ファッションセンス
「……まったく、何で誰も分かってくれないんだ」
会社員、辺名氷斗は公園のベンチで一人悩んでいた。彼の悩みとは単純明快、その外見からよく不審者に間違われてしまうことであった。そうそうそんなことはありえないだろう、とお思いの方も多いことだろう。だが、彼のファッションセンスは良くも悪くも壊滅的であった。良くも、というのはどんな人混みに行ってもすぐに見つかるような奇抜な格好、という意味である。悪くも、とは言わずもがな、常に新しいものが飛び交っている現代の社会にすら溶け込めていないその服のセンスである。
ちなみに今の彼は丸坊主にびん底眼鏡、あごひげに白いシャツ、さらには縦縞の茶色の半ズボンである。言うなれば歩く仮装大賞状態だ。だが、本人はそれを至って大真面目に着ているのだから笑えない。彼はその壊滅的なファッションセンスを時代の最先端を行っていると勘違いしているのだ。
「ちくしょう、あいつら馬鹿にしやがって!」
そしてこんな恰好で友人との待ち合わせに出向いたこの男は、案の定友人たちに心の底から笑われてしまい、怒った彼がそのまま待ち合わせ場所から離れ、公園に座り込んで今に至るというわけである。
「今に見てろよ……」
こう呟いては見るものの、いざ具体的に実行しようとするとなると何をすればいいのかよく分からなかった。そもそも見返そうにも彼と友人たちとでは根本的にセンスが合っていない。それは辺名もよく分かっていた。
「こんにちはおじさ……プッ」
「ああ?」
そんな時、頭上から自分を馬鹿にしたかのようなこらえ切れなかった笑い声が聞こえてきて、思わず顔を上げる辺名。そこにいたのは横ハネのショートヘアの女の子だった。小学校低学年ほどに見えるはずなのに、黒いコートに白いワンピースというモノクローム全開のその格好は年齢に合っていないように見えた。
「あ、いえいえすみません。なかなか珍しい恰好をしたおじさんがいるなあ、と思ったのでつい声を掛けてしまいました」
「悪かったな珍しい格好で」
辺名はふてくされる。こんな幼い子供にまで馬鹿にされるとは思わなかったのだろう。
「ああ、勘違いしないでいただきたいのですが、別におかしいとかそう言っているわけではないのですよ。個性的な格好でいいなー、と思ったので」
「悪かったな個性的な格好で」
なおもぶっきらぼうに答える辺名。
「あっ、えっと……」
女の子は困ったように言葉を探す。
「……それで、俺に何か用事でもあるのか?」
このままではキリがないと思い、女の子にこう声をかける辺名。それに、別にこの女の子は辺名に何かしたわけでもない。ただやつあたりをするのでは悪いと思ったのだ。
「ああ、えっとですね……」
すると、女の子はコートのポケットをごそごそと探し、何かを取り出した。
「……名刺?」
この年の子供は名刺なんて持っているのだろうか。辺名だって名刺を初めて持ったのは就職してからである。時代は変わったなぁ、と思う辺名。
「はい!」
元気だな、と思いながらその名刺を受け取る辺名。そこにはこう印刷されていた。
(あなたの変身願望を現実に 淡口美月)
「……何だこれ?」
辺名は疑問に思う。
「はい、あなたの変身願望を叶えるお手伝いを……」
「いや、そこじゃなくて、その変身願望って何だよ?」
女の子は得意げに説明しようとするが、そもそも辺名にとっては変身願望のほうが何なのか分かっていなかった。
「ああ、変身願望というのはですね、その人のこうなりたい、ああなりたい、っていう願望のことです。私はそんな皆さんの変身願望を叶えるお手伝いをしているのですよ」
女の子は事務的な口調で言った。もう何度も聞かれているのか説明口調はすっかり板に付いていた。
「で、俺に声をかけたのは?」
話は分かったが、なぜ辺名に白羽の矢が立ったのだろうか。
「単純に言うなら、勘です」
「勘?」
恐ろしいことを平然と言う女の子。
「はい。早い話が、私が変身したいっていう願望を持っていそうな人に手当たり次第に声をかけているだけの簡単なお仕事です」
