表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

夢を食う烏〜第六章〜

作者: MUTSUHANA

 あの団地の最上階で、その事件は起きたのだ。

 昼でも夜のような生活をしている人間様は、カーテンを閉め切ったまま「何か」に没頭している。わたしは人間様の動向を知りたいがために、煙草の吸い殻をわざとカーテンの下に落としておいた。

 すると、陽の光が煙草の吸い殻にかすかな炎を灯しはじめ、カーテンを下から徐々に焦がしてゆく。

 一定の動きしか見せていなかった人間様は、慌ててカーテンを外しベランダでゴウゴウと唸りを上げている洗濯機の中へ突っ込んだのだ。実に間抜けな動きである。

 カーテンを無くした部屋を太陽が暖かく差す。これで部屋の中で何が行われているかが分かるようになったという訳だ。

 人間様の部屋は、物であふれかえっている。

 並べられた人形は埃をかぶり、積み重ねられたビデオテープや得体の知れない機材、そして生ゴミの臭いが充満していた。

 そこに、カラスの死体はなかった。

 ベランダに、人間様の日常と一緒になって吊るされたカラスの似非死体だけが、私の目の前で訴えている。

 お前に何が分かるのだ、と。

 お前は私が作られた死体だと見破っているが、私がここにいる理由は知らないだろう、と。

 わたしは、この人間様の何もかもを知ろうとしていた。だがそれは数分の間で打ち砕かれる事になるだろう。

 本物の死体というのは、確実に腐敗してゆく。そしてキツい臭いが辺り一面を覆い、この森の静寂の中に獣の赤い目が光るのだ。

 だが腐敗臭などはしない。これはニセモノだからだ。

 人間様は何故、ニセモノの死体をお作りになったのだろうか。そして、ベランダに吊るし上げたのは何故なのだろう。

 カラスたちは殺された仲間を思い、ベランダに吊るされて、捌かれた仲間のはらわたをこの目でしかと見届けているのだが、わたしは彼らにこれはニセモノなのだと言う事が出来なかった。

 それはいつの日か、我々にも死が訪れるという事だけは確かだったからだ。

 そして人間様は、一日中部屋から出ることはなかった。

 数日の間、人間様のお望み通りの反応を示してあげていたカラスたちにも、そろそろ飽きがくる。

 人間様はどんな時も四六時中部屋にこもり、テレビやその他あらゆる画面に釘付けになっているだけだ。

 来る日も来る日も人間様は画面を見続け、喘ぎ声を出し、一日に数回、下半身を露にし白濁とした液体を画面に放つ。

 これでは路上で寝ている人間様と何ら変わりないではないか。

 毎日毎日飽きもせず同じ事ばかりをして、たまにリモコンを握りながら食事のような残飯を頬張っているだけだ。食べカスは部屋の隅に追いやられ、湿気と暗闇に蠢く黒い虫のエサになるだけだ。

 しばらく太陽の光を浴びていなかった部屋は、空気中に白い綿のようなものが浮かんでいる。気持ち良さそうにそこら中を飛び回り、人間様の鼻の中へ吸い込まれてゆく。

 一点をじっと見つめたままの人間様は人間様に見えず、ただの銅像のような気配さえも醸し出していた。コロコロと変わるはずの人間様の表情は、一向に変わる気配がなく不気味で仕方がない。人形のようなあの形相は、私を一時的に思考不能にさせてしまうのだ。

 わたしはこの人間様の観察をやめようと思っていた。カラスの似非死体も、毎日やってくるわたしに嫌気がさしており、これ以上ここに通うのは時間の無駄だと判断したのだ。

 最後にわたしは、カラスの似非死体に挨拶をしに出かけた。よく晴れた春の日の事である。

 いつもの場所に吊るされ、いつものように風に靡いていた似非死体は、声を発する事がなかった。わたしがいくら話しかけようと、あのドスの利いた醜い声が聞こえてこないのだ。

 主は彼を覗き込んだが、すぐに血溜まりを発見した。

 足下にヌルヌルとした血溜まり、窓ガラスに飛び散った血液、そして黒い羽がそこらじゅうに舞い散っている。

 ついに人間様は本物の死体を掲げてきたのだ!

