ヴァンパイア(後編)
※第九話の前編を読んでからこちらを読まないと話が繋がらないかもしれません。
「……さて、私は顧客に対する忠告はどんなに気に食わない対応を取られたとしても平等にする方ですけど……」
姿を消したはずの淡口美月は、電柱の上からその番場の様子を見てこう呟く。
「はたしてあの河合ひとみさんの思い通りに事は運ぶのでしょうかね?」
今回彼女は番場に接触するつもりはなかった。むしろ劇を頑張っている彼に対して彼女の能力を使うのはアンフェアな気がしたので使いたくなかったくらいだ。
実は淡口美月、番場のことも河合ひとみという少女に接触する前にリサーチ済みであった。だが、彼はこれ以上ないくらいの努力家で、彼女の能力を使用するまでもなく充実した人生を送っていた。なので、番場を顧客にするのは見送ったのである。ところが、番場よりもふさわしい顧客であると判断した河合ひとみという少女に接触したせいで、思わぬ形で彼に話しかけることになってしまったのだ。
「そもそも今回の件、事の発端はあの人に私が接触してしまったせいですしね。仕方ないです」
だが、彼女の仕事は顧客を満足させることにある。彼への接触が顧客の望みなら、彼女もまたそれを叶えなくてはいけないのである。そうでなければ彼女の仕事は意味をなさない。ただでさえ無銭報酬の彼女にとって、顧客がいなくなることは本当に死活問題だ。
「確かあれは二週間前のことでしたっけ……」
それはいつものように淡口美月が顧客にマークをつけて話しかけた時のことであった。彼女の名前は河合ひとみ。高校一年生だった。
「こんにちはおねーさん!」
淡口美月はいつものように彼女に話しかけた。彼女が演劇部の部長のことを好きで、自分の容姿にコンプレックスを持っていることは既にリサーチ済みであった。
「何、どうしたの……?」
「私、こういう者なんです」
淡口美月はいつものように名刺を渡す。そこに書かれていたのはこんな文字であった。
(あなたの変身願望を現実に 淡口美月)
「変身願望を現実に……? これって?」
「あなたがなりたいものに変身させてあげる能力を、私は持っているんです。どうでしょう、もし良かったらあなたがなりたいものに変身させてあげますよ?」
ここまでは彼女の思った通りだった。だが、河合ひとみの変身願望、それは淡口美月の想像をはるかに超えていた。
「それじゃあ、私のお願い、聞いてくれる? 私を劇の主役にしてほしいの。ヴァンパイアが恋をする話のヒロイン役。それで相手は番場伊亜さん。で、彼に接触して、あなたの変身能力を使ってほしい。それで彼をヴァンパイアにして、私から二度と離れられないようにしてあげるんだ……!」
「ちょ、ちょっと待ってください! 一度に二つ以上のお願いは無理ですよ!」
淡口美月は焦ったように言う。そもそもこんなにお願いをしてきた人は今まで見たことがなかった。
「それじゃあ、前半のお願いだけでいいわ。後半は、あなたが番場さんに接触してくれさえすればいい。私の考え通りなら、きっとあの人はあなたにヴァンパイアになりたいと頼んでくるはずだから」
「は、はあ……で、でも、それは……」
「なぁに? お客さんのお願いが聞けないのかしら?」
「い、いえ、今すぐにお叶えいたします!」
淡口美月は完全に相手のペースにのまれてしまった。
「せーのっ、えいっ!」
とりあえず言われるがままに彼女への変身能力を使用した淡口美月。河合は自分の体を見つめる。
「これで、いいの?」
「は、はい。これで、大丈夫なはずですよ」
それを聞いた河合の顔がぱあっと明るくなる。
「じゃあ、後半のお願い、番場さんへの接触もお願いね?」
そう言った河合はそのまま帰ってしまった。
「困ったことに……、なりましたねゲホッ!」
引き止めようにも彼女は今の状態では動くことすらできない。淡口美月はとりあえずまずは今の河合の変身による自分自身のダメージを何とかすることから始めなくてはならなかった。
