聖夜(後編)
「……あれ、生きてる」
矢田は自分の体を確認する。彼の体には特に何の異変も起きていなかった。あれほどのエネルギーを受ければ無事で済むはずがないと思ったのだが……。
「どういう……」
すると、目の前に一人の子供が立っていた。それは淡口美月とよく似た背格好の黒のトレンチコートにスラックス姿の男の子で、雰囲気までもが彼女にそっくりだった。ただ違うのは、彼の肩に黒猫が乗っていることだろうか。黒猫は矢田の方を振り向くと細い目をさらに細めた。
「お前は……」
「やあ、また会ったね。昨日振りかな? 間に合って何よりだよ」
その黒猫は昨日見た黒猫に間違いなさそうだった。
「どうしてここに……」
「だから昨日も言ったじゃないか。僕たちの目的は淡口美月を追いかけることだって。とりあえず君は逃げるといいよ。公園の入り口には本物の高野藍香も連れてきてるから、彼女を迎えに行ってあげるといい。彼女も君のことはよく知ってるから大丈夫さ」
「いつまでのんびり喋ってんだよ犬飼。そいつを早く逃がしてやれ。俺たちの目的はこいつを助けることじゃねーんだからよ」
「はいはい。まったく生井君は手厳しいね」
いったん生井海人の方を振り向いた黒猫は、すぐに矢田の方に視線を移す。
「というわけだから、とりあえず君は逃げろ。ここは僕たち二人で何とかするから」
「あ、ああ、分かった」
よく分からないままに立ち上がった矢田は、公園の外に走って行った。
「藍香がいるってそんな馬鹿な。あいつは淡口美月が作り出した想像上の女性じゃなかったのかよ」
矢田は訳も分からぬまま入口の方へとかけていく。入口に出ると、そこに1人の女性が立っていた。
「藍香、なのか……?」
「夏蓮、夏蓮なの……?」
矢田のその声に女性は反応し、彼の方を向く。それはまぎれもなく矢田とつい先ほどまで一緒にいた女性だった。
「まさか、本物の藍香がいるなんて思ってなかった!」
「私も、まさか夏蓮に出会えるなんて! 嬉しい!」
2人はその姿を見つけた瞬間にお互い抱き合った。
一方その頃、公園では生井海人と淡口美月が再び邂逅していた。
「久しぶりですね生井海人さん。以前に会った時よりもずいぶん若返った印象がありますが、その様子だと人助けでもしたようですね」
「したくてしたんじゃねーよ。お前を追ってたらたまたま人助けになっちまっただけだ」
「そうですか。そして……」
淡口美月は黒猫の方を見る。
「犬飼望さんでしたね。まさかあなたが彼に協力しているとは思いませんでしたよ」
「ちょっとした縁があってね。彼の旅に同行させてもらうことにしたんだ」
その口調とは裏腹に、黒猫は彼女の方を睨んだ。
「それで、いったい私に何の用事でしょうか。元に戻してくれという願いならお断りですよ」
「お前が1度変身させた奴を戻すことはほとんどないのは知ってる。それに、犬飼だけなら俺の能力でも元に戻せるからな。俺の用事はそんなんじゃねーよ」
「では、何でしょうか。私は早く矢田さんを追いかけて口封じをしないといけないのですが」
淡口美月は苛立ったように腕を組んで足を揺らした。
「何のことはねーよ。こいつのことだ」
生井はトレンチコートの中から新聞を取り出した。
「それは……」
彼女の表情がとたんに曇る。そこにあったのは数年前の事件で、ある女性の消失事件だった。
「どうやら図星だったみたいだな。この真崎智香っていうのがお前が人を変身させ続けてる理由なんだろ?」
「どこでその情報を手に入れたんです? そのことは誰にも言っていないはず……」
「俺なりにいろいろと仮説を立てたんだよ。犬飼の情報とも併せてな」
生井はそのまま続ける。
「お前の目的がトランス・エネルギーの収集にあるっていうのは犬飼から聞いてる。なら、そのエネルギーは集められた以上、当然何かに使われるはずだ。あとはお前が過去に関わってそうな人物に片っ端から当たって聞いてっただけさ。その過程でもちろんお前の過去についても調べさせてもらったがな」
「……その結果そこまで辿り着くとは、どうやら私はまだあなたをなめていたようです。で、どうしますか? そこまで知ってなお私の邪魔をしますか?」
「邪魔はしねーよ。むしろ協力してやったっていい」
だが、これまで彼女と敵対していたはずの生井は、そんな意外なことを言い出した。
