10、 3月15日(8日目)・そして高松へ‥‥
朝起きたのは6時半頃。寝て起きると、さすがにお腹は幾分かすっきりしていた。
目を覚ますとすぐに荷物をまとめ、出発の準備をする。
「じゃあ、オレはもう行くよ」
「うん、帰れたらメールしてや」
「わかった、ありがとうな」
簡単に別れとお礼を済ませてくらうはたっちーの家を後にした。
「今日はもう一気に高松まで帰るんだっけ?」
「そう、今日は最後にして最もしんどい1日となるだろう(予言調)」
「そーいや昨日言ってたね。180kmあるんでしょ? ホントに大丈夫なのか?」
「もう明日がないと思えば頑張れるはず。それに、もう野宿はイヤだ」
「あー、なるほどね」
今日も運よくカラオケ屋が見つかるかどうかもわからないし、また寒さに震えてほぼ徹夜をするくらいなら、無茶をしてでも高松まで帰るのが得策だろう、というのがくらうの考えだ。
「どのくらいかかりそうなんだ?」
「一度も休まず最後まで平均速度を保ったとしても9時間。でもまあそんなの不可能だから、11時間か12時間はかかるんじゃないかな」
「‥‥なあ、それってかなり無茶苦茶だよな」
「無茶苦茶なんて言葉じゃ片づけられないな。距離も時間も頭おかしいと思う」
「あと自転車もね」
昨日は温泉に浸かり、屋内でゆっくりと睡眠もとったおかげで、今現在はいくらか走れそうではある。だがきっと、おそらく、多分ほぼ間違いなく、1・2時間後にはへばりこの決意を後悔することになるだろう。
とにもかくにも、無茶をする前に朝ご飯を食べなければならない。松山を出て1時間強ほど走ったところで見つけた定食屋で、くらうは一度足を止めた。
「まあ朝メシはこれで勘弁してやるよ」
「ん、この先まともなメシ屋があるかわかんないからな」
てきとーな菓子パンとかではなかったおかげか、きょーこも幾分か機嫌は良さげである。
「そういえばさ、愛媛にもなんか、ながーい尻尾みたいな岬があるじゃんか」
「あるな。ながーいやつ」
西側に伸びる佐田岬のことだろう。
「あそこには行かないの? もしかしてあそこも道とかが危ないのか?」
「あー、いや、そういうわけじゃないんだけど」
答えるくらうはどこか歯切れが悪い。
行くならば昨日松山に行く前に寄るはずだったのだが、とある理由で佐田岬も足摺岬同様、パスすることにしたのだ。
「なんだよ、はっきり言いなよ」
「いいだろう、はっきり言ってやる。めんどくさかった」
「はあ!?」
一転してこれでもかとはっきり述べるくらうに、きょーこは素っ頓狂な声をあげる。
「なんだよ、えらいてきとーだな」
「まあなんだ、いい加減脚も限界がきてるし、下手な寄り道はできない。その寄り道のせいで途中で断念することになったらアホらしいだろ」
「まあ、そうかもしれないけどさ」
「もともと絶対寄ろうと思ってた場所でもないし、大した執着もないから別にいい。たっちーも無理して寄る場所でもないって言ってたし」
「そうなのか」
「そうなのだ。余裕があればしまなみ海道も寄ろうと思ってたけど、余裕がないからこっちもパス。まあ、また気が向いたら自転車旅行したいと思ってるし、その時にでも行けばいいさ」
「なるほど、ここでフラグを立てておくんだな」
これが何のフラグであるかは、いつ掲載できるかわからない次作にご期待ください。
手早く朝食を終えると、くらうはすぐに自転車を走らせた。
到着が夜になることは確定だが、できる限り夜に走る時間は短くしたい。距離が途方もないせいで、到着時間のおおよそすら予想できない。休み休み行くことになるだろうが、深夜になることだけは避けたいものだ。
急ぎたい、とは言っても全てを無視して一心不乱に走り続けるのはやはりもったいない。くらうは最初に見つけた道の駅で、再び足を止めていた。
どこか市場のような雰囲気の少し古くて静かな雰囲気の店だったが、お目当てのものを発見でき、くらうはうおっ、と喜びの声をあげる。
「きょーこ! 見ろ見ろ、みかんジュースいっぱいあるぞ!」
