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緑の中の  作者: 千砂
18/54

お詫び

 毎日、朝から晩まで常に一緒に居るということもあり、ティーナ、アンティア、クスターの三人は互いの事が何となく分かりつつあった。


 アンティアはティーナやクスターも叱り飛ばすしっかり者のお姉さんタイプで、特にティーナの手綱を握る役割を担っている。ビルギットに仕えるメイド長からくれぐれもと注意を受け、しっかりとそれを守っているのだ。一方、クスターは女性の中に男性が一人という状況ではあるが、それなりに楽しそうだ。もともと突っ込まれ体質のようで、ティーナやアンティアから弄られている姿が度々目撃されている。だが可哀想だなと思うなかれ。クスターはそれはそれでとても嬉しいようで、わざわざ突っ込まれにいくような事もしている。一応、ボディーガードも担っているはずなのだが・・・。


 こんな三人は一応、主従関係という形はとっているけれど(ティーナにはそんな意識は皆無だが)、とても仲が良く、三人の行く先々は賑やかこの上なく、わざわざ捜さなくても居所はすぐに探せると使用人達の間では周知の事実となっている。


 今日もスカートを翻しながら、広い屋敷内を飛ぶように動き回るティーナを追いかけるアンティアとクスターの姿があった。勝手知ったる行き先は図書室で、ティーナはお料理の本が無いか探しに来たのだった。


 「キッチン、行きたい」


 お目当ての本を見つけ暫く大人しく読んでいたが、突然パタンと本を閉じた後、ティーナはそう宣言した。


 実は先日のクスターに対するお詫びを実践しようと考えての発言だったのだが、残念ながら、まだ誰にも言っていなかったため、アンティアとクスターはまたティーナが何か言い出したなと身構え、まずは引き止めた。


 「キッチンはキッチンメイドが仕切っていますし、シェフが一般の立ち入りは許していませんよ。行っても追い返されるだけでしょう」


 大真面目にアンティアが説明する、と言うよりも、経験談を話すと、ティーナの瞳は何故かキラキラしている。これは好奇心が起きた時に出るものだとアンティアとクスターは身構える。


 「じゃ、お願い、してみればいい、ね、だから、シェフのところに、連れて行って、アンティア」


 「ティーナ様、聞いていましたか?」


 頬が引き攣りつつアンティアの醸し出す雰囲気を綺麗にスルーしたティーナは、笑顔で答えた。


 「はい。だから私、自分で言う、ます。大丈夫」


 何が大丈夫なのか、その自信はいったいどこから来るのか、アンティアは言い出したら聞かないティーナを止める術を使い果たした。

 そして重ねてシェフの性質を言った。

 アンティアの言葉は決して脅しては無い。シェフの態度如何ではティーナが傷つくかもしれないと思ったからだ。心構えがあれば少しは緩和されるかもと。


 「いいですかティーナ様。シェフはとても気難しい人ですよ」


 「『プロ』ね。凄いね。会いたい」


 嬉しそうにパンと手を打ち鳴らし、ティーナの表情は喜色一色だ。アンティアはそのティーナの様子を見て、連れて行くしか無いと判断した。


 「はいはい。分かりました。クスター、行くわよ」


 「げぇ・・・俺、あの人苦手・・」


 クスターもまた叱られた経験があり、若干苦手としている。


 「つべこべ言うんじゃないの。奥様からは基本的にティーナ様のやりたいようにと、言われているの」


 自然と腰が引けそうになるのを何とか堪え、クスターは先にシェフのところに話をしてくるからと言って出て行った。先触れが有るのと無いのとでは、随分印象が違うだろうと、シェフから見たティーナへの印象を少しでも良くしようと思ってのことだった。


 「さ、ティーナ様、参りましょうか」


 クスターが出発してからたっぷり時間を置いた後、アンティアはティーナを促した。




 厨房は主一家の住まう本邸とは別の棟にある。仮に火事が起きた場合でも周囲への延焼を少しでも食い止めるためらしい。また、来客用の別棟もあるため、利便性を考慮した上で、あらゆる棟の中間地点にあるのだ。


 この独立した建物には、主一家がここに足を向けることはめったに無い。屋敷内でも、シェフを頂点としたピラミッド構造が築かれた独立した部門だ。これを許されているのは、今のシェフが相当な信頼を勝ち得ているためだろう。


 そこを取り仕切っているシェフが、一癖も二癖もある男性であると、アンティアとクスターが散々言っていたが・・・とても気難しい人だという。


 ーーー気難しい人、上等!


