命日
人の命というのは儚く、そして短いものである。世界中で今日も多くの人間が息絶え、そしてその数だけ新たな命が生まれようとしている。だが、ここにその因果に逆らって、一人の人間を生かそうとしている者がいた。
「……本当によろしいのですか? あなたの言っていることはこの世界の理に反することなんですよ? 自分の願っていることの意味を本当に分かっているのですか?」
「そんなの知らない! あたしはおばあちゃんと一緒にいたいの!」
「困りましたね……」
黒いコートに白いワンピースの女の子、淡口美月は頭を抱えていた。彼女はいつものようにお客を見つけ、声をかけたのである。だが、今回の相手は彼女と同じくらいの外見の女の子であり、いつも以上に理不尽なお願いを要求されてしまったのだ。なのでこうやって説得を試みているのだが、この年代の女の子にそんなことが分かるはずもない。
「何でも叶えられるって言ったのに! 美月ちゃんの嘘つき!」
だが、説得しようとしていた彼女の考えは、その女の子の言葉で頭から消えた。
「……分かりました。そこまで言うならその願い、お叶えいたしましょう」
嘘つきとまで言われてしまっては、いくら相手が子供とはいえ彼女のプライドが許さない。そもそも彼女のモットーは“あなたの変身願望を現実に”である。この願いを叶えないという行為は彼女の営業理念に反する。
「せーのっ、えいっ!」
淡口美月は後のことなど考えることなく、いつものように呪文を唱える。瞬間、世界は振動し、そして何事もなかったかのように元に戻った。ある一点の変化を除いて。
「……さて、どうしましょう」
そのまま女の子と別れた淡口美月は彼女の監視に回ることにした。煽られてしまったので考えなしに女の子の願いを叶えてしまったものの、彼女が先ほどやったことは世界の改変に等しい。
「ゲホッ! これはまずいですね……。あの子の願いが私の体にここまでの異変を引き起こすなんて……」
血反吐を吐く淡口美月。彼女は仕方がないので自分に若返りの呪文をかける。幸い今回は数か月程度の若返りで済んだので外見がそこまで変わることはなかった。
「これで大丈夫だとは思いますが……」
これで女の子の行方を追えると思った淡口美月はそこで気付いた。
「……見失ってしまいましたか」
話が振り出しに戻ってしまった。彼女は自分の持つ全能力を使い、女の子の行方を追う。
「おばあちゃん!」
一方の女の子は、その数十分後に家に帰った。勝手に家から飛び出したのでなかなかの大目玉を食らったが、その後彼女は泣きながら彼女の祖母がいた部屋へと向かった。そして、自分の祖母が生き返っていることを確認して大喜びした。彼女の祖母は数週間前にがんで他界していたはずだった。だが、この女の子がおばあちゃんにずっと生きていてほしい、という願いを淡口美月に願った結果、彼女の祖母は再びこの地に舞い戻ったのである。だが彼女もがんの転移した体で起き上がることはできず、布団に横になったままだった。祖母は娘を泣き止ませると、優しい口調でこう聞いた。
「……彩、お前が私を生き返らせてくれたのかい?」
「そうだよ! もうおばあちゃんはずっと死なないんだよ! いつまでも彩と一緒なの!」
おばあちゃんはそう、とさびしそうな顔をして呟く。
「……おばあちゃんは嬉しくないの?」
女の子は泣きそうな顔をする。
「それは彩ともう一度会えたことは嬉しいよ。でもねぇ、私はもう本当なら死んでる人間なんだよ。確かに今は体の動かない状態で生きていられるかもしれない。でもそれは少しの間のことさ。直に私はきちんと話せなくなるし、彩の顔も見えなくなるかもしれない。死人を生かすっていうのはそういうことなんだよ」
「……それでも彩はおばあちゃんと一緒にいたい!」
女の子は少しの間黙っていたが、そう答えた。祖母はその答えを聞いてこう言った。
「そっか。彩ちゃんは寂しいんだね。でも大丈夫、わたしは例え姿が見えなくなったとしてもずっと彩ちゃんのそばにいるよ」
「だって、おばあちゃんともう会えないんでしょ! 彩そんなのいや!」
泣きそうな顔で精いっぱいの反論をする女の子。すると、彼女の祖母は女の子の頭を優しく撫でた。それは生前彼女がよく女の子にしていたものと全く一緒だった。
「いいかい。わたしは確かに死んだ。彩ちゃんがわたしに触ることも、わたしが彩ちゃんに触ることもできない。でも、わたしはずっと彩ちゃんのそばにいるし、ずっと彩ちゃんのことを見てる。約束するよ」
「本当?」
女の子は心配そうな顔で聞く。
