はじめまして、です。
「奥様、私どもは退室した方が宜しいでしょうか?」
ティーナの居るところ必ず側にあるアンティアとクスターだが、今回はどうすべきか指示を待っている。何せティーナの初の公の場になるのだ。ビルギットは首を振った。
「あなた方はティーナの側を離れてはなりません。堂々と胸を張って一緒に居て下さい」
「はい!」
二人揃って返事をした後は、ビルギットとティーナの座るソファの後ろに立って控えた。そんな二人の行動を目で追いつつ、ティーナも言った。
「アヴィーノ、私も一緒に立っています」
「ぐふっ」
クスターが思わず吹き出した。慌てて自ら両手で口を押さえたが、目元が笑っているし肩も揺れている。が、クスターはアンティアに脇をつつかれてすぐに姿勢を正した。
それを見届けた後、ビルギットはティーナに視線を戻し人差し指を立て、その鼻をつんと突きながら言った。
「あなたは駄目ですよ。私と一緒にここに座っているのです。立ち上がる時も挨拶をする時も私とアーヴォが教えますからそれまではここで待っていなさい」
「・・・はい」
良く分からないがそうらしい。どうしてそうなのか・・・説明は割愛されているのでティーナには理由は分からないけれど、その土地なりのシキタリに従っておくべきだと言うことだけは、これまでの経験から分かっている。だから素直に返事をした。
チラリと後ろを見ると、さっき吹き出したクスターもだが、アンティアもまた笑いを堪えていた。
(あとできっちり理由を聞きましょう)
そんな二人をティーナは半眼で見ながら心の中のメモ帳に書き留めた。
談話室にサムリが姿を現した。ターヴェッティとトゥオマスがこちらに向っているという。ビルギットの説明によると、ダイニングに向う前に会食に参加する者はここで落ち合うのだそうだ。色々と面倒なんだなと、改めて自分がいたカルナ国の自由さと比較してしまう。
サムリとイェオリが会話をしていると、まもなくクスターと年齢のそう変わらない男性が二人入ってきた。思わずティーナが身じろぎをしたのを、隣に座っていたビルギットが握っていた手に力を込めその動きを止めた。
ティーナは動揺していた。面影を重ねてしまったのだ。
まるで、そう、この二人はレーヴィとオルヴォのようだと息を飲んだ。そしてようやく見つけて、迎えに来てくれたとの気持ちが胸を過り、ティーナは知らず知らずのうちにビルギットの手を強く握りしめてしまった。
ティーナの様子の変化に気づいたビルギットは優しく肩を抱いて擦ってくれる。
「大丈夫?」
ビルギットはティーナの顔を覗き込み優しく声をかけてくれた。ティーナはそのビルギットの瞳をじっと見返し、瞠目した。
(ち、違う。全然違う。そもそもレーヴィとオルヴォがここにいるはずない)
目の前の二人はビルギットにどことなく面差しが似ているし、レーヴィとオルヴォの顔つきとは全然違う。そう自分に言い聞かせて気持を落ち着かせようとするが、ひとたび乱れてしまった気持ちはなかなかうまく切り替えられず焦ってしまう。するとビルギットが抱きしめてくれ、ティーナはその胸元でようやく落ち着きを取り戻すことができた。
ビルギットが押しとどめてくれたことで我に返ったティーナは、ついさっき言われたばかりのことを思い出して「ごめんなさい」と小さく言うと、「いいのよ」とビルギットはティーナの頭をそっと撫でてくれる。お陰ですっかり落ち着きを取り戻したティーナは、大丈夫という意味を込めて頷いてみせた。
「アヴィーノ、ありがとうございます。もう、大丈夫です」
そっと囁くように言えば、ビルギットは抱擁をといてくれた。そしてティーナの顔を覆い隠す布を整えてくれる。
「ありがとうございますアヴィーノ」
取り乱してしまったことに恥ずかしさを覚えたが、ビルギットのお陰で問題はなかったはずだ。ティーナは平常心を取り戻そうと、そっと息を吐いた。
しかし、そんなティーナの心の変化は花冠のせいで一目瞭然だった。アンティアとクスターの前で花冠の色が変化していたのだから。だがそれもティーナの変化とともに元の銀緑の色を取り戻しアンティアとクスターを安心させた。
ティーナはそっと二人の男性を観察していた。
二人とも髪はトウヘッド、瞳はグレーの同じ色彩を持っているが、ひとりは長髪でもうひとりは短髪だ。長髪の方が落ち着いている気がするから、ティーナは勝手に兄の方だろうと見当をつけた。
イェオリの前に男性らが立った。
