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緑の中の  作者: 千砂
21/54

マンティバンブルーナの樹

 川岸での休憩を終え再び歩き出した一行は十分休息を取ったお陰で(特にティーナが)元気を取り戻し、足取りも軽く目的地を目指していた。

 樹々の間からさしこむ木漏れ日は、太陽がその位置を少し高く変え、日差しも強くなったせいか一段と光の筋が存在感を増して、その下を歩くティーナの目を楽しませていた。


 「もうすぐだ」


 皆がワイワイとおしゃべりを楽しんでいたとき、イェオリから少し固めな声が聞こえた。その言葉に何故かティーナは自然と身が引き締まる。そのままイェオリを見上げると、険しくした視線を前方へと向け緊張した面持ちの横顔があった。まるで何かに警戒するようなそんな印象だ。ティーナはイェオリの腕に手を添え直すと、にこっと笑いかけた。


 「アーヴォ、大丈夫大丈夫」


 ティーナの口から発せられたのはいつもの「大丈夫」だった。アンティアとクスターは顔を見合わせてクスッと笑い、イェオリは相好を崩した。


 「そうだな。お前の言う通りだ。大丈夫だな」


 腕に添えられたティーナの手の上から、イェオリは大きな手を重ねて頷いた。




 それから暫く歩くと、突如として視界が開けた。見上げると首が痛くなりそうな背の高い木立が無くなり、優しかった樹漏れ日に代わり光の洪水に変わった。下草の代わりに荒々しい大地が姿を現し、これまでの森に見られなかった、うねりを持つ樹の群生地にとってかわった。

 群生地とはいっても、不思議な形をした樹が点々と生えているに過ぎないが、イェオリの説明では以前はもっと沢山生えていたそうだ。かつてここいら一帯が焼けてしまい、ようやく少しずつではあるけれど樹々が成長しつつ、元の森の姿に戻りつつあるという。


 「それにしても、不思議な形です。幹が()じれていますね」


 一本だと思っていた木は実は二本が互いに絡まり合い一本に見えているのだという。

 しかもこの“マンティバンブルーナ”という樹は、一本だとなかなか成長せず、二本揃って絡まりながら育ち、その後、何千年と生き続けるのだと説明された。その間にも少しずつ同族を増やし繁栄していくそうだ。


 「ここには百万年とも一千万年とも言われていたマンティバンブルーナの樹があったのだよ。樹の中の王とでもいえばいいのだろうか。その姿も佇まいも見る者全てに畏怖を抱かせ、自ずと跪かせるようなそういう存在だった」


 その目蓋の裏にはかつての雄々しい王の姿が映っているのだろう。寂しそうに懐かしそうにイェオリは呟く。緊張のみられる横顔には、畏怖の念も見て取れる。

 ティーナもこの不思議な樹の成長した姿を見てみたかったと残念に思った。


 (でも・・・確か、そうだったわ。その世界の固有種で繁殖力の強い樹が次元転送装置の鍵になれるはず。もう少し成長したら、きっとこの樹達も装置を設置できるかもしれない。そうなれば帰還しやすくなるかもしれないわ)


 ティーナは少し前にエルヴァスティで聞いた説明を思い出し、己の帰還について現実味を帯びた希望を抱いた。


 「さあティーナ、お前が倒れていた場所に連れて行こう。ここから先は足下が悪いから、ワシの手を離すんじゃないぞ」


 従者達には荒れ地手前で待機させ、イェオリはティーナだけを連れてその場所へと向かった。歩きながらティーナが足下に視線を向け観察していると、何か不思議な感覚にとらわれた。どう見てもこの大地の荒れ具合は瓦礫のように思えるのだ。


 「アーヴォ。質問してもいいですか?」


 ティーナはイェオリが頷いたのを見て口を開いた。


 「ここには樹の他に、人工物というか、建物があったのではないですか?」


 イェオリはティーナの質問に足を止めて向き合った。


 「どうしてそう思う?」


 「下の岩? 石? 規則正しいです。それにこの窪み、何か立っていたのかなって」


 ティーナの想定にイェオリは内心驚いていた。ティーナの言う通り人工物だったからだ。しかもかつてイェオリが陣頭指揮を執って造ったものだった。イェオリも視線を足下に落としながら懐かしそうに目元を緩めた。


