転職
ユスティーナ・・・ユスティーナ・・・
私のかわいいユスティーナ・・・
どこにいるんだ?
早く戻っておいで・・・私の下に・・・
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*
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「で、あるからしてー、ここんとこよく覚えておけよ。前回の情報と違っているからな!」
「はい!」
それぞれの画面には説明資料の情報が映し出されており、その説明が行われているようで参加者全員が真剣に聞いている。説明をしていた男性が顔を上げ室内を見回すとある一点に目を留めた。何やら気になったらしく薄い紙の束を持ち黙って席を立つとそこへと歩いて行く。
「・・・ナ。ティ・・ナ。・・・こぉら、ティーナ! 起きろ!」
パコンと良い音を響かせたのは、ティーナと呼ばれた少女の頭と丸められた紙だった。
「うー・・・寝てません! 誰かに名前を呼ばれた気がしたのでつい・・・」
怒られた上に叩かれるのは不本意とばかりに、叩かれた頭に手をあて少女は口を尖らせながら鋭い視線を前方へと向けた。
「白昼夢か? そう言うのを寝てたって言うんだ」
ティーナの頭を叩いたまま、その丸めた状態の紙を手にしたままで、フンと鼻息を荒くティーナの言い訳をぶった切り、どかどかと足音をさせ自席へと戻りると、がたいの良い体をドカッと椅子に沈み込ませる。そして顔にかかる栗色の髪をうっとうしそうにかきあげ、同じく栗色の鋭い瞳をティーナに向けた。
「数回トリップしたからと言っても、まだまだお前は駆け出しの新人だ。一回一回気を引き締めてかからなきゃ命取りになるぞ。ミーティングもしかり! 常識も時間の流れも何もかも違う異世界では常に新しい情報が大事なんだ。それをこの場でやっているってーのに、お前は! チーム全員の命にも関わって来ることなんだぞ、いいか? わかったか?」
「・・・はい。父さん」
「組織ではリーダーだ」
ピシリと注意をされティーナは首を竦める。
「はい。リーダー。以後気をつけます」
栗色の髪と瞳を持つこの男はティーナの父親でもあり、マティアス・ポルティモという名前だ。
マティアスが言い直させた通りここはマティアスとティーナが所属する組織の一室であり、今はミーティングの真っ最中だった。非常に目立つ方法で注意をされたためメンバー全員の視線がティーナを見ている。
マティアスは約50名の部下を持つチームのリーダーで、ティーナもマティアスの配下にいる。もっとも、ティーナはつい最近まで別の仕事をしていたのだけれど、マティアスから「こっちを手伝え」と家長命令とも言える強権発動により、渋々マティアスの組織に転職したのだった。
*
ティーナ達の仕事は特殊で、ティーナも入所して数え切れないほどの契約書にサインをさせられた後、ようやく教えて貰えたくらいに厳重に守られている。それら契約書の殆どが守秘義務をいくらでも厳重にした内容だった。
そうやって世間からひた隠しにされている理由はわからんでもない。異世界なんて、国家の存亡に関わる、いやそれ以上に世界を混乱させるに足る十分の理由があると理解されているからで、国家の中枢に身を置く者の中でも極々限られた者しか携わっていないらしい。
というわけで、平たく言えばティーナはマティアスの一声で、何をやっているのか分からない組織に転職させられたわけだ。・・・ティーナの心情としてはそうだった。
初めてこの組織の内容について聞かされた時、ティーナは目を半眼にしてマティアスの顔を、道に捨ててあるファーストフードの丸めた包装紙を見るような目で見てしまったほどに、俄には信じられなかった。正直、何の茶番かと思った。いつ、みんなで「あはは、ドッキリでしたー!」と言うのだろうと、一週間ほど様子を見ていたけれど、一向にその気配がなかった。
