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1、 3月8日(1日目)・鳴門海峡春景色

 今回の旅行の目標は四国一周。出発地点は香川県高松市。フェリーなどで四国に渡ってから、というのではなく、くらうの現住所である。

 道順はそこから時計回りに徳島、高知、愛媛の順で回り、ゴールは当然香川の自宅。基本的にはひたすら海沿いの国道沿い。大きな観光名所やその時の気分によってはルートを外れ、色々な場所に立ち寄りつつというのが大まかなプランだ。

 日程はおおよそ2週間。こんなに長距離を走るのは初めてなのでよくわからないが、四国の外周は約900kmらしいので、1日80km~90km走ればそのくらいになるのではないか、というかなり大雑把な予定である。そもそも1日毎の目的地があるわけでもなく、その日その時の状況次第で走行距離なども変わってくるのだから、その辺りは細かく決めておく必要はないだろう。初心者ゆえ、そのあたりをきっちり決めすぎておくと上手くいかなかったときの焦りにもつながり、なによりそのあたりの感覚がよくわからないので細かく決めようがないというのもある。

 まあ要するに、四国を自転車でぐるりと回りながら、適当に興味がある場所にぶらりと立ち寄ってみようというのが今回の旅行の趣旨である。そもそもくらうはあまり細かく物事を考えるタチではないので、若干適当な感じが一番性にあっている。

 現在、くらうは国道2号線沿いを快調に走っていた。事前に足慣らしのために1日数十キロは走っており、その時にこの道も何度か通っていたので、今のところは通り慣れた道を走っているだけ。目新しさはないものの、本当に道があっているのだろうかという不安もないので最初としてはこんなものだろう。

「‥‥なあ、きょーこ」

「んー‥‥?」

 まだ特に面白い景色も見られないからか、頭の上で半ば寝こけているきょーこにくらうは声をかける。ちなみにきょーこには今回方位案内をお願いしているので、ストラップ紐の先にはあらかじめ百均で買っておいた黒い方位磁石がくっついている。

「オレさあ、目覚ましのアラームちゃんと止めてきたっけ?」

 きょーこはしばらく頭の上でんー、と唸り、

「‥‥いや知らないし。なんであたしに聞いてんのさ」

「いや、まあそうなんだけど、なんか急に不安になってきて‥‥。今朝目覚まし止めた記憶も曖昧だしさ‥‥」

 そのせいで若干の寝坊もしたのだけれど。

 と、急にこんなことが気になりだしたのも、先程信号待ちをしている時、どこからともなく音楽が聞こえてくることに気づき、いくら走ってもその音楽が遠ざかっていかないなあ、などとぼんやり考えていたが、ふと気づくと背中に入れたケータイが元気よくアラームの音楽を垂れ流していたのだった。起きるかどうかは別として、一応毎日セットしている時間に鳴らしているのを解除し忘れていたのだったが、それを見て不意に家の目覚ましもアラームを解除してきたかどうか不安になってきたのだった。

 家の目覚ましはアナログのものを使っているので、最悪消し忘れていた場合、家に帰るまで毎日2回ずつ鳴ることになる。そうなれば隣人にはさぞかし迷惑だろう。

「どーすんのさ。一回確認しに帰る?」

 まだ家を出てから2時間ほどしか経っていない。その選択肢もなくはないが、さすがに初日からそんなことをするのは幸先が悪すぎるし、いったん帰っていれば昼ごろになり、そうなれば再出発も面倒臭くなって、出発をもう1日先延ばしとかにしてしまいかねない。

「いやまあ、多分止めてるとは思うんだけど。けっこーうるさいし。なんだかんだで今まで止め忘れたことって、最初1回だけだし。‥‥なにより恥ずかしいから急いで止めるの癖になってるしさ‥‥」

「‥‥じゃあなんでそんなもん使ってんのさ」

「だって可愛いじゃん。わふー」

 くらうの目覚ましは、少し前にゲーセンで取ってきたクド○ふたーの目覚まし(×2)だった。ジリジリとやたらうるさい鐘の音と、「おはようなのですー」という可愛いが大音量なのでやたら恥ずかしいボイスの2種類を選べるのだが、くらうはあえて恥ずかしいセリフのほうを目覚ましにしていた。おかげで毎朝恥ずかしさに飛び起き、2度寝することもあるが少なくとも一度は確実に目を覚ますようになっていた。‥‥まあ、今朝は本当に起きたかどうか曖昧なんだけれど。

「もし消し忘れてたら、周りの住人にヘンなあだ名つけられることは間違いないだろーな」

「ああ、間違いないな‥‥」

 あんなもの毎日朝夕2回も鳴らしていたら、「なにあの部屋気持ち悪い」とか「あいつクド好きなんだぜ」とか「クーちゃんは僕の嫁だお」などとささやかれること間違いない。いやまあ、なにより単純に迷惑だろう。朝6時とかにセットしてるんだから。

「ま、だいじょーぶなんじゃないの? だって消し忘れって、今朝鳴らしっぱなしでずっと寝てたってことでしょ? さすがにそれはないんじゃない? あんな恥ずかしうるさい目覚ましなんだからさ」

「まあ、そうだと思うんだけど‥‥」

 かなり不安ではあるが、確かに気のせいである可能性のほうがはるかに高い。世の主婦たちも水道やガスの止め忘れを危惧し、帰って確認したらちゃんと切ってあったという経験は少なくないはずだ。今回もそうであることを祈り、確認に帰ることはしないことにする。

