主人公
「・・・ついてない。まったくもってついてない」
中心は誰もいない高校の廊下でそう呟く。このところの彼はとにかくついていなかった。と言っても、別にたまたま頭上から降ってきた鳥の糞が頭に当たった、とか道端の空き缶を踏んで転んだ、といったようないわゆる本格的な不幸人間ではない。
「なんであの時あのカードが出なかったんだ。あの時あれを引けていればあれがああなって勝てたはずなのに!」
彼は趣味でカードゲームをしているのだが、最近友人とやるとほぼ確実に負けてしまうのである。今までは悪くても戦績は五分五分だったし、むしろ勝ち越すことが多かったのに、最近急に勝てなくなってしまったのである。もちろん、友人が強くなったわけでもない。だが、彼の連敗記録はすでに13となっていた。
「くそっ、いったい何があったっていうんだ!」
中は廊下の壁を叩く。八つ当たりと言ってしまえばそれまでだが、いらだちを隠せないほどに彼はイライラしていたのである。
「おにーさん、どうしたんですか?」
そんな彼の元に現れたのは、黒いコートに白いワンピース姿の小学生くらいの女の子だった。なぜ高校に小学生の女の子がいるのかは知らないが、どちらにせよ今の彼にはどうでもいいことだった。
「うっせーよガキが。俺は今ムシャクシャしてんだ。気安く話しかけてくんじゃねーよ」
「おにーさんが悩んでいるのはカードゲームで突然勝てなくなったことでしょう? しかも自分が弱くなった訳でも何でもないから、余計に困っている」
女の子は中の悩みを的確に見抜いていた。
「……だったら何だってんだ? お前に何かできるってか、くっだらねー」
中は何だこいつ、と言う目で女の子を見る。
「できますよ? 何せ私はどんなものでも一度だけ変身させることができる程度の能力の持ち主ですからね」
「……アホくさ」
何を言ってもたいした答えが戻ってくるとも思えなかったので、女の子との会話を切った中はめんどくさそうにその場を離れた。
次の日、中は今度は高校の屋上にいた。今日対戦して分かったことなのだが、どうも中を除いた全員が引きたいときに引きたいカードを引いているようなのだ。おかげで中の連敗記録が18にまで伸びてしまった。
「あいつら、いったいどうしたっていうんだよ? カード漫画の主人公じゃあるまいし……」
こんなことができるのは主人公以外にない。例えばこういう漫画の主人公の場合、負けそうになった次のターンのドローフェイズにデッキのキーカードを引く、なんていうのはよくある話だ。問題はただのトレカ勢のはずの彼らが、何故そんな芸当ができるのか、ということだった。例えば、あと一回攻撃が通れば勝てるときにそれよりも攻撃力の強いモンスターやフィールド全体を破壊するカードが出てきたり。例えばあと1ダメージ与えれば勝てるときに回復系のカードを引かれたり、ダメージをキャンセルされたり。だがもっと気になるのは、対戦後に対戦相手の友人に言われたあの言葉。
「お前、まだ気付いてないのか?」
気付いてない、とはどういうことだろう。なら中が対戦した友人はやはり全員が何か変化があったとでもいうのだろうか。
「考えれば考えるほど分からん……」
うつむいて考える中。
「おにーさん、またお悩みですか?」
そんな中の前に、彼女はまた現れた。しかも、昨日と全く同じ格好で。
「……またてめーか。今度は何の用だ?」
「いえ、だからあなたの疑問を解決してあげようと思いまして、もう一度ここに来たのですよ。こないだは途中で帰られてしまいましたからね」
すると、女の子は石を取り出した。
「では、今からこれをはさみにしますね」
「……バカにしてるだろお前」
頭に手をやり悩むような仕草をする中。このまま付き合ってやったほうがいいのだろうか、と本気で考える。
「私はいつもいつでも大真面目ですよ! あとで吠え面かいても知りませんからね? せーのっ、えいっ!」
「……それは負け犬フラグって……あれ?」
目をゴシゴシとこする中。そこにあったはずの石は、確かにはさみになっていた。
「……どんなトリックを使いやがった?」
「いえいえ、奇跡も魔法もあるのですよ?」
「そんなことを聞いてんじゃねー! 今のは何だって聞いてんだよ」
