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緑の中の  作者: 千砂
37/54

お散歩します

 「よく似ておるな」


 「ええ本当に。(わたくし)でも見間違いますわ」


 ティーナの眠るベッドのそばで老夫婦が穏やかに会話をしている。ビルギットは(イェオリ)に話しかけられても一瞬も目を離すことなく眠るティーナの寝顔を見つめている。


 「色が違えば印象も変わるはずですが、性格も似ているようでつい。あの子も幼い頃はやんちゃばかりでしたから」


 ビルギットの答えにイェオリも目尻にしわを寄せ頷いている。


 「だいぶ髪が伸びた」


 当初老夫婦を驚かせたベリーショートの栗毛色だった髪は、今は随分とシルバーグリーンの色に比率が取って代わっている。イェオリはティーナの額にかかる髪の毛を手櫛でそっと横へと流してあげた。武骨な節くれだった指が髪を梳く度にイェオリは年月の経過をしみじみ思い知った。


 「ワシも年を取ったな」


 イェオリの言葉にビルギットは「今更ですわ」と言ってコロコロと笑っている。


 「だって私達はアーヴォとアヴィーノですもの」


 イェオリの目が軽く見開かれると破顔した。 


 「それもそうだ」


 「それに十数年の年月は赤ん坊が自らの意志で立って歩くことができるようになるには十分だということだな」


 老夫婦は眠るティーナを眺めながら穏やかな会話を続けていた。





 「泣いているのか?」


 「ち、違うわ」


 寝室の隅に控えていたアンティアがそっと抜け出て隣の居室に出てきた。目が少し赤くなっており、クスターから顔を背け鼻をかんだ。


 「ただ、いいなって思っただけよ」


 ハンカチを目に押し当てながら軽く鼻にかかる声で否定するが、今朝からアンティアは感情が抑えられないようだ。

 妹のように思い接していたティーナの突然の失踪は例え明け方だけの短い間だけであっても相当(こた)えたらしい。


 話題になっている本人は未だ眠り続けており、ビルギットとイェオリがずっと付き添っている。誰もが一目置く夫婦だが、ティーナへの接し方はそれはそれは丁寧で、かける愛情を隠そうともしていない。そのせいか穏やかな空気が屋敷に広がり、使用人の間にも良い空気として浸透しているようだ。


 「ティーナ様がこちらに来られて本当に良かったって思ってるの。ご本人は突然知らないところに来て、しかも当時は大怪我されていたし、相当辛かったと、ううん、今もきっと辛い思いをされていると思うわ。言葉も分からないし、そのせいで心労だってきっと相当だと思うの。それこそ私が初めて親元から離れて、こちらで生活を始めた時以上の不安なはず。

 ティーナ様の凄いところは、そんな感情を私達にはいっさい見せないってこと。我慢してた結果がきっと今日みたいなことが起きたんだと思う。もっと甘えられる環境を私が作っていればこんなことにはならなかったのかもしれない。

 シャーフォはヒトの言葉を話さないけど、ティーナ様の気持ちにはきっと私よりずっとずっと敏感に分かっているんじゃないかな。おひとりで寂しい思いを我慢してたティーナ様を、シャーフォが一緒に居て慰めて差し上げるためにラーシュ・オロフ様が遣わされたんだと思うのよ」


 これまでのことを思い返し悔やんでいるアンティアに、クスターがどう声をかけようかと逡巡していると突然第三者の声が聞こえた。


 「そのようなこと、ここ以外では軽々しく口にするでないぞ」


 そう言いながらイェオリが寝室から出てきた。


 「も、申し訳ございません」


 慌ててアンティアとクスターは立ち上がった。

 そんなふたりに軽く手を上げ、イェオリはその話は終わりだと告げた。叱るつもりはもとから無いのだ。もちろん謝罪されることも望んではいない。


 「ティーナが目覚めた。着替えを手伝ってやってくれんか。だが、その前に顔を洗うといい」


 ティーナが目覚めたことを聞きすぐさま寝室へ行こうとしたアンティアだったがイェオリに呼び止められる。アンティアの鼻と目が赤くなっていることに気付いたイェオリはまず洗面所へ行くようにと促した。落ち着けと言っているのだろう。