「‥‥大丈夫、だよな?」

「うるっせえなあ、男だったらうだうだ言うなよ。忘れてたら大人しく恥ずかしいあだ名を受け入れな」

「‥‥気になる」

 諦めたとは言っても、気になるものはどうしても気になるものだ。くらうはしばらくの間もやもやとした何かを引きずりながら自転車をこぎ続けた。

 初日の朝っぱらから、なんだかアクシデント続きである。幸先悪いなあ‥‥。



 ひたすら走り続け、出発してから2時間と少し経過した頃。左手に小さな海岸を望み、ほんの短いトンネルを抜けた先の下り坂の途中にその標識は現れた。

「おいくらう、鳴門市だってよ! ついに徳島に入ったな!」

「よっしゃー!」

 足慣らしのためにこの少し先の場所までは数度訪れているため、自転車で徳島県に突入するのがこれが初めてというわけではない。しかしここからどんどん先に進んでいくのだと思うと少し心が弾む。

「ふいー、とりあえず一息かな」

 そしてくらうが一息入れたのは、鳴門市に入ってすぐのところにある海に面した小さな休憩所。休憩所とはいっても数台分の駐車スペースと大雑把な案内板があるだけで、建物など何もないし自販機すら置いていない。しかしちょうどよい区切りとなる場所のため、足慣らしをする際は毎回ここを終点としていた。くらう宅からここまではおよそ40kmである。

「へえー、なんか壮大な景色だな」

 きょーこが手すりの上に立って海を眺めながら、感心した声をあげている。

「まあ、瀬戸内海は日本の誇りだからな」

「へー、そうなのか」

「多分。少なくとも中四国の人間は好きな人多いと思うよ」

 くらうは水分補給をしながらきょーこと共に海を眺める。海を眺めるきょーこの後姿を写真に撮ってやると、きょーこは少し驚いて振り向いた。

「おいおい、急に撮るんじゃねえよ。ちゃんと美人に撮れたのか?」

「美人て。きょーこ人だったのか?」

「あったりめーだろ。おっ、なんかすげーいい感じじゃん」

 撮ったばかりの写真を見せてやると、きょーこは少し満足げな声をあげる。

 今回の写真はデジカメを持っていないのでスマートフォンだ。本当はバッテリーを節約したいのであまり使いたくはないが、まあ写真くらいなら消費もたいして大きくはないだろう。

 ちなみに今回、少しでもバッテリーを長持ちさせるためにケータイの電波は基本オフ。道を検索するとき等だけ電波をオンにし、確認したらまたすぐにオフに戻すよう心がけるつもりだ。電池はもともと2つ持っていたものにさらにもう1個買い足して、使用中も含めて全部で3つ持ってきている。何もないのが一番だが、山中で動けなくなったり、おかしな道に迷い込んだりした際はおそらくケータイが唯一のライフラインとなるので、そこに関してはかなり気を使って準備している。

 とはいえ旅行なのだからやっぱり写真くらいは撮っておきたい。ということで早速記念すべき1枚目、はすでに出発前に撮ったのだが、外での記念すべき1枚目はきょーこと海の写真となった。それにしてもすげえいい感じに撮れた。いつか旅行の写真を公開したいものだ。

「さて、こっから先は初めての道だからなー。ちょっとワクワクするな」

「確かになー。あたしもちょっとテンションあがってきたよ。な、モアはどうなんだよ」

 登場シーン以降何もしゃべっていないどころか何のアクションも起こしていないモアイヌに、きょーこがペシペシと顔面(彼の構成要素の50%を占めている)を叩きながら声をかけるも、モアイヌは特に反応を見せない。

「ったくさー、せっかくの旅行なんだから、もうちょっと楽しそうにしてもいいと思うよー」

 修学旅行でもあえてみんなの輪から外れているクラスメイトに声をかけるおせっかいなヤツみたいなセリフを吐きながら、きょーこは小さくため息をつく。なんだかんだできょーこもモアイヌが気に入っているらしい。

「まあ、気長に行こうぜ。だいたいこいつ、今までに1日1回以上しゃべったことないしさ」

「んー、まあそうだなー。今朝1回鳴いてたし、ノルマは達成してんのかな」

「ノルマなのか。ていうかオレそれ気づかなかったんだけど」

 と、ずっと不動だったモアイヌがのそのそとくらうの手のひらの上からゆっくりと蠢くように移動し、くらうの肩の上に乗っかった。

「お、なんか今までになくアクティブになったぞ。でも頭の上はあたしの特等席だからな。ここだけは譲れねー」

「勝手に席にすんなよ」

 そんなアホなやり取りの間に十分な休憩もとれた。それを黙って見ていたエミリアにまたがり、ついに初めての道へと突入してゆく。

 その先の道にはまず、大きなトンネルが伸びてていた。トンネル内は道が狭く見通しも悪いので、より一層の注意が必要だ――と思っていたが、

「なあ、なんか横にも道があるみたいだよ」

 きょーこがぺしぺしとくらうの頭を叩きながら道の脇を示した。見ると、確かにそこには歩行者自転車用の横道が設けられているようだ。

「ほんとだ。じゃあこっちから行ってみるか」

 トンネルが避けられるならそれに越したことはない。くらうは横道に入ろうとして――その道に付けられた名前に、思わず眉をひそめた。

【うずしおロマンティック街道】。それがこの細道の名前であるらしかった。道の入り口部分に、青い看板がでかでかと掲げられている。

「【彫刻公園】だってさ。どうみてもただの道だけどな」

 きょーこが言うとおり、看板の下にはもうひとつ看板があり、そこには確かにそうとも書かれている。

 こう言ってはなんだが、ちょっとアホっぽい。ロマンティック街道て。

 そのアホっぽい道を進んだ先にあったのは、彫刻公園という名が示す通りというべきか、三角錐、半円、でかい三角錐の順で並ぶ石の彫刻のようなもの。これはいったい何なんだろう、と思っていると、その疑問に答えるようにすぐ横にタイトルが掲げられていた。