「え……?」
「ただ、お前が俺や犬飼とか他の奴、さっきの矢田みたいに誰かを不幸にしようっていうのなら、その時は全力で止めるだけだ。自分の目的のために人を巻き込むのはそれこそ子供と変わらねーからな。子供でいるのは見た目だけでいいとは思わねーか? 内面まで幼児化しちまったらそれこそプライドのかけらもなくなっちまうだろうよ」
「……なるほど、これは一本取られましたね」
淡口美月は笑う。これまで幾度となく他人を助け、他人を陥れ、一人でずっとやってきた彼女が、ほんの気まぐれで変身させた自分と同じ能力を持つ人間にここまでしてやられたのだ。こんなことが今まであっただろうか。
「だから、矢田に手を出そうとすれば俺は全力でお前を止める。だが、特に何もしないって言うんなら俺も犬飼もお前に協力してやる。取引としては決して悪くないと思うが」
その迷いのない目を見た淡口美月は、少し考えて頷く。
「……いいでしょう。そこまで考えてのことなら私も矢田さんに手出しするのはやめておきます。もちろん釘だけは刺させていただきますが」
「それだけなら特に何も言わねーよ。犬飼も猫でいることがばれるのは面倒だろーしな」
「にゃー」
白々しく猫の鳴きまねをする犬飼。こんな感じでやっておくから大丈夫だと言いたいらしい。
「では行きましょうか、彼の元へ」
淡口美月は矢田と高野がいる方向を指し示した。
淡口美月たちが公園を出ると、そこには楽しそうに会話する矢田と高野の姿があった。だが、生井のあとについてきた淡口美月の姿を見て二人は身構える。
「そんなに固くなるなよ。淡口美月の説得には成功したぜ」
その生井の言葉に矢田と高野はほっと一息ついた。
「今回の一件は申し訳ありませんでした。そのお詫びと言っては何ですが、永遠なる二人の生活をプレゼントしたいと思います」
「それはいいんだけど、いったい何で藍香が実在してるんだ?」
「そうよ、何で夏蓮が現実にいるのよ。てっきり想像上の彼氏だと思ってたのに……」
2人はまだ納得がいっていないようにまくしたてる。
「それはですね……」
「それは俺から説明してやるよ」
淡口美月が説明しようとした瞬間、それを生井が遮った。
「淡口美月がやったことは、簡単に言うならドッペルゲンガーの原理と一緒だ」
「ドッペルゲンガーってあの自分と同じ人間が世の中には3人いるっていうあれのこと?」
高野が聞く。
「ああ。淡口美月はそれを意図的に作り出すことでお前らのところに決してありえない状況を作り出したんだ。お前たち二人に接点はないし、住んでいるところもそんなに近いわけじゃないからな。この方法でこいつは絶対にありえないカップルを2組作り上げたんだ」
「その結果君たちはレンタル彼氏彼女っていう状態だと勘違いしたままにお互いの仲を深めていったんだよ。まあ離れているとは言っても隣町レベルだから、何かのきっかけがあったらそのうち出会っていたかもしれないけどね」
犬飼が後を受けて説明を締めくくった。
「なるほどね」
矢田はすべてに納得したようにうんうんと納得する。
「お2人にはご迷惑をおかけしました」
淡口美月は再び謝った。矢田はそれを制止する。
「……もういいよ。俺もあんまり根に持ちたくはねーしな。それに……」
「それに、何ですか?」
「お前がいなかったら俺と藍香は出会えてなかったからな。その点では感謝してるよ」
高野から眼をそらしながら矢田はこう言った。
「バカ、恥ずかしいじゃない」
高野は顔を赤らめながらうつむいた。その様子を見た生井と犬飼はニヤニヤする。
「……そうでしたか。それならいいんですが」
一方の淡口美月はそれを淡々と見守る。やはり自分のしようとしたことの重さ、そしてそれを生井に諌められたことでかなり心にダメージを負っているらしい。
「気にするなって言ってるんだから、もう気にしないでもいいんじゃないか?」
生井は淡口美月にそう声をかける。
「……そうですね。いつまでも引きずるのも私らしくないですし。何よりあなたに二度も一本取られるのは私のプライドが許しませんから」
「それでこそ淡口美月だぜ」
元気が出たように見えた淡口美月の様子を見て、生井は矢田と高野のほうを向いた。