 「いろいろ迷惑をかけるな」


 労いの言葉をかけると二人は揃ってとんでもないと言う。そんな二人を見ながら「あとは頼む」と言いおいてイェオリは一足先に自室へと戻って行った。





 話し声が聞こえる。

 似ているとか、年取ったとか、断片的にティーナには聞こえているが意識が定まらなく、浮き沈んでいるせいで会話の流れがわからない。でも、良く知っていると解ってる。

 頭を撫でられたり頬に触れられたりする感覚が非常に心地良い。


 このまま微睡んでいたいがお腹も空いてきた。


 「ん、、、ふぅ」


 目蓋を瞬かせると見慣れた天井と、自分を見下ろす瞳と会った。


 「アヴィーノ? おはようございます」


 寝起きで働かない頭でも毎日口にする言葉はついて出る。


 「おはようティーナ。気分はどうかしら?」


 そっと額に口付けられ頭を撫でられる。とても心地良くてうっとりとビルギットを見つめるとふっと微笑みを向けられた。

 この優しい笑みをつい最近見た気がする。

 はてさてどこでだったかすぐには思い出せない。そんなことを考えていたら別の方向から声が聞こえる。


 「やはり気分でも悪いのか?」


 反対側を見るとイェオリがビルギットと同じようにティーナを見ている。


 「アーヴォおはようございます。気分は悪くありません、ダイジョウブ」


 そっと手を差し出すとイェオリは優しく握り返してくれた。その手は温かくてすっぽりとティーナの手を隠してしまうほどに大きい。じわりと安心感が広がり心が暖かくなる。ここへ来た当初、酷い怪我をし、意識が戻った時から変わらずにこの手はティーナを慈しんでくれているのを思い出した。


 ティーナはその大きな手を握り返すと、引き寄せスリっと自身の頬にあてた。


 「大好きですアーヴォ。いつもありがとうです」


 イェオリの手を借り、起き上がるとそのままハグをされた。大きな手で頭を撫でられると頭頂部にキスが降りて来る。


 「着替えたらお茶の時間だ。サロンで待ってるぞ」


 そう言うとイェオリはビルギットに視線を送りティーナの寝室を出て行った。





 出ていくイェオリの後ろ姿を見ながらふと気がついた。

 最近は無かったことだ。


 「アヴィーノ、何かありましたか。私、何か変?」


 「変ではありませんよ。よく眠っていただけ。ぐっすり眠って起きないからアーヴォと一緒に見に来たの。よく眠れたかしら?」


 ビルギットは優しく微笑んでいるが、ティーナを気遣い彼女の状態の変化を少しでも見逃すまいとよくよく顔をのぞき込んでいる。

 一方ティーナは、それはもう十分というくらいによく眠った感じがある。

 よく眠って起きたらとてもお腹が空いていることにも気がついた。


 「アーヴォがお茶の時間って言いました。もうお昼過ぎ?」


 「そうね。もう朝ごはんとは呼べない時間ではあるわね」


 最近は寝坊などしたことはないから、そんなに眠っていたのかと驚きを隠せない。

 きっとビルギットとイェオリを驚かせ、心配をかけてしまったのだろう。二人ともお客さんがいるというのに、わざわざやってきてティーナが目覚めるまでついていてくれた。


 「ごめんなさい」


 「謝ることは何もないわ。誰しもそういう時はあります。体が欲しているのなら眠ってあげるのが一番のお薬です」


 ビルギットは落ち込むティーナを元気づけるように抱きしめ、そして「きっと美味しいものをイルマリが準備してくれているわ」と言う。その途端、ティーナのお腹がぐうっと返事をすると、ビルギットの目尻のシワがぐっと深くなった。