「お祖父様、ご機嫌麗しゅう」
二人はきっちり踵を揃えて改まって挨拶をしている。視線はイェオリに定まったままで、その場を動こうとしない。イェオリも短く「ああ、お前達も」と言ったきりだ。
「まぁ何ですあなたたち。ただ立っているだけならお掛けなさい」
あちら側も緊張をしていたのか、挨拶のあとは一言も発せずに立ち尽くしている。ビルギットに促されてようやく一人の男性が口を開いた。
「お祖母様、歓迎の食事会を開いていただき誠にありがとうございます」
髪の長めな男性は思ったより低い声だったが、凛としたとても自信にあふれた声で、どこか安心感がある。挨拶は堅苦しいけれど、ビルギットを祖母として敬っているということは短い挨拶の中からも感じ取れる。真っ直ぐにビルギットを見つめるその目がとても澄んでいて、誠実そうで、家族間は良い関係を築いているのだろうとティーナは感じた。平たく言うと好印象だ。
「おかけなさい」
挨拶を受けたビルギットもまた優しい表情をしている。ティーナの好きな顔だ。男性が再び口を開きかけたその時、扉が開き、女性がひとり入って来た。兄弟は女性に場所を譲るため脇へ一歩下がった。
入って来た女性はきっちりと化粧を施し、髪も一筋の乱れもなく綺麗に巻かれ背後へと流されている。
「まぁ私が最後でしたのね。遅れて申し訳ございませんわ」
女性は自信に満ち、妖艶な笑みを浮かべ談話室へ入って来る。これがイェオリの兄の曾孫かとティーナは内心驚いた。血縁のはずなのにここにいる誰とも違う気がした。何が違うのかは分からないが、何か違うと感じる。じっと女性を見ていたらひと際鋭い視線で睨み返された、気がした。
しかしその視線もほんの一瞬のことで、すぐに先の兄弟同様イェオリに挨拶をし、親しげな表情を浮かべながらすぐさま兄弟の側へ近づいていった。そして何故かティーナに険しい視線を送って来る。決して仲良くなれないタイプだなとティーナは感じた。
「ターヴェッティ様・・・」
甘い声で女性が兄弟に話しかけようとするのを、呼びかけられたターヴェッティはすかさず遮った。
「マリアンヌ嬢、少しお待ち下さい。まだ我らの挨拶が済んでおりませんので」
そう言うと勝手に絡まれていたマリアンヌの腕をスルリと外し、ターヴェッティは再びイェオリの前へと進み出た。
「お祖父様、もうお一方にもご挨拶をさせていただきたいのですが、お許し願えませんでしょうか」
気のせいかさっきよりも丁寧な言い回し、というか、挨拶をするのにわざわざ許可を求めるなんて不思議な感じだなと、ティーナは成り行きを見守っている。
問いかけられたイェオリの雰囲気がやや固くなった気がした。そしてもったいつけるようにフムと、少し考える様子を見せながらじっとターヴェッティを見つめている。ターヴェッティもまた視線を逸らすこと無くイェオリを見つめている。両者とも一歩も引く気はなさそうだ。周囲の者たちの方が緊張を強いられる。
そんな中、ティーナだけは、真剣勝負のにらめっこみたいだなと思っていたが、それは口にしない。さすがに・・・言えない雰囲気を感じる。
「ティーナ」
完全に意識をにらめっこに向けていたティーナはイェオリに名前を呼ばれてビクッと反応をしてしまった。そこをすかさずフォローするのがビルギットの素晴らしいところで、優しく手を摩ってくれたことでティーナは再び救われた。
「はい」
やや遅れて返事をしたにも関わらず、イェオリは特に気にしていないようだ。
「ティーナ、こちらへ」
そう言ってイェオリがティーナに手を差し伸べた。ビルギットもまたそっとティーナを押し出した。ティーナがイェオリの手に自身の手を差し出すと、優しく引き寄せられた。そしてビルギットもティーナの隣に立ち、ティーナはイェオリとビルギットの間に挟まれる形となった。手はイェオリが握ったままだ。
「ティーナ紹介しよう」
イェオリの優しい瞳がティーナを見下ろし、その目が前に居る男性へと向けられた。
「手前に居るのが我が家の筆頭、長男のターヴェッティだ。確か今年25歳、だな」
サラリとした肩にかかる髪がとても良く似合っていて、知性を感じさせる瞳がそれに加わると、
(これはモテるな)
冷静に観察をしていたティーナは、じっとターヴェッティを見つめたままだと言うことすら気がついていない。
もしにらめっこだったらターヴェッティの負けだ。
彼はスッと視線を外すとティーナの足下に跪きスカートの端を持ち口づけた。
(!!!)