そこに置かれた小さな冷蔵庫の中には、待望のみかんジュースがいっぱいに敷き詰められていた。しかも単なるみかんジュースではない。いよかん、温州みかん、でこぽん、甘夏といった様々な種類の柑橘類のジュースが取りそろえられているのだ。これはテンションをあげずにはいられない。
「うおお、ホントだすげえ! とりあえず全種類買ってみようよ!」
「ふざけんな買うもんか。そうだな、2種類までな」
「なんでだよ! もう最後なんだからケチってんじゃねえよ!」
「ケチじゃねえよ! そんないっぱい買って飲みきれるかよ! 重いし荷物にもなるだろ」
そこにあったジュースは1本250mm。ビンのジュースで大きさもそこそこあり、ただでさえ重いというのに、一時でも荷物を増やすのは好ましくない。
「ちぇー。それじゃあ‥‥これと、これ。特に理由はないけど」
きょーこが選んだのはいよかんと温州みかん。くらうも特に飲みたいものがあるわけでもなく、異存はない。
「あ、なあなあ、ついでにこれも買ってみようよ」
レジに向かう途中、きょーこが見つけたのは【みかんジュレ】なるものだった。ゼリー状のものが吸い出し式の入れ物に入っており、言ってしまえばウィ○ーのみかん味のような雰囲気だ。
「んー、まあ1つくらいなら。2種類あるけどどっちにする?」
「じゃあ、みかん&れもん」
「はいよ。‥‥もう1種類って何味だったっけ」
「おっ、また『悠久なる時の流れに埋もれし彼方の記憶が発動してるんだな』
「あー、みんなのトラウマだよな」
会計を済ませると、さっそく外のベンチにてまずはいよかんを開栓し、ごくりと1口。
「へえ、すげえな! さすが100%だよ。ホントにそのまんまみかんの味がする!」
「‥‥ああ、そうだな」
きょーこはぷはあ、と大満足のようだが、対するくらうは若干表情が苦い。
「どうしたんだよ。まさかみかん苦手なのか?」
「いや、好きだよ。超好き。ただな、果汁100%のせいで、唇にすっげえ染みる‥‥」
「ああ、そういやいつか唇が荒れてるとか言ってたな。まさかあの時からここの伏線張ってたのか!? なんて地味でどーでもいい伏線なんだ!」
「荒れてるなーとは思ってたけど、まさかこんな所に繋がってくるとは思わなかった‥‥」
ビンに口をつける度、ものすごくヒリヒリする。美味しいが、素直に味を楽しむことができない。
「もう無理だ。温州みかんはまたあとで飲もう」
「えー、なんでだよ!」
「マジで痛い。もうむりぽ」
「じゃああたしだけ飲む」
「わかったわかった。全部は飲むなよ」
「へへ、わかってんじゃん。お、温州みかんのほうがだいぶ甘いんだな!」
きょーこが嬉しそうでなによりだ。
そこからしばらくもしないうちに、また別の道の駅へとたどり着く。ペースは落ちるが、適度に休めるのはありがたい。
売店を覗いてみると、こちらは小ぎれいなお店でお土産などもたくさん置かれている。その一角のアイスクリームケースを発見し中を見てみると、そこにはアイスクリンが置かれていた。アイスクリンといえば確か高知だったはずだが、高知では食べてないし、ここで食べるのもアリかもしれない。
「どーしたんだよくらう。今日は太っ腹じゃん。やっと貧乏性が治ったのか?」
「まあ、最後だしなー」
「なあ、ここにもみかんジュース置いてあるよ」
「どれどれ‥‥なにっ!?」
促されて見ると、先ほどの店と同じように、そこには数種類のみかんジュースが置かれている。しかし――
「これ‥‥さっきの所とほとんど値段変わらないのに容量倍じゃねえか! くっそー‥‥こっちで買えばよかった‥‥」
「‥‥ちょっとでも見直したあたしが間違ってたよ」
呆れるきょーこだが、しかしこれは由々しき問題である。だってすごく悔しい。
ということでここでも1本購入することに。味はでこぽんだ。
「‥‥荷物増やしたくないんじゃなかったの?」
「これはそういう問題じゃない。もっとこう、世界規模の問題だ」
「ちっちぇえ世界だな‥‥」
「まあまあ、アイスクリンでも食って元気出せよ」
「まったく、しょうがねえなあ!」
一瞬で上機嫌になった。たいがい単純なヤツだ。
