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緑の中の  作者: 千砂
23/54

出会い

 イェオリから二週間に1度の外出を許可されたティーナは、その日がとても待ち遠しかった。

 ここでの一週間は5日しか無いけれどやはりできれば毎日出かけたいとそう思っていた。


 朝の起き抜けに1回と、夜寝る前の発信機のチェックは欠かさず行っているが、その都度【正常】との表示が出ている。だがやはり現場の状況が気が気ではない。あの樹にもしものことがあったらという思いが完全に払拭できないのだ。屋敷を抜け出したい衝動にかられる時もあるが、折角堂々と外出出来る機会を得たのを放棄するような事は出来ないと、ぐっと堪えて、指折り数えその日を待っていた。


 ちなみに、部屋に干していた“オリオスのお茶”は、イルマリから「口に入れる物を妙なところに置くんじゃねぇ!」との鶴の一声で、アンティアとクスターが厨房棟へさっさと運び出してしまった。ちなみに、次回からも摘んで来たらすぐに厨房に納品しろとの命令付きだった。


 飾りとしても可愛かったなぁと思っていただけに、良い暇つぶしが取り上げられて少し落胆していた。


 でもそう落ち込んでばかりいられない。レーヴィの講義で教わった事を実行しなければならないからだ。寂しいとか辛いとか思っている場合じゃないと自分を奮い立たせ、この世界の文化を学ぶべく図書室へと通うのだった。





 「お嬢、何してんだ?」


 「あーイルマリさん、お邪魔してます。ちょっと小腹が空いたので軽食を食べにきました」


 いつもとちがい覇気のない、いや、ぽーっとしているティーナを見てイルマリは首を傾げた。


 「まぁいいけどよ、また卵か?」


 「はい卵茹でてます」


 ぐつぐつと音を立てている鍋の中を見ると10個の卵が既に投入されていた。通常1回の食事で一人1個が普通の割合だ。それを一気に10個とは余程腹が空いているのかとイルマリは思った。


 「こんなに食うのか? ・・・おいお前ら、お嬢大丈夫か?」


 側に二人並んでいたアンティアとクスターに対して、こっそりと耳打ちをする。どうやらティーナの様子がおかしいと感じたようだ。


 「恐らく大丈夫だと思うのですが・・・」


 答えるアンティアも自信がないようだ。


 「歯切れが悪いな。一体どうしたっていうんだ?」


 「あー、恐らくストレスかな、と」


 「ストレスで料理か?」


 「・・・色々ありまして」


 勉強する為に毎日欠かさず図書室へ通い、アンティアやクスターが止めなければ休憩もなしでひたすら本を読んでいるとのこと。最初の頃はそうではなかったが、最近では鬼気迫る雰囲気を醸し出しているという。

 心配した二人が午後は体力作りの為に庭園を散歩するようにとすすめると、これもこれで俄然頑張ってしまう始末で、ちっとも風景の美しさを愛でる様子には無い。今度は食文化でも、ということでここに来た途端「お腹すいた」「玉子サンド食べたい」と言い出し、イルマリの居ぬ間に卵を拝借して茹でている最中だった。


 ティーナが外へ、あのマンティバンブルーナの樹のところへ行きたがっているのは、ここに居る誰もが知っていることだった。加えて、イェオリから許可はもらったものの二週間に一度ということでその日を待ち遠しくて仕方が無いのだろうというのも予想がつく。


 だがそれがどうして卵を茹でる事になるのかは、三人には分かっていない。というかティーナも分かっていないように見える。


 「ま、見守るしかネェか」


 ポツリとイルマリはつぶやくとティーナに声をかけた。


 「おいお嬢、他に必要な材料はなんだ?」


 ぼーっと卵がジャンピングしている様子を眺めていたティーナがハッと顔を上げた。そして視線を宙を漂わせながら一個ずつ答える。


 「えっと、エベナージョパーノ、ブテーロ、サーロ・・・かな。あ、オリヴォレオとピープロと、それからチートロンスーコは少しだけ、お願いします」


 「そんだけか?」


 「はい」


 「いつもながらシンプルだな。まぁいいか」


 イルマリはティーナに言われた材料を持ってきて並べてくれた。


 ちなみにエベナージョパーノは四角く焼いたパンのことで、毎日必ず作られるのをティーナは知っている。そしてブテーロはボヴィーストという動物の乳から作られる加工品。サーロは塩でピープロは胡椒にあたる。オリヴォレオは植物の実を絞って作られるオイルのひとつだ。そしてチートロンスーコは、ティーナが誤って食べて悶絶したチートローノの絞り汁だったりする。



