誕生
こんにちは、淡口美月です!
ここから新章が始まるのですが、この章から読む方は以前までの話を読んでいないと繋がらない可能性があります。
ですので、良ければ以前の話も一緒に読んでみてくださいね!
※なお、このお話からしばらく後書きはありません。
「……やっぱ最高だぜこの泥棒!」
制服姿の高校一年生、生井海人は公園で買った漫画を読みながらそう声を上げる。彼には尊敬している人物がいるのだ。だが、それは現実の人間ではない。フィクションの世界の人間である。
「ムッシュ江崎みたいな泥棒、憧れるぜ……」
その人物の名前はムッシュ江崎。何でも盗むことができると言われた幻の大怪盗である。彼は『大泥棒ムッシュ江崎』という漫画に出てくる登場人物である。だが、ただ盗むだけの悪党ではなく、別の泥棒が盗んだものを盗んで持ち主の元に返したり、あるいは盗みに入ったものを取らないで帰ったり、といった偽善者である点が生井にとって高評価なのである。
「まあでもこんな奴現実にはいないもんな。いたらどれだけ楽しい事か……」
だが、こんな世紀の大天才は世には表れないのが常である。世を賑わせた有名人は、やがてその知名度と共に安定期に入るか、一時期の知名度と共にテレビから消えるかの二択だ。長い間テレビに取り上げられるほどの話題性を持った人物を生井が見たことがないのは当然であるとも言える。
「……もしかしたらフィクションだからこそ存在するような人間なのかもしれないけどな」
生井がそうつぶやいたその時だった。
「それならその人物、あなた自身がなってみる、というのはいかがですか?」
「うわぁ! 何だお前?」
彼の真後ろからいきなり声がした。生井は驚いて叫ぶ。振り向いた彼の目に飛び込んできたのは女の子だった。それも、幼女だ。白いワンピースに黒いコートを羽織った小学生に上がりたてくらいのはずの年齢の彼女のその格好は、話題性を集めるには十分すぎるものだった。
「これは失礼いたしました。私、こういう者です」
彼女はその容姿とは不釣り合いな丁寧な敬語で名刺を渡してきた。行きがかり上生井もそのまま名刺を受け取る。そこには彼女の連絡先と思われる電話番号ともう一つ、
(あなたの変身願望を現実に 淡口美月)
という口上のようなものが書かれていた。
「……あんた、一体何者だ?」
只者ではないのは見て取れたので、生井も身構えて聞く。
「あ、いえいえ、そんな警戒しないでください。驚かせてしまったようで申し訳ないです」
彼女はにこやかな営業スマイルで対応する。生井もひとまずこの女の子が怪しいやつではないことが分かったので、少し体勢を崩した。
「で、もっかい聞くが、あんたは何者なんだ?」
「そこに書いてあるじゃないですか。淡口美月って言います」
すると彼女は姿勢をしゃんとして答えた。
「いや、俺が聞きたいのはそこじゃなくて、あんたの職業だよ。あんた、見たところ普通の小学生じゃなさそうだ。上手くいけばテレビに出て大儲けだってできるかもしれない」
生井のその言葉に、女の子の表情が途端に曇った。
「私はメディア露出することが目的でこんな格好をしてるわけではありませんから。この外見にだってきちんとした理由があるんです」
そこまで言った女の子はハッと気付いたように生井の方を見る。
「あ、で、私の職業が知りたいんでしたっけ? 私はそうですね……かなり簡単に言うならセールスマンです。あなたの人生を変えるお手伝いをさせていただくっていうのをコンセプトにしています」
「セールスマン? あんたがか?」
生井は半信半疑と言った様子で聞く。彼女がこの容姿、この年齢でセールスをしているようにはとてもじゃないが見えなかった。
「ええ」
「じゃあ聞くけど、あんた何のセールスやってんだよ? 薬の押し売りか? それとも宗教か何かか?」
もっとも前者なら訴訟ができるし、後者ならロクな宗教ではないのが目に見えている。どちらにせよこんな女の子を働かせるような企業はひどい場所に決まっていろだろう。ところが、彼女が返した答えは生井の考えとはまったく違ったものだった。
「私が売っている……という言い方もちょっと違いますね。私は慈善事業でこの職業についているので実際タダ働き同然ですし。で、私が扱っているのは人の変身願望です。ほら、その名刺にも書いてあるでしょう?」