「結局あの後また少し若返ってしまいましたけど、この際それはもうどうでもいいです」
彼女は世界の改変など、自分のキャパシティを越えたものを変身させてしまうと、反動で自身を若返らせなければいけなくなる。そうしないと彼女自身が死んでしまうほどのひどいダメージを食らってしまうからだ。
「これで私の仕事は終了しました。あとは番場さん、彼がどう考えるかです」
淡口美月は再び番場を見つめた。その目に映るは、彼の幸せな未来か、絶望の終焉か。
「いい回答が聞けることを、祈っています……」
そして彼女は、今度こそその場から姿を消した。
一方の番場伊亜は、顔を俯かせ考えていた。
「俺はヴァンパイアになるお願いをしようとした。でも、それは淡口美月によく考えてからのほうがいい、と言われた……」
そこで彼はひとまず顔を上げる。
「それはつまり、他にもっといいお願いがあるかもしれないってことかぁ……?」
確かに、一生のお願いに近い自分を何かに変身させる能力を自分をヴァンパイアにすることに使ってしまうのは何だかもったいないような気もする。役に入り込むためとはいえ、そこまで自分の人生をかけられるのだろうか。下手したら日の光すら浴びられない体になってしまうかもしれないというのに。
「でも、かといって他に何があるって言うんだぁ……?」
しかし、現状の彼にこれ以上いいお願いなど思いつくわけもなかった。彼は、まず自分の現状を考えてみることにした。
「俺は今、自分の劇を練習しているわけだぁ。役名はヴァンパイアで、タイトルはヴァンパイアの恋。だが、自分の理想の役を演じられないうえに、配役がひどいから、せめて自分の分だけは頑張ろうと思ってヴァンパイアに……」
とそこまで考えて、彼はある引っ掛かりを覚えた。
「待てよ、配役……?」
そこで彼は彼女のある発言を思い出した。
「まあ仕組みは似たようなものですかね。私の場合は人の性格とか人の状態にも関与できたりするのでその点では上ですけど。確か少し前には人魚になりたいって言ってた方を人魚にしたこともありましたね」
「そういえばあいつ、人の状態にも関与できるって言ってたなぁ。もしそれが事実だとしたら……」
番場の目が輝く。
「まだチャンスはある。きっと劇は成功するぞぉ!」
そのまま彼は家に向かって走りだした。
そして約束の一週間後が来た。
「こんにちは。お願い事、決まりましたか?」
番場がこないだの路地に来ると、以前と同じように女の子が立っていた。
「ああ。最初に聞くが、人に関するものについても何でも変えられるんだったよなぁ?」
「ええ。人の性格、状態まで、どんな変身願望でも簡単に叶えられますよ」
女の子はこともなげに答えた。
「じゃあ、俺のお願いはこうだ。劇の配役を、この劇にふさわしいものに作り替えてほしい。正直俺にヴァンパイアは合わないし、ヒロイン役の下級生もあのヒロインにゃ向いてねぇ。こんなことに一生のお願いみたいなのを使っちまうのは癪だが、現状は一番これが得策だと思ってなぁ。んで、できるかぁ?」
すると、女の子は嬉しそうにニコッと笑った。
「ええ、もちろんです。それではいきますよ?」
彼女はこないだと同じように腕を真上に振り上げる。
「せーのっ、えいっ!」
その瞬間、一瞬灰色に変わった世界は、人の顔が浮かんでは消え、浮かんでは消え、しばらくすると元に戻った。その顔は番場の見知った顔がほとんどだった。
「……これで変わったのかぁ?」
「ええ。おそらくあなたの家の台本もそれと同じようになっています。今回はサービスで劇の配役を受けた方に頭の中にそのキャラの台詞が暗記されているようにもしておきました。これで劇は成功するはずですよ?」
「それは助かる。ありがとよぉ」
そう言って帰りかけた番場は、ふと立ち止まる。振り返った彼はこう質問した。
