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変身願望  作者: 小麦
淡口美月の秘密
12/29

暗殺者

 その日、ある路地裏のさびれた家に銃声という名のベルを一人の男が鳴らした。時刻は既に丑三つ時、街はさびれているだけではない静けさに支配されていた。

「……あんたがここにいるのは分かってる。早く出てこいよ、淡口美月。俺はあんたに用事があるんだ」

 男はこう呼びかける。すると、穴の開いたドアを開けて出てきたのは幼い女の子だった。おそらく年齢は小学校1~2年くらいだろう。黒いコートに白いワンピースの彼女は不思議な雰囲気を漂わせていた。

「……何の御用ですか? 人が住んでるところにまで入ってくるなんてなかなかの悪趣味ですよ? ずいぶん物騒なものをお持ちのようですし……。 そもそもあなた、一体誰なんです?」

 彼女は眠そうに質問攻めにする。こんな時間に尋ねてくるような輩が大抵ロクな輩ではないのは目に見えている。

「俺の名前は……コードネーム564とでも呼んでくれ」

 男は少し困ったように答える。本名を教えてはならない決まりでもあるのだろう。

「では564さん、私に何の御用でしょうか?」

 名前を名乗ったのを見て彼女はようやく目をゴシゴシとこすった。彼女が顧客として彼を認識したのだ。

「……俺を変身させてほしい。人間なら誰でも殺せる暗殺者に」

「……あなた、殺し屋さんですか?」

 殺し屋、またの名を暗殺者、アサシンとも呼ぶ。表舞台に姿を現すことは決してない。いつも光とは無縁の世界にいるのがこの職業である。ターゲットに狙いを定め、気付かれないように仕留める。その難しさは言うまでもないが、その分成功したときの報酬は莫大なものとなる。また、同業者から狙われることも多く、常に死と隣り合わせという点ではどの職業よりも危険を伴うだろう。

「そんなところだ。で、俺の望みを叶えてくれるのか? あんた、確か人を変身させることにかけては一流だって噂だが」

 男はあくまで気を急いている様子だ。何かよほど急がなくてはならない事情でもあるのだろうか。

「一応私もこの道のプロですからね。仕事の確実性については保障しますよ。まあここまで来たんですからせっかくですし中へどうぞ。良ければあなたのお話を聞かせてください」

 彼女は男を中へと招き入れた。



「で、何だって暗殺者さんが私のところに来たんですか? あなた、見たところかなり暗殺慣れしているように見えますし、どうもいくら頑張っても仕事が成功しないとかいうような悩みを抱えているようには見えないんですけど……」

 淡口美月は男を座らせるとこう尋ねた。彼女が中に招き入れた男はなかなかに鍛え上げられていた体を持ち合わせていた。それでいて顔や手、足にさえいくつかの傷もあり、風貌はまさに歴戦の勇者と言っても過言ではないだろう。そんな彼が何故淡口美月のところに来たのか。その理由はいたってシンプルなものであった。

「見て分かる通り、俺は今までずいぶんな人数を殺してきた。もうこの世界で仕事を始めてから40年は経つ。あんたの疑問ももっともだ」

「じゃあどうして……」

「だからだよ。俺ももう60歳だ。そろそろ目やら耳やら体のいろんなところにガタがきちまってる。最近じゃ殺気のない素人が背後から近づいてきたことに気付きもしないほどの籠絡ぶりだ。だからあんたに頼みに来た。あんたならどんな奴でも確実に望み通りの姿に変身させてくれるってのは裏社会じゃ有名な話だからな」

 つまりは、加齢による暗殺能力の衰え。それが彼が淡口美月に頼みに来た理由という訳である。確かに目には小じわが目立つし、どことなくたくましい体の中にやや年老いた印象があった。