言われてみると確かにさっきそんな文字を見たような気がする。
「いや、だからその変身願望っていうのが分かんないんだって」
だが、生井が分からないと言ったのはまさにその変身願望そのものだ。そもそもそんな言葉を聞いたことさえなかった。
「あーなるほど。まあ私の俗語なんですが、何となく聞いた感じで意味分かりませんかね?」
「……いや、分かんねえな」
少し考えた後生井はこう答えた。そもそも彼はあまり国語が得意な方ではないのだ。一つ一つでは意味の分かる単語も組み合わせただけであっという間に知らない言葉となってしまう。
「えっと、そうですね。例えば今あなた、ムッシュ江崎という人物を尊敬しているような口ぶりでしたよね?」
「まあな。このキャラは俺のバイブルみたいなもんだ」
そこまで聞いてたのかと思いながら、生井はさらっとそんなことを言う。すぐにこんな言葉が出てくるあたり、いかに彼がこのキャラを溺愛しているのかがよく分かる。
「では、その人物のようにあなたがなりたいと思ったとしますね」
「ああ」
「それが私の言う変身願望ってやつです。あなたが何かになりたいと思ったもの、それこそがあなたの変身願望なのです」
つまり、変身したいと思ったそれそのものが彼女の言う変身願望ということになる。
「なるほど、つまりあんたは俺を変える手伝いをしたい、と」
「だから最初からそう言ってるじゃないですか。私が変身させることができないものはほとんどないと言っても過言ではないと思いますよ」
彼女は少し自慢げに言うが、最初に彼女が言っていたのは人生を変えるとか何とか大きな枠組みだけで、それだけでは分かるはすもない、と生井は思った。
「……んで、それっていうのは本当に何でもできるのか?」
だが、ここで彼女を追及したところで似たような返答が繰り返されるだけだ。生井は他の質問をすることにした。
「あー、さてはあなたも実際に見たものでないと信用できないクチですか?」
「いや、そうは言われてもなあ……」
彼女の能力の説明がアバウトすぎるので聞いただけなのだが、どうも彼女はこの手の説明を毎回求められているらしく、途端に不機嫌そうな顔をした。
「まあ私も説明能力みたいなのが大分落ちてるみたいなので仕方ないと言えば仕方ないんですけどね」
ため息をつきながら彼女は100円を取り出す。
「今からこのお金をメダル11枚に変えて見せましょう」
「そんなゲーセンみたいな……」
呆れながらも彼は少し考える。
(もしそんなことができたら両替機なんか商売あがったりなんだろうな)
そんなどうでもいいことを考えているうちに彼女はいつの間にか人差し指を天高く空に突き上げていた。
「行きますよ? せーのっ、えいっ!」
その声と共に彼女が100円を指差すと、100円は一瞬でメダル11枚に変化した。
「え、ええー?」
「だから何でも変身させることができるって言ったじゃないですか。まああなたに限らず大体の人が似たような反応をするので別にいいんですけどね」
生井の驚きように女の子はそんな返答をする。彼女ももう慣れっこなのだろう。
「それで、何かあなたが変身したいものはありませんか? それが私の仕事なので、何かあるようでしたら今すぐにお叶えいたしますよ?」
「……一つだけ聞きたいことがあるんだが」
そう聞かれた生井は彼女にこう質問することにした。
「なぜあなたを選んだのか、ですか?」
「どうしてそれを……」
だが、それを聞く前に女の子がその聞きたいことを言い当ててしまったので生井はまたも驚かされてしまった。
「だから、大体の人が同じような質問をしてくるので何となく質問の内容が分かってしまうのですよ。で、理由でしたっけ? 早い話があなたが私に選ばれたからです」
「選ばれた?」
その言い方に生井は少し違和感を覚えた。まるで自分が神様であるかのような、そんな口ぶり。すべてが自分の思い通りに進んでいる、そんな言い方に。
「はい。私は自分で選んだ客にしか自分から声をかけたりはしませんから。たまに自分から声をかけてくる人もいますが、その場合でも私がOKと判断した人でない限りは私が変身させることはありません」
