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パンゲアシリーズ

零落の魔王姫(β版)

作者: バオール

勿体無かったので投稿しました。

 その頃、私は猟の後始末をしていた。

 樹の間をかけ渡していた縄を外して、肩に巻いてからきつく結んだ。ほのかに排せつ物の匂いがした。義父が山で取ってきた飛龍ワイバーンのフンだ。この縄で狼の居場所を囲うことで、狼が逃げる道を制限して狩りを行った。念入りに作業を進めたが、狼の頭は優れていたため、二日掛けて追い続けて、義父の一矢であっけなく決着がついた。

「ユスラ、こっちの準備はいいぞ」

 義父が真っ赤な手を振った。

「こっちも、もうちょっと」

 アヴィスの背嚢に縄を積んで、急いで父のもとへ向かった。途中小さな崖があったが、巨鳥であるアヴィスは二度羽ばたき軽く着地をした。義父は焚火のもとに内臓と切り分けた肉を置いて待っていた。

「さて、呼ぶぞ」

 義父はすべての縄を火にくべて、強烈なにおいがあたりに立ち込めた。農民の子供たちが悪態をつきながら後ずさりしたが、義父と私は失礼がないように背を伸ばして、その時を待った。

 蒼天に大きな影が差して、広場に砂埃が立ち込めた。飛龍ワイバーンが降り立った。龍にもピンキリがあるが、この飛龍はこの辺りの主だった。



 飛龍ワイバーンの姿を見た途端に、義父は満面の笑みを浮かべた。

「久しぶりだな。カッツ」

 義父がお辞儀をして、人食い狼の内臓を差し出した。カッツは一息で飲み込んだ。

(ぐのー。ふけたな)

 飛龍の言葉が頭の中で響いた。

「お互い様だ」

(こんなところでなにをしている)

(この娘だ)義父の言葉も頭に響いた。

(このこは……)

(ディアナの娘だ)

(そうか。おなじにおいをしている)

 カッツが鼻を擦ってきて、頬に鱗があたった。アヴィスは怯えて離れてしまった。

「始めまして、ユスラです」

 私は怖かったがなんとか声に出せた。

(はじめまして。めがみのむすめよ。でぃあなのむすめは、わたしのいもうとでもある)

 カッツは私の額に口先をつけた。

(ぐのー。まだときはこないのか)

(……まだだ)

(おれはながいきだ。だけどほかのやつらは)

「心配するな。人が老けるのは当たり前だ。それに若い芽だって育っている」

 義父は私の肩をぽんぽんとたたいた。

(そうだな。おれはえいえんでもまつ)

 飛龍ワイバーンは飛び立ち、広場に砂埃を起こした。



 私は義父のアヴィスに馬毛の櫛をあてて綺麗にした。米俵を乗せると抗議のついばみをされたけど、縄で括り付けると諦めたのかおとなしくなった。義父のアヴィスは私のアヴィスのお母さんだ。力仕事は私のアヴィスにはまだ早かった。

「狼の肉は村人が買い取ってくれたよ」

 手をきれいに洗った義父が村から出てきた。

「狼っておいしいの?」

「処理が上手いなら食えないことはない」

 義父が腕に力こぶをつくってポンポン叩いた。

「はい、お金」

 銀貨が空を飛んで私の手に吸い込まれた。

「わあ、すごい」

「ずいぶんと削り取られているけど、銀貨は銀貨だ」

「削り取られている?」

「ああ、縁を見てみろ。すり減っているだろ。表面だって何が彫ってあるかわからなくなっている」

「本当だ。どうして削るの」

「集めて売るんだよ」

「ふーん、頭いいんだね」

「ははっ、そうかもしれないね」



 アヴィスで村を出て、草原の草が剥げているところを通った。

 私たちにとっては最高の相棒だ。

 しばらくすると隣の村が姿を現して、どんどんと威勢のいい太鼓の音が聞こえた。

「もうすぐ収穫祭だね」

 私は義父の顔を見上げた。ニッコリと笑い返してくれた。

「ああ、今年も豊作だ」

「近くで見られたらいいのになぁ」

 私たちは狩猟民族の末裔だ。獣を狩り、革と肉を売って生活をしている。殺生をするので農民から疎まれることが多く、農作物を荒らす熊や狼退治のとき以外は疎遠だ。収穫祭は部外者である狩猟民は参加することができなかった。