 わたしは人間様を探した。定位置にいるはずの人間様はどこにもおらず、物音一つしない部屋は人間様の住む部屋のようには見えなかった。

 本物のカラスの死体を吊るし上げた部屋の住人は、いつのまにか姿を消していた。丸眼鏡をして乱れた長い髪の毛を掻きむしり、よれよれのTシャツに破けたGパンを履いている。脳味噌がこぼれ落ちそうな濁りきった眼球は、私たちに何を訴えていたのだろうか。

 その画面のなかに私は「何か」が隠されているのだろうと思った。

 主とともに人間様の帰りを待ち続けていたが、二日も経つと腐敗臭に耐えられなくなりその場を去ったのだ。

 あの画面に映り込んだ「何か」は、住人を確実に突き動かしていた。

 そしてその「何か」は、赤と黄色の看板の下で忙しなく動く人間様の「何か」や、子どもを遺棄して「何か」を求め出て行った母親とはまた違う種類の「何か」であるという事は間違いないだろう。

 住人は私が生きているこの世を生きていなかった。住人は画面の世界の中でしか生きる事が出来ない人間様であった。

 あの人間様の脳味噌が気になって仕方がない。己の身体や感覚を一切合切捨て去り、画面の中の「何か」を見つめ「何か」を奪い「何か」を手にする。その全ての行為は脳の中で行われているのだ。何故ならば、あの人間様は一日にほとんど動く事がなかったからだ。

 そうして、己の感覚を失ったまま私と同じこの世を画面の世界と同じようにしかみる事が出来なくなった人間様は、いとも簡単に私の仲間を殺し捌き吊るし上げたのだ。

 黒い羽がまとわりつこうとも、血液に濡れようとも、カラスの鳴き声が人間様を画面の世界から目覚めさせる事は出来なかった。人間様は私の仲間を容赦なく殺した。その間、人間様の表情に変化はみられず、淡々とした手捌きと落ち着いた呼吸でカラスを一匹吊るしたのである。

 いつか、初老の男が大きい長靴を履いて豚や牛や馬を捌いていた、あの光景を私は思い出していた。

 生きていくということは、何かの犠牲の上に成り立っていると幼いさなえは言っていた。初老の男は、それを体現してみせていたのだ。

 だがどうだ、部屋に籠りっきりの人間様に、カラスの犠牲は必要なのか?私はその疑問が晴れないまま、息絶えた仲間を見つめていた。

 風に揺れるたび、キィキィと音がする。吊るされた紐と洗濯竿がこすれて、部屋の中から聞こえる卑猥な声とそっくりな音が団地に響いている。

 私は人間様の知能レベルの低さに飽きれてものが言えなくなっていた。こんな物でカラスが退治出来るとでも思っているのだろうか。それとも、ただカラス達をあざ笑っているだけなのだろうか。

 「何か」に翻弄され「何か」に幻想を見ている人間様には、私たちを絶滅させる力など持ち合わせてはいないだろう。

 人間様はきっと我々の力を見くびっているだけなのだ。いや、もしかすると便利になった世の中に比例するように、人間様の知能が低下しているのかも知れないが。

 あの住人が消えてから、いつの日か本物のカラスの死体も処分されてしまった。そして何もなくなった部屋を前に、わたしは人間様の喘ぎ声を聞いたのだった。

 団地の住民の間で流行したカラスの似非死体は、それからめっきり姿を消してしまった。

 なぜならその作り物の死体は、子どもの道徳上不謹慎であるとの事から、ある時を境にベランダからゴミ捨て場へと移動させられてしまったのだ。

 やはり人間様は、すこしばかり馬鹿である。

 わたしのレプリカは今、焼却炉の中で燃えている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