 「さぁ着替えましょうね」


 ちょうどアンティアが寝室に入って来た。





 ビルギットと楽しく会話をしながらサロンに行くと、男の人の声で激しい言葉の応酬が聞こえてきた。

 二人は足を止め顔を見合わせた。先にクスターが様子を見てくるという。クスターの姿がサロンに消えしばらくすると、ピタリと話し声が止み男性が出てきた。


 「なんです。もう少し穏やかにお話はできないのかしら? 我が家の男性達は」


 孫二人の顔を見るなりビルギットは苦言を言う。その言葉に苦笑いを浮かべながらターヴェッティとトゥオマスはそれぞれ手を差し伸べた。


 「大変申し訳ございません。少々、お願いごとに力が入りすぎました」


 ビルギットに手を貸しながらターヴェッティが言うと「仕方ないわね」とビルギットはため息をつく。


 「おはよう。体調はどう?」


 トゥオマスはヴアロン越しにティーナの顔を見ながら笑顔を見せる。ショートのトゥヘッドはトゥオマスの笑顔を更に明るく見せる。つられてティーナも笑顔で答えた。


 「おはようございますトゥオマス。沢山寝ました。とても元気です。トゥオマスは疲れていませんか?」


 「俺は全然元気だよ。朝、庭を軽く走ってきたんだが、やっぱりここの空気は気持ちがいいな」


 「走った? イイですね。私も走りたいです。運動得意ですヨ」


 話に乗ってきたティーナにトゥオマスは嬉しそうだ。


 「お、そうなんだ。じゃあとで一緒に庭でも散歩するか?」


 トゥオマスの誘いに目を輝かせてすぐに応じようとした時、横槍が入った。


 「トゥオマス、まずは保護者の許可を得てからだ」


 サロンで待っていたイェオリがビルギットに近づいて、ターヴェッティからその手を受け取る。


 「まぁ。先程の大声はそれですか?」


 イェオリを見ると少々罰が悪そうだ。「まぁそのなんだ」といって口篭っている。そんなイェオリと見ながら「らしくない」「意外だ」とトゥオマスがつぶやいた。


 「お祖父様が頷いてくださらないのです。お祖母様、お力添えを願います。私達は彼女と庭を散歩したいだけなのです」


 ターヴェッティがほとほと困ったとビルギットに訴え掛けたがビルギットもやれやれと軽く首を振った。


 その間にティーナはさっさとトゥオマスと共に軽食の置いてあるテーブルであれやこれやと皿に取り分けている。手に持つ皿はあっという間に隙間が無くなっていき、さすがのトゥオマスも目を瞠った。


 「これ、イルマリさんが改良してくれました。とっても美味しいんです。あ、これも。これも食べたいです」


 ティーナはよほどお腹が空いているようで、目をキラキラさせてどんどん取り分けていると、すかさずアンティアがティーナから皿を取り上げ、見栄え良く盛り付け直していく。いくつかは元に戻されてしまったが。


 「アンティアありがとうございます。さすがです。もっと美味しそうに見えます。もっと食べられそうです」


 一枚のお皿の中でお菓子の配置を変えるだけで、何倍もその価値を増したように見える。

 ティーナのお腹が素直に反応しているのをトゥオマスが声に出して笑うと、ティーナの頬がぷくっと膨らんだ。アンティアにはすぐにわかるティーナの不機嫌の表現だ。ヴアロンの下からちょこっと見える角度だけ見れば可愛らしいが、早々に機嫌を治してもらわなければならない。


 「ご覧ください。これがなにかお分かりになりますか?」


 アンティアが見せたのは透明なまあるい容器に入ったゼリーのようだ。下半分は薄い黄色、上は半透明なプルプルなものが入っている。所々に薄い黄色のフルーツがカットされて入って、見るからに美味しそうだと、一目でティーナは惹かれた。他にも色違いで桃色や緑色のものがある。


 「何ですか? とってもキレイで、美味しそうです」


 「召し上がってみて下さい。答えはそれからです」


 スプーンに盛られているゼリー状のお菓子をティーナの口元に持っていく。すると条件反射のごとくティーナがパクリと食べた。その途端にほわっと表情が一変する。


 「んんん! なんですかこれ。ひょっとしてチートローノとメロニの新作ですか? とーっても美味しいです」


 すっかり機嫌が戻ったティーナは早く食べたいとアンティアをせっつくが、そこは上手にアンティアになだめられイェオリ達が座るソファへと誘導された。


 「ティーナ美味かったか? ワシのもやろう」


 そう言うとイェオリが自分の分のゼリーをティーナの口元に持っていく。イェオリのものは桃色のゼリーで恐らくこれも美味しいはずだ。

 思わずゴクリと喉を鳴らしティーナは一瞬目を輝かせたがそれは駄目だという。


 「ものすごーく美味しいのです。イルマリさんが頑張って美味しくしてくれたのです。アーヴォも食べてください」


 ティーナはイェオリの持つスプーンを奪い取り、逆にイェオリの口元に持って行った。思わずイェオリの口端が緩み、大きな手でティーナの手ごと掴んでパクリと食べた。ティーナはというとイェオリの反応を待っているようだ。期待を込めて咀嚼する口元を見つめている。

 イェオリは凝視されていることは特に気にすることもなく良く味わっていた。


 「うむティーナの言うとおりだな。実に美味い」


 その言葉を聞いてぱぁっとティーナの表情に笑みがこぼれ、まるで自分が作ったように喜んでいる。


 「美味しいものを食べると幸せな気持ちになりますね」


 「ああ、その通りだな。・・・ティーナは幸せか?」

 

