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続きそうな短編集

補助術士は戦乙女を倒さない

作者: 曽我部穂岐
掲載日:2026/06/15

 男は、酒杯を両手で包むように握っていた。


 右肩から胸にかけて、治療布が厚く巻かれている。血は止まっているはずなのに、その指先はまだ震えていた。エルトランの酒場には腕自慢が多い。誰かが迷宮で傷を負って戻ることなど珍しくもない。だが、その男の顔に貼りついているものは、痛みではなく、敗北の記憶だった。


「銀の女だった」


 男は、誰に聞かせるともなく言った。


「笑いもしねえ。怒りもしねえ。ただ、こっちの斧を見て、つまらなそうに一歩踏み込んできた。次に気づいたときには、俺は黒い丘の入口で倒れてた」


「殺されなかったんだろう?」


 誰かが軽く言った。


 男は、その者を見た。傷よりも深いものを見せる目だった。


「殺されなかっただけだ」


 その一言で、酒場の空気が少し冷えた。


 町外れの黒い丘。その地下にある古い迷宮の最奥に、戦乙女が現れる。神銀の装具をまとい、双つの刀を操る女。挑んだ冒険者はことごとく敗れ、命こそ失わないが、迷宮の入口へ強制的に送り返される。


 噂は、傷を負って戻った者の数だけ膨らんだ。


 魔物ではない。

 だが、人の剣ではない。

 あれは試練だ。

 いや、番人だ。

 いや、神の罰だ。


 そんな噂に釣られて、四人の冒険者が黒い丘へ向かうことになった。


 炎神の寵を受けた大剣使い、ヴェルター。

 風と光をまとって駆ける軽戦士、フレッズ。

 冥神と獣神に選ばれた半羊人バフォメットの拳士、ポストマ。

 そして、深緑のローブを着た歳術士、ジャックフィル。


 最後の一人だけは、どう見ても戦場の前衛には向いていなかった。布のバンダナを巻き、腰には短剣を吊っているが、それを抜いたところを仲間でさえほとんど見たことがない。戦いの前にすることといえば、薬瓶を数え、土の匂いを嗅ぎ、妙な種を小袋に詰め直すことくらいだった。


「緑芽、また種か」


 黒い丘へ向かう道中、ポストマが低く言った。


 ジャックフィルは小袋の口を縛りながら、肩をすくめる。


「また、じゃない。今回は高いやつ」


「役に立つのか」


「立つように逃げる」


 フレッズが笑った。


「そこは勝つって言えよ」


「勝てそうなら言うよ。噂通りなら、相手は真正面から勝てる種類じゃない」


 ヴェルターは、大剣を背負い直した。


「ならば、真正面は俺が受ける。お前は後ろで陣を張れ」


「頼もしいね。僕は後ろで、なるべく死なないように祈ってる」


「祈るだけなら置いていくぞ」


「祈りにも技術があるんだよ」


 軽口はいつものことだった。だが、迷宮の入口へ近づくにつれて、ジャックフィルの視線は笑っていなかった。


 黒い丘の割れ目に、古びた階段が沈んでいた。中へ入ると、地上の光はすぐに細くなり、代わりに壁面の紋様が青白く浮かび上がった。魔物はいない。罠もない。ただ、奥へ進むほど、空気そのものが重くなる。


 ジャックフィルは何度か指を鳴らし、空間の手触りを確かめた。普段なら遠くに感じられる帰還位置への糸が、ここでは妙に硬い。切れているのではない。どこか一点へ束ねられている。


「緑芽」


 ポストマが呼ぶ。


「分かってる。外との接続が変だ。迷宮が古いから、じゃ済まないね」


「戻れなくなるか」


「たぶん戻される。自分の意思じゃなく」


 その言葉に、フレッズの軽い表情が少しだけ消えた。


 ジャックフィルは歩きながら、袖口から小さな種を落としていった。床の亀裂に紛れるほどの粒で、魔力を受けるとかすかに震える。ヴェルターとフレッズは気づかなかった。ポストマだけが一度それを見たが、何も言わなかった。