 「お前の言う通りだよ。ここはある施設があったんだ。でも、ここにあった植物達と共に原因不明の火災で全て焼失してしまった」


 二人が立っている場所から見える範囲でもかなり広いことがわかる。イェオリは視線をゆっくりと右から左へと動かした。遠くに向けられた視線はやはり懐かしむ色に染まっていた。

 一方ティーナは説明を聞いて改めて成長過程の樹々を見渡した。


 視界に入る樹々達は若樹で、それこそ幹があまり大きく育っていない。火災鎮火後、その直後から芽生えたとして樹齢15年だとしたら、数千年以上生きる寿命からすればまだまだ赤ちゃんのうちに入るだろう。

 更に上を行く百万年、一千万年を生きたといわれる樹の王の姿を想像するだけで、返す返すも残念に思われた。


 二人はそれからも時々会話をしながら、一歩ずつゆっくりと歩を進めた。そして、ようやくある樹の前でイェオリは止まった。


 「わ・・・。これ、大きいです」


 殆どの樹の幹がティーナの腕ほどしか無い中で、それは明らかに違った。その樹は見事な捻れを見せており、根元を見ればやはり2本の樹が絡み合っているようだ。幹周りはそれぞれが1m以上はあるのかもしれない。それが互いに絡み合い随分大きな樹になっている。


 「アーヴォ、これは生き残ったのですか?」


 ティーナがそう言うのも仕方が無い。それくらい大きく成長していたのだ。だがイェオリは首を振り答えた。


 「いいやこれも火災後に新しく芽生えた樹だ。他の樹と同じ15年くらいしか経っていないのだが。もともと、樹の王があったその場所に芽生えたからなのか、他の理由があるのかは、まぁ、いまの所は謎とだけ答えておこうか」


 本当は赤の御子(みこ)の力だと言いたいが、まだそれを説明するには早いとイェオリは判断した。


 「樹の王様の子どもということですね」


 ティーナは楽しそうに目をくりくりさせている。彼女にとっては物語の一説のように感じているのかもしれない。


 「ああそうだね。でもこの辺り一帯にある、この種の樹達は全て焼けた樹の王の子孫だよ。だから、どの樹でも大きく成長できるはずなのだが」


 そう言いながらイェオリは大切な事を口にした。


 「そしてティーナ、お前はここに倒れていたんだよ」


 イェオリが指差したところは柔らかそうな下草が生い茂っており、いいクッションになっていたのではないだろうか。それくらいふかふかして柔らかそうだ。

 ティーナは指された周辺を念入りに観察していたが、ここに辿り着いてから既に三ヶ月近く経っている。時間が経ち過ぎているせいなのか、特に注目するようなものを見つけられなかった。


 夢中になって見ていてつい幹に手を伸ばしかけたところ、上からハッと息を飲む音が聞こえ、ティーナは慌ててイェオリを見上げた。


 「アーヴォ、これに触れてもいいですか?」


 心配そうに眉根を寄せていたイェオリだったが、少しの間逡巡した後「少し待て」といってタイを外した。重しの為の石とともにタイを岩の上において、まるで、自分達がここに居たと言う痕跡を残しているようだ。

 その様子を不思議そうにティーナは見ている。

 イェオリは「ちょっとした(まじな)いだ」と笑みをつくるとティーナの手を握った。


 「この手は離すな。いいな、何があっても決して離すんじゃないぞ」


 樹に触れるだけだと言うのに一体何を警戒しているのだろうとティーナは内心首を傾げるが、あまりの真剣さに黙って頷いてみせた。


 ティーナはイェオリに手を繋がれたままもう一方の手を伸ばした。指先が触れる瞬間、イェオリは更にギュッと手を握りしめた。

 一瞬の間の後、何も起こらなかったことに気付く。イェオリに顔を向けると、警戒色に染まっていたその表情が、ぎこちないながらも頷き返してくれた。そこでティーナは思い切ってしっかりと幹に手を付けて何度か撫でてみた。