 ふいのイェオリの質問にちょっとの間、目をぱちくりとするくらいの間フリーズしたが、すぐさまイェオリに抱きつくと「幸せですヨ」と答えた。


 「アーヴォもアヴィーノも、屋敷の人たちもみんな居てくれます。イルマリさんには時々怒られるけど、みんな大好きです。

 アーヴォとアヴィーノは心配してくれて今朝起きた時、そばに居てくれました。嬉しかったです。独りじゃないって思えます。

 助けてくれて、ここに置いてくれてありがとうございます」


 たどたどしくも一生懸命に伝えようとするティーナの気持ちが分かり、イェオリの目許に柔らかな皺が寄った。


 「はははイルマリには叱られるのか。どんなイタズラをしたんだか。ティーナはお転婆だな」


 イェオリが声に出して笑いながらティーナの頭をポンポンと優しく撫でる。ティーナは「シャーフォが撫でて攻撃をする意味が良くわかります」と言ってイェオリの胸もとにスリスリと顔を押し付けた。

 するとティーナを挟んだ向かい側にビルギットがやってきた。


 「ティーナ、アヴィーノも来ましたよ。私にはハグはしてくれないの?」


 その声にティーナはイェオリから離れると体の向きを変えビルギットにも抱きついた。


 「アヴィーノもありがとうございます。大好きです」


 「私も大好きよティーナ」


 抱き合っている二人をイェオリは満足そうに見ている。そして少し離れたところから、ターヴェッティとトゥオマスが三人の様子を見ていた。若干、二人とも表情が引き攣っているのは気のせいではない。


 「アーヴォとアヴィーノって言わせてるの、本当だったんだな。俺だって言ったことないぞ。ターヴェッティもだろ?」


 言わずもがなという態で黙ってターヴェッティは頷いている。


 「なぁいつもこんな感じなのか?」


 壁際にいたクスターにトゥオマスが話しかけると「そうです」と即答される。


 「意外ですよね。特にあなた方にしてみれば」


 クスターの言葉に「そうだな」とターヴェッティがふっと笑みを零す。目の前の光景を楽しそうに見つめており、口の端が上がっている。その表情は非常に優し気で、きっといつもターヴェッティを追い掛け回すご婦人方が見れば気絶するのではないだろうか。


 「おばあ様もおじい様もメロメロってやつだな。まぁそうなるよな。分からんでも無いしむしろ俺も入りたいんだが」


 「ならばお前もアーヴォ、アヴィーノと言ってみれば良いじゃないか」


 「ち、違う! そっちじゃない! 分かって言ってるだろターヴェッティ!!」


 「あははははは違うのか? 思わず想像してしまったぞお前が・・・」


 「わーーーっ! 想像でもやめろぉおおおお」


 ターヴェッティに揶揄われたのが相当嫌だったらしくトゥオマスは頭を抱えてブンブン首を振っている。そのやり取りを横目で見ながらクスターはクックックと肩を揺らしている。


 「お願いごとが叶えられると良いですね。ま、そん時は俺も一緒なんでそこんとこ宜しくですけど」


 物怖じしないクスターに兄弟は興味を抱いたようだ。クスターを挟む立ち位置に変わった。


 「ふーんそうくるか。まぁでも仕方ないな、君は護衛だもんな」


 「そうですね。ティーナ様に危害を成すものは排除します」


 「面白い。おじい様の人選もさすがだな」


 「どうも」


 「じゃもう一度頑張って来よう」





 ターヴェッティとトゥオマスが自分達の祖父母に対して戦いを挑んでいた。

 二人はティーナを散歩に誘いたいと言うのだが、それには祖父母が揃って首を縦に振らない。さすがのターヴェッティであっても少々面白く無く、一筋縄ではいかない老夫婦にそろそろ降参の合図を送ろうとしていた。