「本当だとも。おばあちゃんが今まで彩ちゃんに嘘ついたことがあったかい?」
「ううん、ない!」
女の子は元気よく答える。
「そうだろう。だから大丈夫だよ。ずっと彩ちゃんのそばにいる。だから、彩ちゃんは前に向かって進むんだよ」
「うん!」
女の子は首を大きく縦に振ってうなずいた。
「困りましたね……」
一方の淡口美月は女の子を見つけることができずに途方に暮れていた。いつもならその後のアフターケアを欠かさないためにあれこれ仕掛けておくのだが、今回はそれすら忘れてしまっていた。
(悪いことというのは立て続けに続くものです。まずは女の子を見つけることから始めないと。このままではゾンビ状態の人間が街にあふれかえってしまいます)
そして彼女はもう1つ、大きなミスを犯していた。それは、彼女の祖母を生き返らせるという目的のためだけに、今の世界を死人が全員死なずに生き返ってしまう世界に変えてしまったことであった。このままでは現行の死刑制度が意味をなさなくなってしまうどころの話ではない。そのうち地上には生きた死人が溢れかえり、地上に乗り切らなくなった人々が徐々に陸の端に追いやられてしまうだろう。幸い今はまだ効果が完全に発揮されていないのか、まだ地上に存在している死人の数はほとんど見受けられない。だが、徐々に死人の数が増え続けているのも事実だった。先ほどまでは特に気にならない人数だったが、既に右を見ても左を見ても、明らかに生者ではない者が見えるほどにまで状況は悪化していた。
(まさかこんなところで私の能力の欠陥が露呈してしまうとは……)
実は淡口美月の能力には致命的な欠陥があった。彼女の能力は本人が直接願いを伝えないと叶えられず、願いを取り下げたい場合、願いを叶えてほしいと頼んだ人物がもう一度彼女に接触しないと解除できないのである。彼女自身がわざわざお客を選んで話しかけるのも、透明人間になりたいと願った三宅助平を元に戻すために二度目の接触をしたのもこれが原因だ。現に今でも女の子の願いでできた世界には、普通ならあり得ないような現象が横行してしまっている。
(もっとも基本私が2度目の接触をすることはないので今まで特に気にもしていなかったのですが。まさかこんなことになるとは思ってもみませんでしたよ)
ため息をつく淡口美月。このまま彼女のミスでこの国が破滅の一途を辿ってしまうのは、いくら何でも申し訳なさすぎる。そんな絶望的な状況の中、彼女の視線はある一点に吸い寄せられた。
「いた!」
それはきょろきょろと周りを見渡す先ほどの女の子の姿だった。
「美月ちゃんどこに行っちゃったのかなぁ……?」
女の子は先ほど自分の願いを叶えてくれた女の子を探すが、一向に見つかる気配がない。そもそもあの子は本当に同い年だったのか、この近所の子だったのかすら分からない。また家を飛び出してしまったからおそらく怒られることは確実なのだが、今はそれよりも女の子が見つからないことの方が問題であった。
「美月ちゃーん!」
女の子は彼女の名前を呼んだ。その刹那だった。
「呼びましたか?」
目の前には先ほど仲良くなったばかりの女の子がいた。
「美月ちゃん! あのね、彩お願いがあるの」
どこから現れたのかとかそんなことは子供だから特に気にならない。見つけてしまえばあとは自分の願いを伝えるだけだ。
「何ですか?」
淡口美月は彼女にそう尋ねる。
「さっきのお願いをなかったことにしたいの」
「おばあちゃんのことはもういいんですか?」
「うん、もう大丈夫。おばあちゃんと約束したから」
「……そうですか。では、元に戻しますね」
彼女にどんな変化があったのか、もちろん淡口美月に知る由はない。だが、彼女がこうして自分から願いに来てくれたことは淡口美月にとっては好都合だ。何しろ、説得する手間が省けたのだから。
「せーのっ、えいっ!」
そして再び世界は震える。その直後、それまで町にはびこっていた死人の姿は消え、一時間ほど前の元の世界に戻っていた。
「これで元に戻りました。あなたの理想とする世界はこれにて終焉となります」
「うん。だいじょーぶだよ美月ちゃん!」
女の子は訳も分からず答える。理想とか終焉とかといった言葉を幼い彼女が当然理解しているはずはない。
「それでは、あなたの今後の生活がより良きものになりますよう、心から祈っております」
淡口美月は決まり文句を述べると、そのまま彼女の前から姿を消した。
「消えちゃった……」
女の子はぽかんと口をあけてしばらくその場にたたずんでいたが、
「彩もおうちに帰らなきゃ!」
