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「柚葉なに慌ててるの?」
急いで楽器を片付ける私に、楓が聞いてきた。
「今日は、ミーティングもないし、そんなに慌てなくても」
確かに、そうなんだけど。私は、
「ごめん、今日、ちょっと用があるから」
言いながらフルートケースのジッパーを閉じた。
それ以上は楓に何か聞かれることもなく、学校を後にして、鴨池公園行きのバスに乗る。
直接行ってもギリギリだ。もう少し時間に余裕もって決めたらよかった。
小島は、もう、来てる?
今頃は、公園で、新しいトランペットを吹いてるのかな。
バスを降りた私の耳が、微かな音色を捕らえた。
バス停は、鴨池公園西入口のすぐそば。
淡く夕暮れの色を滲ませた木立の向こうから聞こえてくる、どこか懐かしくて切ないメロディー。
惹かれるように歩を進め、木立の間を割った小径をたどって、鴨池の畔が見えるところまでやってきた。
傾いた日差しにオレンジ色に煌めく水面。逆光の中、池にせり出した露台に立つトランペット吹き。
小島は、待ち合わせのことも、もしかしたら忘れているかもしれない。
彼が今、向き合っているのは新しい金ぴかの宝物と音楽で。
息をのみ、たたずむ。
……泣きたくなるくらい、綺麗。
華やかで、透きとおるような、でもどこか物悲しい、そんな音の粒たちが夕暮れの空に溶けていく。
ねぇ、小島。
……ずるくない?
この音も、シチュエーションも、反則だ。
曲が終わっても、私は動けずにいた。
トランペットを持つ手を下ろした小島が、やっと私に気づく。
「ごめん、もう六時回ってたんだ?」
小島は、心もち声を張り上げた。
「ここ、すぐわかった? 西口まで行こうと思ってたんだけど」
「バス停から、音が聞こえたから」
鴨池公園は市内で一番大きな公園だし、近隣の住宅に気兼ねなく吹いても大丈夫だろう。だけど、私のレベルじゃ、その勇気はないかな。
池の畔の小島の近くまで行って、
「いつからやってるの?」
と聞いてみた。広くせり出す露台に鞄を置いて、私もオレンジの中に染まる。
「んー、小四?」
小島は、いとおしげにトランペットを撫でる。すでにキャリア六年、か。
「すごいね」
「小学校に管楽器クラブがあったんだ」
「なんか、感動した」
素直に言ってみた。
「でも、まだ夜空には早いよね」
だけど、照れ隠しに落としておく。小島が吹いていた曲が「夜空のトランペット」だったから。
「暗くなる前に、帰るよ」
小島には、褒め言葉も落としどころも、スルーされた。
「うん」
でも。
「もう少しだけ、聞かせてよ」
「了解しました」
前髪をちょんまげにした小島が、トランペットを掲げ、茶化すように腰を折ってお辞儀した。
吹くよ、と合図がわりに微笑む小島が、すごく眩しくて。
金色の音色に身を委ねた。
夕暮れ時で、よかった。
頬が染まっても、たぶん、ばれてないよね?
「明後日、メンバーの選抜があるんだ」
小島と二人、公園から引き上げようと歩き出した。
明後日は、いよいよ吹奏楽部のコンクールメンバーの選考会だ。私もメンバーに入りたくて、ずっと練習してきた。
「ぜったい入りたくて、それで」
小島のいるカラオケボックスにも、入り浸ってました。
「大丈夫だろ。石塚の音なら」
そう言ってくれる小島の言葉が嬉しい。
「うん、がんばる」
「おう」
「……小島さ、やっぱり、髪、切ったらいいのに」
「ほんと、しつこいよ」
やっぱり同じことを言ってしまった私に、小島の反応は前よりは少し和らいだもので。
「うん、ごめん。でも……」
「なに?」
「綺麗なの、隠さなくてもいいじゃない」
「それでヤな思いしたとか、想像できない?」
まあ、そうだろうなとは思ったんだけど。
「俺、やっと背が伸びて来たけど、中学の時は、百五十なかったんだよね」
ぽつりと小島は言った。
隣を歩く小島は、私からだとこころもち顎を上げて見上げないといけないくらい。ここ最近で、すごく身長伸びたんだ。
「で、女顔だし。名前も。ずっと、瑞希ちゃんとか呼ばれて。部活でもペット扱いだったし」
「ブラバン?」
「そう」
「……秋にさ、体育祭、あるだろ」
「うん」
盛り上がることで近隣にも有名な、桜橋高校体育祭。
「アレだけは、回避したくてさ」
……わかる。裏体育祭のこと、知ってるんだ。