「お前、そういや何で俺にここまでしてくれんだぁ? 曲がりなりにも俺はお前の能力やら仕事やらを疑ってた人間だぜぇ? 俺にそこまでする義理はねぇはずだろぉ?」
すると彼女は笑ってこう答えた。
「それは、私が頑張っている人の味方であり続けたいと願うからです。あなたが頑張っていたのは事前の調査で知りえた程度の情報です。そういう人には、私の能力を誤った方向に使ってほしくはないのですよ」
「そんなもんかぁ。まあ、それならいいけどよぉ」
納得したのか、番場は再び歩き出す。彼は振り返らず、女の子にこう言った。
「もし良かったら、再来週の劇、見に来てくれよなぁ。きっと成功させて見せるからよぉ」
「はい、もちろんです」
彼の姿が見えなくなっていくのと共に、彼女も姿を消した。
そして二週間後、番場の通う高校での文化祭では……。
「血が、血が恋しい……。ああ、あなたは今いずこにいるのだ……。しかし、彼女の血を吸ってしまっては彼女が吸血鬼になってしまう! 私はどうすればいいのだ……?」
そこには番場の代わりに演劇部の次期部長が主役をしていて、そのヒロインには彼と同期の二年生がヒロイン役を演じていた。ちなみに番場はヴァンパイアに恋したヒロインを止める幼馴染の村人役を演じていた。そして、そこに河合ひとみの姿はない。
「……どうやら、ちゃんと上手くいったみたいですね。私も能力の代償を払った甲斐はあったみたいです」
体育館の出口付近で彼の様子を観察していた淡口美月は、その様子を見届けると、静かにその場を去った。彼女の姿は番場と二度目に会ったときよりも少しだけ幼くなっていた。
淡口美月が体育館を出ると、目の前には見知った少女がいた。
「ねえ、なんで? 何で、こうなったの! 私が、私が主人公になった番場さんとヒロインを演じて、彼が私の恋人になるはずだったのに! どうして……」
河合ひとみだった。配役から外されたため、劇を見てすらいなかったのだろう。淡口は彼女に冷たくこう言った。
「あなたのお願いはきちんとお叶えしました。番場さんにもお話はしました。その結果がこれです。文句を言われる筋合いなどどこにもないはずですが?」
「だって、あの人は、劇に対して真摯で、今まで恋したことのなかった私が、本気で惚れるくらいの真面目さだった! だから、あの人なら、自分がヴァンパイアになることだって、厭わなかったはず! そしたら、私とだってきっと付き合ってくれた!」
河合ひとみにとって、番場伊亜という人間はそこまでする価値のある人間だったのだろう。それを聞いた淡口は、今度は優しく河合にこう言った。
「……一つだけ、言っておきます。そこまで好きな人だったなら、私の能力なんて借りなくても、あなた自身の手で手に入れるべきです。こんな卑怯な手を使って彼を落としたところで、あなたに本当の幸せなんて訪れない。せめて、あなたの好きな彼の演じている劇くらい見てあげたらどうですか? 今ならまだ、クライマックスには間に合いますよ?」
そのまま歩きだした淡口美月は、河合とすれ違う。もう河合は何も言葉を発しなかった。おそらく、何も言うことができなかったのだろう。
「では河合ひとみさん、あなたのこれからの人生に幸あらんことを……」
そして、その場には河合ひとみだけが残された。
番場さんの劇が成功したみたいで何よりです。私は頑張っている人の味方ですからね。ですが、もう一人の顧客、河合ひとみさんの今後が気になります。彼女の恋は、はたして成就するのか、これは私にも分かりません。ただ一つ言えることは、彼女の彼への想いが本物であるのなら、きっと彼女の恋も成就するはず、ということだけです。頑張っている人の想いが実らない世の中なんて、あるはずがありませんから。私にもそろそろ報われる時が来てほしいものなんですけど……おっと、これは私事でしたね。それでは、また会う日まで。