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緑の中の  作者: 千砂
25/54

アルムグレーン邸(2)

 「まぁ、トゥオマス様、ごきげんよう」


 ヤルヴェラを伴って応接室に姿を見せたトゥオマスに、マリアンヌは心の底から嬉しそうに笑みを浮かべて挨拶をした。

 それはそれは優雅な動作で一流のレディ、()くやあらんといった様子だ。ヤルヴェラから見たら、さっきまでの彼女と同一人物なのかと思うくらいに変貌している。ビフォー・アフターを目の当たりにした優秀な家令の眉が僅かにピクリと動いた。


 「待たせたようですまなかったマリアンヌ嬢。何か話があるとか? 座ってゆっくりと話そうじゃないか」


 先ほどまで、不機嫌全開でガリガリと頭を掻いていた負の感情をすっかりどこかへ仕舞い込み、そこには名門アルムグレーン家の次男としてのトゥオマスの姿があった。

 マリアンヌに着席を促すと自らも対面の一人用のソファに腰掛けた。


 「ヤルヴェラ、お茶を淹れたら一緒に居てくれ。ホルソ家の嫁入り前の美しいお嬢様に変な噂を纏わせる訳にはいかないからな」


 「御意」


 トゥオマスの指示でヤルヴェラはさっそくお茶の準備にとりかかった。

 ここへ向かう途中でメイドにあらかじめ準備を指示していたため、実にタイミング良くティーワゴンが運び込まれた。

 トゥオマスが、さっき飲んだお茶をすかさずリクエストしていたため、準備してあるのは“オリオスのお茶”である。


 「あら、トゥオマス様とならどのような噂でも光栄ですわ。むしろヤルヴェラさんには席を外していただきたいくらいです。ほほほ」


 笑みを浮かべているマリアンヌの表情を見る限りあながち嘘ではないようで、キラリと光る目が獲物を狙うハンターのようでもある。そんな様子には気付かないようにしながらトゥオマスは口を開いた。


 「事前に面会の約束も無くやってくるほどに火急の用件というものを聞かせて欲しいんだが」


 そう言うと、緩慢な動作で長い足を組み、肘掛けに優雅に肘をついて顎を乗せ、リラックしている雰囲気を作り上げる。

 本当は引き攣りそうになる表情筋を誤摩化す為に頬に手をあてているのだがそれは秘密だ。(マリアンヌ)にこちらの感情を見せるわけにはいかない。


 マリアンヌは、当初、自分を拒否しようとしていたヤルヴェラに対し「それ見た事か」と言わんばかりに勝ち誇った表情で一瞥したあと、すぐにトゥオマスに媚を売るような瞳を向けた。


 「そうなんですの。(わたくし)のメイドが街で聞いた話だったんですけれど、それがとても奇妙な話だったもので大急ぎで参りましたの。もちろん他言無用と申しておりますからご安心下さいませ。

 (わたくし)、最初は変な事を言い出すメイドに、その様な根も葉もない事を言わないようにと注意をしていたのです。使用人の不始末は(あるじ)である私の沽券にも関わりますから」


 ほほほ、と笑いながら意味有りげな視線をさり気なくトゥオマスに送る。だが、当のトゥオマスは涼しい顔をして続きを待っているようだ。マリアンヌはしばらくトゥオマスを見つめていたが、期待した反応が無く若干気落ちする。しかし、さすがのマリアンヌもトゥオマス相手には下手な事はできない。しかたなく、話の続きを再開した。


 「私、常々、お嫁に行った先で必要な教育もされておりますのよ。女主人として家の中の事や使用人の管理なども積極的に学んでおりますの。夫を支えられる良き妻になるために日々の努力をしておりますのよ。

 そうそう、両親や姉や親類などからは、もういつでもお嫁に行っても大丈夫だなんて言われたりしていますの。どなたの(もと)に参りましても(わたくし)なら立派に務められますわ。それに、自分で申しますのも烏滸(おこ)がましいのですが、この美貌でしたら、どのような場面にお連れいただいてもきっと恥ずかしく無いと思っていますの。

 私を連れて歩かれる方は嫉妬の目で見られますわよ。でもご安心下さい。私、結婚しましたら決して夫以外の方とは目も会わせませんから」


 マリアンヌから熱の籠った瞳で見つめられ、ポーカーフェイスを決め込んでいたトゥオマスの頬が手の陰でピクピクと動く。


 (んなこと、どうでもいいんだよ。さっさと本題に入れ!)