自分が黙って家を出てきたことを思い出して急いで自宅へと戻るのだった。
「しかしよくよく考えてみればおかしな話です」
だが、すべてが解決したはずの淡口美月は首を傾げたまま空中にたたずんでいた。
「私はうっかり今回彼女の願いを完全に叶えない状態でいつもの呪文を唱えてしまったはず。それにもかかわらず、先ほどの話を信じるなら彼女のおばあちゃんはきちんと復活したことになる。偶然と言ってしまえばそれまでなんでしょうが、今回に関してはそれで片付けていいものなのか疑問が残ります」
死人を復活させる、という曖昧な改変がどこまで適用されるのか、当然彼女は知らない。そもそも彼女が願いを叶え損ねるということは今までありえなかったことである。おそらく自らに課せられた呪いである年齢を遡る行為が引き起こしたものなのだろう。それはともかく、彼女の祖母がきちんと復活した理由に彼女にはわずかながら心当たりがあった。
「……まさかとは思いますが“彼”でしょうか」
淡口美月は数か月前に自らと同じ能力を与えた人物のことを思い出す。彼が能力を使ったような気配を不調ながら感じることができたからである。そういえば彼とはあれから出会っていない。出会おうとしていないと言ったほうが正しいのだが。
「そうだとしたら、思ったより彼は私のことを調べつくしている可能性がありそうですね。これはそのうち彼ともう一度遭遇することがあるかもしれません」
彼女は笑う。やはり自分の勘は間違っていなかった、と。
「もしその時が来るのなら、彼は私にとって必要な存在だったということでしょう。それなら私はその時が来ることを願って、気長に待つことにします」
そう言った淡口美月は今度は空からも姿を消した。
「ゲホッ!」
一方、道端にうずくまる男の子がここに一人。彼は黒のトレンチコートに白のスラックス、そして肩には黒猫が乗っていた。彼の口からは先ほどの淡口美月と同じように血が吐き出されていた。
「大丈夫? 前の話を信じるなら君には人を助けると若返る呪いがかかってるんだろ? そんな無理しておばあさんに化けてまで人助けをすることはなかったんじゃ……」
驚くことにその黒猫は言葉を話した。
「うるさい! お前が何と言おうと俺は自分の信念は曲げねーよ。それを承知でお前だってついてきたんだろうが!」
男の子は叫ぶ。そのしっかりした口調はおよそ小学生の男子には似つかわしくないものであった。
「そうだけど……」
「それに、やっとあいつの手がかりを見つけたんだ。こんなところで見失ってたまるかよ」
黒猫は必死だな、と彼の様子を見つめる。それはそうだろう。彼にしろこの黒猫にしろ、淡口美月という女の子に人生を変えられてしまった者たちなのだから。
男の子の名前は生井海人、黒猫の名前は犬飼望という。二人は淡口美月を追ってここまでやってきたのだ。もっとも犬飼望のほうは単純に面白そうだからという理由もあって生井に同行しているのだが。
「くそっ、仕方ねぇな」
生井は自分自身を指差した。それは淡口美月と同じ能力、そして同等の力だった。
「そらよっ!」
生井は少しだけ若返る。そしてみるみるうちに傷が治っていった。
「一体それどういう仕組みになってるんだろうね?」
「……俺が知るかよそんなこと。傷を負ったんだったらその傷を受ける前に戻る、つまり若返ってしまえばこの効果は消えるんじゃないかと思ってやってみたらたまたま当たっただけだ。もっとも、俺の意思でこの若返りの期間までは操作できねーみたいだがな。それに、この能力を使うとすぐに赤ん坊まで戻っちまうから頻繁には使えないのも難点だしな。俺にもともとかかってる呪いと組み合わせたらあっという間に動けなくなっちまう」
彼はそう言って立ち上がる。
「もう大丈夫なのかい?」
「さっきも言ったろ。せっかくつかんだ手がかりを手放すわけにはいかねーんだよ。目の前にあいつがいるのなら、立ち止まる理由なんかねー」
「無理はしないほうがいいよ、って意味のない忠告はしておくね」
そういって二人は歩き出した。
皆さんお久しぶりですね、淡口美月です! 今回は私の体に徐々におこる異変と私が以前に変身させた彼がちょこっとだけでてくるお話でした。
ところで皆さんは不老不死というものを信じますか? 今回のテーマはまさにその不老不死といったものをテーマにしています。不老不死が叶ってしまった場合、今の人類はどうなってしまうのでしょうね? 命とは儚いからこそ美しいとはよく言ったものですが、まさにその通りな気がしますね。
それではまた次回、あなたの変身願望を叶えに参上いたします。