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緑の中の  作者: 千砂
19/54

イルマリとサムリ

 アンティアが全員分のお茶を入れ、クスターとティーナが皿やカトラリーを並べている。

 そこへすっかり片付けを終え、デコレーションされたメ・リーンゴを持ってイルマリがやってきた。


 「じゃん」


 どうだと言わんばかりにティーナの卵菓子の横に並べた。


 黄色一辺倒だったテーブルに、色とりどりのデコレーションがされたメ・リーンゴは何とも言えないほど魅力的で早く早くとティーナを誘っているようだ。


 「美味しそうですわ。卵一種類から二種類のお菓子ができましたね」


 アンティアが素直な感想を述べた。ティーナはその言葉にうんうんと頷いて同意を表しつつも、両手を頬にあてニヤケル顔を隠すようにしている。しかし、その目はお菓子にロックオン状態で、その時を今か今かと待っていた。


 「おい、これはどうやって食うんだ?」


 イルマリは黄身のお菓子を指差してティーナを見た。


 「手で、摘む。もう、熱く無いから。でも、ベタベタする。これ使っても良い」


 ジェスチャーを交えながらティーナが説明をする。


 「ああ、分かった。じゃ、お先」


 イルマリは躊躇無く金糸を束ねたようなお菓子に手を伸ばした。一口齧ると断面を見ている。そして、目を伏せてゆっくりと噛み始めた。


 「おお、濃厚な・・・。まさしく卵だな。だが、砂糖水で茹でた状態で、ほどよい甘さになっている。細いからボソボソ感の違和感もそれ程感じない。うん、茶請けには持ってこいだな。それにシンプルだからこそ、何か、香りをつけても良いかもしれん」


 独り言を言いながら研究熱心な料理人らしく、しっかりと味わっている。まずまずの評価にティーナはホッと胸を撫で下ろした。そこで、思い出した。


 「クスター、これ、クスターに、お詫び。食べて」


 ティーナは自らクスターに卵菓子を取り分けて勧めた。


 「え、俺に? 何かありましたっけ」


 さっきもそうだが、ティーナにそう言われても何が何の事やら(ありすぎて)分からないとクスターは首を捻っている。


 「クスターの、サムリさんのこと好き、私、サムリさんに、言った」


 「グホッ」


 「げ、きたねー!」


 イルマリが口の中の物を、咀嚼分解した物を、吹き出した。そこにクスターが・・・たまたまいた。


 「げほっ、ゲホッ、・・・水」


 イルマリは苦しそうに胸を叩きながら、もう一方の手で何かを掴むように空を切る。すかさず隣からアンティアが水をイルマリに手渡した。


 「ふぅ、助かったぜメイド」


 「アンティアです」


 「ああ。・・・ってか、何。お前、サムリのことが好きなのか? 物好きだなぁ」


 アンティアの小さな抗議をサラリと流し、もの凄い面白い玩具を見つけたような目をしてイルマリがクスターを見ている。


 「ち、違います! そう言う意味ではありません! 上司として、尊敬、しているんです。そ・ん・け・い、です!」


 またもやムキになって全否定をするクスターに、イルマリは片手を降って落ち着けと言う。


 「わーってるって、揶揄(からか)っただけだろ。んな、真っ赤になってんじゃねーよ。くくっ、そんな反応すると勘違いされるぞ。ってか、お嬢、サムリに言ったのかよ。強者だな。・・・で、アイツの反応どうだった?」


 まるで別人のように目を輝かせてイルマリは興味津々でティーナを見ている。隣で口を尖らせ尚も講義をしようとしているクスターの肩を押さえつけ無理矢理椅子に座らせながら、だ。とても器用な人だ。


 「特にないです。サムリさん、女が好き、言いました。クスターも。それだけ」


 「ぶふっ、お嬢、さっきからさ、お嬢が口を開くと、なんかさ、すっげーおもしれぇよ。サムリが女好きって、がははははは。あーおもしれー! 傑作だ。あの堅物が・・・女好きって」