入所した翌日から始まった座学の講義を受けていても半信半疑のままだったが、一連の講義が一週間経った頃、突然現れた兄のレーヴィが、目元涼しげにして均整のとれた真面目な顔で教鞭を取る姿を見て、どうやらこれはドッキリでは無いのかもしれないかもしれないかもしれない・・・と思うようになった。
3歳上の兄レーヴィはいつも優しくて、小さな頃からオルヴォとティーナを可愛がってくれていた。
レーヴィは嘘を言わない。外ではどうか分からないが、少なくともティーナに対しては誠実だった(本当は嘘を言うくらいなら黙っているというのが彼のスタンスである)。幼いながらオルヴォとティーナにとって、レーヴィは信頼のおける兄としてしっかり心に刻まれていた。ちなみにオルヴォというのはティーナと同じ年のお兄さんだ。
そのレーヴィの『必読! もし知らない世界に飛ばされたら編』の講義を終えた時には、ティーナの中でようやくこの組織に対する胡散臭さが払拭されていた。
加えてティーナより二年先に入所していたオルヴォが、仕事で行って来たばかりの異世界について、組織内のカフェであーだこーだと楽しそうに話をしてくれた時には、少なからずカルチャーショックを受けてしまった。
「どうしたティーナ。元気無いな?」
熱いココアの入ったカップを両手に持ち、やや放心状態でちびちびと飲んでいるティーナの姿が元気が無いように見えたようで、わざわざ隣に移動し、心配そうにオルヴォはティーナの顔を覗き込んだ。
ティーナはのろのろと目の前にあるオルヴォの顔を見上げる。
彼もまた端正な顔をしていて、父マティアス同様栗毛で目も栗色だ。ちなみにレーヴィもそうだし、母であるパウリーナもそうだ。要するにこの地域の、この国の殆どの人達がそうであるように皆一様に髪の色も目の色も栗色をしている。
「またちょっと伸びたな。染め直すか?」
ティーナの額にかかる髪の毛を、男らしい指でそっとかきあげながらオルヴォは小さな声で言った。
オルヴォの視線はきっとティーナの生え際に注がれているだろう。そしてその視線の先には、きっと緑がかった銀色がちらりと見えるはずで・・・。
一瞬、オルヴォの瞳が悲しげに揺れたのをティーナは気付いていた。
ティーナは随分前から栗毛色に髪を染めている。それこそ、10歳になる前からで、かれこれ15年以上だ。また、染めやすいということもあり常にショートヘアにしている。加えて前髪をギリギリまでおろして、目を見せないようにしている。その目もまた、緑がかった銀色をしていた。
初めてこのヘアスタイルにした時、レーヴィとオルヴォは一瞬目を見張ったけれども、直ぐに笑顔になり『エンジェルショート』などという恥ずかしいネーミングをつけられ、ワシワシと頭を撫でられたり、スリスリと頬ずりをされた。シスコンな気のある彼らは、ただただひたすら「かわいい」と言って褒めていたが、実際、年の割には小柄なティーナにはとても良く似合っていた。
けれども髪を栗毛色に染めた時には、そんな彼らでも苦悶の表情を隠す事は出来なかった。
彼らにとってティーナは、緑がかった銀色の髪を持つからこそティーナらしいと思っていたのだ。それが馬鹿な奴らが居たせいで、そのティーナらしさを無理矢理削がれた気がして、また、ティーナが髪を染めなくてはならない状況になってしまった、それを許してしまった自分達が許せないという感情もあり、素直に「似合う」と言葉にできずにいた。そしてティーナもまた、そんな彼らの表情を見るに堪えられずそっと視線を外した。
「何色になってもティーナはティーナだからな」
やっとそれだけ言うと、レーヴィもオルヴォもワシワシとちょっと乱暴にティーナの頭を撫でた。
この地域ではティーナの色を持つ人間は(全員を調べた訳じゃないが)、ティーナ以外見当たらない。
目立つことこの上ない髪と目は、年頃になり学校に行くようになってから、自分達と違うという心理が働いたのか子ども達から容赦なく揶揄われ、いじめられ、終には転校するまでに追いつめられてしまった。もっとも、その事があったからこそティーナの優秀さが開花し、今のティーナがあるのだけれどーーー。