 少しざらざらとした表皮は固く、けれど固いながらにも内側から滲み出るような生命力を感じる。まるで脈動のようだと印象を受ける。

 (つがい)である二本の樹は互いにしっかりと絡み合い、支え合い、一本の樹になろうとしているようで思わず笑みが溢れた。


 マンティバンブルーナ、数千年後のその姿に想いを馳せ表皮を撫でながらティーナは感触を楽しんでいた。





 何か起きるのではないかと警戒していたイェオリは、表皮を大胆に撫でているティーナの手を目で追っていた。


 「この樹の周辺を見てみたいです。少し手を離しても良いですか?」


 ティーナの声で我に返ったイェオリは、彼女の体を引き寄せ強く抱きしめた。その存在を確かめるように背中を擦ったり頬を撫でたり余念がない。いつもは冷静なイェオリが縋るように自分を抱きしめている事に、ティーナは動揺してしまった。


 「アーヴォ? どうしたんですか?」


 思わずギュッと上着を握りしめイェオリの顔色を窺う。


 「あ・・・すまない。・・・痛くはなかったか?」


 ようやく我に返ったイェオリだが、いまだティーナの両肩を強く掴んだままだ。その顔色が少し白っぽく見える。


 「アーヴォ。アーヴォ大丈夫ですか? 気分が悪い、ですか?」


 心配になったティーナはそっとイェオリの額に触れる。


 (熱は無いわね)


 次に自分の肩に置いてある手首に手をかけて脈を診る。


 (少し、脈は速いけど、こっちも特に問題ないみたい)


 少ない情報でイェオリの状態を素早く判断しティーナはとりあえず安心した。


 顔が緊張で強ばりを見せているイェオリに向かい、ティーナは安心させるように微笑む。その笑顔は医療従事者として、患者に見せる時の表情だ。不安で動揺する患者を落ち着かせるために、それが例え作った笑顔であってもストレスを軽減させ、心拍数を落ち着かせる効果があるということで、ティーナの通った学校では表情の作り方や声の出し方をしつこく訓練させられていた。だからティーナはよく理解していた。自分が相手に与える印象がどういうものかを。


 その表情を向けられイェオリもまた落ち着きを取り戻した。


 「アーヴォ。私はどこにも行きません。アーヴォと一緒に帰ると、アヴィーノに約束しました」


 そう言うティーナに、僅かばかり目を見開いたイェオリは苦笑した。


 「そうだったな、すまない。少し取り乱してしまった」


 照れ隠しかイェオリはティーナの頭を大胆に撫でている。そして


 「必ず二人でアヴィーノのところに帰ろう」


 じっと目を見つめながらティーナが頷くのを確認しつつ、更に念入りに言い聞かせた後、ようやく自由行動を許した。


 とは言っても樹を一周するのに必要なのは、ほんの10歩20歩の距離だ。イェオリの立ち位置から見て、樹を挟んだ真後ろに行かなければティーナの姿は見えなくなることはないはず。

 最初、どこまでも一緒に行くと言うイェオリを何とか押しとどめ、樹のすぐ近くにある岩に腰掛けて見守ってもらう事に成功した。これから行おうとする怪しげな行動を出来る限り見せたく無かったからだ。


 (できれば今日中に取り付けたいわ)


 ひょっとすると今回が最初で最後のチャンスかもしれないと思うと、何が何でも発信機を設置したかった。


 笑顔ととも「行ってきます」と手を振りながら気軽な様子でティーナは樹の周囲を巡り出した。

 時々かくれんぼをするようなふざけた様子を見せ、イェオリを安心させることも忘れない。何度目かぐるぐると回ったあと、イェオリからの死角に移動したとき、ティーナは素早くバッグに手を突っ込み機器類を取り出した。そして二本の樹が重なり合っているほんの僅かな隙間にカプセルから取り出した発信機を埋め込んだ。

 僅かに指先に感じた埋め込んだ感覚と、これまた耳を凝らして聞かないと分からないほどの幽かなカチっという起動音。たったこれだけで作業は終了だった。起動してしまえば、自ら幹の中に潜り込む機動力があるため、ティーナはそのきっかけを作れば良いのだ。


