初等教育時代
初等教育時代、兄のレーヴィ、オルヴォはティーナと一緒に転校した。というより率先して転校した。これっぽっちも未練は無いとばかりに、自分達だけで転校を決めてしまった。
その決め手となったのは、ティーナが女子トイレに連れ込まれ数人の女子児童に押さえつけられ、水をかけられ、髪をズタズタに切られていたことだったーーー。
それまでもティーナはクラス内外の女子児童達から様々な嫌がらせを受けていた。その度にティーナは果敢にも立ち向かって必死で自分の居場所を作ろうと頑張っていた。
実のところ髪や目の色が違うというのはとっかかりで、嫌がらせの大半は、ティーナの兄弟であるレーヴィとオルヴォに懸想する女の子達からで、そういった子達が中心となってティーナに辛くあたっていたのだ。
どこから聞いたのかティーナが養子であることを知ったあとは、子どもながらにも整った容姿を持ち頭脳も明晰なレーヴィとオルヴォに懸想する女の子達は、更に輪をかけて言いがかりも甚だしく「あの家に居る資格は無い」だとか「捨て子のくせに」とか「変な髪の色してる」とか「レーヴィとオルヴォに触るな」とか「学校に来るな」なんていう言葉を、ティーナに対して来る日も来る日も浴びせかけていた。
それにも飽き足らない者もいて、授業で作成した作品に「ティーナ、きらい!」と落書きをされたこともあり、そのことを保護者のマティアスとパウリーナが担任に抗議をしたけれど、学校を卒業したばかりで教師になった女性教師のヒュランダルは、保身から必死に「我がクラスではいじめは無い。ティーナの被害妄想だ」などと主張し、一切の事実を認めようともせず、当然調べるつもりも無いようだった。
ヒュランダルは恐らくティーナをいじめる中心人物のフィリッパの保護者が怖かったのだろう。地元の有力者の一人であるフィリッパの両親はこの地区の顔でもある。
本来ならいじめをやめさせるべき担任が、一切、知らぬ存ぜぬを押し通した結果、ますますいじめは増幅し、ついにはティーナの命の危険にまで晒される羽目になったのだ。
人気者のオルヴォが正面切ってティーナを庇ったことも火に油を注いだのかもしれないが、妹がそんな目に遭わされていたのなら庇ってやるのが当然で、幼いながらにも大人の理不尽さを知り、この学年で自分以外ティーナを守れる者は居ないと頑張っていただけだった。
ティーナを守るオルヴォは、端から見れば小さな女の子を守る凄くカッコいい男の子であり、女の子達はこぞってティーナを自分に置き換えてオルヴォに守られる自分という歪んだ妄想を思い描いて悦に入っていた。・・・オルヴォに伝わることがなかったのは幸いだったが。
一方、レーヴィはそうやって妹を守ろうと頑張る弟も、必死に皆と仲良くしようと努力していたティーナも可愛くて仕方がなかった。弟と妹を守るためならば、お兄ちゃんは頑張ると、実は少し前から父の同僚のスヴァンテに相談をしていたのだ。父より若いスヴァンテはレーヴィにとっては年の離れた兄のような存在で、とても気に入っていた。
既に次の学校の候補は決めていたし、自分なりに色んな資料を集めたり、スヴァンテにも調べてもらってティーナが安心できる場所を探し当てたのだ。あとはタイミングだけだった。そのタイミングは最悪だったけれど・・・。
ティーナがトイレに連れ込まれていじめられていると同級生の女子から聞いたレーヴィは、即座にスヴァンテと父に連絡を入れていたのだった。父の職場と学校はそれ程遠くは無い。重要な仕事が入っていなければきっと来てくれる筈だと、信じて連絡をしたのだ。
*
ティーナは気丈にも泣くこともなく、目の前にいるフィリッパを睨みつけていた。
対峙するフィリッパは多勢に無勢とばかりに余裕を見せ、直接的な汚い事は他の女子児童にやらせ自分は児童らしからぬ歪んだ笑みを張り付かせ腕を組んで、髪を切られるティーナを見下ろしていた。
そこにいる誰もが、そんな場面にレーヴィとオルヴォが乗り込んでくるとは思いもしなかった。
男の子が、まさか女子の聖域とも言えるトイレに、どんな理由があっても入って来る筈無いと入念に考えた上で、女子トイレを選んでいたのに、こともあろうか何の躊躇も見せず二人はやってきた。
教師は別だろうが、好都合にも担任のヒュランダルはいじめを見て見ぬ振りをしている。もし中に入ろうとしても外にいる仲間がヒュランダルに尤もな事を言って足止めをする筈であるし、そもそもヒュランダルは面倒な事になるのが嫌で、真実を見ないという性格は、しっかり児童達に見透かされていた。
