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緑の中の  作者: 千砂
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暗躍

 マリアンヌはここしばらくの悩みの種を排除できそうなことで機嫌は最高潮に達していた。

 晩餐の前に自分のメイドに指示をしていた事など、もうどうでもよくなり、暗い表情をしたメイドからの報告は話半分で聞き流していた。そして粗方聞き終わるとすぐにメイドを黙らせ、機嫌良く、持ってきた衣装をひとつひとつ確認を始めた。


 「これで私がアルムグレーンに入る道が開けたも同然だわ。明日からの一瞬のチャンスを逃すわけにはいかないもの、気合を入れなきゃ」


 自分の立ち位置を想像し念入りに明日の衣装を選んでいると、ふと自分が持っていない色があることに気がついた。それはティーナが身につけていた色でこの国の殆どの人が身につけない色・・・


 マリアンヌの物心がつくかどうかという頃、世界が一変した。今とは違い見るものすべての色が変わったのだ。かつてない状況に人々はおののきラーシュ・オロフの怒りを買ったのかもしれないと真しやかな噂が広まり、こぞって許しを得るために祈りを捧げたがついぞその状況が変わることは無かった。その頃から人々の着る服の色もまた変わったのだった。


 当時は淡い色合いのものは薄汚く見えるからと言う理由で皆が避けており、元の状態に戻った今でも再びそのような時代になってしまうのではないかと言う思いもあり、なかなか手にする者はいなかった。


 ゆえにティーナの身につけていたワンピース、スカーフそのどれもがマリアンヌにとっては、とても眩しくて新鮮でーーー美しく映った。


 それらの色は仕立て屋や布地専門店もまだそれほど多く扱っておらず、また、世間一般でもまだ若干手を出しにくいらしく、淡い色合いのものを身につけているのは、マリアンヌが知る限りにおいてティーナだけだった。


 「あの色、欲しいわね。どうしてあの子は持っているのかしら。ああ、アルムグレーンだもの特別なんだわきっと。どうせここを出ていくのなら、代わりに私が身につけても問題ないわよね」


 良いことを思いついたとばかりに、マリアンヌはご機嫌な声でメイドを呼びつけると指示を出した。するとメイドは驚き、目を見開いて怯えるように首を振った。


 「さすがにそれはいけません」


 「無理とは言わせないわよ。命令よ」


 「ですが、お嬢様・・・」


 晩餐前の指示より、いっそう渋るメイドに堪忍袋の緒が切れたマリアンヌは大声を張り上げた。


 「行きなさい! そして必ず持って帰って来るのよ! 持って来なければあんたなんか即首よ! 次の仕事先への紹介状も無しよ」


 しまいには扇子をメイドへ投げつけた。





 追い出されるように部屋を出たメイドは、廊下で深い深い溜め息を吐き途方に暮れていた。さきほど投げつけられた扇子があたり、額に少し血が滲んでいるが全く気付いていないようだ。

 そこへこの屋敷のメイド達が通りがかった。どうやら二人でリネン類を運んでいるようだ。軽く会釈をして状況を去なそうとしたが、相手方は客方のメイドの様子がおかしいことに気付き声をかけてきた。


 「どうなさったの? 何か困った事があって? 私達で協力出来る事はあるかしら?」


 その言葉はマリアンヌのメイドには天の声にも聞こえた。だが、それを命じた主のことを説明しなければならないことを思うと自然と口が重くなり、おし黙ってしまう。


 「ここで話せないのならメイド専用の控え室に行きましょう。用事を言いつけられたのなら少しくらい融通をきかせ時間を使っても大丈夫でしょう。代わりにこのクリスタが控えているから大丈夫よ」


 慌てて、とんでもない、遠慮すると口にしたが放っておいてはくれないようで、どんどん段取りが決められてしまった。


 「さぁ、これで問題無し。行きましょう。あなた、ここへ来てから一人でずっと頑張っているし。明日帰るとは言っても今日だけでも相当働いているでしょう? 少しの息抜きくらい許されるわよ。それにせっかく出会えたんだもの、限られた時間だけど、最後の夜に私達の親睦も深めましょうよ」


 再三誘われて断ることは出来ず、実際に心身ともにヘトヘトだったのもあり、自分の(あるじ)とは正反対の優しい言葉と、実現できそうに無い命令のこともあり、ついメイドは頷いてついて行った。