しかしアイスクリンは本当に美味しいと思う。似たようなものを何度か食べたことがあるが、ほどよい甘さで優しい味がして、すごく食べやすい。すでに疲れが出始めているが、冷たくて気持ちいいし甘味補給としては最適ではないだろうか。これでもうひと頑張りできそうだ。
ちなみにでこぽんジュースはやっぱり唇が痛かった。でも買ったことを後悔なんてしない。後悔なんて、あるわけない。
「‥‥脚がすでにヤバい件」
くらうが突如スレを立てたのは、道の駅【今治湯ノ浦】。湯、と名前にあるように、どうやら温泉も併設されているようだ。入らないけど。
時刻は現在、正午よりは少し早い時間。その時点でこの状態では、先が思いやられる。
「ちょっと休憩したいし、いいもんがあれば昼メシ食っておくか」
「イイネ!」
その道の駅は中に食堂があり、食券を買うタイプの店のようだ。
「鯛メシ、じゃなくて鯛釜めしってのが、ここのオヌヌメらしいな」
「愛媛といえば鯛メシじゃんか! 釜めしでもいいよ、食ってこう!」
「待て、待て。よく値段を見ろ。これ、950円もするぞ。1食ほぼ千円て、高すぎるだろ!」
くらうの主張に、きょーこはじっとりとくらうを睨みつける。残念だがきょーこ、そんな目をしたって値段は変わらないんだよ。
しかし確かにこの鯛釜めしなるものはとても美味そうなことは事実。とはいえものすごく高い(個人的な感想です)ことも事実。が、今日で多分最終日なこともまた、事実。
「‥‥むぅ」
悩み、悩んで、悩み抜いた末に、くらうはようやく結論を下した。
「‥‥しゃーない。せっかくだし食っていこうか」
「いやっほーう! そうこなくっちゃ! いやー、見直したよくらう。そうやってちょっとずつ貧乏性を治療していこうな」
なんだかいつの間にか、きょーこにびんぼーしょーだと言われることに慣れてきてしまった。というか、いい加減否定できなくなってきただけかもしれない。
震える手を必死に抑えつけながら食券売機に野口を突っ込み、鯛釜めしのボタンを押すと野口の代わりに小さな紙がするりと下のお口(もちろん性的な意味ではない)から吐き出される。チャリーン、と返却される50円の音がやけに虚しい。
厨房のおばちゃんにお願いします(震え声)と言って食券を渡し、席について出来上がるのを待つ。
「ああ、千円もあったら何が買えるかなあ」
「なんかもう、末期だな。不治の病かもしれない気がしてきたよ」
しばらくすると、ようやく千円の釜めしがくらうのもとへやってくる。
丼は極端に大きくも小さくもない、ありがちな大きさだ。どのような盛り付けだったのか詳細は大人の事情で話せないが、とりあえず釜めしだった。べ、別に忘れたわけじゃないんだからねっ。
普段は自炊をしており、外食など滅多にしないくらうにとっては、このサイズで千円など衝撃的である。頑張れば丼物だって、100円もあれば十分作れるのに。
しかしだからこそ、これは心して食べなければならない。
「よし、いただきます!」
気合いをいれ、パシンと手を合わせるとその右手にお箸を携え、そっと丼の中へその先端を差し込んだ。しっかり炊きこまれたご飯をゆっくりと掬いあげ、そっと口の中へ運ぶ。そして、
「!」
衝撃を、受けた。
「美味っ!」
美味いものを食った時は毎回同じ反応をしている気がするが、気にしない。気にならないほど、美味かった。
特製の出汁を使っていると説明書きがあったが、その出汁の味がしっかりとご飯に染み込み、鯛の旨みと相まってお互いの味を高めている。あっさりとした味で、疲れている体にも優しく染み込んでくる。つまり――美味い。
「うん、これはホントに美味いね。比べてないからわかんないけど、鯛メシより美味いんじゃないの」
「これなら十分ありえるな。なんだかんだでオリジナルが一番美味いとはいうけど、じゃこ天よりじゃこカツが美味かったみたいに、派生形のほうが美味いってこともあるんだな」
「個人的な感想です」
「お、おう。そうだな。補足ありがとう」
1口食べただけで途端に千円が惜しくなくなった。こんなもの自分じゃ作れないし、ご当地料理は勇気を出して食べてみるものかもしれない。