 「有難うございますイルマリさん」


 覇気のない顔だがお礼だけはきちんと言う。


 「お礼は出来た物を食わせてくれたら良い」


 「そんなものでいいんですか?」


 「ああ、そんなものを食ってみたいんだ」


 さすが料理人だとアンティアとクスターは感心して聞いていた。


 どうやら茹で上がったようでティーナが鍋ごとシンクに持って行こうとする。それを隣で見ていたイルマリが止めた。アンティアとクスターは胸を撫で下ろした。


 「ちょい待ち。これをどうするんだ?」


 「茹で上がったので殻をむくのです。だから、水に浸します」


 「わかった。お嬢はそこで見てろ」


 ティーナが持つと重そうだった鍋も、イルマリが持てば不思議な安定感を感じる。シンクでお湯を切り、冷たい水に浸した玉子をティーナとイルマリが剥きはじめた。

 あっという間に最初の一個を剥き終わり、つるんと綺麗な玉子がティーナの手の中で生まれたようだ。それを深めのボールに入れてまた次の玉子を手に取った。


 「イルマリさん、5個ずつ分けます。味、少し違うようにしますね」


 「そうか楽しみだな」


 ニカっと笑うイルマリは言葉通り楽しんでいるようだ。

 ティーナは剥き終えた卵の入っている一方のボールにブテーロを多めに投入しマッシャーで潰し始めた。そして味を見ながらサーロをパラパラと入れている。慣れてるようで手際よく潰している。そしてほどほど細かくなったところで「できた」と言ってポンと置く。それを見てイルマリが目を点にしていた。


 もう一方の器には同じようにマッシャーで玉子を潰しながら、オリヴォレオ、ピープロ、チートロンスーコを加え、さらに玉子と一緒に混ぜて行く。これもある程度玉子が潰れたところで「できた」と言った。


 そしてエベナージョパーノという四角いパンをスライスし並べ、それぞれの玉子を塗りエベナージョパーノでサンドする。


 見た目はほとんど同じだが、黒いピープロが入っているのでとりあえずの見分けはついた。


 「これを食べやすいように切ってもいいです」


 「切らずに食うのかよお嬢は」


 「はいこのまま噛りついてました」


 「・・・まぁ、アリだな。忙しい時には」


 とは言うものの、イルマリはどうやら切ってくれるようで包丁さばきも華麗に一口サイズにしてプレートに並べ、彩りとして緑や赤の野菜を添えてくれた。それだけでぐっと食欲が増す。


 さすがに10個分の玉子だから出来あがりの量が半端ない。よほどお腹が空いていたのだろうかとティーナを見ると、早く食べたくて仕方が無いようでじっと玉子サンドに見入っている。


 その様子にイルマリは苦笑すると、オリオスのお茶を準備して持ってきた。


 「よし、食うか」


 その言葉にティーナはぱぁっと顔を輝かせた。


 「まぁ何だかんだって16か17だっけ? 育ち盛りだもんなお嬢は」


 気がつけば、ティーナは3人から注目されていた。


 ハグハグと玉子サンドを口に詰め込んでいたティーナの動きが一瞬止まった。その目は少し悲しそうだったが瞬く間に消え去り、勢い良くゴクンと口の中の物を飲みむとナプキンで口元を拭った。


 「美味しいです。懐かしい味。どうぞ食べて」


 いくらお腹が空いていたとは言え、自分で作ったモノをすすめもせずに手を伸ばしてしまった事にも気付いたのだろう。少し恥ずかしそうにしている。


 「そうか懐かしい味なのか。どっちもそうなのか?」


 「えっとこっち。ブテーロの入っている方です。アンティアとクスターも食べてね」


 一心不乱に作っていたのは懐かしい故郷を思い出してのことだったのかと皆が思った。ティーナ自身もなぜこうも玉子サンドが食べたくなったのか、その理由が分かった。これはパウリーナと最初に作った料理だったのだ。玉子とバターの味だけのシンプルなものだがティーナにとってはお袋の味だった。