衝撃的な光景にティーナは目を丸くした。不衛生だぞと止めさせようとしたが、両側に立つイェオリとビルギットによって阻まれて出来ない。
「お初にお目にかかります。イェオリとビルギットの孫でターヴェッティと申します。以後お見知り置き下さいますよう、宜しくお願いいたします」
丁寧すぎる言葉遣いにティーナはやや気後れしつつも、意識して呼吸を整えた。すると、不意に背中をポンポンと突かれるのに気付いた。
ビルギットを見ると目線でターヴェッティを示し、ゆっくりと頷いている。挨拶をしろと言っているのだろう。ティーナも軽く頷くと合格をもらった挨拶をした。
「ターヴェッティ、初めまして。ティーナです。宜しく」
頭を下げない様に気をつけて挨拶をした。
「ターヴェッティ、お立ちなさい」
「はい」
ビルギットが許可を出すと、跪いていたターヴェッティがゆっくりと立ち上がった。そして胸に手をあてて再び深々と頭を下げる。ティーナは思わず引きずられそうになったが背中をビルギットに掴まれ、幸いにも姿勢を保った。
続いてショートヘアの男性が前に進み出た。ターヴェッティと同じ髪の色と瞳の色だけれど、こちらはやんちゃ坊主の雰囲気が見て取れる。
「ティーナ、次男のトゥオマスだ。今年23歳になり、家業の手伝いを始めたばかりのヒヨッコだ」
トゥオマスもまたターヴェッティと同様に跪きスカートの端に口づけた。
「トゥオマスでございます。お会い出来て恐悦至極に存じます。兄同様、私もどうぞ宜しくお願いいたします」
「トゥオマス、初めまして、ティーナです。宜しく」
全く同じ挨拶の文言になってしまったがそれ以外言うべき言葉を持たないティーナには精一杯の挨拶だった。けれども、トゥオマスはそのグレーの瞳をキラキラさせてティーナを見上げた。クリクリした目が好奇心いっぱいに見開かれている。
「これトゥオマス。無作法ですよ。最後までご挨拶をなさい」
ビルギットに促されて立ち上がると、胸に手をあてて深々と頭を下げた。
「最後だ。ティーナ、こちらは遠縁の娘で、マリアンヌ・ホルソ嬢だ」
声を掛けられるまで気づかなかったのか、マリアンヌは驚愕の表情のまま立ち尽くしていた。
マリアンヌはこれまでターヴェッティやトゥオマスが人の前で跪く姿を見た事がなかった。ましてや、女性のスカートに口づけると言うことは従順を意味する。それはーーー未婚の女性に対する場合、夫になるつもりがあるという意味も持つ。
(それに・・・それに・・・あの立ち位置)
イェオリとビルギットの間に守られるように立っているあの場所は、アルムグレーンにとり重要な存在ということくらい、嫌というほど理解できてしまう。
(本来ならば、あの場所は、私の場所なのに!!)
かつて感じたことの無い激しい嫉妬と焦りがマリアンナを捕らえた。
「マリアンヌ嬢」
再び名前を呼ばれハッと我に返ると、自分が今どこに居て何をしなければならないのか理解が及ばないでいる。
「挨拶を。マリアンヌ・ホルソ嬢」
静かな声でイェオリに促され、ようやく先ほどまでのターヴェッティとトゥオマスの姿を思い出した。
(平身低頭なんて! ましてや先に挨拶をするなんて!)
