6、 3月12日(5日目)・高速で叫ぶ変態 ~そして繰り返される悪夢~
2時間ほどは眠れただろうか。目を覚ますと、真っ暗だった窓の外はすっかり明るくなっており、店内から見る限りでは少しは寒さも和らいでいるようだ。
身を起こして時間を確認すると、朝の7時。とりあえずトイレを借りて顔を洗う。少しはマシになった気はするが、それでも昨日の睡眠時間は質の悪いぶつ切りで、合計4、5時間ほど。昨日の疲れを引きずっている気もしないでもないが、大きく支障があるほどでもなさそうなのでとりあえず安心。
席に戻るときょーこも目を覚ましたらしく、机の隅でちうー、と何かのジュースをすすっていた。原材料はドリンクバーのジュースだろうか。その横ではモアイヌがぬん、と寝ているのか起きているのか身じろぎひとつすることなく不動を保っていた。旅のお供が死にかけた翌日だというのに、こいつらは平常運転すぎる。
「おう、くらう。少しは落ち着いたか?」
席に座るときょーこか上機嫌に訪ねてきた。疲れなんてなさそうで羨ましい。そもそも疲れるという概念からして存在しなさそうだ。
「まあ、どうにか。動くのには問題なさそうかな」
くらうはドリンクバーを注文していないので、冷水を飲んで目を覚ましつつ一息入れる。
少し落ち着くと荷物をまとめ、会計を済ませに席を立った。レジはくらうを静かに放置してくれた店員さんだった。心の中でありがとう、と述べておく。
「さあて、じゃあ今日もいっちょ頑張るかあ!」
「おうっ、頑張れ頑張れー」
昨日の苦難なんてもう関係ない。昨日は昨日。今日は今日だ。無駄にテンション高く、くらうは自転車にまかがり、すいー、と本日1歩目を軽やかに踏み出した。
「おっ、意外と調子いい。これなら全然行けそうだ!」
「もう、何も怖くないな!」
「ああっ、変なフラグ立てんなよ!」
今日も今日とてくだらない掛け合いから始まる1日。はてさてこの先どうなる事やら‥‥(ありがちなナレーション)。
「今朝もちょっと冷えるな」
「ん‥‥まあ、どうにかなるだろ」
何気なく言ったきょーこだが、くらうの返事はどことなく重い。
「どーしたんだよ。なんかあるのか?」
「いや、そういうわけじゃない。気にするな‥‥」
「ふうん‥‥?」
少しいぶかしげなきょーこだったが、それ以上は特に何も言わずすぐに話題転換。
「今日は四万十川まで行くんだよな」
「そうそう。ここからだったら十分行ける距離だしな。ただ、事前の調べによると四万十川の手前に最大の難所があるらしい」
「なるほど、魔女か!」
「ちげえよ!」
「じゃあ、マゾだな!」
「だからなんでそうなるんだよ! なんでこのタイミングでそのネタ復活したんだよ!」
律儀にツッコミを入れてから、ため息をついてくらうは説明を続ける。
「四万十川の手前に七子峠って名前の峠があるらしくて、そこがだいたい6kmひたすら上り坂が続いてるらしいんだよ。その峠がけっこう有名な難所らしい。人によっては四国一周で一番の難所とも言ってたし」
「大丈夫だくらう。きっと室戸岬の展望台の坂に比べりゃ屁でもねえよ」
「うんオレもそう思う。でもまあ、覚悟はしておいたほうがいいかもな」
きょーこの意見にくらうは全力で同意。というかアレよりしんどい場所があってたまるかと言いたい。
まだマシだろうとはいえ、それはあくまで相対的な感覚でしかないのだ。難所と言われる以上は、それなりにキツイということは間違いない。ある程度覚悟はしておかなければ。
「てなわけで四万十川目指してれっつごー」
「おー」
「着いた。こっからが七子峠だ」
くらうがひとまず立ち止ったのは【七子峠まで6km】と書かれた看板の前。看板の書き方からするに、正確には今到着ではなくここから七子峠へ向かうという形になるようだが。
「しかし、ぱっと見はずいぶんなだらかな坂だね」
きょーこが言うとおり、ここから見た限りではこの坂はそれほどの脅威には感じられない。目測でも傾斜5%といったところではないだろうか。どういう基準で%なのかよくわからず適当に言っているだけだけど。
「んー、この先からどんどん傾斜がきつくなるのか、もしくは長さが思った以上にしんどいのかも」
「ま、なんにせよとっとと上っちまおうよ」
「そうだな」
今はまだ脅威を感じられないが、ぐっと気合いを入れてくらうは七子峠を上り始めた。
上りきった。
「あれっ!? すげえあっさり!」
一度は立ち止まって休憩も入れたが、なんか気づいたら到着していた。傾斜もなだらかなままで別段恐ろしいと感じるほどのものでもなかったし。
目の前にはここが七子峠であることを示す看板もあり、ここから先の道は再び平坦に戻っているので、なんちゃっててっぺんというわけでもなさそうだ。
「壁みたいな坂ばっかり上ってたから、感覚が狂ったんじゃねえの?」
「あー、十分あり得るなー」
ずいぶんと拍子抜けだが、まあ楽に越したことはない。結果オーライだ。
「よーし、ここまで来れば四万十川までもうすぐだぜ」
意気揚々とくらうはさらにタイヤを進めていく。
「なあ、四万十川って吉野川よりすげえのか?」
「どうなんだろう。実物は見たことないからなんとも言えないなあ。でも知名度でいったら、多分四万十川のほうがかなり上なんじゃないかな」
「そうなのか?」
「多分」
よくわからないので明言はできないが、名前だけならまだしも、所在地も含めて答えられる人が多いのは四万十川なのではないだろうか。
四万十川沿いを走るためには一度国道を外れなければならないので、地図を見ながら慎重に進む。
「今日は間違えんなよ」
「向かうのは名所だし、多分昨日よりはわかりやすくなってると思う。多分」
昨日は2度も道に迷ってしまったのでどうしても言葉に自信がない。むしろ自身のなさを自信たっぷりに主張したいくらいだ。こんな旅をしておきながらなんだけど、くらうは小さい頃から異様なまでに方向音痴で、家の近所ですら迷ってたような子でしたし!(実話)