 すっかり自分の売り込みに変わってしまった話にうんざりし始めていた。


 心の内のものが漏れ出す前に早くこの話題を遮らなければならないと、トゥオマスは話の展開をどうしようかと考えていた。


 「お茶でございます」


 ヤルヴェラがしっかりしろという目でトゥオマスを見ながら茶器を置いて行った。見ると、さっきリクエストした、執務室でターヴェッティが出してくれたお茶が入っていた。

 相槌を打つふりをしながらすぐ茶器を手に取り口に含む。鼻腔に抜ける独特の香りがトゥオマスの心の澱みを流してくれた。短時間で(すさ)んでしまった心に、一雫の潤いが戻って来たようだ。


 「あら、このお茶初めてですわ。頂きますわね」


 息継ぎをどこでしていたか分からないくらいに喋り続けていたマリアンヌだったが、目の前に置かれた珍しいお茶に目がとまった。


 最初は珍しそうにしていたが、よほど喉が渇いていたのか、くいっと(あお)るようにカップを傾けると、途端に顔をしかめた。


 「何ですのこれ! ちょっとあなた! こんな不味いものをお客様に出すなんて酷過ぎますわ! さっきの仕返しのつもりですの!?」


 どうやらマリアンヌはこのお茶はお気に召さなかったようで、ヤルヴェラに向かってカップを投げつけんばかりの剣幕だ。実際、残っていたお茶がテーブルやソーサーに飛び散った。


 「直ぐに下げなさい」


 ここはいったい誰の屋敷だと訊ねたくなる物言いに、家令として超一流のヤルヴェラも眉をひそめた。


 「ヤルヴェラ、マリアンヌ嬢に“特別”なお茶を」

 

 すかさずトゥオマスがヤルヴェラに指示を出した。


 怒り心頭だったマリアンヌだったがトゥオマスが“特別”を強調した事に、すぐに機嫌を直す。そして、お茶の蘊蓄をひとり勝手に話し始めてた。利き茶ができなくては女主としての威厳が・・・以下省略である。誰も聞いてはいないのだ。


 ヤルヴェラはすぐさま部屋の外で待機しているメイドに指示を出した。そして自身は何食わぬ顔でマリアンヌ側の濡れているテーブルを拭い、雑に置かれた茶器を片付ける。

 しばらくしてメイドが準備して戻って来たティーワゴンには、“特別”なティーセットが準備されていて、それを見たヤルヴェラは溜飲が下がる思いだった。


 ヤルヴェラとて心ある人間だ。客人とは言え、一方的な押しつけの我儘にも限界がある。だが使用人という立場では、グッと我慢するしかないことの方が多い。自分がそうであれば他の使用人達も同様、いやそれ以上に毎度毎度マリアンヌの横暴に我慢を強いられているのだ。

 それをトゥオマスは良く理解しており、ちょっとした意趣返しで指示を出した。


 「大変失礼いたしました。マリアンヌ様の為に“特別”にご用意いたしましたお茶です、どうぞ」


 ヤルヴェラの言葉にピクリと反応を示したマリアンヌは、扇で口元を隠しながらも満足そうに目を細めている。その様子は自分が特別扱いなのだということに酔いしれているようにも見える。

 完璧な所作でティーカップを置いたヤルヴェラは、素早くトゥオマスの背後に回りマリアンヌの様子を窺った。


 トゥオマスはカップの中で既に何度目かの溜め息を吐いていた。


 (こいつに飲ませるものは、こんなもので十分。結局は価格だけで判断するようなやつにはぴったりだ。・・・それにしても、一口でもこいつに飲ませた分が悔やまれる)


 自分の家の家令に暴言を吐いた事はトゥオマスにとっては許せない事であり、報復の対象になる。しかも今回はトゥオマスやターヴェッティにとって大事な従妹が摘んで来たお茶だった。

