透明人間
「ぐっへっへ……」
公園に一人の男がいた。この下卑た笑いをしている男性の名前は三宅助平。大学生である。今時珍しい名前だが、おかげで彼の性格は想像に難くない。いつでもにやけ、常に女性に対して変態なことを考えているような人間だ。おかげで彼の周りにいる友人はみんながみんな軽薄だったり、周りに女性しかいないようなハーレム状態だったり、挙句の果てには毎日女を変えてはセックスするとかいうような傍から見れば正気の沙汰とは思えないような人間までもがいた。
ちなみに今彼が読んでいるのは18禁のエロ雑誌である。講義の帰りに複数の雑誌と共に近くのコンビニで購入してきたものだ。大学生になってようやく堂々と買えるようになったと喜んでいるあたり、彼が今までどれほどの性欲の塊だったのかが窺え知れるところだろう。今の発言からも分かるとおり、当然彼は高校生や中学生の頃からこのような雑誌を買っている。むしろ初めて知ったのは親が持っていた雑誌だったので、幼稚園の頃だったりする。つまりは筋金入りのエロ男である。
「……はあ」
だが、一通り読み終わった彼は当然のように溜息をつく。彼の妄想はあくまでも本の中だけ。どれだけ美人でグラマラスで放漫な裸体のAV女優を雑誌で見ようとも、見るだけでは彼の性欲は満たされることはない。一時期エロゲと呼ばれるアニメ系のゲームに手を出したこともあったが、結局彼女たちもテレビの中だけの存在だ。さまざまな変遷をたどって今のように雑誌を読みふけることにした。というのも、映像では借りるにはレンタル期間が短すぎるし、買うにはお金が高すぎる。一応一人暮らしをしている彼にとって、所持金とは常に気にしておかなければならない存在だった。
「こんにちはおにーさん!」
そんな時、真上から幼い声がした。彼にとって女性というのは赤ん坊からおばあさんまで誰もがストライクゾーンである。それが同い年や幼女、さらには熟女だとなおおいしい。いきなり飛び起きた彼はその小さな女の子の風貌をよく見る。黒いコートに白いワンピース姿、横ハネのショートヘアの彼女はまさにギャップ萌えという言葉がふさわしい女の子だった。
「どうした、お兄さんに何か用かい、ぐふ、ぐふふ……」
怪しげな声を出す三宅。児童ポルノ禁止法など知ったことではない。自分に声をかけてくる女性はみんな自分に気がある、というのが彼の持論だった。ある意味では恐ろしい持論だが、おかげで女の子もその危険を感じ取り、三宅から明らかに数歩下がった。
「お、おにーさん怖いです……」
あからさまに怖がる女の子。彼女にとってもこんな男に会ったのは恐らく初めての体験だろう。その様子を見て明らかに引かれていることを感じ取った三宅は、作戦を変更することにした。
「あ、ああ、ごめんごめん。さっきこの雑誌を読んでいたからつい……。で、俺に何か用かな?」
紳士な男性で対応する、これが彼の第二プランである。もっとも、一度引かれてしまうと普通の人はなかなか寄り付かないので、この作戦は普通失敗に終わる。だが、今回はいつもと違っていた。
「おにーさん、何かなりたいものとかないですか?」
女の子は数歩引いたまま、三宅にこう尋ねてきたのである。敬語幼女とはなかなか新しい。ぜひこのままお持ち帰りしたい、と思った彼はじっくりと考え、そしてこう言った。
「そうだなぁ、透明人間なんてどうだろう」
「透明……人間ですか?」
「ああ。君も知っているだろう。透明人間」
「え、ええ、まあ確かに有名ですからね……」