すると、女の子は得意げに語り始めた。
「これはですね、私の持っている特殊能力ですよ。前に言ったでしょう、私は何でも好きなものに一度だけ変身させることができる能力を持ってるって」
「……あれはふざけてる訳でも何でもなかったのか」
はぁ、とため息をつく中。それを見て女の子もやれやれと首を振る。
「これだから人間は困るのですよ。一度見た物でないと信用しないんですからまったく……」
「お前も人間だろうが」
「あ、ばれました?」
女の子は無邪気に笑顔を浮かべる。
「……んで、何で俺に近づいてきた?」
このままこの女の子のペースに巻き込まれたのでは埒が明かないので、肝心なところを女の子に聞くことにする中。すると、女の子はこう答えた。
「ああ、簡単な話ですよ。あなたにも変身するチャンスを与えてあげようと思いまして」
「……どういうことだ、俺にもっていうのは」
中は妙な引っ掛かりを覚えた。中にも、ということは、他にも彼女の恩恵を受けた者がいる、ということだろうか。
「最近、あなたがカードゲームで負け続けているのは、何もあなたのせいではない、ということですよ。私が、あなた以外の人に変身能力を与えただけのことです」
「……何だそりゃ?」
首を傾げる中。
「一から説明しますね。まず、あなたたちの集団の中で、弱かった人が一番最初に強くなったでしょう? それも急に」
「そういえば……」
言われてみると、一番最初に強くなったのは誰とやっても勝てない弱いやつだった。あの時そいつは確かすごい力をもらった、とか何とか言ってたような、と思い出す。ただの偶然だろ、と言ってその時は取り合わなかったが、それからしばらくは彼が勝ち続けていて、敵はいないほどだった。
「実は、そこから私が干渉していたのです」
「そいつが強くなったのが、お前の力だって言いたいのか?」
中は聞く。
「ええ。あなたは、主人公補正、と言う言葉をご存知ですか?」
「……主人公補正? 何だそりゃあ?」
聞き覚えのない言葉に中は首をひねる。
「はい。例えば、あなたが絶対に帰れることはないだろう、と言われた死地にいた、としますね」
「あ、ああ」
いきなり重い話だな、と思いながら中は頷く。
「そこであなたが仮に、『ここは俺に任せて逃げろ! 大丈夫だ、心配ないさ。必ず戻ってくる』というセリフを吐いたとしますね」
「……何だよその死亡フラグ」
中はやや呆れ顔で言う。
「そこから戻ってくるのが主人公補正ってやつです。主人公でもない奴が戻ってきても誰も得しないですしね。まあたまによく分からないモブキャラが戻ってくることもありますが、大体これが主人公補正の説明です」
「……ああ、なるほど。つまりは主人公が優遇されてるのが主人公補正ってことか」
中は簡単にまとめる。
「そういうことです。たとえ死地と呼ばれる場所に飛ばされようが、どんな異世界に飛ばされようが、主人公は助かりますからね。では、主人公補正について分かっていただけたところで、今度は先ほどの説明に戻りますね。彼は、漫画のような主人公補正が欲しい、という変身願望を私に願いました。そして、私はその願いを叶えました。その証拠にあの人、急にここぞというときの引きが強くなったでしょう?」
「……ああ、そうだな。それがお前の言う、カードゲームの主人公補正、ってやつか」
中はもう驚かなかった。彼女が何を言いたいのかは何となくわかったからである。
「そういうことです。主人公は大抵の場合負けない。負けるのは主人公が心の成長をする時だけです。でも、現実にはそんな世界の危機なんてもちろん起こりません。だから、彼の心が成長することもなく、彼は勝ち続けていられたのです」
「……まあそれは分かった。だけど、じゃあ他のやつらは一体どうしたんだ?」
今のはあくまで最弱だった中の友人の話に過ぎない。では他のやつらはいったいどうしたというのだろう。
「彼が勝ち続けたことに、疑問を持った者は多かった。それはそうですよね、今まで大抵負けていた最弱の少年が、いきなり負けなしの最強少年に生まれ変わったわけですから。その理由を探したのが、あなたの友人のうちの一人だったのです」
「それで、そいつはお前に行きついた……?」
疑問は確信に変わった。女の子は頷く。