今回はありがたいことに本当に入り組んではおらず、間違えないよう一度道を曲がればすぐに目的地に到着することができた。しかし、
「‥‥これが四万十川、なのか?」
「‥‥みたいだな」
くらうが辿り着いたそこには【一級河川 四万十川】と書かれた看板。そしてちっこい橋。その下を流れているのは、細々とした1本の川。どうやらこれが四万十川らしいのだが。
「‥‥なんか、思ってたのと大分違うんだけど」
「‥‥奇遇だな。オレも同じ感想だよ」
なんだかよくわからないが、どうやら本当にこれが四万十川らしい。くらうはなんとなく腑に落ちない感じで先の道へと進んでゆく。
少しするとやや薄暗かった山道を抜け、川沿いの穏やかな田舎道へと出てきた。若干冷えるが天気もいいし、比較的整備された道は交通量も少なく、なかなか気持ちのいい道である。
「なんか、いい感じの道だな」
「そーだな、空気がのんびりしてる」
「山と川に挟まれてマイナスイオンたっぷりだな。潤っちゃう」
のんびりとした道を、のんびりと自転車を走らせるくらう。
穏やかな陽気がくらうを包み、昨日の苦難など忘れてしまいそうな心地よさだ。
さらさらという川のせせらぎと、穏やかな小鳥のさえずりを聞きながら、和やかな気持ちで自転車を走らせ、そして――
「‥‥――ってそうかこれが四万十川なのか! 長げえ! 確かにこれは長げえ!」
川沿いの道をかなり進んだところで、くらうは唐突に道路沿いに流れる川が四万十川であることに気がついた。さっきのしょぼい川の印象が強すぎて、全然気づかなかった。
今走っている道はずっとずっと先まで伸びており、それに沿って横の川もずっと流れ続けている。なるほど、四万十川は細いけれど、長さが売りということか。確かに細長い。男の子だったらちょっと不本意な特徴の川だ。大丈夫、太さだけが全てじゃないさ。
「いやー、マジで気づかなかった。気づかなかったことを強調するために、この道の雰囲気ちょっと誇張しちゃったよー」
「確かにしれっと現れすぎだよなこいつ」
何気ない登場はさておき、改めて四万十川を眺めてみると確かに延々と道に沿って流れ続ける川は見ごたえがある。ぱっと見のインパクトとで言えば吉野川が圧勝だが、のんびり散歩道としては四万十川のほうがよほど似合っていると思う。
「ていうかあれだな。山のてっぺんが近いな」
今更だが、辺りの景色を眺めてみると、見上げるほどでもない位置に山のてっぺんがたくさん並んでいる。このあたりは小山が連なっているだけという可能性も否定できないが、峠を上ってきてまだ下ってないのだから現在地の標高が高いことは間違いないだろう。
「なあ、あそこにある道、かなり川に近づいてないか?」
きょーこが示した場所は向こう岸へと続く川の上の道。段が低くなっているので手を伸ばせば川に触れられそうだ。
せっかく見つけたのでとりあえずその場所まで行ってみる。
「‥‥うん、川が近いな」
感想終了。
いやだって、凍え死にそうになった翌日に水と戯れるなんて、正気の沙汰じゃないだろう。今日だって普通に寒いし。
「ん、雨かな‥‥?」
不意にきょーこが空を見上げて呟き、
しかしくらうはその事実を確認し、逆に頭を抱えて俯いた。
「‥‥天気予報、当たりやがった」
今日は日中から昨日以上に冷え込むらしく、天気予報によると、高知県の本日を示す箇所には、かわいらしい雪だるまさんのマークが示されていたのだった。
‥‥まあ要するに、雪が降ってきました。
普段ならちょっと感動してテンションをあげるところだが、昨日のことがあっての今日の雪である。雪が降るほど寒いというのは、参る。本当に参る。今日は本気で寝床を探さなければならないようだ。
「マジかー‥‥。まさかホントに降るとは思わなかった‥‥」
「ああ、それで今朝から寒かったの気にしてたのか」
「そういうこと」
今晩のことを考えると暗澹とした気持ちになるが、夜は夜、今は今である。諦めのため息を1つついて、くらうは川沿いの道をさらに進む。
不幸中の幸いといってよいのか、雪はほんのしばらく降っただけで、すぐに止んでしまった。このまま暖かくなればいいのに、と思うが無理な相談だろう。
のどかな道を走り続けることしばらく、道の駅を見つけたくらうはそこで昼食をとることに。自然を活かしました、という風情の店内の木の椅子に座り、肉うどんを注文。
食べ終えて一息ついてから、すぐそばに四万十川周辺の観光案内所のような場所を見つけ、そこの地図でこの先の経路を考える。
四万十川沿いの道はまだまだ先に続いており、ずっと先に進めば大きくわかりやすい道が南向きに続き、再び海沿いのルートに戻れるようだ。しかしここにきてくらうの足は昨日の疲労を今更ながらに思い出したらしく、できれば早いこと市街地に出てしまいたい。真っすぐ進んだ方がわかりやすく無難な経路とはいえ、ここをさらに数kmも進み続けるのは正直キツイものがある。この建物のすぐ脇には川沿いから外れて南下する杓子峠という道が続いており、そこの道を通っていけば市街地までかなり距離を短縮できるようだ。しかし地図で道を見る限り、かなり細い山道のようなのでそこだけが心配だ。
地図だけ見て考えても仕方がないので、案内所のおばちゃんに道の様子を尋ねてみることに。
「すいません、ここから南に下る杓子峠って、自転車でも通れますか?」
「はい、通れますよ。でも車がすれ違えるかどうかくらいに道が細いうえ、けっこう険しい山道みたいで、ライダーのあいだではよく知られてて、避けられてるみたいですよ」
なるほど、バイクで通るには危険な道であるらしい。
「うーん、でもまあ、自転車だったら車が来てもすれ違えるでしょうし、大丈夫だと思いますけど」