 それはティーナの中ではそれ程気になるファクターではない。むしろ骨惜しみをしない人と理解して受け止めていて、どういう人なのかとても楽しみになった。




 厨房のある棟へ移るとすぐに雰囲気の違いに気がついた。装飾が無くなり、最終的には、カーペットすらも無くなった。

 無機質な石組みのような壁と廊下ではあるが、ただ石を重ねてあるだけではないようだ。よく見ると全く凹凸は無くつるりとしている。触れるとひんやりとしている。そして何よりティーナが驚いたのは、明かりが隅々まで入り、その明かりに反射する塵が見られないし、壁や天井、廊下にも埃一つ見られないことだった。


 ーーー清潔。


 ついつい彼方此方(あちこち)に目がいく。


 「綺麗。掃除、きちんとしてある」


 「そうでしょうか? 他の棟と比べると飾りも何もなく、味気がありませんが」


 「でも、好き。隅っこに埃、ない。窓、埃、積もってない。空気、澱みない。虫、ない」


 ーーー合理的、現実的、衛生的。


 仕事場でもあった病室が思い出され、ティーナの理想とする環境にも思えた。


 「言われてみればそうですね。見慣れ過ぎて気付きませんでした。ここは下働きの者達がいつも掃除をしています。シェフが煩いんですよ。清潔第一、だそうです。ひょっとすると本邸よりも力が入っているかもしれません」


 思った通りだとティーナは思った。仕事場を綺麗に保てる人は仕事も丁寧で、こだわりもあって、自分の仕事に対して誇りを持っている人が多い。ティーナの経験値ではそうだった。彼女は満足気に頷いた。


 「さぁ着きましたよ。ここがこの棟の中核です。えっと、シェフはどこかしら」


 通路に面した窓の前に立つ。中はよく整理整頓されていて、清潔な厨房が目の前に広がっている。今は休憩時間なのか誰もいない。ティーナは窓にへばりつき、あちこち忙しなく瞳を動かして厨房の中を見ていた。


 ティーナとアンティアが厨房の入口に立っていると、反対側の通路からクスターが男性を連れてやってきた。一目見て、男性は非常に迷惑そうにしていて、とりあえずクスターに付いて来ていると言った感じだ。さすがのアンティアの表情も強ばる。


 反対にティーナとアンティアを見つけたクスターは、明らかにホッとした表情になった。


 「ちょうど良かった。ティーナ様、こちらが厨房の総責任者でシェフのイルマリさんです」


 クスターが紹介した男性はサムリくらいの身長で、中肉の引き締まった体格をしていた。髭はきれいに剃られて、髪もぴしっと整えられており一筋も乱れておらず、少し神経質そうだ。