「紛れ込めないかなぁ」

「駄目だ。規則は守れ」

 義父は私の頭をポンポンと叩いた。

 山吹色の森に無花果いちじくの樹が生えていて、啄ばまれた果実が熟れて割れている。

無花果いちじくの季節だね。美味しそう」

  口の中に甘い香りが漂ってきた。

「瓶を持っているか」

「虫除けの薬を入れた瓶ならあるよ」

 義父は瓶を受け取ると、肌が露出している部分に薬をつけた。

 私は真新しい革のサンダルで森に飛び出した。新鮮な空気が全身を包み、羽虫が茂みをかき分けるたびに飛び上がった。

「ユスラ、虫よけつけてからにしろ」

 私は義父に肩をつかまれて正面を向かされ、手首や首元、足に塗り薬を塗られた。スーっとすっきりする匂いで気持ちいいけど、鼻を近づけすぎると刺激が強すぎて目から涙が出てくる。

「お父さんにも塗ってあげる」

「ありがと」

 私は綺麗なびんに入った塗薬を義父の足首に塗ってあげた。コートの襟を立てているので首元は守られているので必要なかった。

 虫除けの瓶は空になった。

「もったいない」

「無花果の樹液をいれる。その前に洗わないといけないがね」

「何に使うの」

凝乳酵素レンネットだ。子山羊の胃だけだと冬は越せないからね」

 凝乳酵素とは動物の乳を固めて、乾酪チーズをつくる大事な道具だ。義父は私のアヴィスの手綱をとって森のほうへ頭を向けて、広葉樹の木漏れ日に満ちた道へ走った。無花果の樹の前で私を置いていき、瓶を洗いに川を探しに行った。



 帝国が蒸気機関による産業革命を開始してから、広葉樹の原生林は消えつつあり、伐採した山には成長の速い針葉樹が植えられていた。この森は領主によって管理されているようで、昔のままの姿を保っている。管理されているということは、この森が領主の狩りのために維持されているということだ。森の管理人に見つかれば罰せられるが、帝国の異邦人である狩猟民族には承諾しかねることだった。

 法のもとでは犯罪行為だが、法は世界の羅針盤ではない。

「チーズ、楽しみだね。アヴィス」

「クエッ」

 狩猟民族にとって馬代わりのアヴィスは人間を軽々と運ぶ力がある。出身地や生活内容によって羽毛の色を変えるため、うまく育てると高級な羽毛になり、高いものだと平民の一生分の稼ぎをしのぐことがある。二人の乗っているアヴィスは色は深緑で、森に擬態した色合いになっている。

 アヴィスとは鳥の意味だ。種族の名前でもあるが、義父の方針から名前はつけないようにしている。アヴィスは狩猟民族の足になるが、同時に食糧にもなる。余計な感情はいらないのだ。

「燻製させたものが食べたいね」

「クエー」

「あっ、でも、アヴィスは乳清ホエイしか駄目なんだっけ」

「クエッ」

 愛玩動物ではない、家畜だ。義父の言葉は厳しいものだ。栄養価の高い乳清ホエイを餌として、美味しい肉質にされる運命だった。

「あんな水みたいなのでも美味しいの?」

「クエッ」

「ならいいかな」

 私のアヴィスは言葉を分かっていないだろうけど返事をしてくれるのは楽しかった。

 私はアヴィスの手綱を手に、嫌な気配がする方向へは向かわず、人の足跡が道となっている場所をたどって、無花果の樹を目指した。義父の手伝いをしたかったのだ。秋も深まる頃の熟れた無花果は鳥も好んで食べる甘い果実だ。もぎ取ってすぐに食べるのも美味しいが、果肉を砂糖で煮詰めて牛酪バターを塗ったパンに塗って食べれば美味しい、乳入りの紅茶に甘みとして加えても美味しい――決めた、いっぱいとって一個はその場で食べて、あとは砂糖で煮詰めよう。