 ――【宇宙の鼓動】と。

「‥‥‥‥」

「わけがわからないよ」

「あー、そういう際どいセリフはやめろって。きょーこが言うとより際どくなるから」

「いやでも、他に言いようがねーじゃん」

「うーん‥‥まあ確かにそうなんだけどさあ」

「ま、きっとゲージュツが爆発してんだろうな。あたしにはそーいうのさっぱりだけどさ」

「あー、オレも偏屈な思想をしてるとは思うけど、芸術とかとは無縁だなー」

「自分で言うなよ」

 軽口をたたきつつ、宇宙の鼓動以外にも様々な曲がりくねった彫刻が並ぶロマンティックな道を越えると、その先には海沿いの比較的整備された道が続いていた。歩道と車道がしっかりと分けられており、かつ道が整備されているとかなり走りやすいので非常にありがたい。

「なんか壁に阿波踊りの絵があるよ」

「徳島って感じだなー」

「あと、ぐるぐる模様もいっぱいあるな」

「鳴門市だからかなー」

 頭の上できょろきょろと辺りを眺めていたきょーこがそういえばさ、と思いついたように尋ねる。

「最初の目的地ってどこなんだ?」

「いやいや、出発前に一通り説明しただろうが」

「んなもんいちいち覚えてるわけねーだろ」

 なぜか偉そうなきょーこにため息をついてから、優しいくらうは説明をくれてやる。

「最初は鳴門海峡。でかい渦潮があることで有名なんだよ。まずはそれを見に行く」

「へー、渦潮かー。どーやって見るんだ?」

「それはわからん。行けばわかるだろ」

「まあ、観光名所ならそっか」

 というわけで、くらうはこの旅行最初の目的地、鳴門海峡を目指す。



 国道に沿って自転車をこぎ続けることしばらく。あらかじめ調べておいた、国道を外れ曲がるべき場所が見えてきた。

「お、看板出てるよ。鳴門海峡はこっちー、だってさ」

「うん、ここで間違いないな」

 くらうは半手書きの白地図と見比べながら道を確認し、左折してその道をさらに進んでゆく。

 ここまではひたすらメインの国道沿いだったため迷うことなく快調に進み続けてきたが、ここからは細い道を進んでゆくため、道がわかりづらくなってくるだろう。くらうはちょくちょく足を止めつつ、標識を見て今はどこの道にいるのかなどを確認をしながら進む。

「方角的にはだいたいあってるみたいだよ」

 きょーこは頭のてっぺんから生える方位磁石を見ながらおおよその方位の教えてくれる。それも踏まえつつ、それでも不安になったらケータイでマップを開きながら、少しペースを落としながらも順調に道を進んでゆく。しかし、

「‥‥なんかさあ、ずっと坂だな」

「確かになー」

 どうやら、鳴門海峡は標高の高い場所にあるらしい。さっきから進んでいるのはひたすら山道の上り坂だ。足を慣らしてきているとはいえ、さすがに何時間も走った後のこの坂はきついものがある。

 そんな時、それはくらうの前に姿を現した。

「うおお、これは‥‥マジか‥‥」

 先程から上ったり下りたりを繰り返していたが、ついにその傾斜が尋常ではない上り坂に出くわすことになってしまった。道路横の標識には傾斜10%と書かれている。%で表されても正直よくわからないのだが、それでも見ただけでもその傾斜が半端でないことはわかる。

「なんか、すげえな。もはや壁だろこれは」

「いやそれはさすがに言いすぎ‥‥って言いきれないのがツライな‥‥」

 これだけ疲れている今の状況では、本当にこの坂が壁のように見えてきてしまう。

 げんなりとはするが、避けては通れない道だ。

「しゃーない。頑張るかー」

「よーし、頑張れ頑張れ」

「他人事だからってこの野郎‥‥」

 冷やかし混じりに頭上で鼓舞するきょーこに恨み事を呟いて、くらうはペダルをこぎ始めるが、思った以上に重い。変速を最も軽くして進もうと試みるも、それでもかなりの負荷だ。

「‥‥さすがにヤバいか」

 少し迷った末、くらうはため息をひとつつくと、自転車を降りて押し歩きはじめた。

「おいおいくらう。今回は押して歩くのはナシって言ってなかったか? なんか自転車旅行なのに乗って進まないのは自転車の尊厳を失わせる行為だ、とかワケの分かんないこと言ってさ」

