特撮マニア
「……はあ、毎日毎日残業残業って、やってられるかっての」
松野仕は深夜の公園のベンチでため息をつく。このところの彼の職場の残業続きは常軌を逸していた。今日も仕事が終わったのは午前の二時。当然バスも終電も走っているはずがない。かれこれ15年はこの仕事に勤めているが、今までこんなことはなかった。上司曰く、最近仕事が回ってくるようになったからだよ、だそうだが、これだけ働いても給料明細の額は普段と何ら変わってはいなかった。つまりはただのサービス残業なのである。しかし、こんなにひどい企業は見た事がない。とんだブラック企業に就職したものである。
「おーじーさん! どうしたんですか?」
そんな彼の目の前で、妙に高くて幼い声が響いた。
「……何だガキかよ。子供のいるような時間じゃねーんだ、とっととおうちに帰んな」
彼の目の前に立っていたのは小学生くらいの幼女だった。
「でもおじさん困ってるんじゃ……」
「うっせー! てめーにできることなんてあるわきゃねーだろ! とっとと失せろ!」
そう怒鳴った松野は気分を害された、という感じで足早に公園を去って行った。その場にはその幼女が残されただけだったのだが、もちろん松野に彼女が呟いた言葉が聞こえるはずがなかった。
「……あのおじさんはきっとまたここに来るでしょう。無理に今彼を引き留める必要もないですね」
それはいつものセールストークとは似ても似つかない、平淡で闇に満ちた声だった。
そのまま公園を出て行った松野はタクシーで一時間かけて自宅に帰ると、パソコンを付けた。そのままあるサイトに飛ぶ。それは、彼の大好きな特撮を無料で再生できる動画サイトであった。本当はこういうページにアップされているものは違法なのだが、見る分には何の罪に問われることもない。彼の帰宅してからの唯一の楽しみであった。
「今日は超能力者フェイリアンの47話、マスターAの正体が怪人ジェリーズ達に暴かれる話だったな。当時見てた時はまさか主人公側の司令塔だったはずのこいつが敵側のリーダーだったって言う展開に驚かされたもんだった」
彼はワクワクしながら動画の再生ボタンを押した。
それから数日後のことだった。松野は再びあの公園に来ていた。時刻は午前3時。先日この場所に来た時よりも1時間遅くなっていた。理由は簡単で、さらにサービス残業の時間が延びたからである。これでは彼の日課である特撮を見ることもできない。正直ここで寝てしまおうか、と考えるほどであった。まだ彼には生涯の伴侶はなく一人暮らしである。一日くらい家に帰らなかったところでそれを咎める口うるさい両親がいるわけでもなかった。とりあえずベンチに寝転がる松野。すると、
「おーじーさんっ!」
頭上からそんな声がした。またこいつか、という目で彼女を見る松野。こないだは確認しなかったその姿を、今度はしっかりとこの目で確認した。そこにいたのは小学生くらいの幼女で、黒いコートに白いワンピース姿だった。
「……何の用だ? 俺は今すぐ寝たいんだ。用事がないならとっとと親んとこでねんねしてな、お嬢ちゃん」
怒鳴るほどの気力もなかったので、めんどくさそうにあしらう松野。だが、女の子は一枚のパンフレットを差し出してきた。
「いえいえ、あなたにきちんとした用事があって話しかけたのです。あなたは、これをご存知ですか?」
松野はめんどくさそうにそのパンフレットを受け取ると、それを見た瞬間に途端に目の色を変えた。
「これ、特撮の全シリーズのありとあらゆる資料の詰まった展示会のパンフレットじゃねーか! お前、これをどこで手に入れた! 俺ですら知らなかった情報を、なんでお前なんかが知ってるんだ!」
「そ、そんなに興奮しないで下さいよ。たまたま親戚がこういうところに勤めてて、それでこれをもらったんです。でも、私特撮はあんまり見ないので、どうせなら特撮の詳しい人に案内してもらおうと思って。それで、たまたまこないだ特撮のテレビを街中で熱心に見ていたあなたに声をかけようと思ったんです」
「……お前、それだけで俺に話しかけたのか」
言われてみると、こないだ街中で確かにたまたま見かけた戦隊ものをじーっと凝視していたような気もするが、まさかそれだけでこんな時間に子供が話しかけてくるとは思わなかった。
「ええ。おじさんが一番特撮を好きそうな目をしていましたので。で、この特撮の展示会の日が明後日なんですけど、おじさん予定空いてますか?」