 数秒後、起動したらしい発信機が自ら幹に沈み込んでいくのを目視したあと、素早くモニターで状態を確認する。

 どうやら今はこの樹の情報を採取しているようで、様々な項目に数値がどんどん追加されて行く。その項目は膨大で、データが下から上へとどんどん流されて行く。それが済むとエネルギー源確保のため再起動を行い正式に起動となるはずだ。

 その後はこの樹から得たエネルギーを蓄えた後、丸1日分のエネルギーを使って1日1回エルヴァスティ界の本部へ向け遭難信号を発信しつつ、同時にカウントも始まる。そうなればもうティーナやる事は何も無く、自動でこの小さな装置が半永久的に、この樹が朽ちるまで遭難信号を送り続けてくれるはずだ。

 発信機の状態は屋敷に居ながら手元で確認出来るはずだし、強いて上げれば、ほんの時々、樹が枯れていないかどうかなど些細な事を確認するだけだ。


 けれどもティーナはきっとそれでは満足出来ないと自覚しており、できればここに確認をしに来たいと考え、今後はその理由を作らなければと思案する。


 (これでよし。さてと、何回発信した後に見つけてもらえるかしらね)


 樹に額をつけ、早く見つけてと祈りを込める。


 仮にこの樹のDNAが本部にあれば、信号を受信したら直ぐにでも救出に来てくれるに違いないと、一縷の望みをこの小さな・・・小さすぎる装置に託した。



 しかしすぐにイェオリとビルギットに必ず戻ると約束した事を思い出し、若干罪悪感が芽生え苦笑する。既に二人はティーナにとっても大事な家族になっている事を改めて実感してしまった。


 (でもあっちとの道が開けば、幾らでも会いに来られるわ)


 そう思う事でひとまずは罪悪感から目を背ける事にした。






 「ティーナ?」


 反対側に行って戻って来ないティーナを心配したイェオリがやってきたようだ。その声に、素早くモニターをバッグに仕舞い「はい」と返した。


 「何かあったのか?」


 ザクザクと下草を踏みながら足音が近づいて来る。


 「いいえ、何もありませんアーヴォ。どうしてこの(つがい)だけ大きいのか考えていました」


 「さぁ。どうしてだろうね」


 イェオリの答えは実にそっけないものだった。このような物言いは、これまで聞いた事が無いくらいで声色もどことなく固く、これ以上質問するなと言っているようにも聞こえる。

 ティーナは視線をそのまま周囲に向けた。抜けて来た森の中とは違う、荒涼とでも言うべき一帯にはマンティバンブルーナの若樹が点在しているだけだ。それらは年月を経て少しずつその存在を今後示していくのだろう。それ以外の生命体は下草のような背の低い草で・・・


 「あ、あれは・・・」


 ティーナは少し離れた茂みへと足を進め、腰辺りまでの高さのある植物の群生の前で足を止めた。そして黄色い小花をつけている穂先を手折り、クンクンと嗅いでいる。

 細い茎に小さな花の塊が対でついていて、まるで麦の穂を連想させるその植物は、かつてエルヴァスティで一度飲んだ事のあるお茶の原料に良く似ていた。一度しか触れた事がないのに覚えてたのにはわけがあった。茎や葉にふわふわと白い綿毛がついていて、とても珍しかったからだ。


 「おやおや。もう樹の方はいいのかい? それは何だい?」


 慌ててティーナを追って来たイェオリが、同じように身を屈めてティーナの手元を覗き込む。


 「うー・・・正確には答えられないのですが『ハーブ』です。似たようなものが私の住んでいたところにありました。確か『シデリティス』と言いました。お茶として飲みます。乾燥させ保存します。独特の風味が美味しいです」


 (正確には医療支援のために赴いた外国の小さな島であって、私の住むカルナ国には無いんだけどね)