「ワケわかんないとか言うなよ。いやまあ言ったけど、さすがに限度はあるだろ。無茶しすぎるとギアが痛むしさ。‥‥んー、でもやっぱ、ごめんなエミリア」

 実際ここは無理をすべき場所ではないと思う。旅はまだ始まったばかりなのだから、こんなところで不備を起こしてしまえば目も当てられない。

 とはいえ、初日から自分で決めた縛りを破ってしまったのは確かに不本意だ。くらうは申し訳ないと思いつつ、エミリアのサドルを撫でた。

『いやぁん、ヘンなところ触んないでよこのクズ! 産業廃棄物!』

「なんでそんな毒舌キャラなんだよ!」

 頭の上のきょーこが、声色を変えてエミリアにヘンなキャラ付けをしていた。本当にしゃべってくれると確かに嬉しいが、そのキャラはすごくイヤだ。

「いやー、実際どんなキャラかわかんねーぞ」

「なんで最悪を想定するんだよ。しかもサドル触る度に嫌がられたらどこにも行けないじゃねえか。ヘンなとこって、どこなんだよ」

「そうだな、ヒトでいうと、右脇の下かな」

「サドルが!?」

 じゃあいったい左脇はどこになるんだろう。荷台あたりだろうか。

「しかしくらう、ほんとにその自転車好きだよな」

「そりゃあ相棒だからな。ホントにしゃべってくれればいいのに。なんできょーこやモアイヌはしゃべるのに、エミリアはしゃべってくれないんだろうな」

「はあ? 何言ってんのさ。自転車がしゃべるわけねーじゃん。常識で考えなよ」

「えー」

 すごい勢いでしゃべるストラップに呆れられた。理不尽だ。

 地味に長いその坂をえっちらおっちらと押して歩く。時間的にはほんの数分でしかなかったのだろうが、その疲労度はかなり大きい。ようやく上りきったところでくらうはようやく足を休めた。

「ふいー、さすがにしんどいな‥‥おお」

 そう言いつつ道の外側を眺め、そこに広がる景色にくらうは思わず感嘆の呟きを漏らした。頑張って坂を上った甲斐あって、高い場所から見下ろす山間の景色は絶景だ。苦労した後にこういう景色が見られると、少しだけ報われたような気がする。

 しばらくその景色を眺めていると、今までくらうの肩と一体化していたモアイヌがもぞもぞと肩の上から下り立ち、その景色を眺めながら再び静止した。

「‥‥なんだろう、この景色になんか、琴線に触れるものでもあったのかな」

「いーや、あたしにモアの気持ちが手に取るようにわかるよ。多分ね、なんかこう、そうだな‥‥なんか感動してんだよ」

「いったい何を手に取ったんだよ」

 放っておくとそのまま何時間でも何かを眺めていそうなモアイヌを強制回収し(それでも何らかのリアクションを示すことはなかった)、ここまでが上り坂だったおかげか、その先はしばらく下り坂が続いていた。

 躊躇う必要なんてない。くらうはブレーキを全開放、重力と慣性という大自然の力に推進力の全てを預けた。途端、自転車は凄まじい加速力を得て坂を駆け下りてゆく。

 よい子は真似しちゃダメだぞっ!

「ひゃっはー!」

「ちょ、ちょ、ちょ、くらう! あたし吹っ飛びそうなんだけど!」

 必死に髪にしがみついているきょーこを襟首に収納してやると、ようやく落ち着いたようだ。くらうは下り坂の疾走感をひたすらに満喫する。

「おいくらう! あそこ、外人のお遍路さんがいるよ! ハロー、ハロー!」

 くらう同様テンションが上がってきたらしいきょーこが、少し先にいるお遍路さんの集団に無駄に声を投げ始めた。

 その声が聞こえたからなのかどうなのかは知らないが、きょーこが言っていた外人のお遍路さんがこちらに向かって「コニチワ!」と声をかけてくれたが、予想外だったうえかなりのスピードで下っていたため視線を向けただけで無視する結果となってしまった。せっかく愛想のいい人だったのに、悪いことをした。

「おい、なんで無視してんだよ!」

「いや、急だったから。わざとじゃないよ」

「ったく、しゃーねーな。今回だけは許してやるよ」

「ありがとうございます」

 今は下り坂とはいえ山道なのだから延々下り続けるわけもなく、上ったり下りたり上ったり上ったり、途中展望台のような場所で休んだりと少し忙しい道を進んでゆくと、やがて前方に大きな建物か施設のようなものが見えてきた。

「お、あそこっぽくないか!」

「うん、ぽい!」

 その建物に近づくにつれ、そこが休憩所や展望台などではなく、間違いなく目的地であることが見て取れるようになってくる。

 最後の坂をどうにか上り切って敷地内に入り、駐輪場に自転車を停めて、眼下の山々に向かってきょーこと2人でうおーっ、と歓喜の雄たけびをあげた。

「よっしゃー! 第一目的地に到着だー!」

「旅っぽくなってきたな!」

 ひとしきり騒いでから周りを見てみると、そこにはくらうのエミリア以外にも数台の自転車が停められている。

「やっぱ自転車で来てる人もけっこーいるんだな」

「でもちゃんとした自転車ばっかじゃんか。あんたみたいなバカはいないみたいだよ」

「褒め言葉だな。オレだけ! 唯一無二!」

「ホンモノのアホだな」

 どこに行けばよいのかはよくわからないのでまず入った建物は、なんとなく大きそうなそれっぽい建物。そこの施設に足を踏み入れた瞬間、くらうは目の前の光景に愕然とした。

「‥‥‥‥!? こ、これはいったい!?」

「どーしたくらう!?」

 驚いた声をあげるきょーこに、くらうはどうにか頭を落ちつけ、現在の状況を整理する。

「‥‥ああ、オレ自身なにがなんだかさっぱりなんだけど、この建物に入った瞬間辺りの光景が不鮮明になって、ここがどういう場所なのか全然わからないんだ。なにか渦潮に関係ある場所ってこと以外、なぜか全く理解できないっ‥‥!」