「ふー、美味かったー」
あっさりと釜めしを完食し、くらうは満足げな息を吐いた。
「さて、満足はしたけど、こっからが正念場だな」
「少年場っていうとあれか、ショタBLか」
「ちょっと海にでも飛び込んできたらどうだ?」
ここまでは途中に道の駅が多くあったこともあり、かなりのんびり走ることができた。にもかかわらずすでに脚はだるんだるんになっている。ではこの先走り続ければどうなるかというと‥‥想像に難くない。いやむしろ、想像もつかない。
「でもさ、こんな中途半端で諦められるわけねえだろうが! オレは絶対、最後までやり遂げて見せるぜ! オレだって本気だせばこのくらいできるんだって、証明してやろうぜ!」
「く、くらうくん‥‥(潤んだ瞳で頬を染めながら)」
と突然の青春モノのノリでテンションをあげ、くらうは最後のひと踏ん張りと自分に言い聞かせて出発地であり目的地でもある高松へと自転車を走らせるのだった。
道の駅を出てからあとは、坂道も減ってきたおかげで極端に疲労が溜まることはなくなったが、しかし走る距離が長くなればなるほど脚は少しずつ天に召されはじめる。そして整備の行き届いていない道も多くて走りづらい。車道は自転車が走れるほどのスペースがなく、歩道はガタガタしていて少し危険だ。
何より辛かったのは香川に入る少し手前の工業地帯というか、様々な工場が密集している地帯。やたらと巨大なトラックや極端な大型車やらがすれすれの真横を通っていくという言いようのない恐怖。道も狭いので避けようがなく、とにかく早く抜けたくてどれだけしんどかろうがかなりのハイペースで突っ切ってしまった。おかげで余計な疲労をためる羽目に。
「‥‥うあー、どうにか香川に突入したけど、マジで脚ヤバい‥‥。あと何kmあるんだろ‥」
くらうがようやくゆっくりと脚を休められるようになった場所は道の駅【とよはま】。愛媛との県境すぐ近くに建てられており、香川に突入したとほぼ同時に現れた場所だ。店の前のベンチに座り、ぐったりと倒れる。時刻はすでに夕方5時前。少しずつ日も沈みはじめ、いつもならそろそろ寝場所のことを考えなければならない時間だ。
「やっぱ2日に分けた方がいいんじゃないの?」
「それはダメ。今朝の気温からしても、何も見つからなかった場合野宿出来るとは思えないし」
それに2日に分けるとしたら、翌日は残り数十kmだけとなり、ほんの2、3時間で高松に到着することになるだろう。そんな距離で1日空けるというのも、なんだかバカバカしいような気がする。
「まあとりあえず、なんか見ていくか」
一息ついてから、現住の高松とはいえなにかあるかもしれないと店の中へ。鯛釜めし以降口にしたものといえば飲み物とジュレだけだ。ちなみにジュレはほどよい甘さで食べやすく、予想以上に美味しかった。なにより唇に染みないというのが素晴らしい。
店内はけっこうな広さがあり、お土産屋、市場のような所、食事処といくつかのスペースに分けられている。
「香川といえば」
「うどん」
「くらいしか思いつかないよなー」
あまり期待せず食事処を見ると、大きく【和三盆ドーナツ】と書かれているのが目につく。
「あ、そういえば和三盆も香川だったな。食ってみようか」
「そうだな! ここで糖分補給しておくべきだな!」
相変わらず食い物のことになるときょーこはとても嬉しそうだ。
注文しようと会計のほうへと足を向けると、手元のメニューにはなんとじゃこ天も記載されている。
「あれ、ここにもじゃこ天あるじゃん」
「せっかくだし食おうよ。こっちのほうが美味いかもしれないだろ」
きょーこにせっつかれ、少しどうしようか迷ったが、ここから一気に帰るのなら名産めぐりもこれが最後の機会だろう。くらうはドーナツとじゃこ天を注文し、しばらく時間がかかるということで席に座って出来上がりを待った。どうやら今から作ってくれるようだ。出来立てを食べられるということで期待も高まる。
しばらくすると小さなお皿に乗せられてくらうの前にそれらが運ばれてきた。出来立てのドーナツからはふんわりと甘い香りが漂っている。