 「アーヴォ、アヴィーノ、私は構いません。庭を歩くだけでしょう? それにアンティアとクスターもいます」


 長く続く応酬に居たたまれなくなったティーナが誰よりも早く根を上げてしまった。


 「ティーナ、こいつらの扱いはワシらの方がよく知っておるからな、お前が気にする事は無い」


 「でもアーヴォとアヴィーノのお孫さんなのでしょう? 散歩するだけ、大丈夫です」


 「ティーナは優しいのだな」


 目を細めてイェオリはティーナの肩を抱く。


 「優しいではありません。アーヴォとアヴィーノのお孫さんなら私も仲良くしたいと思ったのです。下心あります」


 「ほほほ。嬉しい事を言ってくれるわねティーナは。でもね・・・それは下心ではありませんよ」


 今度はビルギットがイェオリの腕の中からそっとティーナを引き寄せて抱きしめた。そしてイェオリに顔を向けると


 「あなた、十分釘は刺しましたし、少し様子をご覧になっては?」


 ティーナの頭上で夫婦の会話が行われている。トゥオマスの顔が微妙に引きつっているのだけはティーナの位置から見えた。


 「ティーナとビルギットがそう言うなら仕方が無いな。ティーナ、夕食までの時間には戻って来るようにな。ターヴェッティ、トゥオマス、一秒たりとも遅れは許さん、いいな」


 器用に声色を使い分けてイェオリがそれぞれに指示を出し、ティーナ達は庭へと出ることになった。もちろん、アンティアとクスターも一緒である。






 「お待ちなさいティーナ」


 エントランスを出ようとした時、デジャヴが起きたかとティーナは思った。日傘を持ったビルギットがいて、ティーナを呼び止めたのだ。


 「ティーナ日焼けをしてしまうわ。これを差しておきなさい」


 「ティーナくれぐれも一緒に傘には入らないように」


 ビルギットの細々した注意事項に加えて、今回はイェオリからもある。


 「それからアンティアとクスター。こいつらが不埒な真似をしようとしたら、ワシが許す。()ちのめせ」


 「御意」


 もとよりそのつもりの二人は、主からのお墨付きを貰い更に身を引き締めた。


 「・・・物騒だな」


 既に扉の前に立っていたトゥオマスが顔を引き攣らせて呟いた。





 「では行って参りますアヴィーノ、アーヴォ」


 ティーナが笑顔で手を振り、一行はようやく庭の散策に出ることが出来た。一番ホッとしたのは、言うまでもなくトゥオマスで開放的な庭に出て、緊張の反動でウーンと伸びをし首をグルグルと回していた。


 「ティーナ様どうぞお手を。この辺りは足場が不安定な所があるようですから」


 そう言ってターヴェッティが恭しく手を差し出した。ティーナは最初断ろうと思ったが、言われてみて見れば確かに足下には石がところどころあり、片手に傘を持っているティーナがこけると危険かもしれない。そう考え素直に手をとる事にした。


 「ありがとうございますターヴェッティ。それから私の名前はティーナで良いです。トゥオマスも」


 「ですが祖父母は許しませんよ」


 「どうしてです? あなた方はアーヴォとアヴィーノのお孫さんでしょう? それに私より、少しだけ、年上」


 「お心遣い嬉しいです。私達、仲良くできそうですね」


 「そうですね。たまにはこうやって遊びに来て下さい。実のお孫さん達が来てくれたら、アーヴォとアヴィーノもその方が嬉しいに決まっています」


 ティーナが発言をするたびに、当人を除いた全員が微妙な表情になる。


 「・・・そうですか。ならば時間を作って時々遊びに参りましょう。ティーナにも会いたいですし」


 「ぜひ! お待ちしています。その時はイルマリさんに教わってお菓子作ります」


 にこにこと微笑むティーナの笑顔をターヴェッティは優しい目差しで見つめる。


 「ティーナ、質問しても良いか?」


 トゥオマスが声をかけてきた。どうぞと頷くとエントランスでのやり取りについての質問だった。


 「お祖父様が一緒の傘に入るなとおっしゃっていたが、あれはどういう意味なんだ?」


 一瞬キョトンとしたティーナだったが、ああ、と頷いて答えた。


 「私の住んでいるところでは一緒の傘に入ることを相合い傘と言います。仲良しが一緒に入るんですけど、女の子同士だったら仲良し、男女だったら夫婦とか恋人とか。以前、アーヴォとお散歩に行った時、アーヴォがクスターに絶対に入っちゃいけませんって言っていました。ね、クスター」