「なるほど‥‥ついにアレが発現しちまったってことか‥‥」

 きょーこは何かを悟ると、頭の上から肩の上に下り立ち、ぽんとくらうの肩を優しく叩く。

「それは間違いなく、決して誰にも逆らうことのできない絶対的な不可視の力、失われし記憶ロスト・オブ・メモリーが発動したんだ」

「そ、それはいったい‥‥!?」

「あのな‥‥」

 きょーこは一度言葉をきり、正面からくらうを見据え、言った。

「要するに、2年近くも昔の出来事を1つ1つこと細かに覚えてるはずないだろ、ってことだよ。メモにも書いてなかったんだから、思い出せなくても仕方ねーって」

「ああっ!? なにいきなりメタ発言してんだよ! メタ発言ダメ絶対!」

「なんだよ! 自分だって冒頭で主人公かつ筆者とか初っ端からメタなこと言ってるじゃねえか!」

「あ、言った! そういえば言った! ごめんメタ発言もアリ!」

「な。ていうかむしろさ、こんなメモに残してもないしまともに立ち寄ってもない場所のことを覚えてただけでもすげえと思うよ、あたしは」

「‥‥そうかな。そっか‥‥ありがとな、きょーこ」

「気にすんなよ。あたしたち、相棒だろ」

 そうしてくらうときょーこはお互いの絆を確認し合い、ガッ、と友情の握手を交わす。もちろん大きさが違いすぎるので、握手しているのはイメージ映像だ。

 と、全力でメタな会話をしながら何かしら渦潮に関連のあるはずのなんだかよく思い出せない建物から出ると、不意に「ぬお、ぬおっ」とかつてないほどモアイヌが何かを主張し始めた。

 たった2回の、ともすれば聞き逃してしまいそうなほど覇気のない声だったが、これまでほとんどまともなアクションをしてこなかったモアイヌがここまで行動を起こすのは珍しい。

 などと思いつつモアイヌが見ている方向に視線を向けると、お土産屋などが建ち並ぶ向こうに通路があるようだということに気づく。

 そちらへ向かってみると、さらに奥へ進めばどうやら渦潮を見られるらしいっぽい看板か何かが確か立っていたような気がする。

「‥‥なんか記憶の曖昧さを悟った途端大胆になったな」

「いやまあ、正直こと細かに思い出すのは無理だと思ってたし」

 その道を進んでゆくと、なぜかそこは山道、というか木々が生い茂ったうっそうとした道へと続いていた。

「ええー‥‥なあ、これ道あってんの?」

「うーん‥‥看板立ってるし、一応整備はされてるみたいだし‥‥」

 ちょっと不安になるふいんきの道だったが(どれくらい不安に感じていたかというとふいんきがなぜか変換できないくらいだ)、他に進む道もないのでとにかくその道を進んでみることに。

「なあ、あたし今のふいんきがなぜか~、っていうネタどっかで聞いたことあるんだけど。もしかしてなんかのパクリか?」

「いやいや、オレの書いた別の小説のネタだよ。自分のだからパクリじゃなくて使いまわしだから大丈夫!」

「‥‥メタ発言も認めた途端大胆になったな」

 ざくざくとそんな山道を進んでいくと、やがて視界が開けて見えてくる景色。そこにはお土産屋が立ち並び、霞がかった海の向こうの対岸に向かって大きな橋が伸びている。

「おっ、ホントにこの道であってたのか。わっかりづらいなあ」

「まあ、きっと大人の事情があるんだろ」

 愚痴めいたきょーこの言葉を適当に流しその場所へ向かってみると、そこで発見したのは【渦の道】なる建物。

「なんだこれ。ここで渦潮が見れんのかな」

「えーっと‥‥うん。ここに入れば足下に海を見下ろせるみたいだな」

「なるほどなー‥‥おっ、くらうこれ見ろよ! 今ちょうど渦潮が出てる時間らしいよ! 運がいいなあたし達!」

 建物の前の看板には渦潮の発生時間が記載されており、見ると確かにその時間は現在時刻とほぼ一致していた。

 意気揚々と建物に入り、受付で入場料を払う。大人料金だと500円必要なようだ。まあ、観光名所としてはこんなものだろうか。

「なあ、あたし達はお金いらないのか?」

 くらうの後頭部付近で正面から身を隠しているきょーこが、1人分の料金を支払うくらうにこっそりと尋ねる。

「まあ、人外は無料でいいんじゃないかな」

「なんだよ、もしかしてあたしの存在をバカにしてんのか」

「してねえよ。至極まっとうなことを言っただけだろ」

 この【渦の道】なる施設はどうやらここから淡路島へと続く道、大鳴門(おおなると)(ばし)の下に設置された渦を見下ろすための道のようだ。壁はほとんどの部分がガラス張りとなっており広く外の景色を見渡せ、足元も所々がガラス張りとなっており、眼下に海を見下ろすことができる。道は最奥まで数百メートルといったところだろうか。途中途中に椅子や案内板も設置されており、渦を見るのみでなくゆっくりと過ごせる場所になっているらしい。