確かに、道が細くて危険というだけであれば、移動手段が自転車ならば転落する危険は車に比べれば格段に少ないだろう。なにより細い山道とはいえ国道だ。いくらなんでも荒れ放題ということもないはず。
「わかりました。ありがとうございます」
そうお礼を述べて、くらうは建物を後にする。
「どっちに行くんだ?」
「もうここで曲がるよ。いい加減川沿いも満足したし、少しでも早く市街地で休みたい」
そうしてくらうはすぐに曲がり角を折れ、四万十川沿いの道を外れた。
確かにその山道は細く険しい道ではあったが、自転車であれば十分に車とすれ違うこともできるし、何としてでも避ける道というほどでもないように感じられる。
だがしかし、しばらくその道を進んだところでくらうはある1つの疑問を抱かざるをえなかった。
「‥‥‥‥なんでオレ、上ってんだろう」
くらうはこの場所まで来るのに峠を上ってきた。そして今から市街地に行くため峠を下りようとしている。そのはずなのに、なぜかくらうは坂を上り続けていた。
「また道間違えたんじゃないの?」
「いや、今回ばかりはそれはないと思う。だってついさっき道を教えてもらったばかりだし、分かれ道もなかった。今進んでる方角は?」
「南」
「じゃ、やっぱり合ってるはず」
それに国道を示す標識も出ている。先日のように同じ番号の道が違う方向に伸びているということもないようなので、道自体は合っているはずなのだ。
「ていうかさあ、ここってホントに国道なのか?」
「まあ、そうみたいだけど‥‥」
きょーこがそう言うのも無理はない。道が細いというだけならまだしも、左手は山に阻まれ、右手からはガードレールの向こう側に山間を一望できるという、言葉通りの山道。そして、そのガードレールも道を進んでいる途中で途切れ、眼下の景色を阻むものはもはや何もない。
まあ要するに、右手が『崖』なのだ。一応木々は伐採され、崖崩れを防止するため最低限の整備はされているようではあるものの、それでも誤って落ちてしまえば軽ゥく大怪我できそうな崖が、くねりくねった道の右手にひたすら展開され続けているのだ。
なんかもう、どうしてこの道が国道を名乗っているのかわからない。おこがましいにもほどがある。というか国仕事しろ。
まさに崖という名の死と隣り合わせの状態。そりゃあ道狭いとか関係なく、ライダーもこんなところ通りたくないわ! と今更ツッコミを入れたくなってきた。
しかし昨日からやたらと死を身近に感じているような気がする。旅行ってこんな危険なものだっただろうか。考えを改めなければならないようだ。
「どうする、引き返すか?」
「いや、道に間違いはないんだから、もう少ししたら下り始めるだろうしこのまま行く」
「それもそーか。ま、頑張れよー」
そうしてなぜか上り続ける下りの道を走るくらう。
しかしこの時のくらうは、この国道439号線が、旅行から帰った後バイク好きの先輩に「はあ? あの道通ったん?」と目を丸くされるような道であることなど、この時は知る由もなかった‥‥。
下るはずの道を上り、上り、上り続けて、くらうは上り坂の途中で足を止めた。
「‥‥‥‥‥‥‥」
自転車を降り、うずくまる。
「お、おいくらう、大丈夫か‥‥?」
「大丈夫じゃない」
きっぱりと言い放った。もはや色んなことにツッコむ余裕もない。ただ本当に疲れた。
「‥‥しかし参ったな。ここまで来たら引き返すのもバカらしいし、かといってあとどれだけ上り続ければいいのか見当もつかない」
道の先を見つめながらくらうは疲れた呟きを漏らす。
前を見つめたところで、道が曲がりくねっているうえ山に阻まれ、十数m先までしか見通せず、どれほどこの道が続いているのかさっぱりわからない。
「行くしかねえってことだな」
「そういうこと。こんな場所、諦めるイコール遭難じゃねえか」
一寸先は山。どこまで走ればいいのかわからない道を、くらうはさらに走り続けた。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
くらうは再び山道の途中で立ち止まっていた。言うまでもなく、先に続くのは上り坂である。
「なあ‥‥これなんのイジメかな‥‥」
雪の降るような寒い日に汗だくになりながら、くらうは茫漠と呟いた。
もうどれほど上り続けているのか全くわからない。疲れすぎて時間の感覚などもはやなく、敢えて知ろうとも思わない。
唯一の救いは交通量が限りなくゼロであることだ。この道を進み始めてから今のところ、軽トラ1台と、おそるおそる走っていた乗用車1台としかすれ違っていない。乗用車はきっと、最短ルートだからとカーナビにだまされたのだろう。ナビって時々無茶な道を示すと思う。
「これはヤバいな‥‥。飲み物も残り少なくなってきたし‥‥」
スポーツドリンクは常備しているが、四万十川に到着したあたりから店がなかったため、ペットボトルの中にはもはや1、2口ほどしか残されていない。
その時ふと、くらうは水分以外に補給できるものの存在を思い出す。
「そうだ、今、まさに今のためにオレはお前にお菓子を食い過ぎるなとさんざん言い聞かせてきたんだよ。な、だからオレがこんなに憔悴してるというのに何気なくさっきからポリポリお菓子つまんでんじゃねえよ!」
バッグからとっておきのチョコレートを取り出しつつ、相変わらずのんきにお菓子をつまんでいやがるきょーこに、ツッコミの一段階上の怒声を浴びせる。
「ほらほら、イライラしたってしかたねえって。くらうもチョコでも食って落ち着きな」
「今からそうしようとしてたんだよ。そしてなんでお前が勧める」
くらうはチョコを1つつまんで糖分補給。口の中に広がる甘味が、じんわりと体全体を伝って疲れを癒してくれている、ような気がする。こういうのは気の持ちようが大切だ。うん、元気になっている。ぐんぐんHPが回復している。ついでにMPも回復している。こうかはばつぐんだ!