 最奥の広間に、彼女はいた。


 磨かれた玄武岩の床。円形に刻まれた古い魔方陣。祭壇の前に立つ、銀の女。神銀の鉢金と胸当てをまとい、両手には細身の双剣を握っている。


 美しかった。


 だが、その美しさよりも、剣の気配が先に肌を刺した。刃の周囲だけ、魔力の流れが不自然に澄んでいる。水面に落ちた油膜を、薄い刃で裂いたような静けさだった。


「挑戦者」


 女が言った。


 その声には、怒りも喜びもなかった。古い祭具が、決められた音を鳴らしたようだった。


「名を」


 ヴェルターが一歩前へ出た。


「ヴェルター。大剣使いだ」


「フレッズ。速い男、と覚えてくれ」


「ポストマ。拳士」


 三人のあと、ジャックフィルは片手を上げた。


「ジャックフィル。補助担当。話し合いで済むなら、そっちを強く希望する」


 女の目が、ほんのわずかに彼へ向いた。


「敗北を認めるなら、帰還を許す」


「ほら、話し合いの余地が少しある」


「緑芽、下がれ」


 ヴェルターが大剣を抜いた。


 赤い熱が刃に宿る。炎神の加護を受けた鋼が、周囲の空気を歪めた。彼が一歩踏み込むだけで、黒い床に焦げ跡が走る。並の魔物なら、その熱だけで膝をつく。


 大剣が振り下ろされた。


 重さと熱を束ねた一撃。女は受けなかった。半歩、ただ半歩だけ横へずれ、双刀の片方で大剣の腹を滑らせる。もう片方の柄が、ヴェルターの胴に入った。


 斬ったのではない。


 だが、ヴェルターの体は石柱まで吹き飛ばされた。肺の空気が吐き出される鈍い音が広間に響く。彼が立ち上がろうとした瞬間、青白い球体がその身を包んだ。


「一名、資格喪失」


 女が告げる。


 次の呼吸で、ヴェルターは消えていた。


「冗談だろ」


 フレッズの声から軽さが抜けた。


 彼は即座に走った。床ではなく、壁を蹴った。風神の加護が足に宿り、その姿が三つにぶれる。光の残像が女の視界を惑わせ、短槍の穂先が背後から首筋へ落ちる。


 速い。


 ジャックフィルの目でも、追い切れなかった。


 しかし、女の双刀は迷わなかった。振り返ることさえせず、背後へ流した一刃がフレッズの残像ではなく本体の軌道を裂く。風の術式がほどけ、彼の体が空中で崩れた。着地より早く、もう一方の刀が首筋に添えられる。


「二名、資格喪失」


「待て、今のはなしだろ――」


 青白い光が弾け、フレッズの姿も消えた。


 残ったポストマは、低く息を吐いた。巨躯が沈み、両拳のナックルに錬気が満ちる。床が軋んだ。冥神の静けさと獣神の荒さが、ひとつの体の中で噛み合っていく。


「緑芽、帰還位置を探れ」


「もうやってる」


 ジャックフィルは後方へ退き、魔方陣を展開した。帰還位置への接続。空間固定の解除。どれも途中で弾かれる。広間の中心にある何かが、すべての糸を握っている。


 ポストマが踏み込んだ。


 拳と双刀がぶつかり、火花が散った。彼の打撃は重く、しかもただの力任せではない。受け流されれば即座に軌道を変え、足を狙われれば角で牽制し、双刀の片方を封じてもう片方を拳で受ける。


 女の目が、初めてわずかに細くなった。


 ポストマは善戦した。


 だが、それでも届かなかった。


 双刀は彼の錬気の継ぎ目を読み、拳の流れを切り分けていく。こめかみから血が落ちた。片膝が床につく。女の双刀が頭上へ振り下ろされ、ポストマは両手のナックルでそれを受け止めた。