 確かに市場に出回っている物とは性質は違うが、あからさまに非難されるような酷い物ではない。現にトゥオマスは初めて口にしても全く平気だったし、従妹が摘んだという付加価値がある分、非常に大事なお茶だった。

 今回は二重の意味でトゥオマスのご機嫌を著しく損ねてしまっていた。しかし、マリアンヌは全くそのことに気付く事も無く、出された特別製のお茶に舌鼓を打っている。


 特別な中身とは、色味ともに薄い最下等級の茶葉(動物の飼料として扱われたりするくらいのもの)に、人用の茶葉のストックケースの底に溜まる、通称“P”(プールヴォ)と呼ばれる粉末になっているお茶を、ほんの少し混ぜて色と風味を出したものだ。

 Pは既に細かく粉状になっているため、沢山使うと(えぐ)みや舌触りの良く無い、ざらつきを感じるようになるが、味の薄い茶葉を合わせて使うとそれなりに効果的だ。

 但し、Pといえども、高品質な茶葉から出たものは、やはりそれなりの風味を持っているため、好みが合うのであれば下手な中級よりも美味しい、かもしれない・・・好みは千種万様。


 「さすがアルムグレーン家のお茶は違いますわ」


 トゥオマスとヤルヴェラはそっと目配せをし、良く見ないと分からないほどに微かに首を振った。


 「それは良かった。気に入られたのならお代わりをお持ちしよう。遠慮なく言ってくれ」


 それならばと残ったお茶を飲み干し、マリアンヌは遠慮なくお代わりをと言った。それに続いて別の声が加わる。


 「私にもお茶をくれないか。ああ、トゥオマスと同じものだよ」


 承知しましたとヤルヴェリは、すぐさま支度にかかる。


 「まぁターヴェッティ様までも?! ああ、何と言う事でしょう。私は今朝の夢の続きを見ているのかしら」


 応接室に(にわか)に現れたターヴェッティの姿を見て、即座に立ち上がり、上擦った声を上げながら興奮を抑え切れないマリアンヌは今にも何かしでかしそうだ。興奮状態の彼女がどんな行動に出るのか誰も予測がつかず、そこにいる誰もが内心警戒している。


 (というか、どんな夢を見てんだよ、俺、どんな役で出ていたんだ? 気持ち悪い。考えるの止めよう)


 トゥオマスは内心毒づきながら、予定より少し早い登場の兄に視線を向ける。ターヴェッティは完璧な笑みを浮かべた。


 「ごきげんようマリアンヌ嬢、そのお茶をお気に召していただけたようで幸いです」


 優雅に挨拶をするターヴェッティの姿を一瞬たりとも見過ごすまいと、マリアンヌは食い入るように見つめている。瞬きすらしていないようにも見え若干トゥオマスはひきぎみだ。


 「マリアンヌ嬢、そのような熱い目は未来の旦那様になられる方に取っておいて下さい。私が勘違いをしてしまいそうになる。・・・さぁ、落ち着いて、どうぞお座り下さい」


 マリアンヌに腰掛けるようにとすすめ、自分はトゥオマスの隣の一人掛けのソファに落ち着いた。


 「さてと、何の話をしていたのかな? 私も混ぜてもらえると嬉しいのだけれど」


 グレーの瞳がマリアンヌを正面から捕らえた。


 「もももも、もちろんですわ。ああ、私、なんて幸せ者なのでしょう。都中の、いいえ、この国中の女性達が憧れて止まないターヴェッティ様とトゥオマス様を独占しているなんて!」


 クスッと微笑むターヴェッティを興奮が未だ治まらないマリアンヌは、更に食い入るようにみつめている。もう彼女はこのまま失神するのではないかと誰もが感じていた。


 「トゥオマス、君からさっきまでの話を教えてくれないか」


 埒があかず、ターヴェッティは弟へと話を振った。


 「こちらのマリアンヌ嬢のメイドが街で、不穏な話を耳にしたらしい」


 ふぅっと深く溜め息を吐きながらトゥオマスが言い放った。ただし、次の言葉が続かない。トゥオマスはすまなそうに首を振るばかりだ。併せてヤルヴェリもそっと頷いている。


 「・・・それだけか?」


 ターヴェッティの表情が笑顔のまま固まった。


 「今は・・・まだ・・・」


 弟を見るターヴェッティの目が痛い。

 本来なら、もっと深く話を聞いていたかったのはトゥオマスも同じで、けれども、最初から自身の売り込みに必死だったマリアンヌの話をどこでぶった切ろうかと考えていた矢先、茶が不味いと騒ぎ出したのだ。