「そうです。そして、ここで彼らはあることを考えた。そう、あなた以外のカードゲーム仲間にこの情報を教えることで、あなただけが負けるように仕向けたのです」
「……何で俺だけハブられたんだ?」
女の子の言い方だと、まるで中が嫌われているような口ぶりだが、そうではなかった。
「あなたが元々強すぎたからですよ」
「……どういうことだ?」
「あなたの勝率は大体8割ほど、悪くても5割5分です。少なくとも、あの人たちの中では一番強かったですよね」
「……まあ、確かに」
確かに中の戦績は良かった。それは最初に書いた通りだ。
「それが、あの人たちに小さな劣等感を抱かせていたんです。俺はあいつには勝てない。でも、もし勝てるようになれるならなりたい、と」
「それで、あいつらがお前から主人公補正を得た瞬間に、勝ち誇ったような顔して俺をサンドバックにしてたわけか」
「そうですね、多分水を得た魚のような感覚だったんだと思いますよ。で、どうします? あなたもあの人たちみたいに主人公補正の能力を求めますか? あなたのグループ全員に接触してしまった私からすると、あなたにももちろんその権利はあると思うのですが」
「……いや、俺はいいよ。そんなの、俺の実力じゃないしな。ただ、お前の変身させる能力ってやつは、俺も興味がある。俺も、それを頼んでもいいか?」
「ええ、もちろんですけど。じゃあ、あなたは一体何になりたいんですか?」
「そうだな。俺が欲しいのは……」
それから数日後のことだった。
「よっしゃあ、勝った!」
中は隣のクラスでカードゲームをしていた。自分のクラスで作っていたグループからは抜け、その代わりに彼は隣のクラスのカードゲームグループに入ったのである。
「お前強いなー。昔は俺も負けなしだったのに……」
「まあ、結構やってたからな」
今では彼もすっかり彼もこのグループに入って打ち解けていた。
その一方、彼の昔の仲間は女の子、淡口美月に接触していた。
「なあ、何で心は俺達と距離を置くようになった? お前なら何か知ってるんだろ、淡口美月さんよお?」
どうやらリーダー格のようだ。女の子はめんどくさそうに答える。
「……あなたたちとカードゲームをするのが嫌になったそうですよ」
「お前、あいつに何を吹き込みやがった? あのままやってれば、俺達はあいつにずっと勝ち続けられたんだ! 俺たちの友情を打ち砕きやがって!」
その瞬間、グループのうちの一人が女の子につかみかかった。とてもごつく、体格のいい男だ。女の子はそのまま答える。
「……じゃあ聞きますけど、あなたたちにとって彼は何だったんですか?」
「そんなの友達に決まって……」
つかみかかったままそう言いかける体格のいい男。
「ただ一方的に勝ち続けるだけなんて、そんなの友達でも何でもありませんよ? あなたたちがやっていたのは、主人公補正って言う便利な能力を使ったただのいじめです。それではかわいそうだったので、真実を彼にお伝えしただけの話です。そうしたら、彼はあなたたちとは違って、主人公補正なんていうものは求めなかった」
女の子はそう吐き捨てる。
「じゃあ聞きましょうか。彼は一体、あなたに何を求めたんですか?」
メガネをかけたひょろ長の少年が女の子に聞く。それは、彼らのグループの中で一番弱かった少年だった。
「……いいでしょう。お教えします。彼のお願いは、『俺と仲良くしてくれる本当の友達が分かる能力がほしい』でした。あなたたちは、彼の本当の友達にはなりえない、って言うのが分かったから、彼はあなたたちに話しかけなくなったんですよ」
「どういうことだそりゃあ? 返答次第じゃ、恩人のあんたでも容赦はしねーぜ?」
リーダー格の男も含め、3人が指をポキポキと鳴らす
「そのままの意味ですよ。あなたたちは彼に友達として認識されなかったってことです」
「……へぇー、そうですか? 今ならまだ許してあげられますよ? この人数相手に勝てると思ってるんですか?」
メガネの男の言葉に、女の子は繰り返す。
「何度でも言いますよ。あなたたちは彼の友人にはふさわしくない。彼にはもっとふさわしい友達がいます」
「……やれぇ!」