 本当だったら義父が戻ってくるのを待つべきだった。


 しばらくの散策していると、水の匂いがした。

 静謐な湧き水が小さな泉をつくっていた。近くの村人の貴重な水源なのだろう、足跡が多く残っていて森の中に道が出来ていた。

「きれいな水、魚もいるよ」

「くえー」

「あっ、待って!」

 アヴィスは私を振りほどき、魚のほうへ飛んで嘴でくわえて丸呑みした。一尾捕まえたが川に飛び込んでしまったので、残りの魚は一目散に逃げてしまった。

「もうっ」

 私は怒ったが、アヴィスはわけわからず魚を探して川に嘴を入れていた。



 がさっ、頭上から黒い影が落ちてきた。

 嫌な音がして、黒い影は呻き声をあげた。

 裸の男の子が苦痛で呻いていた。服を身に着けず、靴すら履いていない、全身に細かい傷をつけて血を流している。

「……大丈夫ですか?」私はなるべく下半身をみないように、意を決して話しかけた。

「★△□」

「えっ? えっ?」私は自慢だけど四つの言葉を喋れる。だけど、初めて聞く言葉だった。

「□〇〇」

「わからない……。おとうさーん、お父さん!」

 分からないときは、義父に頼るのが一番だ。

 男の子は上空を見て、手近にあった枝を掴んで投げた。金属の音が鳴り、蒸気とともに巨大な金属が落ちてきた。着地と同時に衝撃が響いた。

「蒸気兵だ……」

 帝国の宗教は唯一つ、機械仕掛けの神を唯一神とする『熱心教』だ。帝国が誕生する前は多神教だったが、帝都が誕生した暁に古い神々は一掃された。古い神々は悪魔とされ、信仰していた人々は邪教徒として処分された。それを統括するのが蒸気兵たちだ。

「子供?」蒸気兵は私を一瞥して、すぐさま男の子を掴んで捻りあげた。「手間取らせやがって」蒸気兵は頭を掴んで引きずり、私の前で止まった。

「この男の子はね。犯罪者なんだよ。だから心配しないでいいよ」

「うっ……」私の心は寒々として、全身の震えが止まらなかった。私が恐怖しているのを見た蒸気兵はそのまま立ち去ろうとした――が。

「せめて、服だけでも着させてあげて」

「服? 人は生まれたときは裸だ。こいつには必要がないものだ。」

「だって寒そうだもん」

 蒸気兵が私を見つめた。そして、眼に驚愕の感情が浮かんだ。

「おまえ、どこかで見たことがあるぞ」

 私は蒸気兵の手を避けて退いた。

「たしかに、お前の顔を見たことがある。名前を、名前を教えろ」

 一陣の風と共に、義父自慢の外套が靡いた。

 義父は牛革ブーツの紐をきっちりと締めて、牛革のコートを羽織っている。コートは年季の入っている良い飴色で、旅商人から高値で売ってくれと言われたことがあったけど、義父は二の句を告げずに断った。義父が世話になった人の形見で、金貨百枚積まれても断ると断言している。

「どうした。ユスラ」

「父さん」

 義父が猟刀を片手に私に詰め寄り、片手銃を蒸気兵に向けていた。

「眼を背けて、逃げろ」

「お父さん、駄目だよ。殺されちゃうよ」

「ユスラ、お前の命の方が大事だ」

 蒸気兵は撃つ度胸が無いと決め付けて、余裕の表情を浮かべた。

「待て、撃つんじゃない。俺が欲しいのはこの少年だ」

 蒸気兵が男の子の手を引っ張った。

「……去れ。そして、二度と俺たちのことを思い出すな」

 帝国兵は立ち止まり、私と義父の顔を見た。

「……やはり、お前たちの顔をどこかで……」

 義父は猟刀を体で隠すように持ち、蒸気兵に一気に詰め寄った。

 蒸気兵は男の子を離し、猟刀の間合いから逃れようと退いた。

 短槍と猟刀では近接の間合いは猟刀が有利だ。

 義父は銃を帝国兵に向って投げた。

 帝国兵は顔面に来た銃を手で払った。

 目の前に猟刀が迫っていた。

 倒れる音と、猟刀の血を払う義父は私の知っている人ではなかった。その時、私は確信した。義父は猟師ではなく、戦士だったことを。

「ユスラ」私の名を義父が呼ぶと、振り向いた途端に頬を叩かれた。「今後お前の頬を叩く者は誰一人いないだろう。だが、よく噛み締めろ。俺が殺人を犯したのはお前の行動が原因だ」