女の子も適当に相槌を打つ。どうせのぞき目的だろう、と考えたのは想像に難くない。ところが、女の子の想像もつかないような意見が三宅の口をついて出た。
「俺はね、ヒーローになるのが夢だったんだよ」
「ヒーロー……?」
そんな雑誌を読んでいて? という疑問を飲み込んで女の子は聞く。偏見は良くない。
「ああ。誰にも知られないところでこっそりと人を助ける透明人間のヒーロー。いたらかっこいいとは思わないかい?」
「そうですねぇ。いたらかっこいいとは思いますけど……」
先ほどの一件があったせいか、まだ完全には信じ切れていない女の子。
「これを見たまえ」
そこで、三宅は先ほど買った数冊の本のうち、一冊を女の子に見せる。女の子は仕方ないので近寄ってその本を確認する。
「……透明人間の謎? また恐ろしくありきたりな名前の本ですけど、これは……?」
「見ての通り透明人間の本だよ。俺は昔から透明人間に憧れていたからね。家にも結構あるんだよ?」
もちろんこんなのは口から出まかせだ。彼は理工学系の学生で、たまたま講義のレポートに必要だったから買ってきただけである。そもそも大学生にもなってこんな胡散臭い雑誌など用事もなしに誰が買うものか。
「へぇえ、そうなんですか……」
ところが、それを聞いた女の子は何やらポケットをごそごそし始めた。もしかして携帯番号でも交換してくれるのだろうか、と考える三宅。普段ならばその考えは外れるところだが、今回は当たらずとも遠からず、と言ったところだった。
「私、こういう者なんです」
「は、はあ、どうも……」
彼女が取り出したのは名刺だった。こんなに小さな女の子が大学生の三宅ですら持っていないようなものを持っている。そのことに驚愕しながらも、ひとまず渡されたものは受け取っておく三宅。その名刺を見ると。そこにはこのように書かれていた。
(あなたの変身願望を現実に 淡口美月)
「……変身願望? 何だいこれ?」
当然首を傾げる三宅。聞いたことのない言葉だった。
「簡単な話、今のあなたが語ったように、人間には誰しもこうなりたい、ああなりたいといったような変身願望というものが存在します。私はある特殊な能力を使ってその夢を叶えるお仕事をしているのです。それが私がさっきあなたに質問した理由です。とは言っても私がその夢を叶えるチャンスは一人一度だけなんですけどね」
「へ、へえー、すごいなー」
スケールの大きな話に思わず棒読みになってしまった三宅。ところが女の子はそれを信用されていないと判断したのか、やや口をとがらせる。
「いいですよ別に信じてくれなくても。どうせみんな実際に見ないと信じてくれないんですから」
女の子が拗ねた様子になったので、三宅はあわてて現実に帰ってきた。
「い、いや、別に信じていないわけじゃないんだ。ただ、スケールの大きな話だったから実感がわかなくて……」
すると女の子の顔が途端にぱあっと明るくなる。
「本当ですか!」
「あ、ああ、本当だとも!」
つられて声高々に返す三宅。すると女の子は驚くべきことを言い出した。
「では、もし良かったらあなたの夢、お叶えいたしましょうか?」
「俺の夢……?」
三宅は首を傾げたように言う。すると女の子はやだなぁ、といった顔をしてこう言う。
「さっき透明人間になりたいって言ってたじゃないですか。その夢をお叶えいたしましょうか、って言ったんですよ」
「えっ、い、いや、別に俺は……」
透明人間にはならなくてもいい、と言おうとした彼の頭に、ある邪悪な考えが浮かんだ。
(そうだ、透明人間になったらエロいことし放題じゃないか!)