 *



 従業員用の階段を使い別棟の1階へ降りると、通路を更に通り抜けマリアンヌのいる棟とはこれまた別の建物へと抜けた。

 途中高い生垣があり、そこを過ぎると区画が違うのか完全に別棟は見えなくなった。そして最後の角を曲がると雰囲気が一変した。


 「ここからが私達の生活するエリアなの。本館や別棟みたいに豪華ではないけれど、なかなかのものよ」


 どこか自慢気で、楽しげで、こっちこっち早く早くと誘われる。


 「い、いいの? 私は他家の・・・」


 あまりにも堂々と入って行くので、かえってマリアンヌのメイドはキョロキョロと落ち着かない。


 「いいのいいの。この先にね私達用のテラスがあるのよ」


 そういいながらしまいには落ち着かないメイドの手を取り、ご機嫌に鼻歌まで出て、先程までのキリッとした表情から雰囲気が変わっているような気がする。


 「さぁ着いたわ、座って。直ぐにお茶を淹れるわね」


 おそらく昼間だったら日当りも良いに違いない。

 明るく清潔な空間に、座り心地の良さそうなソファやベンチ、テーブルなどがそこかしこに置かれており、休憩中なのか仕事が終わったのかチラホラお茶を飲んでおしゃべりをしている者達も見受けられる。皆一様に楽し気だ。


 「そう言えば自己紹介がまだだったわね、私はラウラよ。ずっとここでメイドをしているの。別棟にお客様がいらっしゃるときは別棟専用のメイドなのだからあなたのことは昨日から知っているわ」


 ラウラに勧められるままにソファに座るが、正直言って、半ば強引に連れて来られて落ち着かない。けれども、名乗られた事で見ず知らずの、という不安感は拭えたようでようやく笑みが見えた。


 「わ、私はメルヴィ。一年前から都にあるホルソ家に勤めているの」


 「一年前? それでお嬢様付きなんてメルヴィは優秀なのね」


 ラウラは心の底から感心したとメルヴィを見た。するとメルヴィは苦笑いを浮かべ、首を振っている。


 「違うの今回だけなの。本当は正式なお嬢様付きのメイドが3人いるんだけど、今回は皆さん同行できないそうで、だから私に行くようにって言われたの。だから優秀とか、違うから」


 そう話すメルヴィの声が自信なさげに段々小さくなっていく。


 「ふーんそうなんだ大変だねメルヴィも。はい、まずはお茶をどうぞ。これね、ティーナ様が手摘みされたの。美味しいわよ」


 説明をしながらラウラが綺麗な淡い黄色のお茶の入ったカップを渡すと、メルヴィは目を丸くしていた。


 「ティーナ様って、こちらのお屋敷のお嬢様でしょ? そのお嬢様が摘まれたの?」


 「そうよ。散歩に出られたら必ず摘んで来られるの。この屋敷の使用人達も、皆このお茶が好きで、最近はみんなコレばかりよ」


 ちなみにこのサロンでは自由に好きなものを飲めるようにと幾種類もの飲み物やお菓子が常備されている。使い切る前に当番のメイドが補充してくれるから、気兼ねすることなく何杯でも好きなだけ飲める。その説明を聞いて更にメルヴィは驚きを隠せないでいた。


 「いただきます・・・。いい香り、美味しいわ。まろやかな味ってこう言うもののことかしら」


 目を細めてリラックした表情を見せたメルヴィは、飲み込んだ後も目を閉じて余韻に浸っているようだ。鼻に抜ける香りを楽しんでいるように見え、その表情が先程よりいくらか柔らかくなっているのをラウラは気づいた。


 「気に入ってくれて良かった。落ち着くでしょこのお茶。寝る前に飲むとよく眠れるのよ」


 「うん、落ち着くわ、ホッとする。ありがとうラウラ」


 ほわっとした笑顔を向けてメルヴィはお礼を言った。泣きそうだった顔は鳴りを潜めている。


 「いいのよ気にしないで。勤め先は違うけど同じメイドだもん。困ってたら助け合わなきゃ」


 ラウラの言葉にメルヴィは視線を落とし、表情もこころなしか沈んでしまったようだ。カップを弄りながら何かを考えている。


 そんなメルヴィをラウラは急かして話をさせようとはしない。メルヴィのタイミングを待っているのだ。自分もゆっくりとお茶を飲みつつ、メルヴィの様子をそっと伺いながらも、根気強く待っていた。