 目に涙まで浮かべてイルマリが爆笑している姿を見て、どこに面白いポイントがあったのかとティーナは首を捻って考えていた。そこへアンティアがティーナの手に触れて自分へ注意をひく。


 「ティーナ様、深く考えなくてもいいのです。勝手に笑わせておけばいいのです。それよりも、お菓子をいただきましょう」


 アンティアは手際良くティーナのお皿に、サムリが作ったメ・リーンゴと、ティーナの卵菓子を二種類取り分けてくれた。


 「ありがと。アンティアも食べて。感想下さい」


 「はい。ではお言葉に甘えて、いただきます」


 いつもだったらアンティアは一緒に食べてはくれない。お茶も飲んでくれない。けれど、場所が場所だからか、この部屋の主が主だからか、アンティアもリラックした顔で同席してくれている。


 アンティアは最初にティーナの卵菓子に手を伸ばした。


 「ああ、美味しい。ほんのり甘くて優しいお味ですね、癖になりそうです」


 そう言って今度は花の方に手を伸ばしてこれもまたパクリと笑顔で食べている。

 一方、クスターも、まだ笑っているイルマリを尻目に、卵菓子を口に含み笑顔になった。


 「ありがとうございますティーナ様。とっても美味しいです。弄られただけでこういう美味しいお菓子を作ってもらえるなんて、弄られがいがありました」


 「良かった。喜んでもらえて、嬉しい」


 当初の目的であるクスターへのお詫びができてティーナもようやくメ・リーンゴに手を伸ばした。


 元は卵白とは思えないほどのサクサクとした歯触りと、フルーツの甘さとナッツの香ばしさが全て口の中で混ざり合う。一噛み二噛みと咀嚼し口の中で撹拌されるにつれ、絶妙な美味しさの調和が感じられる。


 「おいひい」


 ティーナはとろんとした表情で口の中の変化に集中している。


 「だろ? おい、ここも食ってみろ」


 そう言って、イルマリおすすめのスックラーのたっぷりかかった部分を取り分けてくれる。本当に面倒見の良い人だ。

 言われるがままパクリとかじると、ティーナの知っているチョコレートよりも更に濃厚で、加えてナッツの歯ごたえと香ばしさが絡まってこれまた美味しい。これまで食べた事のあるチョコとナッツの組み合わせとは違う、新しい味と食感だった。


 「うーん、幸せ」


 ご多分に漏れず、ティーナもまた甘い物好きな女子らしく、モグモグと忙しく口を動かしながら鼻に抜ける香りに酔いしれる。そして「美味しい」を連呼すれば「煩い、黙って食え」と理不尽な注意が飛んでくる。だが、その厳しい口調とは裏腹に、声の主の表情は全く違う。多少の照れはあるものの、満更でも無いようだ。


 「イルマリさん、また、食べたいです、これ」


 キラキラと瞳を輝かせティーナがリクエストすると、イルマリの目尻に皺が寄った。


 「ああ、いつでも来い。作ってやる。その代わり、お前も何か作るんだぞ、いいな」


 「はい。約束、イルマリさん」


 ティーナが頷いたところで、イルマリの表情が悪い人の顔になる。


 「あとな、サムリのネタも頼む。久々に笑ったぜ」


 「サムリさん? イルマリさんもサムリさん、好き?」


 「ああ、大好物だ」


 「わかりました」


 「ちょ、ティーナ様ぁ・・・やばいですって」


 そこには心底困りきったクスターと、ティーナ様に何を言ってくれるんじゃとイルマリを睨みつけるアンティアの姿があった。





 「じゃあな」


 ティーナ達がやって来た時とは打って変わって、イルマリはご機嫌にお見送りまでしてくれた。そして三人の姿が見えなくなると、早速さっきの卵菓子の改良の為、研究室に戻って行った。



 *



 こうして、堅物のシェフに認められたという話は使用人達の間であっという間に広がり、ある種の尊敬の眼差しを向けられる事も多くなった。そのおかげもあり邸内で働く人達とも随分と顔見知りになり自然と会話も増えた。