「……正直仕事があったんだがな、これを逃す手はねぇ! 俺で良ければお嬢ちゃんの案内役でも何でも引き受けてやるよ」
松野は目を輝かせていた。先ほどまでベンチで寝ようとか考えていた思考はどこかへと吹っ飛んでしまっていた。
「そうですか、ありがとうございます! あ、それじゃあ、待ち合わせはここで。連絡先もあったほうがいいと思うので、渡しておきますね」
「……今どきその年で名刺を持ってるって、お前おかしなガキだなぁ」
訝しがりながらも、女の子の渡してきた名刺を受け取る松野。表面には電話番号が書いてあったが、裏面にもこんなことが書かれていた。
(あなたの変身願望を現実に 淡口美月)
「裏面のこれは何だ?」
「ああ、それですか? 私の仕事みたいなものですよ」
軽い感じで答える女の子だが、いくらなんでもこれはおかしい。
「仕事ってお前なぁ、お前どこからどう見ても小学生じゃねーか?」
バカにしてるだろ、といらだつ松野。
「まあ信用していただけないのも無理はないですよね。それじゃあ、実際にやってみましょうか」
そういうと女の子はシーソーを指差した。
「今からあのシーソーを平行棒にしますね」
「……アハハハハ! 冗談も休み休み言うんだな。そんなの無理に決まってるじゃねーか」
「言いましたね。だったら見てるといいですよ」
松野が大笑いしているのを見て、ムッとした女の子は人差し指を天高く掲げる。
「せーのっ、えいっ!」
「ハハハ……はぁ?」
途中まで大笑いしていた松野も、実際にシーソーが平行棒になってしまったところを見て大笑いはできなかった。
「お、おい、何だよ今の……?」
「だから言ったじゃないですか。私の仕事だって。私の仕事は誰もが一度は思ったことのあるこうなりたい、ああなりたいっていう変身願望を現実のものにしてあげることなんです。お望みならあなたの姿をアリンコに変えることだって可能なんですよ?」
「い、いや、遠慮しとく」
人差し指を空に向かって高く突き上げた女の子を見て松野はあわてて首と両手を横に振った。
「まあ、冗談はともかく、あなたも何か変身したいものがあるなら、私に頼んでくださればどうにかすることは可能ですよ? まあ、チャンスは一度きりなのでよく考えてほしいんですけどね」
「今の見た後だとシャレになってねーよ……」
冗談にはとても見えなかったが、一応人差し指を元に戻した女の子を見て一安心する松野。
「じゃあ、明後日の土曜日にまた会いましょう」
「おう、いい情報感謝するぜお嬢ちゃん」
松野はベンチで野宿しようか、と考えていたことも忘れて意気揚々と公園を出て行った。その様子を見て、女の子、淡口美月がこう呟いたことも知らずに。
「……これで、お膳立ては整いましたね」
そして二日後、松野はリュックサックにチェックのポロシャツ で待ち合わせ場所に指定された裏路地に来た。
「……何だよここ、薄気味わりーな」
そもそも裏路地が心地よいという人のほうがごく少数のような気もするが、この裏路地の気持ち悪さは常軌を逸していた。例えば地面。一見何の変哲もないが、ところどころに赤いしみのようなものが飛び散っていた。ケチャップなどであると信じたいが、赤黒いところをみるとおそらく血液だろう。例えばごみ箱。中に何かの肉片があった。しかし、肉片自体あまり見たいものではない。食べられないと判断されたから処分されたものであって、つまり残った部分はただ殺されたのと変わらないのだ。
「一体あいつは何者なんだ……?」
松野は考える。こんな場所を知っている、というのも驚きではあったが、そもそもあんな時間に子供が外をうろついていたこともかなりおかしい。あの時は睡魔と特撮のイベントのことで頭がいっぱいだったから特に変だとも思わなかったが、今冷静になってみるとおかしな話である。
「……そうだよな、そこもおかしい」
それに、松野が知らなかった特撮のイベント情報があることを知っていた、というのも引っかかる。自慢ではないが、松野はかなりの特撮マニアだ。オタクに近い場所にいるといっても過言ではないかもしれない。イベントがあれば仕事を休んで参加するし、休日出勤の日は録画してから携帯のテレビでも通勤途中に見るという徹底ぶりだ。その松野すら知らないイベントの情報をなぜ小学生の彼女が知っているのだろう?