 懐かしい味に不安な気持ちが溶かされているのを感じた。


 これを食べるといつも元気になった。実家から離れて暮らしている時、忙しくても玉子サンドだけは作っていた。そうするとパウリーナの温もりまで思い出し元気になれたのだ。今、玉子サンドを食べたくなったということは、知らず知らずのうちに安心出来る何かを欲していたのだろう。それがパウリーナを思い出す玉子サンドだったわけだ。


 「シンプルだが、うまいな。むしろ余計な物を入れない事が良いんだな」


 「そうですね。本当に美味しいです。一言言えば、私はパーノがもう少し柔らかければいいなと思いますわ。そうするとお茶会や軽食用にも出せますわ」


 今回のエベナージョパーノはサンドイッチ用ではなかったため固めに焼いてあった。薄くスライスすることで大丈夫だろうと思ったが、女の子には具と一緒に食べる場合にはもっと柔らかい方がいいらしい。アンティアらしい意見だ。


 「俺はこれくらいの固さでちょうどいいな。こう、歯ごたえがあって食ったって感じがする」


 がっつり食べるのが好きなクスターは、食べ応え重視の意見だ。どちらも一考の余地がある。


 「そうか。じゃ、次回は柔らかく焼いて作ってみるか」


 さっそくアレンジのアイディアを考え始めたのだろう。イルマリはプロの顔になって玉子サンドを味わっている。


 三者三様の反応を見てティーナはなんだか嬉しくなった。自分はただ食べたくてパウリーナを思い出したくて作っただけだが、この玉子サンドのことを真面目に考えてくれる人達がいるというだけで、ここにはいないパウリーナの存在(こと)も認めてもらった気がした。


 「イルマリさん、アレンジ楽しみにしてます」


 「おう。任せておけ。これが究極のシンプルなものだからな、全く違うものが出来るかもしれんぞ」


 「構いません。それも食べたいです」


 「お嬢は色気より食い気だな、あははは。早く大きくなれよ」


 「もう大人です!」


 ぷぅっと頬を膨らませると、それが子どもの証拠だと更に笑われた。楽しいおしゃべりと久しぶりの玉子サンドでティーナの気持ちは持ち直した。


 結局、四人では食べ切れず休憩が終わった厨房の人達にもお裾分けすることになった。







 そうして漸く待ちに待ったその日、誰もよりもやる気を見せているティーナがいた。今回は全行程歩いて行くのに挑戦するという。


 「アーヴォ、アヴィーノ行って参ります」


 好奇心が実体を持ったらこういう姿に違いないとイェオリは内心溜め息を吐きながらも、やるべき事はこの二週間のうちでやり切ったと言う自信もあり、キスを一つすると快く送り出した。