「ようし、後少し頑張るぞ‥‥」
「え、あと少しなのか?」
「知らん。そう思ってないと気がもたん」
どうにか気を持ち直し、再度くらうは自転車にまたがる。
目指すは、下り坂。
立ち止まり、立ち止まり、その度に糖分を補給しつつ、辿り着いたそこでようやく上り坂と曲がり角以外のものがくらうの視界に飛び込んできた。
それは茶色く薄汚れた看板。そこには四万十市までの距離を示しており、その看板の向こうには――下り坂が続いていた。
「‥‥‥‥やったあ」
「テンション低いなおい」
飛び上がって叫びたいほどに嬉しいが、残念ながらそうする気力は残っていなかった。
その看板を見る限り、ここから四万十市までの距離と、この道の入り口から四万十市までの距離の差を計算すると、どうやらくらうは延々9kmもこの山道を上り続けていたらしい。七子峠の1.5倍である。昨日以降の坂道も含めて考えると七子峠なんぞ、どう考えても最大の難所(笑)だろう。難所というのは今のくらうのように、通過しきった時に憔悴しきる場所のことを指す。ここテストに出ます。
「まあいいじゃねえか。こっからは下り坂なんだしさ!」
と、嬉しそうに笑うきょーこだったが、残念ながらここばっかりは笑ってなどいられない。
「きょーこ。この坂道をよく見てみろ」
この先は確かに下り坂。しかし忘れてはならないのが、ここからの道は上ろうが下ろうが、あくまで今までの道の続きであるということだ。
「‥‥なるほどな」
下り坂は相変わらず曲がりくねっているうえ、右手にはこちらも相変わらず、ガードレールすらない――ただの崖が広がっているのだ。
速度を出し過ぎて少しでもタイヤが滑ってしまったり、ブレーキの具合を間違えたりしようものなら、すなわち死が待ち受けている。だからどうして昨日からこんな命がけで旅をしているのか。
「つまり、むしろ下り坂のほうがやべえってことだな」
「そういうことだ。落ちても拾いになんて行けないからな」
「わ、わかったよ」
頭の上で風を受ける態勢だったきょーこは、しかしくらうの忠告に大人しく襟元に隠れる。
そしてくらうは今までになく慎重に、ゆっくりと坂を下りはじめた。
決してスピードを出し過ぎず、できる限り山側に寄って、曲がり角は特に慎重に。
上るよりは体力的によほど楽だが、しかしそれ以上に精神力がガリガリ削られていく。さっきチョコでMPも回復しておいて良かった。
ゆるりゆるりと坂を下りていくと少しずつ道は広くなり、曲がり角も少なくなって真っすぐな道へと遷移してゆく。そして右手にはなんと、念願のガードレールも出現したではないか!
「やった! 道がまともになってきた!」
そしてくらうは躊躇いなく、ブレーキを離した。
「いやっほおおおおおおおおおおおおう!」
極度の疲労に次いで極度の緊張感。それらから解放されたくらうは、途端に頭のネジが吹き飛んだ。
叫んだ。この時ばかりはマジで叫んだ。文章的表現じゃなくて、たった1人山道で、下り坂を凄まじい勢いで駆け抜けながら、全力で叫んだ。
周りに誰かいたら、本気で変質者だと思われただろう。というかほんの数軒だけど民家らしきものもあったし、聞かれていたかもしれない。まごうことなき変質者だった。
現在出ているスピードも半端ではない。普段平均速度20kmほどで走っているくらうが恐怖を感じるほどの速度である。ロードバイクだと30km近い速度が普通に出せるらしいし、おそらく40km近くは出ていたのではないだろうか。誇張ではなく、わりと本気で。そして折りたたみ自転車で。
ガードレールはあるけれど、崖とか関係なしに今転んだら余裕で死ねるよなあ、と超高速の快感に浸りながら他人事のように考えていたことをぼんやりと覚えている。
びやああああ、速い! とマスオさん並に感動しながら下る、20kmほどの下り坂。それほどの距離を全く足を動かすことなく進んでいく様を想像してほしい。いやほんと、たまんない。
下って下って、ようやく道が落ち着いてきた頃に辿り着いたのはキレイに整備された道路。その道はすぐに二手に分かれ、左が車道、右が歩行者自転車用となっている。
整備され、広めにとられた自転車道。さらにその右側には緩やかに川が流れる、いわゆる河川敷。昼を過ぎ雪が降っていたことなど嘘のように晴れた、爽やかな青空。
四万十川沿いも良かったが、それをも上回る最高のロケーションだった。
多分さっき落ちた頭のネジを拾いきれていなかったんだと思う。くらうはそれを見ると、自転車を降りてぼふっ、と川沿いの芝に寝転んだ。
「最高だ。ここまでの苦労が報われた気がする」
「確かにここは気持ちいい場所だなー」
きょーこもご満悦な様子で、芝の上に寝転がって昼寝の態勢。そしてモアイヌもこの場所を気に入ったらしく、くらうの横でソーラービームを撃つ準備をしている。
午前中はかなり冷え込んでいたが、昼を過ぎればそれなりに暖かくなってくる。気を抜けば昼寝だってしてしまいそうな心地よさだ。しかし本当に昼寝をするのはいくらなんでもマズイ。意を決してがばりと起き上がり、道路を見上げる。
「なんかさ、この河川敷、ダッシュで降りてジャンプしたら、タイムリープできそうじゃないか?」
「はあ? 何の話だよ」
「時をかけちゃう少女の話だよ! オレあれめっちゃ好きなんだって! うん、そう思ったらテンションあがってきた!」
叫びながら全力で川に飛び込めば、過去に戻ってプリンを食べられるかもしれない。あ、いや、自分は少女じゃないから未来人になるのか。と、謎の思考を巡らせる。
「あーわからなくもねーけど、あたしは3年B組を思い出すな」
「あ、それもわかる!」
走ってたら自転車に乗った警官が追いかけてくるかもしれない。
一通り盛り上がると、名残惜しみながら河川敷を後にした。
とはいっても道は長く、しばらくはのんびりと気ままな走行ができそうだ。やはり車道と歩道が完全に分離されているとすごく走りやすくて気分がいい。道もきれいだし。