しかしフィリッパの予想を大きく裏切ってこの兄弟は、躊躇する事無く女子トイレに突入して来た。
予想していなかったため、レーヴィとオルヴォが乗り込んで来た時、フィリッパは関係ない振りをするのが遅れてしまい、慌てて品を作り、笑顔で取り繕おうとしたが、彼らはフィリッパには目もくれず、ティーナを押さえつけている女子達を蹴散らして、見事ティーナを救出し抱きしめていたのをただ茫然と見ているしかできなかった。
レーヴィはすぐに上着を脱ぎティーナを包み込み宝物に触れるように優しく大切に抱きしめた。レーヴィはティーナの頭に優しく手を添え自分の肩に埋めさせると「もう大丈夫、頑張ったね」と優しい声で囁きかけた。マティアスに似て背の高いレーヴィは、同級生よりも体の小さなティーナを軽々と抱き上げることができる。おずおずとティーナが自らレーヴィの首に腕を回したのを機に、しっかりと抱き上げると、既に女子児童からハサミを取り上げていたオルヴォと共に女子トイレを後にした。
オルヴォはレーヴィに続いて扉を出る前に、一瞬立ち止まると扉を目の前で締めた。そして暗い視線をフィリッパに向け
「ひとりを大勢でいじめて楽しいか? そんなに便所が好きなら二度とここから出てくんじゃねー。・・・二度と俺等の前に姿を見せんな、便所女ども」
と蔑みと怒気を孕んだ声で言い放ち、そこに居た女子児童達が凍り付いたのは言うまでもない。
ティーナをいじめる主な理由は、殆どの女の子達が憧れているレーヴィとオルヴォが最も大切に守っている女の子で、誰しもがその立場になりたいと心の中では思っており、幼いながらにも醜い嫉妬をしていたからだ。要するにその場にいた子達は、オルヴォやレーヴィに懸想する子達で徒党を組んでいたわけで、憧れのオルヴォからの言葉に、我に返った時、自分達のやったことを冷静に受け止めて、あまりのショックに泣き出した子もいた。
フィリッパもまたレーヴィとオルヴォに憧れる一人で、オルヴォから侮蔑を込めた目で見られた事に相当なショックを受けていた。
けれどオルヴォにとっては、そんな勝手な理由は知ったこっちゃない。
言うだけ言ったオルヴァはフンと鼻を鳴らして、踵を返し、最後にとバン! とわざと扉を荒く閉めトイレを後にした。
外で待っていたレーヴィとティーナに合流すると、青い顔をして立ちつくしている担任のヒュランダルの前を通り過ぎスタッフルームへと向かった。クラスとは別棟にある教師達の部屋まで子どもの足では少し時間がかかる。けれどもレーヴィもオルヴォも休む事無く歩き続けた。途中、後ろからヒュランダルの声が聞こえて来ていたが、完全に無視して歩みを進め、追いつかれる前にスタッフルームに辿り着いた。
「ちょっと、あなたたち待ちなさい! どこに行こうって言うの!」
ゼイゼイと息を切らしながらヒュランダルも追いついたが、スタッフルームの前に見慣れぬ大人達がいる事に気付き足を止めた。
「父さん」
レーヴィが怒った目でマティアスを見上げている。隣いるオルヴォも同様の表情ではあるが、こっちは泣きそうにもみえる。息子二人の表情から最悪な事が起こったとマティアスは理解した。大人があーだこーだと御託を並べるよりも、息子二人の目は雄弁に語っている。日頃から過剰とも思えるスキンシップをしているからこそ、子ども達の表情を読むのはマティアスにとっては朝飯前のことだ。
マティアスは頼って来た息子二人にしっかりと頷いてみせ、レーヴィからティーナを受け取ろうと手を伸ばした。その時、ティーナの髪がずたずたに切られているのを見てマティアスは、怒りを抑え込むのに相当の努力が必要になった。直ぐにでも犯人達を殴りたくなった衝動を何とか抑える事が出来たのは、被害者であるティーナが泣きもしていないと言う事の方に注意がいったからだ。
マティアスがギュッとティーナを抱きしめ優しく体をさすると、ようやく安心したのかティーナが小さく震え始めたのを感じた。レーヴィが抱いている時にはピクリとも動いていないように見えていたため、何とも言い得ない不安を感じていたけれど、こうして腕の中でティーナの動きを感じ「ああ、生きてる」と最大の安堵感を覚えたのだった。
そして、同時に、同じ大きさの怒りも込み上げてくる。目の前にただぼーっとつったっているヒュランダルにマティアスが視線を向けると、ヒュランダルは「ひっ」と息を飲んで一歩後ろに下がった。