「おおっ、じゃこ天も出来たてだとやっぱ美味いな! 昨日のよりよっぽど美味いよ!」
きょーこは早速じゃこ天を頬張り、ご満悦の様子だ。くらうもじゃこ天をかじってみると、確かに出来立てのおかげかどこかふんわりとしており、作り置きだった昨日のよりよほど美味しい。
「んおお、ドーナツも美味えなあ! やっぱ食って正解だよ。くらう、ナイス決断だ!」
にこにこ顔でビシッ、と親指を立てるきょーこは油でベトベトだった。
「んほおぉぉ! おいしいれしゅううう!」
外はちょっとサクッとしていて中はふわふわ、出来たてだから当然アツアツ。ドーナツを1口かじって、くらうは思わずダブルピース。疲労の影響でネジが飛ぶどころか、むしろ下腹部からヘンなものが生えてきたのかもしれない。
ドーナツってこんな美味いものだっただろうか。ドーナツは冷めているのを食べるのが普通だったので、アツアツのドーナツなんて新鮮だ。
「さあ、もう香川に入ったわけだし、あとはホントに帰るだけだな」
「もう無理すんなって言ってもしゃーないんだろうし、まあ頑張りなよ」
極限状態。それが今のくらうを表すのに最適かつ唯一の言葉だった。
日はすでに落ちかけ、辺りは薄暗いがここから先は太い国道が続いているので、街灯も多く視界はそこまで悪くはならないだろう。しかし脚の状態はもはやしんどいとか、だるいとかそんなレベルではない。ただ慣性とか惰性で脚が動いているだけではないかという気すらしているほどだ。
「‥‥オレ、この旅行が終わったら、ベッドでゆっくり寝るんだ‥‥」
「そうだろうな。わざわざ宣言することじゃないだろ」
自らの死期を悟り、せめて潔くフラグを立てるくらうをきょーこは一蹴する。
途中のスーパーに立ち寄り、菓子パンを頬張りながらくらうは少しだけ休憩をはさんだ。少し休んだところでどうにかなるような状態でもないが、さすがに走り続けるには限界がある。
「‥‥あとどんくらいだろ。今丸亀くらいだから、もう少ししたら見慣れた道になってくると思うけど」
見慣れた道に出れば、気分だけでも少しは楽になれるかもしれない。知ってる道というのは短く感じるものだ。いわゆる『地元の人の言う「もうすぐ」はやたら遠い現象』だ。
くらうがこれだけ参っているというのに、きょーこはともかくモアイヌも相変わらずの平常運転。一部でいいからその平常心を分けてもらえれば、少しは楽にならないだろうか。
「よし、もうひと頑張り」
この言葉にも、ようやく現実味が出てきた。現実逃避から返ってくると、気合いを入れて立ち上がる。重い脚で地面を踏みしめ、自転車のペダルに足をかける。
そこでくらうは、自らの体に思わぬ異変を感じる。
「んんっ!?」
――脚が、まともに動かない。
ペダルを踏み込もうにもほとんど力が入らず、どうにかこぎ出すことだけはできたが、加速がつけられないのでのろのろとしか進みだせない。
「マジか‥‥止まったの失敗だったかも‥‥」
「つっても、少しは休まないともたなかったんでしょ?」
「まあ、それはそうなんだけどな‥‥」
脚が温まっていたからこそ、どうにか無理やりにでも走ることができていたようだ。どうにか動かし続けて温められればいいが、このままこの調子が続くようなら、いったい帰るのにどれほどの時間がかかってしまうか予想もつかない。
しかし幸い10分ほど走り続けるうちに、どうにか普通に動かすことはできる程度に温まってきたようだ。だがこうなると、再び止まることはもうできない。
「なあくらう、ふと思ったんだけどさ、『絶対に止まんじゃねえぞ! そのまま、どこまでも走り続けろぉ!』って声高に叫ぶと青春ドラマの1ページみたいだけどさ、『いいか、絶対に止まるな。そのまま、走り続けろ』って低いトーンで静かに言うとすげえヤバそうな状況みたいになると思わないか?」
「えっ、えっと‥‥どうでもいい!」
疲れのせいでツッコミも鈍く冴えない。これはよっぽどだ。
走り続けているうちに、景色が少しずつ見慣れたものへと移り変わってゆく。