 「そうか・・・まぁいい。マリアンヌ嬢、退屈な弟がお相手でお話が弾まなかったのでは?」


 ターヴェッティが申し訳なさそうな顔でマリアンヌを見れば、自分を気遣ってくれていると、素早い勘違いの式が脳内を巡り、マリアンヌの中では一足飛びで、ターヴェッティに並ぶ自分の姿を描き出していた。やはり大人の色香を纏う兄の方が色んな意味でマリアンヌの琴線にひっかかるようである。


 「いいえ、そんなことございませんわ。トゥオマス様は私の話を一生懸命に聞いて下さっていたのですわ。それは、もう、とてもリラックされたご様子で。ですからつい私も楽しくなってしまって、恥ずかしながらおしゃべりに夢中になっていたのですわ。

 トゥオマス様はお優しい方ですの。私にもトゥオマス様のような弟がいれば、きっと毎日を楽しく過ごせると思っていたところですの」


 トゥオマスに話をしていた時には、トゥオマスとの結婚を前提にした売り込みをしていた筈なのに、その変わり身の早さに、トゥオマスの周囲の温度がすぅっと下がった。それに気付いたターヴェッティは弟の腕を軽く叩きたしなめる。


 「そうですか。楽しまれていたのならば良かった。ならば私から質問をしても?」


 キラキラと目を輝かせてマリアンヌが何でも聞いてくれと言う。


 「あなたのメイドが聞いた話とやらに興味を持ちました。我儘を言うようで申し訳なのですが、どうぞ、私にも教えて下さいませんかマリアンヌ嬢」


 にっこりとターヴェッティが微笑めば、マリアンヌには抵抗する術は無かった。ターヴェッティの隣ではトゥオマスもまたマリアンヌに視線を向けていて、二対の良く似たグレーの瞳がマリアンヌに集中している。この状況では自然とマリアンヌの呼吸が荒くなり、はしたなくもゴクリと喉を鳴らしてしまう。


 「もちろん・・もちろんですわ。その為に参りましたのよ(わたくし)。ええ、何もかもお話しいたしますわ。ーーー実は少し前に我が家で、最近アルムグレーンの前ご当主ご夫妻にお会いしていないわ、という話になりましたの」


 「祖父母は別邸におりますが、何かご用が?」


 即座に反応を示したターヴェッティに対し、マリアンヌは少しばかり焦っていた。何せ、なかなか会えないターヴェッティと同席しており、その上その瞳に見つめられて舞い上がってしまっていた。話も要領を得ず、思いついたまま言葉が出てしまったのだ。


 「え・・。あ、ああ、えっと、現当主でいらっしゃるシュルヴェステル様に季節のご挨拶をと考えておりましたけれど、お立場上そうそうお会いして頂く事が難しく、親戚筋の我が家といえどもお目にかかれません。ですから前ご当主様へと考えましたの。こ、こちらへ戻っていらっしゃったら直ぐにでもとお待ちしておりましたが、全くその気配が伺えずに今日まで来てしまったのですわ」


 (最初は父に。父が駄目だから祖父にとは何の用だ。どうせ下らん話だろう)