 あまり詳しい事を話しても仕方が無いと、ざっくりおおまかに“私の住んでいたところ”と説明した。エルヴァスティであることには変わりない。


 「シゲリ? ほぉそうなのか。この草は誰も何も触れないから、この周辺ではそこかしこで咲き誇っているぞ」


 どうやら発音は難しいらしい。イェオリのちょっとだけ拙い発音が新鮮でクスリと笑う。

 たまたま見つけたと思っていたら意外にも沢山あるらしく、何となくティーナは嬉しくなった。


 「この周辺だけですか? 摘んで帰ってもいいですか? これ、たぶん、似たものだと思うので、試したいです」


 「ああ、構わないよ。ワシも試してみたい。どれ、手伝おう」


 イェオリに手伝ってもらいながら、ティーナの腕に抱えきれないほど摘み取った。沢山摘み取ってしまったと感じたが、視線を上げると何て事は無い。一塊で生えている半分にも満たなかった。


 「この黒い点々は種です、たぶん。私の住んでいたところでは種でした。だから大丈夫。乾燥させてポキポキと折ってティーポットに入れてお湯を入れて飲みます。寝る前に飲むと落ち着いて眠れますって聞いた事あります」


 このハーブがティーナの良く知るお茶の類似品であってほしいと願う。そうすれば、それを理由にここへ足を運ぶ事が可能だろうと考えた。


 「ティーナ、もう気はすんだか?」


 すっかりハーブ採集に興味の移ったティーナに訊ねると、ポキポキと手折りながら振り向きとてもいい笑顔で頷いた。





 沢山の雑草を腕に抱えたイェオリとティーナが皆のところへと戻って来た時には、とっくにお昼を過ぎてしまっていた。


 「それは、どうなさったのですか?」


 目を丸くしてアンティアが訊ねるのは当然で、好奇心旺盛なティーナはともかく、イェオリがわざわざ抱えてくるものではないと驚いているのだ。イェオリがさっき言ったようにこの植物は全く見向きされていないらしい。それを二人が、というかイェオリが沢山持って帰って来たことに従者達は驚いていた。


 「乾燥させてお茶にするの」


 先ほどイェオリに説明したようにアンティアにも話をするが、アンティアはそうですかとだけ答え、イェオリから束を受け取りクスターへと預けた。


 「さぁ、お昼の準備が整っておりますよ。どうぞこちらに」


 さっきまで何も無かった場所にはテーブルと椅子、それに美味しそうな料理が並んでいる。イルマリが腕によりをかけて作ってくれたランチは、見た目も美しくてティーナのお腹が直ぐに反応をした。


 「ははは。お腹は正直だの。さてと早速いただこうかティーナ」


 イェオリがティーナに椅子をひいて席に着いた。


 「皆は食べませんか?」


 ティーナは皆を誘うが、またもややんわりと断られてしまった。


 「私どもはお待ちしている間に既にいただきました。休憩も十分いたしましたので、どうぞお二人でごゆっくり楽しんで下さい。シェフが腕によりをかけて作った非常に美味しいものでしたよ」


 「ティーナ。側仕えや護衛達は常に時間を有効に使うのだ。ワシらがマンティバンブルーナのところに行っていた間が彼らには休息の時間だったのだ。だから心配はいらぬ」


 確かにティーナ達がここを離れてからたっぷり一時間は経っていたはずで、休憩するには丁度良い時間だっただろう。彼らも荷物を運んだりして疲れているはずだから、肉体的にも大変だったはずだ。


 「皆、ありがとうございます。いただきます」


 ティーナは自分の意志(わがまま)について来てくれている護衛達やアンティア、クスターに礼を言うと、ようやく食べ始めた。


 「アーヴォ、美味しいですね。外で食べるランチはいつも以上に美味しいです」


 外で食べるためだろう、イルマリは手づかみで食べられるものばかりを準備してくれてとても食べやすい。


 「そうだろう? 料理も美味しい、空気も美味しい。相乗効果でいくらでも美味しく感じる」


 「アヴィーノも一緒だったら良かったのに」


 「そうだな。今度、庭の四阿(あずまや)でお茶でもしようか」


 「はい」


 ティーナはモグモグと忙しく口を動かし、おしゃべりと食事を堪能した。





 楽しくランチを済ませた後、まだ見て回るんだと言ってすぐさま活動を始めようとしていたティーナを、イェオリは強制的に午睡(ごすい)を取らせた。この出来事はアンティアとクスターにとってはショッキングな事だった。