「はい」

 義父は怒気を漲らせて、男の子を立たせた。

「この服は。漂泊者だな」

 男の子は眼をパチパチさせて義父の手から逃れようとした。

「ユスラ」義父が振り向いた。「人殺しは怖いようだ」

 私が男の子の前に行き、義父が少し離れた場所に行くと落ち着いた表情を浮かべた。

「漂白者って何?」

「別世界から流れ着く人のことだ。前に漂泊者を見たことがあるが、同じような雰囲気だった。おそらく、地球の日本人だろう」

「地球……日本人。何か言葉とか分からないの?」

「……『友達』」

 男の子の眼が輝いた。

「私は『友達』だよ」

 男の子の名前はユーリ、しばらくして私のお兄ちゃんとなった。



 ユーリは何度か過去を語ってくれた。

 お兄ちゃんは中学を卒業したあと、鳶職の仕事に就いた。

 両親はお互いに愛人を作って失踪してしまった。

 残ったのは一歳年下の妹と俺だけだ。

 本当なら高校へ進学したかった。

 勉強も手の指で数えられるくらい良い順位で、難関校も簡単に合格できると言われていた。

 だけどもう一人の俺がこう言う。

「勉強だけが全てじゃない」

 俺はそう言い聞かせた。

 16歳の夏、工事現場はその難関校だった。

 工事現場の朝礼を終えて、足場を昇ると、仮囲いの外側に、部活動をしている野球部がいた。夏休みは絶好の練習日和で、工事にとっても絶好の仕事日和だ。足場材を上へ上へと手渡しして足場をかさ上げした。

 眩むような暑さとショックで思考回路が熱暴走オーバーヒートしそうだ。

 昨日、この高校でたまたま昔の彼女を見つけてしまった。相手は気付かなかったが、昔より綺麗になった彼女がそこにいた。サッカー部のマネージャーをしていて熱のこもった眼で練習試合を見ていた。その眼の色は俺に向けられていたこともあったから、彼女が恋をしているのがわかった。相手は誰かわからなかった。

「あーあ」

 惨めな気分にため息が止まらなかった。 

 午前の休憩は木陰で本を読んだ。

 相対性理論の本だ。

 E=mc2が世界を変えたのを分かった。

 先輩からはそんな本を読む必要があるか聞かれるが、必要だから読んでいるわけではない、他にすることがないから読んでいるだけだ。

 俺の鞄にはもう一つ本があるが、相対性理論の本よりこちらのほうが年季が古い、牛革のブックカバーの新約聖書だ。両親がはまっていた新興宗教の本だが、毎週日曜に開かれていた教祖の説教より、ただ聖書を読んだほうが面白かった。国語の試験じゃないんだから、誰の解釈もいらなかった。

 俺が青い空を見上げるまでは、うららかな陽気だった。

 だが空に黒稜線が描かれた。

 遠くで爆音が鳴り、死の炎が周りを焼き尽くした。

 俺の体は吹きとばされて、溝川に落ちた。

 熱い、という単純な思考も、いつの間にか消えていた。

 気づいたときは、俺は拘束されて体が動かなかった。

 両目も塞がれているようで、何も見えなかった。

 聞こえるか。

 だれかの声がする。

 返事をしろ。

 はい。

 反応があった。君は自分が誰だかわかるか。

 俺には分からなかった。

 分かりません。

 こちらには記号を用意している。被験者0168だ。

 何を言っている。

 0168、君は何が見える。

 何も見えない。

 君は何か感じているか。

 何も感じない。

 どこにいるかわかるか。

 わからない。

 50㎝四方の箱の中にいる。わかるね。箱の中にいるんだ。

 なんでだ。

 君の体は脳以外死んだ。

 なにもないのか。

 そうだ。気分はどうだい?

