前編
ハイエナの生態についてウィキさんで調べたのですが、調べれば調べるほど興味深い生き物ですね。骨まで食べるとか、両性具有だと信じられてきたとか。「サバンナの掃除人」って通り名カッコイイ。
あいつが、彼女と別れたらしい。
あいつと共通の友人から聞いた。
「フラれたんだと。結構、参ってるっぽい。3年近くだっけ?付き合ってたらなぁ。あいつ彼女にゾッコンだったしな」
彼女が社会人になってからはあんまり会えてなかったということも以前から聞いていた。この友人からも、本人からも。
「……で?どうすんの?」
友人がニヤニヤと笑っている。
こちらの考えなどお見通しのようだ。
だから負けじとあたしもニヤリと笑った。
「決まってるでしょ。この千載一遇のチャンス、逃すわけないじゃない」
卑怯だと言われようが、内心ではこの時をずっと待っていたのだ。
成功する確率はかなり低い。
負け戦なのは百も承知。
だが望むところだ、すでに覚悟は出来ている。
あいつの一番の女友達兼良き理解者の立場を、捨てる覚悟だ。
「ふぅん?ま、せいぜい頑張れば」
終わったらあいつに内緒で慰める会を開いてやるよ、とニヤニヤしながらあいつの居場所を教えてくれた。
フラれる前提で話を進めてきたのは腹が立ったが、情報は有難く受け取った。
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あいつ、蓼原融と初めて話したのは、中学3年の時だ。
中学3年の時に、同じクラスになって、出席番号が近いことから、隣の席になった。
あたしはクラスが一緒になる前までは、蓼原のことが嫌いだった。
勉強はまぁまぁだが運動はよく出来て、サッカー部のエース。
適度にバカをやったりもするので男子からも慕われていて友達が多く、クラスの中心的存在だった奴をなぜ嫌いだったのかというと、とても女にだらしないという噂を聞いていたからだった。
告白されたら軽い調子でOKして、二股以上かけることもあるらしい。それでキレられても反省の色はあまり無く、ヘラヘラ笑えば全て許されると思っている。実際3回に1回は浮気してもヘラヘラすれば許されてたらしい。それでもよく顔に傷をこさえていたようだが。
しかし女の敵で最低な奴だったが計算でなく純粋に女子に優しくするから、モテないことがなかった。奴に優しくされた女子は皆、一度は必ず勘違いをしただろう。蓼原くんってあたしのことが好きなのかも!と。天性の女たらしというやつである。
女子から非難を浴びながらも、なんだかんだで許されるやつ。それが蓼原融という人間だった。
あたしはといえば、蓼原の人に無条件に好かれる要素…人からカッコイイと言われるような容姿や抜群の運動神経、人懐こく大らかで時にお調子者な性格など…は普通に好ましいし、すごいなぁと思っていたのだが、噂で聞くような浮気性で女好きなどなどの部分は、どうしても好きになれなくて、嫌いだと見切りをつけて敬遠していたのだった。
今なら、当時のあたしは、自分の持つ価値観と蓼原のそれがあまりに程遠かったから、蓼原自身をも全否定していたのだと分かる。
あたしも精神的に幼かったのだ。昔よりは成長したと思う、うん。
蓼原と隣の席になって彼の人となりを実際に自分で確かめて、なるほどこいつは確かに、女子絡みは除けば、普通に良いヤツだわと思うようになった。
普通に良いヤツ、から気の置けない友人、そして蓼原自身は決して望まないだろう、恋心を抱くに至ったのは、思えばあっという間のことだった。
しかも、至極単純な理由。
あたしは小学生の時から剣道をやっていて、髪が短くて女の子らしくない、中学の時はよく男子に間違えられるような女で。
女の子扱いされたことがほとんどなかったから。
蓼原の女たらしの才能にケチつけていたクセに、まんまと引っかかってしまったのである。