足を使う仕事、それはセールスマンの宿命である。辺名自身もセールスマンをしているのでよく分かる。
「簡単なお仕事ねぇ……。しかし、何であんたみたいな小さな女の子がこうやって売り子をしてるんだ?」
最も気になるのはそこだ。そもそも労働基準法によれば、この子ほどの小さな女の子が働けるはずはないのだが……。
「それはですね、私が人の変身をお手伝いできる特殊な能力を持っているからです。まあおかげでこうやってお仕事ばかりの毎日なんですけどね」
「答えになってないぞ、それ」
すると女の子は、仕方ないですね、といったように身分証明書を取り出した。
「一応私は24歳、働ける年齢です。今は訳あってこの姿ですけどね」
確かにそこには淡口美月の文字とともに、様々な身分証明が記載された運転免許証があった。姿形は今よりずっと大人びている。
「どんなトリック使ったんだ……」
「そこは気にしない方向で。それに、私はお金は1円も取っていないので、実際働いているわけでもないんですよ。一種の慈善事業みたいなものです」
「へぇー、慈善事業ねぇ……」
何にせよおかしな話だ。疑い出せばキリがない。胡散臭さも十分なら、向こうの手の内が全く読めない。普通なら宗教勧誘でも疑いたくなるところだが、どうもこのまま何かの宗教に勧誘しようというわけでもなさそうだ。
「で、あなたは何か変身したいものとかないんですか?」
女の子のほうも、これ以上追及されるのは面倒だと判断したのか、自分の要求を先に解決することにしたようだ。辺名も無理に聞くのはやめることにしてこう呟く。
「……変身したいものねぇ」
全くないわけではない。だが、自分のファッションセンスを他の人に近いものにしてくれ、という願いだけは死んでも頼みたくなかった。確かに彼のファッションセンスは人とは違うが、それを他の人に合わせてしまうのも違う気がした。そこで他に何かないか、と考えて、閃いた。
「それは、俺以外の奴にも効くのか?」
彼女の言う変身願望というのが人の変身を手伝うものだとしたら、自分以外の奴にもそれが効くのではないか、と思ったのである。
「ええ、まあできないことはないですけど……。何か変身させたい相手がいるんですか?」
案の定、彼女はイエスと答えた。ならば、話は簡単だ。
「じゃあ、耳を貸せ。今から俺の願いを言う」
「はあ……」
女の子は困ったように耳を近づけた。辺名はごにょごにょと何かを女の子に伝える。
「……ってわけだ。どうだできるか?」
「正気ですか? 確かにほんの少しの間なら可能ですが……」
女の子は驚いたように言う。辺名の言ったことをまだ信じられていない様子だった。
「俺は狂ってもいないし、頭も正常だ。ただ、俺のファッションをあざ笑うやつが許せないだけさ。それがたとえ友人だとしてもな」
「……わかりました。それじゃあ離れててください」
女の子は頷き、辺名を遠ざける。今回の変身にはそれだけ危険が伴うということだろう。
「行きますよ……!」
女の子は人さし指で空を指差した。
「せーのっ、えいっ!」
女の子がそう叫んだ瞬間、辺名の見ていた世界は震え、空間の色がほんの少しだけ、灰色に変わった気がした。それと同時に様々な人の姿が空気に浮かんでは見えた、気がした。女の子は全てを終えて辺見の元へと来た。
「……これで1週間の間は大丈夫なはずですよ。本来の私の能力の使い方とは違いますが、これも立派な変身ですからね」
「ありがとよ。でも、大丈夫だったのか? 一瞬いろいろとおかしなものが見えたような気がしたんだが……」
「あれは本来起こるはずだった未来が浮かんでは消えていったものです。大したことではありません」
女の子はこともなげに言う。
「でも……」
尚も何か言おうとする辺名を、女の子はウインクしながらこう言った。
「そもそもお客のニーズに答えられないのは、私のプライドが許しませんから」
そう言った女の子は踵を返す。
「では、あなたの人生が良いものとなりますように……」
最後の頃には彼女の声は消え入るように小さくなっていた。そして気付いた頃にはやはり辺名しか公園にはいなかった。
(夢、だったのか……?)
