てくるお話としての認識です」
「うーんと、化石みたいな感じね、分かった」
ものすごく端的な、全く言葉の足りていないヴィンツェンツを軽く睨みながらヴェルネリが補足するとティーナはヴェルネリをまっすぐ見て、わかったと頷いた。
「化石!? 化石じゃないけど、神秘的なって方が良い。まぁいいや。ティーナ触ってみて」
「ヴィンツェンツ様! 私の記憶が正しいと思いますが、まだ説明が足りておりません」
「ヴェルネリは、うるさい」
「ヴィンツェンツ様!」
「あ~はいはい、わかりましたよ」
ヴィンツェンツは大袈裟に両手を耳に当て、これみよがしにヴェルネリに見せながらもようやく説明を始めた。
「この翼はね、僕以外には持ってるのが限られててね、特別製なんだ。それにヴェルネリだけじゃなくて、イェオリもビルギットも持ってないよ。だから翼を持たない、『無翼人』に対して、翼を持つもののことは『翼人』と区別している。まぁ、無翼人は自分たちのことを‘’ヒト‘’と称しているみたいだけどね」
音もなく小さくなった翼がヴィンツェンツの背中で、可愛らしくふぁさふぁさと羽ばたくように、はためいている。
「大きさも変えられるの?」と再びティーナの驚いている様子にヴィンツェンツは満足そうに目を細めた。
「この世界は翼人が創り統べる世界だ。この翼の下にすべてが詰まっていると言っても過言ではないよ。それにシャーフォより強いんだ」
ティーナから驚きの声が上がる。
それもそのはずで、ヴェルネリ率いる警備隊を、たった七頭で、いや、正確には六頭でこてんぱんに伸してしまい、ヴェルネリがシャーフォの前に膝を折ったのを見ていたのだから。
ヴェルネリもヴィンツェンツの言葉に頷いてみせる。ヴェルネリ曰く、翼人の強さは全くもってシャーフォの比ではないと。
それを聞いてティーナの目がまんまるに見開かれた。
「この翼に無条件に触れることを許されるのは同族か伴侶だけ。なぜならば親愛の情だったり求愛でもあるから。
そしてこれがポイントなんだけど、万能ではないんだよこれが、弱点でもあるんだ。ティーナが僕の翼に触れるとね力が抜けるというか、その間に僕を叩けば滅することもできる・・・かもしれない」
何でもないことのように話すヴィンツェンツをティーナが慌てて止めた。
「ちょっと待ってください! そんな危険な話までしなくてもいいんです、ね、ヴェルネリさん」
ティーナに同意を求められたヴェルネリだったが、困ったような笑みを浮かべ、ポリっと頬を掻いている。なんと返事しようかと考えているのかもしれない。
「まぁ、そうですねぇ、でも仮に力が抜けたところでこの方がそう簡単にやられるとは思えませんが。こう見えてもこの世界の理に近しい存在なので、そうなったとしても恐らくは私やシャーフォより強いでしょう。だからこうやって口にすることもできるんですよ。それにきっとそれに変わる手段もお持ちでしょうから。
まぁそれほどまでにヴィンツェンツ様は本気だということでしょう?」
「本気って? 何の?」とティーナは小首を傾げるが、ヴィンツェンツは得意げだ。
「本気も、本気」
そう言うとヴィンツェンツは背中の翼をリズム良く小刻みに震わせはじめる。
誘うようなその微かな動きは、ティーナの心にザワザワした感情を掻き立てた。
手を伸ばしかけるも寸でのところで引き戻すのを何度か繰り返してしまう。自制心と戦っていたティーナはようやく白旗を揚げた。
「ヴィン、本当に触れてもいいんですか? 力が抜けること以外で、何か酷いこと、ありませんか? 正直言うと私としては求愛に繋がると困ります。単純に好奇心で触りたいだけなので」
きっぱりと意思を伝えたティーナだったが、好奇心と、いろいろと心配する気持ちの狭間でティーナは手をにぎにぎさせている。
「・・・大丈夫だよ。ヴェルネリも言ってたでしょ。僕は意外と強いの。我慢も強い、はず。だから今回は求愛にはしないよ」
ほら早くとさらに光を増したように輝く翼がティーナを誘う。ティーナはコクンと頷くとそっと翼に触れた。