 前回の心配はどこへやらというビルギットも笑顔でティーナの服装をチェックし、日傘を持たせて送り出す。


 「ティーナ、約束よ。必ず帰って来ること。きっとお腹が空くでしょうから美味しいものを沢山準備しておきますからね、夕食には間に合うように戻って来なさい」


 「はい、アヴィーノ。私は責任があります。皆をきちんと連れて帰って来ます」


 「はいはい。はしゃぎ過ぎて迷惑をかけないようにね」


 「分かりました。では行って参ります」


 ビルギットの注意事項が長くなりそうな気配を見せたのでティーナは慌てて話を切り上げにかかった。


 「仕方の無い子ね。気をつけて怪我をしないようにね」


 「はーい、いってまいりまーす」


 既に駆け出していたティーナはいったん立ち止まり、大きく手を振ってビルギットに答えた。


 「本当に仕方の無い子。もっと注意したい事があったのに」


 やはり言い足りなかったようでビルギットは不満そうに呟いている。それを横で聞いていたイェオリは苦笑しながらビルギットを宥めた。


 「いくらお前がここで言っても、森の中に入ったらすっかり忘れるさ。ティーナにとっては珍しいものが沢山あるみたいだからな」


 「だからですわ。もう心配になってしまいます」


 「大丈夫だ。我が家の者達も警備隊も入っているし、まずは何も起こるまい。我らはどーんと構えて帰りを待っていよう」


 ティーナ達の姿が見えなくなってもずっと気にして見つめたままのビルギットに、腕を差し出してイェオリはエントランスから談話室へと強制移動を試みた。


 *


 今日の道行きも前回同様、ティーナの疑問にお供の者達が答えるという形式で歩みも進んで行った。

 ティーナの質問はとても素朴で答える側からすればむしろそう言う事を疑問に思うのかと、身近にあるだけに驚きを隠せないでいた。


 「ティーナ様は知りたがりですね」


 今回からティーナにお供をする事になったイェオリの護衛アーペリが楽しそうに言うと、ティーナは「そうなの」と笑顔で返す。


 「私、ここの生活をもっともっと知りたいです。だからいっぱい質問します。いいですか?」


 「いいですよ」


 ともう一人の護衛エーメリが答えた。


 「では早速、二人は兄弟ですか?」


 どことなく似た雰囲気を持つこの護衛の二人は互いに顔を見合わせた。ニヤリと笑ったのはアーペリで面白そうに質問を返した。


 「どうしてそう思ったんですか?」


 顔のパーツは似ているけど微妙に違う。アーペリは良く笑うしエーメリは無表情に近い、けれども何となく雰囲気が似ているのだ。ティーナはじーっと二人の顔を見比べながら即答した。


 「だってどことなく似ているもの。で、私の中ではエーメリがお兄さんでアーペリが弟で決まり」


 「あははは。決まってしまった。初めて会ったのに分かるんですね。でも残念。俺達は従兄弟なんですよ、父親同士が兄弟、母親同士が姉妹なんです。で、俺が年上、エーメリが年下」


 「なんと! ほぼ兄弟じゃないですか! っていうか最後が意外です」


 従兄弟と言う関係よりも、アーペリが年上だということに驚きティーナは目を丸くした。


 「ティーナ様にはそう見えるってことだ。アーペリ、お前が落ち着きが無いからだろうな」


 「なんだと! 生意気だぞ」


 似たような顔が言い争いをしているのも不思議な気分だった。


 「ふん。たった一週間しか違わずないのに年上面(としうえづら)されるのもなぁ」


 おもわずクスターが吹き出した。


 「ぶっ、あは・・・なんだそれ」


 「ほぼ同じじゃない。アーペリが下でもいいわよね。いやむしろ年下決定でしょう。落ち着きが無くて早くお腹から出ちゃったと思うわ」


 アンティアが歯に衣を着せぬ物言いをすると、アーペリは「うっ」と言葉に詰まり「それを言うなよー」と情けない声を出した。


 「アーペリは小さい頃から俺と比べられてるからな。というか、お前が成長しないってことだな、海より深く反省しろ」


 こうして5人のパーティは楽しく森の中を進み、その日は何ごとも無く“オリオスのお茶”もみんなで摘んで帰路についた。


 もちろんティーナは本当の目的である発信機や樹の状態を確認するのを忘れなかった。何事も無く正常に動いているし、樹も枯れるような要素は無い。みんなとおしゃべりをしながら戻れば、その日の夕食にはすっかりお腹を空かせて戻ってきた。





 散歩とお茶を収穫しに行くようになってから何度目かの時、初めていつもと違う状況に遭遇した。森の中の道に何か塊がある。ティーナがつい足早に駆け寄ろうとしたのを、アーペリが制止させた。


 「ティーナ様、まず我々が確認します。安全が確認出来ましたらお呼びしますので、ここでアンティアとクスターと一緒に待っていて下さい」


 いつもヘラヘラと、いや、柔和な笑みを浮かべていたのをどこへ落としてきたのかと言いたくなるほど、眼光は鋭くなり、緊張を張りつめた様子のアーペリと、普段以上に引き締めた表情のエーメリは、武器をいつでも取り出せるように確認すると、ゆっくりと対象に向かって歩み出した。


 「ティーナ様はこちらにいてください。決して私どもから離れませんよう」


 アンティアがティーナの横でいつでも身を挺して庇おうと緊張を張りつめ、クスターは二人の背後に居て全体を見ている。


 ティーナは二人が路上の物体に近づいて行くのをじっと見ている。その目はかつてエルヴァスティで医療従事者として活動していたその頃の目そのものだった。ティーナは経験から恐らくケガ人か何かだと推測し、その時の対応をどうするかを頭の中で早くもシミュレーションしていた。