「ぐ……ぅ」


「ポストマ!」


「緑芽、まだか」


「駄目だ。空間が完全に固定されてる。強行突破するなら、亜紋震動で無理やり――」


「させないわ」


 女の切っ先が、ポストマへ向いた。


「貴方はもう、私に挑む資格がない」


 その言葉のあと、わずかな沈黙があった。


 女の唇が、何か別の言葉を形作ろうとしたように見えた。だが次の瞬間、彼女の瞳から揺らぎが消えた。


「ここで終わりよ」


 青白い球体がポストマを包む。


「強制転移か――」


 巨体が消えた。




 広間には、ジャックフィルと女だけが残された。


 静けさが落ちる。


 ジャックフィルは、首の後ろに冷たい汗が伝うのを感じた。三人とも強かった。少なくとも、自分よりはずっと戦いに向いていた。その三人が、ほとんど何もできずに消えた。


 女は双刀を下ろさない。


「残るは後衛の貴方一人。どうする? 潔く敗北を認めるなら、このまま送り返してあげる」


「いや」


 ジャックフィルは笑った。


 震えを隠すための笑みだった。だが、恐怖で舌が固まるよりはいい。強い相手の前で最初に死ぬのは、たいてい沈黙した者だ。


「補助術士一人だからって、勝負はやってみなきゃ分からない」


「そう」


 女の瞳に、かすかな興味が灯った。


「私も、その方がいいわ。面白いもの」


「今の一言で、だいぶ帰りたくなった」


 彼は走った。


 正面からは戦わない。短剣も抜かない。柱の陰へ逃げ、薬瓶を投げ、煙幕を張り、障壁を重ねる。女はそれを追った。足音は一度だけ。次にはもう、刃が背後にある。


 煙幕は双刀の一振りで裂かれた。


 障壁は刃が触れた瞬間、内側からほどけた。割られたのではない。最初から組まれていなかったかのように、構成ごと消える。


「くっ……魔術障壁を切り裂くなんて。それ、魔剣の類い?」


 女の眉がかすかに動いた。


「魔剣などではない。錬式刀よ」


「シュプレイツ……構成錬製刀か」


 ジャックフィルは息を切らせながら目を細めた。


「古い言葉を使うね。今どき文献でも滅多に見ない」


「貴方こそ、補助術士にしては知っている」


「本を読む補助術士は長生きするんだ」


「逃げ足も必要そうね」


「いま実感してる」


 刃が肩をかすめた。


 血がローブに滲む。痛みで膝が落ちかけるが、ジャックフィルは転がって距離を取った。その手から、また小さな種が落ちる。


 彼は逃げながら、広間を見ていた。


 床の亀裂。魔方陣の線。女の踏み込み。彼女は強い。だからこそ、無駄がない。相手を仕留める最短距離を、迷わず踏む。ならば、その最短距離に罠を置けばいい。


「ひとつ聞いていい?」


「遺言なら手短に」


「君は、本当に自分の意思でここにいるの?」


 双刀の軌道が、わずかに乱れた。


 一瞬だけだった。だが、ジャックフィルには十分だった。


「私は……」


 女が何かを言いかける。


 次の瞬間、彼女の腕が、彼女自身の言葉を断つように振るわれた。双刀が空気を裂き、ジャックフィルの頬に血を走らせる。


「挑戦者に答える義務はない」


「いまの間、答えみたいなものだったけどね」


「黙りなさい」


 女が踏み込む。


 その足が、四つの種を結んだ中心に触れた。


 ジャックフィルは床に右手を叩きつけた。


「樹縛陣!」


 玄武岩の下で、湿った音がした。


 亀裂から深緑の光が漏れ、方形の陣が浮かび上がる。次の瞬間、黒緑の根が床を割って噴き上がった。女の足首に絡み、腕を縛り、双刀の柄へ巻きつく。


 女の目が見開かれる。


「これは……」


「ただの拘束じゃない。君の剣で切らせるための陣だ」


「なら、望み通りにしてあげる」


 双刀が動いた。


 根が裂ける。一本、二本、三本。やはり錬式刀は術式の継ぎ目を斬ってくる。拘束そのものは長くもたない。だが、ジャックフィルは逃げなかった。


 床に左手を置き、陣の奥へ意識を沈める。


 女が根を斬るたび、干渉の流れが逆流してくる。その流れをたどる。刃から腕へ。腕から彼女を縛る命令式へ。命令式から、広間の床下に埋められた中枢へ。


 見えた。


 挑戦者を判定せよ。

 敗者を帰還させよ。

 番人は広間を離れるな。

 番人は命令に従え。


 そして、最後の一文。


 番人は、己を持つな。


 ジャックフィルの奥歯が鳴った。


「ふざけるなよ」


 女の瞳が揺れた。


「何を見たの」


「君を縛っているもの」


「私は番人。挑戦者を試し、敗者を帰還させる。それが私の役目」


「役目と意思は違う」


「同じよ」


「違う」


 ジャックフィルは万王樹の力を流し込んだ。


 根は文字を砕かなかった。焼き払うこともしなかった。ただ、その命令に絡みついた。何百年も同じ意味であり続けた言葉が、初めて別の読み方を強いられる。


 番人は広間を離れるな。

 ならば、番人でなくなればいい。


 番人は命令に従え。

 ならば、命令を受ける名を外せばいい。


 番人は己を持つな。

 ならば、己を持つ者を番人とは呼べない。


 古い命令式が軋んだ。


 女は双刀を振り上げた。根はほとんど斬られている。刃はジャックフィルの喉へ届く。逃げる時間はない。防ぐ術もない。


 それでも、彼は手を離さなかった。


「誇りと命令は違うだろ」


 刃が喉に触れた。


 血が一筋流れる。


「君が斬りたい相手を、君が選べていないなら、それは戦士じゃなくて装置だ」


 広間の青白い光が激しく揺れた。


 女の腕が震える。


「私は……」


 今度は、その言葉を双刀が断たなかった。


「私は、リルイン」


 刃が止まった。


 床に刻まれていた古い紋様が、ひとつずつ消えていく。空間を縫い止めていた圧力が緩み、遠くにある帰還位置の気配が戻った。地下の冷たい空気に、地上の夜風が一滴だけ混じる。