 イルマリはメイド服を着ていない方ーーーティーナをジロリと見下ろした。


 イルマリの表情は全く読めない。だが、そんな事は全く意に介せずティーナはスカートを摘んで挨拶をした。


 「イルマリさん、はじめまして。ティーナです。いつも、ご飯、ありがとうございます。キッチン、使わせて欲しいです。それと、たまご」


 「駄目だ。帰れ」


 即答だった。ティーナが言い終わって一秒も経たないうちに答えが返って来た。アンティアとクスターの呼吸が一瞬止まる。

 けれどもそこはティーナである。引く訳が無い。


 「どうして?」


 「どうしても」


 イルマリの片方の眉がピクリと上がる。まだまだ完璧に言葉を操れないティーナの口にした言葉が、若干幼児言葉に近いことも気に触ったのかもしれない。


 「理由、無い。なら、使っても良い、はず」


 「理由ならある。お前は俺の料理を食っていれば良いだけだ。お前が料理する必要は無い」


 腕を組み、真っ正面からティーナを見下ろしてイルマリは答えた。


 「はい、いつも美味しい、です。ありがとう。でも、私も料理得意。お母さん、小さな頃から一緒に料理した。だから、料理できる、です」


 スカートで全く見えないがイルマリ同様に肩幅に足を開き、ティーナは踏ん張っている。

 イルマリの威圧的な物言いと鋭い視線に気力が萎えないようにするためだ。真っ正面からそれを受け止められる者は、この屋敷ではサムリくらいだろう。


 ティーナが一生懸命に言葉にするが、イルマリからは相変わらず即答だった。


 「でも、駄目だ」


 ティーナはふぅっと息を吐き出すと、キュッと口元を締め直し、ヒタっと真正面からイルマリと視線を合わせる。


 「今日はクスターに、お詫びしたい。料理、ううん、お菓子作る。お願い」


 「詫び? なにやったんだ?」


 怪訝な顔で相変わらずティーナを見下ろしているイルマリだが、ティーナの言葉に興味を示した。


 「クスターで遊んだ。クスター困った。でも、クスター優しくしてくれた」


 「ああん? だからって何で料理なんだよ。他の事で償えばいいだろうが」


 「今、私、の、出来る事、これだけ。料理しか、できること、ない」


 語尾がちょっとだけ小さくなる。


 「ふん。知るか。他をあたれ」


 そう言い捨ててイルマリはさっさとその場を離れた。全く後ろを振り返らない。


 (これだけ冷たく言い放てば、さっさと諦めるだろう。金持ちの娘の気まぐれだ)


 主夫妻の大事にしている娘だということは承知の上で、イルマリはティーナを冷たく突き放した。

 そして彼の頭の中は直ぐに次の事に思考が移っていた。研究熱心なイルマリは常に新しいことに挑戦する努力を惜しまない。その研究の邪魔を一時(いっとき)の間でもされたことで、多少気が立っていた。気が急いて自然と足早になる。


 「イルマリさん、卵、砂糖、水だけ貸して、ううん、頂戴」


 すぐ近くで声がしたことに、ギョッとしたのはイルマリで、まさかこんな奥までついて来るとは思っていなかった。むしろ置き去りにしてきたつもりだったのに、いつの間にかティーナはイルマリの歩調に合わせて歩いている。いや、小走りだ。

 イルマリは自分が周囲からどう思われているのか十分すぎるほど分かっている。だから、あれだけ冷たく言い放てば・・・。


 「イルマリさん、お願い」


 必死でつきまとうティーナを、うぜーやつと、はなっから相手にする気はなかった。けれど、材料を言われ、そんなんで一体何が作れるのかと、悲しいかな職人魂がぐらりと来たのだ。


 ピタリと足を止めたイルマリに合わせ、ティーナも、一、二歩遅れて立ち止まった。


 (お嬢のくせに料理するとか、まぁ、一回やらせりゃ気も済むのか)


 ウンザリだという表情を隠しもせず、渋々、本当に渋々といった感じを全面に押し出してイルマリはOKした。


 「ありがと、イルマリさん」


 まさかイルマリがOKを出すとは思っていなかったアンティアとクスターは、ティーナの粘り勝ちにコッソリと称賛を送った。


 「但し、旦那様や奥様の料理を作るここを使わせるわけにはいかねーな。俺が研究のために使っているとこを使いな」


 そう言うと更に奥に歩を進める。イルマリの手加減の無い歩調に遅れまいとティーナはヨイセっと、スカートをたくし上げてついて行った。それ程、イルマリの歩く速度は速かったのだ。

 そのティーナの姿を見て、二人の後ろをついて行くアンティアは内心、盛大にガックリしていた。脚を見せてはいけないとあれほど言い聞かせたのに、ティーナにはその辺りの意識がまだ希薄のようだ。現に、クスターは魂が抜けかかっている。

 とりあえず、アンティアはクスターに得意の蹴りを一発お見舞いして、先を急いだ。


 随分奥までやって来たところでイルマリの足が止まる。そこには扉以外何も無い。


 「ほれ、入んな」


 ぶっきらぼうに言われ、促された扉を潜るとそこは実験室のようで、様々な器具や調味料の類いが所狭しと置いてある。とはいっても、雑然としている訳ではない。整然と並べられ埃一つついていない。そこかしこに料理人としての誇りを感じる。


 「そんな(なり)じゃ料理は作れねぇからな、これを着ろ」


 割烹着に似た大きな白衣をすっぽりと被せられる。ティーナが着ると、まるでてるてる坊主のようだ。すかさずアンティアが袖丈の調整をしてくれる。


 「頭は、まぁそれでいい、毛一本落とすんじゃねーぞ」


 イルマリの口調はぶっきらぼうだが、意外と細かく面倒を見てくれ、最後にだぶついている白衣を器用に締め付けて、ティーナが動きやすいようにしてくれた。


 「よし。材料を出してくるから、手を洗って待ってな」


 奥の扉を開けてイルマリは姿を消した。

 ティーナが振り返ると、ティーナ同様に白い衣装に身を包んでいるアンティアとクスターがいた。こちらは、ちゃんとそれなりに様になっている。


 「イルマリさん、良い人ね」


 ティーナの言う良い人の範囲が恐ろしく広い気がするが、一応料理をさせてくれるという事は、良い人に入るのだろうと、引き攣る顔でクスターは考えた。

 実は先触れとしてクスターがイルマリを訊ねた時、散々小言を言われていたのだ。いくらクスターでも胃に穴が開きそうだと、本気でヤバいと思っていたのに、ティーナがしつこくしつこく粘っただけで、今こうして個人的なキッチンに入らせてもらえている。