 「ははは、そうでしたね。ちょっと残念でしたけど・・・ふごっ」


 容赦のないカウンターが隣のアンティアから打ち込まれクスターがもんどりうっている。


 「やるねぇ君。相当強い? あ、俺らのこと、打ちのめして良いって言われた時の返事早かったもんね」


 トゥオマスはイェオリのお墨付きを得て水を得た魚のような目をして二人揃って綺麗な返事をした様子を言っている。それに対し、アンティアも当然とばかりに頷いて返した。


 「ティーナ様をお守りするのが私どもに与えられた役目でございますから」


 アンティアの口調は穏やかだがその目は鋭く、トゥオマスの次の言動に神経を尖らせているのはありありと分かる。


 「はは、いいね。これからも頑張ってティーナを守ってやってくれ」


 「お任せ下さい。当面はあなた様方から、ということになりますが」


 真面目な顔でトゥオマスの顔を見返したアンティアにたまらず吹き出した。


 「ぶっ。言うね。じゃ今度、俺と手合わせ願いたいな」


 「旦那様と奥様と、ティーナ様のお許しがあればいつでも喜んで」


 「・・・うわぁ、一番高いハードルを最初に言うんだ。綺麗な顔して容赦ないね」


 この世で最も苦手、且つ尊敬する祖父と祖母の名前がまっ先にあがったことでトゥオマスの頬がピクリと引き攣っている。それでもアンティアは一歩も引くこと無く、己の立場を説明した。


 「私はティーナ様のメイドでございます。暇な時間はございません」


 「・・・確かに。やれやれ俺の負けだな。でも、いいね君。アンティアだっけ」


 直前の衝撃からあっというまに立ち直ったトゥオマスは何だか嬉しそうで、いまにも鼻歌でも歌い出しそうだ。


 「はい。然様でございます」


 「ふーん、忙しいならまだ彼氏とかいないよね」


 「・・・」


 急に黙り込んだアンティアに対して、トゥオマスが身を屈めてアンティアの顔を覗き込んだ。


 「あ、何? 無視?」


 「・・・」


 返事をする気がないのか、アンティアは視線すらトゥオマスに向けようとしない。くるくるとトゥオマスの不躾な視線をかわしていると、少し先をターヴェッティと一緒に歩いていたティーナがツカツカと戻って来て言い放った。


 「トゥオマス、アンティアを虐めないで下さい。アンティアを虐めるなら私が相手になります。私も強いです。たぶん」


 ヴアロン越しのシルバーグレーの目にトゥオマスを非難するような危険な色がにじんでいる。本気で怒らせたのかもしれないとトゥオマスは慌てる。


 「え、ちょっ、止めて。まじで。シャレになってないから。俺、命が幾つあっても足りないから」


 ティーナに挑もうとするならば、まず、近場で言えばアンティアとクスターが黙っていない。更に範囲を広げれば祖父母という史上最強ラスボスが待っている。その事を考えれば、さすがにティーナに喧嘩を売るなんて真似できるはずがないし、それほどトゥオマスも考え無しではない。


 トゥオマスは両手をヒラヒラさせながら降参と言った。


 「ティーナ様ありがとうございます」とうってかわってアンティアは優しい表情を浮かべている。そして「調度よい機会ですのでご説明いたしますわ」と言ってキリッと表情を引き締めた。


 「今のこの展開は要注意です。相手は遊び人の証拠です。女性に対して、彼氏いないよね、なんて聞いてくる殿方は決して信用してはなりません。初めて会ったその日に口にする内容ではありませんからね」


 「分かったわアンティア。気をつけます」


 真面目な顔で注意を促すアンティアと、これまた真面目な顔で頷いているティーナ。そして二人揃ってトゥオマスに険を含む目を向けた。


 「やっぱ似るんだな。主従関係って」


 遊び人認定されたトゥオマスがポリポリと頬を掻いて呟いた。


 「ってか、俺、女の子に無視されたのも、こんなに敵意丸出しの怖い目を向けられたのも初めてなんだけど・・・」


 「私もだ。手を握っていた女性から振りほどかれたのは。かつて一度も経験した事が無い。しかもメイドを援護する為に、だ」


 いつの間にかやってきていたターヴェッティも溜め息まじりに呟いている。それがあまりにも似つかわしく無く、というよりも、普段の彼から想像できなくて、トゥオマスは苦笑まじりに笑っていた。


 「あー・・・ターヴェッティにとってはショックだな。要するにターヴェッティよりあのメイドの方が、ティーナの中では上位に位置しているわけだ」


 言葉に出されたことでターヴェッティは目を見張ってしまった。そして仲良さげにおしゃべりをしているティーナとアンティアへと視線を向ける。しばらくじっとその様子を見ていたが、いつのまにかターヴェッティの顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。

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