この頃、既に特殊な組織で一チームを率いるリーダーに抜擢されていたマティアスは、伊達にリーダーをやっている訳ではない。個性的な人間たちをまとめ、尊敬を集めるにはそれ相応の努力、力量が必要なのだ。時には異世界で命をかけたやり取りの中で仲間を守り切る強さが必要で、マティアスは最高のリーダーとも言われている。そんなマティアスのひと睨みでヒュランダルは完全に萎縮し、生ける屍のように真っ白になってしまった。
これまでの数々の経験からヒュランダルには何を言っても無駄だと既に学習しているマティアスは、ヒュランダルに対しては何も言わず、黙って自分の隣に経っている男に視線を向けた。
マティアスの同僚のスヴァンテもまた、無表情にしか見えない顔で静かに怒っていた。これまで、マティアスやレーヴィから話を聞いていたけれど、まだ望みは持っていたのだ。・・・これでも。だが、いま自分の目の前にいる、見た目だけの評価であれば最高に近い得点を得られそうな、この公立の教師の無能さぶりを一目見ただけで心底嫌悪を感じ、次に自分の取るべき行動を冷静に考えていた。
スヴァンテはマティアスに顎でついて来いと指示を出すと、先頭を切ってスタッフルームにいる学校長のところへと向かった。突然の保護者の訪問には慣れているのか、そこにいる誰もがちらりと視線を向けるだけで、いつもの事だろうと言う雰囲気で呑気に座っている。けれども、子ども抱いた大の男から出る怒気は尋常なものではなく、それに気付いた者はこれから何かが起こると固唾を飲んで一行の動向を凝視していた。
「校長はお前か?」
地声も低いスヴァンテが更に怒りを孕む抑えた声でひとりの男に問いかけた。言われた本人は何ごとかと怪訝そうな顔を向け黙って立ち上がった。
「いかにもそうだが、あなた方は?」
不躾にもお前呼ばわりされて不機嫌なのか、校長もまた鼻息が荒くなっている。だが、そこは教師達の手前、落ち着いた態度で臨んでいた。
「ティーナ・ポルティモの父、マティアスだ」
イライラと横からマティアスが名乗りを上げる。その瞬間スタッフルームの雰囲気が変わった。皆一斉に視線をマティアス達に向けた。
校長は僅かに目を見開いたが流石は“長”が付くだけあってそれ以上の反応は見せない。その代わり、マティアスの隣にいる最初に校長に声をかけた男に一瞥をくれた。お前も名乗れと言っているのだ。
「カルナ国国家機密保持委員会 SSD所属 スヴァンテ。・・・通称名で悪いがルールなんでね」
最後は校長にだけ聞こえる位の小さな声で名乗りを上げた。
スヴァンテは鋭い視線でじっと校長を見た後、すいっと目線でマティアスに抱かれているティーナを示すと、さすがの校長も一瞬目を見張り、瞬時に理解した。
すぐに動いたのは校長だった。すぐさま別室を用意させるとスヴァンテ、マティアス、レーヴィ、オルヴォを自ら案内し移動した。そして直ぐに副校長と教職員長、それから女性の保健医も呼ばれることになり、スタッフルームはしばし騒然となった。
別室に移動して直ぐに保健医がティーナを診た。最初、怖がってマティアスから離れようとしなかったティーナを、レーヴィとオルヴォが優しく諭し、二人の間に挟まれる形でティーナは保健医と向かい合った。体の大きなレーヴィと学年でもそれなりに背の高いオルヴォの間にいて、ますますティーナの体が小さいことが強調されて見える。
ティーナを見た保健医は酷い状態のその姿に内心動揺していたけれど、さすがにそんな姿を見せる事はせず、丁寧に念入りに体を調べている。少し時間が経っているからか、体のあちこちに痣のようなものが浮かび上がっていた。その痛々しい色にさすがの保健医も僅かに眉を寄せたが、しっかりと自分の仕事を弁えて黙々とティーナの体を調べていった。
その間、誰も一言も口をきかず、重苦しい空気が部屋の中に張りつめている。
ようやく保健医が観察内容を記載し診察の終りを告げると、スヴァンテがすぐさま口を開いた。
「診断書をこちらへ」
本来は学校長に渡し、学校長から渡されるのがルールではあるが、保健医は独断でスヴァンテに渡した。そうするべきだと思ったのだ。
スヴァンテは受け取った診断書に目を通すと、いつの間に用意したのか手に持っている手のひら大の小型の機械で読み取っている。レーヴィが「どっかに送っているのか」と訊ねると「ひみつ」とウインクを返された。