その返答を聞き、リーダー格の男は体格のいい男とメガネのひょろ長男に指示を出した。2人はいっせいに女の子に飛び掛かる。
「……やれやれ。仕方ありませんね」
女の子は指を上に突き上げた。が、その腕をひょろ長の男がつかんだ。
「こうしてしまえば、あなたのご自慢の変身能力も使えないでしょう? 全員がここから変身能力を使われたことは既に明らかなんですよ」
「というわけだ、終わりだなぁ小娘ぇ!」
リーダー格の男が叫ぶとともに、体格のいい男が拳を振り上げる。が、その時だった。
「せーのっ、えいっ!」
女の子はいつものようにそう一言唱え、それだけだった。その瞬間、その場の空気が一変した。まずは女の子を押さえていたひょろ長のメガネだが、
「うわぁ!」
屋上から吹っ飛ばされ、そのまま地面に真っ逆さまに落ちて行った。彼女の力で彼女の体に触れると吹っ飛ばされるように体質を変化されたのである。次に、殴りかかろうとしていた体格のいい男はそのまま静止して動けなくなった。彼は筋肉を動かせない体質に変化させられたのだ。
「な、何だこれは……」
「いいことを教えてあげますね。私が人に指さしながら呪文を唱えるのは気分を出すためであって、別にこの言葉を言えば不思議能力はいつでも使えるのですよ。それに、一度だけっていう制約も、私が勝手につけただけなので、正直何度でも同じ人の願いを叶えることは可能だったりするのですよ」
「お、おい、それって……」
「さて、じゃあ行きますかね?」
女の子は数歩前に進むと、もう一度、いつもの呪文を指を上に突き上げて唱える。
「せーのっ、えいっ!」
すると、その直後だった。
「っぁあ!」
体格のいい男はその場に崩れ落ちた。彼女の能力で全身の骨が折られた状態に変化して動けなくなったのである。
「さて、最後はあなたですけど、どうしましょうかねぇ?」
「う、嘘だ、こ、こんなの、主人公補正じゃねぇ!」
リーダー格の男は叫ぶが、
「1つだけ教えてあげます。この話の主人公は、あなたたちではなく私です。あなたたちがどんな風にやられても、ただのモブキャラっていう扱いで済んでしまうのですよ」
女の子はそう冷たく言った。まるで、氷の刃を心臓に突き刺すかのように。
「そうですねぇ。じゃあ、あなたの場合は……あなたの人格をおかしくしてみましょうか?」
女の子は人差し指を上に向けた。
「や、やめ……」
「せーのっ、えいっ!」
そして、彼女はいつものように呪文を唱えた。
そして次の日、女子達はこんな噂話で持ちきりだった。
「薮田君、残念だったわね」
「ええ。まさか屋上から転落して、そのまま亡くなってしまうなんて……」
「でも、確か原口君も全身骨折だって?」
「そうなのよ。それがよく分からないのよね。屋上で発見された時には彼しかいなかったって言うからますますよく分からないのよ。あんなに体格のいい彼がそんなことになるとは思えないんだけどね」
そして、そんな話をしていると、
「おはよー」
誰かが教室に入ってきた。
「あ、藤崎君? おはよ……え?」
それはリーダー格の男だった。だが、女子達はその姿形を見た直後に明らかに数歩引いていた。
「な、何その格好……」
彼は、セーラー服に黒いソックスという女装姿だった。しかも、胸があるところを見ると、おそらく下着も女性用の物をしているのだろう。
「え? あたし何かおかしな格好してる?」
「っていうか、何か話し方もおかしいよね……。何か女の子みたい……」
「え? やだなぁこれが普通じゃない」
声はそのまま低い声なのに、明らかに彼は内面が女の子になっていた。
「……い、行こみんな?」
「う、うん、何かキモい……」
女の子たちは彼からすぐに離れた。
「ちょっと待ってよみんなー」
リーダー格の男はそんな甘ったるい口調を低温ボイスで言うと、彼女たちの後をついていった。
今回はカードゲームから発展していったお話だったわけですが、まさかあんなことになるとは思いませんでした。お客さんもある程度は選ばないといけないですね。今回はそういう意味でも大分勉強になりました。皆さんも私にお願いをするのはいいんですが、決して私に歯向かおうとは考えないことですよ。その時は彼らのようなことになっても、私は一切の責任を取りませんからね。それでは、また会う日まで。