 いつものように、何だかんだと理由を並べて行動を起こそうとしていたティーナだったが、イェオリに背中をトントンと撫でられているうちにあっという間に眠りに落ちていったのだ。まるで幼子をあやすようなその仕草が実に堂に入っていて、全く違和感がない。


 その様子を見ながらアンティアとクスターは舌を巻いていた。二人はいつもティーナに振り回されるだけ振り回される立場であり、思い立ったが吉日的行動をしがちなティーナをコントロールするのに四苦八苦しているのが現状だった。なのに、いとも簡単にイェオリはティーナを大人しくさせてしまった。


 「旦那様、尊敬いたします」


 二人は口を揃えてイェオリを崇め奉った。




 イェオリとビルギットには男の子と女の子の二人の子どもがいる。しかし、結婚する前からイェオリは国の中枢奥深くにいて、連日湧き起こる仕事に忙殺されている日々を送っていたはずで、下手をすれば都にある屋敷にも戻れない日々が続いていた、という話だったはずだ。少なくとも先輩使用人達からはそう聞いていた。だから子育てもビルギットに任せっきりだとばかり思っていたが、こうも手慣れた様子でティーナを扱っているのを見せられたら、二人でなくとも驚きもするだろう。


 「旦那様が積極的に子育てに関わっておられたとは、私、全く存じませんでした」


 アンティアは恥じ入ったように言葉にした。このところ徐々にではあるがティーナを制止させることが出来るようになってきているが、全くもってまだまだなのだ。ティーナ付きのメイドとして見習わなければと謙虚に素直に言葉にしたつもりだった。ところが、イェオリから返ってきた言葉は


 「いや、ワシは子育てに参加した覚えは無いぞ。昔から忙しさにかまけてビルギットに任せっきりだったからな。気付いた時にはシュルとヨセフィンはあっという間に大きくなっていたし。いまではもっと一緒に居てやれば良かったと思うよ」


 先輩使用人達の言った通りだった。


 「え・・・いや、ですが・・・現にティーナ様を・・・」


 「ああ、この子は“特別”だ。こう言ってはなんだが、正直言ってシュルやヨセフィンより可愛い。

 この子が怪我で動けない間、心を入れ替えて積極的に関わりを持ってきた。この子からもビルギットからも随分色々と学んだよ。知らない事だらけだった。だからこの子の性格などはよく理解しているつもりだ」


 イェオリは自身の膝の上でスヤスヤと眠るティーナの横顔を、目を細めてずっと眺めていた。





 「ただ今戻りました」


 車から降りるや否やティーナはビルギットに抱きしめられていた。ビルギットとしては気が気ではなく、帰宅予定時刻よりも早くにエントランスに出て今や遅しと待っていたのだ。敷地内への入口に車両の影を見たとき、思わず走り出しそうになるのをメイド長始め皆に止められていた。だから、いつもの落ち着いたビルギットらしからぬ振る舞いでも、笑って見守られているのだった。


 「ア、、アヴィーノ、くる、苦しいです」


 さすがに呼吸がままならなくなりそうになりティーナは周囲に助けを求めた。


 「ビルギット、ティーナが苦しがっているぞ」


 見るに見兼ねてイェオリが声を掛けるとようやくビルギットは腕の力を緩め、ティーナは一息つく事が出来た。完全に解放された訳ではないが、ビルギットの胸から上げたティーナの顔は真っ赤になっている。


 「ごめんなさい、つい嬉しくて。お帰りなさい。待っていたわ」


 ビルギットはティーナの頬に優しくキスをした。


 「約束しました。アヴィーノとアーヴォと一緒に食事をするって」


 「そうね。偉いわね」


 朝、出かける時とは違いビルギットの声には心からの安堵感が感じられる。それ程までに自分は心配されてたのかと、ティーナもまたビルギットの背中に手を回し応えた。ひとしきり抱き合った後、落ち着きを取り戻したビルギットはティーナをアンティアに託すと二階へと送り出した。