先ほど書いたとおり、彼は性欲のためなら犯罪にでも手を染めてもいい、と考える人間である。そんな人間が透明人間になれたら、と考えたとき、最初に考えることと言えば、当然そっち方面のことに決まっていた。
「そうですか? では……」
「待った! やっぱり俺を透明人間にしてくれ、いや、してください!」
三宅はあわてて頼み込んだ。何せここには彼の今後の幸せな生活の全てがかかっているといっても過言ではない。というのも、おそらくこんなビッグチャンス、ここで逃したら二度と来ないに決まっているからだ。そもそも、透明人間にしてくれる商売など聞いたことがない。本当だとしたらかなりの儲けものである。
「……まさかやましいこと考えてるんじゃないでしょうね?」
立ち止まった女の子は疑いの目を向ける。先ほどと意見が二転三転していればそれもそうだろう。
「もちろんだ! この透き通るような純粋な目を見てくれ!」
三宅も必死である。今までにないような純粋な目を彼女に向ける。おそらくこんな透き通った目は、今後一切することはないだろう。
「……分かりました。そこまで言うなら透明人間にしてあげましょう。何というか悲しいくらいの必死さが伝わってきましたので」
女の子はやや呆れながらも、三宅を透明人間にすることを承諾した。
「では、そこに立ってください」
「ここでいいのかい?」
三宅は言われた通りの場所に立った。
「じゃあ、そこから動かないでくださいね。今からあなたに魔法をかけますので」
「……魔法?」
三宅は復唱する。
「ええ、とっておきの魔法ですよ」
すると、女の子は指を天高く突き上げた。
「な、何だ何が始まるんだ?」
軽いパニック状態になりかけている三宅。
「せーのっ、えいっ!」
そう言って女の子は三宅を指差した。
「うわああああ!」
叫び声を上げる三宅。だが、
「……あれ?」
何も起きていない。驚くほど何も起きていなかった。
「なあ、美月ちゃん、だっけ? 本当に俺は透明人間になれたのかい?」
さすがに疑う三宅。だが、女の子は自信満々だ。
「ええ。何ならあそこにいる男の子に触ってみたらどうです?」
そこまで言われては仕方ない。少し遠くにいる男の子のところまで歩き、肩にそっと触れてみた。振り返る男の子。
(そら見ろ、やっぱり気づかれたんじゃ……)
ところが男の子は首をかしげながらそのまま走り去って行ってしまった。まるでそこにいた三宅に気がついていない様子だった。
「……? どうなってるんだ?」
「だから、あなたが透明人間になったんですって。まあ、私が見えないのはいろいろと不都合なので、私にだけは見えるようにしておきましたけどね」
その様子を眺めていた女の子が近寄ってきて三宅に話しかける。その言葉通り、確かに彼女にだけは彼の姿が見えているようだった。
「つまり、俺は本当に透明人間に……」
「だから、最初からそう言ってるじゃないですか。ちなみに服とかがあると逆に怪しく見えるので、あなたが身にまとったものやあなたの持ち物も透明になるようにしておきましたので」
「……おお! ありがとう美月ちゃん!」
あまりの感動に今にも襲いかからんばかりの勢いで女の子に近寄る。女の子は最初三宅に会った時のように数歩引きながらこう言う。
「いえいえ、そんなお礼を言われるほどのことではありませんよ。私も一応仕事ですので。では、良い人生をお過ごしください」
「おお、ありがとう!」
そう言って女の子はその場を去った。
(ぐへへ、これで全世界、いや、全宇宙健全な男子の夢、女湯に入って女性の裸を覗くが達成できる! ああ、神様ありがとう! 今あなたがこの場にいるのなら俺は土下座でも奴隷でも何でもします!)
公園から離れた彼はこんなことを考えながら近所の温泉に向かう。当然最初にすることと言えばこれである。
(さーて、入るとしますか!)
さっそく女性用の暖簾をくぐる彼。透明なので何も気にする必要はない。ところが、中に入る寸前、
「すみません。ここは女性湯なので、男性のほうへお願いします」
番台の人にこう言われ、三宅が女性湯に入ることはできなかった。
「は、はあ、すみません……」
(くそっ、おかしいな……)
透明であるはずなのに、なぜか止められてしまった。だが、外を出た後に他の人の体に何回か触れてみて分かったのだが、もちろん他の人に見えているわけではない。今もなお彼は透明人間のままだ。
(だったら次だ。女性のスカートの中のパンツを見よう作戦!)