 物体の少し手前でアーペリとエーメリが止まり、エーメリが反対側へと回り込み慎重に様子を伺っている。すると物体が微かに動きを見せた。アーペリが片手に武器を持ちながら片膝をつき物体を間近で見ている一方で、エーメルもまた武器らしき物を手に、何かあっても対応できるように身構えている。


 遠目から物体の頭部が見えた。ヒトだと認識したティーナはすぐさま行動を起こす。


 「ティーナ様!」


 制止するアンティアに「大丈夫だから」と声をかけ、真っ直ぐ駆け寄るとアーペリが抱えおこそうとしているところだった。


 「ちょっと待って」


 ティーナの声にアーペリは起こすのを止めティーナに場所を譲った。倒れていたのは若い男性で、既にアーペリとエーメルによって武器の所持の有無を確認されていた。目を閉じ力なく横たわっている。


 ティーナは男性の顔色や目蓋の色、首に手を沿わせて脈を診たり怪我が無いかどうかを素早く診ると、肩を軽く叩いて声をかけた。


 「私の声、聞こえますか?」


 呼びかけに気がついたのか、男性は「う・・・」と声を出し薄らと目を開ける。その瞳の色はシルバーと赤い色が複雑に組み合わさったような美しい色をしていた。一瞬血液ではないかと思ったが、そうではないようなのでティーナはホッとした。


 「お水、飲みますか?」


 今度こそアーペリに手伝ってもらい男性を抱き起こしてもらう。そして携帯の水をコップに注ぎそっと唇に沿わせると、弱い力でコクコクと飲み始めた。

 カップの水を飲み干すと頬に赤みが戻り目にも力が戻ったようだ。けれどもまだ自分一人では座っていられない様子だ。


 「ありがとう。助かった」


 発する声も弱々しい。


 「どういたしまして。アーペリ、エーメリ、この方を休める場所に運べませんか?」


 「すぐ近くがいつもの河原ですからそこに運びましょう」


 男性はエーメリに背負われて河原まで運ばれた。頬に赤みが戻ったとはいってもまだ体全体に力が入らないようでぐったりとしている。


 (ひょっとすると、お腹が空いているのかもね)


 ティーナは持っていたあめ玉を口の中に入れてあげると、男性は美味しそうに食べていた。


 敷物を広げエーメリがそっと男性を降ろしてそこへ寝かせる。ティーナは少し早いけれど昼食にしましょうと言って準備をしてもらうことにした。とは言ってもお湯を沸かしお茶を入れるだけで、あとは持って来たイルマリの美味しいランチを広げて終りという簡単なものである。


 ティーナの側にはアーペリが残り、他の者がそれぞれ忙しく準備に取りかかっている間、ティーナは男性の側にいて様子を窺っていた。あめ玉を舐め終えてさらに顔に生気が戻っているようだ。