「うーん、分からん……」
「何が分からないんですか?」
「いや、お前のことだよお前の……っていつ来たんだよ!」
いつの間にかちょこんと立っている女の子に突っ込みを入れる松野。
「いえいえ、今さっきですよ。で、私のことが分からない、っていうのは?」
「いや、まずこんな場所を待ち合わせに指定したところからだよ。薄気味悪いにもほどがある」
「ああ、ここはですねぇ、私の秘密の場所なんですよ」
すると女の子は得意げに言う。
「……ここのどこが秘密の場所なんだよ?」
「まあ、少し前の話なんですけどね、ここで大きな争いがありまして。その時たまたま私もこの場にいたんですよ。それはもう特撮びっくりの本格的なやつでしたよ。光線銃に腕から水の玉、極めつけは幻覚でしたかね」
松野は疑いの視線を向けてこう言う。
「……お前、もう少しましな嘘をつけよ。そんなことあるわけないだろ」
「ああ、ばれましたか。アハハ」
女の子は軽く笑う。
「で、結局、ここは何なんだ?」
「昔暴力団同士の抗争に使われた場所らしいです。そこらへんには血とかも飛び散ったままだったりするそうですけど、そんなに危ない場所ではないので安心してください」
「うっげー、何でそんな場所を待ち合わせにしたんだよ? 安心できるわけねーだろ」
松野は口を押さえてから聞く。さっき見た血や肉片を思い出して吐き気を催したのである。
「ほら、あげて落とすよりは落としてあげたほうがテンションが高くなるって……」
「いやこの落とし方は間違ってるだろ。事件現場に連れてくるとか人間の神経的にありえねーよ。……まあいいや、とりあえず行こうぜ」
歩き出す松野。すると女の子は人差し指を頭上に突き上げ、
「ええ、じゃあちょっと我慢しててくださいね?」
「はぁ、何がだよ……って何だその構えは!」
あわてて逃げようとするが、すでに間に合う距離ではなかった。
「お、おいちょっと待て! 俺何かになりたいとか言ってな……」
「せーのっ、えいっ!」
女の子のその指の合図とともに、辺り一帯が光に包まれ、その光が消えた時、二人の姿はどこにもなかった。
「う、うーん……」
松野が目を覚ますと、そこは青い空の下だった。
「……何だ一体どうしたってんだ?」
目を覚ますと隣には女の子が立っていた。
「おい、お前、俺たちは今どこにいるんだ?」
すると女の子はかなり体力を使った様子で答える。
「……あなたを特撮の撮影現場にお連れしました。時間を遡っているのでかなりの無理が生じていますが。その証拠にあれを見てください」
すると、そこにいたのは、彼の好きな超能力者フェイリアンが今まさに超能力を使おうとしている場面だった。
「……お、おお! 何だこれ!」
「あなたが一番好きな特撮の撮影現場です。もうすでに数十年ほど前の話になりま……」
「す、すげー! あれフェイリアンが唯一死にかけたバルバロック星人との戦いのとこじゃん! まさかここを生で見られるとは!」
だが、もう松野に女の子の声は届いていなかった。
「あの、おじさーん……?」
「うわっ、バルバ光線だ! やばいやられちまう!」
「……はぁ」
女の子はしばらく待ちぼうけを食らうこととなった。
数時間後、やっと落ち着いた松野に女の子は話しかける。
「どうでした? すごいでしょう?」
「ああ、驚いたぜ……」
興奮冷めやらぬ、といった様子で松野は言う。
「まあ、実際イベントの件は嘘だったんですけどね。まあ特撮の撮影現場に遡れる、と考えていただければ、プラマイ0かなーと」
「ああ、確かにな」
しかし、松野の顔は浮かない。
「どうしました? 何か不満な点でもありましたか?」
不思議そうな顔で女の子は聞く。
「……でも、いつかは帰らなきゃいけないんだろ?」
そう、ここはあくまで松野のいた時間とは違う時間軸。いつかは戻らなくてはいけないのだ。すると、女の子は、
「ああ、そんなことですか。別にここにいることもできますよ?」
こともなげにそう答えた。
「何だと! 嘘じゃねーだろうな?」
「え、ええ。ただし、今までの生活をすべて捨てることになりますけど、それでもいいなら」
すごい勢いで詰め寄ってきた松野に引き気味になりながらも女の子は答える。
「……構わねー! 永遠にこの世界にいられるのなら、そんなの些細な問題だ!」
「分かりました。では、いきますね」
女の子は人差し指を天高く突き上げ、松野を指差した。
「せーのっ、えいっ!」
それから数日後のことだった。
「では、次のニュースです。連日相次いでいる行方不明事件に、また新たな犠牲者が出ました。行方不明となったのは松野仕さん37歳で、数日前に会社を休んでから行方が分からなくなっているとのことです。警察では他にも同様の事件が数件起きているため、目撃情報を求めるとともに注意を呼び掛けています。では、次のニュースです……」
町ではこんなニュースが流れていた。その一方、
「さて、フェイリアンでも見るかなぁ」
そのニュースを自宅のテレビで見ていた30代後半の男性がたまたま手元にあったフェイリアンを取り出し、再生していると、そこにおかしな映像が映っていた。
「あれ? こんな人今までいなかったよな……? 一体誰だろう?」
そこには、リュックを背負った自分と同じくらいの年代のチェックのポロシャツを着ている男性が映っていた。
結局おじさんはあの世界にとどまることを望んで映像世界の住人となったわけですが、はたしてこの展開はおじさんにとっての本当の幸せだったのでしょうか。現実から逃げたい、とはだれしもが思うことではありますが、いざあなたの目の前にそんな選択肢が転がってきたら、あなたはどうしますか? きちんと現実の世界にとどまれますか? それとも……。