風呂が駄目でも彼にはまだできることがたくさんある。彼は近所のデパートのエスカレーターに乗り、ミニスカートの女性のそばに近寄った。ぶつかるギリギリまで近寄ってしゃがむと、スカートの中身はいとも簡単に見えた。もっとも、
(ほ、ほお、ピンク……)
念願の生パンツである。だが、悲劇はこの後起きた。
「キャー!」
彼に気付いた女性が叫び声をあげたのである。透明人間のはずの彼は、またしても見つかってしまったのである。デパートの警備員が総出で彼を探し始める大事件となってしまった。
(どうなってるんだ一体……)
だが、彼が透明人間であるのは違いないらしい。というのも、
「くそっ、一体どこに逃げたんだ!」
三宅は警備員のすぐそばにいるはずなのに、警備員が彼の姿を捕える事ができなかったからである。釈然とはしなかったが、ひとまず彼は公園に戻ることにした。
「……やっぱりこんな事だろうと思ってました」
戻ってくると、待っていたかのように先ほどの女の子がいた。
「……何で透明人間のはずの俺が人に見つかるようになってるんだい?」
ぐったりしたように聞く三宅。実際警備員に追いかけ回されたばかりなのですでにくたくたではあったが。
「……いえ、完全に信用することができなかったので、あなたの透明人間の能力にある制限をかけておいたのです」
「……制限?」
三宅は首を傾げて聞き返す。
「はい。あなたが犯罪行為に抵触する行動を取ったとき、その能力が一時的に解除されるようにしておいたのです。実はずっと監視していたのですが、あなたは予想に反しないほど自分の欲望に忠実に生きていらっしゃいました。なので、おかげで何回も追いかけられていて見ているこっちが気の毒になってきましたよ」
「そういうことだったのか……。やっぱり上手い話はないってことなんだね」
すべて納得いったというように三宅は頷いた。
「はい。で、あなたが望むならあなたを元の姿に戻してあげようと思うのですが、どうしましょう? 普段なら同じ人に二回も能力をかけることはないのですが、今回は何も説明していなかったとはいえ、あなたが気の毒すぎましたので……」
「できるならそうしてくれると助かるな」
もうこりごりだといったように言う三宅。正直先ほどまで彼女に感じていた好意は今の発言で完全に消え失せていた。
「分かりました。では、そこに……」
要領は先ほどと同じだった。同じ場所に立つ三宅。
「せーのっ、えいっ!」
そして、三宅は元に戻った。
「では、私はこれで。これからのあなたの人生が良いものになりますように」
女の子は今度は先ほどとは違い、一瞬で姿を消した。三宅のポケットの中には先ほどまであった彼女の名刺は姿を消していた。もう三宅は彼女のお客ではない、ということなのだろう。
「……やっぱりたとえ物足りなくても、こうやってエロ本を見ているしか俺に出来ることはないんだな」
三宅は先ほどと同じようにエロ本を読みながらそう呟いた。だが数十秒後、彼は何かを思いついたかのように突然叫んだ。
「そうか、自分で透明人間になれる薬を作ればいいんだ! 俺はやるぞー!」
そう叫んだ三宅は自分の荷物を片づけ、猛スピードで走り去って行った。その様子を木の上から見ていた女の子はこう呟く。
「……あのポジティブさがあれば何でもできそうですね」
あのおにーさんがまさかあそこまで性欲の塊だったとは思いませんでしたね。何だか私は少し余計な事をしてしまった気がします。それでも生きる目的を与えることができた、という意味では良かったのかもしれません。できるなら他の方向に向いてほしかったところですが……。あっ、もうこんな時間。また次のお客を探しに行かなきゃ! みなさん、何か叶えたい変身願望がありましたら、私、泡口美月までご連絡くださいね。それでは、また会う日まで。