 くらうはとりあえず一番奥まで行き、ガラスに張り付くようにして渦潮を見下ろす。

「‥‥なあ、あれかな?」

「んー、どうだろう。なんか波が荒れてるようにしか見えないな」

「ていうかあたし思うんだけど‥‥なあ」

「ああ、オレも思った‥‥」

 くらうときょーこは一度顔を見合せて、

『支柱でぜんっぜん見えねーよっ!』

 むきっ、と額に青筋を浮かべ、声をハモらせて叫んだ。

 おそらく上が車道なこともあり、大勢の人が入っても大丈夫なように強度を高くする必要があるのだろう。それにしても、窓から海を見降ろそうにもどの位置に行ってもすぐ前方を鉄の支柱が視界を阻んでおり、上手く下を覗き見ることができない。

「あーくそ、まあ渦があんまりはっきりしてないってのもあるけどさー‥‥」

「でもさっきの看板ではちょうど今の時間だったじゃんか」

「まあ、少しくらいはずれることもあるだろうし、天候とかによっても上手くできたりできなかったりするんじゃないの? 実際今、時間はあってるのにちゃんとできてないみたいだし」

「えー‥‥あー、ほんとだ。床から見ても、ちゃんとできてないや」

 きょーこが床に下り立ってガラス張りの床を覗き見ているが、そこには少し荒れている程度の海が広がっているだけだ。

「ちぇー。あたしけっこー楽しみにしてたんだけどなー」

「こういうこともあるさ。名所の雰囲気を味わえただけでも良しとしよう」

「あ、見ろよあそこ。アンケートがあるよ。せっかくだし書いていこう」

 見つけるなりきょーこはひょいひょいと移動してアンケートがある机に移動し、そそくさと用紙に記入をはじめた。少し遅れてくらうが追い付き見てみると、来場人数の欄の2人のところに○がつけてあり、その下に+1匹と付け加えられていた。何気に律儀な子だ。いや、きょーこを1『人』と勘定しているところにツッコむべきか。

「えーっと、性別・男性‥‥年齢・気持ちはいつまでも20代。職業・自由業(仮)、名前・PNくらうでぃーれん‥‥」

 書く必要のない部分まで、枠の外にはみ出してなぜか付け加えて書いていくきょーこ。いや、心も体も間違いなく20代なんだけど。というかまんざら間違ってはいないが、恥ずかしいのでやめてほしい。

「あれ、大変だくらう。来場手段のところに自転車がないよ」

「え、マジか。チャリできてる人少なくないと思うんだけどな」

「だよな。外にもけっこーいたしな。まあいいや、その他にまるしとこう」

 きょーこはその他に○をつけ、後のかっこの中にエミリア、と書いていた。いやだから間違ってはいないんだけど‥‥。

「これ入口んところで渡したら粗品くれるんだってさ。おやつかな」

「まあそれだったら嬉しいけど、違うだろ」

 一通り内部を見て回り、帰り際にきょーこが嬉々として頭の上からアンケート用紙を差し出していた。一瞬施設の人がぎょっとしていたが、どうにかごまかしきょーこの存在はギリギリ隠し通す。