 言葉も少しずつ流暢に話せるようになると、以前のように言葉足らずで妙な意味になることも少なくなり、イルマリを楽しませる事も少なくなったが、今度は、純粋に料理の面で掴まる事が多くなった。その証拠にイルマリのところを辞する時には必ず次回の予定を聞かれるようになった。


 そうやって時々厨房に入り浸り、パウリーナと一緒に作っていた料理を作ってみせると、イルマリはそれをヒントにアレンジをきかせ、こちらの人達の口に合うようなものにしてくれる。

 そう、どうやら味覚は若干違うらしい。それは仕方が無い。エルヴァスティでもカルナ以外の国の人達ともちょくちょくそう言う事があった。世界が違うなら、なおのこと起こりうるはずだ。そもそも使用する材料が同じであるはずもなく、似たような物を使う事でその差も生まれているのだろうとは思う。むしろ、イルマリはその差を楽しんでいるようで、研究にも熱が入るようだ。


 そうこうする内に、ティーナの紹介した料理がアレンジされて、時々、食卓に出て来てくるようになった。


 イェオリやビルギットもそれを楽しみにするようになっていて、ティーナはドキドキしながらも二人の反応を楽しみにしていた。当然、イルマリが作っているから不味いはずはないのだが、レシピを提供した側であるティーナとしては、やはり気になる所だ。


 シェフからあえて説明はないが、イェオリとビルギットはすぐにティーナのレシピだということに気付く。なぜなら、ティーナはそっと見ているつもりなのだが、銀と緑の不思議な色の瞳がいつも以上に真剣な色を帯び、ちらちらとイェオリとビルギットの様子を伺っているのだ。その様子に二人は笑いを堪えながら、敢えて知らん顔をして見せる。そして「美味しい」と感想を言い合うと、ティーナの顔がぱぁっと明るくなる。


 一人の少女の笑顔が食卓の雰囲気を一気に明るくし、イェオリもビルギットも何倍も美味しく感じるのだった。





 ある日、ティーナがビルギットとお茶をしているところにイェオリが遅れてやってきた。そして席に着くと、唐突にこう言った。


 「ティーナ、近々、行ってみるかい?」


 どこへ、などと言われなくても分かる。以前、イェオリと約束した事だ。ティーナは急いで茶器を置くと、イェオリの首に抱きついた。


 「行きたいです。アーヴォ。連れて行って下さい」


 以前より随分と力強くなった腕で、きゅーっと抱きついてくるティーナを受け止めながら、イェオリは優しく肩をなでる。そのイェオリの目尻には細かく皺が寄っている。


 「わかった。では明後日、朝食を食べたら出かけよう。そしてあちらでランチを食べよう。青空の下で食べるご飯は美味しいからな」


 「はい! 嬉しいです。ありがとうアーヴォ」


 イェオリはひょいとティーナを膝の上に抱え上げ向かい合った。その時にはもう顔は大真面目なものに変わっていた。


 「ティーナ、はしゃぎ過ぎるんじゃないぞ。怪我をしたら連れて行かれないからな」


 「はい。気をつけます。それと雨が降らないようにお祈りします」


 「雨は降らないよ。大丈夫」


 その日の晴天を確信した様子でイェオリは請け負った。

 ティーナはその様子を不思議に思った。天気予報なんてものがあるのかと思ったが、この世界の事はまだ知らない事ばかりだ。きっと何か似たようなものがあるのかもしれないと考えた。