「ほわぁ光に触れることができたなら、こんな感じなのでしょうか」
実体化しているのに、翼を構成する光の粒達はティーナの手を自由に透過しているようにも見える。珠光を更にうんと小さくして、濃密にしたような感じだ。
そしてティーナが翼の表面を撫でるたびに、波打つように光が強まっている気がし、翼自体も意思を持っているように嬉しそうにふぁさふぁさと揺れている。
かつてカルナで鶏やオウムなどの体に触れたことはあるが、それとは全く違う触感だ。
「うー・・・」ティーナは触れた感想を言いたいが、うまく言葉にできなくてもどかしく感じている。
「強いて言うなら、“強さ”かな・・・」
自身で確認するようにティーナは呟く。
「もっとぎゅっと握ってみてもいいよ。ヴェルネリをもっと遠くに吹っ飛ばせるくらい強いからね」
ヴィンツェンツに促され少し力を込めて根元部分を握りしめてみる。瞬間、翼がより一層輝きを増し、部屋中に光があふれかえった。
ティーナは驚きのあまり目を瞑ろうとしたが、全く視覚に対する刺激がないことに気付き、その輝きをまじまじと見つめている。
「うーん、ダメか、やっぱり切り離さなきゃだめかな」
一方でヴィンツェンツは何か独りごちている。
声が小さいので背後にいるにも関わらずティーナには届いていないが、ヴェルネリはあきらかに胡散臭そうにヴィンツェンツを見ている。どちらかといえば、ヴィンツェンツが何かしでかそうとしているのではないかと、疑って見ているというのが正しいだろう。
実際、溢れた光はティーナを目指して飛んでいくが、ことごとく弾かれているようにヴェルネリには見えている。
「おおぅダメか、残念」
がっくり肩を落としたヴィンツェンツだったが、翼を大きく伸ばすと、器用にぐるりとティーナの体を巻き込み、そのまま己の腕に収めてしまった。
「き、器用ですね」
勝手に体が移動したことに目をパチパチさせ戸惑っているようだ。しかし、すぐにティーナは反応すると、そっとヴィンツェンツに抵抗を試みる。ヴィンツェンツの顎に手を置いて距離を取ろうとしてるが、成功はしていない。
ヴェルネリは眉間に皺を寄せ、頭が痛いのか額を押さえている。
「何をしたかったんですか」
ヴィンツェンツの腕の中でティーナが問いかけると「また今度ね」とぎゅうっと抱きしめられた。思わずふごっと息が抜ける音がティーナの口から漏れ出る。
抜け出そうともがくがヴィンツェンツは腕を緩めてくれないばかりか、ティーナの姿を覆い隠すように翼で全体を覆っている始末だ。
「悲しみも喜びも同時に訪れる。その時まで証明できない。待ってて。二度と同じ厄災にならないように、頑張るから」
ティーナの眉間に皺が寄る。
ヴィンツェンツの理解不能な言動に困惑しているのだ。
「頑張るはいいんですけど、よく分かりません。もっと具体的に言ってください」と言い返している。
一方でヴェルネリの顔色は悪い。非常によろしくないようで、非常にこわばっているようだ。
何か言いたげだが、開きかけた口を再び閉じた。
「でも今は、こうやって君を抱きしめられる喜びを堪能したいかな。君の両親には悪いけどね」
「そう思うのでしたら開放してあげればいいでしょう」
「いやだよ。匂いつけとかなきゃ。もうあんな思いをするのはまっぴらだ」
ヴィンツェンツの言葉が終わるやいなや、部屋の中が急に怪しげな色になる。
部屋だけではなく外の雰囲気が怪しげなのだ。
おどろおどろしいというか、きっと急な環境の変化に人々も戦々恐々としているに違いない。翼で覆われているティーナには見えていないが。
「ふん、親バカめ」
ヴィンツェンツはふふんと鼻で笑う。
と同時に「ごふぅ」と声が漏れた。
「ヴィンツェンツ様、逆なでされませんよう。あらゆる事象に影響が出ますよ。また」
ヴェルネリが苦言を呈すと、堅く閉じていた翼がゆらりと動き出す。
「くっ、またしてもいい拳だ」
翼が解かれようやく中からティーナが見えてきた。