 しばらく経ってようやくメルヴィは視線を上げた。


 「・・・ねぇラウラ。ここのメイドっていうか働いている人みんな、ラウラみたいなの? さっきの子も」


 「私達みたいってどう言う意味?」


 純粋にメルヴィの言っている意味が分からずラウラは首を傾げた。


 「優しいっていうか、気遣ってくれるっていうか。昨日初めて会った時から『困ったこと無いか』って常に声をかけてくれて。その・・・正直言うとね、私、ホルソの家では居場所が無いの。みんな冷たくて、こうやってお茶を飲むなんてしたことないし」


 「そうなんだ・・。それは辛いね」


 メルヴィの置かれた境遇を聞いて今度はラウラが驚く番だった。だが努めて穏やかな声を出すように心がけた。


 「そうだね、ここの人達はみんなこんな、かな。実はね、私の初めてのお仕事がここに決まった時、凄く嬉しかったけど同時に不安になってたの。やっぱりさ、なんだかんだ言ったって、あのアルムグレーンじゃない。きっと優秀な人達ばかりなんだろうなって想像するとさ、どんどん怖くなって来てうまくやっていけるかなーって不安で押しつぶされそうになって、何度か辞退しようかなって思ったこともあったのよ。

 でもね、実際に入ってみたら、みんな困った事があったら必ず言いなさいって、どんな小さな事でも一人で抱えちゃ駄目って、そう言われ続けて、実際今じゃ何でもない小さなことまで話すようになってたな。で、自然とこうなってたっていうか」


 メルヴィのラウラを見る目が心底驚いたとばかりに見開かれて、同時に実に羨ましそうだ。羨望の眼差しをラウラに向けていた。


 「素敵だわ、そういう関係。私、メイドが向いてないんじゃないかって本気で思い始めてたから尚更羨ましいわ」


 力なくボソボソとした喋りになるメルヴィを元気づけようとラウラは努めて明るい声を出した。


 「そんな訳無いじゃない。メルヴィは頑張ってるわ。昨日今日しか見てないけど、あのマリアンヌ様の言いつけをキチンと実行しようと孤軍奮闘しているのを見ていたから分かるわよ。むしろ頑張りすぎないでってクリスタと心配してたのよ。ね、本当に、もし困っている事があったら言って。お手伝いできるかもしれないし、早く解決できるかも。もちろん、お手伝いしたって誰にも言わないわ」


 ガシッとメルヴィの手を握ってラウラは訴えかける。


 「でも・・・お嬢様が・・・」


 「ねぇメルヴィ、私にはあなたが何を指示されたか分からないけど、勝手の違う屋敷で何かしようと思ったら、そこで働く人に聞く方が早いし確実よ。それにね、こう言っては何だけど、自分の勤める屋敷で他の屋敷の人が好き勝手にしているのってどう思う?」


 「うん、ちょっと嫌かも」


 「でしょ。だからね、こう言う場合は正々堂々頼って良いの。私が逆の立場でもそうするから。他の屋敷のメイド達も少なくともここに来たらそうしているわよ」


 次第に輝きを増すメルヴィの瞳を見ながら、ラウラはニパッと笑って力強く頷いてみせると、メルヴィも安堵の表情を浮かべた。


 「本当? もしそうなら、お願い協力してラウラ。私一人じゃ絶対に無理」


 「もちろんよ。で、指示は?」






 メルヴィの話す内容にラウラは目を見張った。まさか良家のお嬢様が、と耳を疑っていたのだ。それ程にショックでメルヴィがなかなか話したがらなかった理由も理解した。


 「ラウラ、私が嘘を言っているって思ったりしないの?」


 「どうして? 私にはメルヴィがそんなことをしても何の得にもならないことを知っているし、むしろ、メルヴィが犯罪者になってしまうもの。私そんなの嫌だわ」


 メルヴィの両手を握りラウラが言うと「犯罪者」と呟いたメルヴィはプルプルと震え出した。顔色もよろしくない。


 「だから話してくれて良かったわ。大丈夫。決してそんな事にならないように協力するからね」


 「でも、どうやって? ラウラが罪に問われるのは私も嫌よ。指示を受けたのは私なんだから、私が罪を着た方が良い」


 「メルヴィありがと。でもね、物事には順序ってものがあって、きちんと相談すればいいの。待ってて、私から相談してみる。決して悪いようにはしないわ。だからメルヴィはここで少し待っていてくれる? 一人だと寂しいだろうから・・・そうねぇ、あ、ねぇ、ちょっと、ミルカ、ニナ、よかったらこの子の相手をしてやってくれる? この子はねホルソ家のメイドでメルヴィよ。メルヴィ、ミルカとニナ。私と同じメイドでいつも助けてもらってる仲間なの安心して。じゃ、私ちょっと行ってくるから。直ぐに戻ってくるからおしゃべりしてて」