 「ティーナ様、お疲れさまでございました。さぁ浴室にどうぞ。汗を流してきて下さいませ」


 アンティアの手を借りて服を脱いで下着姿になると、そのまま浴室へと向かう。当初はアンティアが入浴も手伝うと言ってくれたのだが、流石にそれはとお断りをした。元気にもなったし自分でやりますと主張し、入浴だけは一人になれる時間になった。

 ティーナがゆうに3人は入れる浴槽に体を沈めゆっくりと息を吐くと、久しぶりの外出の疲れと緊張がいっぺんに流されていくようだった。


 どさくさで浴室までバッグを持って来ていたことを思い出し、扉からアンティアが入って来ないのを確認した後、モニターを確認した。それによると発信機は問題なく再起動を果たし、樹からエネルギーをチャージしているデータが映し出される。いまはまだ半分しかチャージされていないようだが、フルチャージ後にはきっと第一回の信号が発信されるはずだ。


 (よもやこの画面を自分で実際に見る事になるとはね・・・)


 実はこの画面を見るのは二回目だった。

 最初は本部での講義でサンプルを見せられただけだったが、今こうして実際に運用していることが(にわか)には信じられない。けれどもこれが現実なんだと気持ちを切り替え、できれば早く見つけて欲しいと願いつつも、またもやイェオリやビルギットの事が脳裏を横切った。


 ここでの生活はティーナにとって快適過ぎるほどだが、一人で行動する自由度がかなり低いのが難点だった。

 だが、孫のように可愛がってくれるイェオリとビルギットの(実際、目に入れても痛く無いほどの可愛がりようで)、その二人を裏切ってまで勝手な行動をしたいとは思わない。まだこの世界のことを知らないし、常識を身につけるまでは一人で行動するのは控えておきたい。実際問題としてそれが許される環境にいるのならば、そうすべきだろうと考えている。


 (迎えが来たら来たで、その時はその時よ)


 モニターをバッグに戻し、ちゃぽんと口元までお湯に沈むとブクブクと泡を吐き出した。


 (とりあえず第一段階は済んだわ。次はこの世界を知る事、情報を出来る限り集めておく事だったわね。何をしたら良いかな。言葉に関しては大分進んでいるし、図書から得られる情報以外では、人と話をしたりすることが手っ取り早いかしら。とっかかりとしては何かお手伝いをして共通の話題作りをするっていうのもありよね)


 延々と自分の考えにふけっていて、すっかり時間の経過を忘れていた。


 「ティーナ様! いかがなされました? ご無事ですか? 入りますよ、いいですね」


 トントンと性急に扉を叩く音と、大慌てのアンティアの声が聞こえてきたかと思えば、瞬く間にアンティア本人が現れた。


 「アンティアどうしたの?」


 湯の中に身を沈めたままでいるティーナの姿を見てアンティアが目を丸くした。


 「あ・・・、どうしたのではありません! 回復されてから初めての外出で歩き通しでしたし、浴室からなかなかお出になりませんから、一体どうなさったのかと・・・。

 はぁ、ご無事でようございました。いつもより長い時間でしたから、お倒れになっているのではと気が気でなく入らせていただきました」


 確かに入って来た時のアンティは明らかに慌てていた。ティーナの無事を確認したあとは、いつものアンティアに戻っていたけど。


 「そんなに長く入っていたのかしら。ごめんなさい、考え事をしてたらつい・・・」


 「まぁお湯がすっかり冷めていますわ。少し温めますから、もう一度温まってからお出になって下さいませ」


 テキパキとお湯を温めてアンティアは浴室を後にした。15分以内にお願いします、としっかり注文は付けていたけれど。

 再びアンティアが浴室に乗り込んで来る前に手早く下着を身に着け寝室へと戻ったティーナは、すぐにモニターを充電装置に繋いだ。今日の日差しだと太陽光発電だけですぐに満タンになりそうだ。上からハンカチをかけて何となく目くらましをし、準備は完了した。