 話しかけても良いか迷ったが声をかけてみて反応を伺う事にした。


 「どうしてあんなところにいたんですか?」


 すると男性は弱々しいながらもきちんと答えを返してくれた。


 「道に迷って、彷徨っているうちに方向も分からなくなって、食料もつきて、ようやく見つけた道で力つきた」


 「何日くらい食べ物を口にしていないのですか?」


 ティーナの問いかけに男性は恥ずかしそうに「5日くらい」と答えた。


 「そんなに?」


 更に問いかけると男性は頷いて答えた。ティーナは少し考えた後、アーペリにその場を任せ、食事の準備をしているアンティアのところへと向かった。


 「アンティア、今日の食事にスープはついていますか?」


 「はい。野菜と麦の入ったスープです」


 ちょうど温めていたようで中身を見せてくれる。野菜から出たスープの色が黄金色になっていて美味しそうだ。


 「アンティア、まず、これをあの男性には食べさせますから」


 「分かりました。・・・もう大丈夫なのでしょうか?」


 アンティアはチラリと男性の居る方向を見た。


 「どうやら道に迷ってしまったらしくて、一週間何も食べていないんですって。だから体がビックリしないようにスープを食べてもらおうと思います」


 「一週間も!?」


 アンティアもティーナと同じように驚いていたが、別に何か思うところがあるのか首を捻っている。そういえばさっきアーペリも同じような表情をしていたなと思い出した。


 「どうしたのアンティア?」


 かき混ぜる手まで止まっていたアンティアはティーナの声でようやく我に返ったようだ。慌てて鍋をかき混ぜ始めた。


 「なんでもありませんわ。ちょっと考え事です」


 「頭が痛いとか、お腹が痛いとか?」


 「ございません、大丈夫ですよ。ご心配をおかけして申し訳ありません」


 心配するティーナにアンティアは笑顔を返した。その笑顔はいつもの通りでティーナを安心させた。


 「さぁできましたよ。あちらも準備が出来ているようですから私どもも参りましょう」


 ほどよく温まったスープからは食欲をそそるいい香りが漂ってきた。





 男性を木にもたれかけさせ、ティーナ達は一緒に食事にした。


 「最初は野菜等はやめて液体のスープだけ飲んで下さい。口の中でゆっくりと唾液と絡ませるようにして飲むんです」


 目の前で湯気を立てているスープに男性はゴクリと喉を鳴らしていた。きっと、指示をしなければすぐにでもかき込んでいただろう。

 男性は指示通りにスープから口にする。一口含むと目を瞑り口の中のスープをしっかり味わっているようで、その後ゆっくりと飲み干し「実に美味しい」と笑みを零した。


 「よかった。自然とこの辺りが動き出します。きっと分かると思います」


 「ああ何だかほかほかしてきた気がするよ」


 「気分は悪くありませんか?」


 「大丈夫なようだ」


 「良かった。もう少し、スープだけ飲んで下さい。ご自分の体が受け付けてくれそうなら具もどうぞ」


 ティーナの指示通りに男性はゆっくりとスープを飲み込んでいたが、4〜5口飲んだ後は大丈夫と自覚したのか、そこから先は早かった。あっという間に自分の分を平らげると、新たにティーナが差し出した器も空にした。


 「ああ、うまかった。ありがとう生き返った」


 満ち足りた表情で男性がお礼を言うと、ティーナもほっとひと心地着いた。




 お腹をさすって満足そうにしている男性に、そう言えばとエーメリが質問をした。


 「お前はどうしてあんな所で倒れていたんだ? ここは一般の人は通らない道なんだが」


 問われた男性はまたもや恥ずかしそうな顔でポリポリと頬を掻いている。


 「僕は年がら年中旅をしているんだ。当然地図は持っていたんだが、恥ずかしい話、風で飛ばされて無くしてしまったんだ。でも大丈夫だろうと慣れた道だからと思って勘だけを頼りに歩いていたら、この通りさ」


 ティーナはサンドイッチを摘みながらほうほうと頷きながら聞いているが口は挟まない。そういう雰囲気がエーメリから発せられていた。


 「ふーんそうなのかい。大変だったな。幸いこの辺には物盗りや人を襲うような獣なんかはいないからその点は安心だが、人家はないからな。日のあるうちに早く街道に出た方が良い」


 「わかった。ありがとう。そうするよ。じゃさ、お別れの前に僕も質問をしていいかな。こういう人家の無い特殊なところで君たちは何をしているんだい?」


 男性は楽しそうな表情をしているけれどその目は何かを見透かすような色を浮かべている。


 「俺らはアルムグレーンの者だ。だからここに居てもおかしくは無い」


 低い声でエーメルが答える。聞き方によっては相手を威嚇しているようにも聞こえる低さだ。だが男性は気にする事無くポリポリと頬を掻いた。


 「ああ、どうりで・・・。わかった、質問はこの辺で止めておくよ」


 降参降参と両手を軽く上げて男性は笑った。


 (アルムグレーンって何かな?)