 双刀が下ろされた。


 ジャックフィルはその場に尻餅をついた。全身の力が抜け、笑おうとして喉の傷に顔をしかめる。


「……勝った、って言っていい?」


 女――リルインは、彼を見下ろした。


「私が斬らなかっただけよ」


「だよね」


 リルインはしばらく、自分の手を見ていた。


 番人ではなくなった手。命令に従うためだけではなくなった手。何を斬るか、何を斬らないかを、自分で選ばなければならない手。


「私は」


 彼女は広間を見回した。


 魔方陣は消え、祭壇はただの古い石に戻っていた。長く自分を縛っていた場所は、もう彼女に何も命じてこない。


「どこへ戻ればいい」


 その問いは、勝者のものではなかった。敗者のものでもなかった。


 迷子の声だった。


 ジャックフィルは、まだ座り込んだまま彼女を見上げた。


「戻る場所がないなら、行き先を決めればいい」


「行き先」


「そう。急がなくていい。とりあえず、外に出る。空を見る。飯を食う。それから考える」


 リルインは、その言葉を確かめるように黙った。


「外には、私の知らないものがあるのね」


「たくさんある。良いものも、面倒なものも」


「貴方は面倒なものに詳しそう」


「不本意ながらね」


 リルインは双刀を収めた。


「なら、しばらく同行するわ」


 ジャックフィルは嫌な予感を覚えた。


「誰に?」


「貴方に」


「なぜ」


「私を外へ出したから」


「それ、責任を取れって意味に聞こえるんだけど」


「そう言っている」


「もう少し穏やかな表現を探してほしい」


 リルインは首を傾げた。


「では、案内しなさい」


「少しは穏やかになったけど、命令形は残ったね」




 二人が迷宮を出たとき、夜はまだ明けきっていなかった。


 黒い丘の入口には、先に転移させられていた三人がいた。ヴェルターは腕を吊り、フレッズは地面に座り込み、ポストマは傷口を押さえながら立っている。


 ジャックフィルがふらつきながら階段を上がると、三人は同時に顔を上げた。


「緑芽!」


 フレッズが駆け寄った。


「生きてるか?」


「まだ死んでない。だから勝ちでいいことにしよう」


「勝ったのか」


 ヴェルターの問いに、ジャックフィルは少し考え、首を振った。


「いや。殺されなかっただけ」


「どういう意味だ」


「たぶん、見れば分かる」


 その背後からリルインが姿を現した。


 空気が凍った。


 ヴェルターが大剣の柄に手を伸ばし、フレッズが腰を浮かせる。ポストマは無言で拳を構えた。


 だが、リルインは彼らを斬らなかった。ただ夜明け前の空を見上げ、目を細めた。


「広いのね」


 その声に、ポストマの構えがわずかに緩んだ。


 フレッズが、ジャックフィルを横目で見る。


「緑芽。その戦乙女は?」


「リルイン」


「名前を聞いたんじゃない。なぜ一緒に出てきた」


「話すと長い」


「短く」


「縛られてたから解いた」


「もっと長く話せ」


 ジャックフィルは答える代わりに、深く息を吐いた。


 夜明けの光が黒い丘の向こうから差し始めていた。リルインはその光を、初めて見るもののように眺めている。剣を持つ手は自由になったが、彼女の足元にはまだ行き先がない。


 エルトランの酒場に戻る頃には、町は目を覚まし始めていた。


 扉を開けた瞬間、店内の視線が一斉に集まった。傷だらけの四人と、その後ろに立つ神銀の戦乙女。噂好きの酒場に、これ以上ない材料が放り込まれた瞬間だった。