 「じゃぁ、イルマリさんにお弁当をお願いして来ます」


 妙案だとばかりにティーナが目を輝かせる。それを見てイェオリも頷いてティーナを膝からおろしてくれた。


 「ああ、行っておいで。とびっきり美味しいのを頼むとワシが言っていたと伝えてくれよ」


 「はい。じゃ、アーヴォ、アヴィーノ、失礼します」


 最近ビルギットから教わるようになった礼儀作法で挨拶をするとティーナは早速厨房へ向かった。ティーナが退席するとお茶の席が一気に静まり返る。


 残った老夫婦はティーナの姿が扉から消えると、二人とも黙り込んだ。ビルギットはそれまでと代わって悲しそうな、心配そうな表情を見せている。


 「あなた。大丈夫でしょうか。あの子がまたどこかへ行く何てこと、ありませんよね」


 沈鬱な表情でビルギットはイェオリに問いかける。その言葉にイェオリもまた眉間に深く皺を寄せた。


 「何とも言えない。・・・だが、あの子が望んでいるんだ、一度くらいは見せてやらないとな。きっと確信している筈だから、ここが異世界だということを」


 「そんな・・・」


 言葉を失い、ビルギットは膝に置いているナプキンをギュッと握りしめた。


 「あの子は賢い。まったく、似なくても良いのにと思うが流石はあのお方の血を引く者だな」


 ビルギットの固い表情を和らげようと務めてみたがうまくは行かなかったようだ。


 「それに気付いているか? あの子が時々部屋の隅や天井を見つめているのを」


 その言葉に今度はビルギットがハッと顔を上げる。イェオリはゆっくりと頷いた。


 「あの子には見えているのだろう。光の玉、珠光(じゅこう)がな」


 ビルギットがヒュッと息を飲むが、一呼吸おいて、イェオリは話を続けた。


 「あの子が現れてから、正確にはあの子の存在を、あのお方が認識されてからこの世界は明らかに変化があった。元の色を取り戻したのだ。世間から隔離されているこの場所だからこそ聞こえて来ないが、首府や人口の多い場所では様々な憶測が飛び交っておる。その内の一つが・・・緑の御子(みこ)が戻られたのではないか、とな。それで天主様が喜んでいらっしゃると」


 ビルギットの唇がプルプルと震えている。それを見てイェオリはビルギットの手を握った。


 「安心しなさい。憶測だと言っただろう? 誰も見た者はおらんのだ。正確な所は分かるまい。使用人達は誰一人として口外してはおらん」


 ようやくビルギットの表情が緩んだ。この屋敷に務める者は例外無く、秘密保持の為のサインをすることになっている。ただし、それを破ったからと言って命を取られる訳ではない。そんな魔法のような事はないのだ。


 「はい・・・。それと、あの樹が急成長をしていると聞きました。それもその影響が?」


 「ああ、あれは、まぁそれもあるだろうが・・・、赤の御子(みこ)が関係している、というか、あのお方もそうだろうとおっしゃっているからな、まったく、こちらも諦めの悪い・・・」


 歯切れ悪くイェオリは口にするが、そこには嫌悪感らしき感情は込められていないように感じる。むしろ、どこかしら楽しんでいるようにも思えたりする。


 「仕方ございませんわ。あの御子(みこ)はもうずっとユスティーナ様に恋をしていらっしゃるのですから」


 ビルギットもようやくフフフッと頬を緩めて笑った。


 「ああもう。頭の痛い。ったく、どいつもこいつも」


 「あなたもでしょ、イェオリ。ふふ」


 ズバリ痛いところをつかれ、イェオリはバツの悪い顔をする。


 「ふん。何とでも言え。ともかくだ、明日は準備にあたるから終日外出する」


 「はい。是非とも宜しくお願いいたします」



 *



 厨房に向かう道すがら、珍しくティーナのおしゃべりが少なかった。心躍るような、を体現するように軽やかな足取りで厨房へと急いでいる。


 アンティアとクスターはティーナの逸る気持ちは理解している。けれども、明後日、向かうその場所がどういうところなのか、実は二人には全く知らされていないのも事実だ。そもそもどうしてティーナがここへやって来たのか、どうして主夫妻が自ら世話をするくらいに大切にしているのかも知らない。