 初めて聞く言葉に興味を持ったティーナではあったが、ここで質問をするのはまずい気がしてぐっと堪えた。


 「・・・とは言ったけど、その子もアルムグレーン?」


 男性がじっとティーナを見つめてそう言うと、アーペリが割って入った。


 「どう意味だ?」


 「いや特に深い意味は無いよ。女の子なんていたっけと思ってね。その格好からして使用人とは思えないし」


 その言葉に身構えたのはアーペリとエーメリ二人同時で、二人の目には疑いの色が滲み出ている。クスターとアンティアもティーナを守ろうと移動し身構えた。


 「貴様・・・。何を知っている」


 そんな周囲の警戒をよそに相変わらずの軽いノリの男性は、軽く肩を竦めながら両手を挙げてみせた。けれど誰一人警戒を解く者は居ない。男性はそれを見てクッと笑った。


 「何も。獅子には男の孫が二人いるとは周知の事実だよ。だから聞いただけさ。そんな皆して構えなくてもいいじゃないか。

 そんなことよりもね、僕が惹かれたのはね・・・この色・・・良い色だ。かけがえの無い色だ。なんて・・・美しい」


 いつの間にか男性がティーナの頬に手を触れようとしていた。そこをクスターが男性の腕を握り遮る。


 「触れるな! お前は何ものだ? 変質者か、人買いか?」


 「おいおい、物騒な事いうじゃないか。言っただろう? 僕はただの旅人。薬にも毒にもなりゃしない存在だ気にするな」


 クスターに掴まれた腕をペシッと撥ね除けると、男性は「残念」とこぼしペロリと舌を出した。


 「さてと美味しいスープと皆さんの優しさのお陰ですっかり元気になったよ。僕は暗くなる前に街道に出なきゃいけないらしいから名残惜しいけど、この辺でお暇するよ。また、いつか君に会いに戻って来るつもりだけどね」


 「貴様!」


 「おお怖い怖い。僕が武器なんか持ってないのって、あんたら調べてたでしょうが。言うなれば丸腰。そんな人間を闇雲におそっちゃいかんよ」


  警戒するアーペリとエーメリのことは全く意に介さず男性は立ち上がった。


 「ほんと、色々ありがとう。心から感謝する」


 胸に手をあてて優雅に頭を下げてみせるその仕草は、彼が本当にただの旅人なのかと疑うには十分の所作であったけれど、どこかしら憎めないその表情にあてられたのか、不思議とティーナは警戒する気になれなかった。むしろ、シルバーと赤の絡み入ったその瞳が気になって仕方が無く、錯覚なのか、どこかで会った事があったのではと感じてしまうくらいだ。


 じっと“瞳”だけを見つめていたはずだったが、結果として男性を見つめてしまっていたティーナに、男性は嬉しそうににっこりと笑みを浮かべると、誰も止める暇もなくティーナの頬に口づけた。


 「え・・」


 「必ず迎えにくる」


 耳元でそっと囁かれた言葉にティーナも思考がついて行かず完全に固まってしまった。


 「こらー! 不埒もの!」


 すぐ側で行われた出来事にアンティアが大声を上げる。それにようやく我に返ったティーナは、家族とは違うニュアンスのキスに戸惑い、顔が熱くなるのを感じ慌てて両手で覆い顔を伏せてしまった。


 その途端、強い風がざっと吹き抜け、木々の葉が風に乗りペシペシと男性に打ち当たって行く。


 「痛てっ。もう怒りん坊だな。わかりましたよこれ以上はしません」


 男性は独り言のようにブツブツ言っているが誰に向けられているのか分からない。その不審な言動に誰もが怪訝な顔をした。男性は顔や頭に張り付いた葉っぱを剥がしながらティーナに再び顔を向けた。


 「それにしても、初心(うぶ)でかわいいね。じゃ、皆さん、ごきげんよう。美味しかったよ。ごちそうさん」


 男性はさっきまで路上に倒れていたとは思えない身軽な足取りで、どんどん森の中に入って行き、あっという間にその姿が見えなくなってしまった。


 「あいつ! 今度あったらただじゃおかない!」


 まんまとティーナに触れさせてしまった事に悔しがるアーペリとクスターはギリギリと奥歯を噛んで悔しがっている。一人、エーメリだけはじっと男性が消えた方向を睨み据えながら何かを考えているようだった。


 「ティーナ様、大丈夫ですか?」


 まだ立ち直れていなかったティーナにアンティアが慌てて声をかけると「だ、大丈夫、びっくりしただけだから」と顔を上げた。その頬が微かにまだ色づいているのをアンティアは気付いた。