 メルヴィを休憩のためにやってきたミルカとニナに任せ、ラウラは一人どこかへと消えて行った。


 「メルヴィね。よろしく。都の話を聞かせてよ」


 自分達もカップを持って来てソファに座り、人なつこい笑顔でミルカとニナはメルヴィに話しかけた。





 ラウラの向かった先はサムリのところだった。

 ラウラはサムリに事の次第を報告し、今はサムリの判断を待っているところだ。ついでにテーブルに置いてあるお菓子に手を伸ばしている。もちろんサムリの許可は出ている。


 「ラウラ、良く気付いてくれましたね。対応も問題ありません」


 サムリに褒められてラウラはとても嬉しそうだ。


 「ところでラウラ、メルヴィは首になりたがっていましたか?」


 ラウラはかじっていたお菓子を取り落としそうになり慌てて掴み直した。そして口の周りにお菓子の屑をつけたままで答えている。


 「え? 進んで首になりたい人なんて居ませんよ。だからメルヴィは困っていたんですし」


 何を言っているんだという目をしながらラウラは答えた。


 「そうですか。ならば次の職が決まっていれば良いんでしょうか? ホルソ家でなくてもいいんですよね」


 「まぁ、普通はそうですね。ホルソ家には居場所が無いって言ってましたし、メイドが向いてないかもとも言ってたからホルソ家にはこだわりは無いかもしれませんけど・・・」


 ラウラの答えにサムリは口角を引き上げて満足そうにしている。


 「ならば話は早い。正直、マリアンヌ嬢の望みの物はそうやすやすと差し上げる訳には参りませんから、ギリギリまでメルヴィを足止めしておいて首にしてもらえば良いでしょう。次の仕事はこちらで紹介します」


 「あは。さすがサムリさん。私もそれが良いと思います。あの子、良心の呵責に耐えられるほど強くは無いと思いますから」


 サムリの提案にラウラも満足そうだ。お菓子を握りしめながらも深く頷いている。


 「ならばもうしばらく足止めをお願いしますよ」


 「そういうことならお任せ下さい。これ持って行っても良いですか? おいしいお菓子は働く女子の大好物ですから」


 ちゃっかり強請(ねだ)るのはラウラの得意技だ。けれどもそれがきっと効果的に働くはずだと言う計算もあってのことで、それを理解しているサムリは苦笑して頷いた。


 「幾らでもどうぞ。イルマリが試作品を無理矢理置いて行ったやつですけどね。そんなにひとりで食べられるわけがないのに分かってやっているんですから」


 「むしろそう言うのがレアでしょう。じゃ、戻りますね」


 「“仕事”だからと言って、羽目を外したりしないように気をつけて対処してください」


 最後にきちっと締めるサムリに対し敬礼をすると、結局ラウラはテーブルに置いてあったお菓子全てを持ってメルヴィのいるテラスへと戻って行った。



 ***



 「他人の物を欲しがるとは」


 サムリから報告を受けたイェオリは静かな声で言った。その声の裏に隠されている本音は長年仕えて来たサムリですら見極めるのは難しい時もあるが、今はきっと実兄の曾孫の実態に嘆いている事だろう。


 年の離れた実兄をイェオリは父同様に尊敬していた。兄が跡継ぎを残さずに亡くなった時、兄の娘達に男児が産まれたら素直に家督を譲るつもりでいた。だが、その後も全く男児には恵まれずに今日まで至ってしまい、兄の系譜ではもう姪のサネルマが最後の特権階級籍(プリヴィレジーオ)でいるだけだ。


