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桜の下  作者: 鵜狩三善
1/3

1.

 そのひとは、いつも桜の下に居た。

 彼女が実際にどのくらいの年齢だったのか、俺はよく覚えていない。小学校に入りたての子供からしてみれば、中学生も高校生も大学生も社会人も、皆ひっくるめて大人という区分に分類される。

 どんな面立ちであったかも、どんな装いをしていたかも、俺を見つめてくれたその瞳さえも、遠い時間の皮膜に遮られてもう朧だ。

 だから彼女について言えるのはひとつだけ。 

 それはそのひとが、とても綺麗だったという事だ。

 彼女がいる風景は、空気までもが美しいようだった。ただ立っているだけで、世界が凛と張り詰めるようだった。

 純白の桜の下。

 彼女の佇むその場所は、つまり異界であったのだ。


       *           *          *



 当時の俺は、家にあまり帰りたくなかった。母とふたりの暮らしに息が詰まっていた。


「おかあさんのご飯の方が好きよね?」


 そう問われて、意味も判らずただ頷いた俺。顔はもうろくに思い出せないのに、その瞬間の肩を落とした父の姿は、やけにはっきりと思い出せる。

 それで俺は母と暮らす事に決まった。けれどおかあさんのご飯が作られたのは、最初の数ヶ月だけだった。

 父と別れてから母は酒に溺れ、言葉よりも暴力を恃むようになった。当然それは一番身近な弱い者へ、つまりは俺へ最も多く被害を及ぼした。

 家に帰るのが嫌で嫌で、それでも誰にも言えなくて、俺はよく近所の公園で時間を潰した。遅くなれば、それを理由に平手が飛んでくるのは判っていた。それでも帰りたくなかったのだ。


 彼女に出会ったのは、そんな桜の頃だった。

 声をかけたのは俺からだった。眺めるでもなくただぼんやりと桜の下に佇むそのひとを見て、家に帰りたくない同類だと考えたのだ。

 彼女は戸惑ったようだったけれど、子供と軽く扱う事なしに、他愛ない俺の話に付き合ってくれた。

 やがて夕暮れが過ぎる頃になると、


「遅いからもう帰った方がいいよ」


 そう微笑まれてしまえば逆らいようがなくて、俺はすごすごと家路につく。

 そんなふうにして、そのひととの日々は数日続いた。

 俺は学校から一目散に公園を目指すようになり、彼女はそんな俺を見ると少しの困り顔で、それでもそっと手を振ってくれた。

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