その道を抜けると、なんだか久々な気がする市街地である。ようやく四万十市街に突入したようだ。時刻はなんだかんだですでに4時前。寝床を探すにはやや早い気もするが、今日は目をつけている場所があるのだ。
「今日は、ネットカフェに泊まってみようと思う」
「お、さすがに今日は屋内か。すぐ近くにあるのか?」
「うん。市街地に入ってしまえばすぐ近くのはず」
実をいうと、くらうはネットカフェを利用するのは初めてだったりする。そのため昨日の初野宿同様、何気にワクワクしている。
「でも日が沈むまでもうちょっと時間あるから、のんびり向かおうか」
早めに場所の確認をしておいた方がいいのかもしれないが、正直もうかなり脚が参っている。できればゆっくり走りたいところなのだ。
どちらにせよ市街地に入ると人も信号も多くなるのであまり速くは走れない。マップで経路を確認しながら、ゆっくりと目的地へと向かってゆく。
「ただなあ、やっぱりネットカフェって若干高いんだよなあ」
「出た出た。昨日は凍死しかけたってのに、相変わらずの貧乏性発言だよ」
「いやいや、安いところだったら1000円そこそこで泊まれるっぽいけど、店によっては2000円近くかかったりもするみたいだし、侮れないのですヨ?」
「はいはい」
きょーこに軽くいなされるのは気に食わないが、出費は少ないに越したことはないのだ。
のんびりと自転車をこぎ、途中で見つけたたこ焼き屋でもしゃもしゃと間食などしつつ、くらうはようやくその店へとたどり着いた。
「ここかー。ちょっとドキドキするな」
「貧乏性なうえに小心者とか。救いようがねえな」
ぺし、ときょーこにでこピンを入れつつ店に入ろうとして――しかしくらうはその手前で足を止めた。
「なんだよ。やっぱり出費が惜しくなったとか言うつもりか?」
嫌味をぶつけてくるきょーこに、しかしくらうは言葉を返すことすらできなかった。
くらうの視線の先、店のドアに書かれた数字を見て、くらうは立ち尽くす。
金額、ではない。そこには恐るべき数字が示されていたのだった。
【営業時間 ~22:00】
「‥‥‥‥ええええええええええええっ!?」
思わずその数字を二度見、三度見する。しかし何度見たところでその数字に変化はない。
「ウソだろ‥‥? ネットカフェって24時間営業じゃないのか‥‥」
くらうの住んでいる近所のネットカフェは24時間だったし、色んな人の会話などからそれが当然だと思っていたのだが、くらうはここで常識を覆されることになった。
もしかしたら入店可能時間が夜10時までで、店内で寝ていることはできるかもしれないという微かな希望に賭けて一応店員に尋ねてみるが、そんな希望はあっけなく粉砕されてしまった。けっこうそっけなく10時で閉まります、と返される。泣きそうだ。
「‥‥‥‥さて、どうしよう」
「一気に当てがなくなったな。今日も野宿か?」
「死ぬだろ。今日こそ凍え死ぬだろ」
だって朝は雪降ってたしね。雪ですよ、雪。
どうしよう、としばらく悩んだ後、辿り着いた答えはとりあえず先に進もうということだった。この先に何か当てがあるわけではないが、ここにもない以上留まっていても仕方なく、進んでいればどこか都合のいいものが見つかるかもしれないという甘い考えだ。
「しかし、ヤバいな。足がもうパンパンなんだけど」
「それは筋肉がついてきたってことか?」
「疲れてるんですぅー。あーでも、かなりの勢いで鍛えられてる気はする」
「いや、無理しすぎてるし筋組織ボロボロなんじゃないか?」
「んー、否定できないのが悲しいな」
かなり無理をしながら、くらうは足摺岬方面に向けてとりあえず走りはじめた。ここから続くサニーロードなる道が整備されており、それがずいぶんと自転車にとって走りやすい道であることが唯一の救いだった。
先程の市街地に到着したのがすでに夕方前頃。日はどんどん沈んでゆき、辺りが暗くなるのに合わせてくらうの焦りも大きくなってゆく。
「マズイ‥‥。市街地から出たから、次の街に着くまでなんにもないな‥‥」
右手に山、左手に海という相変わらずの景色のなか、くらうは呟く。やはり先程の市街地でゆっくりと寝床を探すべきだったのかもしれない。もうそんなこと言っても遅いけれど。
「なあくらう、あそこに民宿があるよ。このままだとヤバいし、泊めさせてもらえばいいんじゃねえか?」
「んー‥‥そうだな。民宿の値段の平均が全然わからないけど、素泊まりだったらどうにかなるかなあ‥‥」
「上限はいくらなんだ?」
「にせんえんかな‥‥」
「安っ!」
しかしこのままだとかなりヤバいというのもまた事実。くらうはややしぶしぶ、民宿の前で自転車を停める。
ぱっと見は普通の民家に近い。おそらく自宅を民宿に改装したか、もともと自分たちも住まう予定で建てられたものなのだろう。そのような外見も相まって、仮にも民宿とはいえ突然見知らぬお宅に訪問するようでなんとなく緊張する。ちょっとドキドキしながら、くらうはドアの横に取り付けられたインターホンを鳴らした。
ぴんぽーん、と中で音がしたのがこちらまで届き、もしかして留守かな、と思わせるほどしっかり間を空けてからガチャリとドアが開かれた。
現れたのはまだ若そうな女性。腕に赤ん坊を抱えており、どこか訝しそうな目でくらうを見ている。
いや、旅人ですよ? お客さんですよ? 訝しんじゃダメでしょ、というツッコミはさておき、焦り半分戸惑い半分でくらうは尋ねる。
「あの、すいません、ここ素泊まりだったらいくらで泊めさせて頂けますか?」
「素泊まりだったら、4000円からですね」
「すいませんありがとうございました」
即答して民宿を後にした。
「‥‥参ったな、オトナってのは思ってた以上に‥‥金持ちなんだな」
「いや、くらうが貧乏性なだけっしょ。こんなもんだと思うよ?」
容赦なくくらうの繊細なハートをえぐるきょーこ。訝しまれたのってもしかしてこいつが原因なんじゃね?