 サネルマの妹達はそれぞれ好いた相手と結婚すべく自ら籍を離れることを希望した。

 残念ながらイェオリは当時の立場上、結婚式には参列しなかったが、結婚が決まった時の彼女達の嬉しそうな顔は覚えている。

 彼女達は籍を離れる事に何の戸惑いも無かった。むしろ自由に結婚でき、自由に通りを往来出来るそんな幸せを求めたのだ。

 その後、彼女達が親となりすっかり一般国民としての幸せな生活を送っているとサネルマは自分の事のように嬉しそうにイェオリに話していた。


 けれども時代が下がるにつれ恵まれた生活に、周囲が見えなくなってしまった者が出て来た。持っているモノに満足をせず、持っていないモノを欲しがるようになった。たまたま裕福な家に生まれたばかりに、欲しいと言えば与えられるという悪循環に慣れきり、それが当然だと思い込み、今回、イェオリとビルギットが大切に守っているティーナに矛先を向けて来た。

 ティーナを追い出すだけでなく、ティーナの周囲全てを取り込もうと欲深く欲しがっている様子は聞くに堪えないものにまでなった。


 「ティーナ様の衣装やアクセサリーを盗って来いと、そう指示を出したそうです」


 ティーナが身につけている物はイェオリとビルギットが用意した物ばかりではない。さるお方から預かり渡していたものも多いのだ。


 特に優しい、淡い色のものは、この世界が今のように明るく鮮明でない時間が長過ぎて、人々がこれらの色を使わなくなって久しい。だから持っていなくて当然なのだが、若芽の息吹を感じるこの色達は一縷の望みを持ち続けていたあの方が希望を込めて準備していたものだ。だから、与えられた者以外が着るなど許されないことだ。


 「盗って来いか。兄上が聞かれたらさぞかし嘆かれるだろう」


 亡き兄を想ってイェオリの眉が苦しそうに歪んだ。


 

 ***



 その頃、マリアンヌはメイドが戻って来ないことに徐々に苛立ちをつのらせ始めていた。就寝の時間までもうそれ程時間が残っていない。

 明日の準備は万全を期したいと言うのに、未だ姿を見せないメイドを待ちつづけている。自分が使用人に待たされている事に腹を立て段々落ち着きを無くしていた。


 「そこのお前、私のメイドが戻って来てないかその辺まで見て来てなさい」


 メルヴィの代わりにマリアンヌの部屋に控えていたクリスタに対し乱暴に命じると、自身はイライラと部屋の中を歩き回り始めた。

 クリスタは頷いて部屋を出ると直ぐにサロンへと向かった。


 「ラウラ、お呼びよ」


 クリスタはニッと口元を引き上げて声をかけると、それまで楽しそうにしていたメルヴィがはっと我に返った。そこでようやく大分時間が経過していることに気付いたのだろう。表情が一気に強ばりを見せた。

 そんなメルヴィを尻目に、ラウラがクリスタに話を続けた。


 「ねぇ聞いてよクリスタ。メルヴィったらサムリさんにお説教されちゃったんだって」


 「えー。どうしてよ」


 「道に迷って本館の二階にいたんだって。プライベートスペースだって知らなくて」


 「えええ! ってか知っているわその話。知らない顔のメイドがプライベートスペースにいたって噂になっていたもの」


 キャハハと笑いだしたクリスタが、ピタリと笑いを止めて言った。


 「ラウラ、お呼びだってば」


 すっかり乗せられてしまった事に気付いたクリスタはジトリとラウラを睨む。


 「クリスタすっかりお任せしてしまってありがとう。つい楽しくて時間を忘れてしまっていたわ、ごめんなさい」


 「違うわよ私達がそうしたの。ついでに、サムリさんにも許可は貰ってるから大丈夫よ。でもマリアンヌ様がお呼びだから、さすがに楽しい時間はこれで終りね。さ、仕事に戻りましょうかメルヴィ」


 慌てるメルヴィに一緒に居たメイド仲間達は彼女の不安を消してくれるような笑顔を見せている。


 「ラウラ、みんなありがとうね」


 メルヴィは笑顔でお礼を言う。短い間だったが互いの仕事のことで話の出来る相手ができたことにとても嬉しそうだ。笑顔で別れの挨拶をしている。


 そんな中、ラウラだけは神妙な面持ちでメルヴィを見つめていた。


 「メルヴィ。ちょっといい? 良く聞いて頂戴ね」


 ラウラが急にまじめな顔つきでメルヴィを見つめていて、なにやら話があると言う。メルヴィは少しばかり面食らいながらも素直に頷いた。


 「あなたはメイドとしての経歴は1年って言っていたわね。でもね、主からの指示に対してただただ黙って言う事を聞く必要は無いの。主が人の道を外しそうになったらそれを諌める事も時には必要なのよ。時にはその場で首を言い渡されるかもしれないけど、それでも言わなきゃいけない時がある」