 「い、良い人、ですね・・・」


 ・・・何とか言えた。





 ティーナの言った材料を抱えてイルマリが戻って来た。


 「ほらよ。卵、砂糖だ。道具は適当に使え」


 「ありがと、イルマリさん」


 口調はぶっきらぼうだが、ティーナが使いやすいように材料を並べてくれている。ティーナはまず直径30cmくらいの深鍋を準備した。家で使っていた鍋に一番近かったからだ。それに砂糖をたっぷり入れた後、水も同量たっぷりと入れる。


 「う、重い・・・」


 幾らリハビリをして動けるようになったと言っても、寝ていた時間が長過ぎて、まだ以前のような腕力が戻っていなかった。ティーナは内心、しまったなと思ったが、そこへぶっきらぼうな口調と助け舟があった。


 「ばーか、そんなことしたら動かせなくなるのは当たり前だろうが。で、どこに置くんだ? コンロの上か?」


 イルマリは、ティーナが持ち上げられなかった鍋を軽々とコンロに乗せた。


 「あ、はい。火にかけて、砂糖、溶かします。ポコポコ、言う」


 「わかったわかった」


 口調はぶっきらぼうだが、イルマリはティーナの言った状態を理解したようで、軽く手を振ってティーナを促す。


 「こっちは俺が見てるから、次をやれ、次を。休憩時間を潰してつきあってやってんだからな」


 「はい。お願い、します」


 今度は卵を引き寄せて、大きめのボール2つに、それぞれ10個と5個を割り入れた。そして、手で黄身だけを掬い取り、別のボールに移す。指の間から白身をギリギリまで落とし、ほぼ黄身だけを掬い取っている。そのティーナの手つきを興味深げにイルマリは見ている。


 次にティーナは先端の尖ったスティックを持ち、慎重に黄身を崩していく。何をしているのかと見ていれば、器用に黄身の外側の薄皮だけをスティックで掬いとり、除けているのだ。普段だったら絶対にしない作業を見て、ますますイルマリはティーナの手元に注目している。

 ティーナは10個の黄身全てを崩し終え、決して泡立たないように気をつけながらゆっくりとかき混ぜると、非常に滑らかな、無駄な色のほとんど入っていない美しい黄色の卵液ができあがっていた。


 もう一つ、5個の卵の入ったボールも同じようにティーナが手を入れようとした時、


 「同じようにやればいいんだろ?」


 すいっと横からボールを搔っ攫うイルマリが居た。


 「安心しな、砂糖水はメイドに見させてる」


 「アンティアです」


 すかさず訂正の声がアンティアからあがる。ティーナがコンロの方を見ると、アンティアが苦笑していた。


 「アンティアお願い」


 アンティアがニコリと頷くのを見て、今度はイルマリに向き直った。


 「はい。私がしたように、卵黄だけにするのです」


 「わかった」


 どうやらイルマリは、新しい事にウズウズしていたようだ。嬉々としてやっているように見える。ティーナの手つきを完璧にトレースし、あっという間に美しい卵黄の液が出来上がる。流石としか言いようが無いとティーナは思った。


 「アンティア、砂糖、溶けた?」


 ティーナが鍋の様子を窺う。


 「はい、綺麗に溶けましたよ」


 鍋の中が透明の模様を描いている。砂糖が綺麗に水に溶けている証拠だ。イルマリも鍋を覗き込んだ。


 「で、これをどうする?」


 完全に溶けた事を確認すると更にティーナは指示を出した。


 「沸騰するまで、温度、上げます」


 「大丈夫か、おい?」


 ちょっと心配そうにイルマリが眉を潜めている。


 「大丈夫。大丈夫」


 相変わらずのティーナの「大丈夫」に、アンティアとクスターは苦笑いだ。

 ティーナが何を作ろうとしているのかさっぱり先が読めないイルマリは、軽く肩を竦め、とりあえずティーナの言う通り沸騰するまで火力を上げた。暫くすると気泡が現れて十分砂糖水が熱い事を知らせる。これが跳ねて皮膚にかかったらさぞや熱いだろうと思う。