 ある日、いきなりサムリから呼び出されティーナの部屋付きになるよう言い渡された、ただそれだけだ。


 だから最初は戸惑いが大きかった。


 この部屋に女の子がいるということ、許可が出るまで決して扉を開けてはいけないということ、中で音がしても扉を開けたりせずすぐに知らせるようにと、しかもサムリにではなく、イェオリやビルギットに直接、という特殊な注意事項だけで、具体的な説明は一切なかった。

 ただただ、アンティアとクスターの忠誠心を試すとでも言うような、そんな指示だったのだ。


 この屋敷で何が起こっているのかさっぱり分からなくて一度訊ねたことはある。だが、その質問を口にするとサムリが笑顔で、今は知らなくていいと言うので、とうとうそれ以降は聞けずじまいなのだ。それでも名前だけは偶然聞いた事があった。イェオリかビルギットがつい口にしたことがあったが、実際に女の子から出た名前は違っていて、少々混乱したのも記憶に新しい。


 ティーナと接するうちに彼女自身の魅力で、ティーナ付きメイドと従僕として誇りを持って仕事に打ち込めるようになった。


 最初は言葉が通じずなかなか意思の疎通ができなくて、ティーナに対する違和感はあったものの、それは言葉が足りないだけだと思っていた。実際、ティーナは身振り手振り一生懸命に伝えようとしてくれていた。




 それに気付いたのは単なる偶然だった。


 ティーナは偉ぶる事も無く、自然体で接してくれるし壁も感じない。けれども、ふとした時に見せる表情から何か重大な事を秘めているのだろうと、感じるようになった。


 だが使用人の立場から内面にまで立ち入るわけにはいかない。だから、アンティアはクスターと話し合って、ティーナが話してくれるまで待とうと決めていた。


 ここへきてようやく嬉しさを爆発させる寸前の、軽やかな足取りのティーナを見て、二人もまた嬉しくなった。これまでの笑顔より断然今の方が魅力的に見えるのは、四六時中一緒にいるせいでティーナの機微を分かるようになっている二人だからこそだ。