 たった今まで楽しくおしゃべりをしていたラウラだったが真剣な面持ちで訴えかけるようにメルヴィに語りかけている。どうしてそんな事を突然言い出したのかメルヴィは訳が分からなくて不思議そうにしていたが、問いかけるようなラウラの目を見ていたら、自分がここへ連れて来られた時に口にした内容を思い出した。


 「お嬢様の、指示の件、ね?」


 お茶を飲んだばかりだと言うのに口の中がカラカラになっていて、うまく舌が回らないが、ようやくその事を口にすると、ラウラはウンと頷いた。


 「良く聞いて。メルヴィが悩んでいた通り、マリアンヌ様の指示は犯罪なの。誰かが諌めて差し上げなければいけないの」


 「・・・それが、私ってことね。ううん、ここでは私しかいない」


 確信をもってメルヴィは答えた。それはあたかも自分自身に言い聞かせているようにも見える。


 「そう。ホルソ家のメイドは、今、ここではあなたしか居ないわメルヴィ」


 メルヴィの強ばった顔が事の重大さを認識しているとラウラは理解した。そしてその上でメルヴィに問うているのだ。

 ギュッと目を閉じるとゆっくりと頭の中でラウラの言葉を反芻し、次に目を開けたとき、メルヴィの心は決まっていた。


 「・・・ラウラ気付かせてくれてありがとう。私もお嬢様に人の道に外れた事をして欲しく無いわ。だから、私、言います。首にするって言われるかもしれないけど、そんなことどうでもいいわ」


 すこし顔色は悪いがメルヴィは力強い目でしっかりとラウラを見ている。


 「あなたは正しい事をするの。胸を張って。私達も一緒にいるからね」


 呼びに来たクリスタがメルヴィの肩を叩き勇気づけた。


 「さ、行きましょう。あなたは一人じゃないわ」


 メルヴィはラウラとクリスタと一緒にマリアンヌの部屋へと戻った。






 「遅かったじゃないの! 何をぐずぐずしていたの!」


 メルヴィの姿を見るなりマリアンヌは激しい口調で責め立て、メルヴィの挨拶すら受け付けない状態だった。仕方なく、メルヴィはラウラとクリスタに手伝ってもらいマリアンヌの就寝の仕度を始めた。

 その様子を椅子に座りじっと見つめていたマリアンヌは、ラウラとクリスタに隣の部屋に行くように指示を出すと、メルヴィに詰め寄った。


 「お前、手ぶらなの? 持って来なかったの?」


 二人きりになりマリアンヌの口調は更に強まった。

 思わず息をするのも忘れてしまうほどにメルヴィは硬直してしまった。そんなメルヴィにマリアンヌは近づくと指先で小突いた。とたん、メルヴィはヘナヘナとその場に崩れ落ちる。


 「も、申し訳、ございま、せん。あの、それが・・・」


 「何よ。ハッキリ言いなさい!」


 さっきまでラウラとクリスタからの励ましで、言わなきゃと心に決めていたのに恐ろしくて声が出て来ない。さらに間近で次々と大声で畳み掛けられて萎縮してしまい、分かっているのに、体がいうことをきかないジレンマにメルヴィは陥ってしまっていた。


 その時、扉を叩く音がした。


 「マリアンヌ様、どうかなさいましたか?」


 もう一度叩く音がし、ようやくメルヴィは魔法が解けたように我に帰った。


 「何でも無いわ」


 素っ気なくマリアンヌが答えると何故かまた叩く音がした。トントントントンーーー



 が、ん、ば、れ。




 部屋に戻る途中で、クリスタが「トントントントン」と口ずさむと、ライラが「がんばれ」と答えていた。


 「それは何?」とメルヴィが不思議そうにしていると、クリスタとラウラはニコッと微笑み教えてくれた。


 「これはね私達だけにしかわからない言葉なの。『いそげ』ならば『トトトト』、『出て来ちゃ駄目』は『トトン、トン、トン』みたいな感じでねそっと伝えたい時に使ってるの。もし、メルヴィだけしかお部屋に入れなかったら、私達は外でこうやって応援するわ。一人じゃないって思い出してね」


 そう言っていた。



 (一人じゃないわ。ラウラとクリスタがすぐ側に居る。私は、きちんとお嬢様にお話しなければ!)