今のティーナは、恐らくレーヴィのと思われるブカブカの上着を着せられて、というか包まれて頭部だけがちょこんと見えている状態だ。オルヴォがさっきのレーヴィのように抱っこをしようとしていたが、サッとマティアスにかっさわれてしまい口を尖らせて大層な不満顔をしている。そんなやりとりを見てスヴァンテの表情が一瞬柔らかくなったが、次の瞬間にはいつもの無表情に戻り正面に座っている校長達に視線を向けていた。
「まぁどうこう言うよりも、これを確認しましょう」
そう言うとオルヴォの上着の校章と、包まれているティーナの校章を抜き取り、部屋の備え付けのマシンを借りて何やら接続をしている。
「これはねオルヴォ達も知らない秘密兵器で、僕が勝手につけてたんだ。担当教員が役に立たない以上、この子達の身を守るのは保護者の役目だからね。んで、そうしているうちに読込み完了っと」
スヴァンテがパネルを操作して動画を写し出すと、先ほど女子トイレで行われていた事の顛末が一部始終映っている。
「逸脱した行為だ・・・こんな盗撮まが・・・」
スヴァンテの行為に教職員長が口を挟もうとするが、それをスヴァンテ自身に遮られ抑え込まれた。
「いつかこんな事になるんじゃないかと思ってねすり替えておいて正解だった。教師以外大人の目のない教室で、教師次第で良いように状況が作り替えられると困るんでね。この子達の担任は教師として無能だし、さっきもマティアスに睨みつけられただけで逃げ腰だった。実に情けなかったね。自己防衛するには非力な子ども達だから仕方ないだろう? 大人が守ってやらなきゃ。実際に、女子児童達が持っているハサミには十分な殺傷能力がある。児童達の集団心理で下手したらティーナは刺されていたかもしれない。その場合の責任は誰がとるんだろうか」
震える声で教職員長が抗議の声をあげようとしたが、その先を読んでスヴァンテは先手を打ち遮る。そして動画を止めて向き直った。
「お前達の感想や意見なんて必要ない、僕は立場上介入できる権限を与えられている、残念だったね。沙汰は後ほど。抵抗したければ、この動画以上の言い訳を考えておけばいい。こちらは更にそれ以上の行動をとるだけだ」
静かな物言いの中にスヴァンテの怒りを感じ取れない者などいない。もし、それが分からないというのであれば、本当の無能だ。ゴクリと誰かが喉を鳴らした音が異常に大きく聞こえるほど部屋の中は静まり返り、緊迫した状況だった。
そこへ突然、部屋の扉が勢いよく開き人が飛び込んで来た。見ればオルヴォとティーナの担任のヒュランダルだった。
「校長! 彼らが何を言ったか知りませんが、私は何も知りませんでした! それに、子ども達の戯れ合いの中での出来事に大人が口を挟むのはどうかと思います!」
この期に及んでもまだ保身ばかりの言動にレーヴィが子どもらしからぬ舌打ちをして不快感を表した。
「ヒュランダル先生、場を弁えなさい。あなたを呼んだ覚えはありません」
副校長がジロリと睨みヒュランダルに退室を命じるが、自分の立場を守る事しか考えていないヒュランダルは首を振って抵抗する。
「いいえ、副校長も教職員長も聞いて下さい。わたしは、」
「黙れと言っているのが聞こえないか! 見苦しい! お前みたいな教員が我が校にいるなんてな!」
更に言葉を続けようとしたヒュランダルを、今度は教職員長が怒号でもって制し、強制的に黙らせた。
「マティアス、子ども達を連れて帰れ。後は俺に任せろ」
そういうとスヴァンテはさっと扉を開けてマティアス一家を送り出した。そして、静かに扉を閉めたところで、本来の表情である誰にも読ませない冷たい表情になり内輪揉めをしている教員達に向き直った。
「本来ならばお前達に言う必要なんてないんだが、どうして彼らの家族でない僕がいるのか教えておいてあげよう。ティーナは我が国が威信を掛けてお守りしなければならない大切な方の御子なんだよ。だから、国家機密保持委員会 SSD所属なんていう僕がつけられているんだ。理解したかい? まぁ国同士の理由があって周知等してはいないがな、まさか、公立の学校でこのようなことが起こるとは夢にも思っていなかったよ。カルナ国国民の税金が100%投入されている公立の教職員は、職務に対して怠慢があってはならない公務員の身分なんだからね。実に残念だ、誰の首が飛ぶのか見ものだな」
この言葉に学校長以下全員が固まった。
そうしてかねてからレーヴィに相談されていた通り、その場でレーヴィ、オルヴォ、ティーナの三人の転校が決まった。そしてこの学校は教育省の厳重注意要監督校として梃入れされることになり、その後、カルナ国全体で徹底的に学校教育、特に教職員の採用方法、教育、人格を見直される事になった。