 「シェフには何をリクエストしましょうか?」


 アンティアが前を行くティーナに話しかけると、ワクワクした顔のティーナが振り返る。


 「そうね。何が良いかしらね。アンティアの好きな物はなに? クスターは嫌いな物はあるの? イルマリさんが困るくらいいっぱいリクエストしなきゃ」


 三人しかいないのに、三人以上に騒がしくしながら厨房へ続く廊下へと足を踏み入れた。






 「おーら、てめーら、うっせーぞ。もう随分前から騒がしいのが聞こえてくるのに、全然近づいて来やしねぇ。さっさと来やがれってんだ」


 開口一番、ぶっきらぼうな口調で出迎えてくれたイルマリは、厨房の扉の前で仁王立ちをしていた。


 「はれ? 先触れの人いましたか?」


 不思議だと言わんばかりにティーナが目を瞬いている。


 「来てねぇよ、んなもん。おめーらが来る時は分かるんだよ。ぴーんとな、ここに来るんだよ」


 イルマリはニヤリと笑いながら自分の米神を指差している。


 「おお、凄い。シェフになるとそんな能力が身に付くんですか!」


 そんなイルマリに心底感心しているクスターを、隣から半眼になり呆れた様子で首を振っているのはアンティアだ。


 「お馬鹿。んな訳無いじゃない。単に騒がしいからでしょう」


 「あはははは。流石だなメイド」


 「メイドメイド煩いですよ。アンティアです。何度も言いましたが、いい加減に覚えて下さいませ」


 すっかり打ち解け戯れている使用人達を楽しそうにティーナは見ていた。





 「ところで何だ。何をリクエストするってか?」


 イルマリはティーナに話を向けた。

 一瞬、間があった。


 「おおお」


 すっかり忘れていた様子でポンと手を叩いたティーナを見て、イルマリはヤレヤレと首を振っている。


 「そうですよイルマリさん。明後日! 明後日のお昼のお弁当をお願いします!」


 「はぁ? なんだ、今度は何をやるつもりだ?」


 イルマリは器用に片方の眉を上げている。その表情には、何をやらかすつもりなのか、と書いてある。


 「違います。明後日はアーヴォとお出かけするのです。森の中かな? 青空の下でランチをするのです。アーヴォが言ってました。青空の下で食べる食事は美味しいって」


 「へー、お嬢、外出許可が出たのか。・・・てかアーヴォって、旦那様のことだったな。はは。すげーな、おい。旦那様をアーヴォか。あはは」


 また妙なところで笑い出したイルマリに、ティーナは胡乱な視線を送る。


 「アーヴォはアーヴォです。で、アーヴォからイルマリさんに伝言です。とびっきり美味しいのを頼む、だそうです」


 ティーナはイェオリの口まねをして見せた。


 「分かったよ。まかせとけ。腕によりをかけて準備してやるから。お前達の嫌いなもん教えておけ。目一杯詰め込んでおいてやる」


 イルマリの言葉を聞いて、目を泳がせた三人はすぐに答えた。


 「ない」


 「(わたくし)も・・・」


 「あ・・・俺も、無いです」


 きっぱり答えた三人に対し、イルマリの眼光が鋭く光った。


 「はぁ、どこの口がそう言いやがる。お嬢はキドニーが駄目だろう? メイドは魚に、お前はキノコと野菜全般だ」


 ざざざざ・・・と潮が引くように青ざめ、三人とも顔を引き攣らせている。若干呼吸が乱れているのは気のせいではない。


 「俺を舐めんなよ。ちゃーんと食い終わった後も見てんだぜ」


 「お見逸れしました!!」


 口を揃えて三人とも頭を下げた。


 「分かれば宜しい。ま、旦那様の頼みだ、美味いものを準備しといてやる。楽しみにしとけ。カカカ」


 今更そう言われても・・・と複雑な心境で三人はイルマリを見遣る。


 「あ、そうだ。あとでサムリを寄越せ。ちゃんと伝えておけよ、俺は忙しいんだからな、お前達の相手をしている暇はないんだ、じゃあな」


 またしても三人は微妙な心境でイルマリを見送った。



 *


 

 業務中はさながら戦場のような慌ただしさを見せるところだが、夕食後の片付けが済み、明日の仕込みも終わった厨房には人っ子一人いない。すっかり火が落とされ、また明日の戦場となるべく眠りについている。


 主の性格を反映して埃一つ落ちていない厨房の廊下を、薄暗い明かりを頼りに男が一人歩いていた。


 「イルマリ、いるか?」


 厨房の奥にあるイルマリの研究室にサムリが姿を見せた。

 

 「おー、ちゃんと伝わったな。悪いな、来てもらって」


 珍しくデスクワークをしていたらしく、イルマリは書類をテーブルにおろしサムリを招き入れた。


 「別に構わんよ。それよりこちらこそ遅くなってすまないな。で、呼び出した用件とは何だ?」


 サムリは勝手知ったるといった様子で椅子を引き寄せイルマリの前に座った。


 「明後日の事は、お嬢から聞いた」


 「ああ・・・その事か。人数がまだ決まってなくてな、伝えるのが遅くなった。すまん」


 「そんなの大した事じゃねぇよ。どうせ、陰の奴らもわんさか行くんだろうし、いつもと変わらん。それに、お嬢のあのはしゃぎっぷりだと旦那様も覆さないだろうしな」


 「じゃ、何なんだ?」


 サムリは他の要件が思いつかず、怪訝そうにイルマリを見つめた。


 「気になる事があってお前を呼んだんだ」


 うってかわってイルマリは少し声のトーンを落として本題に入る。


 「今朝の出来事なんだが、市場に若いやつを使いにやったんだ。ま、それは毎日のことだし特にお前に言う話じゃねぇんだが、気になるのはそっから先で、材料に不足が出て、直ぐにもう一人送り出した。市場で合流するつもりで急いで向かった先に、先に行ったヤツが親しげに女と話をしていたんだと」