 メルヴィはありったけの勇気をかき集めると大きく呼吸をして立ち上がった。


 「お嬢様、お話がございます」


 もうさっきまで怯えていたメルヴィではなかった。きちんと伝えなければ、主を人の道から外さない為に、その一心で立ち上がったのだ。


 一方、急に人が変わったのように表情を引き締めたメルヴィにマリアンヌの方が驚いていた。


 「な、なによ、口答えする気?」


 それでも主という矜持で胸を張って虚勢を保ちメルヴィを睨みつけた。だが、今回はもう大丈夫だとメルヴィは一歩も引かない姿勢でマリアンヌに向かい合った。


 「ご依頼の物はお持ちしませんでした。なぜなら、お嬢様のおっしゃったことはやってはいけない事だからです。どうかご理解下さいませ。ティーナ様のものを盗って来るようにともう仰らないで下さいませ」


 まさか年若いメイドに説教されるとは考えもつかなかったマリアンヌは、近くに置いてあった手鏡を持ちメルヴィに打ち下ろした。


 「生意気な!」

 

 カシャン!


 メルヴィの額に当たり鏡は砕け、その反動で鏡の破片が打ち付けたマリアンヌの頬をかすめて飛んできた。


 「きゃーーーーー!」


 悲鳴を上げたのはマリアンヌの方で、頬を押さえると手に薄っすら血が付いていて、再び叫んでしまった。その悲鳴に隣の部屋に居たラウラとクリスタはノックをする事無く扉を開け、目の前の展開に驚愕してしまった。

 自分の血を見て悲鳴を上げ続けるマリアンヌにラウラが素早く駆け寄ると平手打ちをした。一瞬、自分の身に何が起こったか分からず、マリアンヌは叫ぶのを止め茫然とラウラを見つめている。


 「しっかりなさいませ。傷は深くはございません。直ぐに手当てをしますのでじっとしていて下さい」


 そう言ってポケットからハンカチを取り出すとマリアンヌの頬の傷を押さえた。


 「ラウラ! そんなことよりメルヴィが!」


 クリスタは倒れていたメルヴィに駆け寄るとその傷に驚き、ラウラを呼んだ。激しく打ち付けられたのだろう、メルヴィの額にはかなり大きな傷ができ血が溢れていた。

 クリスタは最初自分のハンカチで止血を試みたけれどそれだけでは足りず、自分のエプロンを引き裂いてギュッと頭部を圧迫する。その間に、ラウラに助けを呼びに行ってくれるようにと指示を出す。


 「ちょっと待ちなさい! 勝手な事しないで。ここは私の部屋なのよ!」


 流石のマリアンヌもこの状態を見られたらどうなるか察したようで、慌ててラウラを止めに入った。だが、そんなことで怯むラウラではない。


 「お黙りなさい! メルヴィの主ならメルヴィを助けることを指示するのが先でしょう。それに、ここは今あなたが使っているお部屋かもしれないけど、イェオリ様の、アルムグレーンの屋敷だってこと忘れてない? 邪魔よ、どいて」


 ラウラは捲し立てるように言い放つと、両手を広げて立ち塞がっていたマリアンヌを脇へ突き飛ばして廊下へと走り出た。


 またしてもこれまで経験した事の無い暴挙に出られマリアンヌの怒りは爆発した。その怒りの矛先は当然ーーー倒れて意識の無いメルヴィにマリアンヌは近づき、襟首を掴むと乱暴に揺さぶった。


 「今すぐ起きなさい! この愚図が! お前のせいで私の立場が無いわ!」


 「ちょっ・・何をするの! 止めなさい!」


 慌ててメルヴィを抱きしめて身を挺して庇い、マリアンヌから引き離そうとするが、執拗にマリアンヌはメルヴィに手を出そうとする。

 クリスタは仕方ないと腹を括り、マリアンヌを蹴飛ばした。そして静かにメルヴィを床に寝かせると、すぐさまマリアンヌを引き起こし椅子に座らせ、さっき引き裂いたエプロンの残りを使って椅子に括り付けた。


 「何をするの! 私を誰だと思っているの! これを外しなさい! 無礼者!」


 日頃全く力仕事などしたことのないマリアンヌは、この程度のことで全く身動きが取れなくなってしまった。代わりに、良く動く口が抵抗を示すが実害は無いとクリスタは捨て置いた。その代わり、念には念を入れ足も括り付ける。