肩を落としながら、くらうはさらに道を進み始めた。このまま進めば足摺岬のすぐそばに街が広がっているようなので、とりあえずそこを目指すことに。少し急げばギリギリ日没には間に合うかどうか、といった距離だ。
「なあ、さっきからちょいちょい見慣れないコンビニがあるんだけど」
「あ、それはオレも思った」
先ほどから数件のコンビニの前を通っているのだが、同じ店ばかりが目につくのだ。しかも誰もがまず思い浮かべるであろうロー○ンやファ○マではない(ちなみに当時セ○ンは四国には存在しなかった)。
色はちょっと濃い目の青。花かクローバーのようなロゴがあしらわれた、スリーエフというコンビニが大量にあるのだ。いやもう、それしかないと言っても過言ではない。
「なあくらう、○ーソンや○ァミマは丸抜きしてるのに、なんでスリーエフだけばっちり名前出しちゃってるんだよ。大丈夫か?」
「いやまあ、あんまり知られてないだろうし抜いたらわからないかなーと思って。というかまあ、多分ローソンやファミマもホントは丸抜きする必要もないと思うんだけど」
「結局言っちゃうのかよ!」
確か商用利用しなければ使っても構わなかったはずだ。まあそもそも、こんなどこぞの馬の骨が書いたとも知らない無料小説なんぞに文句を言っているほど暇でもないだろう。
そうこうしているうちに、山ばかりだった道にぽつぽつと店が見えるようになってきた。どうにか日没までに市街地に入ることができたようだ。
とりあえず発見したこの辺りでは最も大きそうなスーパーでパンを購入。もしゃもしゃと晩ご飯を食いながら、この辺りの地図を検索する。
「んー、すぐ近くに公園が1つあるな。それ以外は、何もないかも」
今いるのはあまり大きくはない市街地。RPGでいうところの、次の大きな街に向けての中継地のような場所だ。ポケ○ンでいえばトキワシティかシオンタウンくらいの規模だろうか。この先に大きな街があるかどうかは知らないが。
店を出ると、とりあえず近くの公園へと向かってみる。そこは小ぢんまりとした公園で、ぽつぽつと遊具が配置されており、面積の割にはものが少なくどこか物足りない雰囲気の漂う公園だった。
「スペースはあるけど、寝袋で寝るにはちょっと難しいかなあ‥‥。寒そうだし」
土管のトンネルがついたすべり台もあるが、あの中で寝るのは狭すぎる気がする。試しに入ってみるが、大の大人が入るにはやっぱり狭い。そして傍から見ると気持ち悪い。
「どうしよう。マジで寝る場所が見つからないぞ‥‥」
「なら聞いてみればいいじゃんか」
「誰に」
「警察」
「あ、なるほど」
確かに妙案だ。そういえばさっき、近くに警察署があることも確認していた。もうずいぶん日も落ち、辺りは薄暗くなってきている。そうと決まれば善は急げ。さっそくくらうは警察署へと向かった。
節電のためか、本日の基本的な業務が全て終わっているからか、警察署の中は少し薄暗い。
くらうは一番に目についたカウンターの向こう側の婦警さんに声をかける。
「こんばんは。すいません、ちょっと教えてほしいんですけど」
くらうに気がついた婦警さんは愛想良く挨拶を返してくれる。
「このあたりで雨風がしのげる場所ってありますか?」
近辺にはなにもないようなので、屋内はもう諦めている。とりあえず少しでも暖かい場所を求めて尋ねると、婦警さんはくらうの姿を見て旅行者かつ野宿する場所を求めているのだとすぐに理解してくれたのだろう、予想以上に明るく積極的な対応をしてくれた。
ばさりと周辺の地図を広げ、この辺りにあるスペースを紹介してくれる。
最初に教えてくれたのは近くの港。倉庫などが立ち並んでいるので、その傍であればいくらか眠るスペースもあるだろうと紹介してくれた。
「あー、でも海に近いから風向きによってはかなり寒いかもしれませんねー」
一連の説明を聞いて、くらうがまず一番に思ったこと。
訛りがすげえ。
理解に苦しむ方言が含まれているというわけではない。アクセントも比較的標準に近い気もするので聞き取るのに苦労することもない。しかし語尾が、あっさり聞き流せないほどに訛っている。具体的には「が」が大量に入っているのだ。「~がーですけど」、「~がーですが」と、言葉の合間合間に「が」が挟まるこれが高知の方言なんだろうか。もしかしたらこの辺りは田舎っぽいし、特に訛りが強いのかもしれないけれど。かくいうくらうも母親が田舎育ちのため、同じ岡山出身の人でさえ眉をひそめる方言を使ってしまうことがあるし。
だがしかし、せっかく親切に教えてくれているのだから変なツッコミは入れるべきでないだろうし、真面目に聞いておくのがベストだろう。すごいとは思うが別に笑ってしまうようなものでもない。
そして次に教えてくれたのが屋根つきのバス停と、昔使われていたという警察官の宿舎のような建物。今はもう誰にも使われていないため、部屋の中はさすがに無理だが駐輪場や階段下などは好きに使ってくれて構わないと言ってくれた。
「この道をまっすぐ進んでもらったら、スリーエフが見えてくるのでその道を曲がって――」
そして当然のようにスリーエフが目印になっていた。「というコンビニ」、などの補足すらない。来るまでに何度も見かけたように、この辺りではわかりやすい目印なのだろう。