「はあ……。まああなたのお願いを叶える分にはいいのですが、どんなふうにあなたを変身させればよろしいのでしょうか?」

「最初に言っただろう。人間なら誰でも殺せる殺し屋にしてくれって」

 淡口美月の問いに、男は玄関口で言った言葉と同じ言葉を繰り返した。

「その願い、お叶えいたしましょう。ですが、本当によろしいのですか? 私が叶えて差し上げるお願いは一度だけ……」

「うるせぇ! お前はつべこべ言わずに俺を俺の望んだ姿に変えればいいんだよ!」

 男は立ち上がって愛用しているであろう自らの小型拳銃を淡口美月に突き付けた。

「わ、分かりましたよ……。少し待っててください、今準備しますから」

 彼女は慌てて立ち上がると男の正面に向かった。

「言っとくが妙な真似したら承知しねえからな」

「分かってますってば。歯向かうだけ無駄なのは私もよく知っているつもりですから、そこは心配しないでください」

 そう言って男に向かっていつものように右の人差し指を天高く振り上げた。

「せーのっ、えいっ!」

 すると男の体は一瞬だけ光り輝き、その光はすぐに収まった。

「……本当にこれで人間なら誰でも殺せる殺し屋になったんだろうな?」

「ええもちろんです。何なら今から試してみてはいかがですか? その紙、次のあなたの暗殺対象の顔写真か何かでしょう?」

 淡口美月は男の胸ポケットからはみ出している白い紙を指差す。

「……へっ、不気味なお嬢ちゃんだぜ全く。それじゃあそうさせてもらおうか。ありがとよ、感謝するぜ」

 男はそう言うと玄関先から静かに出て行った。



「なかなか恐ろしいお客さんでした……」

 男が出て行ったのを見届けた淡口美月は力が抜けたかのように椅子に座った。

「しかし、いきなり人の家にピストルで発砲するなんて物騒なのもいいところですよ全く……。あんな人にあんな能力を与えて良かったのやら……」

 やや後悔しながらも、その顔に後悔はない。

「ですが、あの人が本物の暗殺者なら、彼はここにもう一度来る。私はそれを信じることにしましょう」

 彼女のその目は不思議とこの先に起こる未来が分かっているようだった。



 それから数か月後のことだった。淡口美月の住みかに再び乾いた音が鳴り響いた。時刻は以前と同じ丑三つ時である。

「どなたですかこんな時間に……」

 やはり同じように寝ぼけ眼で玄関先に出てきた彼女は、その人物が誰かを知るや否や急いで目をこすった。

「あなたでしたか。どうしました?」

 その人物はあの暗殺者の男だった。職業で使用するなら完璧な力を手に入れた彼が、なぜこの場に戻ってきたのだろうか。

「無理を承知で、あんたに頼みたいことがある」

「……何を頼みたいのかは分かっています。とりあえず中へどうぞ。外で立ち話をするには寒すぎる時間ですからね」

 彼女はもう一度男を家へと招き入れた。



「で、俺の頼みってのは……」

「あなたに与えた人間を確実に暗殺する能力、あれを取り消してほしいんですよね?」

 男が皆まで言う前に淡口美月は聞いた。

「な、何故それを……。俺が何か欲張って他の能力をもらいに来たとは考えなかったのか?」

 男は驚愕する。

「あなたは暗殺を成功させるために日々鍛錬を怠らなかった。それは以前あなたがここに来たときに見せてもらったあなたの体からも想像がつきました。そしてそれは能力を与えた後も変わらなかったのでしょう? 事実、あなたの体は今でも以前のような素晴らしい筋肉量を保っていますしね」

「……」

 彼女の言っていることは当たっていた。男は確かに筋トレを欠かさず行い、体力の維持に努めていた。

「そんなあなたが突然自分の望み通りの能力を手に入れた。最初のうちこそこれで生活が楽になる、とか考えていたのかもしれません。ですが、自分の仕事に誇りを持っていたあなたは、そのうちにそれでは物足りなくなってきた。たとえ昔のように不完全な自分に戻ったとしても、昔のようなスリルを味わいたかったのではないですか?」

「……あんた、不思議な人だな。確かにその通りだよ」

 男は白状したかのようにポツリポツリと話し始めた。

「あの能力を得た後は確かに仕事が驚くほど成功するようになった。ただでさえ少ない失敗率はさらに減少した。だが、それだけだ。俺の仕事に対する誇りも、暗殺の時に感じていたスリルも、すべてが失われた。そんな仕事あんさつに、俺が魅力を感じられなくなったのは言うまでもねえ」

「それであなたはここへ来たんですよね。あなたが得たものと引きかえに、失ったものを取り戻すために」

「……そういうことだ」

 男はそれ以上何も語らなかった。彼女がもう全てが分かっていると悟ったのだ。

「では、あなたを元に戻します。それがあなたの選んだ道ならば」

「……本当にいいのか?」

 男は意外そうな顔をした。願いを叶えてもらうとき、叶える願いは一度だけと言われたのを思い出したのである。

「ええ。私は努力している人の味方ですから。そういう人の願いを叶えるためならば、自分で言ったことなんて何度でも覆しますよ。それが私の仕事に対するポリシーですから」

「……ありがとよ」

 男はそれ以上は何も言わなかった。ただ彼女に向けられたその感謝の言葉は、それがたとえ自分のためであったとしても、淡口美月が聞いたどのありがとうよりも胸に響くものだった。



 それからまた数か月の時が過ぎ、ある記事の載った新聞が淡口美月の家に届いた。

(身元不明の遺体発見 60代前後の初老の男性か?)

 記事によればある倉庫の裏で何者かによって銃殺された遺体が発見されたらしい。だが、身元を証明するものが何もなく、この遺体が何者なのかはまだ判明していないという。唯一判明しているのは年齢だけで、何も手掛かりになりそうなものはないそうだ。

「……そうですか」

 淡口美月はその記事を見て、そのままその新聞を閉じた。

「あの人は満足いく仕事ができたのでしょうかね……?」

 今回は暗殺者の残り少ない人生を描いたお話でした。私が彼のお願いを聞かなければ、彼が死ぬようなことはなかったのかもしれません。どれが本当の幸せなのか、それももちろん本人にしか分かりません。ですが、彼にとっての本当の幸せは、きっと得ることができたのではないでしょうか。それが彼が望んだ人生だったのですから。……あっ、そろそろ私も次のお客さんを探さないと!それでは、また会う日まで。

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