「ったく、バレちゃいけないんじゃなかったのかよ」

「あはは、まあそういうこともあるって。で、なにもらったんだ?」

「ポストカード。まあ、思い出程度かな」

 くらうは言い返す気力も失せ、きょーこの前でポストカードをひらつかせた。

「なーんだ。食べらんねーじゃん」

 渦の道から出、時刻を確認すると13時過ぎ。ちょうどお昼時の時間帯だ。くらうは海に向きあうように設置されたベンチに腰掛け、昼食をとることにする。

「昼メシどーすんだ? ここまでなんも買ってなかったけど」

「ふふふ、準備は万端だぜ」

 じゃーん、とくらうはバッグの中からサランラップに包まれたおにぎりを取り出した。朝炊いていたご飯で、実は昼用のおにぎりも作っておいたのだ。

「‥‥なーんかケチくせーな」

「うるせーな。貧乏旅行なんだから、できる限り節約しないと」

「貧乏旅行っつーか、くらうが貧乏性なだけだろ」

 と、呆れるきょーこに目を向けると、きょーこはなぜかポッ○ーをポリポリとかじっていた。

「‥‥何食ってんの」

「見りゃわかんでしょ。○ッキーだよ」

「じゃなくて、どうしてそのようなものを食っておるのだ、って質問をしてるんだよ。ていうかそんなもん持ってきてなかったろ」

「魔法で作ったんだよ」

 一瞬の間。

「‥‥え、えっ!? なんだよそれ。きょーこ、魔法とか使えんの!?」

「あったりまえだろー。あたし魔法ストラップ少女なんだから」

「まほっ‥‥!? 何その新しいジャンル!?」

 驚愕の新事実だ。今初めて耳にするジャンルだが、もし既にどこかにそんなものがいたとしたら、それはもう商業目当てで生み出されたとしか思えないキャラクターだ。

「知らなかったのかよ。色々できるけどさ、お菓子の加工くらいはらくしょーだね」

「加工‥‥?」

 ツッコミたいことは山ほどあるが、その言葉に何か引っかかり、ふと思いついてバッグを開くと案の定、エネルギー補給用に買っておいたチョコレートの封が切られていた。

「ちょ、おま、勝手に食うなよ!」

「いーじゃんちょっとくらい。これ1箱作るのに1個しか使ってないんだしさ」

「いやいや、このチョコは疲労がヤヴァい時の取って置きなんだから、無駄にすんなって!」

「だいじょーぶだって。1つ2つ変わんないって」

「あーもう‥‥食い過ぎんなよー‥‥」

 言ったところでするりと笑顔でかわしやがるきょーこに、くらうはそれ以上言うことを諦め、今度こそ腰を落ち着けておにぎりを貪った。

 目の前には大鳴門橋が海を越えて向こう岸まで伸びており、その上にかかる空は曇天。今すぐに降りそうというわけではないが、明日は危ないかもしれない。

「あそこの道がさっきまであたしたちがいたとこだよな」

 きょーこがぽりぽりとポ○キーをかじりながら、橋の下にくっついている通路を示した。

「そーだな。こっから見るとだいぶ短く見えるな」

 正確な長さは450mだそうだ。中にいる時はきょろきょろと歩いていたこともありそれなりの長さに思えたが、外から見ると橋が長いせいか、すごくささやかな場所に見える。

「あれ、モアのヤツあんなところでなにしてんだろ」

 見ると、いつの間に移動したのか、モアイヌが備え付けられた望遠鏡の上に立って橋を見つめていた。

 きょーこも同じように望遠鏡の上に上ると、モアイヌと2人で橋を見つめる。

「‥‥なるほどな。モアは今、大気からエネルギーを得てるんだよ」

「え、マジで。こいつの活動源って大気のエネルギーなのか」

「間違いないね。まったく、エコロジーなヤツだな」

「まあ、確かに動作は常にエコモードだけどさ」

 なんだかよくわからないが、きょーこはモアイヌを理解しようとしているらしい。果てない目標だが、勝手に頑張ってくれればいいと思う。

「んじゃモアイヌの充電が済んだら出発しようか」

 言うと、すぐにのそのそとくらうの肩の上に戻ってくるモアイヌ。すでに充電は完了していたようだ。いやまあ、本当に充電していたのかどうかは知らないけれど。



「お待たせ、エミリア」

 再び生い茂った道を戻って駐輪場。くらうは簡単に道を確認してから自転車にまたがる。

「次はどこ行くんだ?」

「こっから徳島市に行って、とりあえず今日はそこで一泊」

 尋ねるきょーこに簡単に説明しながら、くらうは坂を下り始めた。きょーこはすでに襟元に隠れているので振り落とされる心配はない。

「今日はここだけかー。で、どこに泊まるか決めてんの?」

「うん、今日はモゲの家に泊めてもらう」

 くらうが言うと、きょーこはぽかんとした顔でくらうを見上げる。

「‥‥え? どこに泊まるって?」

「だから、モゲん家」

 きょーこはぱちぱちと瞬きをし、

「え、それ人の名前かよ!? なんだよモゲって!」

 予想外に激しいツッコミをもらってしまった。

「いやまあ、あだ名なんだけど」

 モゲは高校の時の友人で、現在は徳島大学に通っているため、あらかじめ連絡をして今日泊めてくれるよう頼んでいたのだ。そのあだ名は高校1年の時についたもので、最初はあまりにあまりなそのあだ名に本人も嫌がっていたが、やたらとしっくりしていたため、かなり早い段階で浸透してしまい、いつしか本人も抵抗することを諦めていた。

 まあ実のところ、モゲというあだ名を浸透させたのはくらうだったりするのだけれど。

「へえー‥‥まあなんでもいいけどさ。じゃあ、これからそのモゲって子の家に向かうんだね」

「そーいうこと」

 徳島市へ向かう道はほぼ下り続きのため、これ以上ないほど快適だった。上りの時の半分も時間をかけることなく、さらにはほとんどペダルを踏むことすらなく、くらうは再び元の国道へと復帰する。

「なんかさー。国道って道が整備されてて走りやすそうだけど、自転車に不親切な道が多いんだよなー」

「そういやそうだな」

 速度が落ち着いてきたので頭の上に戻ったきょーこも納得する通り、市街地はまだしも少し街から外れたあたりの道は、まっすぐ進みたいのに自転車道を辿ると横道に逸れてしまったり、ものすごく遠回りをしないと直進できない道などが所々にあり、そういう点で非常に走りづらいことが多かった。とはいえ小道は小道で、整備されていなくて走りづらかったりするのでなかなか難しいところなのだが。一番楽なのは、信号もなく道もきれいなことが多い山道かもしれない。ちょっと坂が多いのはしんどいけど。

 実際この徳島市を走っている時も、一度はバイパスに復帰するための道が突如無くなり大回りをするはめになり、一度は真っすぐ進みたいのに自転車道は横道にしか伸びておらず、無理やり信号も横断歩道もない道を突っ切らなければならなかった。

 少なからずのストレスをためながら市街地を走っていると、前方の光景にきょーこが楽しそうな声をあげた。

「おっ、橋が見えてきたよ。海を渡るんだね」

「いやいや、渡るわけない‥‥けど」

 何を言っているのかと呆れるくらうだったが、しかしすぐに見えてきたその光景に、きょーこがそんなことを言ってしまうのも頷ける気がしてしまった。

「‥‥うわあ、すっげえなあ」

 思わず感嘆の声をあげるくらうの前方を横切っているのは、名前だけなら耳にしたことがある人も多いであろう、かの有名な四国最大の一級河川・吉野川だった。

 川の向こう岸ははるか遠く、長大な橋の向こう側にあり、そんなわけはないと知りながらも、一目見ただけではそんな勘違いをしてしまうこともあるかもしれないと思ってしまうほどだ。