「さて、全部解決したし俺たちはここから消える。お前たちともお別れだ。ただし、俺たちのことは誰にも言わないこと、これだけは守ってくれよ。じゃないと今度は本当に俺たち二人がお前たちを消しに来なきゃならないんでな」
前半は普通に、後半は脅すように彼らに言う。二人はゆっくりと頷いた。
「ならいい。それじゃあな」
二人と一匹は矢田と高野とは逆方向を振り返るように後ろを向く。その動作に呼応するように彼らの姿は消えていった。彼らが消えた後、矢田はこう呟いた。
「……不思議な奴らだったな。また会ってみたいもんだ」
「消されちゃうかもしれないよ?」
冗談交じりで高野が言う。
「それは勘弁してくれ!」
矢田が叫ぶ。その言葉に高野は声を上げて笑った。
一方、姿を消した淡口美月と生井海人、そして犬飼望の一行はある場所に来ていた。
「何だいこの薄気味悪いところ?」
犬飼は軽い寒気を覚えながら淡口美月に尋ねる。だが彼女は答えない。
「まあそもそもこんな薄暗い場所が気味のいい訳ないわな」
「それはそうなんだけど」
代わりに答えた生井の解答に犬飼は納得がいかないといった様子で首をひねるばかりだった。やがて数分経つと、淡口美月は一つの墓前で足を止めた。
「ここは?」
「……ここは真崎智香、私にこの能力を与えた張本人のお墓です」
淡口美月は声を絞り出すように話す。生井は首をかしげる。
「だって、あの新聞読んだけど、あれって失踪事件なんだろ? 墓ってどういうことだよ?」
「私ももちろんまだ死んだとは思っていません。ですが、数年間連絡が全く取れなかった上に、目の前で彼女が消えてしまった現場を見てしまったというのは精神的になかなか厳しいものがあります」
「……お前、過去に何があったんだ?」
生井は訝しがる。今の説明だけでは何があったのか全く分からない。
「……まあいいでしょう。せっかくですし、私がどうしてこの姿になったのかお話しします。そのあと智香について話したほうが分かりやすいでしょうし」
そう言って淡口美月は話し始めた。
「私がこの姿になったのはちょうど今から6年前のことです。あれはまだ私が20になる前で……、確か18歳ですね。私が彼女、智香に会ったのはちょうどこの場所でした……」
「……どうしよう」
淡口美月はため息をつく。彼女は大学受験に失敗してしまい、私立大学にしか合格できなかった。彼女に一般合格で私立大学に通えるほどのお金はないので特別待遇で合格したかったのだが、結果はぎりぎりで、何の特別待遇にもならなかった。奨学金制度を利用するというのも一つの手ではあるが、親のいない彼女がそこまでのお金を返却できるあてがあるかと言われたら無理な話である。
「こんにちは」
そんな時、淡口美月の後ろから誰かが声をかけてきた。声からして大人の女性のようだ。
「こんにちは」
挨拶を返す淡口美月。だが、後ろを振り向くとそこにいたのは小学校低学年くらいの女の子だった。てっきり落ち着いた大人の女性を想像していた淡口美月はそれを見て拍子抜けする。
「何だ、大人かと思った」
「あら、こんな姿だけど一応あなたと同い年くらいなのよ? 淡口美月さん」
「同い年? そんな馬鹿な」
さすがに信じられないといった様子で彼女を見る淡口美月。とここで淡口美月はあることに気付く。
「って、どうして今あなた私の名前を……?」
「早い話があなたに用事があってきたのよ。あなたのことはすべて調べてきたわ。家庭環境、好きなもの、生年月日から昔のトラウマまでそれはもう幅広くね」
女の子はそんな大人びた口調で淡口美月に話しかける。
「あ、あなたいったい……」
「ああ、そういえば名乗ってなかったわね。はいこれ」
そう言うと、彼女は淡口美月に白い長方形の厚紙を渡してきた。どうやら名刺のようだ。
「えっと……」
そこに書いてあったのはこんなことだった。
(あなたの変身願望を現実に 真崎智香)
「何これ……?」
「これが私の職業なのよ。でも、そろそろ私にも時間がない。だから、あなたに私の代わりをしてもらおうと思ってね」
「……はい?」
いきなりのことで話が全く追いつかない淡口美月。その様子を見た女の子―真崎智香―は再度彼女に告げる。
「だから、あなたに私の仕事を継いでほしいの。ね、簡単でしょ?」
これが淡口美月と真崎智香のファーストコンタクトだった。