そうした説明をしている婦警さんの後ろで、途中からその様子を眺めていた男性警官がいたのだが、ものすっっっごい苦い表情をしている。多分野宿をするという行為を助長しているのが気に入らないのだろう。そんなに嫌ならここで寝かせてくれ。それがダメならそんな嫌そうな顔するな、と言いたかったが、向こうとしてもここで寝ろとも言えないし、野宿するなと言ったらじゃあどこで寝ればいいのかという話になるので、なんとも言えないのだろう。
それに比べて説明してくれている婦警さんの親切っぷりは半端じゃない。もしかしたら、するしないは別としてこういう旅行なんかが好きなのかもしれない。男性警官が文句を言えない理由の1つに、この婦警さんの親切ぶりも少なからず含まれているような気がする。ここまで教えてくれておいて、やっぱりダメとか言いづらいだろうし。
さらに見回りの警察にも伝えておくので、何かあった時のために連絡先を教えておいてくれとまで言われ、なんかもう万全の体制でくらうという珍獣を保護してくれるようだ。
「あの、あと新聞紙いくらかいただいてもいいですか?」
帰り際にくらうはそう頼み、今夜は冷えるだろうという事情さえ理解してくれたらしい婦警さんは笑顔で3束ほどの新聞紙を渡してくれた。婦警さんマジ天使。
警察署を後にすると、まず最初に訪れたのは警察の旧宿舎という建物。道端よりはよほど快適だろうと思って来てみたのだが――どうやら考えが甘かったようだ。
今は使われていない建物。言いかえれば、それはつまり廃屋なのだ。さすがにボロボロの幽霊屋敷のようにはなっていないとはいえ、わずかではあるが周りは自然に侵食されつつあり、自転車置き場などは、ある程度は元々の仕様でもあるのだろうが、びっしりと屋根の骨組みが植物に覆われ、街灯などの光を完全に遮断している。そして建物側へ回ってみると、少し階段を上がったところにまず一室があり、さらにその上にも階段が伸びている。そしてその最初の一室へ向かう階段下に空間があり、確かに十分寝られるほどにはスペースがあるようだ。
しかし、人の住む場所から一切人の気配が感じられないというのは、想像以上に不気味なものなのである。
建物がある。階段がある。扉がある。なのに人の生活の匂いが一切感じられない。
「どうした、ここじゃダメなのか?」
「いやいや、ここ怖いだろ!」
躊躇いなく、かつ端的にくらうは今の心境を述べた。だって、本当に怖いんだもの!
「‥‥キャンプ場の時もそうだったけどさあ、くらうってけっこう怖がりだよな」
「どうだろうな。人並みだと思いたいけど」
「もしかして幽霊とか信じてるのか?」
「うーん、見たことないけどいるなら興味深いなっていう程度。でも幽霊云々じゃなくて、不気味な場所は苦手かな」
「あー、なるほどな。案外そういうヤツって多いかもな」
ここは怖いので別の場所に移動。怖いので。
もう1つ教えてくれていたバス停は、一方向が完全に開けた壁と屋根で覆われた簡素な空間で、中には数脚の椅子が並べられている。道路に面していて丸見えだし、とても良い場所とは言い難いが、寝られない場所でもない。
ちょっと悩んでしまう場所だが、もう他に選択肢もこれ以上探している余裕もない。結局この日はここで寝ることに。
バス停内の椅子を少し前にずらしてスペースを確保。壁と椅子の隙間に寝袋を敷いて、今日も自転車とバッグにはしっかりロック。寝袋の中にはもらった新聞紙を敷きつめて包まれるようにし、持っている靴下全てを履いて、服も二重に着て防寒対策もガッツリとする。
ここまで準備するとこれ以上できることもない。くらうはすぐに横になって目を閉じた。
‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥
が、やっぱりなかなか寝付けない。
普段夜遅く寝ているくせに、突然7時や8時に寝ようとすることにも無理があるのだろう。やっぱりちょっと寒いし。
どうにか寝ようと目をつむっていると、バス停の前を2人組だと思われる誰かが歩いて通り過ぎてゆく気配。
「~~‥‥~気持ち悪‥‥~~」
ぼそりと聞こえたそのセリフは会話の一部だったのか、こちらに向けられたものだったのか。わからないけどちょっと傷ついた。
ぎゅっと目をつむって、どうにか寝ようと試みる。寝心地は悪いし寒いし早い時間で寝づらいが、疲れのせいもあってか、それでも少しずつ意識は眠りへと沈んでいく。
そうして坂道やら閉店するネカフェやらで困難続きではあったが、親切な婦警何のおかげもあってどうにか無事平穏に1日を終え、くらうは静かに眠りに落ちてゆくのであった。
――と、きれいに終わることができたらどれだけ良かったことだろう。
昨日と全く同じ状況だった。文章すらコピペなくらい、同じ状況だ。
今日も今日とて、寒くて目が覚めた。昨日より防寒対策はしっかりしているはずなのに、それでも寒かった。まあ雪が降るくらいだ。おそらく今日も気温は0℃とかになっているのだろう。耐えられないかもとは思っていたが、実際に再びこの状況に陥るとやはりツライ。
時計を見ると時刻は深夜2時頃。昨日とあまり変わらない。寝付く最後に時間を見たときには確か10時頃だったので、4時間ほどは眠れたようだ。これも昨日と同じくらい。
寝袋の中の新聞を掻きよせ、どうにか寒さをしのごうと体を丸める。