 「本当は口も閉じたいところだけれど、それ位はまぁいいとするわ。メルヴィに危害が加わらなければ良いんだから。有り難く思いなさい」


 腕を組みフンと見下ろすと、直ぐにメルヴィの側へと駆け寄った。さっき揺さぶられたせいか止血をしているところの布がじっくりと濡れている。


 「ああ、メルヴィ。ごめんね、こんな事になるなんて。すぐに助けが来るわ頑張って」


 意識の無いメルヴィの手を握りクリスタは話しかけ続けた。どの位時間が経ったのか、遠くから複数の足音が近づいて来るのが聞こえて来た。


 「メルヴィ、助けが来たわ。もう大丈夫よ」


 頬を撫でて意識の無いメルヴィにそっと語りかけると、薄らと目が開いた。


 「メルヴィ? 分かる?」


 涙目で語りかけるクリスタに視線を会わせてメルヴィは小さく頷いた。その些細な反応にクリスタはぐいっと涙を拭き取ると、改めてしっかりメルヴィの手を握り直した。


 「こちらです。早く!」


 ラウラの声がすぐそこで聞こえたかと思うと、すぐさま人がなだれ込んで来た。


 「クリスタ! メルヴィは?」


 ラウラが一目散にメルヴィのもとへと駆けつけた。


 「さっき目を開けて頷いたの」


 応援が来た事でクリスタの緊張がほぐれたようだ。ラウラがクリスタを抱きしめると一緒に立ち上がり場所をあけた。

 そこへ座ったのはティーナだった。少し遅れてやって来たティーナはさきほどビルギットに没収されたリュックを持っている。そして倒れているメルヴィを見つけるや否や脇目も振らずに側に駆け寄った。


 「ちょっと! なんでお前がここに来るの! 出て行きなさい! 今すぐ出て行って!!」


 大勢が入って来た事で一瞬黙っていたマリアンヌだったが、ティーナの姿を見た途端、またしても騒ぎ始めた。そんな声も耳に入っていないのかティーナは凛とした声を発した。


 「そこの4人! ちょっと来て。この子をそこのベッドへ運んで」


 ティーナは一緒に助っ人でやってきてくれた人達に協力を要請すると、力自慢の彼らは一も二もなく頷いた。


 「止めなさい! 私のベッドにその汚れた使用人を乗せないで!」


 ぎゃいぎゃいと喚くマリアンヌのことはまったく気にすることなくティーナはメルヴィのそばについた。そしてそれぞれに指示を出し、一二の三で息を合わせ抱え上げメルヴィをベッドへと横たわらせる。


 「ありがとう、これからの彼女のことは私に任せて。あなた達にはもう一つお願いがあるの。この煩い人をこの部屋から遠ざけて頂戴」


 「承知!」


 騒ぎたてるマリアンヌを一切見る事無くティーナは指示を出し、すぐさまそれが実行に移された。





 マリアンヌは椅子に縛り付けられたまま居間を通り、それから廊下、更には別棟の端の部屋まで連れて来られた。


 「私を、私を誰だと思っているの! こんな侮辱、許さないわ、絶対に許さないんだから!」


 「誰が誰を許さないって?」


 そこにイェオリが入って来た。続いてターヴェッティ、トゥオマス、更にはサムリとラウラ、クリスタも続いて入って来る。そこでようやく自分の置かれた異常な状況を理解したマリアンヌはようやく口を閉じた。


 「ようやく静かになったようだな。全く聞くに耐えんよ」


 サムリによって手早く椅子が整えられると、イェオリは堂々と座った。そしてイェオリを中心にターヴェッティとトゥオマスが両脇を固めるように立つ。


 「さて、そうだな、まずは怪我の手当だな」


 イェオリがサムリに目配せをすると直ぐにラウラとクリスタが薬箱を手にマリアンヌの処置に当たる。怪我をした当初に流れていた血はすっかり乾いており、治療は乾いた血を拭い消毒液をつけて終了となった。


 「この分だと傷は残らないと思います」


 クリスタが診たてを告げるとイェオリは頷いた。


 「ありがとう。君たちは下がって良い。そうだな、ティーナの方を頼む」


 ラウラとクリスタはお辞儀をすると直ぐに部屋を後にした。イェオリは扉が閉まる音を確認するとマリアンヌへと改めて視線を向けた。


 「さてと、何から話そうか」

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