ようやく宇多津あたりまで到着したようだ。この辺りを見慣れているのはこの旅行をするにあたり、足慣らしのために何度か訪れているためだ。
ここからくらう宅までは40kmほど。本調子なら2時間あれば行けるだろうかという距離。今なら3時間かかるかどうか、少なくとも2時間半と見積もっておいて間違いはないだろう。
まだまだ遠い。けれど、終わりが見えてくれば、どうにか踏ん張りがきく。
現在の時刻は7時過ぎ。昨日までならすでに寝場所を見つけ、休んでいる時間だ。
「あー、ヤバいやばい。マジでヤバい。一瞬休憩」
「おいおい、休んだらまた動けなくなるんじゃないの?」
「だから、一瞬」
脚を動かし続けることに限界を感じ、道路の端でいったん止まると水分補給をして数秒息を整え、再び走り出す。
「なんかもう、ほんとにいっぱいいっぱいなんだな」
「‥‥こっちだって、いっぱいいっぱいなんだよ」
「は? いきなり何言ってんだよ」
「いや、最近ハマったアニメの個人的超名シーンだよ。この一言とその時の彼の表情でかなり泣きそうになった。これだけでわかった人は多分、オレと同じくらいそのシーンを気に入ってるハズ」
「待て! だからその最近は執筆段階の最近で(略)」
「はっ! 幼少みうなちゃんへの愛があふれて(略)」
ツッコミは冴えなくともいつものノリは健在だ。まだまだくらうも捨てたものではないようだ。
会話内容がどれだけアホなものでも、くらうは限界を越えて脚を動かし続ける。
この辺りからは山やバイパスが多くなり、何度も坂を上らなければならなくなるため、かなり厳しくなってくる。
だけど、もう少し。本当に、もう少しだ。
真っ暗な道を走り続け、『通ったことのある道』から、『いつも通っている道』に出る。そこまで来ると、なんだかむしろ道のりが長く感じられる。いつもだったら気づいたらウチについているが、今は早く着きたくてもなかなか着くことができない。
それでも走りつづければ、辿り着く。
――今みたいに。
「‥‥‥‥」
肩で息をしている、というような疲労ではない。脚だけがだるく、疲労が偏っているようで気持ち悪い。
だけどもう、これ以上無茶をして走らなくていいのだ。
くらうは自転車置き場にエミリアを停めて、そのサドルをそっと撫でる。
「ありがとな、お疲れ様」
「感動のシーンっぽいけどけっこう気持ち悪いぞその行動」
実際にやってしまったのだからタチが悪い。だって嬉しかったんだもの。
ゆっくりとした足取りで玄関をくぐり、部屋に戻る。
ドサリ、と荷物を置いて、
「‥‥終わったあああああああ!」
叫んだ。
達成感なんて言葉では片づけられない。それほどの感動だった。
時刻は夜10時前。
本日の走行距離約180km
走行時間、休憩を除いて約10時間
そして総走行距離、約900km
くらうはついに、折りたたみ自転車で四国一周を達成したのだった。
部屋に着いてくらうはいの一番に――目覚まし時計を確認した。
「‥‥良かった! ちゃんと止めてあった!」
「ってまだ気にしてたのか! すげえな!」
「いや、部屋に入った瞬間思い出した。これで明日からも安心して外を歩ける!」
「どんな心配だよ‥‥。ていうか、まさかあんな何気ないセリフをホントに回収するとは思わなかったよ」
「いやだって、マジで気にしてたんだから」
このエピソードは事実。
くらうはそれだけを確認すると、今朝言ってくれていたのでたっちーと、一応親にも【高松帰ってきたああああ!】とメールを送り、それ以上なにをするのも億劫に、簡単に着替えだけを済ませるとどさりとベッドに倒れ込んだ。
「‥‥きょーこ、モア、お疲れさま」
最後にそれだけを呟いて、くらうは次の瞬間には意識を落とし、泥のような眠りについたのだった。
「ったく、ホント無茶しやがって。まあでも、お疲れさん、だな」
「ぬおっ」
早くもすやすやと寝息を立て始めるくらうに2つの相棒は静かに声をかけると、同じように穏やかな眠りについた。
こうして、長いような短いような、全8日間のくらうの自転車旅行は幕を閉じたのだった。




