カウンセラーごっこ
あなたは偽善者なんだよ。
そう言った彼女の細い両足は震えていた。皆の視線が束となって自分に集まり、私は上手く呼吸が出来ずに喘いだ。でもにこりと笑って、
「えっ、そうかな?」
と平静を装った。
「……その笑顔が嫌」
彼女は声まで震えている。視線を落とし、膝の上に乗った手をもぞもぞと動かす。
「も、やめない? カウンセラーごっこは」
「カウンセラーごっこ?」
「あなたは、他人の相談に乗って優越感に浸っているだけなんだよ……」
なんて教室の静かなことか。皆、聞き耳を立てていますね、これは。彼女の言葉は蛍光塗料のついた時計みたいで、彼女の名前、ミツコを表す325(これはあだ名でもある)が暗闇にぼうっと浮かび上がるのを想像してみたら、私はもう堪らない。
「優越感とか、ないよそんなの。私はただミツコちゃんが可哀相だと思って……」
「ねえ、分からない? そう言われてどう思うか、理解出来ない?」
彼女は眉間に皺を寄せて首を傾げた。長い髪が揺れ、陽光を受けてきらりと光る。私は何が分からないのかと言っているのかが分からない。見えないものは音と幽体と空気だけで充分なのに、人の気持ちも見えないなんて、神様、もっと上手く人間作れなかったの?
無言で窓のカーテンを握り締める私に苛立ったのか、
「可哀相って、やっぱ見下してんじゃん、あんた。自分が上だと思ってるからそんな言葉が出てくるんだよ。325も、もうこいつと付き合うのやめなよ」
と、彼女の友達が言い放った。ささくれ立ったその言葉に、火傷をしたかのようなじんじんとした痛みを心に感じた。そんなつもりじゃなかった。見下してるとか、優越感とか、一切ないと自分では思っていた。
「……うん」
彼女の頷きは、本当に小さなものだった。
「ミツコちゃん、ごめん。私、悪いところ直すから。だから、これからも友達でいてくれない?」
早口で綻びを繕うとする私に彼女は吐き捨てる。
「あなたには直せないよ」
と。
「ミツコちゃん、相談相手いなくなったらまた辛くなっちゃうよ。私なら、いつでも聞いてあげるんだよ」
「上からめせーん」
そう、教室のどこかから聞こえてきた。何やっているんだろう、私、無様な姿を皆に見られているんだ。多分、共通の思いで。
「『頑張ってないんじゃない?』
『嫌われてるんじゃない?』
『そんなのただの思い込みじゃない?』
あなたは疑問文にして表現を和らげているみたいだけど、断言したいんだよね? 本当は」
彼女の震えは止まっていた。
「違うよ、ミツコちゃん……」
今の私はさぞかし情けない顔をしているだろう。彼女の相談には沢山乗った。沢山アドバイスしてあげた。それが、全て裏目に出てしまっていた、ということなのだろうか。ならば、いっそ相談なんてしてくれなければよかったのに。
「皆言ってるよ。あんたの偽善ぶりには反吐が出るって」
彼女の友達が腰に手を当てながら堂々と言った。勝ち誇ったかのような表情。クラスメイトたちに向き直る。すると皆はするりと視線をかわした。ああ、そうだったんだ。私はカーテンを思い切り引っ張り、レールから外した。カーテンがばさりと床に落ちる。
「じゃあ、最初から私に頼らなければよかったじゃない。相談するだけしておいて、答えが気に食わない? そんなの、勝手過ぎるよ」
次に私はクラスメイトたちを見つめ、
「あなたたちだってそう。嫌なら嫌って言えばよかったじゃない、もっと前に。私のことが嫌いならはっきり言えばよかったじゃない!」
誰も言葉を発さず、皆たじろぐように視線を漂わせていた。私は怒っているんじゃない。哀しいんだ。私の味方はどこにもいない。どこにも。
「私は、そんなこと思ってないよ」
静寂を破ったのは友達の愛美だった。
「ちぃちゃんは私のつまらない相談に乗ってくれた。優しいよ、ちぃちゃんは」
愛美は哀しそうな表情をしていた。相談してくるばかりで頼りないなあと思っていた彼女に、今、救われたと感じた自分がいる。
「……ううん、私、優しくないよ」
紐解く記憶はミツコちゃんが私に初めて相談事をしたときのこと。物事がいい方向に向かうのを願う以上に、自分の中の何かが満たされてゆくのを感じた。私、人の役に立っているんだ。こんな人間でも、誰かを楽にさせることが出来るんだ。結局一番は自分が気持ちいいから、だから相談に乗っていた。そうなんじゃないのか?
「……私、皆の言う通り偽善者だったのかな」
「偽善でもいいじゃない」
愛美が言った。
「自分の為にしていた行動でも、それは結局人の為になっていたんだから。大切なのは順序だよ。自分が満たされることによって他人が満たされるのか、他人が満たされることによって自分が満たされるのか。ちぃちゃんは後者だよ、きっと」
愛美は笑った。ここにいる者の中で唯一、表情を彩らせている。今まで皆は私の偉そうなアドバイスに文句一つ言わなかった。でも、もしかしたらだけど、それが皆の気遣いだったのではないか。私が優しくしていたと思っていたのに、優しくしていたのは実は皆の方だったんじゃないのか。
「ミツコちゃん……ごめん」
私が至らないばかりに、嫌な思いをさせてしまった。私はカーテンを拾い、胸に抱いた。
「ううん……私も、言えばよかったんだよね。私、頼ってたよ、あなたに」
「頼って、これからも」
「えっ?」
すらりと口から出た言葉に彼女は目を丸くした。私は彼女を見つめて言う。
「これからは、自分の為じゃなくて人の為に相談に乗るのを一番に心がけて話を聞く。そう出来るようになる為にも、ミツコちゃんには今後も相談してほしい。いつか、もっとレベルアップした『カウンセラーごっこ』が出来るように」
次に私は愛美を見て、
「ありがとう、愛美」
と言った。愛美はえくぼを見せて笑った。
「ごっこ遊びなんて、いつまで続けるつもりなんだよ」
ミツコちゃんの友達が言った。クラスメイトたちは私をじっと見つめていた。私は笑って言った。
「いつまでもだよ」
、と。
最後まで読んで下さりありがとうございます。善と偽善の違いとは何なのか、自分でもよく分かりません。でも、例え偽善でも人の役に立てているならいいじゃないかと個人的には思います。では、ありがとうございました。