どうやら再びヴィンツェンツの腹に拳を見舞ったらしい。ファイティングポーズのティーナは、ふんっと鼻息荒く、崩れ落ちるヴィンツェンツから距離を取った。
ヴィンツェンツは痛がっている様子を見せているが、それ以上に嬉しそうだ。ゲラゲラ笑いながら床を転げている。
ティーナとヴェルネリは半眼になってヴィンツェンツを見下ろした。
「ヴィンツェンツ様、今日一日であなたへの印象が大きく変わりました。全くこれほど手が早いとは」
やれやれとヴェルネリがため息をつく。
「えー、ヴィンは女好きでしたか。気をつけなければなりませんね。
私、女好きの軽い人は大嫌いですから、今後は一切近づかないでくれると嬉しいです」
「っ!! 違うから、僕はティーナだけだからね。ティーナだから束縛したくなるんだよ」
「アホですか、あなたは」
何だろうこの残念感は。
この世界の理に近い存在ってヴェルネリが言っていたと思うが、と、ティーナは思い返していたが、人間以上に人間くさい、自称神秘的な存在なこのヴィンツェンツを見ながら、盛大にため息をついていた。
「ティーナ様、私もこのお方がこれほどアホな様子を見せるのを初めて見ました。いつもはやんちゃな感じではありますが、安心感は感じるんですよ。真面目というか、、、。それが、人が変わったような、人じゃありませんが、こんな様子はその、なんと言いますか、、、」
少し前までの、あの森の、あの現場で祈りを捧げるヴィンツェンツの姿を見ていたものとしては些か心苦しいが、ヴェルネリがヴィンツェンツを擁護するような言葉を並べようとしても、この態度ではティーナを納得させられるわけがない。
ティーナに会えたことで箍が外れてしまい過ぎているのだろうとは思うが、これでは、、、。
「ヴィンは私がいるとダメ人間になるんですね。あ、ダメ翼人。だったらなおさら、そばに来ないでください。どっか遠くでキリッとしていてもらった方が良いと思います」
ティーナから三行半だ。
いや全然結婚なんかしていなけれども。
「ティーナ!!」
「ヴィン、最初、親切な人だなと、あ、翼人だなと思いましたが、変態は別です。それに私は今、恋愛などする気は皆無です。そんなものに時間を割く余裕はありませんので、だれか他の人に当たってください」
要するに振られたということだ。
外の雰囲気も綺麗に澄み渡った陽気に戻っている。
憎らしいくらいの快適さだ。
呆然となるヴィンツェンツだったが、ここでも強さを発揮したようだ。打たれ強さを。
「僕はね、二度と失敗したくないんだ。これから先のこと。全部だ。全部この翼の下に入れて覆い隠して他の目に触れさせないように守りたいんだ。
でも君にも意思があることを失念していたよ。無理強いは良くなかったね。君には何も説明できていないのに。すまなかった」
片膝をついた状態でじっとティーナを見上げるヴィンツェンツは真摯そのもので、ティーナも目を外さない。見つめ合うヴィンツェンツの瞳から何かを読み取ろうとしているようだ。
「もう良いです、わかってくれれば。私は無力ですがバカではないつもりです。ここで何が起こっているのか、起きるのかは分かりませんが、指示してもらえれば従います。だから、拘束はやめてください」
「わかった。拘束じゃなくて、束縛な」
どっちも似たようなものだろうとヴェルネリは心の中でつっこむが、二人の距離感が少し変わったことに安堵していた。
「じゃ、もう立ってください。そんな姿勢は私は慣れてないので対応に困ります。立って立って」
ヴィンツェンツの手を引き立たせるとそのまま握手をする。
「私はこっちが良いです。これからよろしくって意味で」
「ああ、よろしく頼む。なぁティーナ。僕らの関係に名前をつけると何になる?」
笑顔を見せるティーナに微笑みを返し、ヴィンツェンツは問いかけた。
「えっと、知り合い? 友達?かしら」
「そうか。それなら僕が君の側に居てもおかしくないな。だろ? ヴェルネリ」
「え? ええ、まぁ」
いきなり話を振られたヴェルネリはとっさに回答したが、それを聞いたヴィンツェンツが口角を薄くあげた。