 「おい。これいいのか?」


 ティーナは鍋を覗き込み、満足そうに頷いた。そして火を弱くして良いと言う。


 そのティーナの手元には、どこから見つけて来たのか注ぎ口の細い容器があった。ガラスで出来ているその容器には、既に卵液が入れられていてスタンバイ状態だ。


 「イルマリさん、場所、代わって」


 ティーナは卵液の入った容器を持って、イルマリのいた場所に立った。そして、鍋の中央に注ぎ口を合わせるとクルクルと渦巻き状に砂糖水の上を走らせた。

 適当な大きさまで渦巻きができたら、暫くそのまま様子を見ている。


 「固まる、待つ」


 イルマリの視線に気付き、ティーナは説明した。


 (ほほぅ、この黄色の線も見事に均一の幅になってるし、この線の細さは、なかなかに手慣れてやがる)


 砂糖水の上に浮かんでいる黄色の渦巻きが程よく熱せられて色が変わって来た。特に何も考えずに持って来た卵が良かったのか、黄身の発色が良いものだったようだ。熱が加わり変化した卵の色が、黄色から黄金色になった。どうやらその色の変化がポイントだったようで、色が変わるとすぐにティーナは次の行動を起こした。


 さっき使ったスティックを両手に一本ずつ持ち、黄金の渦巻きを両側から中央に集める。そして一方のスティックに引っ掛けて、クルクル巻き付けた後、笊の上に置いた。まるで金糸が束になって置いてあるようだ。イルマリの口から思わず「ほぉう」という声が漏れた。


 続けざま、卵液を同じように渦巻き状に注ぎ込む。同じ作業をもう一度ティーナが繰り返したところで、イルマリが動いた。


 「俺にもやらせろ」


 結局のところ、10個割り入れたボールの卵液は、全てイルマリの手によって無くなった。

 ティーナはイルマリが作業をしている間、卵5個で作った卵液を泡立て始めた。


 (本当はお米の粉があればいいんだけど、何と説明すれば良いのか分からないから、今回はいいか)


 材料不足がどう影響するのかティーナには分からないが、少なくとも、イルマリが作っている金糸の卵から大きく外れる事は無いはず、という確信はあった。


 「イルマリさん、今度、違うの、作ります」


 体力不足のため休み休み泡立てた(やはり見兼ねたイルマリに途中から奪われた)卵液を、スプーンで掬い取ると、そのまま砂糖水の中にまとめて落とし込んだ。

 丸い黄色の塊が出来上がり、これもまた暫く放置しているところを見ると、固まるのを待っているのだろう。

 2〜3分経ち、表面の色が均一に変わり、ほどよく固まったところで、ティーナは準備しておいた水の入ったボールに卵を浮かべた。そして、すぐさま手に取ると小さな丸い容器に、端を交互に折り曲げながら入れている。まるで小花が一輪咲いたように見える。


 「熱い・・・」


 「ったりめぇだろーが! 砂糖水をこれもかって熱したところに入れたヤツだぞ。しかもそんなに冷やしてねぇヤツを素手で触るなんて、熱く無い訳がねぇだろーが。火傷するぞ。お前はもっと水で手を冷やせ。次は俺がやってやる」


 口調はぶっきらぼうだがティーナの手が赤くなっているのを見て氷水を作って持って来てくれた。ティーナが氷水で手を冷やしている間、イルマリが作業に入る。どうやらやってみたかったらしい。目が嬉々としている。


 「おら、そこのメイド! もっとこのくらい容器を持って来い」


 ティーナが集めていた容器10個が既に埋まってしまったようだ。


 ティーナの手を心配そうに見ていたアンティアにイルマリは指示を飛ばした。鋭い指示の声にピンと背筋を伸ばし、アンティアは容器が収納してある棚から追加の容器を持って来た。


 結局、花の形をしたお菓子も最初の一個だけをティーナが作り、後は全てイルマリが作った。一回作業を見ただけなのに、二種類とも綺麗な形が出来上がっている。むしろティーナが作ったモノの方が歪に見えるくらいだ。美的センスもかなりあるらしい。