 店主が口を開けたまま固まる。


「……緑芽。その別嬪さんは誰だ」


「僕も今、説明を探してる」


 リルインは店内を見渡し、空いている席を見つけると、迷いなく座った。ジャックフィルの隣だった。


「食事を」


「順応が早いな」


「外では、まず食べるのでしょう」


「間違ってはいない」


 料理が運ばれてくると、リルインは自然な動作で双刀を抜いた。


 酒場全体が凍りついた。


 次の瞬間、皿の上の肉と野菜が、恐ろしく正確な幅で切り揃えられる。


 フレッズが小声で言った。


「誰か、武器で料理するなって言えよ」


 ヴェルターは首を振った。


「俺は嫌だ」


 ポストマも静かに答えた。


「私もだ」


 ジャックフィルは深く息を吐いた。


 戦いには終わりがある。試練にも終わりがある。だが、面倒ごとには終わりがないらしい。


 リルインは切り分けた肉の一切れを、彼の皿に置いた。


「食べなさい」


「命令?」


 リルインは少しだけ考えた。


「違うわ」


 彼女は、自分の言葉を確かめるように続けた。


「私が、そうしたいと思っただけ」


 ジャックフィルは文句を飲み込んだ。


 広間の番人ではなく、命令に縛られた戦乙女でもなく、リルインというひとりの女が、自分の意思でそうした。ならば、それを拒むほど彼も野暮ではなかった。


 彼は肉を口に運ぶ。


「……切り口が綺麗すぎて、味より先に技術が来る」


「変な感想ね」


「よく言われる」


 酒場の客たちは、息を殺してそのやり取りを見守っていた。


 こうして、エルトランには新しい噂が生まれた。


 地下の戦乙女は消えた。

 最奥の試練場も、ただの古い広間に戻った。

 そして、戦乙女を倒したわけでもない補助術士の隣に、その戦乙女が座っている。


 正確には、彼は勝っていない。

 彼女も負けていない。


 ただ、地下に縛られていた剣が、初めて自分の行き先を選んだ。


 その行き先が、たまたま逃げ足の速い歳術士の隣だっただけである。




お読みいただきありがとうございました。

創作の励みになりますので、感想・評価、よろしくお願いいたします。


中ボス的な奴が仲間になる話を書きたかったのです。

敵として出てきたときはやたら強くて、こちらを完全に見下ろしているのに、いざ事情が分かると「この人にもこの人のルールがあったんだな」と見え方が変わる。そういうキャラクターに書きごたえを感じます。


今回は、戦乙女リルインを「倒す相手」ではなく「解放される相手」として書いてみました。

ジャックフィルも正面から勝つ主人公ではなく、逃げて、喋って、観察して、最後に相手の縛り目をほどくタイプです。なので、勝敗としてはかなり曖昧です。本人も言っている通り、勝ったというより「殺されなかっただけ」です。


ただ、その曖昧さがこの二人には合っている気がします。


リルインは負けたから仲間になったわけではなく、初めて自分で行き先を選べるようになった。

ジャックフィルは勝ったから連れていくのではなく、なぜか責任を取らされることになった。


そんな感じの、少し面倒くさい出会いの話でした。


ここから先は、戦乙女が普通の町や旅先でいろいろズレたことをして、ジャックフィルが胃を痛める展開になりそうです。

双刀で料理を切るのは、たぶんしばらく誰も止められません。


お気に召した方は、他の短編『続きそうな短編集』もぜひ、ご一読ください。

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