 兄弟同士で一瞬視線を交わし合い、互いの思うところが一致している事を確認する。そして二人は直ぐにマリアンヌに視線を戻した。


 「そうですか、それは大変失礼いたしました。生憎、祖父母は別邸で過ごすのがとても気にいっているようで、孫である我々にすら会いに戻っては来てくれません」


 苦笑いを浮かべて答えると、まるでそれを待っていたかのようにマリアンヌは食い付いた。


 「それ! それなんです。その事に関係する話を、(うち)の者が聞いたのですわ!」


 マリアンヌは時宜を得たとばかりに、キツく手を握りしめ身を乗り出した。


 得意そうなその表情にターヴェッティは内心鼻白んだが、そこは表には出さず話を促す。すると「ええ、ええ」と何度も頷きながらマリアンヌは口を開いた。


 「別邸に見知らぬ若い娘がいると、そのような噂があるそうですの。しかも大旦那様と大変仲睦まじくしているというお話だそうですわ。と、申しましてもその時点では、あくまでも噂に過ぎませんから、私もそのようなことを申しましたメイドに、噂話に花を咲かせるとはホルソ家のメイドとしてはしたない、と注意をいたしましたの。でも、何かあってはいけないとも思いまして、僭越ながら少し調べさせましたのよ」


 話し始めると一息に息継ぎも無く言い切った。そして、息継ぎのため、はふーっと勢い良く胸に溜まった空気を吐き出すと、マリアンヌはすぐに話し始めた。

 

 「きっとその娘に大旦那様が誑かされているに違いありませんわ。ですから、こちらにお戻りになられないのではと、私、心配で心配で」


 よよよっと、とってつけたように肘置きにより掛かるマリアンヌを冷ややかな目で見つめながら、トゥオマスは「本気で信じているのかそんな話」と思わず口走りそうになった。


 祖父が祖母の事を大事にしている事は周知の事実で、様々な思惑を持ち、ちょっかいをかけてくる不届き者達から祖母を守る祖父の姿は、少し前の恋愛小説で題材にされていたほどだ。

 それを知っているのならば、下らない発想になどなりはしないと誰しもが思うだろうし、そもそも配慮のある人間であれば、直系の孫である二人の前で話題にすら、するはずがない。しかし残念ながらマリアンヌはその辺りの配慮に欠ける人間だった。不十分な材料から勝手な思い込みで、ここまで乗り込んで来たのだ。


 ターヴェッティは、我慢ならんという雰囲気を醸し出す弟を視線だけで制し、穏やかな笑みを張り付かせてマリアンヌに向きあった。


 「なるほど、そのお話が本当であればマリアンヌ嬢のご心配どおりなのですね。・・・ですが、祖父と一緒に祖母も別邸におりますし、それに、あの祖父を誑かすことができるような娘が居るとは、到底信じられません。

 娘が実際に居ると仮定しても祖母が黙っているはずありません。そうであれば、祖父の側近を通じてその話は確実にこちらにも届くはずですが、生憎、別邸に揉め事があるとは聞こえて来ていません。ですから、つまらない噂としてお忘れになった方がよろしいでしょう」


 ターヴェッティが詮無い事だと一蹴しようとすると、マリアンヌはテーブルに手を付き、身を乗り出してそれを否定した。


 「その娘はいますわ! 我が家のメイドが実際に別邸の厨房の使用人に近づいて話を聞き出したのですもの、間違いありませんわ。

 少し前から食事の人数が一人分増えて、今では屋敷内ですっかり馴染んでいると。使用人達をも手懐けている様子ですわ、ご存知ありませんでしたの? ですから大旦那様の側近すら、連絡を寄越していない可能性もあるのですわ」


 ペラペラと良く回る舌は、兄弟の機嫌を最大限に損ねていた。


 マリアンヌはメイドの持って来た情報がアルムグレーンにとって大事件だと信じて疑っていないのは明らかだ。しかも、この兄弟より先に情報を入手したかもしれないという優越感が感じられる。


 得意げに話をしているが、残念ながらマリアンヌの全てにウンザリしてしまった兄弟は腹の中でおおいに毒づいていたが、彼女がどのくらい情報を持っているのか知る必要があるため、微塵もそんな素振りを出さない。

 ヤルヴェリは兄弟の様子を満足そうに見ている。


 「別邸でそのようなことが・・・。ふむ、ホルソ家のメイドはかなり優秀なのでしょう。うまく聞き出したのですね。その他には情報はありませんか?」


 心持ち身を乗り出しターヴェッティはマリアンヌの話に関心がある素振りを示す。するとマリアンヌはまんまと乗せられ、嬉しそうに口を開くが、さっきの勢いはどこへやら、パクパクと口を動かした後、