 神妙な面持ちでイルマリの話に耳を傾けていたサムリは、今の話のどこに問題があるのか不思議そうにしている。


 「それが、何か問題か? 恋愛を禁止しているわけじゃないが」


 「まぁ皆まで聞け。その相手の女ってぇのが、どこぞの女中っぽい(なり)をしてて、大層な別嬪だったそうで。まぁ要するに、ちょっと気をきかせたつもりで少しばかり離れて様子を見てたんだと」


 「悪趣味だな」


 フンと鼻を鳴らしサムリの表情が歪む。


 「まあな。だが今回それが功を奏したというか、ギリギリ会話が聞こえるあたりまで近づいていたそうなんだが、その時の会話が問題で」


 なかなか本題に入ろうとしないイルマリの態度に、そろそろサムリのも焦れ始めた。


 「何ださっきから、歯に何か挟まったような言い方は止めろ」


 急かされてイルマリはふぅっと息を吐き出すと、核心を口にした。


 「ーーーお嬢のこと、話してたそうだ」


 「!」


 瞬間ピシリと固まったサムリに、イルマリは引き締まった体を綺麗に曲げ頭を下げた。


 「すまん。俺の監督不行き届きだ」


 暫くの沈黙の後、サムリは首を振った。


 「お前が謝っても仕方が無い。で、その相手の女とは? 素性は分かっているのか?」


 「それが分からないんだと。俺も直接、使いから戻って来たヤツを取っ捕まえて話を聞いてみたんだが、きっかけはよくあるパターンで、相手にぶつかって、荷物を落としてしまったことらしい。そこから市場で会うと挨拶をするようになり、更にちょくちょく話すようになったらしい。だが、会話と言っても、女は質問ばかりで自分の事を一切喋らないんだと。その質問も特に問題ない内容で、何をどのくらい買ったなんていう、たわいもない話から、一般的な、それこそ女が得意の井戸端会議のような世間話だったらしい」


 「だが、それだけでこちらの状況が推測できる内容じゃない」


 すかさずサムリが口にすると、同意を示すようにイルマリは頷いている。

 そもそもイルマリ自身が名のある料理人で、そのレシピを喉から手が出るほど欲しがる(やから)はこれまでも数多くいたし、本人を引き抜きたいと考えているところすらある。だから、正直「またか」とイルマリも考えていた。


 「ところがだ。極最近になって、変わった事は無いか? なんて話が出るようになったそうだ。世間話の流れからだろうけどな、そいつは、ころっと女の色香に狂わされて、ついお嬢が居る事を喋っちまったそうだ」


 サムリの目が大きく見開かれた。それを見ながら、苦々しいとでも表現するべきか、イルマリは今ここに居ない若者に対して睨みを利かすような鋭い眼差しをしている。


 「・・・具体的に何か話したのか?」


 それでも冷静な姿勢を崩さずにサムリは質問を続けた。


 「主夫妻がとても可愛がっている、と話をしたそうだ」


 少女が屋敷に滞在していると言われても特に何もないだろう。これまでにも来客は数多くあった。だが『主夫妻が可愛がる少女』という事になれば、あらゆる憶測が産まれる。最も警戒すべき言葉だ。

 