 すっかり男性に振り回された事を思い出し、恥ずかしそうにティーナは言葉に出した。


 「それにしても不思議な人だったわね。何だか全てがあっという間で・・・はぁ、疲れた」


 「然様ですわね。つかみ所が無いと言うか何とも不思議な旅人でした」


 「旅人、そう旅人って言ってたわね、地図を無くしてって言ってた割には道じゃなくて森の中に入って行っちゃって大丈夫なのかしら?」


 日のあるうちに街道にとか言ってた気がするけどと思い出す。


 「大丈夫ですわ。ああいうタイプは得てして要領がいいのです。見目もよろしかったですから、ついつい皆が手を差し伸べてしまうのでしょうし、そうそう死んだりしません」


 そう言えばと、さっきまでの一連の出来事を思い浮かべた。結局ご飯を食べさせて休ませてあげて、元気になったらあっという間にいなくなってしまった。


 「ならいいわ」


 クスッとティーナは笑う。


 すっかり長い休憩を取ってしまい、手早く片付けをすませると目的地を目指して再び歩き始めた。






 「ところでアルムグレーンって何?」


 思い出したようにティーナが質問をすると、アンティアは目をパチクリとして、ああ、と答えた。


 「旦那様のお名前、家名でございますよ。イェオリ・アルムグレーン様、奥様がビルギット・アルムグレーン様でございます」


 「そうなのね。知らなかったわ」


 「然様ですね。屋敷の中で働く者は皆知ってはいても仕事中は気にする必要もありませんし、先ほど言われるまで私も忘れていたくらいですから」


 (へー。そうなんだ。特に必要とされていないのならば、深く気にする必要も無いわね)


 ティーナは話を聞きながらうんうんと頷いた。







 その日の出来事を、ティーナは包み隠さずイェオリとビルギットに報告した。叱られるのだろうかと思ったけれど、二人からは「今後も警戒して注意するように」と言われただけだった。

 どことなく困った顔のイェオリと、ビルギットのうっすらとした微笑みが気になったけれど、すぐさま「はい気をつけます」と返事をした。

 下手な事を言って外出自体が中止になるのが最も困るのだ。


 散歩兼お茶を収穫するという名目の陰で、ティーナの本当の目的の方は全く芳しく無かった。


 発信機は正常に稼働していて一日に一度信号を送ってはいるようなのだが、まだそれに対するレスポンスの信号がない。これはまだ本部がこちらの発する信号をキャッチしていないという証拠だ。

 毎回同じ結果にティーナの心が段々と沈んでいき、自分はもうエルヴァスティに戻れないんじゃないかという焦りに繋がっていた。そんな時、ふと思い至った事があった。


 レーヴィの講義の中で、その地域の文化や生活、言葉などを調べるという項目は、戻れなかった時、その世界で生きる為の術を見つけるために科せられた事なのではないかと・・・。


 そう思い至ると、実にそれが正しいという気がして来た。

 目的も無くただひたすら期待し迎えを待つよりも、別の目的を持たせて自ら命を絶つ事をさせないためにも実に有効な手段だと思う。実際、ティーナも必死で言葉を覚え、ここに暮らす人々を観察し生活様式を学び、本を読み知識も増えてくると、随分、周囲とのコミュニケーションもとりやすくなった。お陰で知り合いも増え、寂しいと思う時間が少なくなっている気がする。


 それでも家族と強制的に離ればなれになっている寂しさは消えることはない。こちらはむしろ時間が経てば立つほどに思いが募る。

 その時ティーナはビルギットの膝に頭を乗せて悲しみに耐えるようになっていた。ビルギットも何も言わずに受け入れてそっとティーナの髪を梳いてくれる。時にはイェオリも一緒に居てくれてティーナをうんと甘やかそうとしてくれる。まるで、この世界に新しい家族をもったいみたいに、心の隙間をこのふたりが埋めてくれるのだ。


 「アヴィーノ、アーヴォいつもありがとう」


 心の穏やかさを取り戻した時、ティーナは恥ずかしそうにお礼を言う。そうすると決まってビルギットとイェオリはティーナを間に挟んで同じソファに腰掛け、両方から温もりを感じさせてくれるのだった。


 (本当に、なんてお礼を言って良いか分からないくらいだわ)


 見ず知らずのケガ人を回復するまで看病してくれて、リハビリにも付き合ってくれて、その後も丸ごとティーナを引き受けてくれているなんて、自分だったら出来るのだろうかと二人に感謝しきりだ。だから、彼らが望むのならずっと側に居たいと、心の片隅でほんのちょっと考えたりするようにもなっていた。

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