要は、され慣れていない女の子扱いされて、優しくされて、気がついたら、落ちてしまっていた。
本当、なんて単純なんだと自分でも呆れちゃうよ。
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講義が終わった学生たちが教室から吐き出されてくる。
学生たちの大半を見送ったあたりで、とぼとぼ出てきたあいつに、あたしはひとつゴクリと唾を飲み込んだあと、声をかけた。
「よう、シケたツラしてんな」
以前蓼原があたしに向かって言った言葉をかけると、手を振って応じてくれた。
その笑みは、いつもより弱々しく見えた。
「よう、……嘉川から聞いたんだな」
「うん、…聞いたよ」
「まぁその、キミと長年付き合いのあるワタクシと致しましては?キミがやっと本気になった恋の結末まで、しっかり聞き届けねばならんと思った次第ですヨ」
あたしがふざけた色を混ぜながらポンポンとあたしよりだいぶ高い位置にある肩を叩いてやると、蓼原はうぜーと笑った。
少し、目元が赤い気がする。泣いたのだろうか。結構涙もろいのは長年の付き合いで知っていたけど、恋愛ごとで泣いたのは初めてだろうな。
じくり、と胸が痛む。
悲しかっただろうな。だって、あんなに彼女のこと、好きだ愛してる!って惚気てたから。街で偶然見かけた彼女と肩を並べている時のあんたは、あんなに 幸せそうだったもんね。可哀想な蓼原。
つらいだろうな。
でも、
ごめんね、蓼原。
本当に、辛いよね、元気出せよ!って慰めたい気持ちも確かにあるんだけど、心の半分は、いや殆どが、あんたの不幸な失恋に歓喜してるのよ。
やっと別れてくれた、って。
あたしがどれだけ努力してもきっとなれっこない、女性らしくて可愛くてキレイなオトナのお姉さん。何度か見かけただけだけど、優しそうな人だと思った。蓼原に本気の恋を教えた、女性。
あのひとに勝てる気がしなかった。だから、じっと待っていた。もしかしたら、あのひとと蓼原が別れてくれる、そんな日が来るのではないかと。
そしてついにその時は来た。
待ちに待った獲物は、傷付きボロボロで、これまで活き活きと動き回る様をただ指を咥えて見ていることしかできなかった力のないあたしでも、仕留められるのではないかと期待してしまうくらい、隙だらけだ。
「あーハイハイ。確かにお前にはこれまでいろいろと相談に乗ってもらったよ」
「イェス!感謝してよね!あたしもどうやっていじり倒し…じゃなくて慰めてやろうかなーと昨晩寝ずに考えたわけよ」
「ちょ、いじり倒すってなんだよ!傷心なうな融くんに何するつもりだこのやろー」
蓼原がいつものように笑いながらあたしの頭を大きな手のひらでぐりぐりして髪の毛をぐちゃぐちゃにしてくるので、少しだけホッとしながら、ぐりぐりすんなー!と軽く腹に一発拳を入れた。
いつもの距離感だ。この仲のいい友達同士がするようにじゃれ合うことも、最後になるかもしれない。
だけどあたしは。
あたしは、あんたの一番の女友達より、ずっと隣に寄り添える恋人になりたい。
「まぁ元気出せよ!女はあのお姉さんだけじゃないさ!」
「……うん」
「さぁ行こうぜ!」
「うん…って何処にだよ」
「決まってるじゃーん食料とアルコール買いに行くんだよ。鍋にしようよ鍋」
「はぁ?」
「誰かとおいしいもの食べて呑んでワイワイしてたくさん寝て楽しいことが増えれば、辛いことも気付いたら薄れていってるもんだよ!そのお手伝いをしてやろうと言っているのですよ感謝してよねっ」
「…ホント能天気だなぁお前は…しかもお手伝いしてやろう、って単に飲み食いしたいだけだろ」
「えへっバレた〜?あっウチ今汚ないから蓼原んちでやるからね〜」
「すでに決定事項かよ!つか手ぇ引っ張るな!分かったから!」