 「何だと?」


 流石にサムリの語気が強くなる。


 「・・・本当に済まない」


 サムリはイルマリの話に目眩を覚えそうだった。眉間に皺を寄せて苦悶の表情を浮かべている。


 「ティーナ様の事を話したのは今朝か?」


 「いや、実は1週間前にはもう喋っちまったそうだ。本人も気付かないうちに話をしてしまっていたらしく、俺と話しているうちに思い出したようだった」


 「・・・まずいな。後手に回るかもしれん」


 ここ最近聞かれなかったサムリから舌打ちする音が聞こえた。


 「まずいだろうなぁ。旦那様が可愛がる娘っていうのは、色んな意味で誰だって興味があるはずだ。筆頭の現公爵のご子息達もいるしな」


 「それもあるが・・・問題は」


 さっきからサムリの口調が歯切れが良く無い。もっと大事な事があるということだ。イルマリは自分の推測を口にした。


 「あの目の色だろ? それにきっと髪も。ということは、知っているヤツがこの情報を知れば自ずと別の結論に辿り着く可能性が高い」


 「お前、気付いていたのか」


 「当たり前だ。何年ここにいると思っている。お前をガキの頃から知っているんだぞ」


 「そうだったな」とサムリが小さく首を振って苦笑いをした。


 「そうだ。だからあの事変の事も覚えているし、この家の特殊性も理解しているつもりだ。お嬢付きのあのメイドと従僕の年齢ならばギリギリ知らなくても不思議じゃないが、実際はそれほど昔の話じゃない。覚えているヤツは覚えている。それに、だ。世界の色が明らかに変わった。こんな条件が揃っちまえば答えは一つだ」


 「まずい・・な」


 「ああ、まずい。本当にすまない。まさか俺んところから情報が漏れるとは」


 「相手が一枚上手だっただけだ。幾らここで箝口令を敷いたところで、むしろそれを逆手に取られる。だからこそ、敢えて使用人達の忠誠心にかけていたと言うのもあるからな。・・・使用人達の総監督は俺だ。全責任は俺にある」


 「だが・・・」


 「それに起きてしまった事は仕方が無い。むしろこれはチャンスかもしれん。その漏らしたヤツはどうしてる?」


 何か考えが浮かんだのだろう、サムリの表情が引き締まり目に鋭さが戻って来た。


 「まだ首にしちゃいねーよ」


 「そうか。なら、そいつを使おう。泳がせるんだ。何が釣れるのかは分からんが、少なくともその女と接触する機会があれば、何らかの情報は得られる筈だ」


 「わかった。お前がそう言うなら暫くはそうしよう。・・・すまん、色々大変な時期に」


 「気にするな。旦那様もきっと俺と同じ事をお考えになるはずだ。それに、そもそも情報を完全に漏らさないでいられるということは不可能なんだ。ならば、少しずつ流して、こちらの良いように動かしたい」


 すっかり態勢を立て直したのか、悪い人の顔になっているサムリを見てイルマリは苦笑いを浮かべた。


 「お前、ガキの頃は可愛いヤツだったのに、いつの間にそんな腹黒になったかね」


 イルマリはひょいと肩を竦めて揶揄すれば、サムリもすかさず反撃に出る。


 「お前にだけは言われたく無い。ともかくだ・・・まずはその女中に指示を出している黒幕が居る筈だ。後をつけて背後にいるヤツを探し当てる」


 「それは俺がやる」


 サムリの案にすかさずイルマリが買って出た。


 「お前、料理人だろうが。余計な事に首を突っ込むな」


 「そうだ俺は料理人だ。だからこそ市場に顔を出すのは自然な事だ。それに料理仲間のルートがある。市場に来てるんなら、誰かしら知っているかもしれん、俺の方が適任だろう。急に知らないヤツがのこのこ顔を出すようになれば目立ってしゃーねぇし、相手だって警戒するだろう。・・・俺だってお嬢の事は気に入っているんだ。もしお嬢に対して害をなすヤツがいれば、お前じゃねぇが、ぶっ潰すさ」


 イルマリの言い分も一理あると思い直しサムリは頷いた。


 「わかった。女中の件は、一旦、お前に任せる。だが、くれぐれも深追いするな。いいな。お前が怪我してたんじゃ本末転倒だ。そうなったらティーナ様が悲しむだろう?」


 「了解。女の子を泣かすのは趣味じゃねぇからな」


 方針が決まると、ようやく緊張がほぐれイルマリは元のふてぶてしい態度に戻った。


 「じゃ、俺は早速旦那様に報告してくる。明後日の弁当の方は頼むぞ」


 「任せておけ」


 入って来た時と同じように隙の無い足運びでサムリは厨房を後にした。後に残ったサムリは深く息を吐くと、これから自分のすべきことについて計画を立てるべく再び研究室に籠った。

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