 「それが・・・最近になって市場にやってくる使用人が日によって違っていたり二人以上だったりして、これまで話をしてくれていた者となかなか接触ができないそうですの」


 親指の爪を噛みながら話すマリアンヌは見るからにイライラしているようだ。すっかり地が出てしまっているのに気付いていない。


 「そう・・・ですか(ふむ。イルマリかサムリが手を回して既に対応したのか)」


 ターヴェッティは残念そうに相づちを打ってみせた後、口を開いた。


 「マリアンヌ嬢、こうは考えられませんか? 私の想像の域を出ない話ですので、あくまで仮の話としていたしますが・・・」


 マリアンヌ相手にどこまで話が通じるか分からないが、念を押した上で、作り出した仮定の話をする。


 「祖父母がその娘を教育していると」


 ターヴェッティの案に全く理解出来ないとマリアンヌは首を捻っている。トゥオマスも先の打ち合わせに無い話に小首を傾げた。


 「教育ですか? どうしてそうお考えになりますの?」


 「娘と言うからには若い女性ということでしょう? ひょっとするとその娘を私か弟の妻にと考えているのかもしれません」


 さすがにこれは理解したようで、マリアンヌはテーブルに両手をバンと打ち付けて立ち上がった。茶器がカチャンと音を立てて中のお茶が溢れた。


 「まさか! そんなこと!」


 「こう言っては何ですが、・・・据え膳すら手を付けないほどに祖父は堅物ですよ。実際、今でも祖母以外の女性には見向きはしません。そんなところに娘を置いておくとなると、その考えの方がもっともしっくりくるのではありませんか。祖父母が揃って娘と暮らしているのならば・・・どうです?」


 わざわざ挑発するように、余裕を見せるためお茶を飲みながら、尤もらしく話をする。


 「そんな、そんなことって・・・」


 そんなターヴェッティの言葉に内心穏やかでないのだろう、マリアンヌは端から見ても顔が蒼白になり、握る拳がワナワナと震え出している。見兼ねたトゥオマスが軽くお茶を進めると、残ったお茶を呷るように喉に流し入れた。


 ターヴェッティはマリアンヌが少し落ち着いた頃合いを見計らい、さらにだめ押しをする。


 「十分あり得る話ですよ。実際、母も父に嫁ぐ一年前からアルムグレーン家の嫁としての教育を受けていたと申しておりました。

 急がしい両親よりも現役を退いている祖父母にならそれが可能でしょう。・・・そう考えるとトゥオマス、私達も会いたくなって来たな。そのお嬢さんは、私とお前のどちらを選んでくれるのだろうか」


 悪戯色を瞳に滲ませトゥオマスを見た。するとその意図をしっかりと汲み取ったトゥオマスはターヴェッティの話に乗った。


 「俺だろう。俺だったらうんと甘えさせて上げられる。ターヴェッティは仕事人間で忙しいからな、放っておかれるのがおちだ」


 「いやいや私にだって可能性はある。周囲からどう見えているか分からないけど、好きになった女性には全力で尽くすつもりでいるんだ。それこそ屋敷全体を取り囲むような檻を作り、私だけの小鳥として囲っておきたいくらいにな。大丈夫、身の回りの世話一切合切は私が一人でするよ」


 「ターヴェッティ・・・」とトゥオマスの頬が本気で引き攣る。


 「いや、それ危ない考えだから」


 トゥオマスの言葉にヤルヴェリも小刻みに頷いている。


 「でもターヴェッティからそういう台詞が聞ける日が来るなんてな、信じられない。いや、めでたい・・・のか?」


 語尾が疑問形なのは仕方ない。


 しかし、どんな状況であろうとも、言いたく無いことは言わないターヴェッティのことだ。実際にやりかねないと家令のヤルヴェラも頬を引き攣らせている。同時に、トゥオマスは兄嫁になる人の幸せを願わずにはいられない。


