3.
母は殺された。
あの桜の下で。
俺が子供だったからだろう。詳しくは聞かされなかったが、それは異常な死に様であったらしい。
まさか、と思った。
自由が許されるなり桜の下へ走った。
けれど、そこにそのひとはいなかった。
凛と張り詰めたあの空気もまたそこにはなくて、その時不意に、母の言葉は存外に正鵠を射ていたのかもしれないと思った。
その後のごたごたの中で、俺は父に引き取られる運びとなった。この街からも離れると決まった。どうにかしてその前にもう一度会いたかったけれど、そのひとが俺の前に姿を見せる事は二度となかった。
* * *
俺はゆっくりため息をつく。
そっと桜の幹に触れた。
そのひとに恨みはなかった。恐れもまた。
しかしこうして大人になってもまたここへ来て、この桜を見上げてしまうのは、未練だけがあるからなのだろう。
それでも、桜はどこにでもある普通の桜だった。
花の季節ではないから、それは自分を訴える事もしない。周囲の木々にただ紛れるばかりで、あの凛と張り詰めた空気はやはり彼女自身がまとうものであったのだと、諦めるように理解する。
ならばこの下にうずまっているのは、俺の初恋くらいなものだ。
断ち切って、俺は桜に背を向けた。ここに来る事はきっともうない。
ただ、どうしてかその時。
純白の花びらがひとひら、俺の鼻先を掠めて過ぎた。
桜の下から、あのひとがそっと手を振ってくれた。そんな気がした。
だから──俺も決して、振り返りはしなかった。