 見られても構わない位には思っているのでそれ程気にしてはいない。ただ、無くなると非常に困る為、そこだけは用心している。


 「ティーナ様、お着替えをお持ちしました」


 アンティアが持って来たドレスは、さっき歩いていた森を感じるような、明るい黄緑色を基調とした可愛らしいものだった。若干幼く見えるのは気にしない。アンティアが客観的に見てティーナに似合う物を選んでくれているのは十分理解している。

 年齢もここの世界では現在17歳にしかならないのは、何度も計算して間違いない答えとして出ているし、見た目もどうやらそういう風に見えるらしいってことも理解している。そしてアンティアやクスターからはしっかりと年下扱いをされているということも。


 (本当は25歳なんだけどね・・・)


 ティーナは何とも言えない思いを息とともに吐きだした。





 「あなた、どうだったのですか?」


 ティーナが二階へ行ったのを確認し、ビルギットはイェオリを捕まえて現場での様子を聞きたがった。二人は並んで歩きながら、静かに会話を始めた。


 「安心していい。あの子がマルティバンブルーナに触れても何も起こらなかった。正直に言えば、あの子が樹に触れた時は生きた心地がしなかった。再びあの子を失うかと考えただけで張り裂けそうだったがそれも杞憂に終わった。見ただろう? あの元気な姿を」


 ビルギットを安心させるようにイェオリは落ち着いた声色で話をする。すると、どこか焦りを見せていたビルギットの雰囲気が、ようやく落ち着いたものに変わっていった。


 「ごめんなさい、辛い事をあなたにだけ押し付けてしまって。本来なら私も立ち会わなければならないのに、肝心な時に逃げてしまったのです」


 「違うだろう。ワシが行くなと言ったのだ。お前はそれに従っただけだ。もし無理にでもついて来ようものなら、あの子に恨まれても計画を中止するつもりだったよ」


 そっと目を伏せたビルギットの頬にイェオリが優しく触れる。ビルギットは弱々しい笑みを浮かべイェオリの大きな手に自分の手を重ね再び目蓋を伏せた。


 「それに、だ。それで良かったと、ワシの判断は正しかったと確信しているんだ。あの子が樹に触れる瞬間はワシですら己を抑えるのが難しかった。その瞬間まで幾度抱き止めようかと思った事か! この歳まで生きてきて情けない限りだよ。既に覚悟を決めていたのに、迷いを断ち切れなかったんだからな。だからあの子が消えずにいたのを目にした時は、素直に神に感謝を申し上げたよ。

 これは推測だが、恐らく、これからも大丈夫だと思う。こちら側から接触する術を持たない以上、あちら側から何らかの接触が無い限りは・・・だがな」


 珍しくイェオリの言葉尻が自信無く小さくなる。だが、今言った自分の仮説がかなりの確率で正しいだろうと確信があった。ビルギットもまたイェオリに同意を示し少し明るい表情になる。


 「あの子は、何かしていませんでした?」


 ビルギットに問われ、イェオリはその時の状況を思い浮かべた。


 「ワシから離れて目の届かない樹の反対側に回っていたが、特に何もしていなかったと思う。・・・いや、正確なところは分からぬな。あの子が自由行動を望んだのでな、ワシは岩場に座ってあの子の様子を見ていただけだ。

 だからワシの死角になる反対側で何をしていたかは正直言うと分からぬ。が、そう長くも無い時間でワシも見に行った。ちらりと見た所、幹にもその周囲にも特に何も変化は無かったと思う。後で、監視員からの報告が来るはずだから、実際にあの子が何をしていたのかは分かると思うが」


 その曖昧な答えにビルギットは不満を見せることなく、むしろ、穏やかな表情をしている。


 「そうですか。今のあの子にとって、ここは見知らぬ異世界でしょうから、本当は早く戻りたいと思っている筈ですわ。技術の進んでいるあの世界にいたのですもの、私どもでは分からない何かをしていたと考えた方が正しいでしょう。

 でも、本当に、無事に戻って来てくれて・・・、私はそれだけで十分です。イェオリ、連れて帰ってきてくれてありがとう」


 そっと涙を拭うビルギットの肩を、イェオリは優しく抱きしめた。

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