 「ガサツなお前より、細かく心配りが出来る私のところが居心地が良いと言うに決まっている。ああ、想像ではなく、早く会いたいものだな」


 「そうだな。楽しみだな」


 マリアンヌの存在をまるっと無視した兄弟の会話に、とうとうマリアンヌが悲鳴に近い声を上げた。


 「ちょ・・・。だ、駄目です! どんな娘か分からないのですのよ。どこの馬の骨とも知れない娘など! そうだわ! ひょっとすると赤ん坊の連続連れ去り事件の犯人の手の内の者かもしれませんわ」


 つい口から出た言葉とは言え、その思いつきは妙に納得が行った。そう考えることで、全てのピースがマリアンヌの中で繋がり始めた。


 「そうだわ、そうに違いないわ。薄汚い犯人どもは人を誑るのだって得意な筈ですわ。

 こうしてはいられません。私、追い出して参りますわ。騙されている大叔父様や大叔母様をお助けする為にはこの身を挺してでも!」


 その場に居る者達の想像を遥かに上回る説を展開し、大叔父や大叔母を強調しつつ、一人大演説を繰り広げるマリアンヌを、完全に呆れた目で見ていたトゥオマスの心の内の言葉がつい漏れ出てしまった。


 「・・・んなわけねぇだろーが」


 「しっ」


 すぐに反応したターヴェッティが鋭く制止する。


 「トゥオマス様、何かおっしゃいまして?」


 「いや、何でも無い。それよりも一旦座って話そう。大事な事だ」


 反応を見せたマリアンヌに、トゥオマスは内心焦った。取り繕う笑顔を何とか作り出すことに成功すると、努めて落ち着いた声で話しかけた。

 マリアンヌも興奮で立ち上がっていたことにようやく気付くと、ストンと腰を落とした。


 「落ち着いて聞いてくれないかマリアンヌ嬢。あなたは俺達の祖父母を大事に思ってくれるのはよく分かった。だが、祖父の周りは今でも屈強な護衛隊がいるし、本人も相当な使い手だ。年は取っているがそうそうやられる事は無い。現にターヴェッティや俺でさえ、10回に1回勝てるかどうかだ。

 だから、か弱き女性である貴女が自ら赴く必要は万に一つもないと思う。むしろ、貴女を向かわせてしまったことがわかれば、我らが責めを負うことになるだろう」


 興奮気味のマリアンヌにも分かるように、ゆっくりと話していたが、最後の言葉を言い終えるかどうかのところで、再びマリアンヌは勢い良く立ち上がった。


 「落ち着いてなんて居られませんわ! 男は悪女にかかれば嘘も見抜けなる者も多ございます。今はまだ大丈夫かもしれませんが、時が経ち、徐々に大叔母様に対して何かしらの事が起こり始めてからでは遅うございます。それに、女性の目から見なければ、分からない事もございます。大叔母様はか弱き女性なのです。せめて大叔母様は(わたくし)が!」


 「だから、祖母(ばーさん)のことは祖父(じーさん)が命を掛けて守るから、放っておいても大丈夫だって、言ってんだろうが・・・」


 トゥオマスはつい表面を取り繕わない言葉を出してしまうが、マリアンヌは聞いてはいない。どんどん自分の考えに没頭して行く。


 よくもまぁこれほど凝り固まれるものだと、ターヴェッティは内心呆れ果てていたが、あえて口を挟む事はせず、じっと展開を見ている。


 「そうだわ! こうしてはいられない。(わたくし)、明朝に別邸へ参りますわ。そして、全てをぶちまけて、ふとどきな娘を追い出して参ります。きっと姑息にも居続けようとするでしょうけど、詐欺師や犯罪者をのさばらせておく訳には参りませんから!」


 「必要ないって。必要なら俺らが対応するから。そもそも関係ないホルソ家に迷惑をかけるわけにはいかない!」


 先程からトゥオマスが再三に渡り必要ないと繰り返すが、全く聞く耳はないようで、マリアンヌは加速的に話を進めていく。

 だが、要領の良い(ずる賢いともいう)マリアンヌは、このトゥオマスの言葉を最大限に都合の良いように解釈をし、これ幸いと持論を展開するのだ。


 「そんな水臭い事おっしゃらないでください。私は遠縁ではございますが、このアルムグレーンの一員と思っており、この家もご家族の方々もそれはそれは大切に思っておりますの。ですから私にお任せ下さいませ。