「ふーん。つまり、あんたは自分で絶対的に覇権を握れるような人物でないと声をかけないってことか?」
「大体セールスマンってそういうものではないですか? 自分が売りたいものを売れそうな人にしか声をかけたりはしないでしょう?」
確かに正論だが、慈善事業と言っていた以上はそこに何かメリットがないとおかしい。
「じゃああんたは何を目的に俺みたいな客に声をかける? まさかただ変身させるのが目的じゃないんだろ? 金以外に何かそこにメリットがなければこの仕事は成り立たないはずだ」
すると女の子は興味深そうな顔をした。
「なるほど、あなたはなかなか珍しいお考えをお持ちのようですね。そこまで聞かれたのはとても久しいです。そうですね。では、こうしましょう」
女の子はそう言って生井の方を向いた。
「あなたに私の能力を分け与えましょう。変身願望とは少し違いますが、あなたには十分その資格があります」
「お、おい、何する気……」
だが、生井が逃げようとした頃にはもう女の子は指を頭上に振り上げていた。
「せーのっ、えいっ!」
「うわああああ!」
生井は何かが体の中に取り込まれるような感覚と共に意識を失った。
「……ん、ここは……?」
生井が目を覚ますと、そこは先ほどまでとは何も変わりのない公園だった。
「夢、だったのか?」
だが、何かがおかしい。まず、着ている服が黒のトレンチコートに白のスラックスに変わっていた。そしてもう一つ、先ほどまで読んでいた漫画がない。
「どうなって……」
体を起こすと、目線が少し低い。何だか昔に戻ったような、とそこまで考えて自分の手を見て、生井は驚愕した。
「お、おい、嘘だろ?」
彼の手は明らかに縮んでしまっていた。否、その言い方は適切ではない。体が若返ったと言った方が説明としては正しいだろう。なぜなら、彼の体すべてが縮んでしまっていた上に、肌のみずみずしさまでもが戻っていたからである。
「ああ、気が付いたみたいですね」
その声に生井が振り向くと、やはり後ろには先ほどと同じように淡口美月が立っていた。漫画を持っていることから見ると、生井の漫画は彼女が暇つぶしに読んでいたらしい。
「お、お前、俺に、一体何を……」
「言ったじゃないですか。私の能力を分け与えるって。これであなたも私と同業者です」
「同業者、だと……?」
生井は何を言っているんだといった顔で彼女を見る。
「ええ。その能力を使って先ほど言っていたようにテレビに出るもよし、私の邪魔をするもよし、私に協力するもよしです。あなたはたった今から自由に人を変身させることができる存在になったのです」
「何だよ、それ……」
呆然と聞き返す生井。
「早い話が人じゃなくなったんですよ、あなた。その体の縮みようと私の能力を思い出してみれば分かるでしょう? あんなことが人にできるくらいならみんな苦労なんかしないですよね。それこそ変身願望なんて誰も持たなくなってしまうでしょう」
「どういうことだよ、それ……」
それを聞いて絶望したかのような表情を浮かべる生井。自分が人ではなくなってしまった、その一点だけが彼を絶望の淵へと叩き落とす。だが、彼女はそんな彼の様子を気にすることなく会話を続ける。
「そうそう、あなたの能力には私の能力とは違って一つだけ制約があります。あなたは確かに人を変身させることができます。ただし、他の人を助ける目的で能力を使ってはいけません。もし使えば、あなた自身は死んでしまうでしょう。ただし、それをしない限りはあなたは不死身です。どうぞ、先の長い余生をお過ごしください」
だんだんと消え入るように小さくなる彼女の声。
「お、おい、ちょっと待て! まだ話は……」
「あ、それと漫画はお返しします。なかなか面白かったですよ、これ」
漫画を放り投げて返す彼女。まるで長年の友人化のような距離感であった。落とさぬように慌てて拾う海人。
「では用事も済んだのでこれで。生井海人さん、同業者として頑張ってくださいね……」
そう言った彼女の姿はいつの間にか消えていた。
「おい! ……ちくしょう、どうすんだよ、これ……」
あとに残されたのは、小さな姿になった生井海人と一冊の漫画だけだった。