 悪いに決まっているだろ。

 すまない、今のは興味があったんだ。許してくれ。

 どうやって会話しているんだ。

 キーボードだ。文字を打ち込んで言語機能に電気を流して理解させている。

 そうか、思考に直接語りかけられるようで気持ちが悪かったが、本当にそういうことなんだな。

 その通りだ。しばらく一人になりたいかね。

 いや、いい、どうせ泣けないし、だれかとつながっているほうがいい。 

「君はもう一度いきたいか?」

 そう問われて、何かを答えた。

 そうしてから、この世界にいると言っていた。



 それから数年が経過した。

 流行り病が国中をおかした。

 隣村は死んだように静まり返っている。家の中から敵意の視線を感じて緊張したアヴィスの頭を撫でた。私はアヴィスに風防用覆面を被せて、背中に載せていた油紙に包んだ商品用の原皮を持って、薬屋の扉を潜った。

「疫病の薬をこの皮と交換してください」

 薬屋の店長が革靴を睨み、無言のまま手で「出てけ」と振った。

「皮で腹が膨れるか」

「上等な牛革ですよ」

「こんな村で誰が欲しがる?」薬屋は巨大な金庫に薬を隠していた。金庫をにやけた顔で見てから「お前の体こみなら考えてもいいが」下劣な眼だ。格の低さが知れた。

「俺の体で払ってやろうか? ただし、暴力で」

 薬屋の顔の横を石が通った。薬屋は驚いてひっくり返った。

「お兄ちゃん、手荒な真似はやめようよ」



 他の村の薬屋の扉は鍵が掛かっていた。私が扉に耳をあてると息の音が聞こえた。

「薬をください。お願いします」

 扉を叩いたけど返事は無かった。

「お父さんが風邪をひいているの」

 声を張り上げても、怒鳴っても反応は無かった。

 私は矢をつがえながら目抜き通りを歩く、道の端には打ち壊された家の木材が燃やされていて、陽炎が動いたので矢を放った。炎の影から現れたのは子豚だった。どこかの家で飼っていたのだろう。疫病が流行っているので、不衛生と勘違いされる豚は逃がされたようだ。

「米すら交換してくれないよ」

 ユーリがアヴィスを手綱で引きながら歩いてきた。フラリの背にある干し肉と原皮を恨めしそうに見ていた。米の収穫時期も過ぎ、そろそろ冬の兆しが山に訪れており、一冬越すための準備に取り掛かっていた。ところが、突然の疫病が流行した。

「売り惜しみだ」兄さんは舌打ちをした。「山のふもとからの食料の運搬が遅れているみたいだ。それに疫病に対する薬も品切れだそうだ。薬屋も追い詰められて逃げたようだよ」

「さっき薬屋の中に人がいる気配はしたよ」

「……隠れているんだろう。放っておこう。やはり俺たちは麓の街に行くしかないみたいだ」



 私は翼竜ワイバーンの革で作った仮面を被り、手綱で馬車を操った。名無しの馬は短い旅路のなかで懐いてしまい情が移りそうだった。いくつかの村を訪ねて、とある村の馬借から頼まれたものだ。馬と馬車は薬の資金として売ることになっている。

 この街がここが旅の終着地点だ。

 ユーリは羊皮紙の地図を見ながら道案内をして、村の商人から紹介された組合ギルドの寄合所へ向かった。屋台で魚油の香ばしい匂いのする焼麺があったので買って、二人でわけて食べた。食べている間に寄合所についた。馬車を少年に預けて、寄合所の門番に組合ギルド証を見せた。

「本人はどうした?」

「流行病で臥せっている。俺たちは代理だ」

 実際、そうなのだから仕方が無い。

「証拠は?」

「一筆は書いてもらっている」

 ユーリは懐から封のされた手紙を門番に渡した。門番は寄合所の中へ入りしばらくすると戻ってきた。質問をしようとすると、少し待てと言われた。

「どうだろうね?」

「さあね。認めてくれないなら他の方法を考えるしかない」

「勝手に売るとか?」

組合ギルドが何故あるかわかるか?」ユーリがユスラの鼻をつまんだ。「組合ギルドの仲間内で共存共栄を図るための組織だ。許可を得ずに商売をしてみろ。簀巻すまきで川に捨てられることになるぞ」