 この場合、むしろ男性であるお二方よりも、女である私の方が適任でございます。お二人こそどうぞこちらのお屋敷で朗報をお待ち下さいませ。必ずや吉報を持って戻って参りますわ」


 既に勝ち誇ったように言い放つマリアンヌは、淑女らしからぬ握りこぶしを作っている。その姿を見ながら、兄弟は重くて深い諦めに似た溜め息を吐いた。


 自分の考えに凝り固まり全く聞く耳を持っていないマリアンヌは無駄に積極的だ。

 何せここへ来るのにもアポを取らないし、そもそもが、アルムグレーンの一員と思っていると言ったくらいだ。理屈なんてどこへ的な、自分の行動に意味を持たせるための様々な口実をでっちあげ、遅かれ早かれ別邸へ乗り込むに違いない。

 トゥオマスはそっとターヴェッティに耳打ちをし、回避策を求める。


 束の間、思案したターヴェッティはこう言った。


 「マリアンヌ嬢、私も参りましょう。か弱き女性一人で行かせる訳には参りません。それにこの件はあくまでも我がアルムグレーンの問題です。他家の方であるあなたに、もしもなことがあれば、ホルソ家に申し訳が立ちませんから」


 何を言い出すんだとトゥオマスとヤルヴェラは目を丸くした。だがその直後、


 「俺も行く。ーーー抜け駆けは許さない」


 ターヴェッティは弟の目をしっかりと見て頷いた。当然、トゥオマスならそう言うだろうと分かっていた様子だ。しかも最後の言葉のトーンで、トゥオマスの本気度が分かる。


 「ターヴェッティ様、トゥオマス様・・・。私の為にお二人が・・・。マリアンヌ、嬉しゅうございます。(わたくし)、今すぐにはどちらの方とは決められませんが、少しお時間をくださいませ。お二人が私の為に喧嘩などなさいませんように、恨みっこな・・・」


 脳内で再び盛大に間違った解釈をしたマリエンヌの言葉を、全て聞く前にトゥオマスがぶった切る。


 「ターヴェッティ、細かい事はこの後すぐに打ち合せよう。別邸へ連絡も入れておかないと、こちらがヤバい立場に追い込まれかねないからな」


 トゥオマスの言う通りだった。

 実質、この国の、前の最高権力者だった祖父を侮るとどうなるか分からない。今は父が同じ立場にいるが、その父よりもいまだ影響力が大きいとさえ言われているのだ。そんな相手を敵になどまわしたくはない。ターヴェッティは同意の意味を込め深く頷いた。


 「マリアンヌ嬢、本日は大事な情報を教えて下さりありがとうございました。こちらから別邸へ連絡をとり段取りをいたしますゆえ、どうぞいましばらくお待ち下さい」


 超一流の役者を遥かに凌ぐ演技力でターヴェッティはマリアンヌに懇願する。するとマリアンヌは胸を押さえ、ターヴェッティから目を離せず、顔は朱色に染まり、はっはっと呼吸も浅く短くいまにも倒れそうだ。十中八九、都合の良い様々な妄想を展開していることだろう。

 

 「マリアンヌ嬢、いかがです?」


 再度の問いかけにようやくマリアンヌは我に返った。


 「ええ、ええそうですわね礼儀ですもの。全てターヴェッティ様にお任せ致しますわ。私はいつでもお待ちしておりますし、いかなる時でもお二人のお言葉があれば馳せ参じましょう」


 ようやくこちらの望む言質が取れ、これまでの柔和な表情はどこへといったのか、ターヴェッティはいつもの表情に戻った。そしてもう用は済んだと一方的に話を打ち切った。


 「ヤルヴェラ、マリアンヌ嬢はお帰りだ。玄関までお送りしろ」


 「御意」


 こうしてマリアンヌに盛大に勘違いさせたまま強制的に帰らせた。そして、どさくさで決めてしまったが、早々に両親や別邸に連絡を付けなければならない。


 ターヴェッティとトゥオマスは執務室に逆戻りして対策を話し合う事にした。

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