 「イルマリさん、ありがとう。手、大丈夫?」


 「ああ、心配ねぇよ。こんなん、料理人なら全然問題ねぇ」


 心配そうにイルマリの手を見るが、全く変化が無かった。これもある段階まで到達した者の持つ能力なのだろうか。集中力も半端無かった。


 「おい、どうやって食うんだ?」


 「冷えたら、食べます。今は、熱い。火傷する」


 「分かった。じゃ、卵白はどうするんだ?」


 「このお菓子には、もう使いません。砂糖水も」


 「へー。じゃぁ俺が貰うぜ」


 そう言うと、何か思いついたようで、イルマリは熱い砂糖水を小皿に少量ずつ取り分けている。そして卵白を徹底的に混ぜ始めた。ティーナも気になり出し、興味深げに眺めている。


 卵白が細かく泡立ってくると、冷めた砂糖水を少しずつ加えて更に混ぜあわせた。カシャカシャとリズミカルにかき混ぜているイルマリの二の腕がぽこりと膨らんでいるのが目に入る。


 鍛えられたその筋肉のおかげでリズミカルに連続的に混ぜられるのだろう。そういう風になるまで、一体何年かかったのか、相当練習し、修行したに違いない。ティーナは一人納得しウンウンと頷いている。


 それほど間をおかず、ツンと卵白が立った。今度はプレートの上に出し、プレートいっぱいに広げツンツン角を立て、すぐにオーブンに放り込んで焼きはじめる。

 続いて、イルマリは棚からナッツのようなものを一摑み取り出し、ざらざらと別のプレートに入れ、これもまたオーブンに放り込んだ。こちらは、数分も経たずに取り出され、香ばしく煎られたナッツを布巾に出し、溢れないように端をまとめて持つと、少々乱暴だがテーブルにこれでもかと打ち付けている。

 荒々しいこの作業は数回で終り、広げた布巾の上には程よく砕かれたナッツが姿を見せた。

 ティーナ、アンティア、クスターは思わず拍手をしてしまった。イルマリの眉根が寄ったが、それだけだった。




 黄身を使ったお菓子の粗熱が取れた頃、それを確認したティーナのお腹が可愛らしく、くぅっと鳴った。流石のティーナも恥ずかしそうにしている。


 「待ってろ、すぐ準備するから」


 何を待つと言うのか分からないが、とにかくイルマリから言われたのならば、黙って待つしか無い。そう、アンティアとクスターから無言の圧力をかけられ、味見をしようと手を伸ばしていたティーナの手は目的の場所には到達できなかった。


 イルマリがオーブンから卵白を取り出すと、ツンツンさせていた先端がほどよい色に色づき良い感じに焼けていた。ますますティーナの胃が刺激され、目がキラキラしてきた。


 「メレンゲクッキーね」


 「惜しいな。“メ・リーンゴ”だ。ほら暇なら手伝え。この上に果物を適当に乗せろ。俺はこっちが好きだがな」


 いつの間に用意したのか数種類の細かくカットされた果物が用意されていた。そしてイルマリはスックラーという、見た目にもどろりとした液体をメ・リーンゴにかけている。ティーナの目から見ればどう見てもチョコレートだ。スックラーはてらてらと艶やかな色を反射させて、ますますティーナの食欲が刺激されてしまった。


 「おら。ぼさっとするんじゃねー。ナッツをかけろ」


 焼いた事で香ばしいいい香りを放っている砕かれたナッツをパラパラとまぶすとイルマリはニヤリと笑った。


 「おい、メイド。茶を入れろ。そこの男、椅子とテーブルを準備しろ」


 指示を出し慣れた者らしく、イルマリはそれぞれに指示を繰り出している。言われた方も、テキパキと準備を始めた。素晴らしい連携だ。


 「どうだ、うまそうだろ。メ・リーンゴと言ってだな伝統の焼き菓子だ。よく俺のばーさんが作ってれたんだ」


 イルマリがナイフでメ・リーンゴをカットすると、サクサクと小気味の良い音を立てた。その音を聞いただけで、絶対に美味しいと直感するものだった。イルマリも満足そうに頷いている。


 「久々に作ったが上手くいったな。おい、アレらを持ってテーブルに行ってな」


 最後にティーナに指示を出して、イルマリは自らも周辺の片付けを始めた。手伝いを名乗り出る暇もなく、あっという間に綺麗に片付けられてしまう。その手際の良さは、日頃からここを使い慣れているのだと伺わせる。

 ティーナは卵黄で作ったお菓子をプレートに並べて、クスターが準備したテーブルの上に置いた。


 「おい、お前等も席に着け」


 こうして奇妙なお茶会が始まった。

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