 門番がにたりと笑ったため、ユスラの背筋に寒気が走った。

「俺たちだって縄張りに入られたら嫌だろ。普通の事だ」

「その通りよ」門番の横から金髪の女の子が飛び出して、人差し指をユーリに向けた。「組合ギルドに逆らうなんて無駄、無駄ぁ。怪我をしたくないなら、逆らわないことね」

「お嬢様、親方はいらっしゃらないので?」

「いらっしゃいませんわよ? 私だと不服?」

「そうは言いませんが」

 なら黙ってて。と金髪の少女は言って、二人を寄合所の中の一室に迎え入れた。淹れたての紅茶を飲むと、口の中に花の香りが入ったように感じた。

「さて、誠意を見せてもらおうかしら?」

「誠意?」

「そう、誠意よ」金髪の少女は腰に手をあてた。「さっきの手紙は見たわ。たしかに本物と確認したけど、脅して書かせたかも知れないわね。もしくは、彼はすでに死んでいるかもしれない。そうしたら、組合ギルド証は無効よ。これを解決する方法は一つ、本人を連れてくる。ただ別の方法があるわね」

 そこで金髪の少女は黙った。しばらくの沈黙が重かった。

「俺に言えってか?」

「馬鹿だから方法が思いつかないのよね」

 ユスラはユーリの表情に不穏なものが過るのを見逃さなかった。

「どのくらい金が欲しいんだ?」

「半分かな」

 ユーリの両目が見開き、拳に力が入り真っ白になった。

「……考えさせてくれ」

「お兄ちゃん……」

 流行り病のせいで村は深刻な事態に陥っていた。

 金を少しでも減らすわけにはいかなかった。

 でも、何もないよりはましだった。



 この街には王族が管理している荘園があった。蜜蜂が匂いを追うように飛び交っている。丘の上から見下ろすと、無花果の樹が実りの時期を迎えていて、紅葉した木々のなかで一際目立っていた。綺麗な格好をした女の子が無花果の実を渡されて、嬉しそうな顔で頬張っている。

 ユスラの口の中に去年の無花果の味が思い出された。

 今年は飢饉だった。無花果の実は青々としたものまで食べられ、散策しても木の実はほとんど見つからなかった。

 荘園の中に入ることは出来ないが、荘園の外側にも無花果の樹は生えていた。

 無花果の樹液は植物性の凝乳酵素レンネットになる。飢饉が続いているさなか、動物性の凝乳酵素レンネットは貴重な家畜をつぶすことになるので避けたかった。樹液を空いていた小瓶に入れた。日は暮れかけ、青紫の空と冷気のこもった風で寒気がした。

 さんざん樹液を取りつくしたが、無花果の実は一つも手に入れていない、野生の無花果の実は近隣の村の人たちの胃におさまったのだろう。だが荘園の中を覗くと無花果は熟れて落ちていた。荘園の周りには塀がそびえていて、侵入者を許すような余地はない、近くの丘から見下ろせばその全容が見れるが、熟れた無花果に心を乱される。

「予定より金は少なくなったけど、出来るだけ薬を買って帰ろう」

「そうだね」

 私たちは荘園を眺めながら、薬屋へと向った。


 薬屋でなんとか必要な分だけ買い揃えることが出来て、急いで帰途について、隣村まで来たときに、ユーリは絶句した。

「嘘だ! この薬が偽物なんて!」

 薬を買うように頼まれていた人に薬を渡した時に発覚した。

 ユーリは銃をもって街へ戻った。そこから先は急展開だった。まず、私たちが財産をはたいて売って得た金がすでに偽物だった。そのため、薬屋の元へいったユーリは偽金を使ったとして捕まってしまった。

 役人に縄につながれている姿を、私は見た。

 ユーリは何も言わずに、私へ向けて首を振った。

 消える姿を見て、私は自分の中で怒りが沸き起こるのを感じた。

 きっと私の愛した人はすべて死んでしまうだろう。

 復讐の若芽が涙によって花となった。

 その花は果てし無いほど美しいだろう。

本編もこっち路線でも良かったかなと思ったりなんだり。

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