「こりゃあ佐々ヶ瀬川なんか相手にならないなあ」

「なんだよそれ」

「いや、地元にある川なんだけど」

「んなもんと比較してどーすんのさ」

 長い長い橋を渡って広大な吉野川を越えると、景色は途端に市街地の様相を色濃くする。もう少し先に行けば、待ち合わせ場所の徳島大学が見えてくるはずだ。

「前に1回来たことあるからわかると思うんだけど‥‥あ、あったあった」

 やはり国道沿いの建物は見つけやすい。くらうは徳島大学たどり着くと、モゲに到着のメールを出す。

「今から連絡すんのかよ」

「そりゃ、正確な到着時間とか全然わかんないし」

 しばらくは門の前で待っていたが、大通りに面しているため居心地が悪くなり、キャンパス内のベンチが並ぶ場所に避難する。そこでももうしばらく待っていると、ようやく彼が迎えに来てくれたようだった。

「おう、ひさしぶりー」

 相変わらずの気の抜けた声をかけてきた彼こそが、ウワサのモゲその人だった。体を構成する9割近くが骨と皮でできている、もやしっ子と言うのももやしに申し訳なくなるほどひょろりとしすぎな白い体に、開いているのか閉じているのかわからない線のような細い眼。久しぶりだというのに、モゲは以前と何一つ変わっていないようだった。

「おお、こいつがモゲか。そのあだ名がしっくりくる理由がわかったよ‥‥」

 きょーこが肩の後ろ辺りに身を隠し、ぷるぷると震えて笑いをこらえながら、すごく失礼な呟きを漏らした。

「え、てかホンマにそのチャリで来たん!?」

「いえす、まいろーど」

「アホじゃろ」

「褒め言葉」

 昔と変わらないくだらない会話をしつつ、くらうはモゲのアパートに案内してもらう。モゲの家は大学から数分の場所にあった。

「おじゃましまーす。おお、池内もいるじゃん!」

「おお、(本名)! 久し振りー」

「あああ、ここでは呼び名はPNくらうでヨロ」

 モゲの家に遊びに来ていたらしいのは、こちらも高校時代の同級生の池内だ。

 馴染みの友人宅なら堅苦しくなる必要もない。くらうはどっかりと荷物と腰を降ろすと、遠慮なくくつろぐ態勢へと移行した。

 そうして3人でバカ話をしながら思ったのが、長らく徳島にいるはずのこの2人だが、驚くほど方言が抜けていないということだ。まあかくいうくらうも、全く香川の方言には染まっていないのだが。

 パクパクと菓子やジュースをつまみながら盛り上がっていた3人だったが、ふと池内が口にしている飲み物を見てモゲが訊ねた。

「池内なに飲んどん?」

「え、水」

「はあ!? カブトムシかよっ!」

「‥‥‥‥?」

 一瞬、くらうと池内はそのツッコミの意味を理解できず、動きが止まる。そしてしばらくその意味するところを考え、

「いや、水くらい飲むし」

「え、カブトムシってそんな水飲むっけ」

 考えてもわからなかった。モゲは昔から時々ワケがわからない。

 そうしてしばらく盛り上がり、夕飯も食べ終わり池内が自宅に帰ったときのこと。

 突如モゲが、悪魔のような提案をしてきたのだった。

「なあ、ちょっと飲もうや」

 そう、お互いもうとっくに二十歳に達している上、時間はすでに夜。友達同士で集まればこのような流れになるのは当然ともいえる。

 とはいえ、くらうは明日も朝からがっつり自転車をこがなければならず、今日だって何時間もこぎ続けで体はすっかり疲れてしまっている。できることなら今すぐにでも寝たいし、そうすべきだろう。だから当然答えは――

「イイネ!」

 ということで近所のスーパーにお酒を買いに行くことに。出かける直前、バッグの中に隠れていたきょーこの大きなため息が聞こえた気がした。


 酒とつまみを買って帰り、モゲと2人で宅飲みスタート。先程までは近況報告だったり高校時代の思い出話だったりであったが、ここから先は会話内容の9割近くが下ネタだった。そしてこんな話ばかりしているのは、酒が入っているからというばかりでもない。モゲとは高校時代からよく、帰り道などにこんな話ばかりして大盛り上がりしていたのだった。

 何年経っても、変わらない部分は変わらない。いつまで経っても変わらないものがあるって、とても素晴らしいことだと思いませんか?(晴れやかな笑顔で)

「最っ低だな‥‥」

 きょーこの呟きは軽く受け流しつつ、お気に入りのサイトやジャンルなどで大爆笑していた2人だったが、日にちをまたいでしばらく経った頃、かなりふらふらとしてきた2人は半ば酔いつぶれる形で就寝することとなった。

 聞いたところによるとモゲも課題やら何やらでその日はほとんど寝ていなかったらしく、お互い普段からすれば大した量ではなかったにもかかわらず、ぐでんと情けなく倒れ伏すことになるのだった。

「‥‥くらう、ほんとにアホだな」

 きょーこの何度目かになる呆れた呟きをどこか遠くに聞きながら、くらうは気分よく眠りに落ちてゆくのだった。


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