こういう危機的状況の時のことは、案外ずっと覚えているものだ。やはり印象的な体験だからだろうか。いやもう、印象的っていうかめちゃくちゃ必死だったんだけど。
これも昨日と同じ、体を丸めることで少しだけマシになったような気がする。できる限り気持ちを落ちつけ、睡眠に集中する。
‥‥‥‥
「‥‥やっぱムリ」
ほんのわずかな時間寝ていたようだが、数十分としないうちに目が覚めた。これはいくらなんでも、やっぱり無理だ。
時刻は深夜3時。その時間になってくらうは眠るのを諦め、ごそごそと寝袋から這い出した。寝袋から出ても昨日のように全身がガタガタと震えだすことはなかったが、それでも十分耐えがたい寒さだ。
「‥‥ん。どうしたくらう、また眠れないのか? ‥‥って寒っ! 今日も寒いなおい!」
くらうとは違って今までぐっすり眠っていたらしいきょーこは、目を覚ますとぶるっと体を震わせた。
これだけ寒くても起きるまで気づかないとか。今ばかりは本気できょーこになりたい。今すぐ魔法ストラップ少年になりたい。
「なんか、昨日と違って今日は落ち着いてるんだな。これからどうするんだよ」
そう。今日は寝られないからどうしよう、と昨日のように慌ててはいない。理由は簡単、当てがあるからだ。
「屋内に避難する。ほら、すぐそこ」
移動というほど移動する必要もなく、くらうがやってきたのはこんな時間であろうと当然のように店内に明かりを灯しているありがたいお店、コンビニ。その名もスリーエフである。
ちなみに旅行から帰って高知出身の後輩にこの時の話をしたところ、少し前までスリーエフは24時間営業ではなかったそうだ。よく頑張った、スリーエフ。
店内に入るとやる気なさそうな店員が1人レジにいるだけで、客はくらうの他には誰もいない。
申し訳ないとは思うが、くらうの入店目的は買い物ではない。そしてコンビニで時間を潰すといったら、することは1つしかないだろう。
まっすぐと雑誌コーナーに向かうと、背中の荷物をおろして立ち読み開始。多分レジの店員はイラッとしている。
夜明けの時刻はおおそそ6時ごろというのは把握している。それまでずっとここで立ち読みしていてもいいのだが、さすがに同じ場所に立ちっ放しは脚が痛いし、店員の放つ早く帰れという暗黒のオーラに耐え続けることも難しいだろう。
くらうが雑誌を置いたのは4時半。入店してから夜明けまでの時間の約半分。さすがに何も買わずに出るのはよくないかと思い、菓子パンとホットコーヒーを買って店を後にする。
「おいおい、こんな時間に店出てどーすんだよ」
「大丈夫、ちゃんと考えがある。っていうか寒いな」
店の駐車場でとりあえずパンとコーヒーを食すが、外はやっぱり寒い。
くらうは早めにそれらを平らげると自転車に乗り、今日来た道を引きかえし始めた。そして数分後、とある店の前で自転車を止める。そう、ここに来る途中に確認していたのだ。ここにも――スリーエフがあることを。
「ってまたここかよ!」
「いやだって、コンビニくらいしか空いてる店ないし。このへんスリーエフしかないし」
そして再び入店。同じ店にい続けるのは居心地が悪いということで、スリーエフをハシゴである。
店内にはやはりくらう以外の客の姿はない。入店すると再び迷わず雑誌コーナーへ。多分レジの店員はイラッとしている。
立ち読みを開始してしばらく、最初は適当なアニメ関連の雑誌を見ていたのだが、ふと思いついて観光ガイドを手に取った。開いて探してみると、当然のごとく高知県も載っている。
「お、何見てんだよくらう。それってここだよな」
「そうそう、せっかくだし、事前に見るとこ調べとこうと思って。ついでだしいくらか寄り道するのも楽しそうだしな」
「おお、まともに睡眠もできてねえのによくそんな悠長なこと言えるな」
ぺらぺらとガイドブックをめくっていると、高知にも調べていなかった観光地がいくつかあるようだ。
「へえ、このちょっと先に四国カルスト、っていう場所があるらしい。有名っぽいぞ」
「なんだそりゃ、どういうところなんだ?」
「えーっと、高原に色々自然が広がってるみたいだな。山岳道路なんだってさ。‥‥山岳」
「要するに、坂道ってことか」
「パスだな」
自ら坂を上りに行くとか、正気の沙汰ではない。もう坂はこりごりだ。
「ここから行けそうなとこは‥‥ってもうすぐ愛媛なんだけどなー」
「なあなあ、観光地なんかどーでもいいじゃんか。ほらそっち、グルメガイドあるじゃん! 美味いもん探そうよ! 食べ歩きしよう!」
「それいいな。そうしよう」
食い物の話になると急に活き活きとし始めたきょーこの案に、くらうも乗り気でグルメガイドを手に取った。
「高知といえば、食べ物でいったらカツオかな」
「タタキだな! あとお菓子の芋けんぴってやつとか、アイスクリンってのもあるよな!」
「愛媛に入ったら、やっぱりみかんかな」
「みかんジュースだよな! 伊予かんとか温州みかんとか、色んな種類試してみよう! あと愛媛だったらじゃこ天や鯛メシなんかも有名だよ! お菓子だったらタルトとか団子かな!」
「詳しいなお前‥‥」
活き活きどころではなかった。大興奮だ。どれだけ食うの好きなんだよ。
そうしてくらうは雑誌コーナーにて、店員の『退店と逝去を望む闇の波動~暗黒の魔王が如き憤怒の視線~』を背中にビシビシと浴びながら、夜が明けるまでの時間を潰すことになるのであった。