辺名は首を傾げるばかりだった。
だが、辺名は先ほどまでの出来事が夢でなかったということを、その数時間後に知ることとなった。その後家に帰ってきた辺名は何気なくテレビをつけたのだが、そこでやっていたのは驚くべき特集記事だった。
「びん底眼鏡に丸坊主! 白いシャツに茶色の縦縞パンツ! あごひげがあればなお良し、今年の男性流行ファッションはこれだ!」
今辺名の着ている服に格好だった。これで、辺名が願った願い事が叶った事は証明された。どうやらあの女の子の言った事は本当だったらしい。
あの時辺名が頼んだこと、それは簡単なことだ。
「ファッション系のテレビに、今の俺の格好を流行のものとして取り上げるように、モデルの意識を変えてほしい。俺のファッションを馬鹿にしたあいつらの目にもの見せてやりたいんだ」
こうすれば、辺名のファッション自体が否定されることもなく、お洒落であると自称している彼の友人たちはそれに影響されて辺名と同じ格好をし始める可能性もある。それは、自分たちが馬鹿にした格好に身を包むという、彼らにとっては何物にも代えがたい屈辱を与えることになるはずだ、と彼はそう考えたのである。仮に彼らがその格好をしてこなかったとしても、少なくともテレビで取り上げられた彼の格好を馬鹿にするようなことはもうないはずだ、と。
「……しかし、ホントにこんなことが起こるとはな」
起きてから言うのも何だが、実際に起こるまではあまり信じていなかったというのが辺名の正直な感想である。まさかあの女の子に本当にこんな能力があるとは夢にも思っていなかった。さすが、お客のニーズには絶対に答えて見せる、と自負しただけのことはあったなぁ、と辺名は感心する。だが、彼の望みを叶えたあと、彼女はいったいどこに消えてしまったのか、辺名にとってはそれだけが気がかりだった。
「ゲホッ!」
一方、先ほどの公園から少し離れた路地裏に、淡口美月はうずくまっていた。
「少し……大盤振る舞いしすぎましたかね」
彼女は襲いかかってくる吐き気と腹痛、それに前身のけだるさと戦っていた。彼女の能力は本来人間に一人に使うのが限界であって、世界の改編などといった大きなものに使うとその反動がすさまじいものとなってしまうのだ。それでも彼女がこうしてお客の願いを叶えてしまうのは、彼女自身が先ほど言った通り、お客のニーズは絶対である、という彼女自身のポリシーによるものである。
「あんまり……、使いたくは、なかったんですが、ゲホッ! このままだと、私の人生、ゲームオーバーになりそう、ですし、仕方ないですね……」
彼女は自分自身に向かって指をさす。
「せーのっ、えいっ!」
すると、彼女の体が数センチ縮んだ。それと同時に、ほんの少しだけ彼女の顔が若返った。若返ったというより、これは代償と言ったほうが正しいのかもしれない。そして、先ほどまで彼女に襲いかかっていた体調不良は全て消し飛んでいた。
「また少し、若返ってしまいました」
彼女が年の割に大人びた口調であったり、24歳の免許証まで持っていたのは簡単な話、彼女の実年齢は本当に24歳なのである。だが、彼女の持つ人を変身させる能力の代償、それが若返りなのだ。たまに自分のキャパシティ以上の能力をもつ変身願望を叶えようとすると、彼女はこのように体調不良に襲われることがある。下手したら今のように死にかねないような反動が襲いかかってくることも決して珍しくはない。そういう時、彼女は自らの変身能力によって自分の年齢を若返らせることにより、その反動を無理やり抑え込むのである。
「年は取れないのに、若返りだけはできるんですから。まったく、元の年齢に戻るのにあと何年かかることやら……」
彼女の能力では、自分自身の身体年齢を若返らせることはできても、年を取らせることはできない。何故このような仕組みになっているのか彼女自身も分からないが、いずれにせよこのペースで若返っていけば、彼女の寿命が残り少ないのは目に見えている。赤ん坊になっても能力を使えば、彼女は受精卵の状態にさえ戻りかねないからだ。もっとも、赤ん坊にまで戻ってしまったら話すことはできないだろうが。他人を老人にすることはできるというのに、そこだけはいまだに能力を得た彼女でも解せぬところであった。
「さて、それじゃあ落ち着いたことですし、次のお客を探しに行くとしましょうかね」
完全に体調が元に戻った彼女は、裏路地を後にした。そして、何事もなかったかのように次のお客を探しに行くのだった。
今回は私の秘密について、ほんの少しだけお教えしました。一種の弱点みたいなものなので、あんまり悪用はしないでくださいね。さて、とりあえずあの人のお役に立てたみたいで何よりですけど、結局あの人のファッションセンスについては何も触れないままだったんですよね。まあ、本人が気にしていないのならいいんでしょうけどね。……あっ、もうこんな時間、次のお客さんを探しに出かけなきゃ。それでは、また会う日まで。