特権階級ではなくても、大富豪の娘であるマリアンヌは、滅多なことで他人に頭を下げたことは無い。これまでもアルムグレーンの親戚筋だということで先に挨拶をされていたくらいだ。けれどターヴェッティとトゥオマスでさえティーナの足下に跪いた、特権階級でないマリアンヌがしないなんてことはあり得ない。
しかも追い出しに来た筈の相手に対してなど、最大の屈辱でしかなかった。
グッと唇を噛みマリアンヌは跪いた。
女性の場合は、キスをするのではなくスカートの裾を額につける動作を行うが、マリアンヌの震える手ではうまくティーナのスカートの裾に触れられない。
本当ならばターヴェッティとトゥオマスもその行為で良かったはずなのに、あえてキスをしたことに、改めて衝撃を受けていた。
マリアンヌは怒りで、自然と震える声で挨拶となってしまう。
「マリアンヌ、、、マリアンヌ・ホルソと申します。お初にお目にかかります」
「マリアンヌ・ホルソ、初めまして。ティーナです、宜しく」
ティーナから返しの挨拶があると、マリアンヌは直ぐに立ち上がり軽く頭を下げて後ろへと下がる。ここが自分の部屋だったらさんざん暴れて部屋中の物を破壊していたはずだ。そのくらい、マリアンヌにとっては許し難い出来事だった。加えてマリアンヌが談話室に入るなりティーナを睨み据えたのには理由がある。
貴婦人と呼ばれるごく一部の女性しかつけない“ヴアロン”をつけていたことだ。ビルギットがつけるのならば分かる。だが、得体の知れないティーナがヴアロンをつけるなんて、マリアンヌから見たら、最初からあからさまな差を見せつけられる象徴だった。
ヴアロンは流行にはならない。
ヴアロンをつけるということは即ち特権階級であり、いついかなる時も重大な責任を負う者であり、その責任とは一般市民にはとてもではないが背負いきれない程に重圧とされている。だから、面白半分でも公の場所ではつけないのが通常だ。
ならばと、ヴアロンをつけたままの食事で汚してしまうのではとティーナの所作をつぶさに観察していたが、ビルギット同様、完璧で全くブレることなく最後まで汚れることは無かった。
むしろマリアンヌが失態を犯していた。カトラリーを何度も取り落としたのだ。憧れのアルムグレーン家での食事会で、あり得ない自分の失態に何を食べたのか、何の会話をしたのかさえ覚えてないほどに、怒りで満ちていた。
「マリアンヌ嬢はお疲れのようね。サムリ、先にお部屋に案内して差し上げなさい」
食事中、急に顔を伏せて大人しくなったマリアンヌを気遣ってか、ビルギットが退出するようにと促した。マリアンヌは本当は気が気で無いのだが、ここにこのまま居ては己を抑えきれる自信が無く、促されるままに退室した。
扉の外には来客対応の女性達が待機していた。
扉が閉まるや否や、マリアンヌの感情が剥き出しになり彼女達へ八つ当たりが始まった。
「ちょっとそこのお前、早く案内なさい。使用人のくせにぐずぐずするんじゃないわ。そんなんじゃ私がアルムグレーンに入った時には、直ぐにでも首にしてやるんだから」
アルムグレーンの使用人である女性らへの配慮など微塵も無い物言いだが、さすがアルムグレーンの使用人だけに、表情にはいっさい出すことは無い。
反応しない彼女たちに興が削がれたのか、マリアンヌの暴言は女性に対してだけではなくサムリにも向いた。
「あんたみたいな年寄りなんかより若い方が良いに決まってる!」
あまりの豹変ぶりにサムリの動きがピタリと止まった。だがすぐさま動き出すとマリアンヌを促した。
「ホルソ様、あちらですどうぞ。この者達がお客様の対応をいたします。お連れになった方々も既に案内しておりますのでそちらへ」
サムリはわざと家名でマリアンヌを呼んだ。お前とこの家は別だと暗に言っているのだ。そしてサムリが促す先は本館ではなく来客が泊まるための別館だった。
カッと怒りで目を見開いたマリアンヌは再び声を荒げた。
「なぜこっちなの? 私、アルムグレーンの血筋なのよ。もっと誠意をもって欲しいものだわ」
アルムグレーンの家族の“家”である本館に入れろと言っているのだ。それに対してサムリは歩みを止めてマリアンヌと対峙した。
「この家の主である閣下のご指示でございます。不服ということであれば、そうお伝えいたしますが」
アルムグレーンの名にこだわるマリアンヌには、本館に泊まるということはステータスになる。けれどもイェオリの名前を出されればマリアンヌは黙るしか無い。この屋敷の主はイェオリなのだ。
サムリは黙ってしまったマリアンヌの答えを待たずに踵を返すと、再び別館へ向けて歩き出した。渋々であるがその後ろにマリアンヌも続いた。
「どうぞごゆっくりお過ごし下さい。くれぐれもご無理をなさいませんよう回復されるまでお部屋にてお休みください。何かご用がありましたら、我が家の担当メイドにお伝えください。ではお前達頼んだぞ」
サムリは別館入り口で挨拶をすると、あとを客室担当の女性たちに任せダイニングへと戻っていった。
そのサムリの後ろ姿をマリアンヌは苦々しく睨みつけていたが、メイドに促されると渋々ながらも後に続いた。